香港を考える

「非存在者は存在するということは証明されない。」非存在者がそれを語るときは、「わたしの存在は(形式)証明できない」と言っている。「非存在者は存在するということは証明できない」は、それ自身の否定、すなわち「非存在者は存在する」を意味しているのだ。ところで「本質は現象しなければならない」とするアリストテレス-マルクス主義一国二制度的な見方は、一国のうちに現実化しない本質などは存在しないとみる。だが非存在者は本質だろうか?非存在者は本質ではない。香港は本質だろうか?否である。大切なことは、非存在者は人類的な別のあり方で存在するということ。だから一国二制度において「非存在者は存在しない」と言っても、「非存在者は存在する」。帰るところがない「目に見えない他者は存在する」のである。国のなかで’亡命’する場所において... 民主アジアは「非存在者=他者は存在する」あり方を自らに書くことができるだろうか

「本質は現象する」とするマルクス主義一国二制度的な見方に、一国に現実化しない本質は存在しない。だが非存在者は本質なき他者として人類的な別のあり方で存在する可能性がある