靖国参拝の問題とはなにか?

なぜ靖国参拝がいけないのか多くの日本人は知らなかったりします。

海外mediaは靖國神社を戦争神社と呼びます。これは正確です。靖國神社の問題は、政教分離の原理をめぐる言説に即してその内部で考えるべきではなく、アジア2000万人の命を奪った形で祀る国家が闘う国家であったという国家祭祀の言説の問題として外部的に構成しなければならなりません。「外部的に」とは、台湾と朝鮮、中国、アジアから、靖國神社がどうみられたのかということです。果たして、靖國は帝国の日本国家と別々にあったのでしょうか?敵を殺して死んだら、神さまとして、靖國に帰れるぞと言われた兵隊にとって、死者を支配する、憲法に書かれていない権力をもつ天皇が参拝する靖國と日本国家は別々にあったのでしょうか?唯一正統な統治権をもつ古代の天皇から三種の神器を預かっている、国家と憲法(政教分離)の上に立つ伊勢神宮靖國神社と日本国家は「国体」としてひとつだったのです。

ところが政教分離の問題として考えてしまうと、明治初期の政府に神祇官として宗教者が入ったことが政教分離違反であったが、全体としては政教分離は保たられていたというような見方になります。国家神道の推進主体はあくまで国であって、その限りにおいて、政教分離は保たられていたのであり、靖國神社は無関係(無罪)だというのですね。ここから、文化として、「靖國神社としての日本人」のアイデンティティを主張するという根源的錯認に陥る危険があります。国家祭祀の問題は単なる認識の問題でしょうか。国家祭祀の問題を政教分離の問題に矮小化することは倫理的に不可能ではないでしょうか。


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