「弁名」ノート No. 31 ( 私の文学的フットノート)
「人を知る」とはなにか、徂徠はこれを智徳の働きと関連づけて人材登用論におけるものとして読んでいる。子安氏の評釈によると、「智徳の大なる働きとして「人を知る」ことを徂徠はいう。安民(仁)と知人(智)とが、先王の道を行う上での二大眼目をなしている。そして知人論すなわち人材登用論が、徂徠経世論の中心をなすものである」という。
「弁名」ノート No. 31 ( 私の文学的フットノート)
「人を知る」とはなにか、徂徠はこれを智徳の働きと関連づけて人材登用論におけるものとして読んでいる。子安氏の評釈によると、「智徳の大なる働きとして「人を知る」ことを徂徠はいう。安民(仁)と知人(智)とが、先王の道を行う上での二大眼目をなしている。そして知人論すなわち人材登用論が、徂徠経世論の中心をなすものである」という。