方法としての『ユリシーズ』

‪今日宮田先生から、来日するジョン・マッコート氏の講演会が法政大学であるとのお葉書をいただきましたが、あいにく、7日は用事があって行けなません。大変残念です。外国というのは、その国を去った後に、長い時間をかけて文献を研究してはじめて明らかになるというところがありますね。わたしは文学アマチュアなので一層時間を要します。アイルランドにおいていかにジョイスが読まれたかを考えることの真の意味を理解できたのは、ダブリンを離れた十数年後に、東京において、徳川時代儒者たちがいかに朱子学を読んだかを学んだことによるとおもうのです。ジョイスにおいても、普遍主義の読みはひとつではないこと、だからこそ依拠できる普遍主義的な再構成が卑近に存在する‬という方法としての『ユリシーズ』、ですね。