「日本語」

‪ ‪言語は思考を規定すると言われる。天下のものである水へのアクセスを所有することの意味はなにか?奪われているのは、所有化できない水へのアクセスだけか?言葉に定位する共同体の思考の天下的あり方も損傷を加えられようとしている。もっと問題は、近代のあり方に存するようにおもわれる。日本語といわれるものが、この時代において疎外させてくる原因である。「日本語」は、安倍政権の<ポピュリスト的>「これしかない」と押し進めていく明治維新の始原的回帰に対する抵抗を為す言語として果たしてそれほど適切なあり方をしているのかという点を、こちらに一行、あちらに五行と書きつけながら考えざるを得なくなっている