戦争神社の博物館

‪ ‪講座「明治維新の近代」が始まった去年は聖徳記念絵画館に行った。今年は「遊就館」へ行く。入り口付近はロンドンにある戦争博物館ふうと思ったが、塹壕の模型といったような悲惨の展示はない。靖国神社の前身である東京招魂社の鳥居に集まる人々の一枚の写真の前に立ち止まる。是は何か国を形作る境界を定める柵にみえるのだけれど。どうも始まるのは、「日本人」の心の中心を映像化したつもりのこの一点から。彼らの近代史を説明する饒舌な言葉が壁に沿って続く。反復も多い。境界が動いていく歴史を客観的に説明し尽くしているのに、「日中戦争」という言葉はついにない。そして用意周到に説明の全部に英語の翻訳があるが、中国語やハングル語の翻訳がないことに違和感を覚えた。最後に、神話の完成は写真を必要とするということか、「祀る国家、戦う国家」の部屋に連れて来られたような気がした。戦争神社の過剰な演出というか、「神々の遺影」と名づけられた顔の配置。沈黙する映像にたいして、顔を取り返せと大きな声で叫びたかった。生きた者達がどうして昭和十年代のファシズムのもとであのような戦争が起きたのかを明治維新に遡って説明できなければ顔を取り返すことは決してできないだろう。

現代のコンテクストで朱子の鬼神論を考えるとどういうことが言えるだろうかという関心もありました。もう遺族は消滅したらしいとのことですが、遺族のいなくなった時代の靖国は、それまで遺族の視線が保証していた、記憶が囚われた表象を超えて、合祀問題が前提となるのですけれど、<一>に包摂される<多>というような記号の体制ですよね。認識の仕方を教えてくる教説というか。ほんとうに、参拝しに来る若い人たちの姿が気になります。安倍がこれを利用してやろうとしているナショナリズムと一緒になろうとしているのだろうかと考えてしまいました。伊勢神宮に探偵したときのように、どうもよくわかりません...