書くこと 700-800

1、明治二十年代の「透谷も天下国家を議論しようとする悲憤慷慨の精神の持ち主であったと言える だろう。彼が漢文体に託した思想は政治と連動する「経世の志」や「悲憤慷慨」と背 反する思想ではなく、むしろそこから進化したものだと捉えられるはずである」(Lu Chen)

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蓮實重彦は漢文体が悲憤慷慨に適応し、「言文一致じゃ「悲憤慷慨」は書けないだろう」と指摘したように、『論語』の話言葉的な現代語訳では義憤が起きてこないよな

2、普遍主義は<多>である危機の時代に、失われた<一>は何処に現れるのか?どうして危機かと言えば、帝国が普遍主義の<語られ方>を作るからである。それは帝国が自ら普遍をもつとする根源的錯認である。宣長は『直毘霊』的<一>を書きながら『古事記』的神々の生成の<多>を書いた。如此く自立的部分の傍らに全体があること、これはグローバルデモクラシーが普遍主義を再構成する(日中戦争を反省した)アジア主義的なある方であるとわたしは考えるのだけれど



整理がつかず色々書くかもしれません。ご疑問にも答えられないかもしれませんでしたらすいません。良い悪いは別として、日本の近代化は復古主義の古学からしか出てきませんでした。明治維新の失敗は王政復古になってしまったことです。薩長は京都から天皇を連れてきてしまいました。文化権力の中心に政治権力が集中したことの帰結は昭和10年代の全体主義ですね。天皇ファシズム軍国主義が同じ方向をもちました、祀る国家は闘う国家です。国家はだれのためにも祀りません。国家は自己自身を祀るだけです。天皇の国家祭祀を禁じることは戦後憲法の課題でした。宮沢革命説は天皇機関説の発展です。天皇は植民地に向かって大御心をもって言葉を発してましたが、憲法はこれを禁じなければ国民主権が危ういと書いています。安倍晋三は、公式参拝軍国主義解釈改憲を推し進めて、皇室を利用しないで、ヘイトスピーチナショナリズムを展開しています。安倍は、宣長的なので理念を持たないのですが、これは、平和憲法を活かした、ナショナリズムに収斂しない移民国家の文化多元主義の実現を防いでしまいます。伊勢サミットから国家神道は復活しています。戦前は国家神道はアジアに2000万人を殺戮しましたが、最近の学説では、靖國は戦争と関わることがなかったと考えるようになりました。問題があったのは、平田派の神祇官が政府に入ったという政教分離違反があっただけだと。ついに宗教学者が、「靖国としての日本人」アイデンティティを主張しています。

丸山真男荻生徂徠制作論も、宣長と徂徠から影響を受けた後期水戸学の儒教的聖人の代わりに天照大神を発明していく政治神学も全く理解できていませんでした。この話はまたの機会があれば書きます。先生もよく話します。ご指摘のように、天皇はヤバイのです。案の定、日本知識人は「万葉集』の時代から、戦争する天皇の国家を俯瞰する視点を助けてきました。案の定、左翼は吉本派をはじめ天皇抑止論です。子安先生は幸徳と秋水と小田実を結びつける市民の理論を『大正を読み直す』で展開しています)が、正統派左翼は強力な共和主義の理論もないのにやたら廃止をいうのですが、もし廃止したら、こんな天皇大好きの国民のウルトラナショナリズムが起きることは必至です。そうならないように、ですから、一番いいのは、子安先生のご意見では、天皇に引退して貰って、京都に帰って、天皇博物館の館長にでもなっていただくことです。学問によって自らの権威を作った古代天皇は漢字文化の輸入に貢献したことの功績はあります。

誰が支那人の代わりに支那人の為に考えるのか?という問いは、植民地主義のものであるが、余りに文学的なものでもある。竹内好が答えるときは、言語が文学としての中国を語り出す

満鉄が行った農村調査による村落共同体の語りだしによって、知識は深く届かなくなったとき、初めて中国の<語られ方>が問われた。それは白紙の本、誰も語らなかった文学である


表象できる世界を取り返そうとして言語が集中する傍らで、無が自ら署名する本


https://www.instagram.com/p/CVG3iH7BpqH/?utm_medium=copy_link


言語的存在である人間は言語の存在の意味を問うのはロゴスにおいてあるように、上からの近代化である明治維新の失敗は北一輝を下からの近代化を担う民衆の存在の意味を問う中国へ行かせた

中国的美とは、礼ー字ー和

わたしなりに理解すると

ヘーゲル客観精神ー漢字エクリチュール命名制作

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go on go on go on go on go on go on go on ..

ボードリヤールが<湾岸戦争は起こらなかった>と言った意味は、戦争が戦争の<語られ方>に存在するということ。ポストモダンが戦争を理念化した戦争機械とは、遊牧民が交通を不可能にする国家に対する戦争であり、その戦争はかならずしも国家を対象に持たない戦争である。世界史の言説<民族=国家>を解体する物の見方である。

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11 イギリス法は二つある。衡平法とコモンローである。これはなにを意味するのか?マラルメの文を思い出す。「諸々の国語は,それが〔地上に〕二種類以上存在するという点において,不完全である.すなわち,絶対無二,最高の言葉というものがないのである.」

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フリール「トランスレーションズ」の最初はメイナスがセアラに喋り方を教えている。「とてもうまくいってるよ。じゃね、もういちど、やってみようじゃないかーもういちどだけだからね。さあ、力をぬいて、いきを吸って・・・ふかく・・・はく・・・吸って・・・はいて・・・」

「わたし…わたしの…」

セアラは英語で自分の名を言えない。

舞台においては沈黙は語る以上に意味を放つ。これはハイデガー的沈黙である。


13 「労働者の解放は労働者自身の仕事でなければならない」というマルクスの言葉は、また「ソヴィエトに一切の権力を」というレーニンの言葉は、もともと国家主義マルキシズムの真っ赤な嘘なのだ。マルキシズムは民衆が自分で自分の運命を創っていくことを決して許すものではない。


大杉栄無政府主義将軍ーネストル・マフノ」


マルクスプルードンバクーニンと激しく論争しましたが、決して敵同士のものではありません。そうでなければ、アナキストの知識人たちはロンドンに亡命したマルクスの下に訪ねたりはしなかったでしょう。ボルシェヴィキは、アナキズム国家主義の両方をもつフランス革命を研究して、結局国家主義を選択しました。その結果、アナキズムは国家にとって敵の側の非常に危険な言説となりました。大杉栄はネストルのことをフランスで知ったのでした。大杉は、国家否定のアナキズムとは別の、国家から自立する市民の先駆的な視点をもっていたので、国家(甘粕は陸軍ファショのモデル)は百年先を見越して、市民は立つことができないように、殺害したのでしょう。市民運動は勝てないというジンクスがあるのは、人々が幸徳と栄を殺戮した国家を恐怖するからです(公害裁判でも、被害者達は勝ちたいのは、自分の権利のためよりも、お国様と対立していることに理由があることを村の人たちにわかってもらいたいからなのです)。ウクライナの爆撃される、自分たちと同じ無力な市民に共感をもって応援すると、国家日本がロシアになってくるこのような極端を見てはじめて、この国がいかに救いがたく民を失っているかが判ります。


14 ウクライナの爆撃される、自分たちと同じ無力な市民に共感をもって応援すると、国家日本がロシアになってくるこのような極端を見てはじめて、この国がいかに救いがたく民を失っているかが判る

15 知の配置。宣長は神々(N)の生成を認める。近代主義が禁じた、正統派における古道の排他的一元性<1>は何処に現れるのか?異端派の魂たち(N)を救済する<1>神においてか?

16 映画を語るのは映画が存在しないからである。映画は多くの映画が作られた中で、奪った生を映画に返さずに、終わった。彼方に消失したものがすべてがみえる。書く画家が語り出す

17 ひとりの男にたいする身体、生命、財産のすべてを譲渡する幻想をラカンは語った。その中でそれとは異なる、ひとり一人がマイナーである「器官なき身体はわたしのものである」へ行く

18 米国に体現された世界資本主義は帝国(帝国主義になり得る)を為す米国と拡大EUロシアと中国とに分割されている現在は、反米だけ言っていれば自由を主張していた時代にあらず

帝国ロシアとウクライナ侵略にたいするこれほどの関心と批判が台湾に向かってあれば、帝国中国は台湾に対して勝手なことができないはずなんだとおもう。米国に体現された世界資本主義は帝国(帝国主義になり得る)を為す米国と拡大EUロシアと中国とに分割されている現在は、反米だけ言っていれば自由を主張していた時代ではない。世界主義の分割である帝国は周辺国を経済と文化で支配できる。周辺国の民主化が独立の主張をもつときに帝国は帝国主義となる(軍事支配を行う)。台湾は帝国中国に対して独立と民族アイデンティティを主張することは大変危険なので主張しない。これは国家中心主義の19世紀と20世紀を超えた新しい民主主義の方向を構成している。

19 われわれは絵を見つめ、絵の中の画家は画家でわれわれを凝視する。部分の傍らに全体がある。これは表象である。これとは異なって、全体の中に部分があるのはイメージである

20 われわれは火神被殺の語りを見つめ、語りの中の太安万侶はわれわれを凝視する。部分の傍らに全体がある神話的表象。これとは異なって、われわれ自身のなかで媒介なくきくわれわれ自身の声

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20 古事記』はどんどん神さまが生まれてくるが、名前は結構テキトーである。多神教というけれど、よく知らないが、ヒンズー教だったら一つ一つにもっとちゃんと名づけているのでは?

21 古事記』の黄泉の国ね、救いなき穢れた国で神(伊邪那美)も人の形が亡くなるように死ぬんだな。伊邪那岐が桃を投げつけるのは主体が拡散した肉体の覆ってきた影だった


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イザナミに大やけどを負わせた火の神


22 首都キエフはキーウに…ウクライナ地名の表記変更はなにを意味するのでしょうか?

キエフという言葉を最初に聞いたのはエイゼンシュタインの映画『イワン雷帝』の中でした。勝手に、思想史的関心から書かせていただきますと、モンゴルのために滅んだキエフ東方教会ギリシャ語とラテン語の言語をもっていたのでしょう?それは普遍性をもっていたと想像出来ますよ。しかし現在帝国ロシアは、自ら主張する普遍を一国言語のロシア語で喋っているわけです。それはウクライナから見ればただのナショナリズムのベラベラ喋るおしゃべりでしかないです。帝国ロシアはロシアの語られ方ー普遍に対する根源的錯認があるようにみえます。首都キエフはキーウにしたことは、この根源的錯認を暴露する重要な意味をもっています

23 世界は本と共に多元主義へ行く。精神(Geist)は本によって思想として現れる。朱子「鬼神論」は精神の語られ方を作った。精神は仁斎、徂徠、宣長、篤胤のアジアの思想になった

24 ウクライナに地名が二つあるのはどうしてか?この問題提起は知的精神的営為を構成しないのだろうか?帝国ロシアはウクライナに言う。「おまえはキエフといえば首を切り落とす。おまえはキエフといわなければ首を切り落とす。」。この場合ウクライナはロシアから刀を取りあげるしかないのではないか

25 なぜ地名は二つあるのか?

キエフをどう読むかは大問題である。アイルランドのような周辺国は二つの地名をどう考えるか、翻訳の意味が芝居にもなるくらい問題となる。ゲール語エスタブリッシュメントのエリート言語のものであり民衆からは愛されていない。ジョイスが書いているように、民は生活のために英語をとってゲール語をすてたのである。実際は現在の地名は測量のときに軍のイギリス人とアイリッシュとが共同で翻訳されたのであるが、固有のものが<奪われた>という理解の仕方が厄介なナショナリズムをうむ

26 ユリシーズのおかげで、10年かかりましたが、故郷に帰ってくる神話的表象を理解できたことは幸せだったとおもっています。フィネガンズウエイクは、たぶん、この世に帰ってくる神話的表象を書いた本ですかね。これから10年かけて取り組みたいです、くたばらなければ(笑)。昔アイルランドに行く前に、古事記と日本書記の違いがわからなければダメだと言ってくる語学出版社の方がいて、そういうことは日本に帰ってきたときに言って欲しかったんですけど(笑)。先月出版された子安先生の「古事記をよむ」のおかげで、わたしのような者でも、何とか大事な違いがわかってきました。漢字で書かれた『古事記』よりも日付を遡って神話を語る大和の国の日本人が存在したのであって、漢字はあくまでも借り物にすぎない、と言い出すと、愛国的になりますね。神話の根底に一つの民族が存在すると宣長は言いましたが、わたしはそうおもえません。平田篤胤的には普遍的神話というものがあって、『古事記』もそれを構成しますが、普遍的神話を一つの民族が語ったとは考えられません。

27 三木清は文化とは死に切った過去であると言う。エクリチュールは死に切った過去だ。精神は死にきった過去をもたないと、聞こえる恣意性に従属していく。そこで文化は起源に堕落する

28 幸福とは何だろうか?離陸した飛行機の窓から見える日本の地上がどんどん小さくなっていくにしたがってわたしの幸福が大きくなる。手鏡でうつしてみたいと思う

29 戦前の社会主義者植民地主義に関心をもつものが少なかったという。現在は、ヨーロッパは自ら植民地化した歴史を私は考えるときは植民地主義の問題を考えるが社会主義に関心がない

30 エスペラント語自然言語を否定し尽くす構成主義も、満洲王国の五族共和の天皇主義も、ユートピア近代の設計主義。ネオリベのカネが何でも解決してくれるという市場万能主義も、ボルシェヴィキの人工的エンジアリングに対抗した設計主義。英国新右翼思想家はサッチャーリズムに対してそう指摘していた。なるほどそうかと思ったが、英国皇室は文化多元主義に対して全体的調和を与えるとする説得には大きな疑問をもった。文化多元主義イラク戦争で滅茶苦茶になったが、エリザベス女王が「全軍無事で」と言ったら、戦争反対8割の世論が賛成8割になったのである

31 宇野経済学は主流になったのは、スターリン収容所群島の事実が発覚した後なのに、柄谷の説明では最初からマルクス経済学の純粋化が評価されていたことになっているのはどうしたことか

32 キエフでもキーウでもおなじとおもっているひとは、北アイルランドのデイリーをロンドンデイリー(英国の読み方)と呼んでいる植民地主義者と同じ態度だとおもう

33 詳しく知らないが、世界の多元性を理解したければヒンズー建築を見よというんだね。比べると、神道はそれほど多神教なのだろうか。神社を見ても『古事記』を読んでもそうなのかな?

34 アイルランドは支配階級だった10%の地主階級を為すプロテスタントカトリックから構成されている。プロテスタント側のトリニテイ大学は両者を隔てる壁にみえる。カトリックの共和国アイルランドが成立した後に、なお特権的存在である大学は万里の長城と揶揄されたが、実際はシング•ベケットジョイスの間におけるような曖昧な境界線を構成する

35 親鸞の超越性とは比叡山を降りて救済を行い比叡山で知識人として『教行信証』を書くこと。部分(衆生と共に)の傍らに全体(知)在り。還相回向は分割における曖昧な境界線である

36 アイルランドの支配が変わる時代の中で、F•ベーコンとベケットは喪失powerlessを表現した。ジョイスはサイード的な意味で、powerlessを、脱階級的な曖昧な境界線から現れてくる、人間の本質である卑近なものとして表現したとわたしは考える

37 伊邪那岐伊邪那美の別れ。生者の国と黄泉の国の境界線の確立。魔法が溢れているにしたがって読み手の感覚が鋭くなっていく。宣長は仏教に対抗した救い無き古代死生観を語る


知識人なんて死後のことに関心がないとおもうが、死を観念化しなければ世界思想たり得ない。宣長が『古事記』に読み取った古代の救いなき死は観念的であるが、イデオロギー的でなくはない


38 プラトンにとって感覚によって捉えられるもの は、生成、消滅をくり返し、真にあることがけっしてない(ontōs oudepote on)ものである。それでは、真にあるものとはどのようなものか。それは、 生成することなく、同一を保ち、常にあるもの(on aei)であり、感覚に よってではなく、ロゴスの助けをかりて知性(noēsis)によって捉えられ る(a.a.O. 27D-28A)。この真にあるものがイデアと呼ばれる。


プラトンにとって感覚によって捉えられるもの は、生成、消滅をくり返し、真にあることがけっしてない(ontōs oudepote on)ものである。『古事記』に記されるような神々の生成は真ではないのか

39 ユリシーズ』はデガダンスの観念化である。ヨーロッパ最大のダブリン赤線地帯は黄泉の国。ブルームは、キリスト教ユダヤ教イスラム教という、あらゆる宗教が対等に扱われる「New Bloomusalem」の建立を宣言する。しかし誰が何を喋っているかわからぬ暗闇の中からブルームがナポレオン三世(ポピュリズム的亡霊)として現れる


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40『古事記』の漢字を子安先生の注釈と訳に頼りながらゆっくりと読む。訓(よ)めない死に切った絶対の過去に成り立つ情念があるとしたらそれはどういう情念だろうかと考える

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41神をシンと読まずにカミと読むのは、独逸語は読めないけど、 ÜbermenschをSupermanと読んでしまうぐらいのギャップがなかったか?厚いものがうすぺらになった

42 ユリシーズ』(1922)は故郷に帰ってくるギリシャ的神話表象から身をズラしながら、英国植民都市ダブリンの他者の岬に等しいユダヤアイリッシュの家に帰る神話的リアリズム

43 『フィネガンズウエイク』は世界中の若者が自国の河の名を発見できる覆い尽くせない海へ戻る魂の神話的表象をH.C.E(Here comes everyboby )と名づけた

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45 ガンジー南アフリカにいたとき、ボーア戦争で来ていたアイリッシュの活動家たちと出会って、対英闘争の復古主義の政治のあり方を聞かされたと言われる

46 独立運動アイリッシュはイギリスの監獄の中で、別に悪いことをしたわけではないという理由で囚人服を着ることを拒む。裸でいる。ハンガリーストライキをやる。不服従の意思を示す

47 マルクスアイルランドからの労働者移入を止めなければ英国労働者階級は立ち上がれないと考えた。また立ち退きされて米国に行ったアイリッシュが対英闘争を構築するみらを予想した

48 主権国家の独立を無視したロシアのウクライナ侵略は言語道断であるが、もしプーチンが言う通りにウクライナレーニンが作った国だとするとロシアは自らを植民地化している..

49 文化的な繋がりが一切ない先住民を先祖と考えるヨーロッパ人にとって、アメリカ人はインデイアンを先祖と考えることはあり得ないのが異様と感じることについてわたしは関心をもった

50 書くことは並べること。『論語』をどう読んだのか、伊藤仁斎荻生徂徠の違い、『古事記』をどう読んだのか、本居宣長平田篤胤の違い、もっぱらこれらの差異を考えています

61 価値判断からの自由をもってするロシア分析はイデオロギー批判を避けて帝国モデルで語るが、プーチンのロシアにすんでみたいかという内なる価値のコミットメントの声を無視できない

62 金閣寺をみておもうのは、おそらく建築言語の論理としては文法的だけれど、人々が受け入れることができるだろうか。明治維新の問題を、戦争で勝てば解決できる、その戦争を行うのは大衆だと訴えた。しかし人々が依拠できる歴史がその三島文学の言語に存在するのだろうか?

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63 日本の保守主義の論客は、人間を手放しに万歳する近代を批判するときに文化の不在と歴史の不在を指摘するけれど、なぜ漢字文化のことも江戸時代の徳川日本のことも言わないの?結局人間の存在だけを言って言語の存在を言わない近代主義と大して変わらないのじゃないの?

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64 オバマは彼が尊敬した公民権運動のキングス牧師の思想を継承したとはいえない。しかし日本の反米保守主義が見逃しているのは、人民が一年間無名の候補者の話を聞いたことである


65 エイゼンシュタインの映画『イワン雷帝』の戴冠式の場面に、スラブの伝統美が結集されているんですってね、トリエステで知り合ったブルガリアの女性が言ってました..

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67 言語はリアリテイーと関わるときは、伝統支配と合法制支配とカリスマ支配をウエーバーのようにバラバラには見ない。われわれは、ロシアの一国社会主義の皇帝と中国の官僚資本主義の皇帝に、伝統(イワン雷帝とか宋の皇帝)、合法性(ピョートル大帝辛亥革命)、反近代(スターリズムと文革)の同時性をみる。

68 デリダはレヴィストロースの禁止における自然と文化の二項対立をズラす。丸山真男は読み間違えたが、命名制作論の徂徠は自然を否定してはいない。近代主義は自然と文化(差異)の<と>を否定した設計主義

69 丸山真男荻生徂徠の自然を否定してしまうような、近代主義の絶対の独断とは何か、自分の正しさを自分の頭の中で考えているのだけれど、これは「天」(=他者)を必要としない

70 大英図書館マルクスは、わたしが悪いんじゃない、社会が悪いのだと主張する自分の正しさを考えたのは、自分の頭の中ではなく、平等にアクセスできた知のコモンにおいてである

71 たかが民主主義、されど民主主義。ルネッサンスのときは正しいことを言っているのだから自由に喋らせろ、だったのが、フランス革命のときに、間違っても自由に喋らせてくれになりました。フランスから始まったこれは凄いな思うのであります。日本の学校では「間違っても自由に喋らせてくれ」、これは一番危険というか..多分デモにおいてもそうですね

72 フランスの教育を与える同化主義モデルintegrityの問題ですね。イギリスの場合は、同化主義は、絶滅型と言われます。インディアンとかゲール語話者に、教育も水道も与えないで、絶滅を待つのです。日本はフランス型にみえますが、民主的だと言われるのに、その民主的教育がたとえば大学卒業後に格差を生み出していることは残念ながらたしかで。問題は、大衆を生み出す教育の軍隊的あり方ですね。江戸時代の塾は古義堂がそうですが、師と聴講者の間における一対一における学びの場なんですね。垂加神道山崎闇斎の塾は禅寺のように一対多ではありませんでした。大学でも一対一のことはありませんでしたが、絶対就職できないゼミばかりとってましたから、ちかい状態で勉強しました。一対一と一対多とでは、知の受け入れ方、あり方が違いますね。『論語』に世界は孔子と弟子たちの一対一のやりとりの世界で、孔子は一切定義しなかったのですね。「仁とは何々であるとは言わない。孔子は弟子たちに必要に応じて仁を説いたという感じです。一対多の知の伝達は抽象的にならざるを得ないしプロパガンダ的にもなるというか..いくら効率よくても、自然科学はあれでいいんでしょうが、声を中心としたあの伝達で身につけた知識で精神的に価値のあるものが生まれるのだろうかと疑問に思います

73 昔、人口学者トッドの講演の時に、ネオリベの時代は全体主義の問題を考える必要がないのかと質問したことがあります。彼の答えは、自分の経験を引きながら、ファシズムとは戦前の貧しい労働者階級の単一価値観による形成で、現在では教育が充実していて物の見方が多様化しているから、全体主義を心配しなくてよいと言うのです。しかし彼は間違っています。価値観が多様化している中で起きている全体主義をどうするかです。近代も「多様な近代」があるとして、ロシアも中国も自分たちの近代を主張しているわけでしょう。たとえば政治的にはフランス革命の近代を考えると、ウクライナも台湾も主権国家として成立しています。だけれど、ロシアは中世に遡ってロシアのウクライナを主張し出します(ユーラシア主義)。中国は、清朝における中国を主張して、台湾は中国の独立は許さんと主張しはじめました。その発想が国家主義的なものなんですけれどね、帝国が主張しているこういう似非ー多元主義全体主義にたいしては、グローバルデモクラシーが要請されていると思います。わたしの意見ですが、ロシアも中国もそれらの体制批判を徹底てきにやるのがいいと思います。そうしてロシアと中国から日本の体制に対する批判がきます。そこから、経済と技術はどんどん進むが、言論の自由が全然成立しないような民主のくせに、偉そうなことを言うなと。そうか日本はもっと民主化しなければロシアと中国に民主化しろと言えないんだいうことになってきます。そうして議論して行く中でグローバルデモクラシーの形ができてくるのではとわたしは楽観的に考えています

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74フランス映画史とか日本映画史という分割には抵抗があるのは、ハリウッド映画から自立する形で各国で映画が発展したから。だが西欧思想史とアジア思想史とか言わないとダメだと思う

アジア思想史と言わないと、アジア思想史が亡くなってしまって西欧思想史しか存在しなくなるだろう。他方で日本映画史と言って実体化すると、日本映画史が亡くなってしまわないか?

75 何が問題なのか


日本人は自分の加害行為を気にしないが、他者の加害行為を過大評価する、とは指摘されることですね。たしかに、戦前は、攻撃されてもいないのに、攻撃されたと思い込んで、防衛するために相手国を先制攻撃することがありました。この点について精神分析フロイトは大変鋭いことを言っています。侵略戦争を否定し切った憲法体制のもとで、侵略したいという危険な欲望が検閲されることになる結果、他国が攻めてくるぞと言い出すと分析しました。

個人について成立する違法性阻却事由としての正当防衛を国家におけるものとして考えることができるか。国家の正当防衛については昔のイギリスも思想家が論じているようですが、憲法の絶対平和主義と両立するものではどうも無いようです。しかしかくも絶対平和主義を導く憲法の言語の論理は文法的ですが、人々が受け入れることができるものなのかとは思います。残念ながら、自衛隊の米軍との共同演習は北朝鮮にたいする、憲法が禁じる「武力よる威嚇」に該当しますが、反対しない野党は自民党の解釈憲法をすでに容認していると言わざるを得ません。

結局問題となってくるのは、明時代の海帝国として成立した国家アイデンティティを求める中国の台湾侵略と沖縄(中国からすると、中国の冊封体制に属する、朝貢貿易相手国琉球です)です。慎重に考える必要がありますが、自衛隊を日本の外に出さないことを明確にした上で、台湾との間でアジアにおける安全保障について意見を交換し合うことが必要だという意見があります。本当に厳しい現実が目の前にありますが、なるほど、これは危険なだけで曖昧な「核抑止力」よりも効果がある方法かもしれないと考えます。核は最終解決ではありません。

76 現代思想40年の軌跡と展望か..帝国が普遍の語られ方を作る中で、ヨーロッパの極右翼への支持率が2割台になった現在、グローバル•デモクラシーの再構成が非常に難しくなった

77 和平が成り立った後の北アイルランドの対立する住民に現在ウクライナに対するように非暴力が求められた。だがカトリック住民への攻撃が現実に続く限りその平和主義は高すぎるのだ。

78 「シンギュラリティ」については柄谷が語りました。「単独者の交通する場所」(柄谷)は、国家-個という単一性をズラすあり方です。「場所」と言っているのは彼なりの西田哲学からの影響があります。しかしそれは結局、「大きな物語」の復活です。彼が擁護している「帝国」の構造だったんだなと現在わたしは理解しています。しかしドウルーズが言った「シンギュラリティ」は、巻かれたら巻き返せとワイワイガヤガヤ、ウロウロウヨウヨ、逃げろや逃げろの、国家から自立した市民(市民社会の近代ではない)がコミュニケーションする場という意味でした

79 日本の戦争映画はつまらないのはどうしてか

大島渚は「日本の戦争映画はつまらない」とずっと言っていました。「被害者しか描いてないから」と。アジア2000万人を殺戮しながら、自分たちは犠牲者だったと考え、ただ核をもったアメリカとの戦争に負けただけだと考えているようではね..

川端『雪国』なんかは戦後のアメリカに都合よく敵意のない日本人像を描いていたから評価されたとおもうのですけれど、日本読者も、「トンネルを抜けたら雪国」だったという鏡像的な純粋な自己像が好きですよね。けれど、なんだかね。世界は世界自身を考えることができません。況や、トンネルのような世界の中で考えることができません。しかし日本は内部だけで考えるこだわりがあります。無矛盾なそこで、永久に被害者(純粋日本人)になってしまう。話がズレますが、アイルランドは独立するときに互いに殺しあう内戦が始まって、殺したイギリス人の数よりも、殺したアイルランド人の数が多くなってしまったのですね。イエーツだったか、「トンネルを抜けると出口がなかった」と言っているのですね。大島映画の面白さに通じるすごい言葉ではないかと思います。

80 国家とは暴力装置であると言われた。これは、国家を打ちたおそうとする者が暴力を組織化する程度にしたがって国家は対抗的に暴力をもつのである。非暴力はこれを乗り越える

81 ケルトの虎と呼ばれた景気から変わってきたが、アイルランド産業革命のなかった国だから中流が殆どいなかった。学のある中流アイルランドの語られ方を作る。アイリッシュは貧困をアイデンティティにもつ。貧困は世界中にどこにもあるから、アイリッシュはどこにも自分がいると感じることができるという。

82 母親が少数民族であるという中国人女性と、先祖の話で盛り上がった。日本人と同じで曽祖父と曽祖父母の名前を知らない。墓はあるが名前が書いていないのでという

83 プーチンウクライナの為にウクライナ人に代わって語る。戦前の日本帝国主義も、台湾の為に台湾人に代わって語った。現在安倍はアメリカの為に台湾人に代わって語っているだけ

84 ドイツではデモなどで「Z」のシンボルを使うことは禁止されている。ナチスハーケンクロイツなどと似た扱いになった。集団はかくも単純なシンボルに熱狂してしまうのはどうしてか

85 善意で世の中の為にやっていることを嘲笑った映画監督でしょう?価値判断からの自由への逃避をやめて敢えて善悪にコミットする言語的行いの複雑さが分かるはずもないとおもわれます

86  『ケルズの書』の文字の装飾は何のためにかはわからなかった。言語の存在が語られるフーコ『言葉と物』のおかげで、過去の書かれた言語の存在を称えたことが考えられるようになった

87 スサノオ天照大御神に示そうとする「清き明かるい心」は『古事記』にある天皇への忠誠を意味する宣命的言葉でこれが日本人の原初的倫理だとされたらたまったものではない

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88 いつまでもプーチンと同じことを喋っている日本左翼は痛いね。サルトルスターリンヒトラー化を知りながらもハンガリー動乱までくどくどスターリンを支持した彼の間違いと責任をおもう

プーチンみたいなくだらないやつに誰も殺されてはならないとおもうし、大事なことをやってきた市民だけにプーチンとおなじことをしゃべって影響力を失ってはいけないよ

89 吉本は被支配者階級が支配者階級の神話を受け入れて総惨敗したという。神話は支配の正当化だ。だが『古事記』はスサノオとアマテラスの対立を書いて統合の難しさを伝えるのはなぜか

90 アメリカ人ほどdreamという言葉を口にしたがる国民はほかにない。イワン雷帝の姿を見せてくれた「夢の工場」を作ったレーニンも疲れ果ててしまった

91 サルトル


サルトルスターリンヒトラー化を知りながらもハンガリー動乱までくどくどスターリンを支持した間違いがありました。この後、毛沢東を支持し始めたのです。ポストコロニアリズムサルトル読みがありますが、サルトルの影響力がなくなったなかで、構造主義の言説が台頭してきたのです。しかし近年、ヨーロッパではサルトルが復活しています。死に向かって、世界に投げだされた言語的存在である己が存在する意味を考えるという思想の理解はおなじだとおもいますが、存在としての抵抗を前提として、存在しないで惨めでいるならば存在して惨めであるほうがいいと考える若者がヨーロッパでは多くなってきたのでサルトルが自己の思想の形成として読まれるのではないでしょうか

92 Owl of Minerva(ミネルヴァのフクロウ)

The owl whose night-bound eyes are blind unto the day cannot unveil the mystery of light.

    If you would indeed behold the spirit of death, open your heart wide unto the body of life.

    For life and death are one, even as the river and the sea are one.

93 アマテラスとスサノオの対決だけれど、mess混乱だ。スサノオは謀反心がないことを明かす誓約(うけい)だったのに、奴から生まれた男神をアマテラスが自分の子としてしている

94

スサノオは亡き母伊邪那美に会いに行きたいと言って、伊邪那岐に追放されてしまう。スサノオは姉アマテラスが支配する天に伸びってきた。姉は弟が天の支配権を奪いにきたのかと疑って武装している。


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95 ウクライナを考えるために

戦争が問題となるのは、民主主義の破壊です。民主主義こそが思想です。ウクライナは、ウクライナのためにウクライナの市民が考える民主主義の道を築いてきたしこれから築こうとするのに、「お前たちは無理だ、俺たちロシアがウクライナのためにウクライナ人の代わりに考えてやる」というのではたまったものではありませんね。しかし「どっちもどっち」論の護憲左翼の平和主義がこれほど観念的になったことはなかったのではないでしょうか。平和の問題は、日本の歴史から離れて考えてはいけません。天皇ファシズム軍国主義とがおなじ方向をもったときにアジア2000万人を殺戮した戦争犯罪が起きたのです。だから戦争を反対するだけでは足りないので民主主義を守らなければいけないのです。しかしながら、憲法の根底にカントがある、だから(自動的に、システム的に?)憲法は、憲法を壊すものからわれわれを守ってくれるはずだというような話を柄谷行人が展開しましたね、この10年間にあいだに。しかし民主主義とその思想を爆撃するシステムに対して抵抗する人々の存在がなければ.. また憲法愛国心をもちはじめていることも日本に起きている問題です。恥ずかしげもなく、それをはっきり言う影響力のある左翼もいます。愛国心に絡み取られると、愛国者プーチンを内面化してしまうことだって起きるのではないでしょうか。

96 ポントリャーギン(Лев Семёнович Понтрягин)の制御原理は計画の原理だが、近代経済学の教科書に市場の有効性を分析する為に使われる。科学は誰とも寝る

97 殺すー殺される

殺されるウクライナ人は苦しんでることはもちろんですが、この反対の方向で、殺しているロシア人も苦しんでいます。そういうことをおもうのはヒューマニズム過ぎるでしょうかね。他方で、戦争から学ぶことはできないとも絶望しています。学ぶことは学びからしか学ぶことができません。殺される人は殺されるのであって学んではいないし、殺す人も殺しているのであって学ぶのではありません。知の根底に関係の非対称性がありますから知は無限ではありません。有限です。しかし敢えて、理念的に、学びは無限であると考えることは可能ですし、近世を方向づけた脱階級的な学びも場を物理学が特異点を表現するように考えてみることは意味があります。

98 天照大御神が石屋戸から出たとき高天の原だけでなく葦原の中つ国も明るくなった。天の主宰者の支配の拡大を伴って、カオス(=スサノオ)がコスモス(=天照大御神)に回収された

99 幽顕論は、異端の平田篤胤の思想ではあるが、目に見えないものと目に見えるものとの交換が起きる。天照大御神の子孫(素戔嗚尊の5世の孫)は出雲系の大国主神から国土を譲り受ける

100 人類学知は生態と文化との関係を構造的に説明できる最高の知である。レヴィストロースは文化の体系を成立させる禁止が自然であるか文化であるかを明らかにしないことを問題にしたのはデリダである。全てを解釈し尽くすこれほど根源的なもの根底には声しかないだろう。そして声は一つの民族におけるものである。構造主義は自ら科学であると主張するが、ポスト構造主義からみると政治的意味を作っている。しかしカオス(=天ノ罪を犯したスサノオ)がコスモス(=天照大御神)に回収されたその読みは政治的意味をもつことは明らかだろう。子安先生が絶えず言及される津田左右吉の読みを無視してはならない。誰が『古事記』を書いたかという序文が大切である。『古事記』は訓(よ)むことはできない。訓(よ)むと、支配者である天皇のもとに貴族の知識人たちが書いた政治的意味がみえなくなる