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仁斎論語

‪『論語』の書き出しは、「子曰、学びて時おりこれを習う」(「子曰、学而時習之」)である。仁斎の注解(現在執筆中の子安氏訳)によると、「学とは倣(なら)うことであり、覚ることである。古えの先人たちの教えにしたがって習い、これを見聞に照らし合わせて考え会得することである。習うは温習(復習)すること」(「論語塾」、仁斎論語より) 傚(こう)とは、模倣、見習う、悟るの意。‬

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「侍女の間」

『侍女の間』は画布の中にそれを含む部屋全体を再配置するとき何をやったかといえば、小さい封筒の中に入れるためにより大きい封筒を折りたたむようなことをした。ここからバロック的問題提起がおきる。なぜ、自ら折り重なるものをフラットにしておくのか?‪なぜ、折角複雑になるものを単純にするのか?だれが表象が崩れるのを怖れるのか?それぞれの特殊性をひとつの全体性に包摂し統合しなければならないのか?こうして成り立ってくるであろう、思弁である、したがって物としてある未来を思い出す部屋、だれも入ってこれない鍵のかかったその部屋から脱出してみようとはしないのか?(ここで「小さい」とか「大きい」という言い方はよくない。強いていえば、「大きい」庭は「小さい」庭とその近傍をもつだけ )‬

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ネトウヨとはだれか

ネトウヨとはだれか?

ネトウヨは、指摘されているようには、反知性主義であるかといえば、そうではない。むしろ、ネトウヨの問題は、右翼にもなれないというほどの道徳性の欠如にある。ネトウヨは「みんな」という言葉をけじめを以て効率よく口にするが、右翼が過剰に「みんな」に訴えるように、「みんな」「みんな」「みんな」と言っているうちに、「星の王子さま」がいるような要請された無限遠点を加えないと、「みんな」だけではやっていけなくなるという、ある意味で右翼だから気がつく‬このナショナリズムの毒を、ネトウヨは気がつくことがないのである

Simone Weil

‪世界を徹底的に理念化していくとはこういうこと‬。ただし理を以て説明し尽くすこととは違う

‪->「あらゆる真空は、(受け入れられないかぎり)憎しみ、とげとげしさ、苦悩、恨みなどを生じさせる。自分の憎むものに対して、わざわいがふりかかればよいと思い、そのさまを想像してみると、再び均衡がとり戻される。」(Simone Weil)‬

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舞台空間は空間であるために要請されるものはなにか?

‪演劇が舞台空間で過去のイメージを発明するとしたら、映画館とか本屋さん、黒板とか匿名の落書きする壁、過去においてはこうした形で知識が伝えられていた配置を思い描くことが大切で、こうした世の中から消えていくもの、消失したものの痕跡、ここから、その空間は自身の未来を思い出すために要請される究極的な空間のあり方を問うことができるのではないでしょうか。完全には知識を形成できないような定義できない余白のことを思います。そこで舞台は事物の影を映す平面に化ければいいわけですが、まだそういう舞台を見たことがないのは、理念化された映画館と本屋さん、理念化された黒板とか匿名の落書きする壁にまだだれも取り組むことがないからなのかもしれません。

舞台空間は空間であるために要請されるものはなにか?

‪演劇が舞台空間で過去のイメージを発明するとしたら、映画館とか本屋さん、黒板とか匿名の落書きする壁、過去においてはこうした形で知識が伝えられていた配置を思い描くことが大切で、こうした世の中から消えていくもの、消失したものの痕跡、ここから、その空間は自身の未来を思い出すために必要なあり方を問うことができます‬

共謀罪

‪賛成派はこのことをよく考える必要があります。国際テロにやられないと説明された共謀罪がなぜ、日本を民主主義国家とは呼べない国にしてしまうのか‬。「世界」のために自分達ではよいことをしているはずのに、国連のベテランからは非難されているのはなぜだろうか? ‪

‪「日本政府はいったん立ち止まって熟考し、必要な措置を導入することで、世界に名だたる民主主義国家として行動する時だ」(国連特別報告者ジョセフ・ケナタッチ)‬

原発災害は原発問題として再び考えることができなくなってきたのは、安全に対する見方がネイティブ化してしまったからかもしれません。中にあって見直すのが難しいのです。ここで言いたいのは、それと同様に、共謀罪は、国際問題化していく外部の視点を以て発想の大転換をしないと、国家が民主主義の土台を壊す共謀罪問題として理解できない‬ままです

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