私は未来を思い出している ー 分裂というのは統合を前提にしている。ドイツだけではない。明治三十年代の統合としての民族概念を前提にして、国民の分裂があったこと

  1. Wenn also die philosophie bei einem volke hervortreten soll
    so muss ein bruch geschehen sein in der wirklichen welt. Die philosophie ist dann die versöhning des verderbens das der gedanke angefangen hat.
    Si donc la philosophie doit se produire chez un peuple, il faut qu'il y ait eu une rupture dans le monde réel. La philosophie alors concile la corruption commencée par la pensée.
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    ゴダール「新ドイツ零年」は、その上映の年、1991年に、ニューヨークでみた。ゴダールの歴史に取り組む映画の最初をなした。ヘーゲルを引くこの映画は分裂のテーマをもっている (Wenn also die philosophie bei einem volke hervortreten soll so muss ein bruch geschehen sein in der wirklichen welt)分裂というのは統合を前提にしている。ドイツで起きたことが日本でも起こったことを考えさせる。これは、早稲田大学の小教室での思想史教室(市民大学講座)で近現代史を学んでから再び考えるようになった。明治三十年代の統合としての民族概念を前提にして、国民の分裂があった。日露戦争後の社会的分裂が大きくなったとき、社会主義を処刑することによって、大正から国体論的言説があらわれてきたのだ。「民族」概念が明治末年に成立し、大正に言説化され、昭和に全体主義イデオロギー的中心になっていくというのである。これは、戦後の市民運動を挫折させ、今日における安倍内閣に繋がる危険性...をもち、グローバルデモクラシーのブラックホールを形成している可能性があるが、このことを検証したのが、「「大正」を読み直す」である。この本で、大正時代の津田左右吉を私は知った。和辻哲郎との対抗軸が語られるが、これだけではない。天皇・貴族から農民までの一体性を表現しているという「万葉集」の解釈を作り出した斎藤茂吉に対決する津田の姿勢を、かれの「古事記」の批判的読みとともに、考えていくのは、いまだからこそ大事ではないか。漠然と万葉集古事記の問題性を知っているだけでは、安倍内閣日本会議に対抗できないからである。戦前の津田は、民族の自立性を、全民衆的民族の表現をもとめた。そうして国体論的言説に抵抗することができた。ただしそれは成就しないナショナリズムである、と、子安宣邦氏は指摘したのは昨日である(「民族」という始まり)。もし全民衆的民族の表現が実現したら国家がなくなり、したがって民族がなくなってしまうからだというのである。国家の民に犠牲をはらう侵略戦争に反対する声を無視することができないはずだからである。このパラドックスは一考に値する。私は未来を思い出しているー

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