新元号「令和」への質問

政治が「万葉集」の言語のなかに自然化されて隠蔽されていますが、公(国家)の令にしたがえ、分裂するな、特に民は民主主義の憲法に行って分裂してはいけないという感じですね。それだけではありません。「中国古典からでないのは初めて」という。だからそれがどうしたのっておもっちゃいますよ。「万葉集」といっても、昭和10年ファシズムが解釈した「万葉集」のことでしょう。歴史書日本書紀」、神話「古事記」は国家のアイデンティティを記しましたが、国家統合の困難さを隠しているわけではありません。わたしの理解では、比べると、「万葉集」は、祖国防衛(祖国といっても貴族のためにある国家)のために、天皇をおもう兵隊たちの一体感を歌う詩が重要だと近代的に解されたのです。欺瞞的なのは、あらゆる階級が書いたと信じこまされていますが、貴族が全部書いたものです、あるいは民謡などの民間伝承を自分たちに都合よく書き直したものです。靖國神社の博物館に行くと、「万葉集」の近代的解釈が国体の中心を占めることがわかります。ファシズム軍国主義の戦前にいかに絶大な精神的な影響力をもっていたかの証拠ではないでしょうか。‪以上は深読みだと言われるかもしれないですが、名づけることの政治が自然化されて隠蔽されていること、そこで歴史が忘却される危険があることを前提に、やはりどうしても解釈して言っておこうとおもいます。これです。‬新元号は、現代の「貴族」といわれるネオリベのエリートたちが自分たちのために令和しろと命じているんですかね!??