シドニーのユダヤ人

シドニーユダヤ

あまりこういう話はfbですべきでないかもしれないのだが、総体としての自分の愚かさについて考えるのはいまじゃないかとおもうので、メモとして書き留めておこうかとおもう。明日はいきなり惨めに感じるかもしれないが、劣等感といわれる意味の惨めな感覚を殆どもってこなかった。これは両親にあまやかされて育ったことがあるだろう。その両親もあまやかされてそだった。と、昨日思い出したのだけれど、シドニーの子供時代、見ていられなかったのだろうね、大家だったユダヤ人のおばさんがよく家に招いてくれた。親しみだけでなく、何か大切なことを教えようとしていた。賃借人の両親にあきれていた。彼女がいうには親は自分のためになんでもしてくれたという。タイプライターで書くこと、これがわたしが自身で自分のものにしたものだといった。オーストリア人のことを、「彼ら」と言っていたとき違和感を覚えたのを覚えている(いや、もしかしたら、近所の人々のことを指していたのかもしれない。) おばさんはわたしのなかにずっと住んでいる気がする。オーストリアユダヤ人の息子や娘たちは運転免許をとるために教習所にくるときは、ベンツで来てその車で練習するほど、圧倒的に経済的力をもっていたが、白人のなかでは等しく扱われてはいなかったのだとおもう。