21世紀の「象徴天皇制」を読む

21世紀の「象徴天皇制」を読む

「特例」か「先例」か、一代限りかそうでないか、とにかく「退位」は「退位」。しかし誰も語ろうとはしないが、問題となっているのは、一体誰が何から「退位」しようとするのか?そして誰がだれに向かってこれを語るのか?この問題は、明治の近代が作りあげた構造、われわれの内部にネイティブ化している物の見方から外に出るかという問題と等価なのかも。一考の価値があるとおもう

‪(長州が勝手に京都から連れてきた、明治の元勲にとっては自らをそこに表現するという政治利用できる操り人形でしかなかったものが、元勲の不在の時代に入ると、すなわち帝国主義の大正から昭和において、転倒的に、価値形式的にというか、コントロールできなくなるという転移が起きた。昭和十年代を総括すると、ベンヤミンの言葉を応用すると、文化の政治化という自己同一の言説が起きてきてしまった)‬