西欧とアジア

映画のなかでしか見たことがないけれど、ニューヨークの自由の女神像はどこにも属するがどこの部分とならないものの象徴。最近床屋さんで教えてもらって知ったのだが、自由が丘駅前の広場にも、ひっそり立っている自由の女神像があった。自由が丘も戦災で荒廃したが敗戦後に建てられたという。さて、常のこととして近代主義者が一つにしてしまうように、ニューヨークの自由の女神像が本来的なものであり、自由が丘駅前の女神像が非本来的なものであるというふうに考える必要がないだろう。先ず、アジアの端っこに立つ女神像をよく見ること、そのことによって、西欧の端っこにある自由の女神像がわかってくることだってあるさ。理解が要請される。