ゴダール

No.1ゴダール

ゴダールは、暗闇のなかの人生と色のなかの人生を媒介なく衝突させる。暗闇は高慢な理性を遠くに行かないようにするためにあり、色は説明の不在な豊穣さが羽撃くようにするためにある

 

No.2 ゴダール

気狂いピエロ』のロケーション地はポルクロール島。囲まれない映画の歴史と同じ大きさをもっていました

 

No.3ゴダール

『映画史』のゴダールの考えでは、収容所の映像なき映画の歴史は決定的な映像を持っておらず破綻しているが、失われた公理を求めるように、モンタージュによって収容所を再構成できると考えた。映画は過去に介入しなければいけない。水をかける映像こそはユダヤ人を救い出す

 

No.4ゴダール

ヌーベルバーグは、次々と盗んだ自動車で南へ行く若い男女の物語だが、アイルランドのヌーベルバーグはアイルランド一周して出発した所に戻ってくるという復古主義的なものである

 

No.5ゴダール

ゴダールのテーマに孤独というのがあります。映画の死と共に、ゴダールは孤独に直面しましった。失業したときのように、自分の力で変える力がないような外部にあるあり方を孤独と呼んでいます。浅田彰が言うようには、孤独の力はあったでしょうか?ゴダールも死にました。われわれゴダールを語る者はかれの「遺族」のようなものですが、映画の魂も、ゴダールの魂も、消滅したらどうなってしまうのでしょうか。「遺族」は存在する意味がないです。こういうのは1000年前に、朱子と弟子たちの間でこの議論をしていました。朱子唯物論的なので魂も肉体と同様に消滅すると考えていました。弟子たちは危機感を募らせます。魂が消滅したら魂を迎える儀式に意味が亡くなってしまいますと。ゴダールは書く画家でしたから、わたしにとって問題は、書く画家の魂の消滅と言えるでしょうか。映画(鬼神)の映画としての帰還は可能かわたしは毎日考えています。

 

No.6ゴダール

ゴダールは称えられても、彼が主張してきた映画を思考手段と考えるひとはほんとうに少ないのです。ゴダールは映画の「思考の形式」を問いましたが、彼の前にこれを言ったひとはいません。

 

No.7ゴダール

多分ゴダールは自分のライバルはファスビンダータルコフスキーだけだと思っています。彼らの女優達を自分の映画に登用して勝つというわかりやすさ

 

No.8ゴダール

ゴダールは一生懸命の近代ではない。一生懸命の近代とは何か?一生懸命の近代とは、例えば日本語の起源を探してインドとか遠くに行って調べるのである。ポストモダンは一生懸命やらない。不可避の他者の卑近を考える。日本語の成り立ちは漢字である。さてゴダールは卑近にあるものを利用して映画を作る。そうすると自分をテーマにすることになった。他人の映像を盗む『映画泥棒』だとする蓮實重彦ははっきり指摘するが、ゴダールは研究する権利を主張している。本『映画史』を見ると、暗闇のなかに他人の映像(写真)を絵画的に再構成している。映画=死者を精神として帰還できるかを探究している

 

No.9 ゴダール

ゴダールはスクリーンに投射する運動を映画と言うだけではなく、投射の運動を行うものはすべて映画だと名づけているようだ。ハムレットの最期、世界に自らを投げ出すのも映画、射影幾何学も映画である。映画と名づけることによって、思考不可能なものが思考可能になってくるこの問題提起は、ゴダールを死装束をスクリーンとみなしている極限までつれれいく。
礼記』祭義篇で「人が死ねば骨肉は地下に朽ちて、埋もれて土となり、気は上方に発揚し、昭明(あきらな)ものとなり、香気を放って、人の心をおそれおののかせる」という。ゴダールは映画の死の観念と共に、自己における孤独を考えら。映画も亡くなったら鬼神であろうか。
ゴダールにおいて映画は自然化され、その言説は自然哲学化されていく。ゴダール映画を語るポストモダン哲学(『リゾーム』)も自然哲学化される。

 

No.10ゴダール

ゴダールピカソの継承であるという評価があるのですが、ピカソゴダールも「巨匠へのオマージュ」があります。しかし差異があるようにおもいます。ピカソは<失ったものを取り戻せ>というような近代主義的「オマージュ」ではないでしょうか。そうして過去に惹かれながら、自己のシステムのなかで「ねじ伏せ」的に巨匠を再構成しました。これは、<失ったならうしなうことができる>というようなベケットの方向では無いですか。ゴダールの場合は、ベケットの継承だとわたしはおもいます。『映画史』による過去の映画の編集は、過去を称えていながら、<失ったならうしなうことができる>という感じです。「もっともはかない瞬間こそが、華々しき過去を所持するように」(エミリー・ディキンソン)

 

No.11ゴダール

蓮實は「語れたゴダール」を語っている面白さがあるのですね。柄谷も、蓮實が好きなようですが、語れれたものを語り続ける面白さを知っています。語られたものは表層的な感じですが、実は表層にこそ面白い多様性があるのでしょう。比べると、まだわたしは深さとか内部に絡みとられてしまうようで、当たり前ですが、めちゃくちゃ負けています。しかしゴダールを語るときいかにフーコ『言葉と物』を読めるかを語りたいですね。

 

No.12ゴダール

映画人ゴダールは知識人サルトルブレヒトをどう考えるかという『映画史』に到達した彼における位置が、21世紀から変わって、知識人ゴダールは映画をどう考えるかとなっていきました。『イメージの本』に明らかにサイードの影響を読みとることができます。ゴダールの影響は、映画ファンを超えて、現代芸術のアーチストに広がることになった理由ではないでしょうか

 

社会主義を問うゴダールが映画人として知識人をどう考えるかというと、それは『東風』における制作に結晶されるのだろうし、その彼が知識人として映画をどう考えるかは、バディウが出演した『フィルム・ソーシャリズム』を観て考えることになる。

全体主義としての社会主義の間違いは、サルトルの映像を意味ー万年筆によってギロチンにした間違いを語る言葉に示される。社会主義の世界資本主義に対する抵抗の正しさは、デモから感化された映像はプラトンイデアほどは永続しないと語るバディの言葉において示される。

 

『イメージの本』とはなにか?『映画史』のかくも膨大な断片はだけれど一生懸命調べれば典拠がわかる。見ることができるように、歴史が編集されている。しかし『イメージの本』では映像が暗かったり書き込まれたりくしゃくしゃにされたりしていて断片が断片化している。正確に典拠がわからない。見ることができない、思考の彷徨であろうか

 

No.13ゴダール

映像が立派でもイメージを支配する自分の言葉に気がつかないハリウッド映画は怖い。シナリオのような言葉が先行していてその言葉のために集めてきた映像を晒し首の如く晒している

 

No.14ゴダール

 

スピノザは精神と、神の如く唯一の無限大を一緒に考えた。発想の大転換を行って、ライプニッツは精神と共にある多の微小表象を考えた。ゴダールは、精神が依拠する、<一>であるクローズアップと<多>の部屋を考えた。ポンピドウセンターにおける展示は、ユートピアの忘れられた公理をそれほどには探してはおらず、氷壁のような忘却と廃墟と壁をぶち抜いたトンネルの水平的列挙であった。

 

No.15ゴダール

無限に豊かになっていくものと無限に貧しくなっていくものとが媒介なく結びついていたジョイスにおける美が、ゴダールにおいては、抽象的なものと具象的なものとが無媒介に結びつくあり方をもつ。モンタージュである

 

No.16ゴダール

引きこもり超人というのは、無矛盾で完全で決定的という感じですが、ゴダールレマン湖で修行した、矛盾を孕んだレインボーマンみたいでした。色々に変身しました。映画哲学の探究の時代、作家主義のヌーヴェルバーグの時代、パレスチナ映画の時代、芸術至上主義の時代、映画の歴史を探究する時代、ソシアリズムのグローバルデモクラシーを問う時代、文字で描く画家が語るネットの時代

 

No.17ゴダール

ヨーロッパを燃やした世界大戦のときに映画が存在したのはなぜか?映画は事件だったのか。事件とは言説である。つまり反時代的精神としての精神(鬼神)は燎原の火である映画として蘇ることができた。

 

No.18ゴダール

映画カラーで始まったのではなく、白黒ではじまったのはどうしてか。映画は生死を問う倫理的存在だからである。

 

No.19ゴダール

神が歩いた痕跡など目に見えるものを見えなくするのは詩人の想像力によるものです。そうでないと人間は神を殺しに行きますから。だから詩人は追放されるのではないでしょうか。ゴダールが愛したゴッホはそんな感じですね。

 

No.20ゴダール

私はプラトン的に考えますが、肉体も魂もいつかは消滅すると考えたアリストテレスの見方も考えます。無限の高さは地上に存在するものです。あるいは、あの世がこの世を支えてくれる最高なものだとしても、この世から見えるあの世が大切です。ゴダールならば、この世にあの世を映し出すスクリーンが必要だと言うでしょう。またあの世を包み返すこの世に、あの世を超えるものがなくてはいけません。何とか努力して、プラトンの洞窟に、光を入れなければいけません。それは何だろうか?
しかしそれは太陽ではなくてセザンヌの光です

 

No.21ゴダール

『万事順調』は、「安全神話」が「安全」でなかったように、それほど順調ではない。ジェーン・フォンダが友情出演した『万事順調』(1972)は、テレビ局のストライキを舞台にしている。はたして集団の声のテロリズム(フランス共産党労働組合)から、匿名化されている自分の声を取り返すことができるか。そして映画は、偶像ジェーン・フォンダの表象から自己のあり方を解放できるだろうか?計画したものは何もかも機能しない。微調整もうまくいかない。政財官司マが推進した世界の失敗の解決を、再び彼等に委ねることは倫理的に不可能である。壁を剥がして、ワイワイガヤガヤ、ウロウロウヨウヨする<繋ぎ間違い>が解決する。

 

No.22ゴダール

映画において語られる、言説「カインとアベルは映画とビデオである」で表象されるものは、政治組織に不可避的な兄弟殺しの暴力性である。
ゴダールは「勝手に逃げろ」(Sauve qui peut (la vie) 1980)で、人間不信に陥っている男性の顕著なマゾヒズムを表現している。理性的だけれど、野蛮かつ脆弱、また自己中心的かつ他人に攻撃的である。‬この映画にとって、ゴダールの父の名(”ポール・ゴダール”)は何を意味するのか?‪ 暴力の名なのか?
ゴダールは彼が生まれたスイスを撮っているが、何処の国のかわからないような観光地としてではなく、スイスの映画を作ることを課題としていた。スイスをヨーロッパにおけるイスラエルと考えてみたらどういうことが言えるか?ゴダールはスイスはドキュメンタリーかフィクションかと言説的に語る

 

No.23ゴダール

カルメンという名の女』(1982)は、病院の花壇にいるゴダール自身の姿から始まった。ビゼーのオペラは口笛だけ。寧ろ映画はベートーベンの音楽で成り立っている。銀行襲撃の場面で男女が出逢うが、彼らのこの絡みあいは彫刻を表象させる。そして二つの直進的系列。音楽の系列を為すベートーベン弦楽四重奏曲9番、10番、14番、15番、16番と、自然の系列を為す夜明けの波たち。彫刻的なものを映画と呼んでいるようだ。「カルメンという名の前は何だったの?」愛人は、存在や事物の単純さか、言葉が透明さによるのか、答えられず、失望されてしまう。「やはりあなたとは大したことができないわ」。起源があれば撮影できるし語ることだってべきだったのに

 

No.24ゴダール

ゴダール『パッション』(1982)。映画のなかで、『勝手にしやがれ』以来長年ゴダール映画のカメラマンを務めたクタールがレンブラントの絵を分析して、夜警はまるで昼警だと驚いたという。冒頭のメタモルフォーゼーの線。映画の冒頭の空を突き抜ける光の線が、絵画の光の線となる。絵画から人間たちがあらわれる。これらとパラレルな関係を以って、ストライキの場面が現れる。吃る工場労働者と咳する雇い主、映画監督と経営者、事物が舞うバレーの線、プラトー、自動車、経営者、監督、工場、女優、絵画、映画、身体、交錯していく線と線において天から意味を与えられていくような具体性の展開。‬

17世紀は外に出て行く危機の時代。『パッション』は17世紀絵画における光と闇の関係を再構成する映画である。  われら自身の鏡像 を求めて(On nous-mêmes      
L'image symétrique   de nous-mêmes  、Claude Lèvi-Strauss)

「映画『パッション』のシナリオ」(1983)は、ゴダールが自分の映画『パッション』について語る短編映画。ゴダールはスクリーンは語る人の背後にあるべきではないという考えをもって、スクリーンに向き合うー背後から光が突き刺す暗闇のなかにいる人間が振り返るように。暗闇のなかに光が広がる。と、海の広がりのなかにいるゴダールの姿。

 

No.25 ゴダール

‪『ゴダールのマリア』(1984)は、アンヌ=マリー・ミエヴィルの短篇映画『マリアの本』とゴダールの長篇劇映画『こんにちは、マリア』(Je vous salue, Marie)の二部構成で成り立っている。『ゴダールのマリア』は言説を考える映画である。原作は言うまでもなく聖書である。映画の関心は、力ー異なるものどうし(映像と音と言葉)の関係ーの生産にあると考えられる。つまり懐妊を映画作家はどう考えるかある。限りなく貧しい物は、映像と音に伴われて物語によって孕むと、限りなく豊かになるものになる。それが映画である。
この映画『マリア』は極右翼とフェミニズムの両方から非難された。前者はゴダールはアンチ・カトリックだとしてマリアの裸体像を公に晒した映像に反発した。パリの郊外で上映中の小屋が一軒焼き討ちにされたほどである。後者はゴダールカトリック神秘主義に陥っているとして映画の女性の地位を貶める物語に抗議したのである。映画がもたらしたこの波紋からなにを読みとるか?

No.26 ゴダール

ゴダールにとってアルファビル的世界とは構造である。言語的命題論理(=カメラ)からみえる向こう側を、構造主義的数学の形式で示すよりも、言語のなかでわれわれに繰り返される言説的像とともに書く。沢山の部屋に通じる廊下で映画が表象される。

ゴダールの『アルファヴェイユ』(1965)はもはや思考できない映画となっているのはどうしてなのか?探偵レミー・コーションからみると、所有できない華々しい過去が蘇ることがない忘却の墓にのほうに断片化していくアンナ・カリーナの言葉ーOui かNonしか無いーに指示する力も意味する力もなくできなくなってきたからなのか?探偵はエレベーターで上昇していくとき、詩人的観察を以って、天の詩がなければ至上なものに依拠することができないし、外部なき国家悪を超えるものを卑近の地上世界に制作することもできないということを伝えるのである。

No.27ゴダール

キミが悪いことに、右翼ポピュリスムであれ左翼ポピュリスムであれ、彼らが想定している右翼政党とか左翼政党にちっとも似ていない。否、右翼政党も左翼政党も存在しないのかもしれないのだ。誰が誰を代表しているのか、誰が何を隠しているのか監視する探偵が必要だ。
ゴダールは探偵を送りこむときは政治を調べさせる。だが『アルファヴィル』のときとは違って、ゴダールの『探偵』(Détective 1985)は、部屋のなかだけで事件が解決されなければならないような映画である。望遠と広角の中間を為すレンズを使って撮影している。レンズが構成する空間の中からその内部に沿って空間自身を語るような、透明でない停滞。それは、真ん中の位置と機能を炸裂させようとする言説的レンズのようなもののなかに置き去りにされているわれわれの落ち込みと窒息しそうな疲労感である。と、いつものように、映画もそれが想定している探偵映画とすこしも似ていない。ゴダール映画は謎解きはなく、映像と音を愛している映画で、意義深い期待ハズレ

No.28ゴダール

 

視線が先行するか、観念が先行している。ゴダールの『離れ離れに』(Band à part 1964)‬が売り物にしているこの場面は、運動が先行している。パリの華やかと郊外の無味乾燥のコントラストにショック受けた。映画はダブリンで観たが、ベケットの小説の中にいるような番地も土地の名もないダブリン郊外で車で事故を起こして誰とも連絡が取れなかったときのことを思い起こした

 

No29 ゴダール

ゴダールリア王』(King Lear 1987)。ニ十世紀は映画の世紀だった。しかし21世紀にはいってからは、古典的傑作の名は急速な勢いで忘却される。『映画史』で映画の存在をたたえたゴダールの名は、デカルトの名が哲学それ自身を表すように、次第に、映画の存在を表すようになってきた。ある伝記作家が、ゴダールに、荒野を彷徨い続ける道化に、「リア王」の名をあたえた。道化は、魔術師が小さな箱を開けるように、映画論の言説の文を書き綴っていくために白紙の本を開けたら、光が溢れだすだろうか?この本は「スクリーン」と呼ばれる。「何もないことーNo thingと向き合うしかない二十世紀「芸術家」の不幸と孤独

 

No. 30 ゴダール

ゴダールの『さらば、愛の言葉よ』‬ (2014)さらば、人間の愛の言葉よ。こんにちは、万物の愛の言葉よ。‪<ノマド>犬はVaud ーレマン湖沿いにあるゴダールの故郷ーの森を彷徨う。犬は人間よりも人間を愛しているならば犬が一番「人間らしく真のヒューマニズム」と言えるのではないか?否、犬が彷徨うのは「他の岬」においてである。 「自己にあっての差違においてでなければ。おのれを同一化しえず、「わたし」あるいは「われわれ」と言えず、主体の形式をとることができないというのである。この自己にあっての差違がなければ、文化や文化的同一性は存在しない。」(デリダ『他の岬』) Goodbye to Language (Adieu au Langage)映画において、こんにちは、愛の言葉よ」と語られている。

 

No.31 ゴダール

ゴダールはヨーロッパにおける言葉の秩序は政治的に帝国主義の内部にあると考えてきた。その外部を求めて、ゴダールアルジェリアベトナムパレスチナを必要とした。外部とは何か?他者とは何か?母国語で話したり聞いても思考できないのはそこに外部がないからだ。英語と中国語ならば思考できるかといえば外部がなければ思考できない。外部性と他者である。言語的存在である他者である。フーコならば事件性と言われる言説と答えるであろう。人間は占有された不動の思考できない他者との関係において、思考が活性化されるというものである。しかし1970年代から、ゲームの規則が変わった。外部が消滅したのだ。そこでゴダールは、思考の形式としての映画をヨーロッパにおいて機能させることになった。その思考の形式の名はソーシャリズムである。理念的に自由と平等が語られたが、それを投射するスクリーンが民衆に存在しなかった。世界資本主義に抵抗して、またその分割である帝国に従わずに、貨幣が公共的善として、民衆が民衆のためにコントロールすべきとゴダールは主張する。哲学者アラン・バディウが出演しなければならない

No.32ゴダール

No.32ゴダール

気狂いピエロ』(Pierrot le fou 1965)。ゴダールの「東風」においてみられる東へ方向づけられる前に、南へ行く方向をもっていたことが言われるように、『気狂いピエロ』はロマネスク風ミュージカルに誘われる溝口映画を喚起する道行の旅がある。映画はルノワールの生き方を物語る。美学的な問題提起が映画を貫く。黄昏と透明を重ねあわせた、画家ベラスケスの言説が言及される。そして沈黙の交響曲が言説そのものを打ちまかす。映画のおどろくほど単純で純粋な詩は絶対を語る。
気狂いピエロ』のロケーション地はポルクロール島。囲まれない映画の歴史と同じ大きさをもっている。地中海の死と太陽の島が映画のすべての歴史と等価の大きさをもっている。必然として、アルチュール・ランボーの詩「永遠」が朗読される。と、いつの間にかわれわれは『山椒大夫』の島々にいるー

No.33ゴダール

ゴダールの『勝手にしやがれ』(À bout de souffle 1959 )では、手持ちカメラを使った撮影、照明ではなく自然光での屋外でのロケーション撮影などを通じて、またジャンピングカットや180度ラインにしたがわない編集によって、映画の文法のなかでそれとは異なるルールー電撃的な創造的間違い?ーがつくられたと語られる。他方で伝統的な心理主義的分割と呼ぶべきシンメトリーは擁護されている。『勝手にしやがれ』は、わたしの印象では、新しい世界と、数百と言われる思いだされている無数の過去の映画がすむ古い世界が調和できることを示したようにみえる。この調和は、ラディカルモダニズムの映画に対して、反時代的精神を構成していた。調和といっても、それほど調和していくのではない。古い時代は新しい時代を批判的に相対化する役割をもつから、反時代的精神として。古い世界は世界の半分でしかなくなったかもしれないが、新しい世界とて世界の半分なのだ。過去の映画がすむ古い世界は、時代と自立的等価の大きさをもつことが要請されるスクリーンを媒介にして、新しい映画を、新しい世界を支える可能性をもつ。われわれはこの映画論の言説をどう考えるのか

 

No34 ゴダール

‪『東風』( Vent d'est 1969 )では、ハリウッドと修正主義、西欧とブルジョア的表象を非難するのだけれど、そのネガティヴなイメージ(下の写真)を静かに本を読んでいる姿ー内部を形成する近代ーとして呈示している。ゴダールは映像と音への過剰な依存もブルジョアが生み出した所謂芸術至上主義だとして自己批判を迫られることになった。しかし新しく映像のあり方が問われるなかで、イデオロギーの問題を考えることになった。ドウルーズはこういう。「ゴダールはうまいことを言っています。『正しい映像ではなく、ただの映像さ。』哲学者もこんなふうに言いきるべきだし、それだけの覚悟をもってしかるべきでしょう。『正しい理念ではなく、ただの理念さ』とね。」(『記号と事件』より)

‪ No35ゴダール

ゴダールの『ワン・プラス・ワン』(One Plus One 1968)から学ぶことは、対立物(魂/身体、善/悪、内/外、パロールエクリチュール、等々)を相互に関係づけ、転倒させあい、移行させあう運動と戯れをなす働きである。
“Sovietcong”,”Freudemocracy”,”Cinémarxism” という映画のなかに示される造語を笑うしかない。ゴダール文化人類学構造主義の原点がある。構造主義は強力な物の見方を構成できるが、構造主義は世界の半分しかみていないから、映画は開かれた全体にすんでいる以上、別の世界の半分を足してやらなければ...。ワン・プラス・ワン のプラス<たす> は、重ね合わされて交錯する多数の中断をもつ系列を為している。

 

No36ゴダール

ゴダールとアンヌ=マリー・ミエヴィルの‪ 『ヒア & ゼア こことよそ』(Ici et Ailleurs 1974)。「ジガ・ヴェルトフ集団」の一部としてゴダールとジャン=ピエール・ゴランが1970年に作った親パレスティナ映画『勝利まで』のフッテージを使用して制作された。現代の国家はテレビのニュースが行う解釈のなかに存在する。これを解体するために、ビデオが積極的に利用されている。編集概念が政治化されている。理性が自己自身に関わるような、正しい理念、正しい映像が語られているが、他方で映像と音をめぐる言説<映像と音は関係である>で表象されるものを「ここ」と「よそ」と名づけている。ここからギリギリ思考可能なものが成り立つ。「ここ」を内部化してはいけない。思考と「よそ」にある思考できないものとの関係を切り離してはならないと。

No.37
ゴダール「映画史』は映画の起源はヒチコックかマネか、ゲルニカピカソかを考える。最初に言わなくてはいけないことは時間を守ってきたのは映画、20世紀の精神はそこに宿った

No .38 ゴダール

‪『偽造旅券』(Vrai-faux passeport 2006)は、”ユートピアの旅ー失われた公理を求めて”と題されたポンピドゥー・センターでのゴダール展である。それは、アーチストの間で大きな関心を呼び起こす「ゴダール」のシュールレアリストとしての再定義だった。しかし「世界の創造者」というブルジョァ的世界観を内部崩壊させた挑発的な展示は、ゴダールが国家による「失われた公理」の殺戮を拒むような、至る所微分不可能なゴダール像の提示だった。映画館の庭園化。フィルムの植物化。ポンピドゥー・センターは『偽造旅券』の買い取りを拒んだという。‬

No.39ゴダール

アジアは天が精神(鬼神)に影響する(朱子)。西欧は天から精神は自立した。ゴダールは精神に投射されるスクリーンを与えた。「精神(鬼神)としての映画の帰還」を私は描く

No.40 ゴダール

ゴダールは『ヌーヴェルバーグ』(1990 Nouvelle Vague)で、俳優アランドロンを登場させた。アランドロンはかつてヌーヴェルバーグの敵だったこともあって、ヌーヴェルバーグの批判家たちに嫌われている。映画のアランドロンはゾンビであると揶揄される。見方によっては、キスというのは死者との接吻。実存論的な問いかえしにほかならない。それ以上である。「前近代」では類似者は常に生まれ変わりとして現れた。死者が生者の近くに存在しなければならない。再び現れたアランドロンは類似されているものとそれほど類似していたか?
映画はエレナの自然ーもの(光と闇)で書かれたもの(光と闇)との同一化ーへの愛を表現した。自然が大切にされたのは書かれている自然が存在するから

 

No.41 ゴダール

‪『フォーエヴァー・モーツアルト』(For Ever Mozart 1996 )は、仏語の「pour rêver Mozart」(「モーツァルトの夢をみるために」の意)。

「過去は死に切ったものであり、それはすでに死であるという意味において、現在に生きているものにとって絶対的なものである。半ば生き半ば死んでいるかのように普通に漠然と表象されている過去は、生きている現在にとって絶対的なものであり得ない。」これは三木清の言葉である。ゴダールにおいても死に切った過去を考えた。ゴダールはあえて映画の歴史は終わったと言ったその理由とは、伝統を固定するためだった。そうして此方に向こうに見える過去の姿を「ヨーロッパ」と名づけることになった。「ヨーロッパ」は依拠できる絶対の過去。モーツアルトの音楽と共に、われわれを見つめてくる本のような投射として構成されてくる。
この映画のなかで、オリヴェイラの言葉がひかれる。「ともかく私は、概して映画のそこが好きだ。説明不在の光に浴す、壮麗な記号たちの飽和」。映画はサラエボボスニアのイメージをもっている。だけれど「カラビニエ」(1963)のように、戦争と死が示されてはいない。大地の言語が湖を覆う。ゴダールの母の名を記した墓。廃墟の <オリジナル>無きイメージが成り立っている。寧ろそこで自己の人生を回想するのだろうか?モーツァルトは音楽によるヨーロッパの和解を体現している

‪ No.42ゴダール

ゴダールの『彼女について私が知っている二、三の事柄』(Deux ou trois choses que je sais d'elle 1966 )。
この映画は、パリ郊外の新首都圏拡張整備計画に従って建設された公団住宅で起きている主婦売春の話である。地球環境を破壊しながらパリ全体を包摂していく新自由主義グローバル資本主義の問題を構造的に理解することを試みる。何でもかんでもカネがモノを言う社会のイメージを構成している。そしてコーヒーカップの中で生成する、ミルクの渦を眺めながら、ウィットゲンシュタインの言葉を呟くゴダールの独白。イギリスでは高い評価を得ている作品。

No.43ゴダール

ゴダール『水の話』(Une histoire d'eau‬ 1958)から五十年後に、「貨幣は水のような公共的善であるべきだ」と語るのは『ソシアリスム』においてである。「水」のイメージとはなにか?それは包むものである。「水」は包むためには包むものをもっていなければならない。「水」のイメージの傍らに無がある。絶対差異としてある「平等」の理念...

No.44 ゴダール

ゴダール『中国女』(La Chinoise 1967) 
Ces jeunes gens représentent, comme autrefois les personnages des Bas-fonds de Gorki, 5 niveaux particuliers de la société. (JLG, 1967) ‪ ‪ゴダール『中国女』(La Chinoise 1967)。この映画には文化大革命の政治的災害は存在しない。ブルジョワ学生が集まるマオイズムの部屋で起きる偶像崇拝と、映画による偶像破壊ー確立された映画をみる見方のなかでそれとは異なる見方も含むー。68年前夜に現れたこの映画は「明確な映像に曖昧な言葉をぶつけよ」という。単に自己否定を呼びかけただけではなかった。観念的な自己否定の曖昧さを明確にするような、精神の従属させてくる社会に対するネガティヴなイメージをはっきりもつことの重要性を訴えていたことが大切であった。香港の学生が何を訴えているのかそれほど分からないが、彼らはもはや中国共産党のもとではやって行けなくなるとするイメージは明確に伝わってくる。

‪No.45 ゴダール

No.46 ゴダール

超越的なもの、天、音楽 は人間に内面化されない。収容所の弦楽四重奏団の映像とレンブラントの映像の関係を打ち立てるためには、これら二つの映像の関係を媒介する他としての映像(重ね合わせの状態)を必要とする。命題論理的に構成することによって言語の中から映像としての変数Xを作りだしている

No.47ゴダール

左翼と右翼の連立政権にたいして、ゴダールは、左翼政党に野党の立場を貫いて欲しいと考えていたといわれる。『右側に気をつけろ』(Soigne ta droite 1987)の物語のメインストリームは、ゴダール本人が演じる「白痴公爵殿下」。(『子どもたちはロシア風に遊ぶ』(1993年)でも同じ役柄を演じることになる。) 「白痴公爵殿下」はゴダールが手にするドストエフスキー『白痴』の主人公ムイシュキン公爵からきている。無能で売れない落ち目の芸人たちに率いられる国家は、反証の精神が眠りこけている。クルクルまわってめまぐるしく連続衝突しているだけ。

No.48 ゴダール

‪『ふたりの子供、フランス漫遊記』(France tour détour deux enfants、1979)‬
テレビとの関係改善に努力したときの作品。‪「子供というのは政治的囚人である」とゴダールはいう。撮影のときに子供と対等に喋っているとき、周囲からは子供にそんな質問するものじゃないと言われ続けた。ゴダールは大人と子どもの間の区別をみとめない。平等にたいする。そうして映画は、言語が差異を住処としているように、差異のなかに在る。

わたしにはもはや希望がない
盲たちはある出口について語っている
わたしは見る
(「映画史の本文の前に置かれた映像と言葉。ゴダールとマリーミエヴィルのテレビ番組「6x2」(76)のなかより)

No.49ゴダール

ゴダールの『フランス映画百年』(2x50 ans de cinéma français 1995 )

ゴダールは映画の歴史を生き抜いたミシェル・ピコリMichel Piccoliとともに、フランス映画百年を考える。
二度の世界大戦は、世界の中心としてのヨーロッパの危機意識を深化させた。戦争が起きたのは自国中心主義の結果だとしたら、サイレント映画の、国家の領土と民族に還元されない普遍言語としての意義がフランスにおいて認識された。戦後のフランス映画にとって、サイレント映画は、音声中心主義の近代にたいする批判の拠点として、サイレント映画以上の意味をもつことになった。
時間が映画をまもった。逆である。映画が時間をまもったのである。

 

No.50ゴダール

No.50ゴダール

“ 6 x 2 “ Six fois deux (sur et sous la communication) 1976 は、ゴダール自身の精神をつくりはじめるかのようなドキュメンタリー作品である。ゴダールは1972年に、ジガ・ヴェルトフ集団」(1968ー1972)を解散した。アンヌ=マリー・ミエヴィルともに映画製作会社「ソニマージュ」に設立するために、1948年以来25年間を過ごしたパリを離れた。‬スイス山岳の風景、失業者との出会いと会話、アマチュア映画監督、数学者とのトムの定理についての議論、精神病院の患者達‬との労働をめぐる議論。ゴダールによるインタビューの大きな特徴は、対等にだれともすべてのことが語られるところにあるとドウルーズがいう。スイス人が喋る訛りのあるフランス語が、多様な交差的中断をもった思考のリズム et...et...(and...and...)に宿る。

 

ゴダールのビデオドキュメンタリー作品"6x2"

 

No.51 ゴダール

50年代のコスモポリタニズム。
ゴダールは、「『男性・女性』(Masculin Féminin 1966)。この映画は『マルクスとコカコーラの子どもたち』と呼ばれたい」 と語った。これで終わりではない。今日だれが「マリリンモンローと毛沢東との結婚」の映画を作るのか?

 

No .52 ゴダール

ゴダールの「さらばTNSよ」 (奥村昭夫訳)

こんばんわマダム、そしてあなた、ムッシュ
 これはただの心優しい別れの言葉
こに宿無しの亡命者からの
舞台のうえであれば 言葉のなかに
心地よい安らぎの場が見つかると考えた亡命者からの

 おお、あなたがた若き大家たちと女大家たちよ
 だが受け取られんことを 腹立てずに
ある旅人の泣き言を
演劇のなかに 天よなんたる不満
お姫さまを追い求めた旅人の

 このばかじゃ考えた 恐怖にかられて
 われらのよく愛されないヨーロッパに
 まだ自由が残っているとするなら
 それは俳優の肉体からもれる
約束の言葉を介してのこyとだ、と

何通の手紙が、どれほど多くの映像が
 どれも見事に描かれた何冊の本が
嵐にめげず送られてきたことか
 しかしそのご褒美に与えられたのは
 ただ不在、沈黙、無関心のみ

 あなたがたは毎晩枕の下に
 クローデルを、アルトーを、モリエールを、それにまた
 アンティゴーヌとロレンザッチョを見つけ出しているのだが
 ときどきは考えよ もう一人の白痴のことを
三語を並べるのに四苦八苦している白痴のことを

私には分からない 聞き分けのいい同志たちよ
 なぜこれほど頼みこまなければならないのか
 そしてあなたがた 若く美しい女の友たちよ
 なぜしつこくせがまなければならないのか
船をおいてきぼりにしないでおくれ、と

 そもそもここでは可能なのか
 すてきな大隊を編成することが
山々を超え 他者の言葉を
 さがしにいく大隊を
他者に名を名のるよう強いたりせずに

 ロミオが椅子を投げ
 ジュリエットが自慰にふけり
 あわれウイリアムス(シェクスピア)よ、君はうちまかされたのだ
 エイズはいまだに負けを知らない

言葉は口からもれるもの
 でもひとは言葉に接吻できるのか いとしい君よ
君がむか腹をたて
 プライバシーは法的力をもっている、と
鼬の様に朗読しだす

 あなたがた 自分の肉体を見捨て
登場人物の魂を盗む者たち
 いま一度飛び立つのだ
軌道修正を無視し
例外的な並足で歩みながら

無分別もいくらか度が行き過ぎたというもの
 この魔法の場では
 いつか人間の魂の
科学的秘密が解明されるかもしれない なぜなら
 あなたがたと私が手に取っているのだから などと信じたとは

 さらばTNSよ そしてストラスブール
追放された者は それゆえ 足踏みをする
 しかし観客が間違っているのであれば
 カーテンコールでお辞儀するとき こういわないだろうか
 それではごきげんよう 思い知るのはあなたがたの方です

ADIEU AU TNS
 par Godard

 Bonsoir Madame et vous Monsieur 
 La suite n'est qu'un tender adieu
 Du réfugié sans domicile
 Qui sur la scène' pensa trouver
 Dans la parole un doux asile

 O vous jeunese maîtres et maitresses 
 Acceptez donc sans vous facher
 La complaine d'un voyageur
 qui poursuivit une princesse
 Dans un theatre ciel quell malheur

 Le con pensait dans sa frayeur
 Que s'il restait des libertés
 Dans notre Europe mal aimée
 C'était par paroles données
 Qui sortent du corps de l'acteur

 Combien de lettr' combient d'images
 Combien de livr' tous bien écrits
 Furent envoys malgré l'orage
 Mais ne reçur't en recompense
 Qu'absenc' silenc' indifference

 Vous qui chaqu' soir sous l'oreiller
 Claudel Artaud Molière trouvez
 Antigone et Lorenzaccio 
 Des fois pensez à l'autr' idiot
 Ramant pour aligner trois mots

 J'n' sais pouquoi doux camarades
 Faut-il tell' ment que je supplie
 Et vous jeunes et bell's mendie
 Que le navir' rest' pas en rade

 Est-il possibl' ailleurs qu'ici
 Se forme un joli bataillon
 Qui s'en irait de par les monts
 Chercher la parole d'autrui
 Sans l'obliger de dir' son nom

 Roméo qui lançait des chaises
 Et Juliette qui frotte son cul
 Pauvre William tu es battu
 La sida toujours invaincu

 La parole sort de la bouche
 Peut-on l'embrasse ma très chère
 Avant que tu prennes la mouche
 et dèclames comm' le putois
 Qu'la vie privée a forc'de loi

 Vous qui sacrifiez votre corps
 Et volez l'am' du personage
 Envolez un'fois encore
 Sans tenir compte des réglages
 Marchant au pas de l'exception

 Etait-ce peu trop dèraison
 De croir' que dans ce lieu magique
 Se puisse un jour de l'ame humaine
 Percer le secret scientifique
 Parc'que vos mains sont dans la mienne

 Adieu TNS et Strasbourg
 L'exilé marque donc le pas
 Mais si l'public est dans l'erreur
 Quand on salue ne dit-on pas
 A vous trés cher bien le bonjour

 Adieu mes amis.

 

No.53 ゴダール

ゴダールの『JLG/自画像 』(autoportrait decémbre 1995)

ゴダールは長年、自分はどうやって喋っていいのかわからなかったと言っている。「この喋り方ではダメだ!」、「この喋り方ではおまえは存在しない」、「おまえはどこに存在していたんだ?」と自己自身に向かって言い続けてきたのだろう。ゴダールのナレーションは腹話術的といわれる。腹話術は、口を動かさずに唇を少し開けた状態で音声を出し、人形が喋ったり音を出したりしているように見えたり聞こえたりさせる技能。この場合、人形はゴダール自身なのだけれど。これは操り人形のテーマとかかわる。『JLG/自画像 』と題する作品のなかでゴダールは故郷であるスイスとフランスの両国に接するレマン湖畔で、フランスの方を指指している。場所的<と>のビデオ化。フランス人のフェミニズムの女性がこの作品をみてビデオをつかって作品を作ることをはじめたとわたしに話してくれた。プラトンゴダールはアンヌ=マリー・ミエヴィルのおかげで、テニスのラリーのようなリズムのある会話と優雅さを得た。

自画像、「『ゴダールによるゴダール』を撮るよう求められていたが、[JLG/JLG]の方がわたしは気にいっていた。[JLG/JLG]はひとつの自画像であり、自画像は原則として映画では作り得ないものだ。それは、なにか絵画に固有なものである。わたしはわたしにとって自画像を作ることがどういう意味をもつのか理解したいとおもっていた。映画において自分はどこまで行くことができるのか、どこまで映画がわたしを受けいれてくれるのか見たかった。作品のほうが人間よりも重要であると考えることは、かなり古典的な芸術観だ。それは「作家主義」と呼ばれてきたものだが、十分理解されているとはいえなかった。大事なのは主義ということであって、作家自身ではない。ピカソもまた、絵画において自分はどこまで行くことができるのか?とよく自らに問うた。画家が風景を描くことにうんざりしたとき、画家に残されていることはもはや自分自身を描くことでしかないのだ。映画はこれとはいささか異なり、ひとりで作ることはできないので、つねにその孤独な人間の周りにあるものを示すことができるのだ。わたしはずっと映画は思考手段だと考えてきた。(...)わたしは映画を構想しているときも幸せだが、物事が完成したとき以上に、なにか模索しているときの方がもっと幸せだ、(...)わたしは青年時代に読むことができた、ブランショバタイユの本に似た映画を一本撮ろうとしたのだ。たとえば覚えているのは、バタイユの『内的体験』、当時、わたしはアンリ・アジェルの講義に出ていた。彼はブニュエルの『糧なき土地』を見せてくれた。わたしは「これはまさに衝撃的な『歴史』の内的体験です」とかれにいった。要するにこういうことだ。映画は形而上学をするためにまさに存在する。そもそも、それは映画が行なっていることだが、ひとはそれに気がつかない、だからそれを行なっている人々はそれを公言しないだけの話だ。映画はそのメカニックな発明のために、何か極めて物資的なものであるが、それは逃避するために作られるのだ。そして逃避すること、それこそ形而上学にほかならない。‬
‪ー ゴダール (渡辺諒訳)‬

 

No. 54ゴダール

‬フーコ『言葉と物』、この一冊のなかには何冊つまっているのか?華厳教じゃないけど、無限だ、少なくとも1000冊以上だ。見つめてくる本の真ん中に鏡があり、本の傍らに無がある。
ゴダール『映画史』の中の映画を数える。フーコ『言葉と物』を構成する本達のように無限だ。
イメージの本はそういうものだ。映画を見つめてくる本にしたのは、他者の顔とその傍らに存在する無を創造したかったから。ロゴスは無を利用して自らを再構成する。映画『イメージの本』は、映画を思考手段とする思考のイメージ。

 『イメージ・ブック』は、『映画史』の中でポール・ヴァレリーに言葉をひいた言葉を呼び出す。「かすかな声、おだやかな、か細い声で、大それた、重大な、驚くべきことが、深く、そして正しいことが語られる」と。この言葉に新しく加えられることになった映像は、イスラムの女性とおもわれる人間の身振りとジェスチャーである。

 

No. 55ゴダール

ゴダールの『アリア』Armide (episode in Aria 1987 )で呈示される関係の相似をいかに読み解くか?ここで肉体はネガティヴなイメージである。抵抗する者たちの存在に気がつくことなく、大衆の究極のナルシズムの世界に溺れている肉体。世のために正しいことを善意でやっている行動が無意味にされている屈辱感が、殺意のナイフをもって、大衆を覚醒させようとしているのか?だが表現されている関係性はそれほど透明ではないのは、ナイフは編集をほのめかす観念だからである(切断、切り取り)。問われるのは、大衆である、と同時に、大衆がすむ映画である。言語が視線に、見られる物(肉体)が音楽になったかのような映画が織り成す時間の意味をそれほど明晰に解釈できるわけではない。

No. 56ゴダール

理性を構成するものとしてマルクス主義と西欧合理主義は一体とされてきた。それなのに、マルクス主義の失敗が自明視され、西欧合理主義の勝利が言われる。ブルジョア的なものにおしとどめられることに対する怒り。呪縛と憎しみと屈辱から、ロマン主義的な正義が、90年代以降のゴダール映画を覆うのである。『われらの音楽』はいう。戦争に勝った国に詩人はいない。敗れた国から詩人が出てくる。詩人をもたない民は敗北した民である、と。‬

 

No. 57ゴダール

‪『時間の闇の中で』(Dans le noir du temps “ episode in Ten Minutes Older : The Cello 2002)はゴダールによる短篇映画である。 ‪暗闇のなかでスクリーンに投射されたものに名を与えること、映画の世紀であった20世紀はこのことが問題だった。球を隙間なく覆う領域(=岬)が連結しあう同時性に、21世紀を支えてくれるような思考を可能にしてくれる他者の言語が存在していた。ハリウッド映画、ドイツ映画、ロシア映画、イタリア映画、フランス映画、日本映画、アイルランド映画、アフリカ映画、アジア映画などと名づけられた。映画は同時性の名である。非局所的視点において成り立つ世界の同時性は、危機の17世紀と、そしてヤスパースが枢軸時代と呼んだ紀元前500年頃に、起きた。同時に、言語的存在である人間は存在することの意味を外部にむけて問うたのである。

No. 58ゴダール

『愛の世紀』(2001)。ブルターニュを舞台とした、思考と起源とが絡みあう、映画のなかの若い映画監督エドガーは、現代パリの未来を思い出す「若き芸術家の肖像」として描かれているようである。彼は常に後から来るが先に行っている。レジスタンス運動の過去、ハリウッド的なものに占拠されている「われわれ」の現在。映画の語りは、照明がものを照らしだすように、フランスを発明していく。

「愛の世紀」のシナリオ。
かなり若い女。うなだれている。と、質問するテレビ・レポーターのオフの声。その質問を通して、この若い女は殺人未遂のための自分の裁判が始まる前に修道院にはいったが、期待した信仰をみつけることができず、そこを出たばかりであることが分かる。どんな類の愛惜の思いnostalgieが、神への愛をゆだねてくれるのか。若い女の物憂げなしわがれ声。私には心のあり方の問題はひどく無縁なものとなってしまい、だからそのことについては語りづらいのです。私は信仰をなくしたとき、自分がもはや祈ろうとはしないこと、もはや語りかけるだれかがいないことに苦しみました。私にはあれに相当するものとしては、ひとつの愛の終わりの、どうすることもできないまったくの絶望しか思い描くことができません。(奥村昭夫訳)

 

No. 59ゴダール

ゴダールの決別』(1993)は、ギリシア神話の神ゼウスと人妻とが浮気をするエピソードをもって、神と肉体について説話的に物語った作品であると解説される。夫が一晩家を空けた日、突然帰宅した夫シモン(ドパルデュー)が別人のようであった。シモンは妻ラシェルに「私はおまえの愛人であって、シモンの身体を借りた神である」と言う。最後に「Simon Donnadieu、シモン・ドナデュー」とサインをする。これは、Si m'on donne à Dieu、つまり「もしわが身を神に捧げるなら」を意味するというのである。さてゴダールはなにを問題にしているのか?問題となってくるのは、純粋に外部的な出来事とイメージの領域とのあいだの、いかなる関係または非-関係をうちたてるかを知ることにある。知は、肉体に宿った全知全能の神をもってしても思考なき表象のなかにとらわれていたままでは、関係または非-関係をうちたてることができない。出来事の力は失われていくばかりで意味を革命的に作り出すことも不可能となるだろう。知識をいくら増やしても仕方ない。要請される思考は、方法としての「思考の形式」である。ゴダールは神との目的合理性なき一体化(<GOD>ARD  DEPAR<DIEU>)を倫理的にもつことによって成り立つ「思考の形式」と表象の問題を『映画史』ー近代を問い直す3A “絶対の貨幣”ーにおいて論じていくことになる。

 

No.60 ゴダール

「映画『パッション』のシナリオ」(1983)は、ゴダールが自分の映画『パッション』について語る短編映画。スクリーンは語る人の背後にあるべきではないという考えをもって、スクリーンに向き合うゴダール。語り終わったとき、暗闇のなかにいるその彼の背後に向かって、暗闇のなかに広がっていたような光が溢れだすようである。と、海の広がりのなかにいるゴダールの姿が意味するものはなにか?内在性の観念と思考のイメージ

No.61 ゴダール

ゴダールの『女と男のいる舗道 』(Vivre sa vie 1962)は、ジャン・ドゥーシェによれば、溝口健二監督の『赤線地帯』(1955年)の影響なしには存在しなかった。アンナ・カリーナの渾身の演技をみよ。あらためて、ゴダール映画はこの女優がいなければ成り立たなかったことをおもう。ナナが場末の映画館で、カール・テオドール・ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』を観て涙を落とすショット(アルトーが出演している。) シャトレ広場。すでにしばしば彼女の眼がたどってきた、そして疑いもなくただちにふたたびとるであろう方向 、いいかえれば、そのうえに、もはや決して消されないであろうひとつの他者の肖像がおそらくはずっと以前から、そしてこれからも投射されつづけ、投射されたままであるにちがいない、不動のスクリーンの方向のことだ。カフェで見知らぬ男とナナは知識をもたずに哲学する。(place du Châtelet - l'inconnu - Nana fait de la philosophie sans le savoir)

 

No.62ゴダール

Tu me demandes si je suis heureuse depuis mon mariage. Oui, très. Mais là je suis très malheureuse; je viens de tromper mon mari, sans le faire exprès, avec un amant de passage. Voilà exactement ce qui s'est passé...
(Le Signe, Maupassant)

ゴダールモーパッサン、「コケテッシュな女」

ギ・ド・モーパッサン1886年に発表した短篇小説『Le Signe 合図』を原作に、当時24歳の映画青年ハンス・リュカスことゴダールが脚本を書き、撮影・演出した。ロケ地は、1作目の短篇ドキュメンタリー『コンクリート作業』に引き続きスイスのフランス語圏である(ジュネーヴ州ジュネーヴ)。
勝手にしやがれ』で長篇劇映画デビューする前のゴダールの発表した、5つの短篇映画の1本である。

 

  1.  

No.63 ゴダール
ゴダールの大きなテーマは娼婦だった。娼婦の物語を撮るが、ゴダールが愛していたのは映像と音だった。

No.64

‪『カラビニエ』(仏語 Les Carabiniers、「カービン銃兵たち」の意 。1963)は、年ロベルト・ロッセリーニの書いたブレヒト劇の戯曲をもとに、ゴダールが映画に翻案したらしい。銃殺される女性がロシア・アバンギャルドの詩を口にすると兵士達が発砲できなくなるシーン(ロッセリーニを喚起する)が印象的であるけれど、この映画にリアルな死体はない。リアルな戦争が見えない。兵隊カラビニエは強奪品として、観光客の絵葉書を掻き集める。芸術家レンブラントに敬礼している兵隊カラビニエの身振りとジェスチャーの意味は一体何だろうか。

 

No.65ゴダール

ゴダール映画史に、20世紀歴史と同じ大きさをもったスクリーンがある。ゴダールが究極的に依拠するものをそこに投射しないのは、カントが理の内に信を位置づけないのと同じである。
ゴダールは映画についてのイメージを作る。思考と共にあるイメージを成立させた。映画万歳に非ず。映画は失敗した。収容所は、収容所を撮らなかった映画史のブラックホールだと。

ゴダールは映画についてのイメージを作る。思考と共にあるイメージを成立させた。映画万歳に非ず。映画は失敗した。収容所は、収容所を撮らなかった映画史のブラックホールだと。映画史は解体映画史でなければいけない。

ゴダール「映画史』は映画の起源はヒチコックかマネか、ゲルニカピカソかを考える。最初に言わなくてはいけないことは時間を守ってきたのは映画、20世紀の精神はそこに宿った

‪ No.66ゴダール

ゴダールの『映画というささやかな商売の栄華と衰退 』(Grandeur et Decadence d'un Petit Commerce de Cinema 1986)‬
ゴダールは長年にわたってコミュニケーションが依拠できるものを映画において探求してきた。映画の芸術における尊厳をいうことになった。ゴダールによると、フランスの映画のなかには、芸術的になる前に消えてしまった映画が存在しているという。道徳的意識の消失の場合と比べられている。バザンとトリフォーこそは映画にモラルと美学の原理を与えていたのだとゴダールは主張している。

‪ No.67ゴダール

ビデオ『ソフトとハード』‬(Soft and Hard 1985)‬

ゴダールは鏡を見ずに髭を剃るという。「顔を見たくないし、髭の場所も分かっているから」とアンナーマリー・ミィエヴィルにいう。彼女は言う。「コミュニケーションの映画ですって?あなた、自分が嫌いでしょ、そこが根本の問題なのよ!」と。ラカンセミナーに参加したこのパートナーとの間で言葉のラリー(テニス)をしているみたいである。この他者のおかげでゴダールと彼の映画は詩とアイロニーと優雅さを身につけたことはたしかである‬

‪No.68ゴダール

ゴダールの『女は女である』(Une femme est une femme 1961)‬ 理性の笑み?Anna = nAna = Nana
映画はコスモポリタン前衛と大衆との折衷を住処としていた。正義を求める理性の怒りは70年から。

‪ No.69ゴダール

ゴダールの商業コマーシャル (Closed 1988)‬発想の大転換。中国系モデルが脱いで下着姿になる映像を逆回した。女性の” Amour “というナレーションとともに、服を着たのである。MOMAの回顧展でこのゴダールの商業コマーシャルを観た人の話によると、一緒に “Amour “と叫んでいた観客もいたと聞いた

‪ No.70ゴダール

ゴダールのコマーシャル。街頭を歩く女性達の映像とロココ絵画の女性の映像を交互に組み合わせた運動と音と言葉が一緒に増えていく単純さに驚く

‪ No.71ゴダール

ゴダールの『男の子の名前はみんなパトリックっていうの』(Charlotte et Véronique ou Tous les garçons s'appellent Patrick 1957)‬ ‪
ロメールが脚本を書いた、ロメール的‪ゴダール。伝記にしたがって記すと、この時代のゴダールは、政治的コミットメントからの離脱、大義の忘却、社会変革に無関心、美のスタイルだけを追う芸術至上主義。速度を享受し、優雅に、ワインを飲んで、饒舌と美女と車を愛する...

 

 

 

No.72ゴダール

ゴダールメイド・イン・USA』(’ Made in USA’ 1966 )‬ ゴダールが録音機によって喋った最初の映画。ブルジョアが作った都市はなんと疎外されているのだろうか。「世界を創造する」というブルジョアと共有するものがなにもないアナキズムの芸術は、‪まだ夢を発明する可能性が街頭にあった、60年代において、本のスクラム、恋人との匿名の場所、ホテルの部屋、バー、プール、郊外の車庫へ行って撮影した‬。ゴダールが初めて自分の声を映画に利用した

 

‪ No.73ゴダール

『怠惰の罪』La Paresse (episode in Les Sept péchés capitaux) 1962‬ ‪
怠惰な人間こそは、たたえられるべき視覚的人間である(「監督ロッセリーニは動かなくてもいいように望遠レンズを発明した」?)。『怠惰の罪』は自らそういうふうに作られた映画なのである。殆ど準備をしない即興演出、同時録音、自然光を生かすロケーション中心の撮影。人間といえば、倦怠、茫然としていて、現実感も乏しく生気もなく、幻想というほどのものでもないがある感覚にとらわれているような...

No.74ゴダール

ゴダール『シャリオットとジュール』( Charlotte et son Jules 1958)

わたしは映画から、裏道の唄声を聞きとりたいと願っている。
路上に置かれたクルマのなかでシャルロットを待つ彼氏を撮影している。ほかはひとつの部屋のなかで撮られている。

 

No.75ゴダール

ゴダールの『小さな兵隊』(Le Petit soldat )は1960年に制作された。映画は検閲にあったので、1963年に公開された。『小さな兵隊』は、鏡のなかに映る自分の顔が、自分の内面に思い描いている自分の顔と一致しないことに気づく男の物語である。‬
‪«Le Petit Soldat est l'histoire d'un homme qui trouve que son visage dans une glace ne correspond pas à l'idée qu'il s'en fait de l'intérieur.»‬

 

No.76ゴダール

ゴダールの『たたえられよ、サラエヴォ』 ( Je vous salue,Sarajevo 1993 )

写真家ロン・ハヴィヴ(Ron Haviv)とマグナム・フォトに所属する写真家ルック・ドラエ(Luc Delahaye)による一枚の戦争写真をもとに製作した映画で、1992年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争について語る2分少々のビデオエッセイの形式をとっている。のちの『アワーミュージック』(2004年)でも、サラエヴォの問題を扱っている

‪ No.77ゴダール

『モンパルナスとルヴァロア』(Montparnasse et Levallois 1964)‬
ゴダールは、「監督」クレジットを「réalisation」等ではなく、「film organisé」(作品組織化)とクレジットした。ゴダールというと、偶像破壊の革命児のステレオタイプだが、実際にトリフォーほどには、映画制作におけるゲームの規則を破らなかったとみる見方もある。改良すべき規則がどこにも無いと悩み続けたか?

No.78ゴダール

インドネシア、トーマス・ワインガイのために』(Pour Thomas Wainggai, Indonésie )
オムニバスのドキュメンタリーテレビ映画『忘却に抗って』(Contre l'oubli)の一篇として、1990年製作、ゴダール、アンヌ=マリー・ミエヴィルが共同監督したフランスの短篇映画である。 wikiによると、非政府組織 (NGO) アムネスティ・インターナショナルが、良心の囚人の救済、啓発のためのテレビ映画を製作するにあたって、ゴダールとミエヴィルは、トーマス・ワインガイ博士を選んだ。

ワインガイ博士は、1984年、ニューギニア島の西半分のインドネシア領イリアンジャヤに「西メラネシア共和国」を樹立した指導者で、1988年に妻の日本人テルコ・コハラとともにインドネシア政府に逮捕され、懲役8年の刑を受け、投獄された人物である

 

No.79ゴダール

リア王』制作のための対話。1986年製作。ユーモアを必要としたゴダールにとって、ウデイアレンは不可避の他者。インタビューの進行に従い、「NORMAL MAN(ノーマルな男)」、「STRUGGLE(闘争)」、「TITLE(題名)」、「HANNAH KARENINE(ハンナ・カレーニナ)」、FLASH GORDON(フラッシュ・ゴードン)」、「THE ANXIETY OF THE MAN IN THE BOOTH(ブースの中の男の不安)」、「SUMMER IN NEW-YORK(ニューヨークの夏)」、「AUTUM CHILL(秋の凍え)」、「THE BIG LEAP(大いなる跳躍)」、「LUCKY I RAN INTO YOU(あなたにあえてわたしはラッキーだ)」といった文字がインサートされる。

No.79ゴダール

ゴダール『恋人のいる時間』(Une femme mariée 1964)
白いシーツと皮膚、手、愛撫。卑近なものとしてのスクリーン触れる

 

No.80ゴダール

『イタリアにおける闘争』( Lotte in Italia 1969) は、ゴダールとゴランが「ジガ・ヴェルトフ集団」の名で制作した。ブルジョア出身の女子大生の矛盾している抑圧された感情とともにある反復が揺れる、揺さぶられる...

 

No.81ゴダール

Un film comme les autres  1968
ゴダール Godardがジャン=ピエール・ゴランと結成した「ジガ・ヴェルトフ集団」名義の第1回作品とした。出演しているのは、ナンテールの3人の学生闘士と、ルノー・フラン工場の2人の労働者闘士である。

 

No.82ゴダール

ゴダール『言葉の力』Puissance de la parole 1988  
フーコ『言葉と物』 の一文をおもう。‪「しかしまた、言語(ランガージュ)の存在と人間の存在とを同時に思考する権利は、永遠に排除されているのかもしれない」 ‪「さしあたりまったく確実なこととしてわれわれの知っている唯一の事柄といえば、西欧文化のなかで、人間の存在と言語の存在が、共存して互いに連接しあうことはけっしてできなかったという一事にほかならぬ。二つのもののこの非両立性こそ、われわれの思考の基本的特質のひとつであった。」ーフーコ『言葉と物』‬(渡辺一民訳)‬ But the right to conceive both of the being of language and of the being of man may be forever excluded ... The only thing we know at the moment, in all certainty, is that in Western culture the being of man and the being of language have never, at any time, been able to coexist and to articulate themselves on upon the other. Their in compatibility has been one of the fundamental features of our thought. ーFoucault

No.83ゴダール

フランスのモラリスト(文学的な哲学者の意)の人間探求の特色は、その探求の結果、単に抽象的、概念的に羅列することではなくして、必ずそれを一つの可及的に生きた具体的な像に再構成して見せることであるという。
ゴダールの映画を思考手段とする探究が言語の存在とともにある思考の像を構成している。映画はわれわれを見つめてくる本である。

No .84ゴダール

ゴダール『古き場所』
(The Old Place 1999)

ニューヨーク近代美術館MoMA)の要請により、20世紀の終わりにおける諸芸術の役割についての試論としての映画

ソクラテスプラトンの対話の如き、映画の中での対話が途切れる事なく続き、親しいテニス仲間同士のラリーを喚起する。maïeutique(ギリシャ語で、meɪˈjuːtɪks/と発音する)がキーワードで、質疑応答を通して人間の隠された心を明らかにする知的な方法だ

 

No.85ゴダール

バザンは普遍言語のプロジェクトをもっていた。世界大戦の原因は民族主義の全体幻想にあった。だから、映画の限りなく純粋な映像で構成される構想は、戦争の全体幻想に陥るどの民族語への依存を拒んだのである。人間は政治的存在であり、同時に、言葉が与えられている。しかしまさにここから排除されてしまうのが、言論で覆せないほどの絶対権威から自立しようとする不明瞭な発声(感覚)の領域である。教説の中からその内部にしたがって語ることを拒否した沈黙 'Verschwiegenheit'(秘密?)。ゴダールはここを可視化しようとした。マイナーな、スイス訛りのフランス語とか創造的どもりとかいわれるが、自分が語らなければならないと気がついてそれを実行するために30年かかったのだとわたしはおもう。

 

No.86ゴダール 

 

17世紀は芸術も外に出はじめた。差異が価値を生み出すとマルクスがはじめてこのことを言った。空間の差異が価値を生み出すのである。しかし差異としての空間が世界から消滅したとき、差異としての時間がとってかわった。ゲームの規則が変わった。これからは時間の差異が価値を生産する。ここでマルクスが言っていたように時間と時間との差異が価値(剰余価値)を生み出すのである。しかし1970年における近代の終焉と共に、その時間的差異も消滅してくる。ポストモダンの同時代性の時代を迎える。さて萩原朔太郎が憧れたパリは舟で二か月もかかったが、飛行機で9時間で行けることができてパリは消滅してしまう。20世紀の大衆は失われた差異をリュミール兄弟の映画において読みはじめた。しかしあらゆる映画の表現は50年代までに消滅してしまう。もともと映画には未来がないといわれていた。1950年代後半から人々は過去の映画ー過去の映画を利用して制作された映画ーを発見した。かくもブルジョワが創造した都市は疎外されているおか?ゴダールの1990年代からの再構成ではあるが、アナーキスト系アーチストの「ヌーヴェルバーグ」と名づけられた感化の大きな運動は、ブルジョワが創造した世界の外部であったと言わざるを得ない。それは危機の時代と呼ばれた17世紀が帰結した博物館としての映画の意義であった。

「僕たちはみんな、博物館museumのなかに生まれ落ちてきたんだよね」(ゴダール) 

シネマテックの世界化?

 

No.87ゴダール 

‪『軽蔑』( Le Mépris 1963)についてまず言わなければならないことは、これはゴダールの映画である、と同時に、ゴダールの映画ではないということ。プロデューサーは彼の映画にブリジット・バルドーの裸体の映像を求めたとき、ゴダールは映画から自分の名前を消すことを条件に了解した。
『軽蔑』はブリジット・バルドーモラヴィアである。映画のラストは、ギリシャ悲劇の何の必然もないような不条理な死がバルドーに起きる。映画は『軽蔑』と名づけられたが、この映画のなかで一体なにが軽蔑されているのかさっぱりわからないプロデューサーと共に、事故死の最後であった。ゴダールは、「恐竜」であるラングが語るヘルダーリンの詩とブレヒトの言葉を「赤ん坊」のゴダール自身のために朗読させていたか?

No.88ゴダール 

‪『 ブリティッシュ・サウンズ』 (British Sounds 1969)は、ジガ・ヴェルトフ集団(Groupe Dziga Vertov )による最初の作品。「プロレタリアート」という名が与えられる映画?マルクスフロイトが行う注釈。<政治=セックス>論の言説が生産されていく

‪ No.89ゴダール 

ゴダールは、『新ドイツ零年』(Allemagne année 90 neuf zéro、1991)によって、「歴史」の領域にはいることになった。『アルファヴィル』(1965)のレミー・コーションを、探偵として、かつて東西を分断した境界を超えていくドン・キホーテの分身として呼び出している。『新ドイツ零年』はニューヨークで見た。衝撃だったのは、戦争という国家悪を外へ追いやるのではなくて、映画と現実とが溶け合う映画の諸々の断片によって形づけられた回想を通して、戦争国家を自己の内部に掘り起こすかのような編集である。国家が個人を超えて実在するのではなくて、逆に個人が国家を超えた実在である、そうでなければ、国家悪を超える思想領域と精神領域へ歩み入ることができないと訴えるかのように。‬

No.90ゴダール 

ゴダールのスイスで撮ったデビュー作は、『コンクリート作業』(Opération béton 1955)である。
ゴダールにとってどのページも嘘だらけの伝記によると、ゴダールはモノー家追放に帰結した、混乱のパリ時代の後、ダンデイな青年となる。この青年はブルジョア両親の厳格なモラルと、時代の進歩的息吹に背を向けて無為に過ごしたという。このデビュー作から、人間の創造のエネルギーを読みとるのか、あるいはその反対に、永久革命の新しく作り出す近代に絶望しきっている破壊のエネルギーを読みとるのか?

 

No.91ゴダール 

‪『プラウダ』(Pravda 1969)‬。三十年代のスターリンヒトラーの接近は東欧の活動家達の粛清をもたらし、左翼から右翼までの知識人が連帯した人民戦線を崩壊させてしまったが、戦後も、ソビエトは左翼のオブセッションとしてあり続けたので、サルトルですら、五十年代ハンガリー動乱まで批判できなかったほどである。思想的自立性の問題が問われなければならない。言葉遊びの畏怖すべき意味の凝縮をもって、政治学-精神分析-批評を書いた、「ジガ・ヴェルト」集団の「プラウダ」は、言説「チェコとしてのソビエト」をかたる。いかに神話への反抗、<解体> オイデプスが可能であるか。世界資本主義の分割である帝国ロシアはー皇帝的一国社会主義ーはかつて、ソビエトと呼ばれていた。これにたいして、「チェコとしてのソビエト」は映画の名であった。

 

 

No.93 Godard 

Comment ça va ? 1976

書くことは手がおこなう活動

 

ゴダール100本ぐらい作品あって、一応全部観たがあまりわからかった映画が2割ぐらいある。チューリングの表のように空欄としてここに記録しておこう

 

No.94

ゴダール喪中」とは何か?

セデック・バレ』はほんとうに面白く見ました。台湾の電車に乗ると、北京語と台湾語と原住民の言葉を含み4つの言葉でアナウンスされるのですね。興味深く思ったのは、現住民の言葉が日本語のように聞こえる時があったことです。植民地時代に日本語の影響があったのでしょうが、柳田國男の「南島論」が仄めかすように、それ以前の時代に共有されていた言語があったのじゃないかと勝手に推理しています。
荻生徂徠的にいうと、原住民こそが「聖人」ですが、われわれはこれは無理筋とおもっています。
悲情城市」とか「千と千尋の神隠し」のロケーション地に行くと、沢山先祖崇拝の逃げ場のような寺があるのですね。多分過去の中国がこんなかんじだったとおもわれます。近代主義者は朱子学を祖先崇拝がなかったように言われますが、たしかに朱子学は今日の統一協会のような淫祠邪教を禁止した宗教改革でしたが、官僚となった知識人の原始儒教からあった先祖崇拝がなくなったわけではないようです。17世紀の徳川日本でも儒者たちは自分達の祖先と孔子を先祖霊とするようなプライベートな私廟が存在したようです。文化大革命のラディカルな無神論によって、儒教と祖先崇拝の全てを否定し切ったので、どんな異端的隙間を許さないような今日の事態が起きてしまっているのではないでしょうか。わたしは先祖には関心がありませんが、向こうもないでしょうが(笑)、ゴダール喪中Godard Deuilという投稿を毎日やっていて、ゴダールを先祖霊にしようとおもっていなす。ゴダールは映画監督たちを先祖のように祀っていたとおもうのですが、ゴダールを持ち上げるインテリはそういうことを語りませんね。儒教は聖人である祖先と共に本を祀る宗教ですが、ゴダール『映画史』も過去の監督たちと一緒に、本としての映画を祀っているところがありますかね。
掲示板に飛び交う現代中国語を少しでも読めるようにちょっと勉強しようかとおもっています

 

No.95

ゴダールは『映画史』の冒頭でブレッソンの映画論をめぐる方法論を呈示することによって、映画史の語られ方を問題にする。例えば、ハリウッドはクローズアップの映画だったのにたいして、ソビエトモンタージュを発明したという言説を批判して行く。「夢の工場」とは映画の語られ方である。ハリウッドに対抗して映画を作った「レーニンは疲れ果ててしまった」のであった、とゴダールはだれも言わなかったことをはじめて語る..

NE CHANGE RIEN
POUR QUE TOUTE SOIT DIFFÉRENT(Godard/Bresson)

CHANGE NOTHING
SO THAT ALL CAN BE DIFFERENT

Ne va pas montrer tous les cotes des chose. Garde-toi une une marge d'indéfini.
 (Don't go showing all sides of things.Keep a margin of the undefined.)
 (物事のあらゆる側面を見せようとしないこと。未定義の余白を残しておくこと)

 

No.96

...l'image devient pensée, capable de saisir les mécanismes de la pensée, en même temps que la caméra assume diverses fonctions qui valent vraiment pour des fonctions propositionnelles.
ーDeleuze 

(カメラが命題関数と同等の様々な機能を果たすようになれば、それと同時に映像そのものが思考となり、思考のメカニズムをとらえられるようになる...)

ハリウッド映画は映像を実現するためにシナリオが必要なのですが、これとは反対に、ゴダールの場合は、書くために映像が必要です。68年5月革命を予言したと言われた『中国女』では、「明確なイメージと曖昧な言葉を衝突させよ」という命題的に言説が書かれました。これが意味するところは、台湾や香港の学生がたたえた日本の70年代は自己否定がすごいのですけれどね、これは曖昧な言葉によるものだったと思いますが、香港の学生にような政府を否定する明確なイメージがなかったです。存在論的な曖昧な自己否定と比べたら、自民党批判に関心がそれほどあったわけではないことは今日の事態をつくっているのではないでしょうか。互いに自己消滅に導いた結果を考えると、残念ながら、彼らが参考にするものは何もありません。しかし70年代は全然無意味だったわけではなくて、彼らから近代への問いが始まりました。

 

No.97

ゴダールにおける顕幽論とかんがえてはいけないだろうか

No.98

ゴダール『映画史』より

No.99

Godard deuil

言葉が崩壊するのは、言葉が存在を託した何かとしての他者への贈り物でなくなったときだ。先ず愛である人間性が崩壊する
ゴダール『映画史』より

No.100

ゴダール『映画史』のスケッチはプルーストの書き方ー本質は個体的であり個体的になって行くーである。光と闇で包む全体を投射させた細部の増殖が包むものを包み返していく

 

 

ゴダールをたたえる

ゴダールは、50年代と60年代は何処の国を撮っているかわからないようなフェミニンなバロック、エリートの絵画と大衆の写真を組み合わせたような理性の笑みのような映画を作っていましたが、60年代後半から怒りのロマン主義へとなって、パレスチナ映画と毛沢東主義の70年代があるわけです。80年代に政治から映画に復帰して来て、黄金の80年代と言われる大変充実した作品群を世に送り出しました。ゴダールの言説を語る映画は、ポストモダンの言説を語る思想として、あります。90年代は、自画像と共に成立する、映画の歴史を作ります。21世紀からは、有名な映画の名が忘れられていくなかで、ゴダールは映画を象徴する名となって、世界資本主義に抵抗するグローバルデモクラシーの言葉をかたるゴダールは、映画以外の芸術家に影響を広げて行くことになりました。

 

No.101ゴダール
フーコ『監獄の誕生』では互いに独立している映像と言葉が分析されている。デュラスとかゴダールのように映像と音とが独立している映画においては詩的に語られている。散文ではない

102 ゴダール

表象と表象なきものに共通なものは存在しない。ゴダールにおいて両者は無媒介に繋がっている。闇の投射と空のスクリーンとは違うのか?思考不可能な映画の歴史を<外の思考>として、書く画家は空を活性化した。闇が占拠した映像と音の向こう側に見える空ーラングロワと彼の博物館が救ってくれたーは絶対無限である。

 

No.103 ゴダール

ゴダールの言葉で謎とされているのは、映画は作られていたのに、「映画は終わった」というものである。仮に映画は亡くなったとしたらどういうことが言えるか。映画は鬼神であるGod-art

 

No.104ゴダール

海外ではゴダールは難解とされていて彼の作品(『東風』)を観た人が五百人しかいないが、日本人はゴダール好きである。これは発想の大転換であるが、あえて、日本人は映画はゴダールしかわからないのかもしれないと考えてみよう。どうしてか?

No.105ゴダール

『映画史』のゴダールがそうだ

・「一人の人間の夢は、万人の記憶の一部なのだ」ボルヘス

No.106ゴダール

わたしは文系だったので、正確には理解できなかったでしょうが、ペンローズとホーキングの特異点定理に関心がありました。ペンローズ特異点して考えるブラックホールは西欧のコスモロジーの再構成だと思うのですね。何十億年かけて未来からやってくる信号だというようなことを語っています。西欧の思想はコスモロジーと共に発展してきました。朱子学のアジアの思想もコスモロジーと共にありましたが、明治の近代化のもので亡くなってしまいました。わたしはこれから新しい普遍主義を再構成する新しい思想はペンローズ宇宙論と映画論から出てくるような気がしています。映画の本質は投射にあると思うのですが、波動関数の収縮は重力によると考えているようですが、投射されたスクリーンから意識が成り立つのも重量によるものと考えたらどうかとわたしは思っています。詩的インスピレーションでは、スクリーンの映像は全宇宙の影ですね。ゴダールの映画史は実は宇宙史として語られているとわたしは思います。映画史は暗黒物質に覆われているが、プラトンの洞窟の如き映画館のなかにおけるように、至る所に標があります。

 

No.107ゴダール

新しい時代を切り拓くとき、過去を反復しなけれないけないのはどうしてでしょうか。フランス革命のときは暦もコスチュームも古代ローマのものでした。ゴダール映画も過去の映画を呼び出しました

No.108ゴダール

ゴダールの遺品である本としての映画の歴史を祀ることが起きる。テクストと映像に思考できるイメージを与えた映画史が亡くなった。表象は復活しなければ祀る共同体の意味がなくなる

No.109ゴダール

映画史においても、何が先、何が後かを決めくてはいけない

 

No.109ゴダール

ゴダール映画のカメラは命題論理だといわれます(Deleuze)。両者は類似しあっています。ここで、ゴダールのカメラをどう理解するかです。議論のルールはただ一つ、それは議論に解決を与えるなです。映画は、そのことによって、思考の自由の覆い尽くせない広がりをもっていることはたしかです

 

 

No.110ゴダール

映画批評はメタ批評である。そうである限り、映画批評は経験的ではなく理念的である。映画批評とは経験と理念の分裂である。

映画批評とは書くこと。問題は、映像は言葉が分析できるようにはつくられていないこと。言葉は言葉が分析できるようにつくられているのとは異なっている(言葉が言葉の対象となるのは近代からであると『言葉と物』はおしえる。) 厄介なのは、書くことは、映像を分析できぬ自らの限界に無自覚に、映像について語ろうとするときだとゴダールは溜息をつく。映像を作るために言葉を必要とするのは映像の言葉への従属と読まれるかもしれないが、従属を非難しているというようなそれほど単純な話ではないようにおもう。たしかに、ゴダールは書くために映像を必要とするのが自分の方向であると言う。だけれどそれも従属であるに違いない。あえて従属にゆだねることを前提に、問われているのは、文字を、文字でないものに従属させてみようとすることの意味である。文字でないものとは、映像または音に限られるか。否、文字を沈黙に従属させることが考えられているかもしれない。近代の成立が可能にしている表象<映画>を沈黙させる言説を書くこと、これが1970年代後半に「映画史」を構想したゴダールの映画批評。‪はじめて近代批判が行われることになった70年代‬

 

No.102ゴダール

『フィルム・ソシアリスム』(2010)では、何でもかんでもカネが喋れば喋るほど分裂が深まる世を証言する。ヨーロッパのアメリカ化。二人は夢が必要だ。そのときひとりは二人でなければいけない。この映画でゴダールはイタケの代わりにスイスに帰還した。人間のことを人間以上に考える犬が迎えるであろう。

 

No.103ゴダール

言説家としてのゴダールは権利のない社会に反対している。何らかの人間の共同体に属する権利、 一つの塊に還元されない権利、余計者にされない権利、 向かい岸をもつ権利したがって二重国籍である権利、帝国に属さない権利、そしてグローバルデモクラシーが成立するまでそして無国籍や無権利にされない権利

 

No.104 ゴダール

ゴダールは映画におけるピカソジョイスの継承である。セザンヌの美の理念=ヨーロッパを超えるのがゴダールが探究したゴッホ。そして書く/ 描くひとはゴダール前に存在しなかった。現代アートゴダールとの対立とはどういうものか?デュシアンは表象の否定だ。ゴダール偶像崇拝に見えるか、何も表象するものを残さない戦争様態、最悪の映画に抵抗したのだ

 

No.105ゴダール

ゴダールは映画を投射する思考の形式ととらえて、この抽象的構成が高く評価された。ゴダールは表象可能なものと不可能なものを媒介なく結びつける。この表象可能なものと不可能なものとの間の闇が覆い尽くせぬ余白ーリーマン射影空間の特異点におけるものとして表象できるーといったら、無限に広がるスクリーンの広さしかないであろう

No.106 ゴダール

古い映画を観ただけでも、「いまはああいうことが描かれない」と自然に口にするときは、わたしは前の時代に属したままの死者の如く精神の眼で呟く、反時代的精神ではないだろうか?

No.107ゴダール

私はアイルランドにいたのでスコトゥスを尊敬しています。彼が考えたように、茅ヶ崎の海岸を歩く私は眼を閉じたら世界が消滅するし、眼を開けたらその度に宇宙が誕生するとおもいます。宇宙は無限回消滅します。映画館のスクリーンが真っ暗になると闇の無ですが、これは宇宙が映画に類似しているからなんです

 

No.108 ゴダール

映画は何も恐れはしなかった、他のものも自分自身も。映画は時間から守られていたのではなく、時間をまもっていた。レマン湖は、20世紀と同じ大きさをもった映画が横たわる墓地

 

No.109

詩人とは,書物の偉大な開かれたページを盗み去る人物であり,書物はそののち実体を失って空白となる.」(マラルメ)。その空白はゴダールにおいてスクリーンと呼ばれた

No.110ゴダール

ソクラテスの弁明』においてソクラテスは、自分の裁判官達に対しては、まさしく自己への配慮に関する達人として自分を紹介している。彼は神によって委託されたので、人々に、配慮すべきは自分の富でも名誉でもなく、自己自身について、自分の魂についてであることを思い起こさせる。(フーコ『自己への配慮』)『映画史』のゴダールにおいても、配慮すべきは、自己自身について、自分の魂についてであった。

 

No.111ゴダール

ポストコロニリズムの普遍(🟰植民地主義)批判は普遍批判のポストモダンから来た。パレスチナは土地を奪われた赤いインディアンだ。このナショナルアイデンティティは意義深い。ゴダールは、映画はパレスチナをどう考えるかを語った。コミュニケーション問題とは、彼方を語る此方の問題である。『想像の共同体』のベネディクト・アンダーソンによると、現代国家はテレビのニュースがいかに解釈するかという解釈の仕方の中に存在していると言う。しかしフランスのテレビのニュースの中に国家は存在しても、パレスチナの国家は存在しない。それが言及されていても存在していない。それはなぜか?これは頗る言説と思想闘争も問題なのだ

 

No.112ゴダール

l’amour est le comble de l’esprit
et l’amour du prochain est un acte

愛は精神の高さである。愛は高さをもっているからといって、愛は遠くにあるということではない。至上なものは卑近にあるからである。この関係は言語との関係においてこそ問題となる。言語とは共通の記憶を負おうとする。他者を常に自分のまわりに置く行いによってでなければ、どうしてこのトータルに世界とかかわる言語が成り立つというのだろうか?

 

No.113ゴダール

ゴダールほどの芸術家らば、自己過去のイメージ発明してしまうものなのだ。死ぬ前に死装束を着る。死装束を着ても死なない。ゴダールの前に誰もそんなことをした人はいなかった。無のイメージである

j’étais déjà en deuil de moi-même, mon propre et unique compagnon. ーJLG\ JLG

 

No.114ゴダール

ジョイスの世界とは直線と斜線で構成される抽象的な世界で、イメージの思考を名づける原初性が成り立っている。ゴダールは作家になりたかったが、ジョイスがいたので諦めた。しかしゴダールジョイス的造語がある。ゴダールは自らを書く画家としている。ベケットは、そのジョイスの世界の何処にも属するが部分とならない名づけられないものがある。

 

No.115ゴダール Godard 

ゴダールが登場した後は映画はゴダールの前に戻れないのは、ピカソが登場した後は絵画はピカソの前に戻れないのとおなじである。ベートーヴェンが登場した後は音楽も彼の前に戻れなかった

 

No.116ゴダール

ゴダールほどの芸術家らば、自己過去のイメージ発明してしまうものなのだ。死ぬ前に死装束を着る。死装束を着ても死なない。ゴダールの前に誰もそんなことをした人はいなかった。無のイメージである。
j’étais déjà en deuil de moi-même, mon propre et unique compagnon. ーJLG\ JLG

生の世界に理が先行する最高なものがある。生包み返すためには死装束にそれを超えるものがなければいけない。それは、死に耐え死の真っ只中に自らをよく保つ精神の生しかない。問題は、精神(鬼神)を映画として帰還できるかである。物が無限に後退してしまえば、精神は投射できない。

Pourtant, ce n’est pas la vie qui s’épouvante devant la mort et se garde pure de la dévastation, mais celle qui la supporte et se conserve dans elle est la vie de l’esprit.
Nicht das Leben, das sich vor dem Tode scheut und von der Verwuestung rein bewahrt, sondern das ihn ertraegt und in ihm sich erhaelt, ist das Leben des Geistes.
ーHegel

 

No.117ゴダール

収容所のなかの囚人たちの弦楽四重奏の演奏をレンブラントは見ていたというゴダールの『映画史』における編集をどう解釈するのか。これを他者の問題として深めなければいけない...
レンブラントはドキュメント映画を撮るようにはじめてゲットーに入って行った。そこで旧約聖書の世界が投射されていた。ゴダールにとって、レンブラントが描いたユダヤ人たちは死装束を着ている精神の生である。自らを発明しようとして、遡って精神は物に起源を求めるが、物は無限に後退していく。ユダヤ人たちのあいだには、ナチスが公の場で退廃として糾弾した、国籍のない日付しかない。ユダヤの歴史が書かれ始めたのはホロコーストを経験した戦争の後からである。百年も経っていない

 

No.118ゴダール

ゴダールほどの芸術家ならば、自己過去のイメージを発明してしまう。死ぬ前に死装束を着る。死装束を着ても死なない。順序を反対にして死を観念化している。映画は死に切った絶対の過去からくる信号かもしれない

No.119ゴダール

プルーストが見出した芸術のシーニュは本質を呈示する。ポストモダンの本質の語られ方をドウルーズは作る。本質は見方なのだ。本質は固体的であるし固体化していく。本質に包摂された生成する多元的世界。プルーストゴダール『映画史』において語られる。書く作家は並べる。世界とは、吠えているもの、硬張らしたまま弛めるもの、動くもの、顔の輪郭、物で書かれたもの

No.120ゴダール

ゴダールは未来の映画を思い出すときは、同じ衣装と身振りでも、反復が起きない。過去は絶対的死だから。死は観念である。そのときはじめて死は生命をもつ。名はわかっても意味が失われている。衣装と身振りの意味がわからなくなっている

 

No.121ゴダール

ゴダール映画を生きているか死んでいるかとはかんがず、死にきったと考えていた。実際には映画は作られていたが、そう考えたらどんなことが言えるか敢えて考えた。スクリーンの闇からの応答。映画は絶対的死である過去からの信号である

 

No.122ゴダール

書くことは接ぎ木なのだから、映画史の編集は接ぎ木だろう。他者の岬における<存在ー接ぎ木>は、化石にならないように絶えず発明される、オリジナルー映像であるかもしれない。

 

No.123ゴダール

ギリシャ悲劇がヒントになったゴダールの映画『カルメンという名の女』のなかに、「カルメン」という名の前は何なのという台詞がある。同じくらい重要な問題がある。それは「映画」と呼ばれるまえは一体何だったのか

 

No.124ゴダール

小津安二郎は芸術家であることは彼映画お最初に観たときから今日まで疑ったことがなかった。問題は、芸術家であり言説家であるゴダールは思想家なのか。彼の映画史は思想史なのか?

 

No.125ゴダール

18世紀『舞台は夢』は、「秘術によって自然を支配する魔術師」は「言葉で支配する魔術師」と書き改められている。だが20世紀における映画の夢において、言葉こそ錬金術である。世界とは、卑近なもの。隣どうしのもの。招待されないもの。頭を埋める暗闇に浸るもの。沈黙の無限宇宙。言説無き沈黙が沈めるもの

 

No.126ゴダール

イスラエルは最後のヴィクトリア朝の要塞である。ゴダールが真摯に取り組んだパレスチナ問題をラデイカルに根本的に考えることは自分にとって難しいと思って、代わりにアイルランドで考えることができるのではないかと思った。カイバードが語った言葉にハッとした。アイルランドの植民地化はヨーロッパがヨーロッパ自身を植民地化したことを意味した。この植民地主義アイルランド人は疎外されていた。そしてアイルランドの中で「ジョイスのときはユダヤ人がもっとも疎外されていたから彼等を『ユリシーズ』の主人公にした。ジョイスが生きていたらパレスチナの人々を文学の主人公にしたことは間違い無い」と

 

No.127ゴダール

ゴダールはそうして過去の魂と出会ったかもしれない。鬼神となったゴダールの魂との出会いも偶然による。

「私はケルト人の信仰を、きわめて理にかなったものだと思うが、それによれば、死によって奪い去られた者の魂は、なにか人間以下の存在、たとえば動物や、植物や、または無生物のなかにとらえられている。なるほどその魂は、私たちがたまたまその木のそばを通りかかり、これを封じ込めているものを手に入れる日まで、多くの人にとってけっして訪れることのないこの日までは、私たちにとって失われたままだ。しかしその日になると、死者たちの魂は喜びに震えて私たちを呼び求め、こちらがそれを彼らだと認めるやいなや、たちまち呪いは破れる。私たちが解放した魂は死に打ち克って、ふたたび帰ってきて私たちといっしょに生きるのである。私たちの過去についても同様だ。過去を思い出そうとつとめるのは無駄骨であり、知性のいさいの努力は空しい。過去の知性の領域外の、知性の手の届かないところで、たとえば予想もしていなかった品物のなかに(この品物の与える感覚のなかに)潜んでいる。私たちが生きているうちにこの品物に出会うか出会わないかは、それは偶然によるのである。」ープルースト(鈴木道彦訳)

 

No.128ゴダール
ゴダールは人民戦線を考えた世代である。

精神の歴史

‬スペイン市民戦争を考えることは、20世紀において連帯の国際性と普遍性を我がものとして獲得していく、精神の歴史を考えることである。人民戦線のことは、80年代の公害運動の座り込みの現場でそれを語る人から知ることになった。さて人民戦線は、33年にフランスで、36年にスペインで成立した。37年7月にフランコ将軍の反乱、スペイン市民戦争が起きる。8月及び9月にナチスポーランド侵攻チェコ侵攻。ミュンヘン協定の締結。ケン・ローチ『大地と自由』(Land and Freedom、1995)はスペイン内戦を舞台として、ジョージ・オーウェルカタロニア讃歌を思わせる設定となっている。(カタロニア讃歌は、人民戦線側を内紛へと導いたスターリン主義と非人間的な政党政治への強烈な批判が語られている。そんな中でも人間味を失わないスペイン人とカタロニア人に対する、オーウェルの愛情と尊敬も語られている。) ケン・ローチは映画を通して、ファシズムに対する抵抗が組織化されていくなかで自発性というものが抑圧されていく問題を明らかにしたとわたしは考える。そしてこの問題は、『麦の穂をゆらす風』(The Wind That Shakes the Barley、2006)においても貫かれている。『大地と自由』から、『麦の穂をゆらす風』で描かれたアイルランド独立戦争とその後のアイルランド内戦の意味をよく理解できるのだとおもう。(ちなみにアイルランドからスペインに行った人々の半分が人民戦線に、半分がフランコについた。)‬

 

No.129ゴダール

ヨーロッパではファシスト支持者と指さされる危険があるので発言できないことですが、たしかに、ナチスユダヤ人にやった同じことをユダヤ人はアラブ人にやっていると言われてもイスラエルは仕方ないでしょう。

No.130ゴダール

レミー・コーションは17世紀のパスカルの言葉を喋った。ずっと昔に語られたことをはじめて語るように語った。あるいは語られなかったのにずっと前にパスカルが語ったように語った。

No. 131ゴダール

書くことはアルバム写真の整理のように並べること。映画の世界とは、動かないもの、善意で世の為に戦った敗者を嘲笑うもの、闇と光の神話、死者から奪った声なき声を返さない生者への復讐

 

No. 132ゴダール

Trisolanisans (トリソラニザンス)「三つの太陽の島人」。『フィネガンズ・ウエイク』が定位する言語の端は収縮している歪んだ異空間である。そこでは、三つの言葉(トリスタン、イゾルデ、太陽)が一つの語を作る、反コスモスを経た本質なき分節化が起きる。ジョイスを意識したゴダールにおいても縮約が起きる。

 

No.133ゴダール

人生を振り返るとき、何処かで必ず映画を見ている自己がいる。それは芸術を欲望するただ中に自分の姿なのだ。思い出は思考の形式である投射と共にある。しかしテレビを見ている自己の姿は滅多にない。

La television fabrique de l'oubli...Pourquoi  veulent-ils oublier (Godard)
テレビは忘却をこしらえる。連中はなぜ忘れたがっているのか。

 

No.134ゴダール

人間を人間が成立した時代から無限に遠ざける、起源の無限後退を語る言説とはなにか?漢字が伝わってきた以前に、古代人は貝殻と共に喋ったのである。漢字は借り物だった。この言説が政治化するとコワイ。本当は19世紀に作られた近代建築なのに、諸君の立つ大地を掘り起こせば靖國神社と日本人自身が存在するという。しかしそんな筈ないじゃないか。戦前はこれがリアルに存在すると感じられたのは皇国史観が支配していたからだ。現在実在について安直に語る言説がかつての皇国史観にとって変わることが起きないだろうか?
現在から過去に向かって無限に後退していく日付のない起源を考えることも、投射が可能する思考の形式であることには違いない。しかし問題は、人間を人間が成立した時代から無限に遠ざける起源の無限後退を語る言説に、自己自身を投射していないことである。それは、映像を背後にして語るテレビのニュースキャスターのようであある。ゴダールは映画『パッション』においてこの問題を語った。No.60 ゴダール

「映画『パッション』のシナリオ」(1983)は、ゴダールが自分の映画『パッション』について語る短編映画。スクリーンは語る人の背後にあるべきではないという考えをもって、スクリーンに向き合うゴダール。語り終わったとき、暗闇のなかにいるその彼の背後に向かって、暗闇のなかに広がっていたような光が溢れだすようである。と、海の広がりのなかにいるゴダールの姿が意味するものはなにか?内在性の観念と思考のイメージ。
『パッション』は17世紀絵画における光と闇の関係を再構成する映画である。  われら自身の鏡像 を求めて(On nous-mêmes )
L'image symétrique   de nous-mêmes  、Claude Lèvi-Strauss)

 

No.135ゴダール

ヌーヴェルバーグ+思考の形式+Son-Image +絵で書く画家+映画史における自己自身の肖像=ゴダール

 

No.136ゴダール

映画の世界とは、異端なもの、贋物、鋭く職業的に刺したもの、i の空間にアナを開けること、表面上の時間の観念、近づくものとそれを遠ざけるもの、白紙も署名ではないだろうか、無の

 

No.137ゴダール

映画の世界とは、世界から逸れるもの、世界の外にすむもの、世界とわれわれ自身に無関心なもの、有音と無音とのペアを失ったもの、自己の美しか関心がないもの、世界が暗闇包まれたプラトンの洞窟、天岩戸

 

No.138ゴダール

映画世界とは、情報がはいっていないもの、コミュニケーションが成立しないもの。芸術作品は情報もコミュニケーションもない。抵抗は情報のためでもコミュニケーションのためでもない

 

No.139ゴダール

映画世界とは、鍵がかかっていて私のほかにだれもはいってこれない墓跡。いかに脱出するか?人間が佇むのは、「巨石の如き多言語墓跡」の下に広がる海においてである。鯨。天に通じる

 

No.140ゴダール

映画は白紙本である。

 

・空の思想が書く白紙の本

ジョイスにとって署名は大きな意味をもっていた。アイルランドの1日を書いた『ユリシーズ』の最後に、本の署名と言うべきように、トリエステチューリッヒ、パリと本を書いた場所を記してある。アイルランドでは原稿を書かなかったとはいえ、しかしアイルランドのことしか書かれていない本の署名としてダブリンが現れないのは何というか、ジョイスの相当な屈折を感じる。
もし屈折でなければ、あえて言うと、ジョイスはダブリンを思想として考えた。おそらくは空の思想が書いた白紙の本であろう。そうならば署名は要らない。

So why, pray, sign anything as long as every word, letter, penstroke, paperspace is a perfect signature of its own ? ( Joyce , Finnegans Wake)     
こうして一つ一つの単語、文字、筆の動き、紙の余白それ自体の完璧な署名なのだからサインの必要などあろうか。(宮田恭子訳)

No、141ゴダール

世界とは、無矛盾なもの。哲学者は絶えず矛盾を以って世界に問題提起してきた。解決しないことが議論の規則。普遍か普遍でないか?深さに絡みとられず、新しい普遍を制作すること

 

142ゴダール

石が私を外に出してくれと詩人のような彫刻家が叫ぶというインディペントの映画作品があっ、た。これはアイルランドの本質は個体的であり個体化することを表現していたと思う。ハリウッド映画から外に出してくれと主張した映画の本質もおなじではあるまいか

 

143ゴダール

世界とは、砕け散るもの。顔、鏡のなかに映る自分の顔、自分の内面に思い描いている自分の顔と一致しないことに気がつく男は鄙びた裏道の唄声をきく、鏡と窓、鏡の裏側に立つもの

 

No.144ゴダール

「類似者が類似者をつつみこみ、つづいて後者が前者をとりかこみ、その前者はまた無限につづきうる二重化作用によって、おそらく再びつつみかえされるであろう。」ー世界という散文 フー


此方の類似者が此方から見える彼方の類似者を包みこむことが終わるときは、イメージは純粋なものとなる。映画は純粋なイメージである

 

No.145 ゴダール

ゴダール「あなたがたは映画作家であるよりは作家なんだが、それでも、映画作家と対等に映画をつくることに成功した。しかも、映画の世界から締め出されていた。あなたがたはわれわれが映画を信じるのを助けてくれたんだけど」‬

‪デュラス「書くことの原則となっていることのなかには、一方ではあなたの心をひきつけ、もう一方では、あなたをたえがたくさせて逃げ出させるなにかがあるの。あなたは書かれたものを前にして、前にして、もちこたえられなくなるわけよ」‬
‪(1987年のテレビ対談より)

 

No.146ゴダール

Wittgenstein 1936
(ウィットゲンシュタイン「確実性の問題」1936」)

hast du zwei Hände , fragt der Blinde

aber nicht indem ich hinblicke vergewissere ich mich dessen 
ja 
warum soll ich meinem Augen trauen wenn ich ohnehin zweifle 
ja 
warum sind es nicht meinen Augen die ich durch meinen Blick überprüfe wenn ich meine beiden Hände sehe

あなたには手が二本あるのか、盲人がたずねる。
けれども、私はそのことを、目で見て確かめようとはしない。
そうだ。
そこまで疑わねばならないくらいなら、如何して自分の目を信頼できよう?
そうだ。
見えるかどうかと両手に目をやるとき、私が確かめようとしているのがどうして自分の目ではないと言えよう?

Est-ce que tu as deux mains demande l'aveugle
mais ce n'est pas en regardant
que je m'en assure 
oui
pourquoi faire confiance à mes yeux
si j'en suis à douter
oui 
pourquoi n'est-ce pas mes yeux 
que je vais vérifier en regardant 
si je vois mes deux main

ウィットゲンシュタイン
語り得ないことは
沈黙すると言ったが
盲人とはベラベラ喋った

手は友情
手に最高のものがある。
世の終わりだというとき、
先に友情の手が崩壊している

あなたには手が二本あるのか、と盲人がたずねる

眼が手を包み返すためには
眼はそれを超えるものをもっていなければならない
夜の静けさを打ち砕く
背後から突き刺す光もごとく

わたしは見る、故にわたしは存在する

 

No.147

何の後で、何の前か?
ー思想史の語りと映画史の語り

わたしは自分のことを考えると、哲学は、思想史と一緒に勉強することをお勧めします。哲学は思想史と一緒に学ぶとおもしろくなるのですけれどね。哲学は一人の思想を深く掘り下げていくと必ず難しい壁にぶつかりますが、思想史はそれぞれの哲学者を浅く表層的に勉強すればいいので、挫折は起きないのですね。しかし表層だからと言って馬鹿にできません。深層よりも、表層に豊かな知があるのです。思想史の課題は、この思想は、誰の思想の後で、誰の思想の前かを決めることです。流行している思想でも、例えば新実在論ポストモダンを批判していても(?)、18世紀ですね。そもそもポストモダンは17世紀的だったので、これを批判して乗り越えようとする哲学が18世紀的であるというのはわかります。思弁的になって何でもかんでも喋りはじめた柄谷はヘーゲル的で19世紀ですね。こうしてわかるように、思想史のキーワードは反復です。ちなみに、映画史は思想史を参考にしています。あらゆることを試みた映画の可能性は1950年代に尽きました。それ以降は、新しい映画はなくて、反復なのです。そこで映画批評の課題は、映画史の視点を以って、この映画は、どの映画の後で、どの映画の前かを決めるのですが、それほど簡単ではありません。ゴダールというひとは、映画の歴史において、白黒がカラーに先行したのは何故かと問います。技術の進歩によることだと考えるのが普通でしょうが、あえてゴダールは別のことを考えます。戦争の後に、必然として、喪である白黒の映画が来たというのです。こうしてゴダールの映画史では、絵画史にないような語り口で、美の歴史が倫理的に再構成されます

 

No.148

他者の手

ハーレントによると、近代の問題は根なし草の大衆の問題。都市に流れてきた人達をスターリンが世話して労働者階級にした。他はファシズムが世話をした。ヒトラーアメリカとの闘いをハリウッドとの闘いと考えた。だからラジオと共に映画は欠かせないとおもった。だがどうして戦争が起きたのか?ここでも手で考えるゴダールが語るように互酬の話が役に立つ。映画から与えられたものを人々は映画に返さなかった為に復讐を受けたのだ。映画から与えられたものは、他者の手にほかならない。決定的な崩壊は、飢えから来るのではなくて、友情の喪失からくるものなのだ

 

No.149 ゴダール

ゴダールがイメージと呼ぶものはモナドライプニッツが呼んだ鏡である。顔とか眼差しとか暗闇の光の境界とかで書かれたものー映画史ーを映し出す鏡。20世紀精神の鏡。これらが読めなくなったときにはじめて20世紀は終わったのだろう。二十数年前から21世紀なのに、まだ20世紀は終わっていない

 

No.150

『映画史』の冒頭はゴダールのタイプライターで書く姿を示している。まさに書く画家のように、打ちながら20世紀初頭のイメージがよびだされるように次々に現れる。ゴダールがイメージと呼ぶものはモナドライプニッツが呼んだ鏡をおもう。顔とか眼差しとか手とか暗闇の光の境界とかで書かれたものー映画史ーを映し出す鏡。20世紀精神の鏡。ゴダールのタイプライターで書く姿の映像の後を見ると、ハーレントについてわたしは考える。ハーレントによると、近代の問題は根なし草の大衆の問題。都市に流れてきた人達をスターリンが世話して労働者階級にした。他はファシズムが世話をした。ヒトラーアメリカとの闘いをハリウッドとの闘いと考えた。だからラジオと共に映画は欠かせないとおもった。だがどうして戦争が起きたのか?ここでも手で考えるゴダールが語るように互酬の話が役に立つ。映画から与えられたものを人々は映画に返さなかった為に復讐を受けたのだ。映画から与えられたものは、他者の手にほかならない。決定的な崩壊は、飢えから来るのではなくて、友情の喪失からくるものなのだ。ソビエトはハリウッド映画に勝る国家のイメージを作らなければ存続の危機を意味した。しかし「夢の工場」に疲弊してしまった、と、『映画史』の中で神話的に語られる。書く画家において、記憶の彼方に読めなくなったものを読むためにパロールとものとが豊かに絡み合う。

 

No.151

16世紀から物で書かれたものが隠れる。読まなければいけなくなった。映画のゴダールはカメラで現れとしてのものを捉えることが可能だとした。実際のところそういうことはない。だからこれは理念的なことなのだ。カメラはウィットゲンシュタインの命題関数である


 

 

ネット小説『最後の日本語話者』

 

一 天

寅吉の家の庭に松の木がある。寅吉は自分の木のしたに立っているし立たなければいけない。燃え上がる緑の木でなければならないであろう。

 

寅吉は江ノ島に生まれた。海を見ながら ある作家が語った言葉を思い出していた。<何者〉かが、或いは〈何物〉かが、日夜、世界史と呼ばれる無限のたわごとを書き綴っている、と。普遍的河が合流する海は世界史と言われると考えてみたらどんなことが言えるだろうか?海は書かれているから堅固なのだ。われわれ自身を海へ投射させるものよ、何も変えるな、すべてが変わるために!

 

昨夜、寅吉は松の枝を通って下ってきたアマテラスから結婚を申し込まれた夢を見た。どうしようか。
夢の中でアマテラスは寅吉に告げた。
「我が子孫の日本人は消滅するが、言語の存在としての日本語は精神的なものを表現できるならば発展して続きます。」
寅吉はきいた。
「日本人がいなければ日本語は存続できないです」
アマテラスは言い返した。
「日本人が存在するから日本語が存続できないのです。」と。
夢を見続けなければ死である。しかし寅吉の夢は覚めた。

 

寅吉は太陽を回って踊る
夜に、海から現れた
岸辺に寄せる波が
一日の終わりのよう
夜がうねる
海の広がりを足もとにかんじて
故郷をなつかしむ
夜に、海から現れた
この新しい島が最初の朝を迎える時、
霧のかわりに現れたのが太陽
寅吉は強い波のように
この地に立ち上がり
湘南の人々となった

 

 

雨、霧とは別に、熱がもたらされ
夜の終わりが生じる
江ノ島の無垢な子供たちがよろこぶ
富士山の姿がはっきりと見えてきたから

漢字の存在を考えることは、ロゴスにおいて言語的存在である人間が自己の意味を考えることと同様に、最高なものがある不可避な他者を包み返す根拠を考えることである。日本語の文とは何か?日本語の文は漢字で始まる。述語の面から漢字を包む。日本語の文は。漢字に最高なものがあるが、それを包むためには日本語の文はそれを超えるものがなければいけない。漢字とは不可避の他者である。だけれど日本語は江ノ島の太平洋に開いた洞穴の出口の如く、解決がない。

洞穴の出口に解決はない。

誰も死すべき運命にある
この島で土地を耕し闘った
この島で仲間を愛し生涯を終えた
次々に押し寄せる波、波
時の海が江ノ島の岸に押し寄せる

子供の泣き声、嗚呼、世界の震撼 
船を襲う嵐、嗚呼 世界の震撼
床の足音、波の轟き、嗚呼、世界の震撼
恋人の溜息、嗚呼、世界の震撼 
母のすすり泣き、嗚呼、世界の震撼
栓が抜けてしまった、嗚呼、世界の震撼

寅吉はコンビニのアルバイトが終わった後に彼が通っているシン・ジャパニーズ・スクールを思った。生徒たちは平仮名とカタカナのほかに日本語を読めない。これでは考えることができなくなった島の民たちのために、校長先生は日本語を、便利に英語を使って教えている。だが英語そのものの難しさがある。彼は考えてみた。聖書の翻訳を可能した、近代英語の成立は、宗教改革に先行する知識人たちの登場と共にあるから、理念的なものを表現するあり方を持っているのではないか。しかし日本語はどうして難しいのだろうか、これは知識人のことを考えるとわかるような気がした。古代の歴史とか神話を書いたのは、中国知識人と朝鮮知識人と彼らが育てた日本知識人であった。日本語の成立には、ひとつのアイデンティティに踏み潰してくるひとつの起源がないのだ。排除せずに、漢字と共にあること、ここに日本語の本質があるのだ。本質は固体的であるし固体的になっていくから、漢字仮名混淆文が生まれてくる。

 

身体を支える力はなく、私は道に迷った瀕死の馬
かつて寅吉は大地、大地と一緒であった
頭を持ち上げ、堂々と歩み進んだ
しかし現人神の為に自由を失ってしまった
逃げる途中で枝にひっかけられ、傷でからだはぼろぼろ
茨が突き刺さって苦しい
平和な日はない

 

言語は世界は衝突遁走万華鏡Collideorscapeに絡みつく。

 

寅吉は江ノ島にたなびく白雲を眺めて、その裏側に、空と地を往来する江ノ島をおもい浮かべた。無限の青空の平面に投射できる比類なきもの。司馬 江漢は、江戸時代の絵師、蘭学者で、春波楼、桃言、無言道人、西洋道人と号した。江ノ島の油絵で最初に描いた。伊勢参りの人々は旅の途中、鎌倉の七里ヶ浜から、江ノ島と富士山を眺めて、司馬の絵を確認したのである。洞穴の傍らに座って、寅吉の想像の中ではアマテラスが描く自身の姿と海の江ノ島を描いている。地上の寅吉が見ているものと何もかも類似しているものが、天空のアマテラスが見ている雲の裏側にある。「何もかも」と書いたが、一点だけ異なる。類似の見方を徹底すると、寅吉が見ているイメージはそれ自身をもっていると考えられるが、白雲の裏側はそれに似ている筈だけれどそれ自身をもっていない。大きな差である。白雲の裏側は、それ自身をもたないゆえに、寅吉が見ているものに似ている。それに対して、寅吉が見ているものは何者から自由であるためには、自ら類似しているものから自立していなければいけない。類似者を白紙にしなければいけない。そうしてそれ自身をもつものに似ている類似者が裏側にされるだけでなく無にされる。寅吉が見上げた天の江ノ島は無に支えられている、比類なき絶対の美となる

 

ニ 地

 

寅吉は校長先生の家の家畜小屋に戻る。家の暖炉の上には絵が飾ってある。居間には母娘がいて、いつも同じ椅子に座っている。彼女らは寅吉にあまり話しかけない。娘は編み物をしている手を止めて、温めた牛乳を寅吉に給する。
寅吉はお礼を言って、牛乳をもって小屋にはいる。草むらに寝転がり日本語のためのノートを手に取る。雨足が激しくなってくる。起き上がり、机の前に座り、日記を書きながら独白。

五つの頭をもった校長先生が青空学校で寅吉に言った言葉を寅吉はおもい返す。世界は類似のネットワークであると。精神の両端、すなわち、屑litter と文字letterは、互いに似ていないように見えて、物で書かれた物のようにくっつき合う。屑litterは文字letterとなり、文字letterは屑litterとなる。こんなふうに世界は類似し合うのだよと。

寅吉は考えた。我々は道具世界の中を歩いている。岩岩の島の中を歩いていると思っているが、実際はそこは瓦礫の中である。物から微かな媚態を感じ取るその瞬間に、たちまち、そのような人間的な意味が消失した世界の儚さのなかに佇んでしまう。つまり、途絶えることなき幻想の反復。

 

 

天のアマテラスは何を描いたか?書いたのか?
慈悲深き白壁の宮殿に 
向かっていくこの飛翔には
苦い欺瞞がともなう
島にたなびく、言語を失った白雲
雲の軍勢が、東に指差した超越者の時計台を超えて行進する
と、風である、このわたしに、激痛がもたらされた
愛する人よ、雨粒に打たれてはいけない

 

小屋の入り口に人影が見える。大きくなった雨の音が聞こえてくる。レンブラントの「夜警」みたいに、光で輝くように絵の中央に描かれた天使の顔。女神は校長先生の娘である妙音の顔であることが分かる。妙音はちょっと恥ずかしそうに言う。「あまりまじまじと見てはいけませんよ」彼女は父が戻ってきたしミルクパンがあるから家に食べにこないかと言う。寅吉はありがたいと言って、後で伺いますと返事した。

小屋の中。雨の音。

寅吉は日本語ノートを開く。
はじまるのはテーブルから 椅子のときもある
靴だったかもしれない
でも戻って来てしまうのはここ、 なにもうつらない鏡
崩壊の静寂さ 
わたしはこの土地を さまよった どこにもいた
けれども、わたしの土地はみつからなかった。

自分は一日中島のなかで生活しているし、思考の倦怠は特別驚くに値しない。そうだ。驚きの欠落、このことが私の思考経路を塞いでしまっている原因だ。一日中離さず持っているこの日本語ノートに、言葉を書くという欲求。寅吉は、アマテラスから、最後の日本語話者である自分に結婚を申し込んだ夢について考えた。なんて返事したらいいのか。書き綴る。

太陽を描くためには太陽でないものを描かなければならない、とあなたは言った。
だから、私は黒い太陽となった。
裂け目であり、副詞であり、彷徨う金の子羊。激昂で砕け散った十戒の言葉、風なのだ・・
それらは自身を代表することができず、代表されていた。大文字の他者が、声なき声を搾取していた

龍の島に対する攻撃に思考を巡らす。・・私は感じる。彼らが破壊を望んでいる世界に属している自分自身を・・私はその世界に帰属している」。これほどまでに言葉から真実性が剥がされてゆくとは!科学と技術の道具的世界。私はその世界に属しているー思考を巡らすー

 

寅吉は新しい小説の構想について五つの頭をもつ校長先生と喋ったことをおもいだした。この校長は日本語を音声化しなければ、また漢字の依存をできるだけ少なくしなければ、日本人の創造性は期待できないと考えていた。校長は、「最後の日本語話者か?よし、ChatGPに聞いてみよう」。五つの頭の四つは龍の頭だったが、一つはChatGPだった。回答はこうだと校長は語る。

「エノシマにあるちいさなニホンゴがっこうが、ものがたりのブタイです。こうしゃからはアオイうみがノぞめ、そのフウケイはニホンのうつくしいシゼンとブンカをショウチョウしていました。しかし、ジダイはすすみ、ガクセイたちはジョジョにニホンゴにたいするきょうみをうしなっていました。
コウチョウセンセイは、えいごでジュギョウをおこなっていました。これは、コクサイてきなゲンゴとしてのジュヨウがたかまっていたためでした。しかし、コウチョウじしんはニホンゴのカチをしっており、ことばのミリョクをまもりりたいとねがっていました。

せいとたちの中には、かんじをよむことがむつかしく、かなのイミをリカイできないものもおおくいました。ニチジョウテキなコミュニケーションにもえいごをしようし、ニホンゴはただのかもくにすぎませんでした。

しかし、ひとりのせいと、トラキチはちがいました。コンビニでハタラキながら、ニホンゴをまなぶジョウネツをもっていました。トラキチはサイゴのニホンゴわしゃのひとりとされ、ゲンゴのカチをタイセツにしていました。」

ここで校長は焼酎をぐいと口に含んだ。寅吉はいつもに増して校長が一体何を喋っているのかさっぱりわからなかった。しかし校長は回答を続ける。

「あるヨル、トラキチはふしぎなゆめをみました。ゆめのなかで、シンワのメガミであるアマテラスからケッコンをもうしこまれたというのです。ユメからさめて、コンランしたきもちですごしました。シンジャパニーズスクールへゆき、コウチョウにそのゆめをはなしました。

校コウチョウはほほえんで、トラキチにいいました。「ゆめはときイミをもちます。アマテラスがけっこんをもうしこんだというのは、ニホンゴへのアイジョウが示されたのかもしれません。あなたがたいせつにしていることばが、みらいにもつづくようにドリョクすることがジュウヨウです。」

トラキチは、そのことばにココロをうたれました。かれはケツイをあらたにし、ニホンゴのガクシュウをつづけることをきめました。そして、シュウイのせいとたちにも、ことばのミリョクとタイセツサさをツタエルことをはじめました。

ものがたりは、えのシマのちいさなニホンゴがっこうでのできごとをつうじて、ことばのタイセツさとブンカのソンチョウがエガレれます。トラキチとコウチョウせんせいのドリョクによって、サイゴのニホンゴわしゃとされるひとびとのシセイがミライにつながってていくことがしめされるのです。」

 

寅吉は、校長の音声中心主義の言葉は〈漢〉を〈日本〉から異別化し排除したと考えた。そうして純粋なものに依拠しようというわけだ。これは盗みだ。
暗闇の龍は寅吉にきく。「一体何が盗まれると主張しているんだ?」。寅吉は答える。「江ノ島だ。宇宙全体を抱擁する愛の映像。」と。
龍が寅吉の前に進んで向き合う。「お前は本当に日本の神が分かっているのか」という。
寅吉は言う。「天皇家万世一系伝説に有り難味などいっさい感じないですよ。国さえ安定していれば神と皇位との連続性によることができるだなんて思いません。」

アジアは天が精神(鬼神)に影響する(朱子)。西欧は天から精神は自立した。寅吉は精神に投射されるスクリーンを与えた。寅吉の龍とは、生と死の合理から離れたものが、再び精神(鬼神)として身体のスクリーンに現れたのであった。

龍は言う。「わたしと出会った時を覚えているか」
「私ははっきりと覚えています。あの時、あなたは自分のことを、"私を見つめる本だ"、と言いました。そして、"私が言葉である"と言いました。"本の中の言葉だ"と」
龍は寅吉に言う。「言葉だと?お前は、この私から天使を奪ってしまった。私は片割れになってしまった。お前は純粋なイメージの光を盗んだ。私はお前のもとに、復讐を遂げるためにやってきた。言葉なんか糞食らえ」 と、真正面からの照明の強い光。龍の姿が見えなくなるほどの大量の光が放たれた。龍の自爆テロだった。

女神の大地よ
龍の墓である汝よ
マストを立てよ
死と
眠りが
復活するのだ

 

三 路

 

雨の恩寵を浴びながら
とぼとぼと歩いた、裸足で  
気づかなかった
雲の隙間からこぼれた陽光に 
地面の若葉が輝いていても  
寅吉には掌の骨しか見えなかった・・・

小鳥達が舞い降りる動作
アマテラスの螺旋
ゼロの静止。微風の接吻の中で戯れる花々。
それから空への飛翔
どこに誘われるのか、誰も語ることができない..

寅吉は自分の棺を探して一日中野良犬のようにほっつき歩いたりした日のことをぼぼんやりと思い出していた。破れ傘のように寺の空隙がある、霊魂の逃げ場がたくさんある路。登り坂を上がったり下り坂を下がったりして、険しい崖になっている山二つのところで間もなく驟雨になった。洞窟の中にある洞窟のように、松と松の隙間から現れる海に包まれ、海を包む無限。彼は歩き続け、とある学校の校庭に辿り着いた。
柵を乗り越え校庭の端にある小さな花壇に向か向かう寅吉の姿は地元の者に目撃されていた。不審者が侵入したという通報を受けた現地の警官は学校の現場に駆けつけた。校庭の花壇にうづくまって死体の様にぐったりとして動かない男の姿が直直ぐに視界に飛び込んで来た。二人の警官はその顔をのぞき込んだ。
「うっ、くっせーな。裸足じゃないか、こいつ!」

たまらなくなって鼻をつまんだのは年輩の警官の方であった。若い警官が懐中電灯で顔を照らし出すと、痩せこけて陰鬱な表情が浮かび上がり、窪んだ鋭い眼から不吉な鈍い反射が帰って来た。若い警官はしゃがんで寅吉の肩を揺さぶりながら一言一一言を明確に発しながら尋問した。「おい、しっかりしろ・・・具合が悪いのか、どこから来たんだ・・・言っていることが分かるか、名前は?」

 

年輩の警官の方はアルトーのズボンのポケットをがさつな仕種で調べ始めた。警官の一人が大きな溜息をついたのが聞こえた瞬間、寅吉はつぶやいた。
「アメツチハジメアリキ」
呻くように口腔の奥から言葉を発したので、二人にはその不明瞭な音を容易に聞き取ることができなかった。口がたまらなく臭くて、彼らは咄嗟に鼻を摘んで顔を背けた。「ちぇっ、腐ってんじゃないのか。やれやれ、こんこんな奴の世話しなきゃならないなんて、ついてない日だぜ。」

不平をこぼしながら、さらに鞄のなかを探ると、日本語ノートを取り出した。パラパラ捲ると、電灯でその文面を照らすと日本人がよめない漢字が彼方こちらに書いてある。

年輩の警官は呆れたように溜息をついた。舌打ちをして、彼は同僚の顔を見た。しだいに雨の勢いが増してきた。若い警官は寅吉に向かって大きな声で職務質問を続けたが、一向に反応がなかった。「頭がいかれちまってんだ」。軽蔑の眼差しで彼は寅吉を見下ろした。
「毒虫野郎!」

と、追っ払うように年輩の警官は寅吉の顔に思い切り唾を吐きかけた。正気を少し取り戻したようにみえると、若い警官は電灯を近づけて、幾分残忍なやり方で顔を強く照らし出した。言葉を求めた。その瞳が光の炸裂で切り裂かれたかのようにみえた瞬間、寅吉の意識に現れたのは、銀のスクリーンに映し出された女の囚われの姿。髪の毛が殆ど丸刈りに刈り上げられており、その澄んだ大きな瞳からは雨粒程の涙がぽたぽたとこぼれ落ちて止まない。

泣いているのは誰だろう・・・僕か・・・島の女達か
泣いているのはアマテラスであった。

寅吉は身体の表と裏がひっくり返ってしまうような怒りを激しく感じ、声を振り絞って激しく叫んだ。

「言葉なんて糞食らえ!」

警官達はその怒りの籠もった地から轟くような声にすくんでしまい、「そこは立ち入り禁止だ」と慌て警告したが、その時すでに寅吉は凄い勢いで駆け出していた。彼は柵をよじ登り、花壇に植えられた木に向かって飛んだ。必死の思いで木の枝の一つを掴んだ時、寅吉はまるで自分の手を握ったような錯覚にとらわれた。ぐいと頭を挙げ、漢字の音の呪文のように呟いた。捕らえた大木を地中から引き抜こうと、木の枝を掴んだ手に渾身の力を込めた。ついに寅吉は阿呆船のマストを地中から引き引き上げていた。肛門が開き、屁がひねり出た。
希望の息吹きで帆が一杯に膨らむと、大いなる旅立ちを祝祝福する閃光の馬が天道を駆けた。太平洋から渡って来た風が、雲を運び、雨を降らせ、旅立ちの儀式を盛り立てた。刻まれた様に四方に散乱した雲の一つが凄い勢いで海に落ちると、一人の女性の悲鳴が寅吉の身体の芯を激しく貫いたように思えた。嵐だ、嵐が来るぞ。船のマストを今一度堅く握り占めると、至福の絶頂の中で、寅吉は自らの生が輝くのを慄然と確信した。

(了)

 

(完)

 

 

書くこと

英訳されたマルクスの博士論文(「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」(英訳)を読んだ、頼りない記憶を手繰ると、デモクリトリスの原子論と共に成立した古代ギリシャの彫刻は都市を見る視線がもったと指摘した上で、彫刻は全体を代表していて個人を表していないといいます。だけれど、後に、エピクロス主義のルクレティウスが考えたランダムなずれの運動(swerve)と共に、ルネッサンスは個的多様性を表現することができたと、そういうような趣旨だったと思います。彫刻も見つめるのです

No.19フーコカフェー ポストモダン的表象

ソビエトが崩壊して、絶対的真理とされたマルクス資本論』の解釈が自由になったとき、そもそも解釈の自由とは何かが問題提起されました。注釈について考えられたとき、表象が成立する為には自己を表象してくれる他の表象が必要ですが、それはマルクスが「等価形式」と呼んだものではなくないかと喚起したのは柄谷でした。江戸思想史は注釈と批評の歴史です。注釈は言語の存在と共にあり、他方で批評は言語から自立する空間ですね。フーコが書いてあるようなヨーロッパの注釈と批評の歴史を勉強しなくとも、江戸思想史にあります

 

間違いを恐れずに、わたしの理解で申しあげますと、これは事実上亡命してきた中国の友人から聞いた話に基づくのですが、中国はアメリカとの戦争を考えていて、日本は全く相手にしてないのだそうです。北朝鮮は中国が背後にいるからああいう感じで中国に国を奪われないように生き残りをかけてやはりアメリカに向けてミサイルを発射しているのでしょう。台湾有事となれば第三次世界大戦ですから、在日米軍基地にミサイルが飛んでくることは確実です。
世界的に考えて観ることが大切だと思います。一国民主主義と母国語中心主義ですから、中国と日本は別々の主権国家であると考えられるのですが、そうだとしても、日本だけ民主主義であるということはあり得ないと思うのです。中国の民主化があって、日本の民主主義が成り立つと考えたのは戦前のアジア主義でした。結局中国侵略でアジア主義は矛盾に陥って破綻しましたが、その考え方の全部を否定できないように思います。中国に民主化を求めること、その前提として先に日本がどんどん民主化すること、これしかないとわたしは思っています。
現状に関していうと、自衛隊を日本の外に出ないことを憲法レベルにおいて確認をしたうえで、自衛隊は台湾と東アジア海について情報を交換するというのが良いのではないでしょうか。
日本人は沖縄の独立を考えられないように、中国はリベラルでも、台湾の独立を認めることができません。アジアのEUとして、東アジア共同体を形成して、台湾は中国からは独立せずにここに属すると主張できたら、絶対とは言い切れませんが、中国は考えるかもしれません。東アジア共同体における台湾のコモン化ですね。漢字文化圏東アジア共同体は、実体のあるもので、台湾儒教、朝鮮儒教、日本儒教、そして中国儒教の歴史が支えたものとしてリアルに存在して来たと考えるのがわたしたちの構成です。われわれ東アジアは、天にいる祖先がわれわれを見守るという意味で子孫のわれわれを見ていなければいけないと想像することは難しいことではありません(淫祠邪教はダメですよ)。ポストモダンの精神(鬼神)とはウエストファリアー体制の主権国家システムに根差すのではなく、隣同士を大事にするグローバルデモクラシーを見ているかものです。ただこれはヨーロッパのEUがうまくいかないと難しいです。ヨーロッパはイスラムとの関係を見直す新しい普遍主義を再構成しようとしていますが、極右翼とかBrexitによって、悪い形に引っ張られそうですね。それが心配です。
アメリカは中国共産党の独裁を一切認めませんから、中国はアメリカとの戦争のほかに選択がないのです。隣同士を大事にと主張するわれわれポストモダン孔子の立場は、中国は共産主義のままでいいから、国内マイノリテイーとの関係を変えること、周辺諸国との関係を大事にすること、この二つのことを求めています。

シュレディンガーをたたえよう

この著名な物理学者はナチスオーストリアからアイルランドに亡命してきた。おそらくアイルランドが彼の前にユダヤ人の亡命を受け入れたことはなかった。何故か?まさかアイルランドは核開発を考えたわけではないだろう。当時の首相が数学者だったので彼の仕事の意義を理解できたか?ハミルトンがいたから?兎に角彼は政府から研究所を与えられた。しかし彼は生命とは何かを問うことになった。その思想的影響といえば、現代と古典とは調和的に共存できるという復古主義の思想を思い描かせた

 

鬼神は嵐風雷鳴に存するというならば、どうしてそれが渦巻きでないことがあるだろうか?本質は個別的であるし個別的になっていくのは渦巻きの分割による

 

日本でソシュール研究は朝鮮の大学を支配した戦前に遡ります。ソシュールは記号について差異のことを言ったのに、言語について語っていたと考えられたのです。時枝誠記において言語について差異を考えた結果、漢字で書かれた日本語文を分析することになりました。通説では、これは時枝の間違いとされますが、わたしはそう思いません。日本語において主語は漢字で書かれることを時枝は発見しました。そうして、言語の自立的あり方(音声中心の母国語つまり国語)とは自立した言語の他者的なありかたを差異として考えていきます。漢字は借り物であると考えて、今日の国語学者のように音声的な起源を考えていく必要がありません。しかし文を包摂する助詞について語り出したとき、時枝の言語学は他者性を失いました。
現代中国も根源的誤謬は、彼らが帝国主義がにる文化的支配をいまも漢字の優位によると考えていることです。たしかに漢字は仏教を翻訳して周辺の他の国(日本)に伝えることができました(華厳教はインドの中国化です)。何故翻訳が出来たかというと、まあ、漢字は表象の帝国だったからでしょう。漢字は今日のようにシニフアンとシニフィエの非常に限定された関係しかもっていなかったのではありません。しかしその漢字は、現代中国のもとにどんどん簡素化されて音声化されています。現代中国語はマイノリティーにとって中国人の国家言語でしかないのです。だから彼らの同化主義が反発されるのです。

たとえば、「鬼神」の字ですが、これは目に見えずこれも聴こえないものと語られたのですが、『中庸』において、宇宙論的に構成されました。その後、朱子は鬼神を精神であるという言説を展開しますが、これは仏教の「空」の中国化ではないかと思えます。朱子が鬼神について語るためには、「空」と「無」の違いをめぐる1000年要した儒教と仏教の間の思想闘争がありありました。徳川日本の古学は、朱子学脱構築ですから、荻生徂徠から、古代がどのように鬼神を考えたかうぃ語り出します。徂徠は学的鬼神論を語り始めましたが、それに対して平田篤胤のような民情論的鬼神論が言われます。これらの言説が後期水戸学の政治神学の言説を形成します。「鬼神とは何か?」。それは実体があるのではなくて、鬼神論についての学者的議論に中に存在するというわけです。これがポストモダンが見いだす言説的差異の意味です

 

 

純粋なイメージとは、まさに近代主義の純粋さは無からの創造を為す自身の独立に向かう夢でしょうが、17世紀の画家たちは、類似が語る表象の時代にあって、画布の裏側は空白である、その意味で自らとの類似に依存しない『侍女たち』のイメージこそが純粋なイメージとなることを見抜いたのですね。近代主義の人は『侍女たち』を見て不快になるのは、そこに従属しか読みとれないからです。しかし画家が描いたものこそは、表象のシステムの中にあって表象とは別のもの、世界の自身から自立したイメージのあり方です。つまり近代が理想としていたものです。近代の前に、近代を超えるポストモダンがあったということです。モダンの次にポストモダンがあると考える必要はないです。ポストモダン的表象が先行していたのです。

 

アルバイト

3年間コンビニでアルバイトしました。変なお客さんが多いですよね。肉体労働で、初日は我ながら頑張ったと思ったのですが、同じシフトのおばさんがレジから一万円をとりました。わたしも疑われてほんとうに嫌でした。というかわたしが疑われたのですよ。働くって難しい!しかし色々といい経験だったとおもうようにしています。相棒は大変美しい不良女子高性で、学校へ行くときは私服で行き、終わってから夜の街に制服でいくというさかさま。冷凍庫の中に入ってはカントのフランス語訳を読みあげたので、自身に呆れて、自分は本しか読めない人間だと気がつきました。足が痛くて嫌でしたが、わたしが居る間は有線放送はジャズかクラシックを流していましたね。アジア系研究者のアルバイターとも働きました

 

啓蒙とはなにか

ポストモダンは、啓蒙主義に批判的であることは間違いないですが、フーコはカントの仕事を徹底的に論じたと思います。啓蒙主義は、ご存じのように、ヒュームのイギリス啓蒙主義と教会の自由を認めるスコットランド啓蒙主義は違います。百科全書派のフランス啓蒙主義とかカントのドイツ啓蒙主義もあります。アジアでは、アジアで成立した唯一の普遍思想である朱子学啓蒙主義です。伊藤京都の仁斎の知識革命も啓蒙主義です。そうしてみると、これは私の理論ですが、啓蒙主義の言説は多様性があるのですね。それなのに、啓蒙主義は一つしかないようにみるヨーロッパ中心主義の見方をポストモダンならば批判するでしょう。

 

教養とは何か?

大正教養主義の頂点から、和辻哲郎とか出てきて、ヨーロッパに行ってハイデガーと対等に議論できると考えたようですが、和辻の世代は漢詩を読めなくなるのですね。前に触れましたが、夏目漱石のもっていたアジアのコスモロジーの教養がないのです。アジアのコスモロジー知は朱子学のことですね。では、日本の教養は、アジアの教養を失った代償は何かと私は考えます。和辻は九鬼修造と大川周明と共に、岡倉天心からの影響で、「アジア」を発見しました。しかしそれは朱子学コスモロジーなきアジアだったと言わざるをえません。「近代の超克」の京都学派は、アジア思想を求めましたが、ヨーロッパで言われたような議論と同じようなことを語っていただけでした。まあ、近代の超克は、アジア主義を看板にしても中国を侵略して、矛盾に陥って破綻してしまうのですね、それヨーロッパの近代の超克論を借りてきただけだったからじゃないでしょうか

アイルランド西部に来たとき海に浮かぶ広大な荒地があった。ヨーロッパの端に来てどれくらいの民族が争ったのだろうか。新しい民族が来たときは先住民が滅んでいたこともあった

朱子が言説的展開として語った鬼神論の鬼神とは、透明な言語である理気論が語る地上を映す天の位置にあって鏡の裏側に立つことなのだ

 

浅田彰をたたえましょう

『構造と力』の浅田は一人ひとりがマイノリティーであるというテーマがあったのですが、ーそれこそ差異ですー、日本の現状はゲイの権力どころか女性の権利もないままですからね。この40年間、文化多元主義のヨーロッパは日本が追いつくことができないくらい相当なことをやりました。「国の時代に合わなくなった」のも当然で、だからこそ『構造と力』が反時代的精神になってほしいですが、ポストモダンの消滅は時間の問題です。絶対的保守主義の近代が主流になっていきます。

浅田は、映画史が思想史であると問題提起したのはよかっです。彼は思想史のイメージを持っているからそういうことがいえるのでしょう。その映画史はわたしもテーマにしているゴダールの映画史ですが、しかしこれを語るのは簡単ではありません。浅田も十分に語っているわけではありません。そもそも、映像は言葉で語られるようにはできていないからです。思想の歴史を形作る言説は、言語に依拠しますが、自らを抜け出すためには、依拠してきたことばでないものー映像ーを必要とするのかもしれません

しかし浅田さんはわたしとおなじようにゴダール崇拝者なんで、ゴダールについて語るときちょっと説得力にかけるときがあって、例えば、ポストモダンのモダンニズム化というような変なことを喋るのです。マルクス・ガブリエルのような、素朴リアリズムの復活という感じでポストモダンからは馬鹿にされる人のほうが、ゴダール映画の本質を見ぬいている場合があります。彼が観ているのはゴダール中期の作品ですが、<万事順調<ーうまくいかなければいかないほどうまく行くーというポストモダンにわれわれは依拠できるのかとするストレートな問いがあります。中国はポストモダンですから、対談を読むと必ずしもガブリエルを評価しないようです。しかし中国のポストモダンに東アジアは依拠できないことはほんとうです。地球環境とかコロナ対策において見られたグローバルデモクラシーのあり方を語っているのは良いですね。ただ彼は文学を語りません。ポストモダンにおける思考の柔軟性は、文学から語る戦略的なあり方なのです。ストレートに思想や政治を語らないのですね。浅田さんは政治を語る時に映画から語り始めるかといえばそういうことはありません。彼は哲学物は日本政治をどう語るかにこだわっているようにみえます。やはり芸術よりも哲学を愛しているかもしれないですよ。芸術は自ら、感覚に依存しない永遠のことについて語りたがりますが、政治は永遠のものを語ることがあり得ないです。その意味で政治はポストモダン的ですね。

ポストモダンモダニズム化という言説は、いかにも日本知識人が陥いる誤謬です。例えば、西田幾多郎は、一と多とが両立するから、モダニズムなのかポストモダンなのか分からないです。多は自ら、一を禁止することによって成り立つはずなのです。同様に、ポストモダンは、モダニズムを禁止することによって成り立つのでしょう。浅田さんは、モダニズムの破壊のラディカリズムに対して、それを乗り越えるポストモダンが出てきたと言っている通りです。モダニズムの破壊の究極に、左翼が互いに殺し合って消滅することが起きたのです。ポストモダンは差異の思想であること、モダニズムを禁止することが必然です。ポストモダンモダニズム化はあり得ないです。そう見えることは、われわれのポストモダンの彼らのモダニズムにたいする思想闘争の敗北が起きただけです。後期ゴダールは映画の中で、ユートピアを語りはじめたのですね。ユートピアは近代の失敗から民の側からする反近代の近代ですから、浅田さんはゴダールユートピアの語りはポストモダンモダニズム化と考えたのでしょうが、それは間違いです。言いたくないですが、ゴダールも、芸術では百年後に残る最高のものを作りましたが、近代主義との思想闘争に負けたのです

 

天皇制(象徴天皇制)は文化であるのに、明治へ帰れと訴える安倍と彼の応援団の日本会議は政治にしようとした。伊勢サミットの問題は文化によって隠蔽した天皇制の政治化にあった

日本書紀』と『古事記』を考えて政治と文化について考える。漢字の存在を表象できる。『万葉集』は仮名が可能にする私の領域の政治化。私の領域を公が隙間なく覆う危険がある

 

文化と政治

文化と政治というテーマはわたしの関心です。結局は、南原さんが語った国家と文化のテーマとして考えることになるテーマだとおもいます。
国家は国家中心主義であると、文化を利用します。それが国家神道です。『古事記』や『日本書紀』や『万葉集』の読み方を決めていくのです。『日本書紀』と『古事記』を考えて、政治と文化について考えます。テクストから漢字の存在を表象できます。
万葉集』は仮名が可能にする私の領域の政治化といえるでしょうか。私の領域を公が隙間なく覆う危険があります。実際に昭和の皇国史観は『万葉集』における天皇と国民とが一体となった風景を利用したのです。
しかしポストモダンの時代においてもう国家中心主義でなくてもいい時代です。


どうしてわたしは文化と政治に関心があるかというと、わたしはどんなものでも重なり合いに関心があるからです。私の領域と公の領域との間に、別別のものでありながら、互いを必要とするような、重なり合いがあります。わたしの文ですが、
本居宣長は『古事記』は公におけるものと考えた。『源氏物語』は私におけるものである。宣長は、私におけるものを公におけるものとして考えることはなかった。私におけるものは私におけるものであり、公におけるものは公におけるものである。このように考えて、芸術は役に立つ必要がないと考えた。私におけるものは、公におけるものではないからである。公は私に立ち入り禁止である。そうでなければ、公におけるものが私におけるものを覆い尽くしてしまう危険が生じる。この危険は、ファシズムにおいて公のものが芸術を覆うことの危険とおなじである。公におけるものと私におけるものとの間の透明性と共に、国家神道が成立する。」

私の領域と公の領域との間に、別別のものでありながら、互いを必要とするような、重なり合いがあることは述べましたが、この場合は、二つのものが隙間なく重なると、二つのもののシステムが持続できなくなります。

何度でも書きます

伊勢サミットは伊勢神宮は日本文化だからいいことだったでしょうか。いいえ、悪いことです。たしかに、伊勢神宮は日本の古代と中世、また近世の文化を培いました。しかし明治の近代からは根本的に性質を変えます。伊勢神社の神道は宗教ですが、近代の伊勢神宮は戦争神社である靖國神社と一体である、国家神道の神社です。よく知っていただきたい事実ですが、戦う国家は祀る国家だったのです。伊勢サミットは戦前にアジア2000万人を殺した国家神道の復活を禁じた憲法に違反しています。伊勢神宮の奥まで首脳たちを招き入れました結果、アメリカ大統領とイギリス首相の信教の自由の侵害の抗議を無視しました。

伊勢神宮神道という宗教を普通にやるならば問題ないのですね。しかし彼等はそういう考えを持っていません。三種の神器を古代天皇から与った伊勢神宮は国家よりも上にあるし、憲法よりも上にあると考えています。だから政教分離の原則を守る必要がないと思っているのです。何故なら伊勢神宮政教分離の原則を規定している憲法より上にありますから。伊勢神宮はこの戦前の主張をそうはっきり言わずにいますが、隠しているだけです。代わりに、安倍応援団の日本会議伊勢神宮こそが国家と憲法より上にある戦前と全く同じ主張を行っています。具体的なことを言うと、日本会議安倍自民党は、公式参拝を前提に、解釈改憲軍国主義国家神道の復活を推し進めて来ました。皇室に依存しない天皇教を確立したいようです。それが嫌韓と反中のナショナリズムです。
しかし、日本の宗教学者は、<日本人のアイデンティティとしての靖國神社>をいうものがいます。戦前は、靖國神社は戦争に関わっていなかったと主張していて、学会では通説になってきたらしいのですね。明治政府の始めの頃に、神道の宗教家が政府のなかに入ったという政教分離違反の事実だけしかなかったと。しかし戦争体験者の話を聞くと、これは恐しい歴史の捏造ではないかとわたしはおもっています。

 

 

日本ではラカンについて考える人は多いがラカンが何を正そうとしたかを考える人は少ない。国家の目的の崇高性に囚われてしまって外の人達を排除するバイアスをやめなければいけない

 

古学と国学は解体朱子学から出て来たから、平田篤胤は脱普遍主義であるが、中国のキリスト教によって再領土化した。この脱普遍普遍は外部的なものである

 

 

どうもありがとうございます。私とは違って、彼は確立したアイルランドを代表する権威のある画家でした。40代まで聖書を独学で読み続けて画家になることを決めました。元々プロテスタントでしたが、絵を売る為に(?)カトリックに改宗しました。キリスト教古代ギリシャ文明とが出会うメロヴィング朝の美術に造詣がありました。晩年は自分の工房でステンドグラスを制作していて、北アイルランドで爆破されるたびに教会のために作って運んでいました。非常に割れやすいもので苦労していましたね。日本に戻ると、舞台の照明に関心を持ったのですが、ステンドグラスの代わりだったかもしれません。舞台では、物が照らされないと、観客が考える意味が成り立ちません。その意味で光は脚本と共に、ロゴスを構成するものです。彼と一緒にいる所を目撃された私は左翼の友達から随分疑われました。おまえはRC(ローマカトリック)と友達か?と(笑)しかし映画友だったのです。パトリックからは、私は、純粋異教徒pure pagant (paganism)と呼ばれていましたが。アイルランドで始めて来た溝口映画(雨月物語)を見せてあげて大変喜んでいました

 

大正時代に再建された能の神々しい舞台と声の力は言語の存在の表象を消す近代におけるものである。『古事記』は昭和10年代に教えられたがその口語訳に類似する偽連続性を醸し出す

フーコ『言葉と物』は表象が鍵だ。言語と人間の存在を表象の中に閉じ込めた形で表象を表象する言説を書き始めた。最後は人間が消滅して言語の存在を表象する言説について書く

フーコ『言葉と物』は人間が消滅して言語の存在を表象する言説について考えた。鬼神論は誰かの死後の語りではなく、人間の消滅と共にアジアにおける言語の存在を考える言説なのだ

人間は500年前に誕生したのです。あるいは150年前に、生活し語り労働する人間は存在しませんでした。人間とは近代の言説の産物です。しかしそのような人間とその思考は、150年前に成立したのに、太古に遡る起源と結びつくのです。そこで、神との連続性が表象に与えられるのです。例えば絶対的保守主義の近代ー国が安定していれば神と皇位との連続性によるべしーです。互いに補いあう人間と神を止めるためには、人間としての人間を学ぶのではなくて、人間を終わらせる必要があるのです。どうしても人間としての人間を学ぶことを主張するならば、江戸時代は、カントと同時代的に伊藤仁斎が要請される人間を考えました。その時代は天皇は武士政権によって京都に幽閉された象徴天皇でした

 

 

人間中心主義はsounds goodだけれど...

オーストラリアのアボロジ二は野生動物とされたので白人植民者から銃で殺されました。人間だったら少なくとも動物としては殺されなかったでしょう。その限りにおいて人間中心主義の啓蒙は意味があると言えるでしょうか。
ただし白豪主義の時代にアボロジ二は人間とされて同化主義の対象となって10万人の子供missing childrenが国家によって収容所に隔離されました。

 

さてアフリカ諸国についてファノンが語っていたことは、アイルランドの問題でもあったのですが、帝国が憲法で経済的自由など人間の権利を保障してしまった結果、イギリス人のアイルランド資源を利用する権利をアイルランド人は止めることができなくなったのです。そうして帝国は人間をたたえる普遍主義を掲げて自国に有利に民族資本を徹底的に潰していったのですね。人間の権利に保証されて、地球はイギリスとフランスに分割されたのがまさに帝国主義の時代です。
ここではわたしは別のことを考えていて、フーコの議論を援用するのですが、人間中心主義は、労働し語り生活する人間が知の対象となるわけですが(実証主義)、同時に、人間の起源を祖国も日付もない太古に遡らせる結果、民族主義の知(明治のときは民種主義と訳されていました。こも民主主義の語が定着するのは大正からです。)、か、ナショナリズムが人間中心主義の知と共に生まれるのですね。普通は、人間中心主義と民族主義は対立すると考えられますが、フーコのような人は同時代の相補的な知を構成するとみなします。ナショナリズムフランス革命のときは平等を推進する意義を持ちましたが、21世紀の現在は何の役割を持ちません

 

『目に見えず耳に聞こえない』ものは、儒者の頭で構成されない<存在>であろう。プラトンの数学的実在みたいなものだ。聖人はそれを『鬼神』と呼んだ。『中庸』は宇宙論的に考えた

 

書く=描く詩人とは何か?

 

思考のイメージが表現する、外部すなわち思考不可能なものによって思考が可能となるのは、朱子形而上学の鬼神論と成立論の関係においてみることができる

 

ナショナリズムの衝突を避けて和解のためには日本が朝鮮半島戦争犯罪をおかした事実を再構成する必要がある。コリア側は日本は人類に責任を負うとし日本はコリアに責任を負う

 

ギリシア語のテクネーには、絵画、彫刻などの諸芸術をはじめ、医学、建築など人間の制作活動全般が広く包含されていました。

このテクネーは、ラテン語の「アルス」(ars)、英語の「アート」(art)に対応します。

 

ヘーゲルは、『精神現象学』の中で、教養というのは、生まれながらの素朴な生から離れて、より高いレベルでの一般的知識を手にすることだとして、次のように語っています。

「教養のはじまりとはつまり、実体的な生の直接的なありかたを離脱しはじめようとつとめることである。それがはじまるのはつねに、さまざまな一般的な原則と立場にかかわる知識を手にすることによってであるほかはなく、なによりもまずことがら一般にかんして思考されたものへと向上しようとつとめることによってである。」


 ヘーゲルは、こうした精神の自己運動を「ビルドゥング」と呼んでいます。ドイツ語の「ビルドゥング」というのは、個人が自己を理解し、内面的に成長し、豊かな人間性を獲得するためのプロセスを指し、そこには自分で身につけるというイメージがあります。

人間は、「ビルドゥング=自己の形成」を通して自己実現が可能となり、さらなる人間的成長を遂げるということです。

さらにヘーゲルは、個人と社会の発展は密接に関連しているとして、個人が「ビルドゥング」を通じて自己を形成し、社会との関係を築くことで、より高度な精神(絶対精神)へと進化すると考えたのです。

世界精神Weltgeistはいかに教養Ausbildungを失って資本主義の精神になるのか?その前に、精神は、アジアの鬼神的コスモロジーを失って、思弁的になってしまった

中世の「物」概念を理念化したカントの「物自体」は、<神自体>と考えるかは別として、ヘーゲルにおいては<精神>と構成された。マルクスでは<労働>である。両者は近代を超える

いかにも音声中心主義の呟きであった、トランプのツイッターは、表象を避ける変な物である。物は、表象の外部にある声を捉える。自らを代表できない声が<実在>してくる

日本の近代は古学からしか生まれなかった。復古主義の政治であり表象の政治である。安倍政治はここに帰ろうとした。ポスト安倍は表象なき政治の思想を制作できるかにかかっている

 

高校生の時は進路を聞かれて、副読本で熱心に読んでいたのだけれど、ラッセルのような哲学者になりたいと言ったら、英語の女教師は「頭のいい人は上には上がいるからね」と。「それよりあなたの落書き見たんだけれど、ピカソみたいな絵を描いてるから芸術で頑張りなさいよ」と言う。たしかに頭の良さに関して上には上がいる。芸術は上はいないが、横には横がいる

 

表象と存在のモンタージュ。物において精神の眼(鬼神の眼)が媒介して存在たらしめる。表象と存在とが自己差異化すると、「我思う」「我存在する」

Montage of representation and existence. Object exists through the medium of the spirit's eye (demon's eye). When representation and existence become self-differentiated, “I think” and “I exist”

 

 

 

北アイルランドの紛争については、これを互いに殺し合うプロテスタントカトリックとの抗争として理解できるほど単純ではありません。しかしこれを、人間は人間を殺しすのは何故かという言説で問うこともできないと思います。やはりプロテスタント共同体とカトリック共同体の争いですから。植民地主義の問題として考えてみたらどういうことが言えるかが大切です。紛争地に行ったフィールドデイという演劇集団は『トランスレーションズ』という芝居を見せました。イギリスとアイルランの出身の両者がアイルランドの植民地化を推し進めた事情を描いた芝居です。そして議論を行うときに、プロテスタント側とカトリック側から半分づつ人間を出しました。サイードバレンボイムとの対談のなかでこのフィールドデイの活動に注目しました。歴史を問う運動では、だれが語られるということよりも、だれが語るのかが大切です。歴史について何が語られるかよりも、歴史に介入することが重要です。わたしは、これは、宗教改革に先行した、原理主義を廃した知識人たちの人文科学に向けた思想形成を思います。構成をプロテスタント側とカトリック側から半分づつにしたことが、思考の柔軟性を機能させようとしたと考えられます。しかし残念ながら、『トランスレーションズ』は、失われたアイルランドの記号というナショナリズムアイルランド人の表象に与えてしまったようです。難しいものです。

脱普遍の普遍化

プロテスタントは、全世界のカトリックがローマのバチカンを中心にするというあり方ではなくて、それぞれの国家に基く。英国国教会の歴史的役割は大きい。しかしカトリックも、フランスカトリックのようにフランスという国が大切であるようにみえる。実際のところ20世紀におけるアイルランドの国家の独立はカトリックの協力と共に成立した。カトリックは国の教育を握ったのである。ジョイスはこれに反発した。ゲール語で書かずまた教会の権威に従わない作家たちはアイルランドの中で国内亡命を余儀なくされたのである。しかし1970年代以降、エスタブリッシュメントと共に以前のような力を失っていった。現在のアイルランドの人々は解体普遍の再構成をおこなわければいけない。脱普遍の普遍化というか。これは地域紛争の解決と共に起きている。

 

 

 

ドゥルーズの翻訳本ばかり読んでいる人達は日本がヨーロッパと同じだと勘違いしちゃう。自らを乗り越えていくのはヨーロッパなのに、日本がヨーロッパを乗り越えると勝ち誇る錯視

外国語の本は4割ぐらいしか読めていない。この無力感はだけれど大事だとおもう。わたしは自分がいかに無力であるかを知るために投票所へ行く場合と同じだ

イギリスで普通に大学を出て、テートモダンのウィットゲンシュタイの市民大学講座にきた人達が、彼らが読んでいるウィットゲンシュタイの本がドイツ語から翻訳されていることも知らないし、そもそも注釈の影響を受ける翻訳の意味も、わからないのですね、これにはびっくりしました。英語で読んでいたマルクスが元々ドイツ語で書いていた文を翻訳されたことも想像できないのです。アナキズム的フランス語訳と社会民主主義的英語訳の違いは日本においては大変重要ですが、イギリス人に説明してもチンプンカンプンです。しかし英語で読む限りにおいての自由な批評性を旺盛にもっています。ただ、演劇が盛んな国ですから、小学生のときから脚本の解釈については熱心に取り組みようです。ドラマスタディーズのエッセーも書かなければいけません。言語の存在を先行させる注釈というのは古い時代のものなのでしょうね。そういう意味で、元々古代ギリシャの文献学者だったニーチェが切り開いた注釈的批評の意義は大きかったであろうと思います

 

ポストモダン孔子

孔子は語りかける相手に必要なことだけを喋る。その言葉は短く彗星の如く流れる。何故かくも短いのか?検閲にかからないようにしたという説。またその言葉の意味は皆理解できたからクドクド説明する必要もなかったからか。又は反復を避けて、誰も言わなかったことを初めて喋ったから。一語で十分だった

西欧の芸術批評はヨーロッパが外部へ出ると共に17世紀から始まる。アジアも外部へ出た。日本の明進出。アジアの芸術批評は18世紀宣長から。反理性の普遍主義の再構成

 

‪Une notion commune, c'est précisément l'idée d'une composition de rapports entre plusieurs choses. Soit l'attribut < étendre > ; il a lui-même une essence, et ce n'est pas en se sens qu'il est l'objet d'une notion commune. Le corps dans l'étendue ont eux-même des essences, et ce n'est pas en ce sens qu'ils sont l'objet de notions communes. Mais l'attribut étendue est aussi une forme commune à la substance dont il constitue l'essence, et à tous les corps  possibles dont il enveloppe les essences. L'attribut étendue comme notion commune ne se confondra avec aucune essence , mais désignera l'unité de composition de les corps ; tous les corps sont dans l'étendue...‬

 

「権利」も、「権理」としたらどうか

「理のある見解の範囲を超える政策を政権の座にある党派が多数の名を借りて推し進めようとするとき、それを阻止することは、憲法の番人たる裁判所の第一の責務である。」(長谷部恭男)

 

共通なものとは文化多元主義のロンドン時代のテーマだった。それは思惟の中に身体があること。共通でないものとは東京での探究である。それは非思考が思考に介入する鬼神論的あり方

 

私は分割されたどんなものも関心をもっている。共通のものと共通でないものはどのように関係しあうか?その交わりは空集合であろう。思想はこれをどう考えるか?一は多を禁じる。逆は逆。西田幾多郎が語るようには一と多は両立しない。われわれは依拠できるのはこの空においてである。

解体される大地、解体される王の身体、解体される資本主義

 

絵が学問となるフランス・アカデミーができて革命が起きた時代に、イギリスの風景が発見された。光は大地と雲と共に表象の中にある。ロスコから、表象なき光の存在が描かれる

 

ブレイクとターナーと後期ラファイエロのテートギャラリーとテートモダンはイギリスでは繋がっていなくてバラバラの印象があったのだけれど、森美術館の光をテーマにした今回の展示はこの両者を繋げるものである。是非行かれたし

 

江戸時代の科学の翻訳がなければ、明治の翻訳はスムーズには行かなかったとおもいます。「物理学」とか。三浦梅岩の条理学は朱子学の近代化です。明治以降、伝統をゼロにしてしまう近代化は世界に例がなく、日本だけだとおもいます。それだけ西欧の近代化のパワーがすごかったのでしょうが、私は答えがありません。九州に行く機会があるので、福沢諭吉の博物館に行って下級武士のエートスを調べに行こうと思ってます。
江戸の武士政権は、天皇を京都に幽閉しましました。これは津田左右吉が指摘していた、「政教分離」だったわけです。昭和10年代の全体主義に帰結させたような、明治に天皇に全権力を集中させた間違いを考えると、江戸時代の政教分離の伝統は意義深かったとおもいます

 

色々議論すべき点がありますが、兎に角ピカソほどオリジナリテイーの芸術家として称えられた画家はいません。しかし彼がほんとうにオリジナリテイの代表選手であるその評価に満足していたら、ベラスケスやマネそのほかの画家の作品をスケッチしたりはしなかったでしょうね。(ポストモダンのわれわれは、マネの絵も、ヴィーナスの描き方がそうですが、先行するだれかの絵ー例えばヴェネツィアバロックとかーを真似たと思います。しかしピカソにとってはそれはどうでもいいことでしょう。)
ゲルニカは、もしピカソが絵を描かなかったら、爆撃されたその村の名はかくも今日まで記憶されることはなかったでしょう。当時の人々は絵を見てはじめて戦争の意味がわかったのではないでしょうか。そう言う意味で、ゲルニカは絵画というよりは歴史を語る思想であるとわたしは思います。たしかにジャーナリズムの報道写真はありましたが、しかしゲルニカは絵で描かれなければならなかったのですー記憶されるために。

われわれはポストモダンですから、失ったものは失うことができると考えます。ピカソはモダ二ストなので、巨匠の作品は時代遅れになって失われても、失ったからこそ獲得できると考えるでしょうね。

海外は英語を毎日百頁読んでいたが現在は一頁も読めない。レヴィストロースは感嘆した。日本人は中学生の時から英語を勉強しているのに一人も英語を話せない。日本語に執着している

 

日本は、キリスト教から見たケルトの伝説ばかりしています。ケルト無文字社会だったのですが、消滅したのではなくて、聖パトリックのキリスト教のなかに温存されたと喋っている日本人がいて、不愉快ですね。おまえは見たのか!?それは、聖書の書かれた言葉に精神の語る言葉(パロール)が宿っているという類いの解釈です。
『ケルズの書』は、文字の装飾ばかりで、アイルランドは思想の発展が無かったと言われるのですが、そうではなくて、言語の存在を称えたのです。『ケルズの書』は、どんどん西側の境界に向かって移動して行ったケルト人の記憶が残されいるであろうと言われます。ギリシャのように動物と一緒にいる人間が描かれていますが、木の枝の上に聖人が鳥のようにいるのですね。おそらくこれはケルト人が森のなかに入って見た原風景なのでしょう。言葉(パロール)の表象のなかに人間が森と関連づけられていたようですが、大地と木の表象の外へ出て、人間は書かれた言語の存在と結びつくのです。書かれる言語(ランガージュ)の存在のおかげで、より遠く広い世界のことを考えることができるようになりました。近代ロマン主義の影響で、古代人は、周囲の自然とかにしか関心を持っていなかったように思われていますが、反対だと思います。『古事記』も、宇宙神の記述から始まります。国神はあと。

 

なぜ英語は難しいのか?

英語は初心者には取り組みやすい言語ですが、難しい言語ではないかとおもうのです。聖書の翻訳を可能した、近代英語の成立は、宗教改革に先行する知識人たちの登場と共にありますから、理念的なものを表現するあり方を持っているのではないでしょうか

 

抽象的なもの(例.思惟)と表象可能なもの(例.身体)。二つのものの間の共通なものとは何か?思惟は本質である。また思惟の中にある身体も本質である。その場合、身体は思惟を包む。このことも考えれば、二つのものの間の共通なものとは、思惟に依拠した、身体が包む本質を考えることができようか

 

どの絵も身体が描かれる。物体はその傍らに描かれる。これらの延長という属性は実体の本質であるが、延長ー身体と物の多様な構成ーは本質を包む。私は神ではなくスピノザと共にいる

 

GHQの占領があと一年続けば、ドイツにおけるように、日本の極右翼は撲滅されたのではないでしょうか。しかし朝鮮戦争で不可能となってしまいました。ドイツの極右翼は、ナチス戦争犯罪が裁かれた後に登場しました。比べると、安倍と彼の応援団である日本会議の極右翼は現在、戦前と同じ形で、おなじことをしゃべっています。
現在の自民党は、戦後の保守主義が何を以て自ら保守を名乗るのかわかっているのでしょうか?大いに疑問ですね。明治維新復古主義の近代化でした。国体を選択したのです。戦う国家は祀る国家でした。戦後は、保守の政治は復古主義を発展させるべきです。この場合、今度は国体をやめることを選択することが課題です。ここ選択に、みんなが依拠できる道があるでしょう

復古主義とは何か?ジョイスの言語と共にホメロスの過去は未来を思い出す。日本近代は古学からしか生まれなかった。なぜ未来の表象に過去が必要なのか?言語ー光の存在が過去において集中して、人間ー闇の存在が拡散する。目覚めは死。夢を発明すること

 

野上弥生子『秀吉と利休』において描かれたような芸術を宗教の高みにおいた利休にたいして、秀吉は芸術(宗教)を憎悪した。武士のこの憎悪は天皇を京都に幽閉させたかもしれない

 

下級武士が推進した日本の近代は伝統をゼロにして、同化してきた中国や徳や文を拒否したが、朝鮮とベトナムが漢字を棄てたようには日本は漢字を棄てなかった

 

アジアは天が精神(鬼神)に影響する(朱子)。西欧は天から精神は自立した。ゴダールは精神に投射されるスクリーンを与えた。「精神(鬼神)としての映画の帰還」を私は描く

イタリアで宗教の腐敗を経験したキリスト教は江戸時代に政教分離の観念をもっていた。宗教は政治に介入して宗教の高みに来る芸術を持つことは危険であろう。政教分離とは宗芸分離

たしか、宗教は絶対の表象。芸術は直観で、比類なきイメージのなかのイメージをもつ。絶対の表象は、どんな比類なきイメージのなかのイメージと混同されてはならない。これが宗芸禁止

最後の日本語話者

私はアイルランドに8年いたのですが、この国は800万人の人口があったのですが、植民地時代の飢餓と移民で人口が激減して、現在は500万人です。ゲール語話者は2万人を切りました。最後のゲール語話者を考えることはリアルなのです。
日本は植民地化はされていないので、アイルランドとおなじことは起きません。日本語が英語にとってかわられることも起きないでしょう。しかし一緒に考えてください、明治らのヨーロッパ語の影響は大きいものです。考えてみると、中国から漢字受容から1000年かけて、徳川日本人は漢字仮名混淆文で思考できるようになったのです。ヨーロッパ語化した日本語では、例えば小林秀雄西田幾多郎の文は日本語なのか問いましたが、精神的なものを十分に思考できないのです。やはり漢字の場合と同じように、ヨーロッパ語を、ヨーロッパ語化した日本語を、自分達のものにするのは1000年要するかもしれません。問題は、1000年後に日本人は存在するのかです。もちろん消滅するとは断言しません。ただ、消滅の方向にあるとしたらどういうことが考えられるかを問うています。そうして私が考えてみる最後の日本語話者は、500年後に生きます。おそらく現在のわれわれを投射して、彼は自身が考えることができない日本人最後の人です。

人口の問題を言語の問題との関係において考えたらどんなことがいえるか

コロンビア大学の壁に書かれていたように、アメリカはギリシャとローマの継承者なのだろう。これはヨーロッパにおいてそうであるが、ヨーロッパ人は滅んでいた先住民を先祖と考えるのに対して、アメリカ人は先住民のインディアンを先祖とは決して考えない。これがヨーロッパ人がアメリカ人にたいしてもつ違和感である。ウィットゲンシュタインを紹介した東大の哲学の先生に聞いたら、そんなことよりギリシャ語でアリストテレスを読めという。

アイルランドといえばケルト。ローマに追われて、ケルト人がアイルランドに来たときは先住民は滅んでいた。多分その先住民もこの島に上陸したときは先住民が滅亡していたであろう

戦前は国家神道靖國神社は宗教ではなく国家を超えるものとして主張していたから道徳と理解された。戦後も自ら宗教であると認めないと道徳ですらなく安倍の為の戦争神社である

柄谷行人のあまりに思弁的な帝国論に、聖と俗の区別がない世界が語られる。ネオリベアングロサクソン的交換の俗が先行して、高度な互酬X、アジア的礼である聖を考えている?

孔子は非聖化の時代にあって反時代的に聖人とその制作を讃えた思想家だったように、ゴダールは映画の非聖化に抵抗した。映画は聖人として時間を守ったことを忘れるなと語った

ゴダール「映画史』は映画の起源はヒチコックかマネか、ゲルニカピカソかを考える。最初に言わなくてはいけないことは時間を制作したのは映画、20世紀の精神はそこに宿った

蓮實さんの『ゴダール』を見つけたが、面白そうなので買うのをやめた。面白いと感じたらやっつけられてしまうからだ。次は買ってもいいがナイフで一頁づつ切り裂いていくであろう

 

さあやっと読むかと思ったら、あちこち線が引いてある。一度読んでいたのであった。アイルランド復古主義は、エリアーデで考えてみた後期水戸学でよく理解できるかもしれないな。
訳者が儒教論語』に大変詳しく、後書きで、儒教と仏教が共有する神秘思想を掘り起こして書いていました。聖というのは、神秘人にとって、過去の反復を意味するのではなくて、過去の全部が一切消滅しきった上で原初的始まりが初めて始まるとエリアーデは述べています。イエーツは、イースター蜂起の詩を書いていて、その中で大変有名な言葉、<恐るべき美の奇跡>と言っています。これはエリアーデの聖と呼ぶものではないかと考えてみました。シングは未来を思い出すと語っています

 

20世紀の精神

20世紀近代に最高なものがある。これを包む為にはスクリーンが自らそれを超えるものを持つ必要がある。近代は植民地主義に陥った。世界に向かって投射して、スクリーンは思考の植民地化(それに伴う全体主義化)に抵抗する精神ー物で書かれるものーをもつ。物で書かれるものであるから本質は個体的であるし個体的になっていく

映画の歴史とは何か?

 

文学とは何か?とりあえず、二重の意味をもつ言葉から成り立っているものと言っておこう。われわれ自身が世界の二重化だから、自ら本に向かって投射できる

 

顔の描写とか風景を書くのは面倒だから戯曲の形にしたいのだけれどね

 

 

 

陰謀論を信じる人は困った馬鹿者だ呆れられるが、私は陰謀はあるとおもっている。党派的でないものは存在しないと考えたうえで吉本隆明はやっつけられないために戦いを主張した

 

中学生のときは、まさに自分がそうだったが、希望をもつが故に、騙されやすい。「われわれ」という言葉に希望をもつ。日本植民地主義が完成した大正の作家に希望をもったりする

 

漢字の存在を考えることは、ロゴスにおいて言語的存在である人間が自己の意味を考えることと同様に、最高なものがある不可避な他者を包み返す根拠を考えることである

 

戸坂潤は、政治の自由主義がないところで、観念論は宗教的になると論じた。戦前の日本イデオロギーは宗教である

「この書物で私は、現代日本の日本主義と自由主義とを、様々の視角から、併し終局に於て唯物論の観点から、検討しようと企てた。この論述に『日本イデオロギー論』という名をつけたのは、マルクスが、みずからを真理と主張し又は社会の困難を解決すると自称するドイツに於ける諸思想を批判するに際して、之を『ドイツ・イデオロギー』と呼んだのに傚ったのだが、それだけ云えば私がこの書物に就いて云いたいと思うことは一遍に判ると思う。無論私は自分の力の足りない点を充分に知っていると考えるので、敢えてマルクスの書名を僭する心算ではないのである」

「この宗教的自由は云うまでもなく政治的自由からの自由を意味する。現実からの逃避を意味している。処がここに実は、宗教の第一義的な真理が、即ち又その第一の用途が、横たわることは人の知る処だ。社会に於ける現実的な矛盾がもはや自由主義思想のメカニズムでは解決出来なくなった現在のような場合、その血路の一つが(但し唯一の血路ではないが)ここにあるのであって、矛盾の 現実的な 解決の代りに、矛盾の 観念的な 解決が、或いは矛盾の観念的な無視・解消が、その血路である。現代は、従来国家的又社会的に認定された「既成宗教」や、比較的無教育な大衆の上に寄生する所謂邪宗の他に、インテリゲンチャを目あてとする多少とも哲理的な新興宗教の企業時代だが、一般に自由主義に基くインテリゲンチャの動揺がなければ、こうした企業の目算は決して成り立たない筈であった。」

「処で、この云わば宗教的な自由主義は、一変して、云わば 宗教的な 〔 絶対主義 〕に転化するのである。自由主義は宗教意識を仲立ちとすることによって、容易に一種の〔絶対主義〕に、而も一種の政治的〔絶対主義〕に、移行することが出来るのである。宗教は今や政治的〔絶対主義に協力〕し始める。例えば仏教は日本精神の一つの現われだと解釈され始める。カトリック主義さえが法皇の宗教的権威と日本の〔絶対君主とを調和〕させよと主張し始める。日本の〔絶対君主〕が一種の宗教的〔対象〕を意味することなど、もはや少しも問題ではないかのように。――で自由主義埒外へ一歩でも踏み出した宗教意識は、やがて 日本主義 の埒内に収容されるのだ、ということを注目すべきである。」

全体主義近代主義の必然か?近代の作家はファシズムを多かれ少なかれ支持した。ジョイスは例外だったのは植民地主義に反対したからだろう。植民地主義である限り全体主義は不可避である

反時代的精神とはなにか

反時代的精神と呼ばれるものがあるとおもうのですが、前の時代から現在のあり方を批判して現在を相対化することは大切だとおもっています。例えば、明治は自分たちのお陰で江戸にはなかった平等を達成したといいます。そうでしょうか?天皇と貴族と寺社僧侶が支配者であった室町幕府の権門体制を再構成した、新権門体制と言われる明治は、新しい支配者が登場しました。天皇、上流貴族、下級武士、軍人、宗教者、官僚です。明治における差別の量的規模は江戸のそれとは比較になりません。津田左右吉によると、江戸の武士政権は、天皇を京都に隔離して政教分離を実現しましたが、明治は東京に連れてきた天皇に全権力を集中させました。この体制に対する批判は、江戸時代の国家がなかったあり方からしかできません。だから明治は自己を正当化するために、江戸は無価値のゼロだと教えるのです。現代は、江戸時代は民主主義はなかったと見下します。しかし江戸も政治を批判的に語ったのです。たしかに、武士政権の批判は危険なことでしたから、西欧のようには民主主義を実現する方法を具体的に語ることはありませんでした。しかし道徳批判によって厳しく幕府批判を行いました。それは町人も農民も行いました。それによって、明治大正昭和前期にたくさんの思想家が現れました。比べると、戦後は思想家が出てこないと指摘されるところです。いることはいるが、残念ながら、大したことはありません。多分日本における思想のピークは、和辻たちの大正教養主義かもしれません。彼らはドイツに行ってハイデガーと議論できる自分たちこそは西欧の知と対等だと考えます。しかし和辻たちの世代はヨーロッパ語はすごいが漢詩を全く読めなくなったのです。これはアジアにとって何を意味するかですね。中国のコスモロジーの知を持った最後の人は夏目漱石でしょう。しかしアジアを読めなくなった大正と昭和知識人から、近代の超克と言い出して、ヨーロッパ近代を越える思想がアジアにあると語られます。
最後に、反時代的精神とは、前の時代に寄せるノスタルジーではないでしょう。私が考えますに、反時代的精神とは、前の時代の物に見方に権利を与えよとするものです。場合によっては、三木清のように、死に切った過去が最高の文化だと考える反時代精神の思想家もいます。死に切った過去は差異(多様性)だからです。生きているか死んでいるかわからない文化は彼にとって差異ではありません。私は、死に切った文化の一つとして、儒教があると思います。アジア諸国に残っている儒教は日本で消滅しました。だから私はポストモダン孔子みたいなことを喋っています。それはどういう構成でも構わないが家族を否定しないことぐらいしかないのですけれどね。あと、安倍と日本会議が行った解釈改憲公式参拝のような国家祭祀を認めないことですね。

高校時代に入院したとき司馬遼太郎の本を一冊読んだとき、『花神』でしたか、頭が良くなった感じがしたのでした。本当は司馬が一生懸命勉強していたのに自分が勉強したつもりになちゃったのですね。中学生の時代に遡りますが、三島の本は、これを読んだとき、頭が悪くなるだろうと思ったものでした。しかしなにも考えていなかったのは自分ではなくて、ほんとうは三島でした。指摘されるような西欧的ロジックと器用な文章で隠してはいますが、三島は何も考えてはいません。解決をもとめてやまないが、成熟を拒んでいる感じがします。
海外では、今は村上春樹についてですが、大江と三島について聞かれますから、彼等の差異を語らなければいけません。三島というのは、大江の場合のように、作者は自分の考えがあって書いているわけではないことを意識していたのとは違う空白のあり方ですね。私は中学時代に通っていた塾に大江がアルバイトで教えにきたのですが、廊下は見物人で溢れましたが、塾側は気を使って大江の文を用意したのですが、「筆者の考えはどれですか」の設問に彼は不正解でした(笑)。「きみたちね、書き手は考えがあって書いているわけではないんだよ」という弁解をその通りに聞いた私の成績は大江の授業以降、めちゃくちゃに下がり始めたのです。どうも大江は不採用になった感じです。大江は三島のようには成熟を拒んではいませんが、解決というものをを拒んでいます。これが私の考えです

母の短期記憶が怪しくなってきて、自分が枕元に置いたテレビのリモコンなのに、誰かが部屋に領域侵犯してきたと疑う。頭の中に物が無いのだから此方がカッカしても仕方ない。ポストモダンの世の中、何処から来たかのアイデンティティに関する長期記憶よりも短期記憶が大事。それはよくわかる。毎日見ている昔の絵よりも、さっき描いた絵の線の運動を覚えている。性もそうか

私は昨年から神奈川県民になりました。神奈川新聞は中々のものです。蘭学福沢諭吉が横浜では英語が国際語と考えて、英語を勉強したのは面白いですね。岡倉天心も横浜で生まれ育ちましたが。変な話をしますと、もし、英語が神奈川の中心である横浜を作ったと考えることができるならば、神奈川は東京に属さいでしょう。

高橋是清(元首相)も、福澤諭吉啓蒙思想家)も、岡倉天心(日本美術界の開祖)も、横浜開港場で英語を学びました。

横浜は幕末に開港地となって以来,多 数の英米人が居住し貿易・通商などに従事してき た土地であるので,日 本人が英語 を学ぶ必要度は,か な り高かった と思 われます。横 浜は幕末か ら明治初期 にか けて,欧 米の文化輸入の地 とし て歴史 に登場 したが, 同 時 にキ リス ト教導入 の地 として宣教 の足場で もあ りました。宣 教師 ら は伝道事業の一手段 として英語教育に力を注 ぎ,貿 易都市であ る横浜 の地理的条件 と相俟 って多大の効果をあげた と考え られます

文明論とは人の精神発達の議論なり。その趣意は一人の精神発達を論ずるに非ず,天下衆人の精神発達を一体に集めて,その一体の発達を論ずるものなり。故に文明論,或は之を衆心発達論と云うも可なり。蓋し人の世に処するには局処の利害得失に掩われてその所見を誤るもの甚だ多し。習慣の久しきに至ては殆ど天然と人為とを区別すべからず。その天然と思いしもの,果して習慣なることあり。或はその習慣と認めしもの,却て天然なることなきに非ず。この紛擾雑駁の際に就て条理の紊れざるものを求めんとすることなれば,文明の議論亦難しと云うべし。(福沢諭吉)

 

ネット空間は、すぐに「ズレ」ていると言いたいのですね。ズレててもいいじゃないですか。やれやれ、もし全く聞いたことがない話だと思ったら、簡単に相手の根拠を疑わず、どうしてこの人はこんなことを言うのか?先ず、自分の視点の狭さを疑いますけどね、わたしは。もっと広い世界があるかもしれないと。別の見方があるかもしれないと。しかし、辛抱強くわたしに教えてくれた人のように、できるだけ、わたしも広い世界と別の見方を伝える義務があります。


前に書いたのでおなじことを説明することは繰り返しませんが、ワイルドほどジョイスに影響を与えた作家はいないのですよ。この私はワイルドの専門家ではありませんが、アイルランド文学を30年近く勉強していますから、もちろんワイルドの戯曲も読むし芝居も見ています。同じワイルドの芝居を3つ4つの異なる劇団による上演をみました。外国では人気もあるワイルドの芝居を観る機会が多いです。英文学をやっている日本人のワイルド研究者を芝居に連れて行くことも幾度かありました。あたりまえですが、複数の解釈も目を通しています。戯曲はいくらでも自由に解釈できることも説明しておく必要はないと思いますが。我々は少なくとも7通りのジョイス像を持っているように、専門家ではないですが、アカデミズムの3通りぐらいのワイルド像を持っています。ただ、わたしがあなたよりワイルドを知っているかというと、そういう話をしていません。海外にいたので、ワイルドがいかに語られてきたかについてはあなたより知っているかもしれませんが、ワイルドを知っているからと言って彼の文学を理解していると言うつもりもありません。絶対にヒューマニズムではあり得ないとどうしても言わなければいけないあなた独自で培ったワイルド像もあるのでしょう。しかし海外で一番注目されていて発展して行きそうな議論は、ゲール文芸復興運動とアナキズムの切り口で、ジョイスがいかにワイルドの構想から影響を受けて、『ユリシーズ』の一日を書いたかという話ですね。これだけは確かです。植民地主義に都合のいいヒューマニズムは受け入れることはできませんが、師匠の宮田恭子さんーウルフの研究者で『フィネガンズウエイク』の翻訳を行ったーは、ブルームの平和な一日に書くことによって戦争よりも幸せなものを表象させたのが『ユリシーズ』と言ってましたが、なるほど、この指摘のように、植民地獲得の戦争を乗り超えた拡張されたヒューマニズムもあるだろうと思いますがね。これは文学の話題と言うか、わたし含めて日本人が苦手とする文学者の思想形成の問題かもしれません。思想の問題をかんがえれば、ジョイスの中にワイルドを発見できることは可能です。注意深く読めば、ワイルドの中にジョイスが新しく描いた人間を発見することも。

 

一生懸命の近代とは、日本語の起源を探してインドとか遠くに行って調べるのである。ポストモダンは一生懸命やらない。不可避の他者の卑近を考える。日本語の成り立ちは漢字である

 

どなたか興味もってくださいますか?

どうも中国蔑視は福沢諭吉が犯人ですね。中津藩にいたときは朱子学を勉強していますが。この問題を考える時に、歴史小説だと頭が硬くなっちゃうんで、諭吉は髪の毛がどんどん伸びてしまって少女みたいに人形遊びしていたら、人形の世界(西欧)にまぎれこんじゃったというようなファンタジーみたいに読んでいただければと思うのですけどね。裕福だったわたしのお爺さんが慶応幼稚舎にいたらしいのですが、福沢諭吉が教えていたとはとても想像できないんですけどね。授業の様子も勝手に書いてしまえですね。安倍がはじめたことですが、今日アジア諸国の間に起きている負の互酬のような憎しみの連鎖が起きないようにどうすればいいかを教える福沢先生ですね。北アイルランドの学校みたいですけど。1980年代から福沢諭吉は中国で大変受けているらしいですよ

 

古事記』とは何か?

古事記』とは何かというと、先ず問題となってくるのは、8世紀に書かれたというのが、誰から承認されたものではなくて、『古事記』の自己自身がそう書いているような自己証明しかないわけです。『日本書紀』は中国知識人と朝鮮知識人と彼らが育てた日本知識人の共同作業で出来上がっていて(どの文は誰に書かれたかは実証的に解明されています)、まあ中国語と言えるでしょうが、比べると、『古事記』は変な中国語なのですね。宣長は『古事記』は古代日本語でなければいけないのですが、『古事記』は漢字しか書いていません。漢字の裏側には、やはり漢字しか存在しないでしょう(ベラスケスの侍女の部屋と同じです。鏡の裏側にはそれを見ている絵の人物たちしかいません。)。『古事記』は文学でし、色々解釈されて歪んだ神話を正すという目的もあって、書かれたようですが、その場合、天皇が口承によって語り聞かされたことが大切なのか、それとも天皇と、詔により阿礼(女官?)の誦するところを太安万侶(1000の太安万侶、日本化した中国知識人たち)が筆録したことが大切なのかは、思想の違いによります。現在の口語訳を行う学者は、『古事記』が連綿と語り伝えられたと言います(声の力によって神話が神から天皇に語り伝えられたように)。まあ、はっきり言ってファショ的生命観ですね。近代というのは、自己を遠い過去において見るのですね。生命を、死を超える連続性ととらえるわけです。媒介するのは声の力です。しかしこう理解しては、不可避の他者としての漢字の意義が亡くなってしまうわけです。漢字は声の音を代理するだけにものです(漢字借り物論)。われわれは複数形の太安万侶が書いたと理解します。『古事記』は語り伝えられることなく、本居宣長によって発見されたと考えます。デリダ的です。漢字は代理だからこそ、本源的なものでないからこそ、意義深いのです。

 

 

アムステルダムの歩道には殺されたユダヤ人の名前を刻んだ「躓きの石」が埋められている。私も見た。東京の歩道に都知事が否定している虐殺された朝鮮人の名を刻んだ石を置こう

 

 

日本文化の本質は何か?室町文化安土桃山文化享保文化、元禄文化化政文化。共通するものは何か?言語ゲーム的類似性のネットワークにおいて考えてみよう思うが、知識不足で無理だ。
例えば、利休の草庵露地の理念から池大雅や契沖へに至る歴史を見ると、無限に豊かになっていくものと無限に貧しくなっていくものとが媒介なく結びついていた美が、ゲームの規則が変わって、抽象的なものと具象的なものとが無媒介に結びつくあり方をもつ。

 

 

Everything and more

果てがないことに、それ自身を加えると、果てがなくなります。ノートルダム寺院などのゴシック建築の高さはそんな感じですね。果てのない高さは精神における加法によるものではないでしょうか。
さてヴェラスケスの絵についてですが、無限についていま述べたことを前提にしていたとおもわれます。新しいことは何だったかというと、当時は世界は類似するもの同士で成り立っていると考えられていました。絵の人物達の眼は皆似ています。画布と窓枠は似ています。われわれと画家が見ているこの絵と類似しているものが画布にあるはずですが、われわれは画布の裏側しか見えません。つまりこれは、類似なきイメージの純粋イメージだといえるものとして構成されています。類似するものー類似されるもののイメージの体系から自立したという意味で純粋なイメージなのですね。

 

近代は意味の体系が問題となってきます。意味するものと意味されるものとの関係ですね。この関係は錯綜しています。意味されたものが意味するものとなります。記号論として構成されるものを支えるのが空白です。意味されることがない意味です。記号論を超えると言われる人類学的構造論もこの空白を考えます。例えば天皇のような文化権力に政治権力を与えると(明治維新)、空虚としての中心である天皇が成立することになりました。それは現人神の存在ですね。意味を問わせない存在です。われわれは包摂してくるこの中心から逃れることができません。例えば安倍政権は仮名の元号を『万葉集』からとりたかったのです。漢字の元号だと意味がわかるが、仮名だと意味がわからないのです。そうしてわれわれは意味のないものに思考できなくなってくるわけですね。しかし結局「令和」になりました。これは曖昧ですが、漢字の表意性を保っています。安倍のおもいとおりにはいきません。

 

ここらへんはフーコ『言葉と物』を読んでください

 

福沢諭吉とはだれか

「今の世の中に宗教は不徳を防ぐ為めの犬猫の 如し。一日も人間世界に缺く可らざるものなり」(福沢諭吉)
必要があれば宗教は「犬猫」(あるいはマルクスが言ったアヘン)の同じように役に立つし、なければ役に立たないということか?啓蒙主義者・福沢の無神論はヨーロッパ啓蒙主義者の無神論あるいはヘーゲル左派のフォイエルバッハ無神論にちかいのか?ちなみに、福沢は「徳」よりも「智」(慧)を重んじたのは、まだ靖國神社は無かったが、「徳」の靖國化(民衆の安心)を恐れてのことであったとする説がある。「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」(福沢諭吉)。つまり、「智」のほうが、後期水戸学の政治神学の道徳化ー国民道徳論ーとか、戦争神社である靖國神社の「徳」より大切だと彼は考えたであろう。
福沢諭吉について最初に言っておかなければいけないことは、彼の思想形成の最初にきたのは白石昭山である。中津時代の福沢は陽明学と徂徠派の学者から学んだ。儒学が先行したのである。平等を語る思想はどこにあったか。平等を語る思想は華厳教などアジアの思想にあった。しかしヨーロッパのように平等を実現する方法が語られることはなかった。福沢は横浜に来てオランダ語が通じないことを知って英語を学ぶ。植民地の国々の人々が生活のために母国語を捨てるあり方と同じである。
ミルと共に、福沢が尊敬したグラッドストーンは、アイルランド自治と選挙権を訴え、また西欧列強の中国の植民地化に抗議した人物である。
福沢は大阪へ行って適塾蘭学を学ぶ。彼はそれについては書いていないが、福沢の無信仰は、懐徳堂の無鬼神論の言説の影響も考えられることである。福沢にとってオランダは何であったか。福沢はオランダ語の存在で何を表象したか?
今日オランダの運河を見ると、リベラルのエンジニアリングのことを思う。運河にはどんなものが入ってくるかはわからないが、先ずは他者を信頼すること、そうでなければ運河は成り立たないのである。アムステルダムは天理人道の運河化である。福沢はこう言う。「天理人道に従って互いの交わりを結び、理のためにはアフリカの黒奴にも恐入り、道のためにはイギリス、アメリカの軍艦をも恐れ ず」[『学問のすすめ』)

儒教の天・地・人の表象が、ヨーロッパ語の存在と共にある運河の表象に置き換えられて、他者と交通する人間が登場するとき、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と語られることになった

 

 

相手から殴られたとき、カーッとなって殴り返して良いのか?

これは、映画で観た北アイルランドの哲学学校における共同討議の議題です。この討論がいかに大切かは、アイルランドに住んでいなければわからないかもしれないです。思い出すのですが、わたしがいたときは毎朝、プロテスタント派とカトリック派の間の抗争で被害者のことがニュースで流れてました。この憎しみの連鎖に、どーんと遣る瀬無くなるのです。毎日無力感にとらわれます。日本人にはわからないことでしょうか。そうとは思いません。日本近代の幕開けの舞台に、憎しみの連鎖が存在したのです。佐幕派横井小楠武装した攘夷の薩長を私闘と呼んだのです。長州はイギリス艦隊に砲撃したのです。そうやって長州がイギリスを攻撃したら、イギリスも長州に攻撃するでしょう。長州の子孫である、安倍晋三がはじめて、アジアを席巻しているヘイトスピーチも同じであると言えます。各国の首脳は言われたら言い返せとばかり、ヘイトスピーチの政治で国内の支持率を獲得する始末です。これはマイナスのご互酬と呼べる憎しみの連鎖です。こういう憎しみの連鎖については子供は考えることができます。わたしのネット小説福沢諭吉では、彼は子供に対して哲学的に考える考え方を教えるべきだったと物語る構想です。

柄谷行人の探究ー「語るー聞く」と「教えるー学ぶ」の非対称性ーとは何か?

私は説明できるか分かりませんが、こう思っています。『古事記』の序文を読むと、天皇が「語るー聞く」関係の中で語り伝えたのがこの神話だということになっています。ここでは天皇の「語るー聞く」のおかげで『古事記』が成り立ったというふうに序文は語っています。しかし他方で、太安万侶(多分1000人居た)が稗田阿礼の口承を参考にして書いたことも記されています。中国知識人と朝鮮知識人と彼等が育てた日本知識人が『日本書紀』を書いたのですが、やはり太安万侶は彼等に育てられた知識人だったとおもわれます。漢字は不可避の他者でした。漢字を「教えるー学ぶ」の太安万侶のおかげで『古事記』は成立したのです。
「語るー聞く」は、文革のスローガンのように、共通のルールを持った人々の中にあって自分に向かって自分に対する関係においてあるものだと思います。他方で、「教えるー学ぶ」は、ルールがないから教えなければいけない他者のことを前提にしているのではないでしょうか。私は、『古事記』は、「教えるー学ぶ」だったのではないかと考えます。古代日本は天皇が統治する前は分裂していたのです。漢字を不可避の他者とした漢字知識人の「教えるー学ぶ」だった関係を隠蔽して、天皇の「語るー聞く」を示したのが『古事記』の序文だったのではないでしょうか?

 

 

日本人の間にしか通じない言葉が存在するか?

哲学は翻訳の奥の深さをどう考えるのかは、一考の価値があります。翻訳不可能なものもあきらにあります。ただし、日本人の間にしか通じない(理解できない)文化的言語が存在することをはっきりと認めてしまうのは、ナショナルな固有性と本質に基づく主張であって、自国文化優位主義を導く危険なファショ的言説なので、私はみとめませんよ。ポストモダン的には、翻訳が先行するのです。その言語観は特別の境界を認めないものです。あえて理念的に考える必要がありますが、翻訳が母国語に先行するのは、柄谷において交換が生産に先行すると主張されるのと全くおなじです

 

 

 

 

 

フーコカフェーポストモダン的表象について

 

不条理が、列挙された物の分けられる場所である<なかで>を不可能にすることによって、列挙をささえる<と>を崩壊させてしまう。ーフーコ『言葉と物』序(渡辺一民訳)
L’absurde ruine le et de l’énumération en frappant d’impossibilité le en où se répartiraient les choses énumères.ーFoucault 
Absurdity destroys the and of the enumeration by making impossible the in where the things enumerated would be divided up. ーFoucault

No.1 フーコは何を問うたか

No.2 フーコは何を問うたか

No.3フーコは何を問うたか

フーコを読み解くキーワードは表象です。例えば貨幣は富の表象であると言われます。渡辺一民の説明をひきましょう。
表象représentationは、本質的に両義的な語であり、代名動詞=représenterに対応するものとして用いられるか、他動詞に対応するものとして用いられるかによって、意味を異にする。
1、代名動詞=représenterは、何ももかを意識内に「思い描く」の意味であり、この場合「表象」とは、「思い描く行為」あるいはその結果としての意識内容を指す。観念、心像などが「表象」と呼ばれるのは、この意味においてである。
2、他動詞représenterはさまざまな訳語がつけられるが、その中心にあるのは他の物の「かわりになる」という観念にほかならない、画家が実物を、記号が観念を、貨幣が富を、représenterするといえば「あらわす」の意であるし、交換においてある商品が他の商品をreprésenterするといえば「あらわす」の意であるし、「等価物として置換される」の意であり、特徴(カラクテール)が生物をreprésenterするといえば、生物も名としてその生物全体を「代表する」の意であるが、いずれの場合にも「代替」の観念が含まれているのに注意されたい。名詞representationは、動詞のこの意味あいに応じて、「かわりになる桃」、「かわりになること」、「物とその代替ものとの関係」などを指すわけである。

No.4フーコは何を問うたのか

ポストモダン孔子」とは何か説明してくれという声があるようなので、「ポストモダン孔子」のコンセントを提唱した子安宣邦氏の伊藤仁斎について書いた研究を知っていただくのが一番良いかと思います。子安氏もフーコ『言葉と物』を読みました。仁斎は朱子学脱構築した古学を打ち立てました。No.4で「表象」représentationについて簡単ですが説明しましたので、仁斎の場合は何を表象したのか考えます。市井の学者仁斎は道とは路であると語りましたが、道は人々の往来によって表象されたのですね。また仁斎の「路」は朱子のテクストに書かれてあった「道」字から表象されているものでもあるわけですね。仁斎が新しかったのは、「表象」による思考をはじめたことです。

「仁斎学講義』が出版されたときの子安氏の言葉を紹介します。

『仁斎学講義』が刊行されました。この書は仁斎の主著『語孟字義』の解読からなるものです。『語孟字義』とは、仁斎が「論語孟子」という思想的血脈によって「天」や「道」や「理」や「徳」などの諸概念を根底的に読み直し、朱子学的思弁体系から解放し、「人倫の学」的概念として再構成していった書です。それはわれわれの天地観、人間観を導き出そうとするラジカルな思想的転換作業です。17世紀日本でなされた仁斎古義学という大きな思想作業の実際を、読者諸兄姉がこの書によって直ちに体験してくださることを切に願っております。

伊藤仁斎がいう「生生一元的世界」とはなにか?

以下は、「仁斎学講義」からの引用です。

仁斎は、宇宙論的な始源を前提にした朱子形而上学的な宇宙観に、運動一元論的な宇宙観を対置した。それを仁斎は「天地の間は一元気のみ」といったのである。天地間にあるのは、一陰一陽というように対をなして展開される一つの運動体的(一元気的)世界であって、陰陽の二契機からなる二元的な世界ではない。天地を一つの運動体として見る仁斎の宇宙観は、生生一元的宇宙観としても表現される。生とは仁斎にあって死をともなって、生死・終始・静動・善悪などといった対概念を構成する一方の契機ではない。生生とは運動体としての天地の根本的な規定である。天地とは一元気であり、それは生生的だということである。 ー p.65、天地は生生して已まず、第二章「孔子の道」の古義学的刷新 (第一講「天道」)

「命」字に実字と虚字があるという仁斎は、その語学的な指摘によって朱子における流行的天と主宰的天との同一化を批判する。「天命之謂性(天の命ずる、これを性と謂う)」という「中庸」のテーゼによって朱子は天道の流行による万物化生の過程をいい、同時にそれは天理の万物の性における必然的な分有の過程であることをいうのである。この朱子の解釈的な言説にあって、天は天理として宇宙生成論的な体系のなかに内在していく。天は宇宙生成(流行)論的言語をもって語られていくとともに、その天は天理としてその体系に内在し、天命の性をめぐる性理学的言語をも可能にしていくのである。天は決してこの宇宙論的体系の外に、それを語る言語体系の外に、語りえない超越性をもって存在するわけではない。天が理として宇宙論的言語体系に内在していくところでは、人は天に直面することもないし、仰ぎ見ることもない。仁斎は天に直面するのである。人生の上に天命としてある帰結をもたらす天に仁斎は直面するのである。孔子もまた天に直面していた。「罪を天に得れば禱るところなし」といい、「噫、天予れを滅ぼせり」と嘆き、「我を知るものは其れ天か」という孔子はあきらかに天を仰ぎ見ていた。仁斎はこの孔子の天を再発見しているのである。この再発見は、朱子宇宙論的な言語のなかにある天を、そこから引き離すことによってである。「語孟字義」の「天命」章で仁斎がしているのは、この天の朱子学的言語体系からの引き離し作業である。 ここで確認しておきたいのは、仁斎の倫理思想とは仰ぎ見る天をもった思想だということである。仁斎の思想も言語も、天への究極的な信に立ったものだということである。彼は決してこれを直接に語ることはない。「論語」からの孔子の立場を読み出すことを通してしか仁斎は語らない。 ー p.91、天に直面する仁斎、第二章「孔子の道」の古義学的刷新 (第二講「天道」)

No.5フーコは何を問うたのか

フーコは『言葉と物』における冒頭の書き出しの多くの問題提起を最後まで貫いているでしょうか。わたしは貫いていると思います。西欧絵画史の外部性を思想史に介入させたのです。しかし多くのフーコ研究者は第9章、第10章を読むときはヴェラスケスの絵画を思い浮かべることはありません。どうしてでしょうか?

「画家は顔を心もちまわし、頭を肩のほうに傾げて見つめている。目に見えぬ一点を凝視しているのだ。けれどもわれわれ鑑賞者には、それが何か容易に指摘することができる。そも一点こそ、われわれ自身、われわれの身体であり、われわれの顔であり、われわれの眼であるからだ。彼の観察している光景は、だから二重の意味で見えないのである。つまりそれは、絵の空間のなかに表象されていないからであり、またそれは、正確にはあの死角、見つめているときわれわれの視線がわれわれ自身に隠されてしまう、あの本質的な隠れ場に位置しているからである。だが、われわれの目の前にあるこのような不可視なものを、どうしてわれわれは見ないですますことができるだろうか。絵そのものの中に感覚に訴えるその等価物、封印されたその形象があるというのに(『言葉と物』p.28)

Le peintre regards, le visage légèrment tourné et la tête penchée vets l’epaule. I’ll fixe un point invisible, mais que nous, les spectateurs, nous pouvons aisément assigner puisque ce point, c’est nous-même; notre corps, notre visage, nos yeux. Le spectacle qu’il observe est don’t deux fois invisible: puisqu’il n’est pas représenté dans l’espace du tableau, et puisqu’il se situe précisément en ce point aveugle, en cette cache essentialle où se dérobe pour nous-mêmes notre regard au moment où nous regardon. Et pourtant , cette invisibilité , comment pourrions -nous éviter de la voir , là sous nos yeux, puisqu’elle a dans le tableau lui-même son sensible équivalent,sa  figure scellée?

https://youtu.be/7FBZodA4rQc

 

No.6フーコは何を問うたのか

このような無関心に匹敵するものとしては、鏡のそれがあるばかりだと認めなければなるまい。事実鏡は、それと同じ空間にあるものは何も、それに画家を向けている画家も、部屋の真ん中にいる人物達も、何一つ映してはいない。それがその明るい深みに映しているのは、目に見えるものではない。オランダ絵画では、鏡が二重化の役割を果たすという伝統がある。つまり鏡は、絵の中にひとたび与えられたものを、変様され、縮小され、たわめられた非現実の空間の内部で反復するわけだ。こうして鏡のなかに、絵の第一審の場におけるとおなじものが、別の法則にしたがって分解され再合成されたかたちで見出されることになる。だが、ここでは、かがみはすでに語られたことについては何も語ってはいない。でもその位置はほとんど真ん中にある。つまり、鏡の上の縁は正確に絵の高さをニ分割する線と重なりあっており、しかも背景の壁の中央の位置うぃ占めている。だから鏡は、絵そのものと同じパースペクティブを示す線によってつらぬかれているのに違いない。だれしも、おなじアトリエ、おなじ画家、おなじ画布が、鏡のなかの同一の空間にしたがってならべられることを期待するであろう。それは完全な模像となるはずなのである。
とはいえ、この鏡は、絵そのものが表象するどのようなものも見せてはくれない。その不動の視線は、絵の手前、その外部にある正面を形づくる、とうぜん目には見えぬあの領域に、配置されている人物をとらえようとするのである。つまりこの鏡は、目に見える対象のまわりをまわるかわりに、そこで補足しうるものを無視して表象の場全体を横切り、あらゆる視線の外にあるものに対して可視性を回復させてやるのだ。
(フーコ第一章侍女たち)

Dans la peinture hollandaise,
I’ll était de tradition que les mirrors jouent in rôle de redoublement : ils répétaient ce qui était donné une première fois dans le tableau, mais à l’intérieur d’un espace irréal, modifié, rétréci,recourbé. On y voyait la même chose que dans la primière instance du tableau, mais décomposée et recomposée Selina une auger loi. 
Ici le mirror me fit rien de ce qui a été deja dit. Sa position pourtant est à peu près central: son bird supérieur est exactment sur ligne qui partage en deux la hauteur du tableau, I’ll occupe sur le mur du fond une position médiane; Il devrait donc être traversé par les même lignes perspective que le tableau lui-même; on pourrait s’attendre qu’il même atelier, un même peintre, une même toile se disposer en lui seldom espace indentique; Il pourrait être le double parfait.
Or, Il ne fair rien voir de ce que le tableau lui-même représente. Son regard immobile va saisir au-deviant du tableau, dans cette région nécessairement invisible qui en form la face extériure, les personages qui y don’t disposés. Au lieu de tourner autour des objets visible,  ce mirror traverse tout le champ de la représentation , négligeant ce qu’il pourrait y captor, et restitute la visibilité à ce qui demeure hors de tout regard. 
Foucault 

・No.5では、絵は絵の中で鑑賞者の存在を表象しなかった。ここでは鏡が鑑賞者のひとりであるモデルの王を表象する。王を可視化する。

下はピカソのスケッチ

No.7フーコは何を問うたのか

アメリカ人研究者は徳川日本という言い方をする。徳川日本とか明治日本と言えばいいのに、どの時代も日本と呼んでしまうのは貧しいかもしれない。「天命」と「孝」と「敬」と「物哀」が徳川日本の言説空間に書かれる。「人民」(福沢諭吉)と精神主義」(清澤満之)と「「天命の自由と人義の自由」(中江兆民)と「東洋の理想」(岡倉天心)が明治日本の言説空間に書かれる。

<混在なもの>は不安をあたえずにはおかない。むろん、それがひそかに言語(ランガージュ)を掘りくずし、これ<と>あれを名づけることを防げ、共通の名を砕き、もしくはもつれさせ、あらかじめ「統辞法」を崩壊させてしまうからだ。断っておくが、「統辞法」というのは、たんに文を構成する統辞法のことばかりではないー語と物とを「ともにささえる」(ならべ向き合わせる)、それほど明確ではない統辞法をも含んでいる。(フーコ) 

Les hétérotopies inquiètent, sans doubt parce qu'elles minent secrètement le language, parce qu'elle empêchent de nommer ceci et cela, parce qu'elles brisent les noms communs ou les enchevêtrent, parce qu'elles ruinent d'avance la <syntaxe>, et pas seulement celle qui construit les phrases, ー celle moins manifeste qui fait < tenir ensemble> ( à côté et en face les uns des autres) les mots et les choses.  ー Foucault

Heterotopias are disturbing , probably because they secretly undermine language, because they make it impossible to name this and that, because they shatter or tangle common names, because they destroy’syntax’ in advance, and not only the syntax with which we construct sentences but also that less apparent syntax which causes words and things( next to and also opposite one another) ー Foucault

No.8フーコカフェ

絵は右端のところで、寸のつまったパースペクティブにしたがって表象されている窓から、光を受けている。見えるのはほとんどその窪みだけだ。だからその窪みが大きくひろげているその光の流れは、交叉しているとはいえ、ひとつには還元しえぬ二つの隣りあった空間を、おなじような豊かさをもって同時にうるおすのである。画布の表面とそれが表象している立体的空間(すなわち画家のアトリエ、あるいは彼が画架をおいたサロン)、そしてそこ表面よりも手前の、鑑賞者の占めている現実の立体的空間(あるいはモデルのいる非現実の座)をだ。そうして右手から左へとわたりながら、金色の幅広い光は、鑑賞者を画家の方へ、モデルを画布のほうへ同時に押し流していく。画家を照らしながら彼を鑑賞者に見えるようにするのも、モデルの像が移されて閉じこまれる謎の画面の枠を、モデルの眼におびただしい金色の線として輝かせるのも、またその光なのである。端にあり、かろうじて指示されぬに過ぎぬ、部分的にしか見えないこの窓は、表象にとって、共通の場所として役立っている。分断されることなく二重働く明るさを解き放つわけだ。それは絵のもう一方も端の、目に見えぬ画面と釣りあっている。その画面は、鑑賞者に背を向けながら、自らを形象してくれる絵にたいして折り重なり、支えてくれる絵の表面に自らの可視的な裏側を重ね合わせて、<イメージ>のなかの<イメージ>の煌めく、われわれが近づきえぬ場所を形づくる。それとおなじように、純粋な光ともいえる窓は画布の空間が隠されているのとおなじ程度に明るい、画布の空間が孤立している(誰も、画家さえもそれを見ないのだから)のと同じ程度に画家、描かれた人物たち、モデル、鑑賞者に共通する、ひとつの空間を創り出しているのである。フーコ

A l’extrême droit, le tableau reçoit sa lumière d’une fenêtre représentér demon unr perspective très courte; on n’en voit guère que l’embrasure.;soi bien air le flux de lumière qu’elle répand largement baigne à la fois, d’une même générosité, deux espaces cousins, entrecroisés, mais irréductibles: la surface de la toile, avec le volume qu’elle représente(c’est-à-dire l’ateiller du peintre, où le salon dans lequel I’ll a installé son chevant) , et en avant- de cette surface le volume réel qu’occupe le spectateur(où encore le site iréel du modèle).
Et parcourant la pièce de droit à gauche , la vast lumière dorée emporte à la fois le spectateur Vera le peintre , et le modèle vers la toile; c’est elle aussi qui en éclairant le peintre, le rend visible au spectateur et fair briller come autant de lignes d’or aux yeux du modèle le cadre de la toile énigmatique où son image , transportér, va de trouser enclose. Cette fenêtre extrême, partielle, à peine indiqée, libère un jour entier et mixte qui sert de lieu commun à la représentation.
Elle équilibre , à l’autre bout du tableau, la toile invisible: tout comme cell-ci , en tournant le dois aux spectateurs, se replie contre le tableau qui représente et form, par la superposition de son envers visible sur la surface du tableau porteur , le lieu, pour nous inaccessible, òu scintille l’Image par excellence, de la même la fenêtre , pure ouverture , instaure un espaceaussi manifests que l’autre est celé: ainsi commun au peintre, aux personages, aux modèles, aux spectateurs, que l’autre est solitaire (car nil ne le regatde, pas même le peintre).

・『ラス・メニーナス』はピカソによって再構成されている。幾つもの作品がある。ピカソは仮面に大きな関心をもっていて、『ラス・メニーナス』は仮面だったのではないかとする説があるほどだ。仮面は外部の敵から受ける損傷に対して、共同体が住処とする身体をまもっている。

下はピカソのスケッチ

No.9フーコカフェ

‪「博物学が生物学となり、富の分析が経済学となり、なかんずく言語(ランガージュ)についての反省が文献学となり、存在と表象がそこに共通の場を見いだしたあの古典主義時代の<言説(デイスクール)>が消えたとき、こうして考古学的変動の深層における運動のなかで、人間は、知にとっての客体であるとともに認識する主体でもある、その両義的立場をもってあらわれる。従順な至上のもの、見られる鑑賞者としての人間は、『侍女たち』があらかじめ指定しておいたとはいえ、長いことそこから人間の実際の現前が排除されていた、あの<王>の場所に姿を見せるのだ。それはあたかもベラスケスの総全体がそのほうを向いているのにもかかわらず、その絵が鏡の偶然によってちょうど無断侵入とでもいったように反映しているのにすぎぬ、あの空虚な空間のなかで、これまでそれぞれの交替とか絡みあいとか散光といったことが推測されきたあらゆる形象(モデル、画家、王、鑑賞者)が、突然、その知覚しえぬ舞踏を止め、充足したひとつの形象のなかに凝固し、ついに肉体をそなえた視線に表象の全空間が関係づけられることを要請するにいたったかのようなのである」‬
‪フーコ『言葉と物』第九章 人間とその分身3
(渡辺一民訳)

Lorsque l’histoires naturelle devient biologie, lorsque l’analyse does richesses devient économie, lorsque surtout la réflexion sur le languge se fair philosophie et que s’efface ce discours classique où l’êtte et la représentatition trouvaient leur  lieu commun, alors,
dans le mouvement profond d’une telle mutation archéologique, l’homme apparait avec sa position ambigué d’objet pour un savior et de sujet qui connait: souverain soumis, spectateur regardé, is surgit là, en cette place du Roi, que lui assignaient par avance les Ménines, mais d’ou longtemps sa présance réelle fut exclude. 
Comme si, en cet espace vacant vers lequel était tourné tout le tableau de Vélasquez,, mais qui’il be reflétait poutant que par le hazard d’un miroir et comme par refraction, touted les figures don’t on soupçonnait l’alternance, l’exclusion réciproque, l’ entrelacs et le papillotement ( le modèle, le peintre, le roi, le spectateur) cessaient tout à coup leur imperceptible danse, se figeaient en une  air travel en figure plein, et exigeaient  que fût enfin rapporté à in regard de chair tout l’espace de la représentation.
Foucault 

・『言葉と物』は、『侍女たち』からフーコは書かなければいけなかった必然がありました。表象とは何かを考えるためです。人間は有限な自己を認識しなければいけません。表象と有限性の相互作用を考えるために、『侍女たち』から書き始めることが大切でした

・モデルであった王の位置に、先験ー経験二重体である人間がたつ。人間は鑑賞者たちから登場するが、その鑑賞者たちの姿は見えない。人間はどこにいるのか?人間とはわれわれ自身のことなのだ。フーコは巧みに書いている。

・画布は襞における運動として捉えられているのですが、これはバロック音楽的というか、秩序を探る暗闇の世界の底にある魂の底部を、自由な肉体のリズムすなわちあらゆる形象(モデル、画家、王、鑑賞者)の知覚しえぬ舞踏」と共に、成立させていました。しかしここで、
「あらゆる形象(モデル、画家、王、鑑賞者)が、突然、その知覚しえぬ舞踏を止め、充足したひとつの形象のなかに凝固し、ついに肉体をそなえた視線に表象の全空間が関係づけられることを要請するにいたったかのようなのである」

・このフランス語のフーコ『言葉と物』の表象デザインは、あえて画家よ画布を取り除くように枠が再構成されている

 

 

No.10 フーコカフェ

しかし、絵の奥から場面の前景へもう一度降りて来なければならない。螺旋状にまわってきた絵の外縁に別れを告げなければいけない。左手にある、ずれて中心といったものを構成する画家の視線から出発して認められるのは、まず画布の裏側、ついで真ん中に鏡のあるの壁にかかった絵、それから開いた戸口、極端に斜めの角度から見るため厚みのある額縁しか見えない別のいくつかの絵、そして最後に窓、というよりは
むしろ光がそこから溢れて出てくる窪みである。こうした渦巻き状貝殻を象る一巡は、表象関係全体のサイクルを示してくれるわけだ。すなわち、視線、パレットと画筆、記号(シーニュ)で汚されていない画布(これらは表象の物質的道具である)、幾つものの絵、反映、実在する男(ここで表象関係は完成されるのだが、それは、錯覚を起こさせるものにせよ、まことのものにせよ、その男ち並べられる表象の諸内容から解放されたかのようである)、というように。ついで表象関係はほどけてしまう。そこに見えるものはもはやいくつもこ額縁とその光にすぎない。その光は外部からいくつもの絵を浸し、それがあたかもよそから絵の暗い木製の額縁を超えてきたかのように、それらの絵によって絵の固有の形相として再構成されなければならない。そして光は、事実この絵の全体の中で、額縁の隙間から湧き出してくるように見えるのである。そして、片手にパレット、もう一方の手に細い画筆をもった画家の額、頬骨、眼、視線と、光は再びつながっていく...。このようにこの螺旋状が閉ざされる。というよりむしろ、この光によってそれは開かれるもだ。(渡辺訳)

・均衡から不均衡へ、不均衡から均衡へと螺旋状に運動する視線の運動を表象する

Et cette lumière, on la voir en effet sur le tableau qui semble soudre dans l’interstice du cadre; et de là elle rejoint le front, les pommetés, les trad, le regard du peintre qui tient d’une main la palette, de l’autre le fin pinceau…Ainsi se ferme la volute. ou plutôt , par cette lumière, elle s’ouvre. 

 

No.11フーコカフェーポストモダン的表象

いま開かれたのは、もはや画面の奥におけるように引きあけられた扉ではない。絵の幅そのものである。そしてそこを過ぎる視線は彼方の訪問者のものではない。絵の前景と中景を占める一帯はー画家まで含めるとすればー八人の人物を表象している。彼らのうち五人は、頭をおおかれすくなけれ傾げ、振り向き、またかがみ、絵に対して垂直の方向を見つめている。この一群の中心を占めるのが、灰色と薔薇色のゆったりとした衣裳をつけた小さな姫君である。王女は顔を絵の右の方に回しているが、彼女の上半身と衣裳の大きな襞は心もち左側に流れている。けれども視線はしっかりと、絵の正面にいる鑑賞者の方向に向けられる。フーコ

Cette ouverture, ce n’est plus comme dans le fond, une porte qu’on a tireé; c’est la largeur même du tableau, et les regards qui y passent ne sont pas d’un visiteur lointain. La frise qui occupe le primiere et le second plan du tableau représente, ーsi on y comprend le peinture ーhuit personages. Cinq d’entre eux, la tête plus ou moins inclinée, tournée ou penchée, regardent à la perpendiculaire du tableau. Le centre du groups est occupé par la petite infante, avec son ample robe grise et rose. La princesse tourne la tête vers la droit du tableau, alors son buste et les grands volants de la robe fuient fuient légèrement vers la gauche; mais le grande se dirige bien d’aplomb dans la direction du spectateur qui se trouve en face du tableau. 

 

・視線を表象している絵

No.12フーコカフェ

「画家の視線、パレット、休止した手から、描きあげられたいくつもの絵まで、アトリエの周囲をまわる大きな螺旋運動の中で、表象関係が生まれ、完成され、再び光の中に解消する。こうしてサイクルが完成される。それにたいして、絵の奥行きをよこぎるいく本もの線は不完全なまま止まる。それらすべてに、行路の一部が欠けているからだ。このような欠落は王の不在ーその不在こそ画家の詭計であるのだがーのせいであろう。しかしこの詭計は、一個の直接的空位、絵を見つめ、あるいは制作するときの、画家と鑑賞者の空位を、覆い隠すと共に指示するものにほかならない。それはおそらく、この絵のなかでも、この絵がいわばその本質を明らかにしているあらゆる表象関係におけると同様、見えているものの底知れぬ不可能性がー鏡や反映や模倣や肖像にもかかわらずー見る人の不可能性と固くむすびあっているということであろう。なるほど、場面の周りには表象関係の多くの記号(シーニュ)とその継起する諸形態が分配されてはいる。けれどもそのモデル、その至上なる君主にたいする、表象の二重の関係というもものは、かならず断ち切れているのだ。たとえそれ自身を光景として示されるような表象のうちにあってさえも、そのような関係があますところなく現前することは決してあり得ない。場面を横切り、虚構のうえでそれと()ち、それらの手前に投射する奥行きのなかで、表象する巨匠と表象される君主とを、まことに幸運にもイメージがあまねく光のなかに差し出しことなど、決して可能ではないのである。

おそらくこのベラスケスの絵のなかには、古典主義時代における表象関係の表象のようなもも、そしてそうした表象の開く空間の定義があると言えるだろう。事実その表象hs、そのあらゆる要素において、すなわち、そのイメージ、それが身を晒している視線、それが目に見えるものとしている香り、それを生み出している動作と共に、自己をこの絵のなかで表象しようと企てているのだ。だがそこでは、表象がその全体を結集すると共に展覧する、こうした分散状態のなかで、至るところから厳然としてひとつの本質的な空白が指し示される。その空白こそ、表象を基礎づけるものの消滅ー表象がそれに類似する者と、その眼には表象が類似物に過ぎぬところの者との、必然的な消滅にほかならない。この主体そのものーそれは同じひとつのものであるーが省かれているのだ。そして自分を鎖で繋いでいたあの関係からついに自由となって、表象は純粋な表象関係として示されることができるわけである。

・鑑賞者のは映すことに無関心な鏡を眺めている。奇妙なことに、鏡は部屋の中に置かれているのに、部屋の中を映さず、部屋の外にいる人々を映している鏡。これは窓か。しかし窓は殆ど描かれていない。窪みから溢れる光だけだ。

・鑑賞者のわれわれは画布の前で、その裏側と鏡を見て部屋全体を描く画家を見ている。自己と類似しているもの全てが空白に消滅している。この自由で純粋な表象を嘲笑う者はだれか?

No.13フーコカフェー ポストモダン的表象

十六世紀末までの西欧文化においては、類似というものが知を構築する八鍬を演じてきた。テクストの釈義や解釈の大半を方向づけていたのも類似なら、象徴の働きを組織化し、目に見える物、目に見えぬ物の認識を可能にし、それらを表象する技術の指針となっていたのもやはり類似である。世界はそれ自身のまわり巻きついていた。大地は空を写し、人の顔が星に反映し、 草はその茎のなかに人間に役立つ秘密を宿していた。絵画は空間の模倣であった。そして表象はー祝祭であるにせよ知であるにせよーつねに何かものかの模写にほかならなかった。人生の劇場、あるいは世界に鏡であること、それがあらゆる言語(ランガージュ)の資格であり、言語(ランガージュ)が自らの身分を告げ、語る権利を定式化する際のやり方だったのである。ー第二章世界の散文、フーコ『言葉と物』

No.16フーコカフェー ポストモダン的表象

『ドンキ・ホーテ』は、ルネサンスセカンドの陰画(ネガティヴ)を描いている。書かれたものは、もはやそのまま世界という散文ではない。類似と記号(シーニュ)とのあのね古い和合は改称下。相似は人を欺き、幻覚や錯乱に変わっていく。物は頑固にその皮肉な同一性を守り続ける。それらはもはや、それらがあるところのものでしかない。語は、自らを満たすべき内容も類似も失ってあてどもなくさまよい、もはや物の標識となることもなく、書物のページの間で塵にまみれて眠るのである。かつて、記号(シーニュ)の下の密かにな類似関係えお明らかにすることによって世界の解読を可能性にしたい魔術は、今や清浄な働きを失い、類比がなぜいつも人を欺くかを説明することにしか役立たない。自然と書物とをひとつづきのテクストとして買い得した博識は、いまでは妄想としてしりぞけられr。書物の黄ばんだページのうえに打ちすてられた言語記号(シーニュ・デユ・ランガージュ)には、もはやそれらが表象しているつまらぬ作り話だけの値打ちしかない。書かれたものと物とは、互いにもう似ていない。ドンキ・ホーテは、この二つのもののあいだをあてどなくさまよいつづけるのだ。
とはいえ、言語(ランガージュ)が全く無力になったわけではない。以降、それはあらたな固有の力を帯びるのである。小説の第二部で、ドンキ・ホーテは、その第一部を読んだ人物に出会い、この人物は現実的の人間であるドンキ・ホーテを本の主人公として認知する。セルバンテイスのテクストは、それ自身のうえに折り重なり、自らの厚みのうちに食い込み、自らにとって自らの物語の対象となるかわけだ。ドンキ・ホーテの冒険の第一部は、第二部において、最初騎士物語が引き受けていた役割を演じるものである。ドンキ・ホーテは、自分が本当にそれとなってしまったままこの書物に忠実でなければいけない。誤りや偽作や間違った続編空この書物を守って抜き、抜けていた細部を追加し、書物の真実性を維持しなけれどばならない。だけれどドンキ・ホーテは実際は、この書物を読んだわけでもなく、また読む必要がない。彼の肉体そのものがこの書物だからだ。書物を読みすぎたため世界を彷徨う記号(シーニュ)と化し、世界から見忘れられていたドンキ・ホーテは、いまやおのれの意に反して、それと知らずに一冊の書物と化したのである。この書物は彼の真実を保持し、そのなし、語り、見、考えたすべてのことを正確に拾いあげる。消すことの出来ぬ航路のように背後に残してきたそれらの記号(シーニュ)に、彼はそれほど酷似してあるいるのだ。小説の第一部と第二部のあいだ、その二巻の間隙で、書物のみの力によってドンキ・ホーテはは水かの現実に到達した。言語(ランガージュ)のみからきて、まったく言葉の内部に止まっている現実ぬ。ドンキ・ホーテに真実は、語と世界との関係のうちにではなく、言葉という標識が互いのあいだに張り巡らすこの厚みのない恒常的関係のうちにあるのだ。幻滅に終わる英雄話の作りごとは、言語(ランガージュ)の表象能力と化した。語はいま、その記号(シーニュ)としての性質にもとづいて再び閉ざされるのである。

第3章表象すること、フーコ『言葉と物』

・フーコ曰く、「ドンキホーテはその平原を際限なく巡歴するのだが、決して相違性の明確な国境を越えることも、同一性の核心に達することもない。彼は彼自身記号に似ている」Indéfiniment il la parcourt, sans franchir jamais les frontières nettes de la différence, ni rejoindre le cœur de l'identité. Or, il est lui-même à la ressemblance des signes. 
尾崎行雄は「明治末から昭和の敗戦に至る日本の足取りを考えると、どういうわけだかつい『ドン・キホーテ』の物語」を連想する」という。昔のひとはうまいことをいうものだ

・「私は明治の末から昭和の敗戦に至る日本の足取りを考えると、どういうわけだかつい『ドン・キホーテ』の物語を連想する。」(尾崎行雄)明治の末から昭和の敗戦に至るまでを書いた日本ドン・キホーテ物語のアジア侵略の後半は、アジアから西欧列強を解放する前半に忠実にしたがわなければいけなかった。アジアから西欧列強を解放するホンモノでなければいけなかったかた、インチキの日中戦争を日本ドン・キホーテ物語の書物から消した。米国との戦争がホンモノだったから、戦後の日本人は太平洋戦争に先行した10年の戦争を自覚してはいない

No.17フーコカフェー ポストモダン的表象

十六世紀における秘教的学問は、書かれたものにかかわる現象であり、話された言葉にかかわる現象ではない。いずれにせよ、話された言葉はその力を奪われているのであって、ヴィジュネールとデュレによれば、それが言語(ランガージュ)の女性的部分、いわばその受動的理性にすぎず、<書かれたもの>こそ、言語(ランガージュ)の能動的理性、「男性的原理」なのである。<書かれたもの>のみが真理を保有しているのだ。
 <書かれたもの>のこうした優越性こそ、16世紀において、表面対立するにもかかわらず切り離しえない、双子のような対をなす二つの形態の共存を説明してくれる。そのひとつは、見られるものと読まれるもの、観察されたものと人づてに伝えられたものとが区別されず、その結果、視線と言語(ランガージュ)とが無限に交錯する唯一の滑らかな連続面が構成されていたことであり、もう一つは逆に、どのような言語(ランガージュ)もただちに分裂し、はてしなくむしかえされる注釈によって二重化されていったことである。(フーコ「言葉と物」渡辺一民訳)

L'ésotérism au XVI siècle est un phènomène d'écriture, non de parole. En tout cas, celle-ci est dépouillée de ses pouvoirs; elle n'est, disent Vigenère et Duret, que la part female du language, comme son intellect passif; l'Ecriture elle, c'est l'intellect agent, le <principle male> du language. Elle seul détient la vérite.
Cette primauté de l'écrit explique la presence jumelle de deux forms qui sont indissociables dans le savoir du  XVI siècle. malgré leur opposition apparente. Il s'agit d'abord de la non=-distinction entre ce qu'on voit et ce qu'on lit, entre l'observé et le rapport, donc de la constitution d'une nappe unique et lisse où
le regard et le language s'entrecroisent à l'infini;et il s'agit aussi, à l'inverse, de de la dissociation immediate de tout language que dédouble, sans jamais aucun terme assignable, le ressassement du commentaire. ー Foucault

 

No.18フーコカフェー ポストモダン的表象

・わたしの母はドンキホーテ的で、全く知らない人をずっと知っていたかのように対しますし、息子のわたしをいつまでも他人に思うのですね。馬鹿と言ってしまえばそれっきりですが、どうしてそういうことが起きるかといえば、類似にもとづく同一性の知とフーコが呼んだものと関係したことが起きているのでしょう。ドンキホーテ的な母とかトンチンカンな上司は困りますが、ドンキホーテは天才です。わたしが一番尊敬する芸術家かもしれません。類似性が埋もれていて気がつかれることがなかったのに、全く関係のない時代の思想と思想を前提として結びつけることができるからです。未来を思い出すこと、これは復古主義の精神の本質かもしれません。
フーコはすこし難しいかもしれませんが、ヨーロッパの知について非常におもしろいことえお考えるのですね。人間は表象の知ー類似にもとづく同一性の知ーのなかにあってその内部に存在していましたが、記号の体制が優位となって結局表象の解体が起きたときに、言語と言語の端に近代の人間が現れたのです。言語が分散したとき人間が現れたならば言語が集中したら人間は消滅するかもしれません

 

No.?フーコカフェー ポストモダン的表象

言語(ランガージュ)が分散を余儀なくされたとき人間が成立したとすれば、言語(ランガージュ)が集合しつつあるいま、人間は分散させられるのではなかろうか?そしてそれが真実であるとすれば、現代の経験を、人間的なものの次元に対する言語(ランガージュ)の諸形態の応用と解釈することは誤りーそれがわれわれに対して、いま思考しなければならぬものを隠すであろうゆえに、根深い誤りとならぬであろうか?むしろ人間を思考することを放棄し、あるいはより厳密に言えば、この人間の消滅をーそしてあらゆる人間科学の可能性の地盤をーそれと言語(ランガージュ)というわれわれの関心事との相関関係において、十分思考しなければならないのではなかろうか?言語(ランガージュ)がふたたびそこにあるとすれば、かつて<言説デイスクール>の有無を言わさぬ統一性が人間性を維持していたあもおだやかな非在に、人間が立ち戻っていくであろうことを承認しなければならなくはないか?かつて人間は、言語(ランガージュ)の二つの存在様態のあいだにおける一形象にすぎなかった。というよりむしろ人間は、表象の内部に宿り表象のなかに解消させられたかに見える言語(ランガージュ)が、細分化されたかたちにおいてのみ表象ksら解消されたとき、はじめて成立したものにすぎなかった。人間はその固有の形象を断片化された言語(ランガージュ)の隙間に作りあげたのである。なるほど、これは断言しうることではなく、せいぜいのところ、答えることのできぬ問いにすぎまい。ただ、こうした問いを提起する可能性がたぶん未来の思考につらなっているということを知った上で 提起されたところに、こも問いを中断というかたちで残しておかなければならないであろう。

 

No.1 フーコは何を問うたか

No.2 フーコは何を問うたか

No.3フーコは何を問うたか

フーコを読み解くキーワードは表象です。例えば貨幣は富の表象であると言われます。渡辺一民の説明をひきましょう。
表象représentationは、本質的に両義的な語であり、代名動詞=représenterに対応するものとして用いられるか、他動詞に対応するものとして用いられるかによって、意味を異にする。
1、代名動詞=représenterは、何ももかを意識内に「思い描く」の意味であり、この場合「表象」とは、「思い描く行為」あるいはその結果としての意識内容を指す。観念、心像などが「表象」と呼ばれるのは、この意味においてである。
2、他動詞représenterはさまざまな訳語がつけられるが、その中心にあるのは他の物の「かわりになる」という観念にほかならない、画家が実物を、記号が観念を、貨幣が富を、représenterするといえば「あらわす」の意であるし、交換においてある商品が他の商品をreprésenterするといえば「あらわす」の意であるし、「等価物として置換される」の意であり、特徴(カラクテール)が生物をreprésenterするといえば、生物も名としてその生物全体を「代表する」の意であるが、いずれの場合にも「代替」の観念が含まれているのに注意されたい。名詞representationは、動詞のこの意味あいに応じて、「かわりになる桃」、「かわりになること」、「物とその代替ものとの関係」などを指すわけである。

No.4フーコは何を問うたのか

ポストモダン孔子」とは何か説明してくれという声があるようなので、「ポストモダン孔子」のコンセントを提唱した子安宣邦氏の伊藤仁斎について書いた研究を知っていただくのが一番良いかと思います。子安氏もフーコ『言葉と物』を読みました。仁斎は朱子学脱構築した古学を打ち立てました。No.4で「表象」représentationについて簡単ですが説明しましたので、仁斎の場合は何を表象したのか考えます。市井の学者仁斎は道とは路であると語りましたが、道は人々の往来によって表象されたのですね。また仁斎の「路」は朱子のテクストに書かれてあった「道」字から表象されているものでもあるわけですね。仁斎が新しかったのは、「表象」による思考をはじめたことです。

「仁斎学講義』が出版されたときの子安氏の言葉を紹介します。

『仁斎学講義』が刊行されました。この書は仁斎の主著『語孟字義』の解読からなるものです。『語孟字義』とは、仁斎が「論語孟子」という思想的血脈によって「天」や「道」や「理」や「徳」などの諸概念を根底的に読み直し、朱子学的思弁体系から解放し、「人倫の学」的概念として再構成していった書です。それはわれわれの天地観、人間観を導き出そうとするラジカルな思想的転換作業です。17世紀日本でなされた仁斎古義学という大きな思想作業の実際を、読者諸兄姉がこの書によって直ちに体験してくださることを切に願っております。

伊藤仁斎がいう「生生一元的世界」とはなにか?

以下は、「仁斎学講義」からの引用です。

仁斎は、宇宙論的な始源を前提にした朱子形而上学的な宇宙観に、運動一元論的な宇宙観を対置した。それを仁斎は「天地の間は一元気のみ」といったのである。天地間にあるのは、一陰一陽というように対をなして展開される一つの運動体的(一元気的)世界であって、陰陽の二契機からなる二元的な世界ではない。天地を一つの運動体として見る仁斎の宇宙観は、生生一元的宇宙観としても表現される。生とは仁斎にあって死をともなって、生死・終始・静動・善悪などといった対概念を構成する一方の契機ではない。生生とは運動体としての天地の根本的な規定である。天地とは一元気であり、それは生生的だということである。 ー p.65、天地は生生して已まず、第二章「孔子の道」の古義学的刷新 (第一講「天道」)

「命」字に実字と虚字があるという仁斎は、その語学的な指摘によって朱子における流行的天と主宰的天との同一化を批判する。「天命之謂性(天の命ずる、これを性と謂う)」という「中庸」のテーゼによって朱子は天道の流行による万物化生の過程をいい、同時にそれは天理の万物の性における必然的な分有の過程であることをいうのである。この朱子の解釈的な言説にあって、天は天理として宇宙生成論的な体系のなかに内在していく。天は宇宙生成(流行)論的言語をもって語られていくとともに、その天は天理としてその体系に内在し、天命の性をめぐる性理学的言語をも可能にしていくのである。天は決してこの宇宙論的体系の外に、それを語る言語体系の外に、語りえない超越性をもって存在するわけではない。天が理として宇宙論的言語体系に内在していくところでは、人は天に直面することもないし、仰ぎ見ることもない。仁斎は天に直面するのである。人生の上に天命としてある帰結をもたらす天に仁斎は直面するのである。孔子もまた天に直面していた。「罪を天に得れば禱るところなし」といい、「噫、天予れを滅ぼせり」と嘆き、「我を知るものは其れ天か」という孔子はあきらかに天を仰ぎ見ていた。仁斎はこの孔子の天を再発見しているのである。この再発見は、朱子宇宙論的な言語のなかにある天を、そこから引き離すことによってである。「語孟字義」の「天命」章で仁斎がしているのは、この天の朱子学的言語体系からの引き離し作業である。 ここで確認しておきたいのは、仁斎の倫理思想とは仰ぎ見る天をもった思想だということである。仁斎の思想も言語も、天への究極的な信に立ったものだということである。彼は決してこれを直接に語ることはない。「論語」からの孔子の立場を読み出すことを通してしか仁斎は語らない。 ー p.91、天に直面する仁斎、第二章「孔子の道」の古義学的刷新 (第二講「天道」)

No.5フーコは何を問うたのか

フーコは『言葉と物』における冒頭の書き出しの多くの問題提起を最後まで貫いているでしょうか。わたしは貫いていると思います。西欧絵画史の外部性を思想史に介入させたのです。しかし多くのフーコ研究者は第9章、第10章を読むときはヴェラスケスの絵画を思い浮かべることはありません。どうしてでしょうか?

「画家は顔を心もちまわし、頭を肩のほうに傾げて見つめている。目に見えぬ一点を凝視しているのだ。けれどもわれわれ鑑賞者には、それが何か容易に指摘することができる。そも一点こそ、われわれ自身、われわれの身体であり、われわれの顔であり、われわれの眼であるからだ。彼の観察している光景は、だから二重の意味で見えないのである。つまりそれは、絵の空間のなかに表象されていないからであり、またそれは、正確にはあの死角、見つめているときわれわれの視線がわれわれ自身に隠されてしまう、あの本質的な隠れ場に位置しているからである。だが、われわれの目の前にあるこのような不可視なものを、どうしてわれわれは見ないですますことができるだろうか。絵そのものの中に感覚に訴えるその等価物、封印されたその形象があるというのに(『言葉と物』p.28)

Le peintre regards, le visage légèrment tourné et la tête penchée vets l’epaule. I’ll fixe un point invisible, mais que nous, les spectateurs, nous pouvons aisément assigner puisque ce point, c’est nous-même; notre corps, notre visage, nos yeux. Le spectacle qu’il observe est don’t deux fois invisible: puisqu’il n’est pas représenté dans l’espace du tableau, et puisqu’il se situe précisément en ce point aveugle, en cette cache essentialle où se dérobe pour nous-mêmes notre regard au moment où nous regardon. Et pourtant , cette invisibilité , comment pourrions -nous éviter de la voir , là sous nos yeux, puisqu’elle a dans le tableau lui-même son sensible équivalent,sa  figure scellée?

https://youtu.be/7FBZodA4rQc

 

No.6フーコは何を問うたのか

このような無関心に匹敵するものとしては、鏡のそれがあるばかりだと認めなければなるまい。事実鏡は、それと同じ空間にあるものは何も、それに画家を向けている画家も、部屋の真ん中にいる人物達も、何一つ映してはいない。それがその明るい深みに映しているのは、目に見えるものではない。オランダ絵画では、鏡が二重化の役割を果たすという伝統がある。つまり鏡は、絵の中にひとたび与えられたものを、変様され、縮小され、たわめられた非現実の空間の内部で反復するわけだ。こうして鏡のなかに、絵の第一審の場におけるとおなじものが、別の法則にしたがって分解され再合成されたかたちで見出されることになる。だが、ここでは、かがみはすでに語られたことについては何も語ってはいない。でもその位置はほとんど真ん中にある。つまり、鏡の上の縁は正確に絵の高さをニ分割する線と重なりあっており、しかも背景の壁の中央の位置うぃ占めている。だから鏡は、絵そのものと同じパースペクティブを示す線によってつらぬかれているのに違いない。だれしも、おなじアトリエ、おなじ画家、おなじ画布が、鏡のなかの同一の空間にしたがってならべられることを期待するであろう。それは完全な模像となるはずなのである。
とはいえ、この鏡は、絵そのものが表象するどのようなものも見せてはくれない。その不動の視線は、絵の手前、その外部にある正面を形づくる、とうぜん目には見えぬあの領域に、配置されている人物をとらえようとするのである。つまりこの鏡は、目に見える対象のまわりをまわるかわりに、そこで補足しうるものを無視して表象の場全体を横切り、あらゆる視線の外にあるものに対して可視性を回復させてやるのだ。
(フーコ第一章侍女たち)

Dans la peinture hollandaise,
I’ll était de tradition que les mirrors jouent in rôle de redoublement : ils répétaient ce qui était donné une première fois dans le tableau, mais à l’intérieur d’un espace irréal, modifié, rétréci,recourbé. On y voyait la même chose que dans la primière instance du tableau, mais décomposée et recomposée Selina une auger loi. 
Ici le mirror me fit rien de ce qui a été deja dit. Sa position pourtant est à peu près central: son bird supérieur est exactment sur ligne qui partage en deux la hauteur du tableau, I’ll occupe sur le mur du fond une position médiane; Il devrait donc être traversé par les même lignes perspective que le tableau lui-même; on pourrait s’attendre qu’il même atelier, un même peintre, une même toile se disposer en lui seldom espace indentique; Il pourrait être le double parfait.
Or, Il ne fair rien voir de ce que le tableau lui-même représente. Son regard immobile va saisir au-deviant du tableau, dans cette région nécessairement invisible qui en form la face extériure, les personages qui y don’t disposés. Au lieu de tourner autour des objets visible,  ce mirror traverse tout le champ de la représentation , négligeant ce qu’il pourrait y captor, et restitute la visibilité à ce qui demeure hors de tout regard. 
Foucault 

・No.5では、絵は絵の中で鑑賞者の存在を表象しなかった。ここでは鏡が鑑賞者のひとりであるモデルの王を表象する。王を可視化する。

下はピカソのスケッチ

No.7フーコは何を問うたのか

アメリカ人研究者は徳川日本という言い方をする。徳川日本とか明治日本と言えばいいのに、どの時代も日本と呼んでしまうのは貧しいかもしれない。「天命」と「孝」と「敬」と「物哀」が徳川日本の言説空間に書かれる。「人民」(福沢諭吉)と精神主義」(清澤満之)と「「天命の自由と人義の自由」(中江兆民)と「東洋の理想」(岡倉天心)が明治日本の言説空間に書かれる。

<混在なもの>は不安をあたえずにはおかない。むろん、それがひそかに言語(ランガージュ)を掘りくずし、これ<と>あれを名づけることを防げ、共通の名を砕き、もしくはもつれさせ、あらかじめ「統辞法」を崩壊させてしまうからだ。断っておくが、「統辞法」というのは、たんに文を構成する統辞法のことばかりではないー語と物とを「ともにささえる」(ならべ向き合わせる)、それほど明確ではない統辞法をも含んでいる。(フーコ) 

Les hétérotopies inquiètent, sans doubt parce qu'elles minent secrètement le language, parce qu'elle empêchent de nommer ceci et cela, parce qu'elles brisent les noms communs ou les enchevêtrent, parce qu'elles ruinent d'avance la <syntaxe>, et pas seulement celle qui construit les phrases, ー celle moins manifeste qui fait < tenir ensemble> ( à côté et en face les uns des autres) les mots et les choses.  ー Foucault

Heterotopias are disturbing , probably because they secretly undermine language, because they make it impossible to name this and that, because they shatter or tangle common names, because they destroy’syntax’ in advance, and not only the syntax with which we construct sentences but also that less apparent syntax which causes words and things( next to and also opposite one another) ー Foucault

No.8フーコカフェ

絵は右端のところで、寸のつまったパースペクティブにしたがって表象されている窓から、光を受けている。見えるのはほとんどその窪みだけだ。だからその窪みが大きくひろげているその光の流れは、交叉しているとはいえ、ひとつには還元しえぬ二つの隣りあった空間を、おなじような豊かさをもって同時にうるおすのである。画布の表面とそれが表象している立体的空間(すなわち画家のアトリエ、あるいは彼が画架をおいたサロン)、そしてそこ表面よりも手前の、鑑賞者の占めている現実の立体的空間(あるいはモデルのいる非現実の座)をだ。そうして右手から左へとわたりながら、金色の幅広い光は、鑑賞者を画家の方へ、モデルを画布のほうへ同時に押し流していく。画家を照らしながら彼を鑑賞者に見えるようにするのも、モデルの像が移されて閉じこまれる謎の画面の枠を、モデルの眼におびただしい金色の線として輝かせるのも、またその光なのである。端にあり、かろうじて指示されぬに過ぎぬ、部分的にしか見えないこの窓は、表象にとって、共通の場所として役立っている。分断されることなく二重働く明るさを解き放つわけだ。それは絵のもう一方も端の、目に見えぬ画面と釣りあっている。その画面は、鑑賞者に背を向けながら、自らを形象してくれる絵にたいして折り重なり、支えてくれる絵の表面に自らの可視的な裏側を重ね合わせて、<イメージ>のなかの<イメージ>の煌めく、われわれが近づきえぬ場所を形づくる。それとおなじように、純粋な光ともいえる窓は画布の空間が隠されているのとおなじ程度に明るい、画布の空間が孤立している(誰も、画家さえもそれを見ないのだから)のと同じ程度に画家、描かれた人物たち、モデル、鑑賞者に共通する、ひとつの空間を創り出しているのである。フーコ

A l’extrême droit, le tableau reçoit sa lumière d’une fenêtre représentér demon unr perspective très courte; on n’en voit guère que l’embrasure.;soi bien air le flux de lumière qu’elle répand largement baigne à la fois, d’une même générosité, deux espaces cousins, entrecroisés, mais irréductibles: la surface de la toile, avec le volume qu’elle représente(c’est-à-dire l’ateiller du peintre, où le salon dans lequel I’ll a installé son chevant) , et en avant- de cette surface le volume réel qu’occupe le spectateur(où encore le site iréel du modèle).
Et parcourant la pièce de droit à gauche , la vast lumière dorée emporte à la fois le spectateur Vera le peintre , et le modèle vers la toile; c’est elle aussi qui en éclairant le peintre, le rend visible au spectateur et fair briller come autant de lignes d’or aux yeux du modèle le cadre de la toile énigmatique où son image , transportér, va de trouser enclose. Cette fenêtre extrême, partielle, à peine indiqée, libère un jour entier et mixte qui sert de lieu commun à la représentation.
Elle équilibre , à l’autre bout du tableau, la toile invisible: tout comme cell-ci , en tournant le dois aux spectateurs, se replie contre le tableau qui représente et form, par la superposition de son envers visible sur la surface du tableau porteur , le lieu, pour nous inaccessible, òu scintille l’Image par excellence, de la même la fenêtre , pure ouverture , instaure un espaceaussi manifests que l’autre est celé: ainsi commun au peintre, aux personages, aux modèles, aux spectateurs, que l’autre est solitaire (car nil ne le regatde, pas même le peintre).

・『ラス・メニーナス』はピカソによって再構成されている。幾つもの作品がある。ピカソは仮面に大きな関心をもっていて、『ラス・メニーナス』は仮面だったのではないかとする説があるほどだ。仮面は外部の敵から受ける損傷に対して、共同体が住処とする身体をまもっている。

下はピカソのスケッチ

No.9フーコカフェ

‪「博物学が生物学となり、富の分析が経済学となり、なかんずく言語(ランガージュ)についての反省が文献学となり、存在と表象がそこに共通の場を見いだしたあの古典主義時代の<言説(デイスクール)>が消えたとき、こうして考古学的変動の深層における運動のなかで、人間は、知にとっての客体であるとともに認識する主体でもある、その両義的立場をもってあらわれる。従順な至上のもの、見られる鑑賞者としての人間は、『侍女たち』があらかじめ指定しておいたとはいえ、長いことそこから人間の実際の現前が排除されていた、あの<王>の場所に姿を見せるのだ。それはあたかもベラスケスの総全体がそのほうを向いているのにもかかわらず、その絵が鏡の偶然によってちょうど無断侵入とでもいったように反映しているのにすぎぬ、あの空虚な空間のなかで、これまでそれぞれの交替とか絡みあいとか散光といったことが推測されきたあらゆる形象(モデル、画家、王、鑑賞者)が、突然、その知覚しえぬ舞踏を止め、充足したひとつの形象のなかに凝固し、ついに肉体をそなえた視線に表象の全空間が関係づけられることを要請するにいたったかのようなのである」‬
‪フーコ『言葉と物』第九章 人間とその分身3
(渡辺一民訳)

Lorsque l’histoires naturelle devient biologie, lorsque l’analyse does richesses devient économie, lorsque surtout la réflexion sur le languge se fair philosophie et que s’efface ce discours classique où l’êtte et la représentatition trouvaient leur  lieu commun, alors,
dans le mouvement profond d’une telle mutation archéologique, l’homme apparait avec sa position ambigué d’objet pour un savior et de sujet qui connait: souverain soumis, spectateur regardé, is surgit là, en cette place du Roi, que lui assignaient par avance les Ménines, mais d’ou longtemps sa présance réelle fut exclude. 
Comme si, en cet espace vacant vers lequel était tourné tout le tableau de Vélasquez,, mais qui’il be reflétait poutant que par le hazard d’un miroir et comme par refraction, touted les figures don’t on soupçonnait l’alternance, l’exclusion réciproque, l’ entrelacs et le papillotement ( le modèle, le peintre, le roi, le spectateur) cessaient tout à coup leur imperceptible danse, se figeaient en une  air travel en figure plein, et exigeaient  que fût enfin rapporté à in regard de chair tout l’espace de la représentation.
Foucault 

・『言葉と物』は、『侍女たち』からフーコは書かなければいけなかった必然がありました。表象とは何かを考えるためです。人間は有限な自己を認識しなければいけません。表象と有限性の相互作用を考えるために、『侍女たち』から書き始めることが大切でした

・モデルであった王の位置に、先験ー経験二重体である人間がたつ。人間は鑑賞者たちから登場するが、その鑑賞者たちの姿は見えない。人間はどこにいるのか?人間とはわれわれ自身のことなのだ。フーコは巧みに書いている。

・画布は襞における運動として捉えられているのですが、これはバロック音楽的というか、秩序を探る暗闇の世界の底にある魂の底部を、自由な肉体のリズムすなわちあらゆる形象(モデル、画家、王、鑑賞者)の知覚しえぬ舞踏」と共に、成立させていました。しかしここで、
「あらゆる形象(モデル、画家、王、鑑賞者)が、突然、その知覚しえぬ舞踏を止め、充足したひとつの形象のなかに凝固し、ついに肉体をそなえた視線に表象の全空間が関係づけられることを要請するにいたったかのようなのである」

・このフランス語のフーコ『言葉と物』の表象デザインは、あえて画家よ画布を取り除くように枠が再構成されている

 

 

No.10 フーコカフェ

しかし、絵の奥から場面の前景へもう一度降りて来なければならない。螺旋状にまわってきた絵の外縁に別れを告げなければいけない。左手にある、ずれて中心といったものを構成する画家の視線から出発して認められるのは、まず画布の裏側、ついで真ん中に鏡のあるの壁にかかった絵、それから開いた戸口、極端に斜めの角度から見るため厚みのある額縁しか見えない別のいくつかの絵、そして最後に窓、というよりは
むしろ光がそこから溢れて出てくる窪みである。こうした渦巻き状貝殻を象る一巡は、表象関係全体のサイクルを示してくれるわけだ。すなわち、視線、パレットと画筆、記号(シーニュ)で汚されていない画布(これらは表象の物質的道具である)、幾つものの絵、反映、実在する男(ここで表象関係は完成されるのだが、それは、錯覚を起こさせるものにせよ、まことのものにせよ、その男ち並べられる表象の諸内容から解放されたかのようである)、というように。ついで表象関係はほどけtrてしまう。そこに見えるものはもはやいくつもこ額縁とその光にすぎない。その光は外部からいくつもの絵を浸し、それがあたかもよそから絵の暗い木製の額縁を超えてきたかのように、それらの絵によって絵の固有の形相として再構成されなければならない。そして光は、事実この絵の全体の中で、額縁の隙間から湧き出してくるように見えるのである。そして、片手にパレット、もう一方の手に細い画筆をもった画家の額、頬骨、眼、視線と、光は再びつながっていく...。このようにこの螺旋状hs閉ざされる。というよりむしろ、この光によってそれは開かれるもだ。(渡辺訳)

・均衡から不均衡へ、不均衡から均衡へと螺旋状に運動する視線の運動を表象する

 

No.11フーコカフェーポストモダン的表象

いま開かれたのは、もはや画面の奥におけるように引きあけられた扉ではない。絵の幅そのものである。そしてそこを過ぎる視線は彼方の訪問者のものではない。絵の前景と中景を占める一帯はー画家まで含めるとすればー八人の人物を表象している。彼らのうち五人は、頭をおおかれすくなけれ傾げ、振り向き、またかがみ、絵に対して垂直の方向を見つめている。この一群の中心を占めるのが、灰色と薔薇色のゆったりとした衣裳をつけた小さな姫君である。王女は顔を絵の右の方に回しているが、彼女の上半身と衣裳の大きな襞は心もち左側に流れている。けれども視線はしっかりと、絵の正面にいる鑑賞者の方向に向けられる。フーコ

・視線を表象している絵

No.12フーコカフェ

「画家の視線、パレット、休止した手から、描きあげられたいくつもの絵まで、アトリエの周囲をまわる大きな螺旋運動の中で、表象関係が生まれ、完成され、再び光の中に解消する。こうしてサイクルが完成される。それにたいして、絵の奥行きをよこぎるいく本もの線は不完全なまま止まる。それらすべてに、行路の一部が欠けているからだ。このような欠落は王の不在ーその不在こそ画家の詭計であるのだがーのせいであろう。しかしこの詭計は、一個の直接的空位、絵を見つめ、あるいは制作するときの、画家と鑑賞者の空位を、覆い隠すと共に指示するものにほかならない。それはおそらく、この絵のなかでも、この絵がいわばその本質を明らかにしているあらゆる表象関係におけると同様、見えているものの底知れぬ不可能性がー鏡や反映や模倣や肖像にもかかわらずー見る人の不可能性と固くむすびあっているということであろう。なるほど、場面の周りには表象関係の多くの記号(シーニュ)とその継起する諸形態が分配されてはいる。けれどもそのモデル、その至上なる君主にたいする、表象の二重の関係というもものは、かならず断ち切れているのだ。たとえそれ自身を光景として示されるような表象のうちにあってさえも、そのような関係があますところなく現前することは決してあり得ない。場面を横切り、虚構のうえでそれと()ち、それらの手前に投射する奥行きのなかで、表象する巨匠と表象される君主とを、まことに幸運にもイメージがあまねく光のなかに差し出しことなど、決して可能ではないのである。

おそらくこのベラスケスの絵のなかには、古典主義時代における表象関係の表象のようなもも、そしてそうした表象の開く空間の定義があると言えるだろう。事実その表象hs、そのあらゆる要素において、すなわち、そのイメージ、それが身を晒している視線、それが目に見えるものとしている香り、それを生み出している動作と共に、自己をこの絵のなかで表象しようと企てているのだ。だがそこでは、表象がその全体を結集すると共に展覧する、こうした分散状態のなかで、至るところから厳然としてひとつの本質的な空白が指し示される。その空白こそ、表象を基礎づけるものの消滅ー表象がそれに類似する者と、その眼には表象が類似物に過ぎぬところの者との、必然的な消滅にほかならない。この主体そのものーそれは同じひとつのものであるーが省かれているのだ。そして自分を鎖で繋いでいたあの関係からついに自由となって、表象は純粋な表象関係として示されることができるわけである。

・鑑賞者のは映すことに無関心な鏡を眺めている。奇妙なことに、鏡は部屋の中に置かれているのに、部屋の中を映さず、部屋の外にいる人々を映している鏡。これは窓か。しかし窓は殆ど描かれていない。窪みから溢れる光だけだ。

・鑑賞者のわれわれは画布の前で、その裏側と鏡を見て部屋全体を描く画家を見ている。自己と類似しているもの全てが空白に消滅している。この自由で純粋な表象を嘲笑う者はだれか?

No.13フーコカフェー ポストモダン的表象

十六世紀末までの西欧文化においては、類似というものが知を構築する八鍬を演じてきた。テクストの釈義や解釈の大半を方向づけていたのも類似なら、象徴の働きを組織化し、目に見える物、目に見えぬ物の認識を可能にし、それらを表象する技術の指針となっていたのもやはり類似である。世界はそれ自身のまわり巻きついていた。大地は空を写し、人の顔が星に反映し、 草はその茎のなかに人間に役立つ秘密を宿していた。絵画は空間の模倣であった。そして表象はー祝祭であるにせよ知であるにせよーつねに何かものかの模写にほかならなかった。人生の劇場、あるいは世界に鏡であること、それがあらゆる言語(ランガージュ)の資格であり、言語(ランガージュ)が自らの身分を告げ、語る権利を定式化する際のやり方だったのである。ー第二章世界の散文、フーコ『言葉と物』

No.16フーコカフェー ポストモダン的表象

『ドンキ・ホーテ』は、ルネサンスセカンドの陰画(ネガティヴ)を描いている。書かれたものは、もはやそのまま世界という散文ではない。類似と記号(シーニュ)とのあのね古い和合は改称下。相似は人を欺き、幻覚や錯乱に変わっていく。物は頑固にその皮肉な同一性を守り続ける。それらはもはや、それらがあるところのものでしかない。語は、自らを満たすべき内容も類似も失ってあてどもなくさまよい、もはや物の標識となることもなく、書物のページの間で塵にまみれて眠るのである。かつて、記号(シーニュ)の下の密かにな類似関係えお明らかにすることによって世界の解読を可能性にしたい魔術は、今や清浄な働きを失い、類比がなぜいつも人を欺くかを説明することにしか役立たない。自然と書物とをひとつづきのテクストとして買い得した博識は、いまでは妄想としてしりぞけられr。書物の黄ばんだページのうえに打ちすてられた言語記号(シーニュ・デユ・ランガージュ)には、もはやそれらが表象しているつまらぬ作り話だけの値打ちしかない。書かれたものと物とは、互いにもう似ていない。ドンキ・ホーテは、この二つのもののあいだをあてどなくさまよいつづけるのだ。
とはいえ、言語(ランガージュ)が全く無力になったわけではない。以降、それはあらたな固有の力を帯びるのである。小説の第二部で、ドンキ・ホーテは、その第一部を読んだ人物に出会い、この人物は現実的の人間であるドンキ・ホーテを本の主人公として認知する。セルバンテイスのテクストは、それ自身のうえに折り重なり、自らの厚みのうちに食い込み、自らにとって自らの物語の対象となるかわけだ。ドンキ・ホーテの冒険の第一部は、第二部において、最初騎士物語が引き受けていた役割を演じるものである。ドンキ・ホーテは、自分が本当にそれとなってしまったままこの書物に忠実でなければいけない。誤りや偽作や間違った続編空この書物を守って抜き、抜けていた細部を追加し、書物の真実性を維持しなけれどばならない。だけれどドンキ・ホーテは実際は、この書物を読んだわけでもなく、また読む必要がない。彼の肉体そのものがこの書物だからだ。書物を読みすぎたため世界を彷徨う記号(シーニュ)と化し、世界から見忘れられていたドンキ・ホーテは、いまやおのれの意に反して、それと知らずに一冊の書物と化したのである。この書物は彼の真実を保持し、そのなし、語り、見、考えたすべてのことを正確に拾いあげる。消すことの出来ぬ航路のように背後に残してきたそれらの記号(シーニュ)に、彼はそれほど酷似してあるいるのだ。小説の第一部と第二部のあいだ、その二巻の間隙で、書物のみの力によってドンキ・ホーテはは水かの現実に到達した。言語(ランガージュ)のみからきて、まったく言葉の内部に止まっている現実ぬ。ドンキ・ホーテに真実は、語と世界との関係のうちにではなく、言葉という標識が互いのあいだに張り巡らすこの厚みのない恒常的関係のうちにあるのだ。幻滅に終わる英雄話の作りごとは、言語(ランガージュ)の表象能力と化した。語はいま、その記号(シーニュ)としての性質にもとづいて再び閉ざされるのである。

第3章表象すること、フーコ『言葉と物』

・フーコ曰く、「ドンキホーテはその平原を際限なく巡歴するのだが、決して相違性の明確な国境を越えることも、同一性の核心に達することもない。彼は彼自身記号に似ている」Indéfiniment il la parcourt, sans franchir jamais les frontières nettes de la différence, ni rejoindre le cœur de l'identité. Or, il est lui-même à la ressemblance des signes. 
尾崎行雄は「明治末から昭和の敗戦に至る日本の足取りを考えると、どういうわけだかつい『ドン・キホーテ』の物語」を連想する」という。昔のひとはうまいことをいうものだ

・「私は明治の末から昭和の敗戦に至る日本の足取りを考えると、どういうわけだかつい『ドン・キホーテ』の物語を連想する。」(尾崎行雄)明治の末から昭和の敗戦に至るまでを書いた日本ドン・キホーテ物語のアジア侵略の後半は、アジアから西欧列強を解放する前半に忠実にしたがわなければいけなかった。アジアから西欧列強を解放するホンモノでなければいけなかったかた、インチキの日中戦争を日本ドン・キホーテ物語の書物から消した。米国との戦争がホンモノだったから、戦後の日本人は太平洋戦争に先行した10年の戦争を自覚してはいない

No.17フーコカフェー ポストモダン的表象

十六世紀における秘教的学問は、書かれたものにかかわる現象であり、話された言葉にかかわる現象ではない。いずれにせよ、話された言葉はその力を奪われているのであって、ヴィジュネールとデュレによれば、それが言語(ランガージュ)の女性的部分、いわばその受動的理性にすぎず、<書かれたもの>こそ、言語(ランガージュ)の能動的理性、「男性的原理」なのである。<書かれたもの>のみが真理を保有しているのだ。
 <書かれたもの>のこうした優越性こそ、16世紀において、表面対立するにもかかわらず切り離しえない、双子のような対をなす二つの形態の共存を説明してくれる。そのひとつは、見られるものと読まれるもの、観察されたものと人づてに伝えられたものとが区別されず、その結果、視線と言語(ランガージュ)とが無限に交錯する唯一の滑らかな連続面が構成されていたことであり、もう一つは逆に、どのような言語(ランガージュ)もただちに分裂し、はてしなくむしかえされる注釈によって二重化されていったことである。(フーコ「言葉と物」渡辺一民訳)

L'ésotérism au XVI siècle est un phènomène d'écriture, non de parole. En tout cas, celle-ci est dépouillée de ses pouvoirs; elle n'est, disent Vigenère et Duret, que la part female du language, comme son intellect passif; l'Ecriture elle, c'est l'intellect agent, le <principle male> du language. Elle seul détient la vérite.
Cette primauté de l'écrit explique la presence jumelle de deux forms qui sont indissociables dans le savoir du  XVI siècle. malgré leur opposition apparente. Il s'agit d'abord de la non=-distinction entre ce qu'on voit et ce qu'on lit, entre l'observé et le rapport, donc de la constitution d'une nappe unique et lisse où
le regard et le language s'entrecroisent à l'infini;et il s'agit aussi, à l'inverse, de de la dissociation immediate de tout language que dédouble, sans jamais aucun terme assignable, le ressassement du commentaire. ー Foucault

 

 

No.18フーコカフェー ポストモダン的表象

この変様は、次のように要約できるだろう。第一に、分析が類比的な階層構造(ヒエラルキー)にとってかわったこと。16世紀には、照応の全体的体系(大地と空、惑星と顔、小宇宙と大宇宙)が最初に承認されており,それぞれの個別的な相似関係はあとからこの総体的関係の内部に宿った。ところがいまでは、あらゆる相似は比較という吟味にかけられる。すなわち、相似は、計量と共通の単位によって、さらに根源的には、秩序と同一性と相違の系列とによって、ひとたび発見されたうえ、はじめて容認されるというわけである。その上、相似関係の戯れはかつては無限なものであって、新たな相似を見いだすことがつねに可能であり、唯一の制限は物の配置から、すなわち、大宇宙と小宇宙のあいだにはさまれた世界の有限性からくるものだった。しかし今や、考察される総体を構成する全ての要素の網羅的調査なり、研究される領域全体のいくつかの範疇への分節化なり、あるいはまた、系列全体から選ばれた充分なだけ多くの点の分析なりの形で、完全な列挙が可能となろうとしているのだ。したがって比較は、完璧な確実さに到達することができる。なるほど、決して完成されることなくつねに新たな偶発性に対して開かれていたふるい相似の体系も、継怒的確認というみちるをへて次第に蓋然性を高めることはできたが、それは決して確実なものではなかった。これにたいして、完全な列挙と、それぞれの点において次の点への必然的な指定する可能性とは、同一性と相違性との絶対的に確実な認識を可能にするのである。「ただ列挙によってのみ、われわれは、自らの心を向けるいかなる問題にでも、つね正しく確実な判断を下すことができる。」したがって精神の活動家はーこれが第四の点なのだがーもはや物を相互のに<接近させ>たり、物同士の近縁関係や、互いのけん引力が、ひそかに共有する性格を明らかにし得るすべてを探究したりすることではなく、逆に<識別>すること、言い換えれば、まず同一のものを、ついでそこから遠ざけるあらゆる段階への移行の必然性を、確定することに存するのである。

・近世に成立した朱子学の「性」にもとづく天命の理解の再構成ついても同じことが言える

 

No.19フーコカフェー ポストモダン的表象

古典主義時代における言語(ランガージュ)のじつざは、至上でありと同時に、目立たないものである。
至上であるというのは、語が「思考を表象する」任務と能力を与えられたからだ。だが、表象するとは、この場合、本屋すること、可視的な形に訳出すること、思考を身体の外側において正確に再現しうるような物質的複製を作ること、を指すのではない。表象するとは、厳密にな意味に理解されるべきであって、言語(ランガージュ)は、思考が自らを表象するように思考を表象するのである。言語(ランガージュ)を成立させるものとして、意味作用(シニフィカション)とうう本質的で原初的な行為があるのではなく、ただたんに表象の核心に、表象のもつあの自己表象の能力があるにすぎない。すなわち、反省の眼差しのもとで、自らを部分的相互が並置されたかたちに分析し、自らの延長である代替物のうちに自己を委託するという、あの表象固有の能力があるのにすぎぬのだ。古典主義時代においては、表象に与えられないものは何ひとつとして与えられぬ。だが、まさにそのことによって、自己との間に距離をおき、自らを二重化し、自己の等価物である他の表象のうちに自らを反映させる表象の働きによらなければ、いかなる記号(シーニュ)も出現せず、いかなる言葉(パロール)も言表されず、いかなる語も命題も決してそのような内容をも目指しはしないのである。表象は世界に根を下ろして自己の意味を借り受けるのではない。それは自らの力で表象固有の空間に向かって開かれており、この空間内部の脈綱が意味を生じさせるのだ。そして言語(ランガージュ)は、表象が自己との間に設けるこも偏差のうちにある。したがって、語は、思考の外側の面でなぞる薄膜を形成するのではない。語は思考を想起させ、思考を指し示すが、それはまず内側に向かってであり、他の表象を表象するあのすべての表象もあいだにおいてなのだ。古典主義時代の言語(ランガージュ)は、それが顕示する任務をおびている思考にたいして、ふつう考えられているよりはるかに近いところにある。とはいえそれは、思考と平行なのものではない。それは思考の網目のなかにとらえられ、思考の繰り出す横糸そのものの中に織り込まれている。それは思考の外的な結果ではなく、思考それ自体にほかならない。

そして、このことによって、言語(ランガージュ)は目に見えぬもの、もしくはほとんど目に見えぬものとなる。いずれにしても、言語(ランガージュ)が表象に対して全く透明になったため、言語(ランガージュ)の存在は問題とならなくなる。ルネサンス時代は、言語(ランガージュ)がそこにあるという生のままの事実も前で足をとめた。世界も厚みのなかに、物と混じりあいあるいは物の質をはしる文字記号(グラヒズム)があり、手書きの稿本や書物のページの上には、さまざまな頭文字符号(シーグル)がおかれていた。そして、これらすべての執拗な標識は、自らのうちにまどんでいる言語(ランガージュ)をを語らしめ、ついに目覚まさせるために、二次的言語(ランガージュ)ー注釈、釈義、博識のそれーを呼びよせるのだった。言語(ランガージュ)の存在(エートル)が、その中に読み取れるものやそれを鳴り響きさせる言葉(パロール)に、いわば無言のままかたくなに先行していたのである。17世紀以降欠落するのは、このずっしりとした、そして当惑させずにはおかぬ、言語(ランガージュ)の実在にほかならない。それはもはや標識の謎のうちに秘められてもあらわれはせず、まだ意味作用(シニフィカション)の理論のうちに展開されて現れるものではない。換言すれば、古典主義時代の言語(ランガージュ)は実在しなかったと言えるかもしれない。だが、それでいてそして、言語(ランガージュ)は自らの表象的役割も中に完全に位置しており、正確にそこにとどまり、けっきょくそこで尽きはてる。言語(ランガージュ)ははもはや表象以外に場を持たず、表象の中でしか、すなわち表象がしつらえる力をもつあの空洞の中でしか、価値をもたないのだ。
このようにして、固定主義時代の言語(ランガージュ)は、それ自身に対して、それまで可能でもなく考えられさえもしなかったある種の関係に立つこととなる。16世紀の言語(ランガージュ)は、自己に対して、絶えざる注釈という立場をとっていた。ところでこの注釈は、何らかの言語(ランガージュ)がそこにあるー何らかの言語(ランガージュ)が、それを語らせようとして用いられる言説に先立って沈黙のうちに実在するーという条件ではじめて行なわれるものにほかならない。注釈を加えるにはテクストの絶対的先在が必要なのだ。逆にまた、世界が標識と語との絡み合いだとすれば、注釈という形態を取らずにどうしてそれについて語れるだろうか?ところが古典主義時代以降、言語(ランガージュ)は、表象の内部、表象の中に空洞を設ける表象それ自体の二重化のうちに展開される。爾後、第一義的<テクスト>は消滅し、それとともに、自らの無言の存在(エートル)を物の中に刻みつけていた語の尽きることのない基盤全体も消滅する。表象だけが残り、それを顕現する言語記号(シーニュヴェルバル)の中に繰り広げられ、そのことによって厳選となるのである。二次的言語(ランガージュ)によって解釈される言葉(パロール)の謎に、まだ中性的で特徴のない開いたままの可能性に過ぎず、それを現実化し固定するのが言説の任務である、表象の本質的言説性が置き換えられたわけだ。この言説が今度は別の言語(ランガージュ)の対象となる場合、人々はもはや、この言説が何ものかをそれと言わずに語っているかのように、それがそれ自身に限られた言語(ランガージュ)や閉じた言葉(パロール)であるかのように、この言説に対して問いかけるのではない。もはや、それら記号のしたに隠された大いなる謎のことばを読みとろうとするのではない。人々はただ、この言説にたいして、それがいかに機能しているか、つまり、それがいかなる表象を指示しているか、いかなる要素を裁断しとりあげているか、いかにして分析と合成を行っているか、いかなる置換の仕組みによって自らの表象的役割を確保しているかを問うだけである。<注釈>が<批評>に席を譲ったのだ。

フーコ、批評と注釈 第4章語ること

ソビエトが崩壊して、絶対的真理とされたマルクス資本論』の解釈が自由になったとき、そもそも解釈の自由とは何かが問題提起されました。注釈について考えられたとき、表象が成立する為には自己を表象してくれる他の表象が必要ですが、それはマルクスが「等価形式」と呼んだものではなくないかと喚起したのは柄谷でした。江戸思想史は注釈と批評の歴史です。注釈は言語の存在と共にあり、他方で批評は言語から自立する空間ですね。フーコが書いてあるようなヨーロッパの注釈と批評の歴史を勉強しなくとも、江戸思想史にあります

・日本でソシュール研究は朝鮮の大学を支配した戦前に遡ります。ソシュールは記号について差異のことを言ったのに、言語について語っていたと考えられたのです。時枝誠記において言語について差異を考えた結果、漢字で書かれた日本語文を分析することになりました。通説では、これは時枝の間違いとされますが、わたしはそう思いません。日本語において主語は漢字で書かれることを時枝は発見しました。そうして、言語の自立的あり方(音声中心の母国語つまり国語)とは自立した言語の他者的なありかたを差異として考えていきます。漢字は借り物であると考えて、今日の国語学者のように音声的な起源を考えていく必要がありません。しかし文を包摂する助詞について語り出したとき、時枝の言語学は他者性を失いました。
現代中国の根源的誤謬は、彼らが帝国主義による文化的支配をいまも漢字の優位によると考えていることです。たしかに漢字は仏教を翻訳して周辺の他の国(日本)に伝えることができました(華厳教はインドの中国化です)。何故翻訳が出来たかというと、まあ、漢字は表象の帝国だったからでしょう。漢字は今日のようにシニフアンとシニフィエの非常に限定された関係しかもっていなかったのではありません。しかしその漢字は、現代中国のもとにどんどん簡素化されて音声化されています。現代中国語はマイノリティーにとって中国人の国家言語でしかないのです。だから彼らの同化主義が反発されるのです。
自分の研究している領域に引っ張って恐縮ですが、たとえば、「鬼神」の字ですが、これは目に見えずこれも聴こえないものと語られたのですが、『中庸』において、初めて宇宙論的に構成されました。その後、朱子は鬼神を精神であるという言説を展開しますが、これは仏教の「空」の中国化ではないかと思えます。朱子が鬼神について語るためには、「空」と「無」の違いをめぐる1000年要した儒教と仏教の間の思想闘争がありました。徳川日本の古学は、朱子学脱構築ですから、荻生徂徠から、古代がどのように鬼神を考えたかを語り出します。徂徠は学的鬼神論を語り始めましたが、それに対して平田篤胤のような民情論的鬼神論が言われます。これらの言説が後期水戸学の政治神学の言説を形成します。「鬼神とは何か?」。それは実体があるのではなくて、鬼神論についての学者的議論に中に存在するというわけです。これがポストモダンが見いだす言説的差異の意味です。名が先にあるのですね、その後に物が語れます。

 

No.20フーコカフェー ポストモダン的表象

・言語(ランガージュ)の実在がひとたび欠落すると、残るのは表象作用における言語(ランガージュ)の働き、すなわちその<言説>としての性格及び効力だけとなる。<言説>とは、言語記号によって表象された表象そのものにほかならない。だがしかし 
言語記号の特徴とは何なのであろうか?言語記号にたいして、他のあらゆる種類の記号よりもyいく表象を表示し分析sじ再構成することを可能ならしめる、あの不思議な力とは何なのか?記号のあらゆる体系のうちで、言語(ランガージュ)固有のももとは何であろうか。

・・けれども、直ちにいくつかの帰結を引き出しておかなければなるまい。<第一>の帰結として、固定主義時代における言語(ランガージュ)も学がいかに分割されているかが明らかとなる。一方に、<型>(フィギュール)と<トロープ>ーすなわち、言語(ランガージュ)が言語記号のかたちで空間化される仕方ーを扱う<修辞学>は、言語(ランガージュ)の使用と共に生じる表象の空間性を規定し、<文法>は、それぞれの言語(ラング)について、その空洞性を時間のうちに分布する順序を規定する。

一般分法「語ること」フーコ

 

No.21フーコカフェー ポストモダン的表象

<普遍的特徴記述>と<観念学>とは、言語(ラング)一般(それは、あらゆる可能な秩序を唯一の基本的表(タブロー)の同時性のなかに展開する)の普遍性と、網羅的言説(デイスクール)(それは、連鎖関係にある可能な認識のひとつひとつに対して、唯一で有効な発生過程を再構成する)も普遍性とが対立するように対立している。しかし、両者の企てと共通の可能性とは、古典主義時代が言語(ランガージュ)に貸し与えたある種の能力のうちに宿っているのだ。それは、いかなるものであれあらゆる表象に正直な記号(シーニュ)を与え、表象相互の間に、可能なすべての結合関係を設定する能力にほかならない。言語(ランガージュ)があらゆる表象を表象しうる限りにおいて、言語(ランガージュ)は当然普遍的なものが宿る場である。自らのもつ語の間に世界全体を収用しうるような言語(ランガージュ)が少なくとも可能なものとして存在しなければならず、逆にまた、表象されうるものの全体としての世界は、その総体において、一個の<百科事典>になることができなければならない。
そして、シャルル・ボネの壮大な夢は、ここで、表象に結びつきこれに依存するももとしての言語(ランガージュ)のあり方と合致するわけだ。「私は、数えきれぬほど多くの<世界>が、それぞれ書物であると考えるのを好む。それらを集めるたものが、<宇宙>という膨大な<書庫>、もしくは真の普遍的<百科全書>を形作るのである。これらさまざまな世界のあいだにある見事な漸次的推移は、それらを巡歴するーあるいはむしろ、読むーことを許される優れた叡智に対して、そこに隠されたあらゆる種類の真実の獲得を容易ならしめ、彼らの認識のうちに、それらの主要な美を形成するあも秩序と連鎖とをもたらすのだと思う。しかしながら、これらの天の<百科事典編者>たちhs、みな同じ程度に<宇宙論の百科事典事典>に精通シテいるわけではない。ある者はいくつかの部門にしかし通じないが、より多くの部門を理解する者もある。けれども、彼らは皆、知識を増大し完成させ、さらに自らもすべての能力をはってさせるため、永遠の自己をもっているのだ」。

・古典主義時代の<エピステーメー>におけるそれらも可能性の基礎をなすのは、言語(ランガージュ)の存在(エートル)が表象におけるその働きに完全に帰着するとすれば、逆に表象は、言語(ランガージュ)の媒介によってのみ普遍的なものと関係をもつという、まさにそのような事実にほかならない。

・古典主義時代においては、認識することと語ることとは同一の網目の中で錯綜する。私にとっても言語(ランガージュ)にとっても、表象み記号を与え、その記号によって表象を必然的で可視的な順序に展開することが問題んsのだ。16世紀の知は、言表された場合にもひとつの秘密であり、ただ共有された秘密となるに過ぎない、17世紀と18世紀の知は、隠されている場合にもひとつの言説であり、ただそのうえにヴェールがかけられているのにすぎない。というのは、そももっとも根源的に本性からして、学問とは言語による伝達も体系に属するものであり、言語(ランガージュ)は最初の一語からして既に認識であるのだ。

・いまや、17世紀後半に現れ、次mp世紀も末葉に消滅した、<一般文法>の認識論的な場を想定できるであろう。一般文法は全く比較文法ではない。それは、諸言語(ラング)間の比較を目的とするわけでも、またほうほうとして利用するわけでもない。というのは、一般文法の一般性とは、あらゆる諸言語領域に共通な、そして可能な限りのすべての言語(ラング)も構造を拘束力ある観念上の統一体として出現させるような、固有の意味での文法的法則を一般文法が一般的であるのは、それが、文法的諸規則のしたに、しかもそれらの基礎をなすもののレベルにおいて、言説の表象的機能ー表象されているものを指示する垂直方向の機能にせよ、言説を思考と同一の様態に基づいて帰結する水平方向の機能にせよーを示そうとする限りにおいてなのだ。一般文法が言語(ランガージュ)を、もう一つの表象を分節化する表象として出現させる以上、一般文法は「一般的」と呼ばれる正当な権利をもつ。それが扱うのは、表象の内部における二重化だけである。

・このことから、一般文法は必然的に二つの方向をとる。言説が自己の各部分を連結する仕方が、表象が自らの各要素を連結する仕方と同様である以上、一般文法は、他の語との関係における語の表象関係を研究しなければならない。そのためには、まず語と語とを結びつける紐帯の分析(命題の理論、とりわけ動詞の理論)、ついで、語の種類のタイプとそれら相互の区別や、それらが表象を裁断する仕方の分析(分節化の理論)が前提されるであろう。けれども他方、言説が単なる表象的総体ではなく、その表象するものがさらにまた表象であるという二重化された表象である以上、一般文法は、語がその語るものを指示する仕方を、まず語の原初的価値において(起源と語根の理論)、ついで語がつねにもつ変位、意味拡張、再組織の能力について(修辞的空間と転移の理論)、研究しなければならない。

 

 

No.22 フーコカフェー ポストモダン的表象

・しかしある観念を肯定するとは、その実在を言表することであろうか?ーボーゼは、まさにそう考え、動詞がその形態の内に種々の時制を取り入れた理由のひとつをそこに見いだした。つまり、物の本質は変化するものではなく、ただその実在だけが、現れては消え、過去と未来とをもつからである。これに対して、コンデイヤックは、実在を物うぃ奪うことができるのは、それが一つの属性以上のなにものdrもないからであること、動詞は実在ばかりでなく死減をも肯定できることを指摘した。動詞が肯定する唯一のものを、例えば緑色と樹木、人間と実在または死といった、二つの表象の共存にほかならない。だかこそ動詞の時制は、物が絶対的に実在した時を示すのでは無く物同士の先後関係や同時性の相対的体系を占めのである。(...)こうしたわけで、全ての言語(ランガージュ)をその指示する表象に関係づけるのが、<ある>(エートル)という動詞の本質的機能だというとになろう。それが記号(シーニュ)から溢れ出て向かう存在こそ、まさしく思考の存在にほかならない

動詞の理論、第4章語ること

・それは、言説が、表象に与えられたものを部分ごとに<名指す>語からできているからだ。

・語は指示する。すなわち、その本性において語は名詞である。しかもそれは、まだ他のいかなる表象でもなくあるひとつの表象に向かられている以上、固有名詞なのである。したがって、主辞ー属辞関係の普遍的言表ほかならぬ動詞の画一性に対して、名詞は無限にひしめきあうこととなろう。名詞は名指すべき物と同数だけなければならないからだ。だがその場合、それぞれの名詞はそれが指示する表象に完全に密着してしまうから、いかなる主辞ー属辞関係をも定立することができず、言語(ランガージュ)は言語(ランガージ)以下のものに下落してしまうに違いない。「われわれは実詞として固有名詞しか持たないならば、その数を無限にふやさなければなるまい。それらの無数の語は、記憶力に過重な負担をかけ、われわれの認識の対象にも、したがってわれわれの観念にも、いかなる秩序をももたらさず、われわれの言説は酷い混乱におちいるであろう。」名詞が文中で機能を持ち、主辞ー属辞関係の定立が行われるためには、二つの名詞の一方(少なくとも属辞)が、お多くの表象に共通のな何らかの要素を指示しなければならない。名詞が一般性をもつことが言説の諸部分(🟰種々の品詞)にとっては必要なのだ。

『ポール=ロワイヤル論理学』の筆者たち学言うように、物を意味する(シニフィエ)語は、<大地>、<太陽>のように、<実名詞>と呼ばれる。様態を意味し(シニフィエ)、同時にそれが適合する主辞に標識を与える語は、<良い>、<ただし違>、<丸い>のように<形容名詞>と呼ばれる」とはいえ、言語(ランガージュ)の分節化と表象のそれとのあいだにhs、ずれの生じる余地がある。「白さ」という場合、指示されているのはまさに品質であるが、それは実詞によって指示されているし、「人間たち』(humains)という場合、「人間的な」(human)という形容詞を用いて、それぞれ自体で存立する個体が指示されている。こうしたズレは、言語(ランガージュ)が表象以外の法則に従うことを示すのではなく、むしろ逆に、言語(ランガージュ)が、自らに付随するものとして、自らも厚みのなかに、表象における諸関係と同一の関係を供ええていることを示すものにほかならない。実際のところ、言語(ランガージュ)は二重化された表象なのではなかろうか?言語(ランガージュ)は、表象の諸要素に、その表象を表象する以外に機能も意味も持たぬとはいえ、その第一の表象とは別のものである、そうした第二の表象を組み合わせる力をもつのではないか?言説が、修飾を指示する形容詞をもってきて、文の内部でそれに命題の<実体>としての価値を持たせるとすれば、そのとき形容詞は実詞となる。反対に、文中で偶有性として働く名詞は、元通り実体を指示しながら形容詞となる。

・「実体とはそれ自体によって存立するものであるから、言説の中でそれ自体によって存立べきすべての語を、たとえ偶有性を意味するものであっても実詞と呼び、反対に、実体を意味する語でも、その意味したからいって、言説の中でほかの名詞に付加されなければならぬ場合には、それを形容詞と呼んだのである。」命題の要素相互の関係は、表象の要素のそれと同一であるが、この同一性は、あらゆる実体が実詞によって指示され、あらゆる偶有性が形容詞によって指示されるというふうに、一対一の対応によって保証されているのはわけではない。それは、全体としてに、性質上の同一性である。つまり、命題はひとつの表象で<あり>、表象と同一の様式で分節化されているのである。けれども、表象を言説に変形するに際して、命題はそれをさまざまなな仕方で分節化することができる。明大はそれ自体ひとつの表象であって、それがもう一つの表象を分節化するわけだが、その際ある種のずれの生じる可能性が残されており、このことが、言説に自由を与えると共に、諸言語(ラング)のあいだの相違をもたらすのである。

 

No.23フーコカフェー ポストモダン的表象

・けれども、「一般化された命名」の理論は、言語(ランガージュ)の末端に、物とのある種の関係、命題性質とは全く性質を異にする関係を発見する。言語(ランガージュ)に根本的機能が、名指すこと、すなわち、ある表象を取り上げ、それを指で指すように示すことであるならば、言語(ランガージュ)は指示であって判断ではばい。(・・・) 言語(ランガージュ)の起源を明らかにすること、それは、言語(ランガージュ)が純然たる指示であった原初の瞬間を再発見することである。
ー指示作用

・したがって人間は、話す主体として、もしくは既に出来上がった言語(ランガージュ)の内部から、自己の周囲に、解読し再び聞き取れるようにすべき無言の言葉(パロール)に似たももとして、記号(シーニュ)を発見するものではんし。表象が自己に記号(シーニュ)を与えるからこそ語が生まれ、それにともなって、その後の音声記号の組織化にほかならぬ言語(ランガージュ)全体が生まれるのだ。「動作による言語(ランガージュ)」hs、その名にもかかわらず、言語(ランガージュ)を動作から隔てる記号の還元不能の網目うぃ出現させるわけである。

・語根とそれが名指しているものとの類似は、人間たちを結びつけ動作による言語(ランガージュ)を言語(ラング)として整えた約束事によって、はじめて言語記号(シーニュヴェルブ)としての価値をもつものにほかならない。
・原初の語根から遠ざければ遠ざかるほど、横の線で規定される言語(ラング)は複雑となり、しかもおそらくは新しいものとなるわけだが、同時にその場合、語は表象の分析に際してより有効で精緻なものとなるであろう。歴史的空間と思考の基盤目は、こうして正確に重なりあうに違いない。

・語が根源的本質において名詞すなわち指示名詞であり、またそれが表象そのものが分析されるのと同じ様態で分節化されているとすれば、語はなぜ抗いがたい力で起源における意味(シニフィカション)から遠ざかり、隣接した意味、より広い意味、もしくはより狭い意味を獲得することができるのだろうか?語はなぜ、形態のみならず意味の広がりまで変えるのだろうか?語gs新たな音ばかりだけでなく新たな内容を獲得し、その結果同一のものだった一組の語根から、異なる音、さらには互いに意味の対応しない語が、さまざまに言語(ラング)によって形成されたのはなぜなのか?

・アルファベット文字は、表象の図示を断念することにより、理性そのものとって有効な規則を音の分析に移入する。その結果、個々の観念を表象しないとはいえ、それらは観念と同じように結合され分離される。表象と文字記号(グラフイズム)との正確な平行関係を破ることによって、書かれたものを含む現象(ランガージュ)全体を分析の一般的領域に宿らしめ、文字表記進歩と思考の進歩を並立させることができたのである。
6転移

・ 「 中央市場で市の成り立つ日には、アカデミーの数日にわたる会合の席上生まれる以上の比喩形象(フィギュール)が生じる。」この可動性は、起源において、今日におけるより遥かに強かったと考えられる。今日では、分析が精緻を極め、基盤目が緻密であり、等位と従属の関係がはっきりと確立されているので、語が所定の場所から移動する機会はほとんどない、けれども、語の数が少なく、表現がぼんやりしてよく分析されておらず、情念が表象を変様させたり基礎づけていた人類の黎明期には、語は大きな転位能力を持っていた。語は本来の意味を持つまえに比喩的な意味を持ったとさえ言えるだろう。つまり語は、単称的な名としてのあり方を獲得するとほとんど同時に、自然発生的修辞の力によって、早くも種々の表象の上に拡張されていたのである。ルソーが語るように、人々は人間を指示する以前におそらく「巨人」と言ったのであろう。最初に帆によって船が指示され、霊魂すなわち<プシュケ>は、原初において蝶の姿であらわされていた。

・しかし、分析し、不連続的要素を出現させるこの継起は、表象が精神的眼に対して呈示する空間の中を巡歴するのであり、したがって、言語(ランジュ)が行うのは、表象の断片を線状に配列することにほかならぬ。

ー言語(ランガージュ)の四辺形

・この2本の対角線の交点、四辺形の中央、表象の二重化が分析として現れ、代替部が分離の能力を帯びるところ、それゆえに表象の一般的分類法の可能性と原理とが宿るところ、そこに<名>(名詞)がある。名指すとは、ある表象の言語表現を与えるのと全く同様に、この最初の表象を一般的表(タブロー)の中に位置づけることである。古典主義時代の言語(ランガージュ)理論のすべては、こも特権的で中心的な存在のまわりに組織される。表象が命題の中に現わされうるのはまだにこも存在による以上、言語(ランガージュ)のすべての機能はこの存在の中で交叉するわけだ。

サドと共に、言語(ランガージュ)が欲望の舞台、充足、際限のない端緒となり、その全域にわたって欲望に貫かれているときであった。われわれの文化の中で、サドの作品が絶えざる本源的呟きとしての役割を演じるという事実は、まさにそこに由来する。ついにそれ自体のために発音された名のこの暴力によって、言語(ランガージュ)は物としての兇暴な姿をあらわにするのだ。名詞(名)以外の「品詞」も自律性を帯び、名詞の至上権を脱し、名詞の周りで装飾としての付属的輪舞を踊るのをやめる。そして、言語(ランガージュ)を名の周辺に「引き止め」、その直線に言い表さぬものを表示させることのうちにはもはや特異な美がない以上、ここに、言語(ランガージュ)をその生のままの存在(エートル)において顕示する役割を持った、言説的でない言説が生まれるであろう。言語(ランガージュ)のこの周辺の存在(エートル)こそ、やがて十九世紀が<言葉(ヴェルブ)>(言語(ランガージュ)を表象の存在に絶えずそっとピンで留めるという機能をもっていた古典主義時代の「動詞(ヴェルブ)」に対して)と呼ぶこととなるものである。そして、
言語(ランガージュ)のこの存在を保持し、それをそれ自体のために解き放つ言説こそ文学にほかならない。

・しかし、他の三つの理論的線分は、それとはまったく異なった要請を含んでいる。すなわち、語の起源から出発してその転移が起こり、ある語根がその意味と起源において既に結合し、さらに表象の分節化された裁断が生じるためには、すでに最も直接的な経験において、者同士の類比関係の呟き、最初から与えられている類似がなければならないのである。

・古典主義時代における「現世」の基本的任務は、<物に名を付与し、この名においてももの存在(エートル)うぃ名指す>ことである。二世紀にわたって西欧の言説hs存在論も場であった。つまりそれは、表象一般の存在を名指すとき、哲学、すなわち認識の理論および観念の分析であり、表象された個々の物に適切な名を付与し、表象の場全域にわたって「よくできた言語(ラング)の網目を張り巡らすとき、学問ーすなわち、名称体系と分類法ーだったのである。

 

 

No.24フーコカフェー ポストモダン的表象

・そしてその事は、学問が合理的な使命と素朴な伝承の重みとも間でためらっていたことからくるのではなくそれより遥か明確で遥かに拘束力をもつ理由に基づいている。つまり、やがて十七世紀に表象の様態とばる記号(シーニュ)が、当時はまだ物の一部をなしていたことにほかならない。
ー第5章分類すること

・動物と絡みあっていたさまざまな語がほどかれて取りさられ、解剖学的要素、形態、習性、誕生、死をもつ生身の存在が剥き出しのままに現れているのだ。博物学(イストワール・ナチュレル)は、語と物とのあいだにいまや開かれたこの隔たりのうちに自らの場を見いだす。ー沈黙の支配するこの隔たりに、そこではいかなる言葉の沈積も生じないとはいえ、表象の諸要素、すなわち、やがて正当な権利をもって名指されるであろうまさにその諸要素にしたがって、すでに分節化されている。

博物学(イストワール・ナチュレル)とは、ーそしてそれこそまさしくこの時期にそれが出現した理由だがー名指すことの可能性をみこした分析によって表象のうちに開かれる空間にほかならない。

・このように配置され、このように理解された博物学は、物と言語(ランガージュ)とが共に表象に依存することをその成立条件としている。しかし、博物学になすべき仕事があるのは、物と言語(ランガージュ)とが切り離されているからにほかならない。したがって博物学は、こも隔たりを短縮し、言語(ランガージュ)を視線にもっとも近いところまで、導かなければならない。博物学とは、まさに可視的なものに名を与える作業なのだ。ー構造こも四つの可変要素は、植物の五の部分ー根、茎、葉、花、果実ーにも同様に適用できるし、表象に対して呈示される延長の特徴を十分に規定するものであるから、この延長を分節化して、誰しもが容認するような記述を行うことが可能となろう。ー構造

・表象が雑然としかも同時性の形で与えるものは、構造によって分析され、かくて言語(ランガージュ)の線状の展開のうちにすぐにも取り入れうるものとなる。

・通常の言語(ランガージュ)では、表象を充足する種々の名がそれをさまざま様態に基づいて分節化するから、同一の表象が多数の命題を生むことがあるのにたいして、同一の動物、同一の植物は、表象と言語(ランガージュ)のあいだに構造が君臨する限り、同一の仕方で記述されるであろう。

・すでに見たように、自然発生的な言語(ランガージュ)においては、個別的な表象のみに関わる最初の指示名詞が、動作による言語(ランガージュ)と原初の語根のうちにその起源を見出したのち、転移の力によって次第に一般的価値を獲得していった。しかし、博物学はよくできた言語(ラング)である。それは転移やその比喩形象(フィギュール)に拘束されるべきでも、またいかなる語源を信用すべきでもなかろう。それは、日常の言語(ランガージュ)では切り離されている二つのものを、ただ一つの操作のうちに結合しなければならない。つまり博物学は、自然の諸存在すべてを極めて明瞭に指示すると同時に、他のものとの比較と区別とを可能にする同一性と相違性の体系のうちに、それらを位置づけなければならないわけだ。

・特徴の設定は容易であると同時に困難である。容易であるというのは、博物学が、分析しがたい表象から出発して名の体系を設定するのではなく、すでに記述のうちに展開されている言語(ランガージュ)を、こも体系の基礎とするからだ。命名は、見えているものを出発点とするのではばく、構造によってすでに言説の内部に移された諸要素を出発点として行われるであろう。(...)けれどみ、直ちに大きな困難が立ちはだかる。自然の諸存在すべてのあいだに同一性ち相違性を設定するためには、記述において言及されえたひとつの特質を考慮しなければならない。ー特徴

・十七世紀以降、記号(シーニュ)はもはや同一性と相違性に基づく表象の分析のうちにしかなくなる。

・言語(ランガージュ)において普通名詞(🟰共通の名)が可能となるためには、物相互のあいだに直接的類似がなければならず、その直接的類似のおかげで、能記となる要素は、物の表象に沿って走り、その表面で変位し、その類似点にまとわりつき、かくしてついには多数の物に適用しうる指示名称を形成することができた。しかし、名が次第に一般的価値を帯びていくこの修辞的空間を描き出すには、この直接的類似が何であるか、それが真実に基づくか否か、否定する必要はなく、ただこの類似が想像力に充分な力を貸し与えるというだけでこと足りたのだ。だが、よくできた言語(ラング)である博物学にとっては、想像力に基づく類比は保証となり得ない。経験における反復の必然性についてヒュームは根源的懐疑を抱いたが、あらゆる種類の言語(ランガージュ)と同じくこの懐疑に脅かされている博物学も、それを回避する手段を見出さなければなるまい。つまり、自然には連続性があると考えるなければならないのである。ー連続体と天変地異

古典主義時代における博物館学は、好奇心の新たな対象の単なる発見に照応するものではなく、表象の一総体のうちに恒常的秩序の可能性を導入する一連の複雑な操作に対応している。それは、経験性の一領域全体を、<記述しうる>と同時に、<秩序づけうる>ものとして成立させるのだ。これこそ、博物学を言語(ランガージュ)の理論に結びつけると同時に、それを19世紀以来われわれが生物学という言葉で理解しているものから区別し、博物学に古典主義時代の思考においてある種の批判的役割を演じさせるものなのである。
 
・自然発生的な「出来の悪い」言語(ラング)では、4つの要素(命題、分節化、指示作用、転移)がそれぞれのあいだに空隙を残している。それゆえ、各人の経験、欲求や情念、習慣、偏見、注意力の低下の程度に応じて、幾百の言語(ラング)が生じたのだし、しかもそれらは、造形ばかりでなく、なによりも語が表象を裁断する際の仕方によって区別されるのだ。

・しかもそれは、この連続体がよくできた
言語(ランガージュ)を基礎づけうるからばかりではなく、一般的にすべての言語(ランガージュ)を説明するからなのだ。ある表象が、不明瞭に知覚された漠然たる何らの同一性によって他の表象を想起させ、共通の名(普通名詞)という恣意的な記号の両者への適用を可能にするというふうに、記憶というものに働く機会が与えられるのは、たぶん自然的連続性を持つからにほかならない。

・批判の問題は、概念から判断へ、種族の実在(表象の分析によって得られた)から表象相互を結合す可能性へ、名づける権利から属辞関係定立の基礎をなすものへ、名による分節化から命題そのものとそれを成立せしめる<ある>という動詞へ、と移行する。

 

No.25フーコカフェー ポストモダン的表象

・世界に実在するあらゆる物のうちで、重商主義が「富」と呼ぼうとしているのはいかなる物なのであろうか?それは、表象可能であるうえに欲望の対象となるような、そうしたすべての物である。
ー交換すること

・貨幣とは、富の表象を可能にするものである。

重商主義の経験を通じて、富の領域は表象の領域と同一の様態に基づいて成立する。すでに見たように、表象は自らを出版点として自らを表象する能力をもつ。すなわち、自らも内部にひとつの空間を開いてそこで自己分析を行い、記号の体系および同一性と相違性の表(タブロー)の設定を可能にする代替物を、自己固有の要素を以って形成する能力をもつ。同様に富は、互いに交換され、相等と不等の関係を可能にするいくつもの部分に分析され、貴金属という完全に比較可能なあの富の要素によって互いに他の富の記号となる、そうした能力を持つもである。そして、表象の全領域が、その表象をさらに表象する第二次の表象によって、切れ目のない連鎖の形で覆われたのと同様に、世界もあらゆる富は、ひとつの交換体系に所属する限りにおいて互いに他の富と関係づけられるのだ。ある表象と他の表象とのあいだには、意味作用の自律的行為というものはなく、ただし単なる無限の交換可能性があるに過ぎない。その経済上の決定因および帰結がいかなるものであったにせよ、<エピステーメー>のレベルにおいて検討すれば、重商主義は、価格と貨幣に関する反省を表象の分析正当な線上に行うとする、ながいゆっくりとした努力と見えるだろう。

・表象作用において、記号がその表象しているものを思考の前に呼び戻す力をもつ。貨幣とは、個体となった記憶、二重化される表象、まだ実現されていない交換にほかならない。

・担保として、貨幣はある一定の富(顕在的であると田舎とを問わず)を指示する。つまり貨幣はこの富の価格を定めるのだ、けれども、貨幣と諸々の商品との関係、したがって諸物価の体系は、ある時点における貨幣あるいは商品の量がかわれば直ちに変化する。財に比して貨幣の量が少なくなれば、貨幣は大きな価値を持ち、物価は低下するであろう。富にたいして有り余るほど貨幣の量が増加すれば、貨幣の価値は下落し、物価は上昇するだろう。貨幣の持つ表象および分析の能力は、一方において通貨の量、他方において富の量にしたがって変化する。この能力が恒常的であるのは、二つの量が一定しているか、両者が同時に同じ比率で変化する場合に限られるであろう。

・それに反して貨幣の場合には、時間は、表象を律する内的法則に属し、この法則と一体をなしているのであって、貨幣の体系において自らを表象し分析するという、富の能力につきまとい、それを耐えまなく変化させる。博物学が相違によって分離された同一性の領界を見いだしたところに、富の分析は、微分ーすなわち増加および減少への傾向ーを見いだすのである。

・こうしたすべては、貨幣という記号を、富にたいして、語十全な意味における<表象>とみなす思考形態の結果にほからぬ。

・ひとつは、価値を交換という行為それ自体、与えられるものと受け取られるものとの交点において分析するものである。

・いまや、<重農主義>とその論敵とにおいて、理論的要素が同一であることが納得されるであろう。基本的命題は両者に共通である。つまり、あらゆる富は土地から生じ、物の価値は交換と関係があり、貨幣は流通状態にあえう富の表象として勝ちをもつ、すなわち、流通は可能な限り単純かつ完全でなければならぬ、とされるているのだ。
・したがって<価値>は、富の分析において、博物学における<構造>と正解に同じ地位を占めるのであった。<構造>と同様に、記号と別の記号、表象と別の表象とのあいだに主辞ー属辞関係を定立することを可能ならしめる機能と、諸表象の総体を合成する要素やそれらを分解する記号を分節化することを可能ならしめる機能とを、ただひとつの創作のうちに結合するわけだ。

・富の秩序、自然の諸存在にうちたげられ、その姿を明瞭にあらわすのは、必要の対象や可視的な個体相互のあいだに記号の体系が設定され、この体系によって、諸表象間の相互的指示作用、能記となる表象の所記となる表象との関係における転移、表象されるものの分節化、ある種の表象と他のある種の表象とのあいだの主辞ー属辞関係定立という、四つの作用が可能となる限りにおいてである。

・こうした転移の一定の瞬間において、そしてまたひとつの個別的言語(ラング)の内部において、人々は、語の一総体、互いに分節的に連接しつつ表象を裁断する、名の一総体を所有している。

・表象および存在の連続体、無の不在として消極的に規定された存在論、存在の表象可能性、表象の建前による存在の顕現ーこうしたすべては、古典主義時代の<エピステーメ>の全体的布置の一部をなしている。

・したがって、表象の分析は、すべての経験的領域にとって決定的価値をもつ。古典主義時代における秩序の体系のすべて、すなわち、物をその同一性の体系によって認識することを可能ならしめるあの偉大な<タクシノミア>のすべては、表象が自らを表象するとき自らの内部に開く空間も中で展開される。
ー欲望と表象

・この逆転が起こるのはサドの時代である。あるいはむしろ、倦むことを知らぬサドの作品が、欲望の掟なき掟と言説的表象の細心な秩序づけの、束の間の均衡をあらわしているというべきかもしれない。言説の秩序はそこに自らの<限界>と<掟>を見いだすが、この秩序はまだ自らを支配するもの自体と同一の広がりを保つ力を残している。それこそ、おそらくは、西欧世界で最後のものだったこの「遊蕩」(これ以後、性の時代が始まる)の原理があるのだ。

•ところで、物語の第二部において、ドン・キホーテはおのれの真実と掟をこの表象された世界から受けとる。いまや彼は、自分がその中で生まれた書物、自分では読んだことのない、けれども自らその筋を追わねばならぬこの書物が、他人によって彼にかせられることとなった運命を彼に告げてくれるのを待つだけでよい。彼はただ、言われるがままにひとつの城に住み続ければよく、その城の中で、かつて自らの狂気によって純粋表象の世界に分け入った彼自身が、ついにはひとつの表象的仮構の中の純然たる登場人物と化するのだ。古典主義時代のもう一方の端、すなわちその頽落の時期にあって、サドの登場人物達はドン・キホーテに呼応する。

・『ジュステイーヌ』は『ドン・キホーテ』の第二部に正応するであろう。その深い存在において表象であるドン・キホーテ自身が、自らの意志に反してその表象の対象であるように、ジュステイーヌは、まさに彼女自身がその純然たる起源にほかならぬ欲望の、際限のない対象なのである。ジュステイーヌにおいて、欲望と表象とは、主人公を欲望の対象として表象する<他者>の現前によって結びつくのに過ぎず、彼女自身は、表象という、軽く遠く外的で冷たい形でしか欲望というものを知らない。これが彼女の不幸である。つまり欲望と表象との間に、彼女の天真爛漫さが常に第三者として介在しているのだ。ジュリエットのほうは、可能な限りのあらゆる欲望の主体にほかならない。しかも、それらの欲望は残らず表象のうちに取り込まれ、表象がそれらを条理にしたがった仕方で<言説>として定着させるばかりか、さらには意志的にそれらを<場面>に変形する。だからジュリエットの生涯も長い物語は、欲望、暴力、残虐行為、そして死を語りながら、同時に表象の純然たる表(タブロー)を展開するわけだ。けれどもこも表示は、ほとんど厚みがなく、倦むことなくそこに蓄積されては固有の結合法の力のみで繁殖していく欲望の比喩形象すべてにたいして全く透明であるため、世界と書物との混在する道を相似から相似へと進んでいるつもりでいて、実は彼自身をあらわす表象の迷路に入り込んでいった、あのドン・キホーテの表と同じように不条理なものなのである。『ジュリエット』が、表象されたもののあに厚みを削ぎ落としたあとには、欲望のあらゆる可能性が、いささかの空隙も言い落としもなく、いかなるヴェールにも覆われぬ姿で露呈されるのだ。

・こうした意味で、この物語は、ちょうど『ドン・キホーテ』がそれを開いたように、古典主義時代を閉じるのである。この物語が、ルソーやラシーヌと同時代に属する言語の最後のものであり、「表象する」こと、すなわち<名指す>ことを目指す最後の言説であるのは事実だが、周知のように、この儀式はここではぎりぎり必要なものに限られ(物はその必要最小限の名で呼ばれ、一切の修辞的空港は解体する)、、同時にまた際限もなく引き伸ばされている(この物語はあらゆるものを名指sじ、もっとも取るに足らぬ可能性をも見逃さない。なぜなら、それらの可能性<欲望>の<普遍的特徴記述>に基づいてひとつひとつ検討されているからだ)。
サドは古典主義時代の言説と思考の果てに到達した。彼はまさにそれらの限界に君臨している。彼以後、暴力、生と死、欲望、そして性が、表象のしたに巨大んs連続面を広げはじめ、われわれは今日、この影の連続面を、われわれの言説、われわれの自由、われわれの思考の中にとり入れようとして、できる限りの努力を払っているのだ。けれどもわれわれの思考は極めて限られており、われわれの自由は極めて福寿に甘んじやすく、われわれの言説にはあまりにも無駄な繰り返しが多いので、結局のところわれわれは、この下方の影を極め尽すのは海をのみつくそうとするぐらいの事柄と認めざるを得ない。『ジュリエット』の栄えはますますその孤独を深めつつある。そしてこも栄えには果てしというものがない。

 

No.26フーコカフェー ポストモダン的表象

・人間の富、自然界の種、諸言語を構成する語は、なお、彼らが古典主義時代においてあったところのもの、すなわち、二重化された表象ー自ら表象であると同時に、諸表象を指示し、分析し、合成し、分解する役割をおび、かくて諸表象のうちにそれらの同一性と相違性の体系と共に秩序の一般的原理を出現させるものーであり続ける。
ー第七章 表象の限界

・・この労働のもつ生産力の大きさについていえば、それは、個人的技術や利益の計算によるというよりも、商業の進歩、分業の増大、資本の蓄積、生産的労働と非生産的労働の分離といった、これまた表象の外部にある諸条件に基づいている。
ー労働という尺度

・こうして、名と種族、指示と分類、言語と自然は、もはや当然のこととして交錯しあうものではなくなる。語の秩序と諸存在の秩序とは、もはや人為的に定められた一本の線で交わるに過ぎない。この古い依存関係の線こそが、古典主義時代における博物学うぃ基礎づけ、構造から特徴まで、表象から名まで、そして可視的な個体から抽象的な種族まで、一挙に導くものだったが、その絆がいまやほどけはじめる。
ー生物の組織

・言語(ランガージュ)は、量的でない秩序のあらゆる形態のうち、もっとも直接的であり、もっとも意図的でなく、表象固有の働きにもっとも深く結びついたものであった。そして、その限りにおいて、言語(ランガージュ)は、諸存在の分類や富の交換によって立てられるあの反省的秩
学問的であるにせよ利己心に基づくにせよーよりも、表象とその存在様態のうちに深く根をおろしていたのである。(...)だが、言語(ランガージュ)の学がおなじように重要な変動を被るためには、西欧文化における表象の存在(エートル)そのものまでをも変化させうるほどの、さらに深い出来事が必要だったのだ。17、18世紀における名理論が表象作用の極めて近くに宿り、そのことによって、生物の領域における構造と特徴に分析や、富の領域における価格と価値のそれをある程度まで律していたのと同じく、古典主義時代の終わりにあたってもっとも長く生き延びるのは名に理論であり、それが解体するのは、やや遅れて、表象それ自体がその考古学的体制のもっとも深いレベルにおいて変様をどげるときのことである。
19世紀初頭に至るまで、言語(ランガージュ)の分析はまだごくわずかな変化しか示さない。語は相変わらず、それらすべてに同一の存在様態を指定する潜在的要素として、その表象的価値から出発して考察されている。とはいえ、それらの表象的内容は、もはや、それらを絶対的起源ー神話的であると否とを問わずーに近づける次元においてのみ分析されるのではない。(..)
18世紀の最後の25年間になると、諸言語(ラング)の水平方向の比較は、別の機能を獲得する。それはもはや、それぞれの言語(ラング)が父祖から伝わったいかなる記憶をとどめているか、バベル以前のいかなる標識が語の音の中に宿っているかを教ええうのではなく、言語(ラング)同士がどの程度に似ているか、それらの相似の濃度はいかなるものか、それらはどの程度に互いに透明であるかを教えるべきものとなるのだ。

・ところで、18世紀末における諸言語(ラング)の対比は、意味内容の分節化と語根の価値とのあいだに、もうひとつの中間的形象があることを明らかにした。すなわち屈折である。なるほど、文法家達は、久しい以前から屈折という現象を知ってはいた。(博物学においてパラスysラマルク以前に組織の概念が、経済の領域でアダム・スミス以前から労働の概念が、知られていたように)。けれども屈折はーこれを付帯的表象とみなすにせよ、そこに表象の相互を連結するある種の仕方(いわばもう一つの語順ともいうべきもの)を見るにせよーその表象的価値ゆえに分析の対象となったのに過ぎない。

・十八世紀の末に至るまで、この新たな分析は言語(ランガージュ)の表象的価値の探究の内部にとどまっている。問題とされているのは依然として言説なのだ。だが既に、屈折体系というものを通じて、純粋に文法的なものも次元があらわれる。言語(ランガージュ)はもはや、さまざまな表象と、それらをさらに表象しつつ思考の結合の要求する通りの秩序に配列される音という、この二つのものだけから構成されるのではない。言語(ランガージュ)はさらに、体系としてのまとまりをもつ形態上の要素から構成されており、それが、音、音韻、語根に、表象の体制とは異なった体制を課するのである。

・こうして言語(ランガージュ)の分析のなかに、表象に還元しえぬ要素が導入されたのだ(ちょうど、交換の分析の中に労働の概念が、特徴の分析に組織の概念が導入されたように)、このことから生じる最初の帰結として、18世紀末に、もはや音の最初の表現的価値を探究するのではなく、さまざまな音とそれらの相互関係、ある音が他の音に変化する可能性を分析する、音声学が出現したことがあげられよう。

・さまざまな言語(ラング)は、もはや語の指示するものによってではなく、語を互いに結びつけうるものによって対比される。言語(ラング)と言語(ラング)とは、いまや、それらが表象すべきあの無名で一般的な思考の媒介によってではなく、語の相互的配置を定める、かくも脆弱に見えながらかくも恒常的で還元不能なこれらの華奢な道具によって、互い直接通じ合うこととなろう。

・このように、十八世紀の末葉、<一般文法>、<博物学>、<富の分析>において、いずれもおなじタイプの出来事が起こったわけだ。

・表象に与えられていた記号(シーニュ)、それによって成立した同一性と相違性の分析、相似物の繁茂のなかに設けられていた連続的で分節化された表(タブロー)、無数の経験的事物の間に立てられていた秩序、こうしたすべては、これ以降、もはや表象のそれ自体に対する二重化のみに基礎をおくことはできなくなる。この出来事が起こって以来、欲望の対象となる品物を価値あらしめるのは、もはや欲望が自らに対して表象することのできる他の品物ばかりではなく、この表象に還元することのできぬ<労働>という要素である。

・ひとつの言語(ラング)を規定するのは、その言語(ラング)が諸表象を表象する仕方ではなく、ある種の内定建築物 、語が他の語にたいしてとる文法的姿勢に応じて語そのものを変様させるある種の仕方、すなわち、その言語(ラング)の<屈折体系>にほかならない。いずれの場合にも、表象の表象それ自身に対する関係と、この関係によっていかなる量的測定もなしに決定される秩序関係は、いまや、現に与えられている表象そのものの外部にある諸条件によって媒介されることになる。

・古典主義時代には、諸言語(ラング)は表象能力をもつがゆえに文法をもつのであった。いまや諸言語(ラング)は、文法から出発して表象を行う。そしてその文法とは、それらの諸言語(ラング)にとって、いわば歴史的裏面、内的で必然的な嵩ともいうべきものであり、表象的価値hsその煌めく可視的な外面にすぎぬのだ。

アダム・スミス、最初の文献学者たち、ジュシュー、ヴィック・ダジール、ラマルクと共に生じたのは、極めて微小だが全く本質的なひとつのずれであって、それは西欧の思考全体を一挙に転回させずにはおかなかった。すなわち、表象が、その諸要素の間に成り立ちうる結合を、表象それ自体かts出発して、表象固有の展開において、表象を二重化する仕組みによって、基礎づける力を喪失したのである。いかなる合成も、いかなる分解も、同一性と相違性へもいかなる分析も、もはや表象相互の結合を正当化することができない。

・この結合の条件は、以降、表象の外部、その直接的可視性の彼方、表象それ自体よりも深く厚みのある一種の背後の世界に宿るのだ。
・かつては自らに関わる諸表象を同一の形式にしたがって分布させる恒性にほかならなかった物は、いまや自らに巻きつき、固有の嵩をもち、われわれの表象の<外部>に自己の<内的>空間を規定するのだ。

・物のもつ近づきがたい貯えになかから、表象はとるに足りぬ要素を一片一片と剥がしとるのにすぎず、それらを統一するものはつねに物の内部にわだかまっているのだ。

・やがて、一方には、固有の組織と密かな脈網をそなえた物、それらを分節化する空間、それらを生み出す時間があり、他方には、純然たる時間的継起としての表象があることとなろう。そしてこの表象において、物は、一個の主観、一個の意識、一個の認識主体の個別的努力に対して、おのれの歴史もしくは受け継いだ伝統から出発して知を得ようとする「心理学的」個体に対して、つねぬ部分的にしか自らを告げぬこととなろう。表象は物と記憶とに共通すな存在様態を規定する力を失いつつある。表象されたものの存在自体が、いまや表象そのものの外にこぼれ落ちようとしているのだ。

・忘れてはならぬことだが、スミス、ジュシュー、w・ジョーンズが労働、組織、文法体系の概念を用いたとして、それは、固定主義時代の思考によって規定された表の空間から脱出するためでも、物の可視性を迂回して、自らを表象する表象の仕組みから逃れるためでもなく、ただ、分析可能で、恒常的でしかるべき根拠を持つような結合の一形態を、そこに設定するためにすぎなかった。
・やがて人々は、表象を迂回して、表象されたものの存在自体を表象の向こう側に求めるようになるのだが、こも大きな回路はまだ完成されていない。

・<観念学>は、表象の基礎、限界、根拠を問うものではない。それは、表象一般の領域を巡歴し、そこにあらゆる必然的継起を見定め、そこに生じる結合関係を規定し、この領域を支配しうる合成と分解の諸法則を明らかにする。それは、すべての知が表象の空間に宿るものと考え、この空間を巡歴することによって、それを組織する法則に関する知を定式化する。けれども<観念学>の基礎にこうした重視性があるからと言って、<観念学>は表象のべつのところに展開するわけではんし。この重視性は、のがれるきとのできぬ直接性をもつ表象へと、あらゆる知を引き下ろすことを目的としているのだ。「思考とは何か、何のことを考えるにせよ、考えるときにあなたは何を経験するのか、それをあなたは少しでも明確に理解したことがあるだろうか?

・関係についての思考をその関係が与える感覚により、定義することによって、デステユットはたしかに表象の領域に出ることなしにその領域全体を覆っている。だが彼は、表象の全く単純な始源的形態としての感覚、思考の対象となりうるものの最小限の内容としての感覚が、この感覚を説明しうる生理学的条件の次元へと転落する境界線にまで到達しているのだ。

・カントの問題と<観念学>のそれとが、その形態、様式、狙いにおいてどれほど異なっていようとの、両者は表象の相互関係という同一の点に適用されるものである。けれどもカントは、この関係ーそれを基礎づけ正当化するものーを表象(内容を奪われて痩せ細り、意識の受動性の極限においてもはや純然たる感覚にすぎなくなった表象であってみ)のレベルに求めるものではない。彼がこの関係に問いかけるのは、それをその一般性において可能ならしめるものの方向に向かってなのだ。彼は、表象相互の結合関係を、それを次第にうつろなものとしてついに純然たる印象までいたらしめる一種の空洞化によって基礎づけるかわりに、その普遍的に有効な形式を規定する条件に基づいて設定するのである。カントは、表象及び表象おのうちに与えられるものを迂回し、いかなるものであれ表象というものが与えられる際の、その前提となるものに直接訴えかける。表象それ自体が固有の法則にしたがって自ずから展開し、おなじひとつの動きで分解(分析によって)され再合成(総合)されるのではない。表象内容に基づいて行われうるのは、経験判断あるいは経験的確認のみである。それ以外のあらゆる結合関係は、普遍的であろうとする限り、あらゆる経験の彼方、すなわち、その結合関係を可能ならしめるアプリオリの中に基礎を持たなければならない。問題となるのは、別の世界ではなく、この世界のすべての表象が実在しうるための条件なのだ。

・このように、カントの批判哲学と、それと同時に観念学分析の最初のほぼ完全な形態として現れたものとの間には、確実な照応関係がある。けれども<観念学>は、認識の場のすべてー起源にある印象から論理学、算術、自然の学、文法を経て経済学にいたるまでーに反省を拡張しながら、表象の外部で校正され再構成されつつあったまさにそのままを、表象の形態のうちに取り戻そうとしていたのだ。このような奪回作業は、個別的であると同時に普遍的な発生過程という、半ば神話的な形態でしか行われなかった。すなわち、孤立した、空虚で抽象的なひとつの意識が、もっとも取るに足らぬ表象から出発して、表象可能なあらゆるものの壮大な表うぃ徐々に展開すると考えられたのである。こうした意味で<観念学>は、古典主義時代の最後の哲学であって、いわばそれは、『ジュリエット』が古典主義時代の最後の物語であったと同断である。

・サドの描く場面と その論述が、欲望の新たな激しさを透明で隙間にのない表象の広がりの中にそっくり取り戻すように、<観念学>の分析は、もっとも複雑なものまで含めた表象のすべての形態を、ひとつの誕生の物語のうちに取り戻すのだ。その観念学にたいして、カントの批判哲学は、逆にわれわれ近代の発端をしるしづけている。それは、単純な要素からあらゆる可能な組み合わせに至る際限のない動きに即してではなく、表象の権利上の限界から出発して表象に問いかける。かくして批判哲学は、表象の空間からの知と思考の後退という、十八世紀の末のヨーロッパ文化に起こったこの出来事を、はじめて承認ずみのものとしたといえるだろう。いまや、表象の空間の基礎、起源、限界が問題とされるわけだ。まさしくそのことによって、古典主義時代の思考が創設し、<観念学>が言説的で科学的な仕方で一歩一歩と巡歴しようとしたあの表象の無限の場は、ひとつの形而上学、それも、自らの限界を心得ず、迷もうな独断論に閉じこもり、みずからの権利の問題を決して明らかにしたことのない、ひとつの形而上学として現れるのである。この意味において、<批判哲学>は、十八世紀の哲学が表象の分析のみによって減却しようとした、 形而上学的次元を明るみに出したといえよう。だが、同時に、<批判哲学>は、表象の由来と起源をなすすべてのものに表象の外部で問いかけることを意味するような、もうひとつの形而上学の可能性を開くものであった。それは、十八世紀が批判哲学の開いた道にいまや解明しようとしている<生命>、<意志>、<言葉(パロール)>の哲学を可能としたのである。

・ひとつの思考形態は、表象相互の関係の条件を、表象一般を可能ならしめるものの側に求め、そうすることで、経験には決して与えられぬが(主体は経験的なものではないから)主体が、客体=Xとの関係において経験一般のあらゆる形式的条件を決定する先験的な場をあらわにする。
ー客体の側における総合

・先験的なものにたいして開かれたこの思考形態とはあたかも対称的に、もうひとつの思考形態は、表象相互の条件を、そこに表象されている存在そのもの側に求める。

ー客体の側における総合

 

No.27フーコカフェー ポストモダン的表象

・人間の活動と物の価値は、表象の透明な本領内で連続しているのだ。

ー第ハ章 労働、生命、言語

・市場に流通し、互いに交換される以上、諸価値はなお表象力をもつのである。しかしこの力を、諸価値は他のところから、ーどのような表象よりも原初的でより根源的な、したがって交換によって規定されえぬ、あの労働からー引き出してくる。古典主義時代の思考において、取引と交換が、富の分析にとって乗り越えがたい根底として役立っていたのに対して(アダム・スミスでさえなおそうであって、分業が交換の基準によって律せられている)、リカード以降、交換の可能性は労働に基づくことになる。そして生産の理論が、以来つねに、流通の理論に先行しなければナラなくなるわけだ。

・同じように、<重農主義者>たちも、生産経費から出発して価値を分析した、リカード以降の経済学のそもそもの始祖だったとみなされることとなろう。だが実際には、ケネーとかコンデイヤックを同時に可能とした布置から、既に人々は脱けだしているのである。表象の秩序の上に認識を打ちたてた、あの<エピステーメ>の統治を逃れでているのだ。

・たとえば、こうした配置が古典語学(ユマニスム)の疲弊した善意を蘇らせるために演じた役割は知られているし、それがいかにして完成された非在郷(ユートピア)を再生せしめたかは周知のことであろう。古典主義時代の思考においては非在郷(ユートピア)はむしろ起源についての夢想として機能した。つもり、世界の新鮮さとは、それぞれの物が、その隣接関係、その固有の相違性、その直接的等価性をともなってしかるべき場所に置かれるような、表の理想的展開を補償するはずだった。そうして最初の光の中で、表象は、それが表象するものの生き生きとして鋭く感覚的な現前からまだ引き離されていなかったのだ。ところが19世紀になっると、非在郷(ユートピア)は、時間も朝というよりもむしろその凋落に関わってくる。つまり、知は、もはや表といった様態ではなく、系列、連鎖、生成といった様態で成立させられるのである。
・表象の連続体(記号と特徴のそれ)と諸存在の連続体(構造相互の極端な近接性)とは、だから相関的だった。

・かつて存在は膨大なひとつの表にみち溢れたが、いま生命は、それぞれ自身で固く結びあわされてしまう諸形態を孤立させるのに過ぎない。存在は、かつて常に分析可能な表象の空間に現れたが、いま生命は、その本質において近づきがたく、ここかしこで自らを顕現し維持するため行う努力においてのみとらえられる、謎めいたひとつの力の中に後退していく。

・おそらくは西欧文化においてはじめて、生命は、表象の中で示され分析されるような存在の一般的諸法則を逃れるのだ。存在しうる物のまさしく手前にあるすべての物と対(的なところで、物を支えて現前せしめ、しかも絶えず死という暴力によって物を破壊する生命は、基本的なひとつの力となり、運動が不動性に、時間が空間に、密かなる意志が目に見える顕現に対立するように、存在と対立するのである。

・たしかに語は、それを利用しあるいはそれを聞く人々の精神の中で、ひとつの意味をもち、何かを「表象」しうることをやめはしなかった。しかしそうした役割は、語の存在そのものにおいて、語の本質的建築において、文の内部に場所を占め、そこで多かれ少なかれ異なった他の語と結ぶことを語に可能としてくれるものにおいて、語を成立させるものではなくなった。(..)語が言おうとするところを言うことができるためには、語との関係において第一義的で基本的で決定的な、ひとつの文法的総体に、語が所属していなければならない。

・語の見せたこうしたずれ、表象的諸機能の外へのこうした一種の後方跳躍は、たしかに十八世紀末ごろ、西欧文化の重要な出来事のひとつだった。

・けれどもシュレーゲル以降、言語(ラング)は、少なくともそのもっとも一般的な類型系統においては、言語を合成する固有の意味での言葉上の諸要素を、言語(ラング)が互いに繋ぎ合わせていく、そのやり方によって規定されることとなる。それらの諸要素にうちのあるものは、まぐれもなく表象的なものであって、ともかくもはっきりとした表象的価値を有している。

・こうし新しい文献学が、諸言語(ラング)を特徴づけるため内部組織に関わるこれらの基準をいまや所有することによって、十八世紀が実践した階層的類別を廃棄した事情も理解されるだろう。かつては、表象の分析がより的確かより繊細かによって、他の言語(ラング)よりより重要な言語(ラング)の実在することが認められている。けれども以降、すべての言語(ラング)に優劣はなくなる。ただそれぞれが異なった内部の組織をもつのに過ぎない。そこからほとんど話されることもなく十分「文明化」される言語(ラング)に対する、あの好奇心が芽生えてくる。

・十八世紀には、語根は、そもそもの起源において具体的な物、直接的表象、視線あるいは感覚のどれかひとつに触れる対象を指示する、基礎的な名であった。

・言語(ランガージュ)はもはや、他の表象を裁断し組み立て直す力を持つ、表象のひとつの体系ではない。それは、もっともな恒常的なその語根において、行為や状態や意志を指示し、人の見るものというよりじゃむしろ、人のなすことあるいは蒙ることを最初から言おうと望むのであって、最終的には指によってのように物を指すことがあるとしても、それは、物がそのような行為の対象であり、手段である限りにおいてなのである。

・言語(ランガージュ)は表象を二重化するあの記憶というよりはむしろ、意志と力とから生じたものであろう。

・直接的比較というのは、純粋な表象、ないし全く原初的な語根をもはや経る必要がなくなったからで、語根の変様、屈折体系、屈折語尾系列の研究だけでいまやこと足りる。他方横向きの比較というのは、あらゆる言語(ラング)に共通のな諸要素にも、言語(ラング)がそこから素材を汲みとってくる表象的基盤にも、遡ることがないからで、それだけに、ある言語(ラング)を他のすべての言語(ラング)を可能にする形式役割原理に関係づけることはできず、たださまざまな言語(ラング)をその形式的近接関係にしたがってまとめればいいわけだ。

・古典主義時代における言語(ランガージュ)の秩序は、いまや再びそれ自身の上に閉ざされる。言語(ランガージュ)はその透明さと知の領域における主要な機能を喪失した。十七世紀と18世紀において、それは表象の直接的で自然発生的な展開に他ならなかった。表象がしの最初の記号(シーニュ)を与えられたのも、その共通の特質を裁断し区分けしたのも、まず言語(ランガージュ)にうちであった。言語(ランガージュ)とは認識であり、認識は当然のこととして言説だったのである。したがって、どのような認識との関係においても、言語(ランガージュ)は基本的状況のなかにあったわけで、言語(ランガージュ)を通してしか人々は世界の者を認識することができなかった。つまり、言語(ランガージュ)が存在論的錯綜の中で世界の一部となっていたからではなく(ルネサンスにおけるように)、それが、世界を表象する際における秩序の最初の素描だったからであり、表象を表象する際の最初の、しかも避けられぬやり方だったからである。一切の一般的範疇が形成されたのも言語(ランガージュ)の中でだ。古典主義時代の認識は極めて唯名論的だった。19世紀以降、言語(ランガージュ)hsそれ自身の上に折れ重なり、それ固有の厚みを獲得し、言語(ランガージュ)にのみ属する歴史と諸法則と客体性を展開する。それは、他の多くのもののあいだで、生物、富と価値、さまざまな出来事と人間の歴史、の傍らにあって、認識すべき客体となったのである。おそらく言語(ランガージュ)は固有の意味での諸概念に依存するものであろう。

ー客体となった言語(ランガージュ)

・文学は、次第に観念的な言説から区別され、根源的な自己完結性の中に閉じこもるか。それは、古典主義時代に文学を流通させえたすべての価値(趣味、快楽、自然さ、真実)から身を引き離し、それ固有の空間に、遊戯としての否認を保証しうるすべてのもの(破廉恥なもの、醜いもの、不可能なもの)を誕生させる。文学は、表象の秩序に合致させられた形態としての「ジャンル」のどのような定義とも縁を切り、自らの峻険な実在をーあらゆる他の言説と対立してー肯定する以外の法則をもたぬ、そのような言説の純然たる顕現となる。そのとき文学は、その言説が固有の形式を語る以外の内容を持ちえないかのように、もはや絶えざる自己反省のうちにそれ自身に回帰すると
ほかない。つもり文学は、書く主観として自己に向かうか、文学を生み出す運動の中で文学というものの本質を奪回しようと試みるか、そのいずれかなのだ。こうして、そのあらゆる糸は、もっとも鋭い尖端ー毒胃異で瞬時的な、しかもともかく絶対に普遍的なー書くという単純んs行為に向かって収斂する。いかなる言葉(パロール)としての言語(ランガージュ)が認識の客体となるとき、言語(ランガージュ)は全く反対の様相のもとに、白紙のうえに沈黙のうちに用心深く語をおく行為として再び姿をあらわすのだ。そこでは言語(ランガージュ)hs音声も対話者も持たない。自己以外語るべぃ何ものも、その存在の閃光の中で煌めく以外なすべき何ものも、持たないのである。

 

No.28 フーコカフェー ポストモダン的表象

・最後に飛び散った「作品』こそーその消滅が永遠にわれわれから古典主義時代の思考を遠ざけtsのであるがーまさしくそれらの核子の最初のもの、表象をまず自然発生的かつ素朴なかたちで表として展開することを保証した言説にほかならなかった。つもり、言説が表象の内部においてその最初の秩序化として実在sじ昨日することを中止した日以来、古典主義時代の思考もまた直接われわれの接近しうるものであることを止めたのである。

ー第9章人間とその分身

・古典主義時代における表象の仕組みといえば、ひとつは進んで、あらかじめ存在するその法則を『侍女たち』の絵の中に認めたがルネサンスかもしれない。そこでは、表象がその諸契機それぞれにおいて表象されているわけであって、その場合の諸契機とは、画家であり、パレットであり、裏返しされた画布の大きなくすんだ表面であり、壁にかけられたいくつもの表面であり、自ら眺めていながら自分たちを眺めている人々によって額縁にはめ込まれいる人物たちであり、最後に、表象関係の中央、その中心で、本質的なもののもっとも近くにあるーしかも、表象のもっともはかない二重化にすぎなくなるほど、はるかに遠く、非実在の空間の奥深くさしこまれ、よそに向けられているあらゆる視線とは無縁な、反映として、ー表象されているものを示す鏡にほかならないない。絵の内部のあらゆる線、とりわけ、中心にあるその反映からくる線は、表象され包んで不在であるものそのものを目指している。それは客体でありー表象された画家が画布のうえに写しつつあるものであるからー同時に主体であるー画家が自身をその制作を通じて表象しながら見ていたのは、画家自身にほかならず、絵に描かれている視線は、王というあの虚構の点に向けられているが現実にはそこに画家がおり、画家と至上のものとが瞬く間にいわば際限なく交代していくのの両義的場所の主人公こそ、最終的には、その視線が絵をひとつの客体に、あの本質的欠如の純粋な表象にと変形していく、鑑賞者にほかならないからだ。しかもその本質的欠如は、ほねを折ってこの絵を分解していく言説にとって以外、欠落ではない。というのは、表象された画家の注意、絵があらわす人物たちの敬意、裏から眺められる大きな画布の現存、そのためにこの絵が実在し、そのためにそもそも最初からこの絵が陳列されている、われわれの視線、そうしたものが証明してくれるように、その欠如は絶えず充足させられ、しかも実質的に充足させられれているからである。
ー王の場所

・古典主義時代の<エピステーメ>において、「自然(ナチュール)」の諸機能と「人間の本性(ナチュール)」の諸機能とが各項ごとに互いに対立していることに留意しなじければならない。すなわち、自然(ナチュール)」は、現実の無秩序な並置の仕組みによって、署存在の秩序づけられた連続体のなかに相違を浮かびあがらせるのであり、「人間の本性(ナチュール)」は、表象の無秩序の鎖の中に、心像の並列の仕組みによって同一のものを出現させるのである。

・実際のところ、表象の鎖は、そも保持する自らを二重化する力(想像と回想、そして比較を行う多様な注意の中における)によって、地表の無秩序の下に、諸存在の断絶しない連続面を再び見いだすことができるわけだ。はじめは成り行き任せで、現実に提示されるままの表象の気まぐれに委ねられている記憶は、少しづつ、実在するすべてのものの一般的表のかたちに固定されていく。そのとき人間は、自らの表象を表象する力を持つ言説の至上性の中に、世界を取り入れることができるのである。語るという行為の中で、というよりはむしろ(きー古典主義時代における言語(ランガージュ)の経験にとって本質的なもののもっとも近いところにある)<名指す>という行為の中で、表象の折り目としての人間の本性は、思考の線上の列を部分的に相違する諸存在の恒常的表面へと変形する。

・そのかわり、表象と存在の遭遇地点に、自然と人間の本性との交叉するところぬ、ー今日のわれわれが、人間という拒むえぬ謎めいた第一義的存在を認めていると信じるあの場所に、ー古典主義時代の思考が浮かび上がらせたもの、それは言説の近いなのだ。つまり、表象を行う限りでの言語(ランガージュ)の力ー物を語の透明さのうちに示しながら、物を名指し、裁断し、組み合わせて、結びつけてはほどく、言語(ランガージュ)の力だったのである。

・言説とはー諸存在が精神の視線に対して表象されるとき表象が諸存在をその真実において目に見えるものとするときー表象と存在とがそれを横切っていく、あの透明な必要物にほかならない。

Á l’âge classique, le discours , c’est cette necessité translucide à travers laquelle passent la représentation et les êttesーlorsque les êtres don’t représentés au regard de l’esprit, lorsque la représentation rend visible les êtresen lemur verite 
ーl‘home et ses doubles ,Foucault 

 

discours is that translucent necessity through which representation and beings must passーas beings are represented to the mind’s eye, and as representation renders being visible in their truth ー Foucalt

 

 

物とその秩序を認識する可能性は、古典主義時代の経験の中では、物の至上性を経ることとなる。語は、まさしく判読すべき標識(ルネサンス時代におけるように)でも、多かれ少なかれ忠実で制御しうる道具(実証主義の時代におけるように)でもなく、むしろ、そこから出発して、諸存在が顕現し表象が秩序づけられる、無色の網目を形成する。

・このような言語(ランガージュ)が西欧文化の中で語り続ける限り、人間の実存がそれ自体として問題とされるこtpは可能ではなかった。言語(ランガージュ)の中で結びつけられていたのは、表象と存在だったからである。
・言説はー17世紀に、それを企てる者の「われ思う」と「われあり」を互いに結び合わせたあの言説は、目に見える形で、古典主義の時代の言説の本質そのものであり続ける。言語の中で正当な権利をもってその中で結ばれていたのも、やはり表象と存在だったからだ。「われ思う」から「われあり」への移行は、自らに対して表象するものと存在するものとを互いに連接させることからその全領域とその全体性とが成り立っている。ひとつの言説の内部で明証性の光のもとに遂行されたのである。

まさしくそうして、表象は、生物にとって、必要にとってみ、語にとってみ、それらの起源の場としての、さらにそれらの真実の原初的拠点としての、価値を持つことを止めたのである。それらのものとの関係において、以後、表象は、それらを補足し復元する意識の中で多かれ少なかれ溷濁したかたちでそれらに答えていく、ひとつの結果以外の何ものでもなくなる。人が物に関して自身のために作り上げる表象は、もはや至上の空間の中で、物を秩序づける表を展開するわけにはいかない。

・かつて、表象と無限とに関わる<、および、形而上学>、生物と人間の欲望とその言語(ラング)の語との<分析>、その両者の相関関係のあったところに、有限性と人間実存との<分析論>、そしてそれと対立しながら(だが相関的対立関係において)、生命と労働と言語(ランガージュ)の<形而上学>を、成立せしめようとする不断の誘惑が生じるのが見受けられるであろう。

・そしてそうすることによって、起源を自身にもっとも近いところともっとも遠いところで思考するという、その無限の任務の中で、思考は、人間が、人間を存在させるものーあるいはそこから出発して人間が存在しているものー同時期のものではなく、人間を分散させ、それ自身の起源から遠ざけ、しかもおそらくは常に到来しそうで到来しない切迫の中で人間に起源を約束する、そうした近いの内部でとらえられるものであることを発見するだろう。ところが、そのような力は人間にとって外部にあるものではない。それは、絶えず再開される永遠の起源の穏やかさの中で、人間の外に場所を占めるのではない。なぜなら、そうだとすれば、起源は実際に与えられることになるであろうからだ。それこそ人間の固有の存在の力である。時間はーしかも、人間そのものであるこの時間はー人間がそこから発生した朝からも、人間に予告される朝からも、人間うぃ引き離す。こうした基本的時間はーそこから出発して時間が経験に与えられるこうした時間は、表象の哲学の中で作用してきた時間とは異なったものだ。かつて時間は表象を分散させたが、それは、時間が表象の線状の継起の形態を強制したからだった。しかし、表象は、想像の中で自己を復元し、そうして自己を二重化し、時間を制御することができた。

・心像が、時間をことごとく回復し、継起に対して譲渡されていたものをとらえなおし、永遠の悟性も知と同じような真実の知を構築することが可能にしたのである。けれども近代の経験においては、反対に、起源の後退はあらゆる経験よりも基本的ばものであるが、それは、起源にうちで、経験が煌めき、その実定性を明らかにするからにほかならない。物がそれ固有の時間と共に自らに与えるのは、人間がおのれの存在と同時期のものではないからである。そしてここに再び、有限性の最初のテーマが見出されるのだ。しかし、まず人間のうえへの物の張り出しによってー人間が生命と歴史と言語(ランガージュ)により支配されているという事実によっー告示されたあの有限性は、今やより基本的なレベルにおいて姿をあらわす。それこそ、人間の存在の時間に対するうちがたい関係である。

 

 

No.29 フーコカフェー ポストモダン的表象

・18世紀の末に表象の理論が消滅したとき、それらの線分は分裂させられ、機能とレベルを変え、その有効性の領域を変換したのである。古典主義時代のあいだ、一般文法は、言説の単純で絶対的に細い線のなかに現れながら同時性の諸形態実存と共存の肯定、表象される物の裁断と一般性の形成、語と物の起源における消し難い関係、修辞学的空間における語の転移)を想定していた言語(ランガージュ)が、いかにして諸表象の継起する鎖の内部に導入されうるか、示すことを機能としていた。反対に、19世紀以来発展してきたようなかたちでの人間の存在様態の分析は、表象の理論の内部には宿らない。その任務は、全く反対に物一般が表象に与えられうるか、どのような条件で、どのような地盤のうえで、どのような限界の下で、物が知覚のさまざまな様態以上に深い実定性の中にし方をあらわしうるか、示すことにあるわけなのだ。そしてその時、表象が開く大きな空間的展開を通して、この人間と物との共存の中で明らかにされるのが、人間の根源的有限性であえい、人間を起源から遠ざけると同時に人間に起源を約束する分散性であり、時間の避け難い距離である。(...)表象の理論があるかないか、より正確に言えば、その理論が第一義的性格をもつか派生的立場におかれるかによって、体系の均衡はことごとく変わってしまう。

・語幹の理論は、表象的語幹の分析と入れ代わり、最後に、転移の境のない連続性の求められたところに、諸言語(ラング)の横向きの近縁関係が発見される。別も言い方をすれば、物(表象されるがままの)と語(表象的価値を持つ)との関係の次元において機能してきたすべてのものは、言語(ランガージュ)の内部へ奪回され言語(ランガージュ)の内部的法則性を保証する任務を委ねられるのである。ー言説と人間の存在、第9章人間とその分身

・古典主義時代における言説の実在(表象の文句なしも明証性にもとづく)と、近代も思考に与えられているような形ふぇも人間の実存(近代に思考の許す人間学的反省をともなう)との間にある非両立性えおいまやあますところなく理解できるだろう。

・古典主義時代の思考が、物を表(タブロー)の形に空間化する可能性を、自己から出発して自己を想起し二重化し、連続的時間から出発して同時性を成立せしめる、あの表象の純粋な継起の特性に関係づけていたことに気づくはずだ。時間が空間を基礎づけていたのである。近代の思考においては、物も歴史と人間に固有の歴史性とも基礎に現れるのは、<同一者>を穿(うが)つ距離であり、<同一者>をそれ自身の二つの末端で
分散させ集合させる偏差である。近代の思考に対してつねに時間を思考することを可能にするのは、ー時間を継起として認識し、それを完成、起源、もしくは回帰として自らに約束することを可能にするのはーこの狭い空間性なのである。

・じじつ、もう少し注意して見るならば、古典主義の時代の思考が、物の表(タブロー)のかたちに空間化する可能性を、自己から出発して自己を想起し二重化し、連続的時間から出発して同時性を成立せしめる、あの表象の純粋な継起の特性の関係づけていたことに気づくはずだ。時間が空間を基礎づけていたのである。

・実のところ、問題は、それこそより散文的でより精神的でないことなのだが、指示、交換、もしくは言説をもつものとしての人間をそれ自身の有限性の基礎として価値づけようとこころみるに際して突き当たる、経験的=先験的二重性なのである。このような<折り目>の中で、先験的機能は、その有無も言わさぬ網目によって、経験的領域の動かぬ灰色の空間を覆い隠しにくる。逆に、経験的諸内容は、活気づけられ、少しづつ立ち直り、立ちあがり、その先験的たらんでとする思いあがりを遠くに運ぶ言説の中に直ちに包摂される。こうして<折り目>のなかで、哲学は新しい眠りを、<独断論>のそれではなく<人間学>の眠りをねむるのだ。経験的などのような認識も、人間に関わりさえすれば、そこで認識の基礎とその諸限界の規定と最終的にはすべての真実の真実とが明らかにされるはずの、ありうべき哲学的場としての価値を持つだろう。
ー8人間学的眠り 第8章 人間とその分身

 

ペンローズの『皇帝の心』が何を意味するのか私はよくわからないでいる。構造主義は消滅した。もはや神話の構造は表象に与えることはできない。そして18世紀末に表象理論が消滅したように現在はポストモダン思想の消滅が起きそうなのだが、物が表象に与える実定性が復活しているらしい。王の金ピカの衣装が王であるとされることは錯乱とされるだろう。代わって、リアリズム、神と皇位の連続性のような人間の起源が再び語られるのか。絶対的保守主義のなんという退屈

 

No.30 フーコカフェー ポストモダン的表象

・このような条件のもとでは、人間についての認識が、その科学的狙いにおいて、生物学、経済学、文献学とおなじ種子から生じた同時期のものとシテ現れるのも当然のことであって、人々はそこにごく自然に、ヨーロッパ文化の歴史の中で、経験的合理性によって果たされたもっとも決定的んs進歩一つを認めたのである。けれども、同時に表象の一般理論が消滅し、かわり、あらゆる実定的諸領域の基礎としても人間の存在(エートル)に問いかける必要が強調されたもである柄谷、一つの不均衡が生じざるを得なかった。人間は、そこから出発してあらゆる認識がその直接的で問題化されない明証性のうちにこうでされる。
ー知の三角形、第10章人文諸科学 フーコ

・というよりもむしろ、人間諸科学の対象は、この生物学的働きの裏面であって、その窪みによって示されるものにほかならない。人間諸科学の対象は、この生物学的働きの作用もしくは結果ではなく、生物学的働き固有の存在(エートル)そのものがおわるところ...すなわち、真実のものであれ偽りのものであれ、明晰なものであれ晦冥なものであれ、完全に意識的なものであれ何らかの半睡共通の深層のうちに束縛されたものであれ、直接観察しうるものであれ間接的に観察しうるものであれ、人間自身が言表するもののうちに提示されているものであれそれがどこにあるかただ外部からのみわかるものであれ、ともかくも諸表象が解放されるところーに、はじまるのである。言語中枢に結合される諸中枢(中枢、視覚中枢、運動中枢)もあいだに見られる大脳皮質内部の関係の探究は、人文諸科学には属さない。人文諸科学が自らの作用空間を見いだすのは、主体がおそらくは意識しないにも関わらず、そのおなじ主体が表象を所有しなければ指示されるべきいかなる様態を持たぬに違いない、語のあの空間、語の意味のあの現前もしくは忘却、人が語ろうと望むものと、語るべく目指したものがそこに投下される分節化との間の偏差、そうしたももについて人が問いかける直後のことだ。
より一般的に言って、人文諸科学にとっての人間は、独異な形態(かなり特別な生理とほとんど他に例を見ぬ自律性)をもつあの成分ではない。それは、自らがことごとくそれに属し、それによって自らの全存在(エートル)がつらぬかれている生命の内部から、諸表象を成立させる生物であって、その表象のおかげで人間は生き、そこから出発して、まさしく生命を自らに対して表象することのできるあの奇妙な能力を保持しているのである。フーコ

・人文諸科学が表象の次元においてそれらの科学をひとたびあげることがあるのは、むしろ、それらの科学をその外側の斜面の上でふたたびとらえ、それらに不透明さを残したまま、それらが分離するメカニズムや働きがそうであるところのものについて、このメカニズムや働きに問いかける、そのようにすることを通じてなのである。
ー人文諸科学の形態、第10章 人文諸科学 フーコ

・最後に、言語(ランガージュ)の諸法則と諸形態が君臨し、しかも、人間諸表象の戯れをそこに移行させることを人間に可能としながら、諸法則と諸形態がそれ自身の縁にとどまっている、あの領域においては、文学と神話についての研究、口頭のあらゆる顕示と書かれたあらゆる資料との分析、つまり、文化あるいは個人gsみずからについて残すことのできる言葉の痕跡の分析が、誕生するのである。

 

No.31 フーコカフェー ポストモダン的表象

けれども精神分析学は、精神分析的な言語(ランガージュ)と実践との極端に有限性の具体的諸形象を描く、<欲望>、<法則>、<死>を表象の堺に発見するため、感情転移という独異の関係を使用する。一方 文化人類学のほうは、西欧の<ラテイオ>が他のすべて文化との間に設定する独異の関係のうちに宿り、そこから出発して、文明の中で人間が、自分自身について、その生命について、その必要について、その言語(ランガージュ)のなかに寄託される意味作用(シニフィカについて、自らに与える表象を回避する。そしてそれらの表象の背後に、そこから出発して人々が生命の諸機能を遂行しつつその直接的圧力を斥ける諸規範、それらを通して人々はその必要を経験sじ維持する諸規則、それらを下地としてあらゆる意味(シニフィアン)が表象に与えられる諸体系が、うかびあがるのを見るわけだ。
ー第10章人文諸科学フーコ『言葉と物』

 

No.32 フーコカフェー ポストモダン的表象

言語(ランガージュ)が分散を余儀なくされたとき人間が成立したとすれば、言語(ランガージュ)が集合しつつあるいま、人間は分散させられるのではなかろうか?そしてそれが真実であるとすれば、現代の経験を、人間的なものの次元に対する言語(ランガージュ)の諸形態の応用と解釈することは誤りーそれがわれわれに対して、いま思考しなければならぬものを隠すであろうゆえに、根深い誤りとならぬであろうか?むしろ人間を思考することを放棄し、あるいはより厳密に言えば、この人間の消滅をーそしてあらゆる人間科学の可能性の地盤をーそれと言語(ランガージュ)というわれわれの関心事との相関関係において、十分思考しなければならないのではなかろうか?言語(ランガージュ)がふたたびそこにあるとすれば、かつて<言説デイスクール>の有無を言わさぬ統一性が人間性を維持していたあもおだやかな非在に、人間が立ち戻っていくであろうことを承認しなければならなくはないか?かつて人間は、言語(ランガージュ)の二つの存在様態のあいだにおける一形象にすぎなかった。というよりむしろ人間は、表象の内部に宿り表象のなかに解消させられたかに見える言語(ランガージュ)が、細分化されたかたちにおいてのみ表象ksら解消されたとき、はじめて成立したものにすぎなかった。人間はその固有の形象を断片化された言語(ランガージュ)の隙間に作りあげたのである。なるほど、これは断言しうることではなく、せいぜいのところ、答えることのできぬ問いにすぎまい。ただ、こうした問いを提起する可能性がたぶん未来の思考につらなっているということを知った上で 提起されたところに、こも問いを中断というかたちで残しておかなければならないであろう。

・わたしの母はドンキホーテ的で、全く知らない人をずっと知っていたかのように対しますし、息子のわたしをいつまでも他人に思うのですね。馬鹿と言ってしまえばそれっきりですが、どうしてそういうことが起きるかといえば、類似にもとづく同一性の知とフーコが呼んだものと関係したことが起きているのでしょう。ドンキホーテ的な母とかトンチンカンな上司は困りますが、ドンキホーテは天才です。わたしが一番尊敬する芸術家かもしれません。類似性が埋もれていて気がつかれることがなかったのに、全く関係のない時代の思想と思想を前提として結びつけることができるからです。未来を思い出すこと、これは復古主義の精神の本質かもしれません。
フーコはすこし難しいかもしれませんが、ヨーロッパの知について非常におもしろいことえお考えるのですね。人間は表象の知ー類似にもとづく同一性の知ーのなかにあってその内部に存在していましたが、記号の体制が優位となって結局表象の解体が起きたときに、言語と言語の端に近代の人間が現れたのです。言語が分散したとき人間が現れたならば言語が集中したら人間は消滅するかもしれません

ピケテイの主張は、市場が推進した問題は再び市場によっては倫理的に解決することは不可能だということです。政治が介入すべきだという考えです。
うまく書けているかわかりませんが、間違いもあるでしょうが、当時こんなことを書いていました。

owlcato's blog http://owlcato.hatenablog.com/entry/2015/09/30/120840

 

 

ポストモダンは、天皇制を反対していますが、モダニズムのようには反対しません。和辻哲郎は国体的な現人神の正統化を行っているのはモダニズムからです。また天皇制を受け入れようとしていますが、モダニズムが賛成しているようには受け入れることは考えていません。国家祭祀の禁止という形で象徴天皇制の成熟を願う意見もあります。
ポストモダンは、権威主義体制の全体主義からファシズムを差異化して、ファシズムを擁護したりします。胆汁には行かないのですね。ポストモダンが、反全体主義です。
理性批判と反理性は全然違うことは、説明の必要もないでしょう。どんな分割されているものにわたしは関心がありますから、理性と狂気の二項対立から考えます。理性を消した狂気は、狂気を消した理性と同様に、考えることはできません。デカルトがコギトについて「夢の中では..」と書いたように、理性の覚醒に絶えず狂気が現れるとフーコが分析した通りではないでしょうか。だから、反理性とは、たとえば、スターリニズム文革の知識人の全否定です。つまりファショですね。ただ、トルーズは、カフカ論で、文学機械における反理性の意義を語っています。しかしこれは、マイナー文学のための解体ー理性中心主義ぐらいの意味と解釈すべきだろうとおもいます。
思想闘争をなす言語的な言説の場以外に、ポストモダンの存在理由があるのでしょうか?それだけに、いくら芸術において批評精神的な作品を擁護するポストモダン的なものが確立できたとしても、絶対的保守主義の近代(国が安定すれば、神と皇位との連続性によるべし)に対する思想闘争を展開できないようではポストモダンは政治的に敗北だと思います。及び腰で逆らってやろうと思いますが、天皇ファシズムを批判的に問題にしなければいけないのに、ネットの大方も、ずっと、ナチス全体主義のことしか批判しないのですね。それでヨーロッパのポストモダンを理解できるが、天皇ファシズムを批判した日本のポストモダンはわからないでしょう

 

補追

 

そしてニーチェがわれわれのために開いた哲学=文献学的空間に、いまや言語(ランガージュ)が姿をあらわし、その謎めいた多様性を制御することが必要とされるであろう。そのとき、おびただしい投企(妄想かもしれない。さしあたってだれがそれを知ることができようか?)としてあらわれるのが、あらゆる言説の普遍的形式の諸テーマであり、同時に世界の完全な非神話化でもあるような全体的釈義の諸テーマであり、記号の一般理論の諸テーマであり、さらに、あらゆる言説を唯一の語に、あらゆる書物を一頁に、全世界を一冊の書物にあますところなく変形して吸収するとくテーマ(多分歴史的に見て最初のものだった)にほかならない。マラルメが死に至るまで一身を捧げた偉大なる作業こそ、われわれを今日支配している作業なのだ。つまり、言語(ランガージュ)細分化された存在をおそらくは不可能なひとつの統一の拘束のもとにつれ戻そうとする今日のわれわれのあらゆる努力を、それは辿々しいものであったとはいえ、心の中に包み込んでいるのである。可能なあらゆる言説を、語の束の間の厚みのなかに、白紙の上にインクで書かれるあの厚みのない物的な線の中に、閉じこめようとするマラルメの企ては、事実上、ニーチェが哲学に対して解決を命じた問いかけに答えるものだ。ニーチェにとって問題は、善と悪がそれ自体何であるksではんsく、自身を指示するため<アガドス>、他者を指示するための<デイロス>という時、だれが指示されているか、というよりはむしろ、<だれが語っているのか>、知ることであった。なぜなら、言語(ランガージュ)全体が集合するのは、まさしくそこ、言説を<する>者、より深い意味において、言葉(パロール)を<保持する>者の中においてだからだ。だれが語るのか?というこのニーチェの問いに対して、マラルメは、語るのは、その孤独、その束の間のおののき、その無のなかにおける心もとない存在だ、と述べることによって答え、自らの答えを繰り返すことを止めようとはいえしない。ーフーコ

Et voila que maintenant dans cet espace philosophique-philiologique que Nietzsche à ouvert pour nous , le language surgit selon une multiplicité enigmatique qu’il faudrait maitriser. Apparaissent alors, comme autant  de projets( de chimères, qui Prut le savoir pour l’indtant?), les thèmes d’une formalization universelle de tout discours, ou ceux d’une exégèse integral du monde qui en serait  en même temps la parfaits démystification, ou ceux d’une théorie générale Fès signed; ou encore le thème (qui cut sans flute historiauement premier) d’une transformation sans reste, ,d’une résportjon intégrele de tout les discours en un seul mot, de tous les livres en une page, de tout le monde en in livre. Le grand tâche à laquelle s’est voué Mallarmé, et jusqu’a la mort, c’est elle qui nous domine maintenant; dans son balbutiement, elle envelope tous nod efforts d’aujourd’hui, pour ramenèr à la constraints d’une unite  Prut-être impossible l’être morcelé  du language. L’entreprise de Mallarme pour enfermer tout discours possible dans la fragile épaisseur du mot, dans cette mince et matérielle ligne noire tracés par l’encre sur le papier, répond au fond à la question que Nietzsche prescrivait à la philosophie. Pour Nietzsche, i’ll ne s’agissait pas de savoir ce qu’étaient en lui-mêmes le bien et le mal, mais qui était désigné, ou plutôt qui parlait lorsque, pour se désigner soi-même, on disaster Agatha’s , et Deimos pour désigner les autres. Car c’est là, en celui qui Tientsin le discours et Prius profondément détient la parole, que le langage tout entire se rassemble. A cette question nietzschéenne; qui parle? Mallarmé répond, et ne cesse de reprendre sa réponse, en disant que ce qui parle , c’est en sa solitude,en sa vibration fragile, en son néant le mot lui-mêmeーnon pas le sens du mot, mais son être énigmatique et précaire.

 

子安宣邦論ー未来を思い出す思想家は日本思想史をどう語ったか?

 

 

No.1

高校時代は全共闘運動の世代の先生もいて、中江兆民を読まされました。中江は、自由民権運動の担い手が漢文を読む活動家的知識人だったことから、ルソーのフランス語を漢語に翻訳しました。例えば、社会契約によって自然権を譲渡して国家を作れという話は、「天命の自由」を捨て「人義の自由」を得よと書きます。中江は現在は読まれていないのが残念です。中江は、後期水戸学が影響を受けた荻生徂徠の制作学によって再構成するしかないと子安宣邦氏は語ります。これはどういうことかをあきらかにするために、荻生徂徠研究の大家である子安宣邦氏の仕事を回顧する投稿が必要を思います。子安宣邦論ー未来を思い出す思想家は日本思想史をどう語ったか、です。大杉栄の意義を小田実の市民論の先駆として捉える画期的視点が子安宣邦氏にあります。そして世界資本主義の分割である帝国から自立するための、儒教における多様な普遍から東アジア共同体の意義を説き起こします。

西欧の真善美を超えるものは再び西欧の真善美に依拠することは不可能である。全否定するアジア的なものが要請される。それは最高のものがある西欧を包み返す空であり、復古主義のための廃墟であって、未来を思い出す絶対の死かもしれない。そうして儒家神道の後期水戸学は、徂徠の制作学を継承しながら、聖人に天照大神を読み出した。日本近代はこのように中華文明から自立しようとした古学からしか生まれなかった。ただし制作学は制度論なので、天皇を必要としない選択も可能であった。そしてこれは天皇主権を否定して国民主権を宣言した戦後憲法の道でした。このことを理解する前提で、古学とは何であったかついて語っていこう。

No.1 

 

ポストモダン孔子があるならば、反時代的なポストモダン精神(鬼神)もある。それは、ハイデガー「存在-内-世界」における開示の思想ではなく、全時代の思想からくる暗闇の魂の折り畳みも思想だろう。

 

No.2 

「精神」の語を構成する概念の配置は12世紀の『朱子語類』に見出せる。「精神」は、ドイツ語のGeist、英語のSpirit である。朱子においては「精神」と「鬼神」は「相似たり」であった。だけれど近代のわれわれわれは「鬼神」を喪失して、「精神」だけを心身的記憶に留めてきたのかと子安宣邦氏は問う。そうしてわれわれは何を失うことになったのか?アジアのコスモロジー(宇宙論)ではないか

「中国では、「精」と「神」とを組み合わせた古い漢語であり、元来は元気やエネルギーという意味であった。これが今日のような「物質」の対義語として使われるようになるのは、明治の日本でドイツ語のGeistなどの翻訳語に選ばれて以来のことである。」(Wikipedia)

精神は能動的で知性的な働きとされる事が多いです。精神と物質を対立関係として捉えます。しかし「鬼は陰の霊、神は陽の霊」。朱子の精神=鬼神は、精神と物質を対立関係として捉えていません。物資も働きがあります(魄である精は地に沈む。魂である神は上へ行く)。ライプニッツは物質にも自発運動を認める一方で、精神を実体の知性的な自己表現力とするようです。

漢語で理解される精神とは働きであり実体があるから、精神は芸術であるのではないでしょうか。

「神は伸ぶるなり。鬼は屈するなり。風雨雷電初めて発する時の如きは神なり。風止み雨宮過ぎ、雷住(しず)まり電息(や)むに至るに及べば即ち鬼なり」
(『朱子語類』巻三「鬼神」書き下し文)
<訳> 神とは伸であり、鬼は屈である。風雨雷電の始まる時は神であり、風が止み、雨があがり、雷鳴が静まり、雷電が収まるに至れば鬼は屈である。(子安宣邦訳)

・このように語ることによって、鬼神(死後)は生存する人と陰陽二気の自然的世界に読まれていく。

鬼神は陰陽の消長に過ぎざるのみ。亭毒化育、風雨晦冥、皆是なり。人に在っては則ち精は是魄、魄は気は是れ魂、鬼の盛んなるなり。気は是魂、魂は神の盛んなるなり。精気集まって物となる。何物にして鬼神なからんや。遊魂は変を為す。たまたま遊べば魄の降ること知るべし。(『朱子語類』巻三、書き下し文)

(子安宣邦氏の訳)
鬼神は陰陽ニ気の消長であるに過ぎない。
生成化育、風雨晦冥はみな鬼神、すなわち陰陽ニ気の消長である。人にあって鬼神をいえば、精神の精とは魄であり、魄とは神の盛んなものである。精神も神とは魂であり、魂とは神の盛んなものである。精気が集まって物を為すという。したがって物にして鬼神のないものはない。また遊鬼は変を為すという。したがって魂は浮遊するのだから、魄は下降することを知るべきである(地に沈んでいく)

・文字がなかった古代に言語の存在はあった。物で書かれた物が存在したのであル12世紀に、それらは鬼神論によって説明されたとわたしは考える。

 

 

朱子学をただ日本近代思想の成立にとっての否定的な思想体系としてのみ見るのではなく、東アジアに成立した唯一の普遍的な思想体系として見ることから、あらためて日本の近世・近代思想の読み直しを考えるものです。
「あらためて」とはいかなる意味だろうか?

吉川幸次郎は『論語』先進編「鬼神に事えんことを問う」章の評釈の言葉も中で朱子無神論者としながら日本近世思想史を俯瞰するようなことを言う。これについて子安氏はいう。「私が朱子の鬼神論的世界を知る前であったらこの吉川の朱子を「無神論者」とする論定に驚くことなく、「無神論者」朱子を前提にして辿られる日本近世の「無神論者」仁斎とそれに対立する「有神論者」徂徠とそして宣長に辿られる思想史的系譜の記述を喜んで受け入れたであろう。だが朱子の鬼神論的世界を『朱子語類』の自分なりの解読によって辿ってきた私は朱子を直ちに「無神論者」とすることに抵抗を感じる。」子安氏は近代合理性のいわば透明な言語となったその自明性を問題とする。

 

No.3

朱子語類』巻三 「鬼神」

(書き下し文)
問う、鬼神は便ちただ是れ此の気なるや否や。曰く、又是この気の裏面の神霊と相似たり。
(子安宣邦氏訳)
鬼神はただこの気であるのでしょうか。朱子が答えていう。鬼神はこの気の裏面の神霊というべきものに似ている。

・「鬼神」は陰陽二気の霊妙な働きである、その裏面の神霊的な実体であると、「精神」に似ていると朱子は語る。現在は「精神」から「鬼神」を表彰することはない。近代のわれわれは「鬼神」を喪失して、「精神だけを心身的記憶に留めてきたが、それで失ったものは何であろうか?

・アジアは、「精神」はアジアのコスモロジーである「鬼神」と結びついていたのだけれど、近代は「精神」だけになった。抵抗の拠点である伝統を捨ててしまったのである。関心をもってくれる人たちもいて心強いが、ここで、「鬼神論」に反発する肉体言語の日本人たちのほうが多いかを知る。近代にやっつけられてしまったとはこのこと...なにか、漢字で書かれたロゴスにたいする反発をかんじる。デリダがいっていた音声中心主義とはこれか?ただわたしは江戸思想史を知らない読み手にいきなり朱子学とその鬼神論について語ることは方法的に問題はないかとおもっている。朱子学は「公」について語る思想であると思い描かれていて、彼らのイメージの中では「私」が消滅してしまう。しかし江戸時代の古学がいかに朱子学を解体していったかを知らないのである。伊藤仁斎にとって一番大切なものは「私」だろう。その「私」が宇宙の「天」(天命を与える)と結びついていなくてはならない。「公」は「天下的「公」として再構成された。石田梅岩のような朱子学者は天を支える士農工商の垂直的平等を考えた。この知識を前提に、どうして鬼神論についての朱子の言説が大切かを理解できる。徂徠の制作学的鬼神論、宣長の神話的鬼神論、篤胤の民情論的鬼神論が朱子の祭祀的鬼神論から展開された。

 

No.4

‪「帝は是れ理を主と為す」‬(陳淳)

子安先生の訳と解説 (『朱子語類』を読む)

「天が帝であるとは、理を主としていうのである」

• 人間が自らに判断できる主宰性(主体的、自立的)をもつのは、人間は心をもっていることによる。

・・宋の 陸九淵 や 明 の王陽明の学問、江戸中期の京都の 石田梅岩など、朱子学者から影響を受けた思想は心学と呼ばれます。心学は心=理、です。ただし朱子学は心が理を支えるとは考えません。朱子学は、性=理です。

伊藤仁斎ははじめは、天の理(ロゴス)」と結びついた「私」を大切に考えたと思います。「性」というのも天から命令を受けた生まれつきの心の方向性のことですよね。しかし仁斎はだんだんと天地観も性理論も捨てて行くことになりました。仁斎は人が人して要請されるあり方をカントのように語りました。
朱子学は「公」が大事なんでしょうね。むしろ「私」を排除しました。おそらく貴族は個人の救済が大切でしたから、仏教に寄ってました(日本の貴族は立身出世が救いでした)。しかし帝国宋の時代に貴族は、淫祠邪教を廃した宗教革命によって、官僚にすなわち知識人的活動家になっていきました。彼らは公の立場から、天帝を仰ぎ見はじめたのです。

・個人的なことで恐縮ですが、わたしは体系から遠い人間ですので、体系のことを喋るのが苦しいのです(笑)。しかし20世紀の朱子学の近代は体系的に理解しようとするあまり、朱子が死後の世界について語ったことはくだらないとか言いますよね。しかし12世紀の朱子は鬼神論について語りましたし、知識人のくせにどうも原始儒教の祖先崇拝をやめたりはしていないのですね。祖先崇拝する知識人は世界に例がなく、多分朱子学の知識人だけではないでしょうか。朱子は淫祠邪教を廃して宗教改革を行いましたが、近代主義(吉川)が捉えるように彼は無神論ではありませんでした。一筋では理解できない、ポストモダン的に混ぜ合わせがある思想家です。これがわれわれのポストモダン朱子の主張です。以前に、‪ 「フーコはいかに「言説」を語ったか」を投稿したとき、<混在郷>について書きました。朱子の鬼神論を語った言説は『朱子」の名を破裂させる<混在郷>です。
「だが<混在郷>(エテロトピ-)は不安を与えずにはおかない。むろんそれがひそかに言語(ランガージュ)を掘り崩し、<これ>と<あれ>を名づけることを妨げ、共通も名を砕き、もしくはもつれさせ、あらかじめ「統辞法」を崩壊させてしまうからだ。」(フーコ)

 

No.6

アジアの形而上学は、祖先崇拝の伝統を否定せずに、目に見えず耳に聞こえない鬼神とは何かを考えた。ただ形而上学は仏教の宇宙をも消滅させる無神論的思考を排するのが難しかった。そうして天を仰みたのは朱子学批判の古学。仁斎は人における天の主宰者としての道徳を考えた。しかし徂徠はそれを主観的だと批判。彼は聖人の命名による鬼神と国家の制作をはじめて語ることになった。この天皇制国家の青写真ー徂徠の国家に託した理論ーは後期水戸学に影響を与えていく。歴史は制作と再制作の反復である。

19世紀の異端的な平田篤胤は、18世紀の正統的な学者の議論(宣長と徂徠)というよりは、救済を望む民衆(彼のパトロンたちを含む)の話を取り入れる形の思想的主張である。平田は、言説的<と>を外部化する他者である。
鬼神論の言説について書くとは、包むもの、絶えず「あらためて」還るものに与えられた名ではないか。言語的存在である人間が存在の意味を考えるとき、近世的要請でも近代的排除でもなく中世形而上学的迂回でもない、包む精神が白紙の本に与える<問い返す>懐疑精神の差異の線である。

No.13

No.7

鬼神論の言説について書くことは並べること。世界は分節化できない生と死。思考の分割できる論理的順番として、ハンナ•アーレントハイデガーに先行する。先ず、遥か遠くからくる移民としての生を存在と書く。これによって此方からみえる向こう側がある。その後に、近(親)しい仲間から遠くへ行かないで再び還る「世界-内-存在(死)」を書くこと。アジアにおける、鬼神論的にある、本質なき再-分節化である。

目に見えて耳に聞こえるものは、世界から生と死の不透明性を奪ってしまってそれを返さないならば罪である。目に見えず耳に聞こえない鬼神を問う言説は事件であり、鬼神論をめぐる言説の展開は贖いである。世界から不透明性を奪った問題を解決するために、再び言語の透明性に委ねることは倫理的に不可能である。朱子が語る鬼神論は言語を透明化した。しかし朱子の鬼神論は、弟子たちとの議論を通じて、理(ロゴス)の優越性を保つのはいいとして、死を第二義的問題とみなすような、世界から生と死とが一体にある不透明性を奪ってしまってはやっていけなくなることを隠さない。

 

朱子『中庸章句』と江戸思想史”のテーマは思想的交錯である。西欧思想と江戸思想と比べると、関心が高くなく読まれることが少なかったアジア思想ー 朱子学ーとの交錯を考えることは意義深い。朱子におけるアジアの宇宙論をもつ中心的思想を表現する文との関係を示したい。「天の命ずる之(これ)を性と謂う」(『中庸章句』)を解釈し注釈したあり方を一変させたのは、宋代の朱子たちであった。時代背景的には、南宋の学問知識ある士大夫の彼らは新しい宇宙論をもった哲学的思想として再構成した。子安宣邦氏は江戸の知識人と比較する。江戸で知識人が形成されたが、中国の国家権力をになう宋を支える知識人的官僚である士大夫と違う。この相違を指摘したうえで、子安先生は、「「天命之謂性」という『中庸』のテーゼと朱子の解釈が、近世日本の思想世界でたどる拒絶的反発をも含んだ思想的交錯の実際」を指摘してみせる。「この交錯はなにを生み、なにを失うことになるのか」と。
この問題提起を念頭におきながら、朱子の注釈を読んでみよう。朱子は「性は即ち理なり」と注釈した。「性」をどう理解するか。「地上に人や物が生じると天は命令のごとくにこれらに性を賦与するというのである。その性は理であると朱子はいう。「性即理」とは『中庸章句』におけるもっとも重要な定義である。これによって『中庸』首章のテーゼは朱子哲学的テーゼになるのである」(子安)。つまり、「人は人であることの理由、人の存在理由をもって生まれるという」。ここで理由とは根拠である。そうして、「人の生まれつきの心を意味する「性」が、いま人が人であることの本性すなわち「理」として再定義される」と子安氏は語る。いま『中庸章句』という人倫の哲学の確立にとってなにが重要であるかが明らかである。それは、「人倫的存在としての根拠すなわち理」である。
宋とは何であったのか?子安氏にとって、この問いは知識人とは何かという問いと一緒にある。宋とは時代の政治と知識•学問•文化に責任を負う士大夫が貴族に代わって成立した時代である。「宋が中国史における<近世>の始まりを称される有力な理由はそこにある」と指摘して、第一章をこう結ぶ。(朱子学は)「哲学的には宇宙論的規模における思想的な自己表現であるように思われる」。

 

 

 

No.8

「性は即ち理なり」と語りはじめた朱子における「理」概念をより詳しく考える必要があるのは何故か?『江戸思想史講義』の著者である子安宣邦氏にとって、「朱子学との関連で江戸思想を問うとき、事ごとに問われてくるのはこの「理」である」という。「ただ宋代の白話的言語を混じえた『語類』のテクストは中国哲学思想を専門にしていない私などの読みうるものではないが、和刻文の訓点を頼りにし、三浦氏の著書の助けを籍りてあえて読んでみた」。子安氏はここで重要なことを言おうとしている。漢文的読みのほうが正しいのではないかと。日本でつくった漢文を読む方法にしたがっている、理のほうが優越した概念ではないかということである。「理は経験的事象•事物の世界に先立ち、超えるものとして先験的、超越的概念としての性格をもっている。と同時に理は事象•事物の存立根拠として、常にその裏にある存在論的な概念である」。ここで注意しなければいけないのは、理を気質の精粗でとらえかねない危うさにたいしてである。理と気の差異性を保たなければいけないからである。おそらく朱子において理ははじめから明確な概念としてあったのではないだろうと言われる。『朱子語類』は、この「理」概念をもつことによって、朱子の哲学も宇宙論も成立するものであることを師弟間の問答という「具体的で生動的な」場面を通じて示す「世界哲学史上に希な記録」である。

ただし子安氏は「朱子は門人の気軽な「理気先後」の言説をたしなめている」と指摘する。「「理気先後」といっても、われわれの知識はまずこの気の世界から形成されると朱子は強調した。これについては、子安先生は「朱子学の出自をもつ「只是れこの浄潔空潤底の世界(「空」の世界)というような仏教色を払底できるか」と考える。

朱子語類』巻第三「鬼神」は、理に「はたらき」があるわけではないとされる。また、精神は気の概念であり理の概念ではないという。

子安宣邦氏は訳された三つの文を示す。

「天道は流行し、万物は発育する。その際、理が先ず有って、後に気があるのである。このすべての過程に理と気とは同時にあるのであるが、畢竟理を主とするゆえ、先ず理有りとするのである。人はこれを得て生まれてくるのである。(…)知覚・運動は陽の働きであり、形体(周明作は骨肉皮毛とする)は陰のつくるものである。さらに気を魂といい、体を魄という。」

 

「聚散するのは気であって、理というのはただ気の上に泊まっているだけである」「人が人としてあるべきもの、それが理であって、理について聚散をいうことができない」、「気が尽きれば、魂気は天に帰し、形魄は地ににして死ぬのである」「人は気の聚合として身をもって生まれ活(い)きる。そして死とともに心の働きをなしていた陽気のエッセンスである魂は天に上り、身体を形成してきた陰気のエッセンスである魄は知り降るというのである。これは人の生死を天地における気の働きとして理解し、それを言語でもって表現したものである」。子安先生の説明によれば、こうして人とその生死は一つの「筋道」をもって気的宇宙論の中に包摂されることになった。

「理」を知り、「理」をいう言説とは何か?死後について知らねばなるまいが、問題は、このもの(理と気)をいかに秩序づけるかにあった。朱子は順を言っている。「幽明始終、初(もと)より二理無し。但し之れを学ぶに序あり。等を喩ゆるべからず」(『論語集注』)

こうして、言語的存在である人間が存在の意味を考える。「人が宇宙の中にどのように生まれ、どのように生き、どのように死に、そして宇宙にどのように同化していくのか、その筋道が理であり、これを理とするのが人の智であり、智の表現としての言語ではないのか」。この智と言語とは宇宙論をその根因とともに構成し、言説化していくのである。四書はバベルの災厄であった。『論語』において語られなかったことをはじめて言い出したのは朱子である。アジアの形而上学はこうして生まれてきた。

No.9 

ひとまず「理」をこう理解して、子安宣邦氏が展開する朱子鬼神論を読んでみる。鬼神論は死をどう語るか。祖先祭祀が説明される。ちなみに朱子は宇宙も生死を繰り返すという。

「人の生死を気の聚散をもって説いた朱子は、ここでは祖先祭祀を祖先と子孫との同一の気の間における感格(感じ格(いた)る)の道理をもって説明している。人は気を散じることによって死ぬのだが、上に向かっていく魂気が散じきるに長い時間を要する。その間は子孫が祀れば、同気の先祖の霊は祀りの場に感じ来たるというのである。これを感格の道理という。この感格の道理は祖先・子孫間における同気の働き合いという道理をいうものであるか、それは同時に祖先祭祀を意義づける言語でもある。」(子安)

 

・子安氏は、伊藤仁斎による『中庸』首章解を通して、「文」による古学的批評の意味を明らかにしている。「17世紀の日本で宋学あるいは朱子学は山門を出て、市井の新たな学び手の前に現れたというように、話は中国から日本に来る。京都の堀河の町衆の家に生まれた伊藤仁斎と、近江の農村に生まれた中江藤樹を子安先生は語る。「彼らの出身の環境には彼らの学への参入に結びつくものはない」。この二人はその強い志にしたがって儒学に参入し「朱子学体験」というべき「学習体験」をもつことができた。「体験」とは何か?これを問うことは近代という時代を問うことである。「体験というのは、朱子学による彼らの学的自己形成がそれ自体として最初の体験というべき新しさをもっている。日本の近代とは、彼らにこの体験を可能にするような時代としてあったのである」。「伊藤仁斎らがその生涯を通して克服的対応をし続けたのは封建的イデオロギーとしての朱子学ではない」。子安氏は事件性の概念を導入する。事件性とは言説のことである。「いま17世紀に成立する近世社会で予期しない新たな受容者によって学習体験されるのである。その意味で近世日本の彼らによる朱子学の学習体験は事件性をもっている」。

仁斎における人の道は「関係性をもって生存する人の性という自然に循がったもの」である。朱子においては、理である性との必然的関係としての当行の道があることを「性に率うの道」といった。「性即ち理」を否定する仁斎において「性に率うの道」とは何かがあらためて問われねばならなう。この問いへの明確な答えは、「中庸発揮にように『童子問』によって与えられる。」

朱子は性を前提にして道がはじめて有るかのようにいう。「各其の性の自然に循うときは、即ち日用の間、各当行の路有らずということ莫し」という。これについて、仁斎は、これは『倒説』ではないかという。「蓋し性とは己に有るを以て言う。道とは天下に達するを以て言う。易に曰く、「人の道を立つ。仁と義と」、是なり。故に人有るときは性有り。人無きときは即ち性無し。道とは、人有ると人無きとを待たず、本来自ずから有るの物、天地に満ち、人倫に徹し、時として然らずということ無く、処として在らずということ無し。豈人物各其の性に循うを待って而る後えれ有りと謂うべけんや。晦庵の説く所の如きは、是れ性は本にして道は末、性が先にして道は後なり。豈倒説に非すや」

 

No.10

朱子の「理」的言語による<経書>的世界の再構成が漢字的世界の事件であるならば、仁斎の「性即理」に凝縮されている朱子「理」学の否認による<経書>的世界の再構成もまた漢字圏的世界におけるもう一つの事件であるだろう。」

「仁斎は『童子問』で「蓋し性とは己れに有るを以て言う。道とは天下に達するを以て言う」と性の一己性に道の天下性を対置していった。このことは『中庸発揮』では「性とは己の有する所、道とは天下の通ずる所」と言われていた。この「性」と「道」との対置は、「性」から「道」への学の主題自体の転換をいうものである。だがこれを転換というよりは、むしろ復帰というべきだろう。仁斎の学とは孔子の聖学への復帰、すなわち古学であるからである。」

子安宣邦氏は「私の感銘する一章」をここに引いておきたいと言われる。

「卑しきときは則ち自から実なり。高きときは則ち虚なり。故に学問は卑近を厭うこと無し。卑近をゆるがせにする者は、道を識る者に非ず。道は其れ大地の如きか。天下地より卑しきは莫し。然れども人の踏む所地に非らずということ莫し。地を離れて能く立つこと無し。況んや華厳を載せて重しとせず、河海をおさめて漏らさず、万物載すときは、則ち豈其の卑しきに居るを以て、それを軽んずべけんや。」(『童子問』の上、第24章)

 

仁斎の文章を求めていた子安氏は、林少陽の『「修字」という思想』を再発見したという。

 

「林は音声言語における言と意との無媒介的な構成に対して「文」における言と意との間に第三項的「媒質」をもった言語論的構成をいう。「媒質」とは「言ー書ー意」や「言ー象ー意」「言ー比(喩)ー意」の「書」「象」「比)喩)」という言ー意間を媒介する第三項をいう。この媒質を介してはじめてわれわれの言語表現は「文」とされるのである。」

「要するに、「言語の媒質性」とは、意識の言語化とそれに関わる「読む主体」の意識、すなわち他者への伝達、他者の理解などの根底には、この文字による媒質的過程性がある、という意味である。そして伝達の媒質とその過程との両者が不可分であることを強調する「媒質過程」という用語を本書に導入したのは、「媒質過程」という用語がコミュニケーションの過程性、現場性、主体性、媒質と主体との間にある歴史性などうぃ重視する用語として機能し、そして漢字圏批評史の言語理論の特質を説明するのに有効なものだと考えているからである。」

「書かれてものとしての文は、形式的にも本質的にも来るべき他者のために開かれたものである。それは来るべき他者に伝達され、来るべき他者によって意味が生産され、来るべき他者によって判断され、ないし審判されるための言葉である。したがって書くことはそれ自体、重大な倫理問題と関わっているのである。」

 

林氏は「東アジア漢字圏の批評理論は可能か」と問いかける。子安先生は言う。「私は、「東アジア漢字圏の批評理論は可能か」という問いかけを江戸の17世紀日本にまで遡らせて考えようとしている。仁斎は朱子の「性即理」に立つ「理」的言語に対して「大地」を比喩としながら、「道」の人にとっての重大性、と同時に卑近性とを見事で美しい文章をもって提示した」。

 

書くことは<経書>的世界の字を並べること。「性即理」と構築的に理念化したものは高すぎる。仁斎は並べるのは、彼が立つ大地においてである。人あっての道と天下に達する道。と..と..

 

No.11

中国の「新天下主義」を語る許紀霖『普遍的価値を求める』をどう読むか。

 天下概念とは国の範囲を超えたものである。しかし「新天下主義」と言われるものは、『帝国か民主か』の著書をもつ子安宣邦氏の指摘では、中華的「天下主義」と「帝国」の想起であり、それらの21世紀的世界での再構成ではないのかと問う。溝口雄三の現代中国を社会主義国家とみる見方や、柄谷行人『世界史の構造』における「帝国」概念を批判する子安先生は、こう言う。「新天下主義」が国民国家至上主義的中国の批判とその国家概念の真の普遍化を目指して掲げられるものであるならば、その旗下ろしは、「天下主義」であってはならない、いかなる意味でも「帝国」を想起するものではならないと。
<東アジア世界>の<一体多元>的共同体としての再構成は、その中核的国家中国それ自体の<一体多元>的国家としての存立なくしては不可能である。「<一体多元>的共同体としての<東アジア世界>を導く旗は「新天下主義」ではない」。

 他方で、子安氏は、「新天下主義」の構成にあたって許氏が世界文明としての成立期すなわち「枢軸時代」に向ける許氏の視線を貴重なものだとしている。「文の意義」との関係が語られる。

「枢軸時代」とはヤスパースが「この世界史の軸がはっきりいって紀元前500年頃、800年から200年の間に発生した精神的過程にあると思われる。そこに最も深い歴史の切れ目がある。われわれが今日に至るまで、そのような人間として生まれてきたところの人間の発生した」というその時代である。この時代には驚くべき事件が集中的に起こった。シナでは孔子老子が生まれ、シナ哲学のあらゆる方向が発生した。そしてインドで、イラン、パレスチナギリシャで、この時代に基本的範疇が生み出されたが、それを身につけてわれわれは今日まで思惟しているのである。また世界宗教の萌芽が生み出されたが、それに基づいて人間は今日まで生きてきたのである。「あらゆる意味で、普遍的なものに迫る歩みが行われたのである」。

「枢軸時代」とは目に見えない他者との関係が確立していく時代ではないか。

『仁斎論語』において、仁斎における日常の卑近の思想と共に提示された、自然の中に隠棲しなかった孔子の<世界ー内部的亡命>は、ここで、「新天下主義」的国家の無媒介的声から自立している媒介的エクリチュール(目に見えない他者が介入してくる文の意義)として再構成できるのではないか。これが「世界哲学史」である。

 

No.12

鬼神とは何かを明らかにする目的とするポストモダン精神(鬼神)は、朱子は鬼神をどう語ったか、徂徠は鬼神をどう語ったかを問う。
その徂徠の「制作」論の成立とその射程を明らかにするために、彼の「中庸解』を読まなければいけない。子安宣邦氏は、現代語をもって読み下してみたときあらためて「『中庸解』ははたして経典•テクストの注釈であるかを疑うのである」という。徂徠は『中庸』第一章を総括する文章の中で、「夫れ聖人は性に率いて道を造る。子思は率うを言いて造るを言わず。其の流れ孟子の性善を言うに至りて極まる」と言っている文を子安先生は読んでつぎのようにいう。「こうした言葉は徂徠の『中庸解』が子思の制作になる『中庸』の批判(クリテイック)からなるものであることを教えている」と書く。

徂徠の「古学」とはなにか。ここから考える必要がある。『弁道』でこういう。「不佞、天の寵霊により、王•李ニ家の書を得て以てこれを読み、はじめて古文辞あるを知る。ここにおいて六経を取りてこれを読む。年を経るの久しき、物と名との合するを得たり。しかるのち訓詁はじめて明らかに、六経得て言うべし。六経はその物なり。礼記論語はその義なり。義は必ずものに属(つ)き、しかるのち道定まる。すなわちその物を舎てて、ひとりその義を取らは、その氾濫自重せざる者は幾希し。」(『弁道』)

 
ここで子安氏は重要なことを指摘する。徂徠の古学にポスト構造主義的な批判的言説と方法論的におなじ構成をみる。「己れに成立する古学をこのように語る徂徠の言葉を見れば、この古学的な批判的言説はわれわれにおけるポスト構造主義的な批判的言説と方法論的に類似していることに気づく。まず徂徠の批判は物を舎ててただ義だけを語り出していく儒家的な「道」の言説に向けられる。批判がまず人の<語り出し>に向けられるかぎり、その批判は言語論的、あるいは言説論的である。義だけを語り出す人々の言語が問われているのである。ではその言語を人はどこから問い質すことができるのか。それはその言語の外部からである。徂徠はこの外部を「六経」の世界に取るのである。しかも徂徠は「六経はその物なり」という。徂徠は「六経」をそこから語り出される内部的な意味言語の全くの外部である「物」だとするのである。」。

聖人は人間の性にしたがうように道をつくったとする「道」の再定義をした徂徠は、「先王の道は先王の造る所」と語りはじめた。徂徠の思想的言説からひとつの主張が出てくる。ここで、子安先生は、徂徠の「性に率う道」とは「皇国における臣民の道でもある」と指摘する。「それは徂徠「制作」論の日本の近代に及ぶ遥かな射程を思ってである」という。子安先生は80年代に行った「言説論的転回」について説明する。「丸山<徂徠>の乗り超えは80年代の「言説論的転回」と私が呼ぶ思想史の方法論的転換とともになされていった。そして徂徠「制作」論がもたらした言説論的な結実は水戸学的「国体」論であることを知ったのである」。

「徂徠「制作」論が導いた近代日本の国体論的天皇制国家の存立という事態は、丸山が徂徠に読むところでも、読もうとするところでもなかった。では徂徠「制作」論との理論的・思想的な強い影響的連関の中に近代の天皇制国家日本の成立を見ることは、丸山政治思想史に対する批判以上のいかなる意味をもつのか。もっとも重要なことは、明治維新によって成立する国体論的天皇制国家日本を<制作されたもの>として見ることである。天皇を最高の祭祀者とした祭祀的国家日本は徂徠古学・宣長国学・後期水戸学によって再発見され、再構成されたものであるのだ。近代天皇制国家は制作されたものである。この国家を制作されたものと見れば、その再制作の課題と責任とは現代日本人の当然負うものであるはずである。」

 ・国体論は日本を自然的始まりに基礎づけていたが、こういうのは実は徂徠の制作論からはじまると子安先生は指摘する。子安氏による丸山真男「作為」論批判では、『徂徠学講義』の序に書いた文を引いていう。「徂徠学が宣長国学や後期水戸学を介して近代日本の国家理念の形成に深くかかわっていることの指摘は、影響的射程という思想史的地平を超えでた問題の地平にわれわれを導くだろう。神武創成の偉業を明治のいまに再現する日本の近代国家(ネーション•ステート)としての形成は、中国の先王的古代の祭祀国家理念を負っているのである。これは近代日本の天皇制国家の隠蔽された地平を一気にわれわれの前に露出させる」。子安氏は、徂徠「制作」論と丸山真男「作為」論を並べて、丸山政治学的言説の誤読を指摘する。徂徠学が「外部的な制作の学」である所以を明らかにする。「先王と礼楽と、そして六経という外部的視座をもって徂徠は社会形成的存在としての人間への視点を獲得し、日本思想史上に稀有な外部的な社会哲学的世界を構成していった。」

 なぜ日本の近代天皇詔勅元号によって中国古代の帝王の尚書的世界を装ってきたのか。徂徠学は日本に近代天皇制国家の作為的構成をわれわれに教えるのである。ここで作為とは丸山におけるような近代的思惟の特質をいうのではない。「それは国家社会の為政者による制作行為をいうのである。」この制作行為は、述べてきたように、「政治的である。」制作の学としての徂徠学は、日本の近代天皇制的祭祀国家を制作としての視点をわれわれに与えるのである。

ここから子安氏は問題提起する。「近代天皇制国家の制作論的解明は、われわれに再制作の道を開示するのである。」

 

No.13

「季路、鬼神に事えんことを問う。子曰く、未だ能く人に事うることあらわず。焉んぞ能く鬼に事えん。敢えて死を問う。曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。」(『論語』先進第十一)

 

「鬼神に事えんことを問う」は、『論語』における「鬼神論」的原型であろう。「季路がその事え方を問うた鬼神とは、死んだ人、すなわち祖先とその霊である。鬼神とは一般に死者とその霊が意味される。『論語』先進篇のこの章が貴重なのは死者とその死が、生者とその生との関わりにおいて初めて孔子に問われ、孔子が答えたことにある。「「鬼神論」という儒家的論説はこの章についての朱子の解釈(朱注)にその論説的構成の仕組みを見ることができる。その意味でこの章とその解釈を儒家における「鬼神論」的論説の原型と呼びたい。」

子安宣邦氏は、『論語』鬼神章の簡野道明の解釈を参照し、「幽明始終に二理無し」が中村惕斎にどう注釈されたかを読む。また吉川幸次郎の理解を検討している。子安先生はコスモロジーの基本は易にあるとしてつぎのように言う。「昼があり夜があるという自然の道理は人間における死生の道理だというのである。ここには天に由来する天地自然的道理の優越性があるように思われる。生も死も、人も鬼も、昼と夜と同様に自然の道理の中にあるのである。生も死も、生物も死者も、ともにそれぞれ道理をもってこの世界の中にある。だから生の道理を尽くせば、死の道理をも尽くすことができるだろう」。これが程子・朱子が『論語』の鬼神章の孔子と季路との問答に読みとった教えであるという。そうして鬼神にことは第二着の問題だという朱子の考えが明らかになる。これについては『朱子語類訳注』の現代解釈者は正しく理解していないという。

子安氏は朱子孔子の言葉の理解を示す。「鬼神を事えんことを問うことは、蓋し祭祀に奉ずる所以の意を求む。而して死は人の必ず有るところ、知らざるべからず。皆切問なり。然れども、誠敬以て人に事うるに足るに非ずんは、即ち必ず神に事うること能わず。始めを原ねて生じる所以を知るに非ずんは、即ち必ず終わりに反リて死する所以を知ること能わず。蓋し幽明始終は、初めより二理なし。但しこれを学ぶこと序有り。等を越ゆるべからず。故に夫子之を告ぐること此くの如し。」(『論語集注』)

子安氏は、現代解釈者の近代合理性に素直にしたがったかのような誤読を指摘しながら説明する。朱子はこの章における季路の問いについて、、鬼神や死についての問いを、二義的なものとしているわけではない。「ただそこに順序があると孔子は教えたのだと解している。」

子安氏は黄義剛の問いと朱子の答えを検討したあとで、「朱子無神論者か」が問われる。朱子の鬼神論的世界を『朱子語類』の自分なりの解読によって辿ってきたという子安先生、朱子を直ちに「無神論者」とすることに抵抗を感じると述べる。吉川が「宋儒の無神論」といったとき彼は朱子の鬼神論を合理主義的な鬼神観でもって覆いきってしまうのである。「だが「鬼神に事えること」を問い、「死」を問うことを共に人の切問だという朱子、人の死と死後、そして死霊の行方とその祭祀をめぐる執拗な問いに答える朱子とははたして無神論的合理主義者であるのか」、「われわれは朱子の鬼神をめぐる知と言説の性格を問い直そう」。

No.14

「季路、鬼神に事えんことを問う。子曰く、未だ能く人に事うることあらわず。焉んぞ能く鬼に事えん。敢えて死を問う。曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。」(『論語』先進第十一)

 「鬼神に事えんことを問う」は、『論語』における「鬼神論」的原型であろう。「季路がその事え方を問うた鬼神とは、死んだ人、すなわち祖先とその霊である。鬼神とは一般に死者とその霊が意味される。『論語』先進篇のこの章が貴重なのは死者とその死が、生者とその生との関わりにおいて初めて孔子に問われ、孔子が答えたことにある。「「鬼神論」という儒家的論説はこの章についての朱子の解釈(朱注)にその論説的構成の仕組みを見ることができる。その意味でこの章とその解釈を儒家における「鬼神論」的論説の原型と呼びたい。」

子安先生は、『論語』鬼神章の簡野道明の解釈を参照し、「幽明始終に二理無し」が中村惕斎にどう注釈されたかを読む。また吉川幸次郎の理解を検討している。子安先生はコスモロジーの基本は易にあるとしてつぎのように言う。「昼があり夜があるという自然の道理は人間における死生の道理だというのである。ここには天に由来する天地自然的道理の優越性があるように思われる。生も死も、人も鬼も、昼と夜と同様に自然の道理の中にあるのである。生も死も、生物も死者も、ともにそれぞれ道理をもってこの世界の中にある。だから生の道理を尽くせば、死の道理をも尽くすことができるだろう」。これが程子・朱子が『論語』の鬼神章の孔子と季路との問答に読みとった教えであるという。そうして鬼神にことは第二着の問題だという朱子の考えが明らかになる。これについては『朱子語類訳注』の現代解釈者は正しく理解していないという。

子安先生は朱子孔子の言葉の理解を示す。「鬼神を事えんことを問うことは、蓋し祭祀に奉ずる所以の意を求む。而して死は人の必ず有るところ、知らざるべからず。皆切問なり。然れども、誠敬以て人に事うるに足るに非ずんは、即ち必ず神に事うること能わず。始めを原ねて生じる所以を知るに非ずんは、即ち必ず終わりに反リて死する所以を知ること能わず。蓋し幽明始終は、初めより二理なし。但しこれを学ぶこと序有り。等を越ゆるべからず。故に夫子之を告ぐること此くの如し。」(『論語集注』)

子安先生は、現代解釈者の近代合理性に素直にしたがったかのような誤読を指摘しながら説明する。朱子はこの章における季路の問いについて、、鬼神や死についての問いを、二義的なものとしているわけではない。「ただそこに順序があると孔子は教えたのだと解している。」

 

朱子が「鬼とは陰の霊なり、神とは陽の霊なり」というとき、それは鬼神の陰陽論的解体というよりは、鬼神の陰陽論的再構成の方向をもった言葉になっていると子安先生は強調する。「「人の主宰としてこの鬼神(たましい)が体されているあり方を見落とすことはできない」と朱子は言うのである。」

「しかも「これは陰陽的自然の真実(まこと)である」。「この微なる真実が顕然となるのは誠が尽くされた祭祀の場においてだ」というのである。」

幽明を異にする死者(祖先)と生者(子孫)との精神(たましい)の合一がなされるのはその祭祀の場においてである。

「人に体されて鬼神が存するのは自然の底の実すなわち誠である。そしてその鬼神が祭祀の場に顕然として存するにいたるのは祀るものの実すなわち信によってであるち。これは自然哲学的<鬼神>の宗教哲学的な<鬼神>への転換だということができる。そしてこの転換をもたらすのは祭祀者の実すなわち信であると。」

 

 

No.15

 朱子コスモロジーは鬼神論と結びついている。鬼神とはあちら側にあるもので、こちらで果たすべき知と世界がある。その鬼神とは、人間の生前と死後とに関わる精霊的働きであり、その実体すなわち「魂魄」でもある。これを語ること、すなわち人間にとって永遠の課題でもある「死」と「死後」との言語化をいま朱子は、『易』の「繋辞」の「仰いでもって天文を観、府してもって地理を察す、この故に幽明の故(こと)を知る。始めを原ね、終りに反(かえ)る、故に死生の説を知る。精神気は物を為し、遊魂は変を為す、この故に鬼神の情状を知る。を原初の根源的な「知」の範型として実現していこうとするのである。それが朱子学における「鬼神論」である。子安先生は問う。生者と死者とのコスモロジーとは何かと。『鬼神論」(1992)において、「朱子の『鬼神論』を当代社会における<鬼神>をめぐる俗信を含む信仰的実態に対する儒家知識人の立場からする批判的解釈的言説というとらえ方をしている。これはマルクス主義的なイデオロギー批判としての社会的言説批判の方法によるものであるという。本書では、俗信的鬼神信仰的世界の批判的解体とともに、気-陰陽論語的ななコスモロジーをもった鬼神祭祀的世界の再構成をもともなうものであるこちを明らかにしようちする。子安先生が、加知伸行『儒教とは何か』(中公新書1990)を批判的に分析しながら、朱子「鬼神論」と近世•近代日本の対応を考えてみる。「宗教改革」と呼ばれる大切な概念とは何か?

「宋代とは<中国的>とされる文化的•知的世界を、それを言語的に表現する知識人とともに生み出した社会であり、時代である。宋学とはこの宋代知識人の新たな儒者としての自己形成とともに形成された新たな宇宙論的な儒学である。これは朱子学として体系化される。このように見てくると、朱子「鬼神論」とはこの宋代知識人による<中国的>生死観に立ったコスモロジーの構成とともになされる宗教改革の表明ではないかち思われてくる。中国的社会を祖霊祭祀的宗教体系でもって統一し、再構成するには、祖霊信仰体系をも危うくしかねないような仏教や俗信的鬼神信仰の解体的批判が必要だったのであろう。朱子「鬼神論」を構成する議論の大半はこの俗信的鬼神信仰の解体に向けられたものである。そこから朱子鬼神論を無鬼論とする理解も生まれてくるのである。」

 
・「鬼神とは聖人の立つ所なり」と荻生徂徠は『弁名』で言う。子安先生は徂徠と制作論的鬼神論を読み解く。
先ず、子安宣邦氏は、朱子「鬼神論」と篤胤『鬼神新論』を読み比べる。
『鬼神新論』あるいは『新鬼神論』はその主題的起源を朱子『鬼神論』にもつ。朱子『鬼神論』とは中国の淫祀邪教的宗教社会に対する宗教改革的な意味をもった批判的言説であった(民間信仰を否定する)。『論語』『中庸』など経書の新たな宇宙論的な哲学的立場からの解釈によて中国から朝鮮•日本をも覆う朱子学思想体系に対して、篤胤はいま「鬼神論」を、重要な切り口として批判的反抗を企てるのである。すなわち「古学」的方法をもって『論語』『中庸』の孔子の言行から<鬼神の実有>こそが古えの真実であることを証明してみせるというのである。「これは途方もない企てのようだ」。
子安氏は篤胤の徂徠発見を指摘する。「徂徠は鬼神祭祀を通して共同体の原初的な成立を語る。篤胤は祭祀的共同体としての人間世界のはじまりを徂徠とともにしながらも、徂徠に伝統儒者に対すると同じ非難を浴びせる」。徂徠によれば、鬼神がなお聖人の制作意味のなかにある。篤胤はこの点を非難する。
子安氏が、「物」をめぐる語りの差異を問題にする。そうして徂徠から宣長へと考えを進める。
「聖人の制作になる鬼神(祖霊)を祭祀対象にした祭祀が<物>のような確かさをもって存在することを知るのは、『六経』にあると徂徠は答えたであろう。このような答えを導くのが徂徠の古学である。ところでこの徂徠の古学という学問的方法論の徳川日本における最高の後継者を私は本居宣長だと考えるのである。」
「徂徠の<制作論的有鬼論>を『六経』や『古事記』による有鬼論、すなわち<古学的有鬼論•有神論>と呼ぶならば、その言説の影響的射程は近代に及ぶものであることは明らかだろう。」
宣長の『古事記伝』を中心にした<古学的有神論>は制作された天皇的祭祀国家に<民族神話>的魂を注ぎ入れ、まことに、これを国民的制作物にしていったのである。」
ここに、子安氏は篤胤の有鬼論を位置づけた。そしてこの問いの言葉を置く。
「私は朱子「鬼神論」に対する近世日本の<制作論的有鬼論>の近代日本に向けて辿る思想系譜のみを追ってきた。では鬼神論をめぐる最大の問題発起者である平田篤胤も<民情論的有鬼論>、近代前夜のこも<有鬼論>はどのような運命を辿ることになるのか」
 
 子安氏は、「朱子鬼神論と近世日本の有鬼論的反応」を語るために、平田篤胤と彼の「民情論的有鬼論」が分析される。先ず、二つの「有鬼論」とは何か?徂徠は聖人と同一化して国家に制作をめぐる制作論を展開するが、篤胤は民衆に同一化して共同体の形成をいう。簡単に言えば、民衆は鬼神というものを信じるから、これを契機に共同体がつくられるという。この差異は重要である。「篤胤は聖人の制作に先行するのは民衆の心情における鬼神の存在だといったのである。この二つの有鬼論(徂徠と篤胤)の間には鬼神をどう見るかの違いよりは人の思想という位相における違いがある」。子安氏は、篤胤の考えを明らかにするために、彼が言う「霊の行方の安定(しずまり)」の意味を考える。『霊能真柱』の冒頭で篤胤はいう。「古学する徒は、まず主(むね)と大倭心(やまとごころ)を堅むべく、この固の堅在(かたち)では、真道(まことのみち)の知りがたき由は、我が師の翁の、山菅の根の丁寧に教悟しおかれつる、此れは磐根の極み突立てる、厳柱(いかしはしら)の、動きましに教えなりけり。斯くて、その大倭心を、太く高く固め欲するには、その霊の行方の安定(しずまり)を、知ることなも先なりける。」

この文に、宣長と篤胤の間の思想の主題の違いがある。「霊の行方の安定」をめぐる問いとは、死後霊魂の行く方をめぐる問い、人は死後どこに鎮まるのかという救済希求的問いである。篤胤は、師宣長とは違って、「霊の行方の安定」をめぐる「安心」を得ることが古学の徒における最重要事であることをなぜ言うのかと子安氏は問うために、宣長の「安心なき安心」論いいかえれば救済のない救済論が検討される。「天下の人みな此儒仏の説を聞馴て、思ひ思ひに信じ居候処へ、神道の安心は、ただ、善悪共に黄泉の国へゆくとのみ申てその然るべき道理(いわれ)を申さでは、千人万人承引する者なく候、然れ共その道理と申事は、実は人のはかり知べき事にあらず、儒仏等の説は、面白くは候へ共、実は面白きやうに此方より作りて当て候物也、御国にて上古、かかる儒仏等の如き説をいまきかぬ。ただ死ぬれば、黄泉の国へ行くものとみ思ひて、かなしむより外の心なく、これを学ぶ人も候はずし、理屈を考える人も候はざりし也、さて、其のよみの国は、きたなくあしき所に候へ共、死ぬれば必ずゆかねばならぬ事に候故に、此世に死ぬるほどかなしき事は候はぬ也、然えに儒や仏は、さばかり至てかなしき事を、かなしむまじき事のやうに、いろいろと理屈を申すは、真実の道にはあらざる事、明らけし」。

この宣長の死生観なき文は小林秀雄を困らせた。子安先生はこの文を読んで、これはわれわれの考え方の転換を促すような国学思想的な言説と見るべきだと言う。「この思想的転換のはるかな帰結を私は20世紀日本の民の上に見る思いがする。」

 「人の死ぬれば夜見に帰く」ということは宣長の確信的にな説であったが、篤胤があえてこれを宣長以外の他者の説とした、宣長もまたこの影響下にあったとしている。では人が死んでその魂はどこに行くのか。

篤胤は顕幽二元論を展開しながら、民衆のものである救済論を説く。宣長も救われたのである。

「あはれ然(さ)る人々よ。大船の、ゆたに徐然(しづか)におもひ憑(たの)みて、黄泉国の、きたなき国に往かむかの心しらびは止みねかし。さるは上にいへる如く、 人の霊魂の、すべて彼国へ往くてふ、伝えも例(あと)も見えざればなり。しの師の翁も、ふと誤りてこそ、魂の行方は彼処ぞといわれつれど、翁の御魂も、黄泉国に往で坐さず、その坐す処は、篤胤たしかにとめ置きつ。しづけく泰然と坐しまして、先だてる学兄たちを、御前に侍らはせ、歌を詠み文などを作きて、前に考えもらし、解釈誤されることもあるを、新たに考え出つ。こは何某か、道にここての篤かれば、かれに幸ひて悟らせむなど、神議々(かむばかり)まして、おはすること、現に見るが如く更に疑ふべくもあらぬをや」

 

• 「国民的救済信仰の語り出し」として『先祖の話』の柳田國男を読み直す。

子安氏の戦争と私の原体験から語り始める。「私がここに書こうとする原体験とは<死の恐怖>の体験である」という。全体主義国家日本が子供にもたらす<死の恐怖>は子安先生における歴史の原体験として持ち続けられている。「この原体験は柳田の日本人の「死の親しさ」をいったりする文章に直ちに反応する」という。

「昭和のこの戦争がもたらす「死」の恐怖に戦き、生涯ぬぐえぬトラウマをもった私はその戦争最終期に「死に親しい」日本人をいう柳田の『先祖の話』に民族主義的誤謬というべき最後の日本救済論と思うのである」。

柳田國男はアジア的状態を前提にして平田篤胤の顕幽二元論を継承している。「死の親しさ」を民俗学的に理づけているのだと子安氏は指摘する。ここから、「先祖教」と柳田が呼ぶものが成立する。「これは柳田とその民俗学だけが語り出す言葉である。私はこれを「祈り」といった。」

「ここで祈られているのは、あの祈りの言葉綴られている日本人の生の永続である。柳田はその生の持続を支えるものを日本人の『固有信仰』といい「先祖教」ともいった。そしてこの「固有信仰」なり「先祖教」の持続を支えるのは「家」の持続である。」子安氏は家族と自己の体験を語りながらこう言う。「日本人の「先祖教」あるいは「固有信仰」を維持し、伝えるべき場として「家」はもはやないというべきだろう。『先祖の話』とは遅すぎた救済の教えなのか、あるいは早すぎた先祖教レクイエムなのか。」

「遅すぎた救済の教え」であれ「先祖教レクイエム」であれ、靖國的救済とは別の役割をもつことが柳田において期待されたかもしれない。しかし柳田の敗戦を消去してしまう言説は、鬼神論の国民国家化ではないだろうかとわたしは問題提起したいとおもうのである。

 

No.16

第二江戸思想史講義とはなにか

「第一江戸思想史講義では伊藤仁斎における朱子学脱構築を読んだ。その前提として、アジア普遍主義の朱子学を自然哲学的にとらえていた。仁斎のポストモダン孔子の読みは、子安氏の『語孟字義』に尽くされている。仁斎の天道観に関係づけて簡単に紹介しておこう。

2011年でしたか、わたしは、大阪の中野島図書館の売却に抗議しに行った年に、子安先生のこの本が出版されました。図書館のガラスケースのなかに展示されていたのがまだに『語孟字義』でした。一行も読めませんでした。これを当時の商人達が読んだのかと衝撃を受けたものです。
書評を書くつもりで書いた昔の投稿ですが、よろしかったら..

「語孟字義」のなかで、子安宣邦氏が注目している、陳北溪による次のような言葉がある。「誠字はもともと天道についていうものである。天道の流行は、古より今に至るまで、いささかの妄(みだれ)もない。暑さが来れば寒さが来、日が沈めば月が昇る。生い育った春が過ぎると夏が盛んとなり、秋に草木が枯れると貯える冬が来る。天道の流行は永遠にこのようである。これを真実無妄というのである」と。「然れども春当に温かなるべくして反りて寒く、夏当に熱すべくして反りて冷やかに、冬当に寒かるべくして反えりて暖かに、夏霜冬雷、冬桃李華さき、五星逆行し、日月度を失うの類い、固(まこと)に少なからずと為す。これを天誠ならずと謂いて可ならんや。蘇子が曰く、<人至らず所無し、ただ天偽りを容れず>と。この言これを得たり。」(しかしながら春は当然温暖であるはずなのに反って寒く、夏は当然熱いはずなのに反って冷たく、冬は当然寒いはずなのに反って暖かで、夏に霜、冬に雷、冬に桃李に花が咲き、五星が逆行し、日月が度をはずれるという類は、少ないことではない。これらによって天は誠にあらずといってよいだろうか。蘇東が言っている。「人知の作業は至らざるところはない。ただ天はいささかの偽詐も許さない。」
 子安氏の評釈によれば、 朱子(陳北溪)は天道流行の万古にわたって真実であるあり方(真実無妄)によって天道の誠を言った。いま仁斎は、天地自然の時に示す異常・変異をもって、天道を誠といっていいだろうかと、疑問を投げかける。しかしそう問いながら、蘇東の言葉を引き、一転して、「天は偽りを容れず」という意味で誠だという。天とは真実無妄の意味で誠であるのではありません。真実無偽の意味で誠だというのだ。さきに仁斎は真実無偽という誠字解を消極的にいっていたが、だがここでは天道観の差異を前提にして真実無偽がいわれているのである。「天は偽りを容れず」という主宰的な天道観を前提にして仁斎は天の誠(真実無偽)をいおうとする。ここから朱子学における宇宙論的・存在論的な諸概念を仁斎は容認しないということはいえる、と子安氏は指摘している。
ここで、「天道」の仁斎にとっては、すでに天は規範的なものではない。それは「道は猶路のごとし。人の往来通行する所以なり」でいわれる、人道を基礎とした天道である。そうして仁斎は天をこのような天道(天地の間は一元気のみ。たえざる運動状態)で読み通し言い切ることによって天理を否定した。それを徹底した結果、天命という超越者としての天命的天が分離してきたと子安氏はみる。この分離から、孔子の、絶望的にうちすてられたことでかえって突き動かされたかのように宇宙と一体となるような天が再発見されてくるのである。これは仁斎と同時代の思想家、カントの第一批判から第二批判へと論じるときの思考に対応しているとも考えられよう。

 

さて第ニ江戸思想史講義は朱子はそれほど自然哲学なのかを問い直している。そうして再び新しく、鬼神論の言説を読んでいるのは、宗教哲学という大袈裟なものではないが、近代が思考できないものを思考しようとしている。第ニ江戸思想史講義は、「人間の消滅」の後の時代の思想は一体どういうものなのか考えているような気がしてきた。

子安先生の江戸思想は朱子学解体のポストモダン孔子なのだが、先生が行う朱子の講義も、中国研究者の近代朱子学解体という意味でポストモダン朱子というような性格を持つ。朱子を解体して、さらに中国の近代朱子学を解体するものである。ポストモダン朱子は、仁斎についても容赦なく、朱子を解体した仁斎の近代を解体するものである。子安先生は仁斎がいかに朱子を解体したかをはじめてあきらかにできたが、第二江戸思想史講座のこの数年間は、朱子はいかに仁斎の近代を解体し得るものかを論じたと言えるかもしれない。これを考えると、思想は中心なき差異として存在することがはっきりわかってくる。ここまで思考の方法を徹底すると、近代も中世も対等だということである。」

第一江戸思想講義の序文では、子安氏は「近代の超克」の問題意識の射程の中で江戸思想を考えたという、それならば、第二江戸思想講義においても、最高なものがある西欧を包みかえすアジアにそれを超えるものが問われるはずである。

われわれは、見上げる他者(ヨーロッパ)と見下げる他者(アジアの両方が必要ではないでしょうか。
日本思想を読んだ丸山も基本的にはヨーロッパ中心主義でした。東大は官僚養成機関なので、民主主義を教えることは無いと思います。丸山真男は例外でした。しかし丸山は、橋川文三の証言によると、戦後民主主義から、水戸学に転向したのです。丸山真男も文章は後期水戸学の文体とそっくりです。「心の中の天皇」という丸山の思想は、天皇にたいする抵抗を説いたものですが、これは前提に問題があります。天皇制は制度的設計ですから、心の中にあるはずがありません。しかし日本朱子学山崎闇斎的に考えているから、ココの中から天皇が現れてくるように見えたのですね。近代的な、その意味で非常に右翼的発想と言わざるを得ませんま。比べると、後期水戸学は、徂徠の制作学を継承していますから、尊王攘夷は制度の問題です。心の問題ではあり得ません。もし心の中に天皇がいるとしたら、われわれ日本人は決して天皇を止めることができないでしょう。しかし制度ならば天皇を止めることができます。後期水戸学の復古主義とはそういうものですし、中江兆民の、「天命の自由を捨て、仁義の自由を得よ」とする自由民権的発想と連携できるものです(ここで?「天命」は天皇のことですね)。
後期水戸学は、朱子学的合理の光圀にたいするデウス・エクス・マキナであったと橋川文三は言います。藤田東湖尊王攘夷は彼が影響を与えた吉田松陰のそれとは違います。後期水戸学は、臣下に徳を愛せと求めるし、君主も人間であれと要請されるのです。天皇は君主である。薩長天皇は、国に運命を託せと命じてくる現人神であり、全体主義的「誠」であす。コワイ、コワイ。吉田松陰をたたえる安倍と日本会議に傾倒した者はもっと後期水戸学を学ぶべきだと思います

 

補論1

日本思想史は政教分離をどう考えるか

江戸時代の武士政権は天皇を京都に幽閉した。これは政教分離だったと津田左右吉は言う。武士政権は蔑むものを称えた。問題は後期水戸学にとっては神聖さが奪われたあり方だった。これは福沢諭吉が警戒した後期水戸学の宗教化の方向である。まだ靖国神社は存在しなかったが、福沢は神聖な「徳」の宗教化を警戒して、「智」の意義を強調する言説を語った。

補論2

ヘーゲルはカントが語った物を精神として捉えて現実世界(近代)になることを言っているが、後期水戸学の政治神学を喚起する思考である。

フーコは『精神現象学』をどう読んだか?

思考できないこととは何か?

フーコはデカルトをどう読んだか。人間は思考不可能なことを思考するとデカルトは言ったのだ。それはデカルトがはじめて言った。デカルトの前にだれも語らなかったことだ。思考できないこととは何か?それは古代において祀られず大地に棄てられた死体だったであろう。『精神現象学』のヘーゲルは物を遡って行くと人間の起源が亡くなって行くことに気がついた。ここから祀る国家が作られた。鬼神論は死を思考できるようにしたのだ。そして忘れてはいけないことは、日本ファシズムは、諸君が立っている足元を掘り起こせば祀る国家(あるいは古墳?)が現れると言って、天皇が祀る国家が闘う国家になったことだ。

 

 

 

補論3

浅田彰が理解したラカン理論を天皇に適用するとどういうことが言えるか?
鎌倉時代は西の天皇と東の武士政権とが共存していた。これを二つの日本と観る見方もある。江戸時代の近世の成立まで古代天皇制は存続していたのである。これは単一発展の歴史観をもつマルクス主義では説明できない。江戸時代に武士政権によって京都に幽閉された時に古代天皇制は終わった。だが明治維新のときの王政復古に、天皇の近代がはじまった。その始まり方は、現人神という神と皇位との連続性を前提にしたものであった。これは絶えず差異を生み出して(明治、大正、昭和という分節化をもたらした)それを運動エネルギーにして搾取していくクラインの壷的な構造である。

 

No.17 子安宣邦 著<古事記>講義  「高天原神話」を解読する (作品社)

 
戦後憲法を考えることは、先ず、天皇主権を否定したその理念性を考えることである。そして、戦後民主主義の問題は、民俗学的に、天皇を、われわれのなかにおけるものとして水平化しようとすることである。つまり、「古事記」の書かれた歴史を、語られた文学にしてしまおうとすることである。
しかし、それが記された古代において、国家日本を確立した権力者として、事実のままに、明確にとらえるべきではないか。そうすることによって、「古事記」とは、国家アイデンティティをつくるために天皇の編集によったものであった事実が、より明らかになる。日本列島に存在していたといわれる大和言葉とか大和民族が語り伝えてきた神話というような、昭和10年代に教育がやったウソを、現代のナショナリズムの時代に復活させることは、どのような意図があるにしても、大変危険だといわざるを得ない。
17世紀に本居宣長の読みによって「古事記」は再発見された。にもかかわらず、上野千鶴子氏と口語訳を手掛けた三浦佑之氏は、「古事記」が連綿と読み継がれてきたテクストであるといってはばからない。書かれた言語とともにある思考する人間が、どこまで遡っても日付もなく文字も無い思考できない存在がなにを考えたかを考えること自体に、はたして意味があるのだろうか。上野氏と三浦氏の主体の言説に絡み取られる言語が、たとえ消滅しつつある構造主義の存在主張だとしても、戦前の「古事記」解釈とそれほど異ならないとしたら、疑問を呈する必要があろう。

プロの知に絡み取られて思考不能になったものを、われわれは巻き返して思考できないだろうか。本居宣長が「古事記」の根底にひとつの民族が存在すると解釈することに対して、「いま、古事記を読む。これは、もうすぐれて現代日本をめぐる問題なのだ」と述べる子安宣邦氏は、「古事記」の基点にそれを書く他者が存在する思考のイメージを打ち出しているのである。子安宣邦著、「<古事記>講義 「高天原神話」を解読する」は、氏が前著において日本における論語の読み方を問題にしたように、日本における「古事記」の読み方を問題にした、ナショナリズムを解体する脱構築の本である。この本によって、われわれは思考不可能なものを思考する時間を手にする。 「ここは伊邪那岐伊邪那美の二神による神生みの長い行りである。次々に神名を連ねてなされるこの行りをどう読むべきなのか。この神生みの神話の原初的なレベルには精霊的な自然の名づけによって人間の自分たちの自然、すなわち国土をなす山・河・海・草木などなどになっていく段階が想定される。この命名的段階というのはあくまでわれわれの想定である。山がわれわれの山になったとき、それはすでに山の神の語りをともなってである。つまりはじめから人の語りのなかに山とその神たちがいるのである。そしてこの語りは幾層にも語り直されていく。ある時から文字をもって語りは記され、記し直されていく。その時から語りは文学的な語りとなっていく。すなわち文字的表象をともなった語りが文学的想像力を喚起し、新たな文学的表象をもたらしていくのである。」
 

古事記」の序文を読むと、中国知識人と朝鮮知識人の影響のもとに、彼らに育てられた日本知識人が書いたものであることは明らかである。にもかかわらず、宣長は「直毘霊」において、その序文を否定しはしないが、そのような外部的なものによる成立のあり方を隠蔽し、漢字を借り物とした上で、日本人の道は大和言葉で伝えられてきた声の独立性に支えられている<一>に存する、と強調するのである。

他方で、「古事記」を読み進めていくと、宣長には神に対して絶対的に服従する注釈がある。神の生成を語る「古事記」は多神教的な<多>を語っている。神と言っても、そこで救済が語られることはない。死んだら女神である伊邪那美が行った穢らしい黄泉の国に行くだけである。宣長の思想において、<一>と<多>とが両立しているが、これはどのようにして可能となるのか。

稗田阿礼は女性だったと絶えずいわれている。宮廷女官だったのか。「古事記」を完成させた女帝の元明天皇に加えて、中国知識人と朝鮮知識人、太安万侶という日本知識人のサークルの中心に女性がいたことは特筆すべきであろう。

 

本居宣長は「古事記」の神の意味を明らかにすることは諦めたが、その代わりに神の名の正しい読み方をとらえることに腐心した。現代の音声学的アプローチは、神の名に含まれているm (両唇鼻音)、および、b (有声両唇閉鎖音)が大事だったと考えているようだ。しかしながら、神の名は漢字で書かれているので、漢字の表意性(意味作用)をゼロにはできない。このことを考えるだけでも、漢字を不可避の他者とする日本語の面白さを知ることができるのである。

書くことは並べること。神を、中国思想独自の「神」字で解釈し、「カミ」の訓読みで解釈することは、同時的なことなのだ。言語の集中が起きる同時性は、思考の主体を表象する内部の秩序を炸裂させる

 

天照大御神スサノオの対決は混乱の様相を呈するのである。スサノオは謀反心がないことを証明するための誓約(うけい)を行ったにもかかわらず、スサノオから生まれた男神天照大御神は自分の後継者としている。この点について、子安氏は津田左右吉の議論を用いて解説している。

スサノオ天照大御神に示そうとする「清き明るい心」は、「古事記」にある天皇への忠誠を意味する宣命的言葉であるが(これが日本人の原初的倫理だとされたらたまったものではない)、これによってスサノオの子孫が天皇皇位権を獲得した。誓約(うけい)に勝ったスサノオ天照大御神が統治する高天原で暴れまくる。弟を庇っていた天照大御神は、天岩戸に隠れてしまう。天照大御神が石屋戸から出たとき高天原だけでなく葦原の中ツ国(人間世界全体)も明るくなった。天の主宰者の支配の拡大を伴って、カオス(=スサノオ)がコスモス(=天照大御神)に回収されたのである。

神話は、吉本隆明が指摘するように、支配の正統化・正当化であるとされるが、そうだとしたらかくも支配が簡単にはいかなかったことを「古事記」が伝えるのはなぜだろうか。

宣長は序文の意義を認めながら、漢字借り物論を展開する。宣長エクリチュール論が何であったにせよ、大いなる他者である中国との関係を消去してはならない。エクリチュールとは「古事記伝」への回帰である。これは宣長という思想家の思想の言語の外に出て理解してはいけない。宣長との対話において読み返す時間が必要である。

 

何故明治維新は失敗だったのか?

荻生徂徠の影響を受けた会沢正志斎は『新論』(1825年)を書いた。後期水戸学は儒教神道で、復古主義に沿って、デウス・エクス・マキナ的に、聖人を天照大神に置き換えた。そうして天皇に死者を主宰する権力を与える言説を形成したのであった。そうであれば、国内の改革と共に、明治日本は立憲君主制の民主国家になる可能性があった。立憲君主制を最高の原理と考えたヘーゲルのいう精神の客観である。しかしこの歴史は実現しなかった。薩長が京都から連れ出した天皇に生者を支配する権力を集中させたために、昭和10年代の天皇ファシズムの原因を作り出してしまった。国家神道の戦争神社である靖國神社と共に死者と生者を支配し尽くすこの天皇ファシズムの方向と軍国主義の方向が一致した結果、日本はアジア2000万人を奪った悲惨な道を歩むことになった。これが何故明治維新は失敗だった理由である。安倍政権の問題は、解釈改憲によって、軍国主義を復活させ、また公式参拝と伊勢サミットの国家神道を復活させたことである。安倍を思想闘争によって敗北させることができなかったためぬ、安倍の体制は岸田政権に明らかなように続くのである。おそらく安倍は皇室に依存しない天皇教を考えていた。つまり嫌韓と反中のナショナリズムである。

 

No.18

子安宣邦 著 「維新」的近代の幻想、 日本近代150年の歴史を読み直す (作品社) 

 

「『維新』的近代の幻想」とは何であろうか。日本近代150年の歴史を問い直す子安宣邦氏の著書は、外部の思考を失い閉じた内部的幻想に囚われたわれわれが語ることができなくなっている「維新」的近代を語ることを可能にする。はたして、「明治維新」は近代日本の「正しい」始まりなのか。子安氏は、開かれた外部の思考のあり方を問い続けてきた。

子安宣邦 著、 「維新」的近代の幻想、 日本近代150年の歴史を読み直す (作品社) 


「維新」という日本近代の限界を語ろうとしたその瞬間に、限界は炸裂してしまうので、語ることができることと語ることが不可能なこととの距離である、原初的分割ともいえる場所へ再び連れ戻される。この言語の端とも表現できる分割点にわれわれは運ばれるが、その端自体が拡散し始めて、自身が相対化されると、われわれもだれも存在しないように感じる。どのような国でも資本を蓄積した後にヴァリエーションをもって資本主義が成立するが、正しい始まりが論理的に先行しないかぎり、自由に喋れる市民はいつまでも存在しないのではないか、つまり、アジアは経済がどんどん進むが、どうして言論の自由が進まないのかということを「『維新』的近代の幻想」は問うのである。

 

子安氏は、前著の「大正を読み直す」において、思想史における津田左右吉和辻哲郎とのあいだの思想的対決を、互いに衝突させる形で展開した。一方、「『維新』的近代の幻想」は、津田左右吉論から始まり、和辻哲郎論と北京大学での講演である「『日本近代化』再考」で終えているのであるが、こうして、思考の迂回的遅れの戦略によって、津田の思想の意味を数百頁後の和辻の思想とその天皇論において考えさせようとしているのではないだろうか。はたして、津田左右吉の「ラディカルモダニズム」とは何か。そして、和辻哲郎は国家と宗教にいかなる関係を打ち立てようと考えたのか。

 

明治とは何か。そして、この問いに先行しなければならないのは、江戸とは何か、という問いである。子安氏が、日本思想史家としての自己形成はこの問いとともにあったという「日本近代の始まり」という問いである。津田左右吉から和辻哲郎へと繋がる、長くゆっくりした分析の線上に、朱子学の視点、そして、「ポストモダン孔子」の方向で一層の深化が求められる「方法としての江戸」と「方法としてのアジア」、中国語に翻訳された「漢字論」、日本近代文学批判、戦没学生たちの手記についての論考が展開される。津田左右吉和辻哲郎という二つの極の間に以下の思想家たちが取り上げられる。鈴木雅之横井小楠石田梅岩、大熊信行、荻生徂徠と会沢正志、中江兆民徳冨蘆花夏目漱石、尾崎秀実、田辺利宏、そして、竹内好。子安氏は、「歴史修正主義的な長期政権による権力の集中と腐敗とがとめどなく大きくなりつつある」「今の絶望を再認識」しながらも、「『維新』的日本の近代150年の歴史の中にそれとの血脈的繋がりを信じたくなるような『本物』はいる」として、横井小楠中江兆民、尾崎秀実、戦没学生たちに「希望に連なる言葉を見出すことができるかもしれないのだ」、という。

 

こうして、「『維新』的近代の幻想』」は6つの部と17の章で構成される。これらは、東京と大阪で開かれた市民講座(公民教室)である「明治維新の近代」の論考をまとめたものである。

 

「『維新』的近代の幻想」は、子安氏がいうところの「解体日本思想史」、つまり、脱構築的方法によって、日本近代150年の歴史を読み直す試みである。歴史を読み直すとは何か。これに関しては、終章の「『日本近代化』」再考」と題した北京大学における講演 (2019.5.25.)の後に行われた、学生との討論会のために用意したメモである「北京大・討議のためのメモ:近代・近代化・近代主義」が参考になる。

 

「『日本近代』を批判しながら、われわれにおける『現代』を見定め、それに直面するためには『日本近代』がその絶対的な始まりとする『明治維新』を相対化しなければならない。これを絶対的な始まりとする『日本近代』をいかに相対化するかが問われてくる。この世界史的『近代』を相対化するには、それぞれの一国的『近代』を考えることによってである。」

 

ここでは、世界史的「近代」というグローバルな歴史ともう一つの「近代」である地域的な歴史とを考える必要を語っている。国家(一国的言語主義、一国民主主義)という枠を超えたアジア(漢字文化圏)について、確立したグローバルな見方(大きな歴史)のなかに、それとは別の見方をつくること。言い換えれば、歴史を読み直すために必要となるのは、「明治維新」を絶対的な始まりとする世界史的「近代」の普遍を批判する、外部の思考を要請する他者の視点なのである。フーコーの知の考古学は、現代という時代を構成している論理と解釈について述べているが、「世界史の構造」の柄谷行人氏の論理にとって意味があることが形式化を徹底する他者だとしたら、子安氏の解釈にとって意味があることは方法的思考としての他者である、ということを「『維新』的近代の幻想」から学ぶことができると考える。

 

「国家を人為の制度的体系とすることは、国家を制作物と見ることである。」(中江兆民 『民約訳解』を読むーその1)

 

「あとがき」において、「制作の秋(とき)」とは今である、と子安氏は述べている。

 

「1945年の敗戦とは作り替え可能なものとして国家を見ない民族的、神話的国家観の敗北であったはずです。それは新たな『制作の秋』であったはずです。だが制作の主体となりえなかったわれわれは戦後七十余年のいま歴史修正主義的政権によるもう一度の敗北をさせられようとしています。」「核兵器による最初の犠牲者であり、戦争の敗北者であった日本人を、核兵器禁止条約への署名を拒否する安倍首相はそのことの結果として、人類史における道徳的敗北者にしてしまうのです。われわれはこの屈辱にたえることができません。ほんとうにこれを屈辱だと知れば、「制作の秋」とは今だということを知るはずです」。

 

「『維新』的近代の幻想」は、21世紀の日本の政治を支配するに至った歴史修正主義ナショナリズムに対抗するための批判的重石をなすものである。こうして、われわれは国家祭祀と天皇制の問題をも考えることになるだろう。天皇とは、歴史が変わってもいつの時代にも現れる構造であり、象徴性を過剰に超える行い(祀るパロール)を許すと、憲法における国民主権の根本を危機に貶める、という現在の問題であり、日本思想史を見渡しながら、精神の従属をもたらす構造を言語化する思想的課題である。

No.19

書評;子安宣邦著、『「大正」を読み直す』(藤原書店



1

なぜいま『「大正」を読み直す』ことが意味を持つのか。この問いは、「大正デモクラシー」とは何であったのかという問いと一体をなすと考えられる。子安宣邦氏は藤原書店発行の月刊誌「機」で次のように語っている。

私が大正に眼を向けだしたのは、二〇十一年三月十一日の東日本大震災に際して関東大震災が、大正の国家社会にもった意味を考えたりすることを通してであった。大正を問い始めた私は、やがて大正が創り出した、全体主義的昭和という時代の中に自分は生み落とされたのではないかと考えるようになった。私は昭和八年の生まれである。(大正の再発見—なぜいま大正を読むのか)

また、子安氏は『「大正」を読み直す』のなかで以下のように語っている。

私はこの世紀の初めの時期から、昭和の戦前・戦中期の日本への関心を深めていった。その関心は「近代の超克」論や「和辻倫理学」論、そして戦前・戦中から戦後にかけての日本人の「中国」論を読み直す形をもって市民講座で語られていった。この昭和戦前・戦中期をめぐる講座の中で、私はこの昭和とは大正がまさしく作り出したのではないかと、昭和一桁生まれの私は大正から作り出した昭和という全体主義的時代の中に生み落とされたのではないかと思うようになった。

2

こうして、子安氏の問題提起は、「大正」がいつ始まりいつ終わるのか、という定義から始まっている。

大正天皇の在位期間、すなわち一九一二年(明治四十五/大正元)年七月三十日から一九二六(大正十五/昭和元)年十二月十五日までを大正時代というが、「大正」という時代の歴史記述が一般にこの王朝交替的時代区分に直ちにしたがってなされるわけではない。

もし大正の時代を明治と昭和との間に陥没させたままだったら、「大正」は忘却されるかもしれない。つまり、「王朝交替的時代区分」に従って大正を明治と昭和の間に位置づけてしまったら、「大正」への問いが成り立たなくなってしまうではないか。自明とされているその分節化の恣意性が「大正」の本質を見えなくしてしまうというのである。

「大正」への問いとは、「大正」と「大衆社会」の成立の意味を問う批判を構成する。昭和思想史研究会という市民講座(「大正」を読む)の第一回では、まず「日比谷事件」を始まりとして想定する必要性が論じられた。このようにして、現在より「大正」を読み直すとき、すなわち、日比谷公園焼き討ち・大逆事件から満州事変までとする期間として「大正」を再構成するとき、なにがみえてくるのか。大衆社会が成立する時代として「大正」を読むとき、その始めを「日比谷公園焼き討ち事件」に、その終わりを「満州事変」に再分節化することはいかなる理由で正当化されるか。子安氏が依る成田龍一氏の分析において指摘されるが、そのように大正の初めと終わりを再定義するとき、統制としての治安維持法と一体であった普通選挙法は本当にそれほど<市民的>デモクラシーであったといえるのかという問題がわれわれのまえに顕わになる。ここから大正への問いが初めて成り立つ。

「大正」への問いとは、また、不特定多数の民衆集団が政治を動かしえるほどの大衆として、都市に流れてくる労働者とともに、<大衆的>デモクラシーとしての全体主義を形作った歴史を追っていく問いである。この問いに取り組むためにいかにハンナ・アーレントに負うたかについて、子安氏は次のように述べている。

私の「大正・大衆社会」論的問題関心を動機づけたのはハンナ・アーレントの「全体主義」論であった。「全体主義運動は大衆運動であり、それは今日までに現代の大衆が見出し自分達にふさわしいと考えた唯一の組織形態である」というアーレントの「全体主義」論を読みながら私は、昭和日本の全体主義ファシズム成立の前提条件をなすような「大衆」と「大衆社会」とは何かを考えてきた。成田の『大正デモクラシー』は最初の答えを私に与えてくれたのである。

3

「大正」を問うこととはクローズアップである。クローズアップは光の中に事物を置く方法であるが、犯人に照明を与えるやり方で、だれが幸徳や大杉を殺したのかを問いたいと考える。だれが労働運動において事物の根本を問う思想からその観念性を剥がしたか。だれが媒介を批判する直接行動の思想性を爆弾に書きかえたのか。「大正」は取調室の中での犯人に対する尋問のように、ある抑圧のうちに隠蔽された、全体主義昭和の先行形態としての自らの顔を照らし出す。

「大正」は可能性の中心だった。直接行動論という無媒介の思想(私はこれをモンタージュの孤独と呼ぶが)を、国家が抹消し社会主義者大河内一男社会主義史的記述)が忘却したので、天皇制国家の民主化という映像へは到来し得なかった。そこから大衆的国民が登場する一九三〇年代は市民なき孤立への道となる。ファシズムのクローズアップと大きな人間への拍手しかなくなる。

石川啄木は「大逆事件」の真相を国家権力と共に歪曲したメディアの意見形成的コミットメントとして見抜いていた、と子安氏は指摘する。

啄木は社会主義概念を反国家的、反皇室的な危険思想として大衆に定着せしめる上で新聞が果たした役割の大きいことをいうのである。

われわれがいま『大逆事件』を読み直すことの意味は、日本の近代社会が<大衆社会>として成立しようとしているその時期に、国家によって先手を打つようにしてなされた社会主義思想の殺戮事件、すなわち「大逆事件」によって殺されたものが何かを、そして社会主義者自身が己の陣営から消し去ってしまったものは何かを、その喪失したものの大きさとともにあらためて見出すことになる。

(以下、藤原書店発行月刊誌「機」より引用)

私は「大逆事件」を問い直すことから大正への私の探索を始めた。私は大正への問いを年号の始まりからしようとはしなかった。「大逆事件」から、すなわち明治四十四年(一九一一)一月十八日大審院法廷が幸徳秋水から二十四名に死刑の判決を下したあの事件から、私は大正を問い始めたのである。「大逆事件」とは、やがて来るべき新しい時代と社会に向けてなされた明治国家権力の先制攻撃であった。大正という二十世紀的日本社会は、「大逆事件」という重い軛を負いながら、あるいは負わされて始まったのである。戦後日本の最高裁は、昭和四十二年(一九六七)「大逆事件」再審請求の特別抗告を棄却した。明治四十四年の大審院判決は、戦後日本の最高裁によって追認されたのである。百年前の「大逆事件」は、なお「大逆事件」であり続けているのである。ということは戦後日本の民主主義的国家・社会とは「大逆事件」がなお「大逆事件」としてあり続けることを許している国家・社会であるということになる。だから大正を「大逆事件」から読み始めるということは、大正だけではない、戦前の昭和をも、さらに戦後の昭和を読み見直し、問い直すことをわれわれに求めることになるのである。

明治四十四年に国家に扼殺された幸徳をあらためて読むこととは、「大逆事件」の名を負わされた革命劇を語り直すためではない。「大逆事件」は、社会的正義と自由への民衆の本源的な要求に立った社会主義思想を、その芽生えにうちに扼殺したのである。国家権力は、幸徳らの「直接行動論」を反国体的テロリズムとして射殺した。それ以来、社会的正義と自由を求める労働者大衆自身の自立的運動をいう「直接行動論」は封印されてしまった。それを封印したのは国家権力だけではない。日本の社会運動もまたこれを封印していったのである。幸徳を読み直すとは「大逆事件」を通じてわれわれが国家権力とともに封印し、われわれの運動からも喪失させてしまった大事な何かを幸徳に再発見することである。その再発見とは、昭和の戦前・戦後史の読み直しの中で再びなされることでもある。

4

「大正」を考えることは、二十一世紀東アジアにおける民主的直接行動としての民主化運動を考えることである。子安氏の『「大正」を読み直す』が、『帝国か民主か』(二〇一五年刊)に続いて世に出たことに注目したい。「大正」を読むことは、「昭和」を読み直すこととなった。「昭和」はそれ自身をとらえ直し、読み直すことを可能にする「大正」という外部的視点をもったのである、と子安氏が言うとき、「大正」と日本の外部をなす東アジア、この両者が、外部的視点において互いに切り離せない関係を形成していくことは必然と考えられる。つまり、「大正」と東アジアは、「日本」というブラックホールを回避していく外部の思考としてあるということだ。こうして、『「大正」を読み直す』とは、東アジアを読み直すということを意味している。この意味で、『「大正」を読み直す』に与えられた真の意味での副題は、「東アジアの幸徳・大杉・河上・津田そして和辻・大川」と読まれよう。

では、二十一世紀の東アジアでなにが起きているのか。市民のオキュパイ運動によって本当の意味で始まった二十一世紀という時代にみえてきたものは、グローバル資本主義と<帝国>と民主主義である。グローバル資本主義の分割は、<帝国>を中心に推進されている。具体的には、新自由主義新保守主義アメリカ<帝国>、第四帝国としてのEU<帝国>、スターリン主義ボルシェヴィキズム=ツァーリズムのロシア<帝国>、そして官僚資本主義の新儒教の中国<帝国>、である。安倍自民党は日本をアメリカの側に位置づけようとして中国<帝国>への対抗としての危険な役割を引き受け、東アジアは、この安倍が原因をつくった、民族主義的憎悪を互酬的に交換するという危険な権力ゲームに囚われている。このゲームの内側で、民主主義の形骸化は一%のネオリベの新貴族たちによって推し進められている。これに対して、非暴力の抵抗であるオキュパイ運動からalternative(他の道)の民主主義が現れてきたことに注目したい。民衆的自治・自由論・民衆的直接的行動論を「民主主義」の真の再生の力にしていく語る民主主義の運動である。そこで、市民の思想史は、東アジアのグローバル・デモクラシー=白紙の本になにを書くことができるのか。こうして、コンテクストの多義的切断によって、それまでは共通点がないとされた、幸徳と大杉に小田実が初めて結びつけられることになった。安倍が原因をつくった、民族主義的憎悪を互酬的に交換するという危険なナョナリズムの権力ゲームに東アジアが絡みとられないためには、なにをなすべきか。この問いに答えるべく、子安氏は小田について語ったあとに、大杉栄の言葉を引いている。

私はこの小田の「でもくらてぃあ」という市民運動的政治原理に幸徳らのアナーキズム的「直接行動論」の最善の形での現代的再生を見る。私は小田をアナーキズムの二十一世紀的再生者として「アナルコ・デモクラット」と呼びたいと思っている。小田はこの呼び方に不満だろうか。だが小田の「でもくらてぃあ」をいまアナーキズムとの思想関連でとらえていくことは、東アジアにおける民主的直接行動としての市民運動を二十一世紀的現代における世界史的な意味において見ることを可能にする。

しかし、人生は決してあらかじめ定められた、すなわちちゃんと出来上がった一冊の本ではない。各人がそこへ一文字一文字書いてゆく、白紙の本だ。人間が生きてゆくそのことがすなわち人生だ。労働運動とはなんぞや、という問題にしても、やはり同じことだ。労働問題は労働者にとっての人生問題だ。労働者は、労働問題というこの白紙の本の大きな本の中に、その運動によって、一字一字、一行一行、一枚一枚ずつ書き入れていくのだ。観念や理想は、それ自身がすでに、一つの大きな力である、光である。しかしその力や光も自分で築き上げてきた現実の地上から離れれば離れるほど、それだけ弱まっていく。すなわちその力や光は、その本当の強さを保つためには、自分で一字一字、一行一行ずつ書いてきた文字そのものから放たれるものでなければならない。

大正を読むとは、自身の権威だけに依り他の権威に依存しない行為の語りを読むことである。大杉は、「民本主義」の吉野作造のしどろもどろの議論を国家主義時代の「民主主義」の衰亡史として読み切った。国家に飲み込まれて行ったのは「民本主義」ではない、「民主主義」なのである、という。

5

河上肇が『貧乏物語』を書いた時、『資本論』がすでにあったことを子安氏は強調する。つまり、河上の『貧乏物語』とは『資本論』の再語りであったことを読者に喚起する。日本知識人による再語りというのは、ヨーロッパの言説から語ることを前提として、そこにこだわりつつ、純粋な理念的構成の中からその内部に即して対象(この場合の「貧困」)をとらえる態度と理解できるだろう。子安氏は、河上が<貧乏線>にしたがって日本の貧困を計算しようとはしなかったことに注目する。それはなぜか。

生活可能な最低値として数値化された<貧乏>概念と<貧乏線>とともに顕わにされた最富国英国における大量の<貧乏人>をめぐり河上の『貧乏物語』というメッセージは何を意味するのだろうか。大正社会の読者はここから何を受け取ったのだろうか。『貧乏物語』は日本の読書界にセンセーションを巻き起こしたことはいわれている。しかしそこから日本社会に<貧乏線>を引いてみようとする試みをしたものはいない。そもそも河上自身がそんなことを毛頭考えていない。彼にはそもそも<貧困問題>があったわけではないのだから。

そうしてpoverty(英国の「貧困」)は再発見されても、日本の<貧乏>は発見されることはなかった。河上はヨーロッパの貧困についての言説を日本に適用しない。これは、今日の「現代フランス思想」の日本知識人達がヨーロッパのファシズム批判の言説を日本の暴力の問題に適用しないような態度と重ねることができる。子安氏は『「大正」を読む』の特別講座設け、近代日本知識人の純粋理念型の問題の理解を深めるために、丸山真男ファシズム論の例を検討された。丸山はファシズムですら純粋理念型として構成し、日本のファシズムに始まりも担い手もいなかったと結論づけることとなった。こうして、天皇ファシズムの実行者(天皇機関説を反古し国体論を展開した官僚と学者、思想家と宗教家、昭和ファシズムを実行し現実化した政治家と軍人)をやすやすと見逃すことになるのだが、今日「日本会議」のようなファショ的政治集団が戦前の言説とともにそのままの形で登場することの理由がここに存する(確かにドイツも極右翼はいることはいるが、彼らは戦前のファシズムとの関係が絶たれている。この点が、ファシズムを見逃した日本の場合と決定的に違うという)。この<理論>の<事実>に対する優位という問題は、理論の行き過ぎた実体化を正すカント的経験知が生かされないということに尽きよう。子安氏はこの点について語る。

資本論』をすでに存在する権威として受容した日本のマルクス主義知識人に著しい通弊である。

さらに、この問題を考えるために、子安氏は、ピケティの『21世紀の資本』がいかに読まれたのかを検証する(<貧困・格差>論と「資本主義」の読み方)。結論をいうと、『21世紀の資本』の教訓は生かされなかった。その教訓とは、「資本主義のコントロールを取り戻したいのであれば、すべてを民主主義に賭けるしかない―そしてヨーロッパでは、それはヨーロッパ規模の民主主義であるべきだ」、というものである。社会のなかで人々が知りたいという特別な対象について説明されたり考えたりする知の記述の根底に、隠蔽された権威的教説(マルクス主義)へのこだわりが存在している。このこだわりのブラックホール性は、『21世紀の資本』を規定していると子安氏が解釈するブローデルの方法論的問題意識すらみえなくさせているほどだ。子安氏は言う。

私がピケティの『21世紀の資本』の背後にアナール派の歴史記述、何よりもブローデルの『物質文明・経済・資本主義』を見るのは、その参照注の有無にかかわらず、当然の推定だといえるだろう。むしろこれを背後に読むことによって、ピケティのこの書の意味は一層明らかになるのである。日本の読書界のリーダーたちがピケティのこの書を迎えるに当たってもっぱら『資本論』を引き合いに出し、ブローデルの『物質文明・経済・資本主義』をみようとはしないのは彼らの鈍感と無知とを示すものでしかない。

6

二十世紀社会に対する問い直しが迫られている現在、「大正」は再び発見され、読み直されねばならない。子安氏は、津田左右吉を読み直し、『神代史の研究』が現在にもつ意味を掘り起こし、和辻哲郎を再び発見する。

戦後において、津田の仕事は国家神道批判として読まれてきたが、これは正しくないと子安氏は指摘する。津田が行ったことは、記紀「神代史」は「作り物語」であるということを明らかにしたことである。子安氏の説明に従って津田の仕事を理解するとき、「神代」という観念は「政治的なものだ」といえる。例えば、「タカマノハラ」という観念は宗教的でもなく、宇宙論的でもなく、ただ「政治的」だという。子安氏は津田の系列に連なるある日本古代史家を批判しながら次のように分析した。

「神代史」が「作り物語」だということには、「神代史」における民衆の「伝承的事実」の認識を介して主張される<神代>と<いま>との連続性を遮断しようとする意志の表明を見ることができる。

つまり、「神代史」は言説上に構成されるだけだ。ゆえに「神代史」に民衆は無い。

津田はタカマノハラ観と民衆思想との間の交渉関係などない、民衆とは無縁だというが、それは「タカマノハラ」だけにいうことではない、「神代史」そのものについていうことである。「神代史」は民衆とはまったく無縁に成立するというのである。「神代史」は民衆とは無縁だという津田の言葉は、「神代史」を「国民的物語」「民族的物語」とすることへの批判でもある。

ここで子安氏の津田を引く言葉は、かつての国家神道のものではないにしろ、今日における『古事記』の再神話化(神話学的・文学的な再神話化、構造主義民俗学文化人類学的神話化)に対する警鐘の言葉となっている。そして、その言葉は、『「大正」を読み直す』という課題において、和辻が行った『古事記』の復興に対する批判の前提をなすものである。

津田批判としての和辻の『古事記』復活の論理とは、以下のようなものであるとされる。『古事記』は歴史的材料としてではなく、文化的あるいは文学的資料としてみなされるべきである。それは「想像力の産物」なのである。子安氏が指摘するところによると、和辻のいう想像力とは、民族の国家的な統一を作り出す政治的制作力と同等であるような、民俗の文化的な統一を作り出す文学的創作力のことにほかならない。『古事記』の復興は文学的解釈力を自負する和辻によって担われる、と指摘したうえで次のように結論づけられる。

和辻は『古事記』の混合テキストから帝皇日継を洗い去ったところに「先代旧辞」という「一つの芸術作品」を認めるのである。『古事記』の旧辞とされる神話・民話はただ寄せ集められた多数としてあるのではない、和辻はそれらを一つの芸術的な作品として見るのである。これを一つの作品とすれば、そこに作者が存在することになるだろう。「その作者が(単数であると複数であると問わず)上代のすぐれた芸術家であったことを認める」と和辻はいうのである。その芸術的な価値においては『日本書記』は『古事記』にはるかに及ばないと和辻はいう。その『日本書記』について和辻は作者をいったりはしない。では『古事記』の「先代旧辞」の作者とはだれか。宣長はすでに和辻がいう「先代旧辞」の作者を天武天皇稗田阿礼の二人に見ていたように思われる。和辻もまたこの二人を作者としていたのかもしれない。だがこの二人に見る作者とは、多くの異本群からこの「先代旧辞」を最良のものとした選定者であり、その旧辞の言語を誦習し、記憶にとどめた宮廷の語り部ではないのか。本当の作者とはその旧辞の中にこそいるのではないか。神話・民話として語り伝えられたこの「先代旧辞」をもしすぐれた一つの作品というならば、その本当の作者とは一つの言語(日本語)をもった神話・民話の想像力豊かな語りの匿名的多数の主体であるだろう。日本語をもった文化の共同的主体とは日本民族にほかならない。『古事記』も「先代旧辞」を和辻が一つの芸術作品と認めたとき、彼は作者としての日本民族をその作品の背後に見出していたのである。

日本民族の呼び出す、幻想としての一つの芸術作品に対する、ひとりひとりの人間の譲歩(コンセッシオン)には、「身体、魂、財産の譲歩など、際限がない」(ジャック・ラカン、『テレビジョン』)のである。『古事記』とは和辻によって理念的に構成された、「日本民族の最初にして最古の芸術的作品」である。津田の脱神話化に対抗して、和辻の解釈に負う「昭和の偶像はこのようにして再興された」という。

7

『「大正」を読み直す』の最後の章は、「大川周明と『日本精神』の呼び出し―大川周明『日本文明史』を読む」である。この章の意味を考えるために、大川が伊藤仁斎を積極的に論じていたことが重要となる。そして、仁斎とカントが同時代の思想家であったということの意味は何かを問うてみよう。

まず、普遍主義の理論的前衛(原理)を批判したカントは、彼が初めて発見した主体とその位置にある経験知というものを言説化した。カントの前に、主体のことも経験知のことも言った人はいなかったのである。カントから近代とその批判が始まる。よって、カントと同時代の仁斎が体現する「江戸思想」から、(「大正」の読み直しが「昭和」の外部的視点を構成するように)昭和十年代のヘーゲル「世界史」的近代原理を批判できるはずである。

ロシア革命を観察しその後にできたレーニンスターリンの(ウクライナを併合してできた)全体国家を批判した社会主義者は(後にアナーキズムへ行く)幸徳と大杉だけではなかった。ある一定の時期の大川もその社会主義者の一人であった。だからこそ、大川が説いたアジア解放の社会主義の思想は、いかに仁斎の思想の中に帝国的言説に対する批判的読みの現代的可能性が存在していたかを知っていた。

皇国史観の国体論ファシズムの否定は大川と北一輝とに共通のものであるが、それを、評伝的に誰々の言葉として聞き取る実体化よりも、大正の思想を一体的に構成する批判精神の言説として読む方法論が重要であろう。左翼か右翼かと二項対立に整理できない、この時代の思想的配置を抹消してしまったのは、ほかならない、戦後民主主義の二項対立的な言説であった。どうして、わたし(「社会主義者」)は、あなたが言ったようなわたし(「権威的右翼」)でなければならないのか、という自己のアイデンティティを他(戦後民主主義)に委ねなければならない語りの苛立ちを感じつつ「大正」を読み直す我々が存在する。

ヨーロッパ的原理が最高のものであるにも拘わらず植民地主義に絡みとられることになった問題を解決するために、再びヨーロッパ原理に依拠することは倫理的に許されない。(西欧原理に植民地化された)アジアの経験知からヨーロッパ原理を高めていくと言った竹内好的な近代の超克の言説の意義に沿って、アジア主義的革新者だった時期の大川の読み直しが意味をもってくると思われる。

こうして、なぜいま「大正」なのか、と絶えず問うことは、「幸徳・大杉・津田、そして和辻・大川」の道を歩むことであり、さらに、ヨーロッパとアジアとの距離を書くことに相違ない。ここから、思想史の言説の地層は、アジアの基底的共感を伴った読みの運動性を介すことによって、多様としての普遍性へ向かって確実に拡充していくのではないだろうか。

 

No.25

「21世紀にみえてきたのは、グローバル資本主義と<帝国>と民主主義です。グローバル資本主義の分割は、<帝国>を中心に推進されている。具体的には、新自由主義新保守主義アメリカ<帝国>、(EUから) 第四帝国へ行くヨーロッパ<帝国>、スターリン主義=ボルシェヴィキズム=ツァーリズムに戻るロシア<帝国>、そして官僚資本主義の新儒教の中国<帝国>、である。これに関して言うと、安倍自民党は日本をなんとかアメリカの側に位置づけようとして必死に、対抗・中国帝国としての危険な役割を引き受けているようにみえる。東アジアは、この安倍が原因をつくった、民族主義的憎悪を互酬的に交換するという危険な権力ゲームに囚われている。このゲームの内側で、民主主義の形骸化は、安倍をはじめとするこうした1%のネオリベの新貴族たちによって推し進められているではないか。一方、非暴力の抵抗であるオキュパイ運動からalternativeの民主主義が現れてきたことは、注目したい動きである。民衆的自治・自由論・民衆的直接的行動論を「民主主義」の真の再生の力にしていく語る民主主義。そこで、市民の思想史は、東アジアのグローバル・デモクラシー=白紙の本になにを書くことができるのか?「帝国か民主か」が問うているのはまさに、このことなのである。」(2015年書評)

 

歴史メガネー大きな歴史と小さな歴史

子安宣邦氏の『帝国か民主か』は、帝国の構造を擁護する柄谷行人との思想闘争である。テクスト批判の方法を取りながら、実は柄谷は、『資本論』の読み方をアジア知識人に教えるが、それは19世紀のマルクスが『資本論』に書いていなかった国家の役割を理論化しているものである。劉暁波天安門広場前抗議をはじめ向日葵運動や雨傘運動などアジアの民主化の経験を無視した、柄谷の<高度な互酬原理>を以って「礼」を解釈する言説に、ヘーゲル的な思弁が占拠していると言わざるを得ない。問題は柄谷は日本近代化を失敗させた帝国の認識が欠落していることだ。である。柄谷は江戸思想に挫折した。これから、「交通」における地域の小さな歴史においてあるコミュニケーションを観る視点がなくなって、大きな歴史だけが彼の関心になった。つまり『ドイツイデオロギー』から読み出した柄谷の「交通」概念から「交通」が消滅したということである。

明治維新を考えるときはやはり大きな歴史と小さな歴史を考える必要があるだろう。大きな歴史はイギリスとフランスとが地球の半分づつを持った時代であった。薩長と幕府の対立は英米の代理戦争の様相を呈した。小さな歴史とは中華文明の普遍から自立して西欧の普遍を受け入れる知の移動である。明治維新の近代化は成功したが、中国の帝国をモデルとした王政復古は失敗だった。現在中国は日本と同じ帝国化の失敗を繰り返そうとしているようにみえる。

大きな歴史と小さな歴史を考えてこそ、「グローバルデモクラシー」(子安)の要請が展望されるであろう。第一江戸思想史講義はポストモダン孔子だった。ポストモダン朱子の第二江戸思想史講義があるならば、第三江戸思想史講義も出てくるだろう。中国人や韓国人あるいは台湾人が書く東アジア共同体におけるグローバルデモクラシーの理論に違いない

 

維新的舞台ーパラノイアv..s. スキゾ

わたしはあえて吉田松陰を狂気の形として捉えたことは大事だとおもいます。わたしは吉田松陰はむしろパラノイア的天才だと考えたらいいじゃないかとおもいます。伊藤博文もそれに触発されて、明治憲法に、神話想像力を吸いつくした国体と共に生者を支配するだけでなくて死者も支配する父たる天皇を書いたのです。誰も逃げられ無くなったのが昭和10年代においてです。他方で、いい加減なことを言うかもしれませんが(笑)、後期水戸学の藤田東湖と会沢正志斎はスキゾ的です。幕府は天皇に幽閉した政教分離の体制をとったのですが、二人はこれで民のこころがばらばらになっていては仕方ないじゃないかと文句を言います。しかし彼らはこのことを語るために、『易経』『中庸』『朱子語類』といった言語を集中させて、近代の人間と彼が立っていた大地を消滅させてしまうのです。つまり死者を祀る天皇との関係を冒険する孤児になれと主張したとわたしはおもいます。つまりわれわれは一個の死者であることを知れと訴えたのです。さあ、死者として、未来を思い出す夢を見ましょうと。歴史の必然が押し付ける悪夢から目覚めましょうと。明治期の社会改革運動に身を投じた後期水戸学の活動家的知識人の生き方を島崎藤村『夜明け前』で書き記しました。

 

 

 

 

書評: 『一八世紀の秘密外交史ーロシア専制の起源カール・マルクス、カール・アウグスト•ウイットフォーゲル、石井知章+福本勝清翻訳・周雨日霏訳

ーThree quarks for Muster Mark !  
クオーク三唱、王マークに!」 
 
クオーク三唱、王マークに。号令届かぬ王の声。届いたところで的外れ。」で始まる 、ジェイムス・ジョイスの「フィネガンズウェイク 」第二部、第四章では、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという四人の福音書記者を喚起する語り手がトリスタンとイズーの「うねる(roll)」愛を物語ります。 
 
and there were, like a foremasters in the rolls, listening, to Rolando’s deepen darblun Ossian roll  
 
「四人はと言えば彼らはうねる波間四本マスト船、公文書四管理官のように、ローランドの濃褐色の大洋オアシンのうねりに聞き入っていた」(宮田恭子氏訳)。 
 
これをどう解すか。 
 
世界資本主義とその分割である四つの帝国ーアメリカ、中国、ロシア、拡大EUのあり方をわたしは考えます。 
 
ロシアと中国、そして、日本をみる限り、経済が発展すればするほど総体の従属が深まる、といわざるを得ません。やはり「アジア的」なのか。マネー、テクノロジー、経済はどんどん進むのに人権が出てきません。 
 日本は世界第三位の経済大国といわれますが、総体の従属が深まるばかりという状況ではないでしょうか。 
 
 「グローバルデモクラシー」の掛け声は無視され、ロシアと中国のように、帝国と帝国主義の区別をやめてしまった国もあります。 
 
さて、マルクスは一八五〇年頃を契機に、単一直線で進行して行くような普遍主義的見方をみ直していきます。これについて、「十八世紀の秘密外交史、ロシア専制の起源」(マルクス、ウィットフォーゲル、白水社)は、ロシアの在り方がマルクスの思考をいかに揺さぶっていったかを正確に語っています。 
 
これは二十一世紀の現在を考えるために役に立ちます。フランス革命勃発から皇帝を倒すまで百年間を要しましたが、現在ロシアと中国で革命後再び現れた皇帝がグローバル資本主義である民主主義と共存しています。そして、前者(ロシアと中国の皇帝)は後者(グローバル資本主義である民主主義)に対して総体としての従属を強いるのです。例えば、中国の民主化がなければ日本の民主化は不可能となっているほどです。 
 
マルクスが克服した単一直線的な歴史観を、日本の歴史に置き換えて考えると、次のようになるでしょう。単一直線的な歴史観では、古代天皇制の後に中世と十七世紀の江戸幕府の近世が成立するはずですが、歴史はそのように単純ではありませんでした。古代天皇制は江戸幕府成立直前まで鎌倉時代に通じて共存していたのです。津田左右吉によると、江戸の武士政権は天皇を京都に隔離(政教分離)することに一時的に成功しましたが、王政復古は天皇に全権力を集中させてしまいました。 
 
「今日の世界情勢が告げていることは、専制主義は既に過去のものと考えることはできない、という事実である。」「専制国家の閉じたサイクル『非専制化→その挫折→再専制家』は今後も続くであろう。専制国家が世界史の動向を左右する、あるいは専制国家の振る舞いが周辺諸国を脅かす、という可能性は今後も消えることはない。自由主義陣営、欧米列強が、十九世紀帝国主義列強のように、専制国家をコントロールするなどという状況が戻ってくることはない。それ以上に、自由主義陣営、欧米列強が、専制国家に対し今日のような力関係を、今後も長期にわたって維持し得る保証もない。それらを踏まえ、今後、いかに強大な専制国家と対峙していくか、その非専制化への歩みをどのように促すのか、保守革新、左右両翼など従来の枠組みに関わりなく、問われている」(福本勝清氏による「解説」) 
 
マルクスは、一八五〇年代に著した『イギリスのインド支配』、『イギリスのインド支配の将来の結果』(インドにおけるイギリスの二重の使命)などの評論において、アジアの『遅れた』諸民族・諸国家にとって、資本主義化、植民地化は不可避であると論じていた。つまり、その資本主義化==民地化を媒介にしてはじめて、『前近代的』政治経済システムがより現実的に『破砕』できるのであり、ここではそうしたポジティブで、かつ限定的な意味でのみ、いわば『例外的』植民地化が肯定されていたということである。だが晩年のマルクスは、そうした考え方を一部変更しつつ、アジアの遅れた諸民族・諸国家による資本主義を『跳び越えて』の社会主義への発展を認めていった。すなわち、いわゆる『ザスーリチの手紙への回答』においてマルクスは、ロシアが資本主義(= カウディナ山道)を超えて社会主義に至ることは可能であると承認したが、このことこそが、西欧を中心とする社会主義革命とは異なった、アジア社会に『独自な』社会主義への道を可能にし、二〇世紀のロシア革命と中国革命がまさにそのマルクス晩年の構想の正しさを実証するものとして理解されたのである。 
この議論は中国においても、ポスト鄧小平時代であるこの二十年余りの間に、『カウディナ山道の超克』論としてさまざまなに繰り広げられてきた。しかも、ここできわめて興味深いのは、これらの「論争」がポスト天安門事件期における党=国家による独裁的支配の強化と、国家資本主義の高度成長の中で行われていた、という事実である。とはいえ、マルクス自身は『もしロシア革命が西欧プロレタリアート革命にたいする合図となって、両者が互いに補いあうなら、現在のロシアの土地共有制は共産主義的発展の出発点となることができる』(『「産党宣言』ロシア語版序文、一八八二年)と述べていたのであり、この両者の互いに補うことがーその是非はさしおいてもー高度に緊密な関連を持った世界革命の『同時性』について述べたももである以上、ここで主導的な働きをなすのは周辺の『遅れた』諸国家ではなく、中心の『先進的』資本主義の成果を継承した西欧プロレタリアートであり、『遅れた』国家・民族はそれに依拠しなければ『跳び超え』自体があり得ないことになるであろう。それゆえに、マルクスにおいては、やはり第一義的には『前近代的なもの』に対して『近代的なもの』がポジティブなものとして対置されていたということになる」(石井知章氏による「あとがき」) 
 
マルクスは、プーチン習近平のような権力が集中するアジア的かつ皇帝的存在が影響力を持ち、近代がそのような形であらわれる世界史的舞台を予測していました。しかし、同時に、市民社会の視点をもっては、その(アジア的)世界史的舞台を批判しませんでした。そうして、今日の中国は、マルクスの思想を、自らをいまだアジア的生産様式だと自己規定し、西欧が要求する民主化を否定する根拠とするのです。ロシアのプーチンアメリカやヨーロッパの体制を批判するとき、中国と同じ見方から行っています。市民社会論なきアジア的生産様式論が西欧近代とは異なる、という中国独自の近代を語らせているこの言説的問題をどう考えるか、市民社会の近代を批判してきたわれわれポストモダンの知が問われています。

書くこと 1500−1600

 

1、色というのは思考の要素だとおもう。境界線は天と海を隔てるけれど、碧色は天と海が共有するものである。色は境界線に対して多孔性porousとしてある。

2、アイルランドから、カネの話ばかりしているイギリスへ来ると、病的な感じがしたが、イギリス人はカネそれ自身が好きなのではなく明確性を重んじる文化だからとイギリス人は語る

3、トランプ旋風が起きなかった理由?あたりまえでしょう。それよりも、日本マスコミがトランプ旋風が起きて欲しいと願ったのはどうしてなのか知りたい。異常なんじゃない?

4、

津田左右吉をたたえよう

津田左右吉は「詩は外国語で書いてはいけない」と言っています。源氏物語は認めていたようだけれど、あの漢字嫌いの津田も漢字で書かないと精神的な価値がないと考えたのでしょうか?
津田は自分の名前を漢字では書かず仮名で書きました。これをもって彼の漢字嫌いを指摘することには反対意見もあるでしょうが、漢字では日本人は創造性を発揮できないと言い切っていたことは確かです。彼の漢字全否定は、漢字文明に依拠した日本知識人否定を意味するほどで文革の知識人否定を喚起します。
十数年前渡辺一民は私に、津田は普遍主義なのか反普遍主義なのかわからないといいました。しかしだからこそ可能性がある思想かもしれないのです。津田の漢字知識人全否定はファショ的ですが、戦前に彼だけが皇国史観を批判できました。万葉集を書いたのは貴族で、農民を含めてあらゆる階級ー国民ーが書いた筈がないと。これは国民国家のモデルを古代に見出した、昭和10年代全体主義に帰結する明治近代に対する反論です。津田はナショナリストとして皇国史観を許せなかったのでしょう。ここで津田はナショナリストですが右翼というほどではありません。津田は不敬罪で逮捕されます。和辻哲郎はこの津田とは反対に、思想を現人神の偶像化へ起きます。

5、資産1200億円 「国王より2倍金持ち首相」スナク氏に集まる厳しい視線。20兆米ドルに及ぶ習近平政権の「隠し資産」の中国的資本主義は資本主義の問題が起きないのか?

6 東京で朱子学を学んだので注釈があれば鎌倉時代の五山文学の漢詩を読めないことはない。俳句より面白い。徂徠も勉強したので浮世絵より日本画が好きだし、能の方が歌舞伎より楽しい

7 鎌倉は何というか、ブルジョワのための街というかんじ。宋の時代とか明の時代を考えるにはいい。五山文学は林羅山とかが継承したらしいね。仁斎は羅山が訳した『論語集注』を読んだ

8 中国の歴史の方が日本の歴史より面白いとおもうのは、中国は1000年かけて仏教との思想闘争を行った歴史があるからなんだね。儒教は国教となった宋の時代は仏教は外国思想として「危険」だった。朱子は仏教を自分のものにした。朱子学はいわば東アジアの「バベルの災厄」で、朱子五経を古代のときのようには読まなかった。読めなくなったというか。鎌倉時代に留学した仏教徒儒教の経典を持ち帰ったのは日本にとって大事な歴史である。英語は科学をどんどん進歩させるに違いないが、漢字でなければ精神的に価値のあるものが生まれないのではないかという思いはこの時代によって確立したのではないかと考えてみる

9 中国は共産主義のままでいいから隣国と国内マイノリティーとの関係をよくすること、そのためには、一党独裁である必要がないことを中国の為に理論化できる者は誰なのか?

10 他の思想(空)から己の思想(理)が独立してはいけない。それでは他の思想の意味がないからである。反対に、他の思想に己の思想が依存してもいけないことは明らかだろう。思想闘争において大切なのは、他の思想から己の思想が自立すること。これ自身思想を形成するのではないだろうか

11 中国の思想闘争において大切なのは、他の思想(仏教)から己の思想(儒教)が自立することだった。すなわち朱子学である。古学の思想闘争は脱朱子学(脱普遍)によって本質的なものを個体化していく方向であった(伊藤仁斎)

12 ルネサンスの精神はガリレオのように正しいことを自由に言わせてくれだった。フランス革命は監禁されたサドを自由にすることが大切であった。間違っても自由に喋らせてくれである

日本思想における正統と異端

本居宣長の絶対的保守主義ー国が安定していれば神と皇位との連続性に依るべしーは和辻哲郎によって正統とされた。宣長儒教との激しい思想闘争の結果、死後の救済がないとした。ここから昭和10年代の教育を受けたものは絶対的保守主義の言説の中でそも内部に沿って国家に運命を託したのである。ポストモダンは、国家中心主義から自立した思想で、これ(国家)しかとする無いとする絶対的保守主義を批判できた。ポストモダンが終わると、絶対的保守主義が日本の主流となる危険がある。他方で、異端とされたのは平田篤胤の、宣長国学的鬼神論とは異なる、死後の救済のある民情論的鬼神論である。平田派は明治政府から追放され弾圧を受けたが、平田を継承したのは折口や『先祖の話』の柳田の民族学である。共通するものとしてある空集合の多孔性の現代思想は、平田における異界への多数の入口を考える思想を喚起する。平田は寅吉と共に、明治維新に先行するものとして仙境異聞における筑波の場をもっていた。

13 

アジアにおけるバベルの災厄

「子曰、天生徳於予。桓魅其如予何」(『論語』)。次のように書き下される。「子の曰く、天、徳を予(わ)れに生ぜり。桓魅(かんたい)、それ予を如何(いかん)」。朱子は、孔子が仰ぎ見ただろう天を考えなかった。朱子学は古代世界との連続性を絶ったアジアにおけるバベルの災厄なのである。仁斎は天を仰ぎ見たが、理念としての天の主宰性を考えることになった。日本人は漢字の受容から約千年を要して考えることができた。比べると、ヨーロッパ語の受容は150年しか経っていない。洋書輸入の一部解禁(のちの蘭学興隆の一因となる)享保の改革から約250年か。西欧と取り組んだ西田幾多郎モダニズムポストモダンなのかわからない思索の混乱は言語の未成熟によって説明できる。

14 あまり知らない人でも映画監督が亡くなると悲しいです。デュラスが言っていたのですが、どんな女性も幻想を持っているから男性よりも面白いと。女性が亡くなった話も悲しいです

15 私のデッサンが幼稚だという俗説は、私の線描作品に由来するのだろう。私が線描で試みたのは、たとえば一人の人間という、なんらかの事物の観念を、線という要素の純粋な提示に結びつけることだった。ーD =G

16 明治維新が推し進めた中心の一極集中とは何か。中心に豊かに情報が集まっていても、知を組織化する権力が集中している問題がある。外部も規則にしたがって作られてしまっている

17 ゴダールの映画において外部が規則にしたがって作られることはない。現在われわれが遺族のように迎え入れる過去の映画の存在が外部である。それは侵入してくる現れー映画魂ーである

18 言説を重視するポストモダンから言うと国家日本はその語られ方にある。例えば国家日本はNHKニュースが語る解釈の中に存在している。市民はNHKをアベチャンネルからとり返そう

19 サンテラスの中に絵を立てかけてある。春からここで描きたいとおもう。絵を見た近所の子どもが地面に描いた絵を見て、わたしにおける線のリズムの構成を理解できた。子どもは天才だ

17 一党独裁の本質はひとつの階級である。しかしどうしても本質にこだわるならば、本質は個体的だし個体的になっていくのである。本質を表現するならば一党独裁である必然がない。

18 一党独裁の本質はひとつの階級である。しかしどうしても本質にこだわるならば、本質は個体的だし個体的になっていくのである。本質を表現するならば一党独裁である必然がない。

19 

歴史を書くこと

中国は共産主義のままでいいから一党独裁である必然はない。一党独裁をやめないのは、やめたら、アヘン戦争など西欧列強の歴史を消すことになるかもしれない。化石にならないように、歴史を書くこと、台湾作家が発言するように清朝が西欧と同じ帝国政策をやった歴史も消してはいけない。

20 

周辺国の女性は二重に搾取されている。世界資本主義とそれに抵抗する周辺国の男性原理とによって

世界システム
theory of the world-system

近代以降の世界全体を単一の社会システム,すなわち世界資本主義体制としてとらえ,その生成・発展の歴史的過程を究明することによって,さまざまな政治経済的諸問題,とりわけ国家間関係,経済的な支配・従属,世界秩序の構造と変動などを全体的に究明しようとする理論。アメリカの歴史社会学者 I.ウォーラステインによって創始された。まず世界をアメリカおよび他の工業諸国から成る「中心」と,発展途上国から成る「周辺」に分けた上で,前者によって後者が搾取され,さらに両者によってその周辺が搾取されているとする。富める国々は,周辺地域から稼ぎ出した余剰のうちわずかな部分しか周辺地域に配分しない。他方,周辺に属する国々にも「周辺の中心」,すなわち世界経済システムの中心に位置する外国資本と結びついた特権階級や民族ブルジョアジーが存在する。このように世界を素描する世界システム論は,明らかにマルクス主義的な考え方を下敷きにしている。ここには,国家間に固有の競争や対立への言及はなく,資本主義社会における階級闘争の分析が世界全体に拡大・適用されるのである。(コトババンクより)

21 河上肇の『貧乏物語』はいかにも彼が留学したイギリスの中流ブルジョワ的倫理の視点があるとおもう。河上は『貧乏物語』の中で「ワーキングプアが生まれるのは、富裕層が贅沢をして、社会が貧者の生活必需品を作らないからである」という批判を行い、社会全体が贅沢を止め、質素倹約をすれば貧困の問題は解消されると論じた。しかし、その結論に対し、福田徳三や社会主義者堺利彦は「現実的ではない」と痛烈に批判している。河上はブルジョワ的なのだ。高度な互酬Xを語る柄谷行人は河上的なものではないだろうか。
ところでわたしは大島渚監督の映画が好きなのは、ブルジョワを批判するコミュニズム党の中核に、ブルジョワ的なものが覆っていることを見抜いているかのような点だ。だから彼の映画はブニエルの映画に似ている。どんなことをしても資本主義を克服できないのだから暴力革命しかないとする考えは、ある日いきなり理由もなく部屋の外へ出られなくなったブルジョワにおける閉塞感のようである。それは社会民主主義を廃する一党独裁の部屋である。

22 ブルジョワ的複数政党はコミュニズム一党独裁が批判するほど腐敗しないのは多分ブルジョワ的自己規律によるのだが、それが自慢する多様性は他を排除しないと言いながら他が入って来れない部屋から出れなくなってしまうことは起きる(皆殺しの天使)

23「世界の屋根」から彼方にみえる仏教の世界よ。だが石の上に暮らす貧困に中国共産党が介入しなければやっていけるのか。この政治の問題を隠蔽したのが「チベットモーツァルト」だ

24 グローバルデモクラシーの一国に対する関係は、あえて『資本論』に沿って考えると、貨幣と商品との関係とパラレルである。どの国家の成立は、どの商品も貨幣から排除されるように、要請される。そうでなければ、グローバル資本主義の分割ーの米中ロ拡大EUーのように国家モデルに基づく帝国のシステムになってしまうからだ

25 きょうは箱をひとつも整理できなかった。こんなことをおもった。グローバルデモクラシーとは書記言語の権利ではないだろうか。物で書かれた物は大事にされたのは書かれたからである

26 古代は物(神)で書かれた物(神)は信があったのは物(神)で書かれたからだ。今日は地球環境の自然が言われるが、自然とエクリチュールは別々のものだから自然は大切にされない

27 湘南の海の音を聴いてダブリンの海辺を思い出した。FWのジョイスは雷の音を表すのに百語の雷を意味する語で構成した。古代は物(雷=神)は自然の力をもつ物(雷=神)で書かれた

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囲まれない海のグローバルデモクラシー

「本源的蓄積」は、分割についての考え方ですが、これは何か政治的というのでしょうか、非常に単純な権力的な見方が反映されているように思ってましたから、見直しが必要だと昔から考えていました。その点、冊封体制は権力に基づくよりは権威によって支えられている交換の文化的なあり方です。中国は宋の時代に朱子学の普遍思想に基づく宗教改革が起こり知識人的官僚制の青写真が出来上がります。それは海の帝国として現れた明の時代に完成するのですね。こう言ってよろしければ、海の囲い込みが起きました。琉球は囲まれない海を失っていくとわたしは理解します。江戸時代に琉球は帝国中国と幕藩体制の間に位置づけられてしまいます。習近平は明の時代の権利を主張していますから、台湾のつぎは沖縄の奪還が叫ばれるのかもしれません。台湾の作家が指摘していましたが、中国は西欧列強によって半植民地化される前に、清朝帝国主義的拡張を行いました。支配を受けたチベットウイグル、コリア、ベトナム冊封体制を構成した国々です。それに対して、わたしは、グローバルデモクラシーは囲まれない海の権利に基くものとして主張されるべきだとおもいます。

29 「トランプ前大統領のツイッターアカウントを復活へ マスク氏」。残念ですが、もし、もしですが、1984みたいにひとりの人間が支配するメディアになるならば廃止の方がいいです

30 英国は虐待された子供を救い出すために国が家の中に入っていかなければいけない。これは財産権の人権を侵害するか。労働党と保守党とが議論していた。宗教と反共教義の問題ではない

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若い女性とは、年齢に関わることではなくて、理念的なあり方

ソポクレスが書いた若い女性は何を根拠にかくも自分に自信があり傲慢で気まぐれであるのか。若い女性というのは、一生懸命に、空である自己を埋めるように知識を身につけていく努力を行う。お金の権力持っていないが、未知な者と出会って迎えいれるセックスの権力をもっている。皆と同じように年老いてわたしは懐疑論的になってきたかもしれないと思うが、傍らで、自分の言葉に、若い女性が笑うと愉快だしなんかわからないが勇気づけられることもある。宇宙の力の粒子を飛散させているのではないか。ドウルーズによると、ギリシャ神話の起源はエジプトにあったが、神の裁きを受けて生き残る人間の存在を知らなかった。オイディプスは彼の娘と共に脱出できたのであるとわたしはおもうよ。反(脱)原発運動の中から、若い女性達が「間違っても自由に喋らせてくれ」と訴えた。彼女たち以前にはこの言葉はなかった

32 歴史を鑑みると、アジアはマルクス主義無くして西欧列強の植民地化に抵抗できなかったが、確立した共産主義一党独裁に対して、宗教の自由を含めて前近代をゼロにしたマルクス主義の近代が抵抗の拠点をゼロにしてしまったと言わざるを得ない

33 ゲーデルが生きていたたら彼の仕事を援用するポストモダンの理論を評価しただろうか?マルクス主義を無意味として全部ゼロにしてしまったら、思考の何もかもゼロにしてしまう

Gödel would have hated what the postmodernists made of his work ?

34 文革以降の学者は革命なんか起きたら大変だとおもっているから官僚がうまくやったら一番いいとおもっているが、他方で官僚は民主主義を考えることができないと軽蔑している

35 フーコ『言葉と物』は、言語のなかの映像ー言説的絵画ーの成立を問題にしていたから第1章「侍女たち」と第9章「人間の分身」と第10章「人文諸科学」を一緒に読む必要がある

36 湘南文化とやらはハリウッドを喚起するアメリカ的な場所らしい。茅ヶ崎に中華料理屋さんがない。湘南には中華は似合わない?だけれど湘南という言葉が中国の表象なんだけれど(笑)

37 私は組合とストライキの必要を考える社会批評の勉強会に参加し始めました。そういう日本左翼の中には、多元主義のフーコとかデリダをフランスの国家主義だときめつけ、全体主義レーニン多元主義と考えて疑わない者が存在することにほんとうに驚きました。これではナチス中国共産党の方向です。富裕層がエリートの多様化ーオバマや国王より金持ちのスナク等々ーを彼らの為に利用する中で、富裕層による搾取率無限大♾を実現する闘争に対する闘争をどう組織化するのか?とおもって読みましたが、「『啓発されたリベラル・ナショナリズム』 が答えなのですか?それでは、「エリートが仕掛ける」階級闘争と共に、国が安定していれば神と皇位との連続性によるべきだという的保守主義の中にすっぽりはまりそう。私は、問題の解決は脱階級的な方向にあると思います。そうして一人ひとりがマイノリティーに成っていくN個の性、グローバルデモクラシーにおけるリベラル・反ナショナリズムを考えていますがね。イギリスでは労働者階級出身の人達がテートモダンの現代アート講座に来ていました。特権的な知識を必要とする表象的な古典作品にしか関心がない中流と比べると、彼らは表象批判の脱階級的作品をストレートに理解できるのですね。マルクスが若い時に強調していたのも、人類が知識へ平等にアクセスが可能である社会です。また、才能も何もかも社会が与えてくれたものなのだから、稼いでもいいが、所有してはいけないというような発想の大転換が必要だとおもいます。何かまとまりがなくなったので、「そうなっていくのではないでしょうか」という言葉で締めくくりたいと思います(笑)

 

38 ゴダール喪中

ゴダールピカソジョイスにおける映画の継承である。ゴダールピカソが美しいスペイン人を描きたかったから表象にとどまったように過去の映画に留まった。またゴダールジョイスは文学に歴史の感覚をもったように映画に歴史の感覚を持ちたいと望んだ。歴史といっても、全ての相違と全ての非連続を投射の起源的な一点に集中させることは考えなかった。そうしてしまうと国家が自身を語る歴史になってしまうから。
最後に、文字で描く画家とはだれか?ゴダールである。袋小路の中で書いた/描いた。映画とは映画の映画という曖昧な観念に依拠している。映画の映画は映画史であるが、それは明確なイメージを為す外部無くしては、それ自身では証明できない。

ゴダールピカソジョイスにおける映画の継承である。ゴダールピカソが美しいスペイン人を描きたかったから表象にとどまったように過去の映画に留まった。またゴダールジョイスは文学に歴史の感覚をもったように映画に歴史の感覚を持ちたいと望んだ。歴史といっても、全ての相違と全ての非連続を投射の起源的な一点に集中させることは考えなかった。そうしてしまうと国家が自身を語る歴史になってしまうから(嘘の三角錐の頂点)
最後に、文字で描く画家とはだれか?ゴダールである。袋小路の中で書いた/描いた。映画とは映画の映画という曖昧な観念に依拠している。映画の映画は映画史であるが、それは明確なイメージを為す外部無くしては、それ自身では証明できない。

39 マイナー文学であるカフカはイデッシュ語とチェコ語ゲーテが住処にしたドイツ語を利用して書いたが、ジョイスは標準英語で書いた。それを利用して言語革命を行った

40 公害企業の前で三か月に及んだ抗議の座り込みをしたとき、全国から労働組合が支援に来た。毎日話していて分かってきたが、人の死をどう考えるについて組合的なものの見方がある

41 台湾人はなぜ地方選で親中政党を支持するのか?日本新聞が解説しているような「巨大権力警戒、日本人が知らないバランス感覚」で説明できることなのでしょうか?わたしは明確な答えがありませんが、ただ数年前に、台湾を訪ねたとき、中国の資本の支配が隅々まで及んでいた様子を目撃しました。南部地域は民進党の支持基盤ですが、農業作物の買い手は中国になっているという話もききました。あと考えたことは、北京語と台湾語との差異はありますが、同じ言語の危うさがあります。台湾人が支配される心の不安を解決するのは中国の支配が完成したときだと嘆いていた知識人の言葉を思いだしました

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はい、おかげさまで、なんとか。母の世話を考えて、茅ヶ崎に引っ越しました。片付かない200の段ボール箱に家が占拠されています。日本画思想史から追放されて、感知できないような微妙な空白感にともなわれる都落ちという感じですが、佐藤先生の本を読んで徂徠の江戸思想と関係がある日本画を勉強して、湘南の契沖にでもなってやるぞとおもってます(笑) 以前、梶野さんが話していただきました若冲のことはずっと覚えています。わたしは文人画家の蕪村や大雅のスタイルも好きです。契沖がどう発展させていったかは大変面白いですね。佐藤先生の豊かな分析があります。他方で、ピカソの近代は、失ったら獲得できるというものですが、わたしはベケット的というか、失ったら失うことができるという考えに賛同します。茅ヶ崎の空を見ながら、若冲が失うことができたものは何だろうと考える毎日です。まあ、境界なのかなと少しづ考えています。雅なもの/俗なものという境界を崩すのは色なのかと思います。宇野先生のもとにいらっしゃった宇野研究所の髭さんのおかげで月に一回は、文京区の区民会館を借りた社会批評の勉強会に出席しています。地球座の学者とアソシエの組合関係者が多いですね。ワイマールとかアベノミックス都会の発表がありました。

43 高校を辞める者を少なくするためには、高校に数学の授業は要らないという意見も一考の価値があると思いますが、それでも、マルクスの思想が19世紀にあってどんな意味があったかを考えてみるように、17世紀にとって微分を発明したライプニッツの思想はどんな意味を持っていたかとかを教えるべきですね。ライプニッツ多元主義の思想から、戦前の天皇ファシズムは戦後憲法はどう考えたかを、憲法にとって象徴天皇制の意味と一緒に考えるようにならなければいけないと思います

44 近代というのは、此方から見える彼方を考えることができない。彼方のものは転落するし転落しなければいけない。しかしまだ彼方は地に落下していないので絶えず矛盾に陥る

45 近代というのは、此方から見える彼方を考えることができない。例えば起源を考えることができない。彼方のものは転落するし転落しなければいけない。しかしまだ彼方は地に落下していないので絶えず矛盾に陥る。歴史性は嘘の円錐の頂点を作ってしまうが、これを考えることができないから何か神聖な価値のあるものと信じてしまうのではないか

46 彼らが生きた近世は中世と近代との間である。天の信と言っても、伊藤仁斎孔子との同一化は無かったし、徂徠も聖人との同一化はなかったのではないか。

47 日本に関心を持ちはじめた人はアイヌや沖縄のマイノリティがどう扱われるかが一番の関心なんだね。自分が住みたいから。杉田のような愛国者が繰り返す「みんな」には関心がない

48 しかしですね、杉田みたいな差別主義者に反省を求めても無駄でしょう。ああいう人たちは、任命責任のある岸田も含めて、海外で差別されるまで差別の問題をわからないと思います

49 ヨーロッパは1980年代から移民国家的文化多元主義に取り組んできた。日本は50年ぐらい遅れてしまっている。彼らは相当なことをやったから、その差は縮まらないだろう

50 国防費が2倍になったという事実は何を意味するのだろうか?戦前の文学を読むと、軍事費の増大と貧富の格差が一緒に起きていたことがわかる

51 毛沢東の評価は「7割間違い、3割正」の折衷説ですか。しかし無実なのに死刑を求刑された人にとっては無実しかあり得ないように、毛沢東に殺された人も「3割正」はあり得ないです

52 母が私の中学生のときに描いた絵を見つけてこれを玄関の壁に飾った。何でもない静物絵だが、当時の家の中からの眺めを描いただけに絵の色が母とコミュニケーションをとっている。

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反中と嫌韓の言説的起源はなにか?『古事記』に責任がある。一のアイデンティティであること(独立していること)は他のものを踏み潰すことである。

54 「ひとつの実体」は神であるとスピノザは考えた。彼は思惟と身体の他に無限の属性についても考えた。属性は神に規定されるが物はそうではない。自然における物の無限の生成を考えた

55 ダブリンのオペラ大好きの中流サラリーマンがアマチュアのカルト的精神分析医の所に訪ねていく芝居を昔観た。レコードをかけるが、口をパクパクしているだけで歌が歌えないと悩んでいる。抑圧されているから思い出せないのだ。これはとてもアイルランド的テーマである

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戦後の転向ーポストモダンモダニズム

柄谷の仕事が海外で知られることは良いことだと思いますが、しかしどうしても気になる点は、柄谷は天安門広場前の抗議を非政治的なものであるときめつけた根拠は何でしょうね?一党独裁に対して抗議した学生たちを、ネオリベの側にいる自由のある日本の学生と同じであるように語るのですね、このひとは。しかし中国共産党こそが官僚資本主義のネオリベですよね。逆さまじゃないですかね。この点に関して、このひとの立ち位置がわたしの頭ではわからないのですが、何でもかんでも交換様式で説明しちゃうと、そうなっちゃうんですかね?誰も論じていません。柄谷の探究は、言語と数が、貨幣と美学とに結びつけられ、帝国主義と資本主義と哲学の体系は同時的に発展するのです。しかし90年代に柄谷は自ら知識人を辞めたといいました。これは転向を意味しています。結局、わたしたちが彼の帝国理論において目撃しているのは、柄谷における国家の一元主義を多元主義として捉えるような、ポストモダンモダニズム化です。

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戦後の転向

柄谷はマルクス資本論』に依拠しながら交換様式について考えたと言ってますが、またそのことが大きな影響力をもってアジアの知識人たちに『資本論』の読み方を教えることになったのですが、高度な互酬Xを支える帝国の国家について発言していますが、そもそも『資本論』には国家を考えた文はありません。もしマルクス主義のほかに新儒教など<自分探し>を行っている中国共産党が、彼らが全く知らなかった国家理論ー柄谷の高度な互酬Xーを理解して、国内マイノリティーと近隣諸国との関係を改善していくならば、それは意義深いことだとは思ってはいるのですけれど、残念ですが、殆ど希望はないでしょう

59 『右側に気をつけろ』はゴダールの連立政権に対して警告を発した映画の名。現在西欧は普遍主義を再構成しなければいけないが、全体主義多元主義としていないか私は警告したい

60 イスラムと中国との関係を考える西欧は普遍主義を再構成しなければいけないが、ポストモダンのモダン化というような、全体主義多元主義としてしまう根源的誤謬はなぜ起きるのか

61 思考の順序として何が先行するのかをじっくりと考えるのはエクリチュールである。「白人」とか「東京」が先行すると語リだす声は、なぜ複雑になるものを単純化して透明にしてしまうのか?近代は先行するものとして起源を指示する。しかし近代は起源ー此方からみえる彼方ーを思考できない。近代の人間は自己の有限性に即してしか認識できないからである。かわりに信じるのである。ここから、現人神とか人間の従属をめぐる問題が起きてくるのではないか

62 防衛費倍増に賛成する世論では、日本が日本としてやって行くためには絶対的平和主義かそこまでではない専守防衛憲法では困難となった。国家祭祀を禁止した憲法が支えかもしれない

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64 外国で、自分の国について喋る人の話はつまらない。これを聞くと、日本人は自分達の英語力が足りないからだとおもってしまうが、こだわるわれわれ自身を主語とする話は退屈なんだ

65 柄谷行人をたたえる

66 昔は鎌倉に中国の湘南を表象した。茅ヶ崎も湘南である。戦前は英国、戦後は米国西海岸を表象する。わたしは勝手に地中海を表象している。ここ茅ヶ崎は思い違いで成り立っている場所

67 柄谷は体系的に考えることができて、西欧から評価される。思想の体系を数の体系から美学的に再構成する。大杉栄も思想性をもっているのに、現場主義的な話に枠付けられてきたか

68 大杉栄ボルシェビキウクライナアナーキズム抑圧の事実を知って、労働運動の意味を大切にしながら社会主義を批判し始めた。彼の思想は小田実が語る市民の思想の先駆だった

69 アイルランド第二次世界大戦のときは中立を保った。しかしチャーチルアイルランド北部にナチスが侵攻してくると英国を守れなくなるとして占領しようとした。防衛とは侵略である

70 江戸時代は国防論がなかった。こんな国防では国を守れない、幕府の責任だという批判は幕府批判だった。武士政権は一切の幕府批判を許さなかった。平田派から国防論が現れた

71 世界史の知ではキリスト教の宗教対立は過去のものであるが、現在進行形のアイルランドの宗教対立の話をしたら、興味をもった20代サーファーの若いお兄さんがいた。おそらくカトリックプロテスタントも知らないこの彼のためにどんな説明をすべきだっただろうか?体系というのが切り口になるかとおもっている。思考は自身にない思考と一緒にやっていくためには、その体系にある原理を忌避することが重要。そうして人文科学が成立したのが西欧である。うーん話がみえないか。「忌避」という言葉が難しいかもしれないから、「我慢」と説明しておくか

72 アイルランドの地域紛争を日本人はどう考えるのかを語らなければいけなかったのに私は何もしていない。演劇を考える必要があったしフーコも読み直した。語るためには儒学を学んだ

73 三木清によれば、思想は死を観念化しなければ世界思想でないそうである。絶対的保守主義が主流となる現在、モダニズムの死は起きなかった。思想も死も日本化・オイデプス化するだけである。

74 下級武士が推し進めた日本近代の失敗は国家が中国のように帝国化したことにあった。現在中国は未来をポストモダン(多元主義)に託しているが、再び日本が陥った帝国化(全体化)に絡みとられているようにみえる

75 1955年のバンドン会議(第1回アジア・アフリカ会議)。インドネシアやインド、中国、エジプトなどの首脳が中心となり、植民地主義反対や平和的な共存をアピールしました。ポストコロニアリズムの知は、英国から独立したアイルランドがモデルとなったと考えている。拡大EUアイルランドソビエト解体後の東欧のモデルとしているが、色々問題がある。

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柄谷『世界史の構造』のフランス語訳だ出ていたんだ。すごいことだね。昔はパリにいたら読んだと思うが、今は交換で説明し尽くして何でもかんでも喋る本を読みたくないね。

柄谷はマルクスの「交通」を再発見した。それは交換様式であり、『世界史の構造』が強調する戦争を意味する場合もある。ヘーゲル的な柄谷を読むと、世界史を動かすのはもっぱら戦争である。しかしアイルランド地域紛争を解決したのは戦争ではなく民主主義である。歴史を動かしたのは民主主義だった

77 反中・嫌韓は今に始まったことではない。古代の昔は、大陸の戦争に巻き込まれないようにと、日本は独立した国であることを示した。現在は逆の方向で自ら戦争に巻き込もうとしている

78 サルトル『存在と自由』は昔どんな本屋にあった。だが影響を受けた日本左翼は自己否定の観念は凄いが、ファショ的体制ではやっていけない明確なイメージ、香港の学生を理解できない

79 香港裁判所

親中派の日本左翼は、英国の植民地だった香港を抵抗の思想もないとずっと見下してきた。それに対して、香港返還のときにリベラル派のなかに香港の裁判所に注目する者もいた。英国時代に自由の考えがここを拠点に発展したのではないか。香港裁判所は天安門事件の追悼集会禁止に「違法」の判断を行って有力活動家の有罪判決覆した。これはマグナカルタ以来、最も重要な判決ではないか

80 ゴダールの映画から、演劇ブレヒトからの影響があることはだれも直ぐに分かるが、作家ジョイスからの影響を読み取るのは彼が書いたのは読めないテクストであるだけに難しい。ジョイスは歴史の感覚を文学に持ちこんだが、ゴダールもおなじである。ゴダールは『映画史』を作らなければならなかった。そしてゴダールのあの特筆すべき錬金術師的造語(もうやめてくれと言いたくなる)は、不連続の歴史ー思考の歴史ーを確立することの困難さを伝えるものである。ゴダールははじめて不連続の歴史を書く/描く作家だったのだ

81 後期水戸学は儒家神道の伝統にあったのであり、その復古主義は聖人に『古事記』のアマテラスの仮面を被せたようなものだったんだね。素顔であるこの仮面と皇位とが繋がっている

82 どうして私は江戸思想を語るのか?徳川日本は国家がないが、カントと対等な非常に充実した思想があった。昭和の様な国家中心主義でなくとも思想を語ることができると言いたいのだ

83 アジアはマネーと技術はどんどん進むが民主主義が始まらない。「1人当たりGDP、日台・日韓で逆転へ」という話よりも、台湾と韓国がいかなる民主主義を獲得したかを話し合おう

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「戦後」の意味

日本は「戦後」が二回あった。日露戦争の後の時期を、「戦後」と呼んだのであった。二度めの「戦後」はもちろん、太平洋戦争のあとの時期である。われわれが生きているのはこの時期であるということになっている。戦争の終わりから現在までを分節化したような「戦後」という時期の区切りは何だろうか?これはこれから考えていかなければいけない問題だ。「戦後」とは絶えず動く総体のなかの恣意的な切断に過ぎない。「反撃能力」は戦前なのに、与野党解釈改憲している憲法で禁じている戦争の形態すなわち北朝鮮に対する米軍と自衛隊の合同演習の威嚇を行なっていても、「戦後」なのだ。「戦後」で意味されるのは、平和である。しかし考えてみれば、戦争責任を果たしていない平和なんかありえない。

85 今はお金を持たないといけないが、若者はお金を保ち続けたら損してしまうバブルのインフレを理解できない。インフレの方が革命に有利だ。貨幣を求めるのは基準を求めているからだ

86 若者は歴史に関心をもっているようだが、それは秩序の感覚というかんじですな。われわれが関心を持つのは、応仁の乱とか戦国時代前夜の自立する地方政権とかであって、統一の方向にある歴史ではないんだとおもいます。
ネオリベポストモダン思想の共犯関係について指摘されるけれど、それはどうでしょうかね?それよりは、インフレの時代にポストモダン思想が成立したことのほうが大事な気がします

87 野党は平和主義というが、自衛隊は5位 – 2021年の世界の軍事力ランキング(2021年)ーだからこそ、反平和主義のそんな軍事大国の「反撃能力」の危険が問題になるのだろう

88 都市にとって重要なのは、隠されたまま公的な重要性をもたない家族領域の内部ではなく、外側の現れだ。それは、家と家との境界線を通して、都市に現れる。ーハンナ・アーレント人間の条件』

84 松が丘と呼ばれるぐらいだから松達が家の近所に生えているのだが、柳田によると、神様が枝を道にして破れ傘みたいな所から地に降りてきた。毎朝曲がりくねった幹をポンポンと叩く

85 分割線を引きたいのか?だが全ての境界線は無限に動く恣意的な総体の切り取りに過ぎない。一国民主主義とか日本語に先行した漢字文化圏の中で他者を攻撃すると自己を攻撃している

86 文質彬彬とは何か。自然と文化との調和という風に近代主義的に理解していいのか?質は民の本来的自然性(仁斎)だが、君子にとって必要なのが文。文は古、先人が遺した文(徂徠)

87 50年前に作られた映画を当時の観客がどう見たのかわからない。孔子は過去の文献を編集した。現在のわれわれはもはや2000年前の言葉で何が言われているかわからないように、孔子も彼から2000年前の文を読むことが不可能だっただろう

88 「文質彬彬として、然る後に君子なり」(「論語」雍也第六16)は、私の解釈では、ケルズの書において伝えられているのと同様に、言語の存在をたたえているのだとおもう

89 ジョイスユリシーズ』の教理問答のナレーションで構成される挿話イタケの終わりは<書かれた言葉の眠り>である。このあと、挿話ペーネロペーにおけるモリー・ブルームの声の独白が始まる。だが言語(ランガージュ)の存在をたたえた「フィネガンズ・ウエイク』への入り口でもある。

89 『フィネガンズ・ウエイク』に読めない本である。<我考える、ゆえに我存在する>と語る本である。透明でない、原初の思考不可能な言語の存在を考えている

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今年はジョイスユリシーズ』出版の年から百年である。ジョイスは『ユリシーズ』の後に、『フィネガンズ・ウェイク』(1939)を書いた。1923年より執筆を開始し、1924年から「進行中の作品」(Work in Progress)の仮題で「トランジション」など複数の雑誌に発表された。首都ダブリンを舞台とする

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92 ピカソは絵画によってゲルニカを永遠化した。出前にきたお兄さんも玄関にあるゲルニカの絵を知っている。ゴダールの映画の歴史を永遠化するためには絵画の再構成が必要だ

93 ポストモダン孔子は何かと聞かれると、さあ困った。先人が遺した文章を読むことは、なにか世の中のために価値のあることだとはおもわない。正当化は必要ない。ただ差異が存在する

94 ポストモダン孔子の「孔子像」とは何か?孔子は何を言っても通じない乱世に生きた。世をただすことをやめなかった、国内亡命の場所を求めた、差異としての孔子が存在する

95 ピカソは抽象化の時代にあって、価値のあるものを遺したかったから、スペイン人の美しさを描いた表象に留まった。現代の芸術の主流は、表象を否定した差異の戯れである

96 ジョイスピカソと同様に抽象化の時代にあって散文的表象に留まった。アイルランドを連れて自分で決めた亡命を行った。ジョイスの『ユリシーズ』はダブリンで成り立ったのに、それだけに、『ユリシーズ』の最後の頁に、彼が滞在したトリエステとパリとチューリッヒの署名があって、ダブリンの署名がないのは屈折している

97 子供のときは切手を集めた。嬉しくて、頻繁に、ここまで何枚とか書いてある。表象無きべケットを読むのは拷問で、読んだ本にはどの頁にもラストまであと何頁と書いてある

98 ジョイスの文学はベケットと比べたら、知のヒエラルキーに基づいている。アクイナスのカトリックと通じる力である。ジョイスは普通の人々の言葉に向けた普遍性の探究があった

99 フロイトとかアインシュタインシェーンベルクとかヤコブソンが、オーストラリア=ハンガリー帝国の思想化か?大英帝国の崩壊はベケットやベーコンに影響を与えたことは言われる

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オーストラリア=ハンガリー帝国は1916年アイルランドイースター蜂起を注目していた

一九一八年以降、さらに根底的には一九四五年以降、中央ヨーロッパのコンテクストの外に出たオーストリアは、じぶんの殻に閉じこもるか、あるいはゲルマン性の殻に閉じこもるかして、フロイトもしくはマーラーのあの輝かしいオーストリアではなくなってしまった。
クンデラ<出会い>

101 ダブリンの大学で日本語を教えたが、思い出すと、今日は授業にひとりしかこなかったこと。カトリックの国だから、当然なのだけれど。しかしなあ..

102 私がX国の独裁者だったらミサイルを撃たないで、自民党3世が支配する選挙区にパラシュート部隊を送り込む。権威的で従順な住民はそのまま外国から来た独裁者を迎えるだろうから

103 思想史的にみると、帝国中国の成立は朱子学と共にあった。中国の本質となった朱子学を脱コード化したのは東夷の古学。ポストモダン孔子の中国は脱コード化であり再領土化である

104 復活について中学時代に遠藤周作の本を読んだ。しかしロンドン時代にユダヤ系友人に死後の復活について聞いたら、ゾンビみたいに土から蘇るという自分の説明に震え上がっていた

105 本箱を眺めると、もう10代のときに買った本は殆ど無いが、まだ生協で100円で買ったデカルト方法序説』がある。ポストモダンデカルトをどう考えるかを語ったのはフーコだ

106 悪魔から命を守るために身体中に文字を書いた耳なし芳一の話をしたら、聞いていたカトリックアイルランド人は興奮した。わたしたちの国にもそういうのがあるという。北アイルランドプロテスタントが示威行動としてやるオレンジ行進があって、太鼓をたたいて国から悪魔を追いだすのである。この場合、悪魔はカトリック。大いに盛り上がった

107 アイルランド時代に毎日のように来ていた映画館。もともとはクーエカ教の集会所だった。窓になっているところから宗教者が現れたのではないか。わたしの映画の関心も、映画狂というよりhs映画教の方向である。アンナ・カリーナがアルファビルの上演の時にここに来ていた。彼女を案内したフランス人の同僚から、「カリーナが訪ねてみたいという恐山ってなに?」と聞かれた。そういう話はアイルランドでは日常的で、中世は煉獄があると言われたアイルランドにヨーロッパ中から裸足でお参りに来た巡礼者たちがいたのである(今日もいる)

108 アイルランドプロテスタントは大事な仕事をしている。イエーツの現代ロマン主義の仕事がある。ベケットプロテスタントの出身だが、彼の文学はアジア的だという評価もある

109 この野蛮な国はヨーロッパからなにを学ぶかだよな。防衛費2%?とかそういうマッチョな話ではなくてさ、大学授業料を無料にしなよ

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本箱

改めて我が本箱を眺めると、もう10代のときに買った本は殆ど無いが、まだ生協で100円で買ったデカルト方法序説』がある。ポストモダンデカルトをどう考えるかを語ったのはフーコだ。しかしポストモダンが終焉して絶対的保守主義が主流となるこの時代である。及び腰だが逆らってやるとおもう

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113 戦前の天皇ファシズムは、杉田のように、エリート主義でヒロイズムに溺れていただろうか。女性とか性的マイノリティーに対する差別があったか?何よりあんなに語彙が貧かったか?

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戦前の天皇ファシズムは、杉田のように、エリート主義でヒロイズムに溺れていただろうか。女性とか性的マイノリティーに対する差別があったか?何よりもあんなに語彙が貧かったか?

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高校の教室は元図書館だった。本棚にあった『世界』のバックナンバーを読み漁ったものだ。13年前に東京に戻って読んだ『世界』は未だ米国批判だけだがこれは二項対立の静態では?

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118 磯崎新の廃墟の建築が好きだったのは何故だろう?大学は廃墟でなければいけないと言ったのは浅田彰である。色々な年代の人達が共有しているものー知識と経験ーは大切。差異だから

119 ローマのルネサンスを準備した建築の廃墟に来ると面白い。これは差異である。人類が共有している。差異の共有は、世界文化遺産のように共通であるものを共有することとは違う

120 藤沢にあるミニシアターに行った。街の中に溶け込んでいた。本がある知的な空間である。思春期の私のセックスとは何かを見せてくれる映画館のイメージはこういうものではなかった

121 雲は白い。雲は氷や水を含んでいるので光の乱反射による。えぼし岩は海底が上がって百年前に現れた。一万年前に生活していた人々が同じ雲を見た。自然で書かれている茅ヶ崎

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引用

ライプニッツは、人間の精神というモナドも、神と同様に、不完全であっても全宇宙を映し出し、人間の意志は神の予定調和により実現すると考えた。しかし、私たちが絶対な真理と思っていることが間違っていたり、絶対に実現するつもりだった目標が達成されなかったりすることがある。ライプニッツが信じていた動物の発生に関する前成説は間違いだったし、彼が意図したカトリックプロテスタント両協会の統一は失敗に終わった。予定調和が必ずしも成り立たないのであるならば、神は自らの内に矛盾を含むことになるのではないだろうか。」

124 『怒りの鉄拳』ブルースリーが演じた半植民地時代の中国武闘家のテレビドラマを見た。棒を以って暗殺者の剣を筆の如く動かせて「徳」字を地面に書かせた「中国はやっぱり凄いんだ」

125 仏共産党独ソ不可侵条約ヒトラースターリンが手を結ぶというカオスのためにヒトラーを支持しなければならなくなったのです。大混乱でした。たしか、カミュナチスを絶対悪と言ったことによって一致団結したファシズムの闘争が成立しました。どうしても、独ソ不可侵条約を超えるような、絶対悪についての語りは必要だったのではないでしょうか。だからわたしは今日プーチンは限りなく絶対悪であると考える見方に賛成です。もちろん国際法は大切ですしここから離れてはいけないとおもいますが、プーチンは自分で勝手に解釈した国際法的な立場から自己の侵略を正当防衛のように語っていますよね

126 フランスのヌーベルバーグは男女が車を盗んでは南へ旅していく。アイルランドのヌーベルバーグはアイルランドを一周して出発点に戻ってきてしまう。復古主義的である(笑)

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人間の精神はモナドである。鏡が全宇宙を映し出す。ライプニッツは予定調和的にカトリックプロテスタントの統一を考えた。彼の前はそんなふうに予定調和を語るものはいなかった。

朱子の性理学とおなじで、言語は世界にたいして透明になっているという。モナドにとって問題は何か?柄谷的に言うと、モナドは窓がないことだという。窓とは何か?貨幣的存在のことか

「表象の作用には、モナド間で程度の差がある。物質のモナドは不明瞭にしか表象しないが、理性や魂のモナドは明瞭に表象する。特に人間の理性は、モナドとして、自己を知り、神を知ることができる。」

ライプニッツモナドは全宇宙を映し出す鏡がある。それを描く/書くキャンバスが必要で、描く/書くものは、地域紛争を解決するために、アイルランドの演劇集団フィールドデイにおけるように、プロテスタントカトリックから同じ人数で構成されるべきだと私は考える

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ケルト的、プルースト

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ポストモダン建築の政治性

ブルジョアは世界を作ると宣言した。しかしそうして彼らの作った都市はどうしてかくも抑圧されて住めなくなるのか?ボヘミアン的芸術家アナーキズムブルジョア建築の近代を徹底的に拒んで、建築について脱近代の別のあり方を考えた。問題となっているのは、政治的なこと。ボヘミアン的芸術家アナーキズムは、過去の痕跡を打ち消す過剰な自己「否定」の曖昧さに、ブルジョアの都市のもとではやっていけないと批判する明確さを衝突させたのだ。マネーと技術と開発はどんどん進むが、移民国家的多元主義のデモクラシーはちっとも始まらない。移民国家的多元主義のデモクラシーと批評空間、こも両者は建築において互いに切り離すことができない。この点を日本において問うものこそが、ポストモダン建築の政治性だった筈だが、果たして成功しているだろうか?

 

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新しい普遍主義の再構成

カトリック(公同)という言葉は、元はギリシア語の「普遍的」・「世界的」を意味する“katholikos”に由来するとされる。ローマ教皇の首位権と正統性を認めるカトリック教会が他派と区別するために用いる自称。普遍とは正統である、普遍でないものは異端であるか。学者的議論において、普遍でないものは正統であり得る。アジアで唯一成立した普遍主義の朱子学中国文明からの自立を考えた国学多元主義であるが、和辻哲郎の近代からは、多元主義である宣長国学は正統とされ、篤胤の国学は異端とされた。これをどう考えるか?おそらく、普遍主義は、新しい批判的多元主義の方向を以って、普遍に依存しないあり方が問われる時代がやってきたのだ。この新しい普遍主義の再構成の足を引っ張るのが、正統か異端かの基準ではなく、われわれ自身かそうでないかという「OOファースト」的民族主義である。

131 英米で勉強している中国人は、フーコ『言葉と物』(Les Mots et les choses:)の英語訳The Order of Thingsで読んでいるのだろうか?男性原理の秩序の解体である女性原理を考えさせるが問題がある。ポストモダンは脱原理でなければいけない。そうだからこそ本質は個体的であるし個体的になっていく。社会主義が西欧とは異なる独自に多様なあり方でも、その国家は三権分立がなければ、それは全体国家である。中国はポストモダン的であるとは言えない

132 『グッドバイ・ゴダール』を見た。映画を取るのか、革命を取るのか。『東風』では撮影の仕方について俳優達と議論して多数決をとったが、それは無理なこと。監督は専制君主なのだ。ギロチンで自分の首を落とさなければならない

133 伝記的映画“グッドバイ・ゴダール”を観て伝記本三冊を思い返した。誰がいつどこにいたかを正確に記す伝記は軍事作戦の解説本から派生した。ゴダールの意味は書かれない

134 映画か、革命か?『東風』ではこの問いが極まった。監督は専制君主なのだ。ギロチンで自分の首を落とさなければならない。そうでなければ自分一人で仕事をする(『映画史』)

135 アメリカへ留学する人たちをみると、かつて中国に留学した僧侶を考える。一生懸命に勉強した。仏教徒朱子学の学問的文献を持ち帰った。彼らは鎌倉で幕府のために外交文書を作成したりしたようだ。わたしは米国のことは知らないが、ヨーロッパと共通なものをもっているはずだ。欧米に行ったら、世界文学・芸術論をベースに、ポストコロニアル精神分析フェミニズムを学ぶ。日本は50年遅れている移民国家的の価値多元主義は受け入れなければ新聞を読めない。もちろん死刑に反対するヒューマニズムを持っていなければ日本の中と違ってだれも相手にしてくれないだろう。というか、やっていけない。

 

 

アメリカへ留学する人たちをみると、かつて中国に留学した僧侶を考える。一生懸命に勉強した。わたしは米国のことは知らないが、ヨーロッパと共通なものをもっているはずだ。欧米に行ったら、世界文学・芸術論をベースに、ポストコロニアル精神分析フェミニズムを学ぶ。日本は50年遅れている移民国家的の価値多元主義は受け入れなければ新聞を読めない。もちろん死刑に反対するヒューマニズムを持っていなければ日本の中と違ってだれも相手にしてくれないだろう。というか、やっていけない。

136 “グッドバイ・ゴダール”の中で、晩年マルクスが関心をもっていた代数学で何を考えるつもりだったかを問う台詞が二回出てくる。トータルに、つまり総体の線形性の条件を満たす思考だろう。それに対してポストモダンは自然すなわち非線形性による思考だ

137 契沖のあのなんとも言えない柔らかな輪郭線は、狩野派の輪郭線ほど明確ではないが、池大雅の輪郭線のようには曖昧ではない。折衷とはそういうものではないか

138 国家中心主義の近代は終わった。国家が安定しさえすれば神と皇位に連続性に拠るべしの絶対保守主義でなくていいという意味で国亡に賛成するが、敵基地攻撃と防衛費倍増の国防は反対

139 ゴダールの言説的映画は、ナレーションほど明確ではないが、彼におけるレマン湖的境界線のようには曖昧ではない

140 労働者は貨幣賃金に依拠しているから短期的には実質賃金の低下を伴う雇用増を受け入れるとケインズは考えたが、マネタリズムはそれを認めなかった。長期的に貨幣賃金に同一化しない

資本主義は、短期的には、労働者にとって、不合理でも、不均衡を解決できる依拠できるものが存在するが、ただしマネーと財政を連動させなければいけないが、長期的にみて、合理的であるかぎり、その状態を同一化する構造は無い。しかし合理とは何か、政治にとってそれが問題である。その合理の下ではやって行けない明確なイメージが必要だ

141 茅ヶ崎のアジトにかえってきた。再び、文学機械と共にある。何の意味があるのか知らないでいるが、現実と和解できない時限爆弾としてのアート作品の制作に取り組むか

142 思想の歴史は野蛮の大陸にキリスト教を伝えたアイルランドの役割を認めながらアイルランド自体に思想の発展が無かったと考えていた。ケルズの書にただ文字を装飾していただけである。しかしフーコの仕事によって、文字の装飾が言語の存在を称えていた可能性があったことが気づかれた。ゲール語は話される言語である。たたえられた書かれたその言語はラテン語ではないだろう。たたえられた言語は、バベルの災厄の前に存在した物で書かれた物であると考えられないか。それを復興したのがジョイスの文学である。ジョイスのテクストについて最初に言っておかなければいけないことは、それは読むことができないという点である。『ケルズの書』をみながら書いた『フィネガンズウエイク』は、発見してくれるのを待っている物のようにある。どの文も自分で決めた亡命のアイルランドを指示した一文一文に、全体が部分の近傍にある。人間は感覚を研ぎ澄まして思い出すように、ジョイスの本は国内亡命を探す人々の未来に思い出せと語りかけるのである。ヨーロッパの基層にケルトがあると言ったのはレヴィ・ストロースである。ヨーロッパのギリシャ・ローマとは別のあり方を問題提起したが、しかしこれは極右翼を助け得る危険な言説でもあった。自立的一国言語(母国語)に閉じ込められてはいけない。

143 日本語を大学生に教えたとき、アイルランドが日本語をどう聞くのか興味をもった。言語の音の全体的な配置がわかる。わたしが気がつかなかったことも指摘された。ところでサンスクリット語ではアーチャーリヤ(आचार्यः [ācāryaḥ])、漢字音はアジャリ(阿闍梨)。どうして?そう聞こえると気持ちがいいとしかわたしは説明できない。

144 法事の坊さんが故人の話をしてくださいと言っていた。それが場所を正すことになりますからと言う。と、わたしは元号に反対していることを親戚の前で話していた。何か集会みたいだが、義理の父は戦争で苦労していて反対していたのだ。しかし場違いかなと思っていたら、義理の母が、勤労奉仕のときに校長先生が御真影の前で教育勅語を読み上げた記憶を語り出した。毎日天皇に感謝しながらの勤労奉仕ばかりで勉強もできなかったらしい

145 五山文学の漢詩は、海とか空に、分節化されない己を投射しているかのようである。しかしほんとうに海や空が声におけるようにそういう自己自身でしかなくて、もので書かれたものではなかったら、他者に何かを伝えることがないだろう

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147 朝寝したい。物で書かれたものを起きずに考える。尚書を読んだ儒家国学である後期水戸学は、物(天皇)で書かれたもの(聖人)を考えた?類似していたから?未来を思い出す

148 物で書かれたもの。神(カミ)で書かれた神(シン)。復古主義における未来を思い出す類似の想像力。これは芸術家が和解できない現実を構成した起源に絡みとられる主体の思考だ

149 日本人はコミュニケーションが欠けると言われると軍国主義的規律を以って克服する。こだわりを示すからつまらないのに原理主義的こだわりを示してどんどんファショ的になっていくか

150 国の力はそれが持つ美術品の多さであるとサイードは言っていたのに、国宝を維持できずに、<どうだ凄いだろう>と「クールジャパン」のナショナリズムが叫んで至福の極みである

151 極右翼は国会を攻撃しているが、それはうまくいかないだろうね。そういうことは左翼が既にやって失敗を証明した。現在その左翼は中央銀行に抗議しにいく

152 いまヨーロッパで、植民地時代にアフリカなどから奪った文化財を、もとの国に返還する動きが広がっている。日本も五百年前から朝鮮と中国から奪ったものを返さなければいけない

153 知識人は故郷がない。日本知識人の土(地)に対する執着は世界で例をみない。これが不合理なものでないとしたら、<神道に救い無し>に対する民衆救済の言説を語ってきたのか

154 遠近法の原罪とは此方からみえる彼方が小さくなってしまう点にある。この体制はいかなる条件において成立したか?レオナルド・ダビンチの宇宙の中心に来た女性によってである

155 仏や伊で十年修行すれば料理をもつ。私も十年以上外にいたのに思想を持っていない。普遍という名の脱普遍の批判的多元主義を考え始めたが神の問題と向き合っていなければ意味がない

156 今日は六年ぐらい行っていない三浦半島にある父の墓参りするか。私も父の遺骨が撒かれる湘南の海が死に場所になるのだろう。その帰りに、鎌倉の野菜市場に行くのもいい。

157 フーコはデカルトについてアイロニを書く。我考えることができるものを考える、ゆえに我ありと読む。近代人は起源を考えることができないから、信じるしかなくなるという

158 林達夫といえば、アイロニの精神。アイルランドの文学的書き手が綴った一行には少なくとも四つや五つのアイロニあり。有りの儘に一頁読んだら、すげー性格が悪くなっていると思う。

昨夜は鵠沼海岸近くにあった林達夫の庭について思った。戦争批判の庭を伝統的日本讃美の庭と軍部は勘違いして『作庭論』出版を許可した。藤沢市はなぜ残せなかったのかな

157 普遍という名の脱普遍の批判的多元主義を最初に考え始めたのはカラバッジオだったとおもう。飛ばない天使を描いた。神と平等の問題と向き合っていなければ意味がないと考えたことも

158 ヘブライ語聖書の英訳について説明した本を立ち読みしていたのでユダヤ系店員から不気味がられていたが、カフェで本ばかり読んでいた私を聖人だと教会シスターズが祈っていたらしい

159 バロック絵画は、理念が遠くに行き過ぎる高慢(光)を闇がおさえこんでいるようにみえるが、その理念性はまだギリギリの理念でしかない。極限的に豊かなもの(光)と、極限的に乏しいもの(闇)との対比のあいだに立っている人間を語っているとみるべきか

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MEMO

軋轢は激しく、漢人はさらに華南から東南アジア、アメリカなどへ移民として流出していった。

・土司は、元代以降、中国と直接境界を接する諸民族において、ある民族が一国を形成しないまま、分立する各地の支配者が個別に中国王朝と交際する場合に、州・県の知事職や、衛所制にそった軍事指揮官の称号を受けた者たち(羈縻衛(きびえい))を指す。清においては、さらにこれらを区分し、軍事指揮官の称号を受けた者たちを土司(aiman i hafan)、州・県の知事職を受けた者たちを土官と呼ぶ。
なお、土司・土官における「土」とは土着の意で、先祖伝来の所領において世襲でポストに着くことを指す。科挙を経て任官する官僚が、出身地のポストに赴任することが禁止され、数年の任期ごとに各地のポストを転々としたのを指して流官と称するのと対比した表現である。
これら非漢人世襲の諸侯領を廃止して中国に組み込み、科挙官僚である流官を派遣して統治する地域に改めることを「改土帰流」と称する。ーWiki

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ラス・メニーナス』はピカソによって再構成されている。幾つもの作品がある。ピカソは仮面に大きな関心をもっていて、『ラス・メニーナス』は仮面だったからではないかとする説があるのが面白い。絵を見てすぐ気がつくことは、ヴェラスケスが明確にした部屋の内部/外部の区別は無くなっている。画布は斜線になっている。画家の姿は無い。「極めて豊かなもの」(暗闇に現れる光、色、表象的形象)と「極めて乏しいもの」(闇)との対比がある。両者は仮面(=絵画)において互いに切り離すことができないが、われわれは思考の順序として顔の下にある「極めて豊かなもの」(仮面)から見始める。「極めて乏しいもの」(顔)を後にみる。「これは何か?」の問いの答えがひとつの原理によって支配されないようにである。

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利休の切腹の原因は諸説あるが、リアルな権力者に近づくことは危険であることは、昔も今日もおなじではないか。芸術の世界が同時にいかに成立と消滅に関わっているかを作家は書く

利休の切腹の原因は諸説あるが、野上弥生子の小説では「唐御陣」の無謀な出兵を咎めたとされているようだ。思想的には、西欧もアジアも外部へ出ていく世界システムの成立の時代だ

163 はっきりしたことは、平和憲法で日本人は変わったというのは幻想であったこと。戦争神社公式参拝の効果があったこと

穏健に喋る知恵もありそうな美容師コンサルタントの男がYou tubeで喋っていました。防衛費増大は日本人が考えるより大変なことが起きているかもしれないので仕方ないと。わたしは驚きました。反対じゃありませんか。日本の防衛費増大が他国への脅威となっている、このことが「大変なこと」なのですよ

盧溝橋事件のように自己の攻撃を過小評価し他者の攻撃を過大評価する日本人。自己の集団的自衛権の行使で、日本が攻められてないにもかかわらず敵基地攻撃を日本がやるのである

戦前の文学を読むと、戦争がやってくるまえは、軍事費の増大と貧富の格差の拡大が一緒に進行している。

戦前の文学を読むと、戦争がやってくるまえは、軍事費の増大と貧富の格差の拡大が一緒に進行している。

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縁があって高台寺の和尚と一緒にお茶を飲んだことができただ、茶道も仏教にもあまり関心がない。だが16世紀の町人階級が利休がそうであるように仏教をどう理解したかは興味がある

堺からきた京都にきた伊藤家は材木屋で、伊藤仁斎は上流階級に属していた。17世紀の伊藤仁斎は、儒学の『古義堂』に学びにきた貴族達から仏教的な道の意義を説かれた可能性がある

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「宗易」が法名である、利休の名は「利を休む」の意である。16世紀の利休は草庵露地の詫び茶の理念性を我が物にする。野上弥生子の小説では、魚問屋の主であった利休は毎日必ず帳簿に目を通した。茶人と商人、この両者は利休において互いに切り離せない。利休を自分達の茶頭とした、信長と秀吉は、堺の商人の力を必要としたのである。17世紀は学問(儒学)によって脱階級化が起きた。『童子問』は有限性に即してカント的理念性が要請されてくるあり方を読むことができる。16世紀はそれまでの歴史に大きな知の境界線を引くことができる。アジアの知識革命である17世紀が京都において始まる

伊藤仁斎孟子なので易姓革命の考えをもっていたのだろうと思われるが、仏教的語彙である道を強調したのは、徳川幕府から警戒されないようにという貴族達のアドバイスがあった

168 憲法改正自衛隊を外部に出れないようにして台湾と東アジア海情勢について会議するという形があったと思うが、反中の安倍の視点から台湾を守るということになってしまったらしい

169 カントを考えるためにデカルトからカントを語るよりは、ポストモダンがやったように、外部に出たデカルトを考えるためにカントからデカルトを語ったほうが面白い

170 カントを考えるためにデカルトからカントを語るよりは、ポストモダンがやったように、外部に出たデカルトを考えるためにカントからデカルトを語ったほうが面白い

171 利休の切腹を描写した場面が気になるので数百頁先を読んでしまった。実際は秀吉の決定の知っていて、処刑を告げる使者がくる前に、風呂の中で手首を切って自害したらしい。『秀吉と利休』の書き出しは朝風呂からだったことをおもう。野上弥生子は事実とは別に大広間で利休が切腹した文を書いた。介錯の様子を読んで、アイルランドに上陸してきた野蛮なバイキングが僧侶達の頭を棍棒で砕いた話を思い出した。一振りで1000冊の本が失われたと言われた

172 利休の切腹が気になるのでこの場面を描写した数百頁先を読んでしまった。実際は秀吉の決定の知っていて、処刑を告げる使者がくる前に、風呂の中で手首を切って自害したらしい。『秀吉と利休』の書き出しは朝風呂からだったことをおもう。利休の肉体を書いた本である。野上弥生子は自害の事実とは別に、大広間で利休が切腹した文を書いた。介錯の様子を読んで、アイルランドに上陸してきた野蛮なバイキングが僧侶達の頭を棍棒で砕いた話を思い出した。野蛮の極み。棍棒の一振りで1000冊の本が失われたと言われた

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フーコの仕事だが、外部に出たデカルトを考えるためにカントからデカルトを語ろう。それをアジアの日本思想はどう考えるかを明らかにすることが私ができることかもしれない

174 フーコの仕事だが、外部に出たデカルトを考えるためにカントからデカルトを語ろう。それをアジアの日本思想はどう考えるかを明らかにすることが私ができることかもしれない。
思考できないものを思考すること。それは、漢字が無言に占拠している『古事記』から逃れる漢字エクリチュールを考えることだ。つまり外部性の頑固な形態において考えることである。中国知識人と朝鮮知識人と彼らが育てた日本知識人(1000人の太安万侶たち)が『日本書紀』を書いた。『古事記』の成立は『日本書紀』と共にある。漢字を借り物と考えるような起源の思考は、日本人の起源的偶像を作ることでであり、移民国家的多元主義の時代にあって時代遅れのものである

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戦争は私達の眼差しを私達の欲望にかなう世界に置き換える。戦争神社公式参拝してきた、「反撃能力」と語られる日本人の侵略の欲望。安倍の夢を叶える

176 [...]カロリング王朝の核となる地帯—フランス東北部とドイツ西部—は、まさしく、古典という観点からすれば、一種の文化的真空地帯を代表した。(E.パノフスキールネサンスの春』)

177 「無誤謬の神話」を考えた東大や早大の学生の70年の運動の失敗の後は近代を問うた。周辺大学が担った反(脱)原発運動は挫折したとき「間違っても自由に喋らせてくれ」と初めて言った

178 「恥を知れ」と言われても、「自分は潔癖だ」と思っているのだろう裁判官は、問題はそこではないのだが、あの潔癖感はどこからやってくるのかと不思議である。国家からか?

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Godard deuil 
ゴダール喪中
子供に抱えられた死に装束
言語は投射を表象する死に装束に絡みつく

映画とは何かについて学者的議論があった。視覚に依存した映画に思考を取り返すのが古典的デコパージュを擁護したゴダールの思考の形式だった。頑固な外部の投射としての思考の形式を表象しなければいけない

180 秀吉が利休に腹を切らせた理由は何か?処刑によって、秀吉の権力に文化が従属した。それは、京都から連れ出した文化権力の天皇への権力の集中のように隙間なく覆い尽くした全体だ

181 

本質なき分節化のような..

「彼が取りあげたり、湯を入れたり、すすいだり、拭いたりするというより、道具の方からそれぞれに動いて、運びをつくって行く。絶えず淀みなく流れる水を、あの水、この水、と指し示すのは難しいように、・・・利休はちょうど軽い小舟が水のままに浮き、流れるに似て、眼に見えない自然な作用に淡々と身をまかせているの過ぎず..」(『秀吉と利休』野上弥生子)

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不況が深刻な英国は現在ストライキで救急車が来ない。救急車が来なくて自宅で心臓発作で死ぬ人も。Brexitの保守党政権が続いて、発展途上国みたいになってきたと言う人もいる。

G20ロンドン開催に抗議したデモに参加したが、これでサッチャーリズムの労働党政権を倒したら、保守党が政権を取ることになるがそれでいいのかと問われた。責任を感じる

183 救済されることを信じることは思考できないものを信じることである。救済されないことを考えることは思考できないことを考えることである。ダンテは愛によって天へ行けると考えた

知識人は自己なら救済できる。しかし知識人は他者(大衆ー日本人)を救済できない。不可能だからこそ救済は意味があるのだ。親鸞は救済をはじめて語った。彼の前は誰も語らなかった

184 西田幾多郎吉本隆明も最後は親鸞だ。日本知識人は親鸞に行きつくのは何故か?知識人の親鸞は『教行信証』で救いに対する無力を書いていた。日本人は救われない。これではないか

185 利休のこちらからみえるあちらとは、草庵露地の詫び茶の理念も金ピカの茶室を可能にした秀吉の交換可能なあり方だったのではないか?利休が依拠した東アジアの普遍主義を侵略した

186 英語圏の国に暮らしていて思い悩まされたのは、英語で考えても漢字でなければ精神的価値のあるものかと。これは仏教は翻訳漢字で伝えられたことによるか。ドイツ語のカントの英訳を読む時もそうだ。英語で読んでもフランス革命を経験したフランス語でなければ政治的に価値あるものなのかと思ってしまう

187 年金問題でフランスで100万人がスト。移民の暴動のときは、パリは車が焼かれる。ロンドンでは人が殺される。ロンドンの移民は心底、英国を憎んでいるからだと言われる

188 同感

「私の眼にはサドという人間が規律本位の社会、つまりきちんと時間割がなされ、空間が基盤目状に区切られ、服従と監視の体制がとられた規律ずくめの解剖学的な階級社会に特有のエロティスムを仕立て上げた張本人だとさえ見えなくもないんです」ーフーコ『サド、性の法務官』

189 「理先気後」は、理気の両者は人において互いに切り離せないが、先ずは理からという思想を言う。しかし気=芸術家だとして、芸術家は理の共和国から追放される。朱子学の無理を思う

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ネットの時代の独裁者

商社の人に見られる現象ですが、企業戦士のときは日本を売ってもいいと語るほど「自由」ですが、引退すると、殆ど例外なく、異常な愛国者になりますね。反動というよりは、長い眼でみると、フリーマーケットとウルトラ右翼は両立するようです。逆に言うと、ネットを利用する右翼が何を企んでらんいるかバレバレになってきたんですがね。
「孤独の病」だなんて、心の中を分析してもうまくいかないのではないかと思います。むしろ反対に、ネットによって、「孤独な人」は消滅したのではないでしょうか。しかし映画の話題を投稿しても、全く反応がないのは寂しく思います。
ただ媒体は媒体、問題は戦前との連続性を回復する高まってきたナショナリズムではないですかね。
最後に気になるのは、ネット形成に関わる人たちが独裁者敵パーソナリティをもつという指摘があります。マスクとかひろゆきを思うのですが、嫌な感じですね。
マスクについて色々苦労してきた記事をちょっとだけ読んだことがありますが、ビジネスについて正直詳しく知りません。ただしそのように指摘されているのを知って、彼のマスコミ批判(非難?)はどういうものなのか考える必要を思いました。普通の意味では、独裁は権力の集中を意味すると思いますが、ネットの時代の独裁とはなにか?新しく意味が違ってがくるのでしょう。
最後に、独裁者的ではないですが、中国はすごい、カネと技術と開発を無条件にたたえるホリエモンみたいなひとをみると、アジアは全然民主化しないことに危機感を感じないような独裁の共感をもつオピニオンリーダーの存在を思います

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192 問題は、自然に関わる経験ー何でもかんでもカネがモノを言う一国市場神話の破綻ーが必然的な諸判断ー国家中心主義の帰還ーを生じさせるがいかにして可能かではない。グローバルデモクラシーが要請される

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194この国は戦争ばかりしている

195 朝ゴミを出しに行く。子供の通学する時間である。彼らはテラスの中に立てかけてある自分の絵を見て道に自由に落書きしている。こどもたちがどう理解しているか何だか楽しい

196 アイルランドの知識人はジョイスのキュプロスについての語られ方を注目した。ジョイスは反ナショナリズムとされてきたが、彼のナショナリズムの理解はそれほど単純ではない。イギリス人のヒューマニズムからみると、アイルランドナショナリズムは単眼のキュプロスである。しかし帝国主義者がベルギーの住民を鞭で打つという記事に涙を流しているのは嘘ではない。すでに、ギリシャ時代に、キュプロスについての語られ方が変わったらしい

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198 スコットランドは英国のために帝国化することを拒む。何故イラク戦争イラクの民を爆撃するためにその税を負担しなければいけないのか。権限譲渡で事実上独立していると言われるが、独立の国民投票が必要なのだ。また北アイルランドも、誰がアイルランドの為に考えるかというと、それはアイルランド人自身であって英国ではないのだ。

199 満洲国の五族共和国の理想はインチキなほど高慢だったが、中国における飢餓の解決に役立つことはあったかもしれないが、結局帝国化して日本の中国軍事支配の外交?を裏付けたんだよ

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197 思想(史)は思考できないことを思考する。芸術は表現することを思考する。表現とは何か。時枝は枠組みを超えるあり方を表現と呼んだことは参考になる

198 戦争体験は伝わらないものでなければ、戦争はピカソゲルニカにおいて描かれているように、思惟の表面に書かれていないから、忘れられてしまうのではないだろうか

199 国鉄分割民営化ー国鉄の解体ーは80年代中曽根政権が行ったものでした。これは、組合的なものの消滅以上のものを意味しました。つまり従属しない日本の消滅を意味したのです

従属しない日本の消滅は80年代の中曽根政権に始まり、福島原発の爆発は2000年小泉政権に始まっていた。絶対的保守主義はこれから日本の主流となるのは安倍政権によってである

200 野上弥生子の小説を読むと、秀吉をはじめ家康とか他の大名は茶や能謡などの芸事で忙しいんだね。戦国大名の彼らは元々、京都に守護大名として居た。京都の貴族から馬鹿にされながら歌を作ったりしたのだろう。応仁の乱を契機に、守護大名は国に戻った。そうして彼らの持ち帰った文化と共に、沢山の小さな京都が日本中にできたという仮説はかなり説得力がある。「秀吉と利休』では、天皇や貴族の記述は殆どないが、僧侶と町人が登場する。彼らは秀吉を囲んでいる。利休は秀吉に必要とされたし利休は草庵露地のわび茶の理念や金ピカの茶室を作るために秀吉を必要とした。

201 現在も、芸術に触れたら、日本の中にいたいとは思わないのである。外に出ていく

202中国の帝国(明)の崩壊は、アジアのコスモロジーの終わりを意味しなかった。条理学の三浦梅園においてみられるように、形而上学の思考に経験性の領域が与えられる。古学が成立する

203 野上弥生子は利休が手がけた庭園の描写が見事なのだけれど、日本庭園というのは扇子ー何か光と暗さを折りたたんだ襞のようなものーを開いた広がりなんだな。言葉の曖昧な領域である

204 野上弥生子は利休が手がけた庭園の描写が見事だとおもう。日本庭園というのは扇子ー何か光と暗さを折りたたんだ襞のようなものーを開いた広がり。言葉が自ら逃れる曖昧な領域である

205 光の裏側もあるし闇の裏側もあるが、光の裏側が闇、闇の裏側が光というように、再び光と闇を構成するわけではない。光と闇は裏返せない平面を占拠する硬い外部性によるからだ

206 

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アジアの政教分離とはなにか

室町の権門体制は天皇と貴族と寺社の支配だ。明治の新権門体制は下級武士・軍人・官僚・宗教家が加わった。明治日本は江戸よりも平等が進んだのは勘違いで、支配者が増えて不平等は拡大した。江戸も平等についての思想があった。公共哲学もあった。ただ西欧のように平等を実現する方法を論じることは、武家政権だったから危険だった。明治はヨーロッパ思想によって平等を実現する方法を論じた。しかし明治は不平等を解決したのでは全然なかった。自由民権運動は敗北し、国会は政府が作ったのである。
日本の歴史において中世以降は天皇は文化権力の中心にいる。徳川日本の武士政権は天皇を京都に幽閉することに成功した。津田左右吉によると、これは政教分離を意味していた。ところが明治維新のとき薩長は京都から天皇を連れ出して、王政復古で、文化権力である天皇に政治権力を集中させてしまった。これは何を意味したか。日本人の心のなかに政治権力の網目がはられることになったと考えられる。明治は元勲は天皇を利用しこれをコントロールしたが、大正には元勲がいなくった。昭和10年代は国家祭祀で死の権力を主宰した天皇ファシズム軍国主義とが同じ方向を向いた結局、「おまえは非国民だ」と指さされたら逃げ場がなかったと証言される。総力戦の時代とはいえ、とりわけ日本の戦争が悲惨を極めたのこのことによる。

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ユリシーズ』の中でステイーブンは歴史の悪夢から目を覚ましてくれと叫んでますがね。日本の場合は、クーデターで成立した近代国家日本は「正しい始まりを持たない」。「正しい始まりを持たない」歴史が反復する

人間がただ自分自身の魂の怪物と戦うだけでよかった最後の平和な時代、ジョイスプルーストの時代は過ぎさりました。カフカハシェクムージルブロッホの小説においては、怪物は外側から来るのであり、それは《歴史》と呼ばれています。ークンデラ講演「セルバンテスの貶められた遺産」

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水平的平等は生まれの平等をもって平等が主張される。政治的平等である。平等は水平的平等だけでなく江戸思想において論じられた垂直的平等ー天下的平等もある。私の理解では、色々なアイデンテイテイがそれぞれが責任をもつ天に向かって平等とされる。独立した国家がない倫理的平等である。

211 安倍は台湾を守ろうとしたのは反中だからだった。それに対して、われわれが主張したいのは、台湾を守るのは破綻した国家日本が目指す新しい理想であるからだ

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『言葉と物』で言われる<物>とは、上に行ったり下に来たりするもので表象される「道」である。仁斎は「路」と呼んだが天地の往来を「道」と『尚書』が呼んだ再発見でもある。ところで物に残らない神とは何か?物で書かれた物に見出されない鬼神とは?鬼神は亡霊であるが、これは世界を照らし返す精神なのか?

212 

ラッセルのスピノザの評価は高いんだよね。

スピノザの神は数学みたいだと言うんだね。スピノザの神は人間のようだと言われるけれどそうではない。数学はわれわれに関心を持たないように神もわれわれに関心がない。無関心な神は数学は人間でもないし宇宙の全体でもないように人間ではなくまた宇宙の全体ではない。

"I like mathematics because it is not human and has nothing particular to do with this planet or with the whole accidental universe – because, like Spinoza's God, it won't love us in return."

スピノザはモーゼをイメージと関わる預言者と考えた。これは論争を招いた

"If I had as clear an idea of ghosts, as I have of a triangle or a circle, I should not in the least hesitate to affirm that they had been created by God; but as the idea I possess of them is just like the ideas, which my imagination forms of harpies, gryphons, hydras, &c., I cannot consider them as anything but dreams, which differ from God as totally as that which is not differs from that which is."

213利休の切腹は、大徳寺にあった彼の木像が理由だという説もある。寺内の公の所に設置されたのを私物化したと憤慨した秀吉の様子を小説は描いているが、「公」って何だったのだろうか

214 岸田の耳はロバの耳。私も自分ほど他人の話を聞く人間はいないと思っていましたが、「この人に何言っても無駄。何も聞かない」と言われ続けました(ちゃんと聞いてるでしょう)

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わたしのような思想アマチュアスピノザをどう読むか

スピノザといえば、普遍主義のチャンピオン。だから『エチカ』とかラテン語で書いたしまた書かなければいけないとされていました。メモで、「この言葉で」書いたらもっと上手く自分の考えを伝えることができるとオランダ語で書いていました。「この言葉」とはヘブライ語語でもオランダ語でもなくてラテン語だと言われていました。これは普遍主義についての語られ方ですね。ところが、ポストコロニアルの時代ということもあるのでしょう、「この言葉」はイベリア半島から来た祖父が使っていたポルトガル語ではないかと考えられる可能性があるのだそうです。
そこから、普遍主義について考え直すことになりました。普遍主義はひとつではないということとか。普遍の多様性というか。朱子学も普遍主義ですよね。
現代中国語をフルに読める溝口先生は大プロジェクトで朱子の役を作っていますが、立派なことだとはおもいますが、12世紀の朱子より近かった17世紀の江戸時代の朱子学の理解の方がほんとうではないかと考えはじめました。特に鬼神論についての議論ですねー鬼神など迷信深いものに絡み取られてはダメだという近代主義的解釈をとるのです、溝口先生は。古学は、生と死との切り離せない関係を前提にして、プライオリティとして先ずは生から物事を考えようというものです。南先生は日本儒学の漢文書き下し文をインチキと読んでいたそうですが

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スピノザをたたえましょう

あれだけの大思想は商人のスピノザがどうして到達できたのか謎ですが、当時ヘブライ語聖書を読む知識人たちとの交流があったようですね。聖書は神が単数形だったり複数形だったりするらしいのですが、哲学ではこの矛盾を論理的に解決しなければいけませんが、論理が問題とされない文献学においては書いてある通りそのまま読めばいいのだと言っていたそうです。ま、宣長は文献学でしたが、篤胤は哲学的・神学的でした

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219 アイルランドの西岸へ行くと、ケルトの民が来た所に来る。崖。海。岩岩。先住民は消滅していた。その古代の人々がやったように、ケルトの民も海からの強い風を岩を積んで防ぐ

220 アイルランドの不毛な西部へ行くと、絞りは何か、アングルは何かわからなくなって自失呆然。ここであなたはフォードのように強力な物語を作るか、ベケットのように物語を書かないか

221 「奇想」は「因襲の殻を打ち破る、自由で斬新な発想」とされる。円山応挙における、描かないもので書かれる差異としての余白。しかし元々の描き切った中国画の構想力も凄いとおもうよ

「奇想」は「因襲の殻を打ち破る、自由で斬新な発想」とされる。円山応挙における、描かないもので書かれる差異としての余白。しかし元々の描き切った中国画の構想力も凄いとおもう

222 黄昏のなかの富士山の姿は濃淡だけで日中に見るくっきりした線がない。此方からみえる彼方は線がない。線のない世界を考えることにどんな意味があるのだろうか

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分割しない線を見る?

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おそれながらわたしのGodard deuil ゴダール喪中も

「似絵であり、模造であり、表現であり、表象である書物は、みずからの起源——また規範(モデル)——を自身の外にもっている。すなわち「事物そのもの」をもっている。」ーデリダ『散種』

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東部13州と連邦制の歴史、ニューディール最高裁のあり方(司法積極主義と消極主義)、大儲けした日本との戦争、これらが米国の連邦制を形成しているが、その連邦制は国家をモデルとしている点でウエストファリアー体制にもとづくと指摘しているのはネグリとハートである。この国家に乗っかって、世界資本主義が量子力学的にグルグルと回転してスーパー稲妻を発しているいるというのがアメリカのイメージである

中絶の権利が政治的問題となる現在の米国を理解するためにはトランプの登場だけでなく東部13州と連邦制の歴史も理解すべきだと宮台は語るのは本当だ。原理主義国家の出発がある

イラク戦争について戦略的に反米主義を訴えるやり方はリベラルが「あり得ない人」を擁護しているという感じである。だがもっと単純に愚鈍でなければやっていけなくなるのではないか

 

マルチチュードスピノザ論の文革を評価する文は疑問だ。資本主義は暴力革命によってしか倒せないと言って、ピケティ が提案する社会的コントロールの民主主義をしなくていいのか

 

他との相互関係で豊かになる文化を排除する差別主義者の憎しみは痛さ(物理的な)である。国家日本のアイデンティティがあるとして、彼らのアイデンティティとする『日本書紀』は中国知識人と朝鮮人と彼らが育てた日本知識人が書いたものである。『古事記』は先行する中国の漢字文明の成熟なしには成立しなかった。外部との関係を持った『日本書紀』『古事記』に書かれた漢字の豊かさを無視して、漢字を借り物としてしまうのは、オリジナリテイ(固有性)にこだわる貧しい孤立である。しかしこのような孤立をすてて、他者と共にある愛に戻って来る必然がある。なんといっても、孤立は身体を傷つけるからである、愛は、スピノザ『エチカ』で語られている、存在としての共通のものではないだろうか

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反中のくせに一帯一路を褒めていたのは愚か者だと思った。またこの人は北一輝社会主義を国家に託したのに、国民に託したと喋っていた。明らかに反権力的だが権威的なんだね

228 私の母は何十年付き合っている人を毎回初めて会ったかのように挨拶するし、全く見知らぬ人をずっと知っている。しかしこれは一つのことが二つに現れているのかも。絵で表現できるか

229 ドンキホーテは風車に突撃した。オランダが風車に書かれていたから。近代は意味されているものが違うと考えるが、彼は書物ー物で書かれる物の世界に生きているからリアルであった

230 中国画に余白があるが、余白を飾っているのは円山の日本画からだよね。小津映画における空のショットもそんな感じで、transitionを飾っている

240 飾るものと飾られるものとの関係が逆転するところが面白いよね。飾るもの(利休)と飾られるもの(秀吉)との関係も安定していないことを小説を読みながらおもう

241 仮名なんて漢字の文を読めように作られたのだ。それがどういうわけで日本語の起源になると言われるのか?捏造された起源では?宣長の答えは、『古事記』と私が向き合うだけである

242 谷崎の『細雪』の書き出しは、「「こいさん、頼むや。」鏡の中で、廊下からうしろへ入ってきた妙子を見ると、自分で襟を塗りかけていた刷毛を渡して、そちらを見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据えながら」。まるで文楽の舞台みたいだ

243 古代は男尊女卑はしょうがないが、能力さえあれば当たり前として女性天皇が成立した。『古事記』の完成と遷都を行なった。近代の男尊女卑はいくら能力があっても天皇になれない

244 ダブリンは本を鞄の中に入れずバンドでしばる。10冊縛っている人もいる。カフェでどんな本を読んでいるかわかる。声をかける。what is Dublin? profane

茅ヶ崎はずっと風が吹く。大きな白い雲が動く。空気がいい。茅ヶ崎は船である。

245 『秀吉と利休』は放蕩息子を書く。家業を継ぐつもりもないし、父兄達のように茶の道へ行く気持ちもない。女と南蛮船で逃げるか、倭寇にでもなるか。昔は映画館がなかったからなあ

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アジアのなかの日本であることは意味がありますが、はっきり言ってしまうと、日本はヨーロッパと全然違う方向に行くと失敗してしまいます。文化多元主義に遅れた日本は50年ぐらい時代遅れです。ひとりひとりがマイノリティーである時代なのに みんながおなじである国家でなければいけない変わらないあり方を選択しているかのように考えていますが、根源的誤謬です。日本人はこの50年間、何の感性の成長もありませんでした。国が変わらないことを望むかのように政治家はいいますが、それは捏造された起源です。それは、絶えず発明しなければ化石になってしまうことを知っている保守主義ではありません。現在の自公民を支持する日本人は他者との交流を通じて豊かになる文化を拒んで、生活手段に隷属している動物とおなじです。

247

正しいことを自由に言わせてくれ
間違っても自由に言わせてくれ

248

右翼も『構造と力』を読むという意味で、フーコ『言葉と物』と同様に、古典となりました。構造主義は消滅しましたが、ポストモダンも日本において絶滅の危機。絶対的保守主義の近代が主流になろうとしています。『構造と力』 はこのような40年後を考えていたでしょうか。
安倍の体制はいきなり来たのではありません。それは1980年代において構想されていました。靖國公式参拝と、解釈解決による軍国主義国家神道の復活。原発体制から核体制への移行。皇室に依存しない天皇教は、絶対的保守主義(国が安定していれば、神と皇位との連続性に寄るべし)ともに、自民党LGBT否定の本質主義に体現されている

249 2683年前の神武天皇を祝う今日は神と皇位との連続性を教える。かくも捏造された起源を指して、 LGBTを排除する岸田は” すべての人が生きがい感じられる社会を” と宣う

250 レバ肉食べた、窓にぶつかる二匹の蝿の交尾を見て妻への思いに耽るブルームのように。この場面は大飢饉を表象せたとアイリッシュの作家が言う。あまりにポストコロニアルな..

251 池大雅の、印象派の絵画のように?描かれた中国の風景画(山水画)は、彼は実際に中国を見たわけではなかった。一枚を見た人が1000人いれば、絵が1000種類増殖していく

252 『秀吉と利休』の最後は、父利休の処刑のあと、放蕩息子が行き場も無くなって老いた売茶にくっついていく。秀吉と利休の天下茶は窮屈であった。心が依拠できる大きな世界を求めた

253

日本人は読書人である知識人が論じた精神を理解できなかった。ドイツ語ではGeist 、英語はSpiritである精神とは何か、これを朱子学的に考えると、精とは、こまやかに、くわしくする。またまじりけのないものを意味する。北宋画のゴツゴツした岩で「精」字で語られるものは書かれると考えてみる。精神は、魄である身においてある<精>と、魂である心においてある<神>とから成る。朱子が体系づけた理気二元論において、魂魄は何方も気であるが、死後の世界を投射できるようになった。ここから、死後の世界から理気二元論を投射したのが鬼神論である。つまり死が生の世界を根拠づけるのである。つまり精神である。さて中国画を語る批評は肉感性と精神性の一体としてあると考えたが、日本人は精神を理解できなかった。批評が語る精神を理解できなかったこの中国画の理解の仕方が日本画を構成していくのではないか

254

ベストセラーの『論語』は、何千年の学者的議論が全く無視されて、社長の自分語りに都合よく利用されているが、原発再稼働を求めた大企業系組合によっても都合よく利用されている。

255

死後の魂と肉体を魂魄という。朱子理気論では両者とも気である。肉体は鬼として地に消滅する。魂は神として天に登る。子孫に祀られる精神Geistとなる。そうしてアジアのコスモロジー朱子理気論によって完全となる。しかし精神は愛するためには肉体が必要ではないか

255 カントを分析してみせたドウルーズを生命論のベルグソンの継承者としてまとめる評価があるが、反対である。カントが語った自らを超える諸機能のあり方を差異として思考したのである

266

論語子路(しろ)に、こういう話が出ている。「教えざる民を以(もっ)て戦うは、是(こ)れ之(これ)(民)を棄(す)つと謂(い)う」と。

この「教えざる」の「教え」について老生は軍事訓練と解釈している。すなわち軍事訓練をしていない兵を使って戦闘するのは、軍事(防衛)力がなく、兵を棄てるようなものだの意。

となると、祖国防衛の基礎訓練は、中・高校あたりから始めるべきではないか。

戦いは死に直結する。『論語』述而(じゅつじ)に曰(いわ)く「子(し)(孔子)の慎む所は、斎(さい)(祭祀(さいし))・戦・疾(しつ)(病)と」。

論語』の実践として、主に教育論の言論、講演活動を行っている。「儒教の本質は、生命の連続を大事にすることである。祖先からずっと伝わってきている生命を後世に伝えるために自分はここにいる。それは自分だけでなく、他人もみんな伝わってきた生命なのだから、それを絶つな」としている。

加地伸行

MEMO
元号を法制化して、存続させることを決断したのが、時の総理大臣、福田赳夫。多く省をおさえていたボス

 

267 権利のない社会に反対!五輪前の築地市場豊洲移転、五輪後の神宮外苑再開発計画、権利を奪うすべての根拠が利権的腐敗から派生しています

268 スコットランド啓蒙主義は、信教の自由と教会を全否定しない。朱子学啓蒙主義も原始儒教の祖先崇拝を捨てなかった。その理性的な独立の考え方はナショナリズムという感じがしない

269 イギリス法の権限移譲で軍事と放送を除いてスコットランドは殆ど独立しているようにみえる。しかしNHKニュースの解釈の中に国家があるように、放送権が問題なのだ

270 ナチススターリニズムを批判する方向は同じである。ところが天皇ファシズムに抵抗できた津田左右吉のような人は文革ファシズムのように漢字知識人を全否定していた

271 学生時代は、戦後の刑法理論が戦前の刑法学説の批判をもっていたにも関わらず「倫理」という言葉を当たり前のようう使われていたので違和感を覚えた。結局刑法学は挫折してしまった。国民道徳論は19世紀の水戸学の国体論的政治神学によっている。その忠君は愛国より強かったから、ブルジョア的になった。全体性としての国民、民族性によって、国民道徳を倫理として再構成したのが和辻哲郎である

272 プーチンは全く信用できないが、日本はまだ米国の植民地だという。東アジアの民主台湾を守るのではなくて、安倍のように反中から米国の台湾を守るつもりでは日本は米国の植民地である

273 

274 高校時代、アジアという言葉が危険だった。大東亜共栄圏の記憶による。「倫理」もヤバイ。「国民」を強調し過ぎてもヤバイ。戦前は倫理は全体性としての国民として再構成されたのだ

275

リアリズムはひとつではない。
円山応挙司馬江漢をたたえましょう。

275

リアリズムを問う

276

277

278 『論語』読みは、「集団自決」をどう理解するかですが、わたしは「集団的自決」の言説に反対します。思想的存在者は強制されるそのような徳なき政治的迫害を避けて、長生きすることが大事ですね。孔子も国内亡命の場所を見つけて現在の日本のような徳なき乱世を批判して、仁(愛)の思想を成熟させました

279 ベケットを読むのは拷問だよね。ベケットは自分自身を翻訳した。必ず彼は先ず作品をフランス語で書いて後で英語に翻訳したのである。ジョイスも自分自身を翻訳する作家だった

ダブリンに引越した次の日はテムプルバーでベケットの一人芝居をみた(モロイ)。なんてすごい所にきたとおもったものだ。東京では観客が来ないのでベケットは上演されないんだ

茶店にきたら、隣で老人どうしが「あそこの映画館は亡くなった」とかウロウロ歩いて街の情報を自分の陣地の如く喋って情報交換している。ベケットの文学を読んでいるようで面白い

300 翻訳といえば、オリジナルの原文に即して他の言語に移しかえること。この考え方では、オリジナルの原文の意味が存在している。翻訳とは、例えば日本語を借り物にしてそれを伝えるのだ。しかし聖書は、世界中の言語の翻訳(天とかのアジアのコスモロジーの語)によって初めて意味が明らかになる。ジョイス『フィネガンズウエイク』もそうだ。初めから意味がわかっているのではない。世界中の翻訳によって、初めて意味がわかってくる。

ゲーデル数もそれ自身は数の無意味な列としてあるが、翻訳によって意味が明らかになる。翻訳によってしか意味が成立しないというか。近代はオリジナル中心主義だが、ポストモダンワールドでは、翻訳が先行するのである翻訳によってしか意味が成立しないというか

301 狩野派の強い線は確信を以ってお城を飾る。文人画家池大雅の境界線をなぞる柔らかい線は分からぬ哲学書を繰り返して読んでいる感覚だ。若冲のジグザグの線は狩野派と大雅の間へ行く

302

「水戸天狗党の乱があります。降伏した八百人あまりのなかで武士は三十数人しかいなかった。武士ではなくて、主導権は百姓、民衆の方にあったのではないかと思い始めています。ただ、彼らがなにを目指したのか分からない。民衆の政治意識は解釈が難しい。」
島崎藤村による小説「夜明け前」に証言されているように、近代化を担った活動家的学者の下級武士の中心に水戸学があって、社会改良を推し進めたのですが、天狗党の乱の弾圧に抑え込まれてしまって、教育勅語的な方向に巻かれてしまいました

憲法学の樋口陽一先生も報告された。「四つの八九年」という論考です(『共和国はグローバル化を超えられるか』平凡社新書、二〇〇九年所収)。一六八九年の権利章典、一七八九年の人権宣言、一八八九年の明治憲法、そして天安門事件があった一九八九年の革命二百周年。この四つの八九年を通して日本を立憲主義の世界展開の中に位置付けた。」

水戸学と民衆は何がやりたかったかについてですが、復古主義の革命の完成ではないでしょうか。近代日本は国学からしか始まらなかったのです。西欧列強による植民地化を避けるために天皇に権力を集中させましたが、しかし大正からはその必要がなくなったのですから、復古主義の完成は、天皇の国家中心主義の廃止です。東アジアの民主化、すなわち移民国家的多元主義だとわたしは思います。樋口先生の見方にしたがえば、天安門事件を活かして、国家の独立を主張しない民主台湾をモデルに日本の民主化を行って中国の民主化を要求することではないでしょうか。

303

All things are words of Language, with which Someone or Something writes day and night the endless nonsense that is called World History. The ocean where the universal rivers of "Finnegan's Wake" join is world history. The sea is hard externality because it is written

 

<多>のポストモダンが消滅の危機にあり、<一>である絶対的保守主義が主流となる歴史世界(現在)に、意味のあるどんな自己表現が起きてくるというのだろうか?他との交流によって豊かになっていく文化を拒む、何の感性の成長がない反中・嫌韓の日本ナショナリズム

I will append here a final world about my logic of the predicate. The historical world, I say, is always self-expressive in the dynamically transformituive structure of the conscious act as the contradictory identity of the many and the one....( Nishida Kitaro; 'Nothingness and the Religious Worldview')

西田幾多郎の最後の著作は「場所的論理と宗教的世界観」(1945)

最近中国のアメリカ大使館に中国人が犬を亡命させてくれと駆け込んでこんくる。職員「肉がないの?」中国人「肉はあるが犬だから自由に吠えたいんだ」。公館は現代のアジールである

『秀吉と利休』はここにつながるんだ..

江嶋の人々は、主をもつことを許されなかった。つまり、逆にいえば、江嶋中の者は、主従の縁の切れた人々だったのである。それ故、外部の争い、戦闘と関わりなく、平和を維持することができたのであった。まさしく、江嶋は「無縁」の場だったのであり、「公界所」という言葉は、この場合も、「無縁所」と同じ意味、同じ原理を表現している。
網野善彦『無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和』

堺は結局、信長の脅迫に屈し、妥協の道をえらび、あたかも多くの「無縁所」が、大名の権力を背景にその特権を保ったように、信長の庇護の下で、「自由」と「平和」を保つ方向に進んだ。それ故、信長の支配下に入ってからも、堺の「公界」としての本質が消え去ったわけでは、決してない。
網野善彦『無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和』

304 宇宙戦艦ヤマトは、初めて漫画本で見たときは、虚空に浮かぶ何か得たいの知れないもので、ダリの電話受話器の上のロブスターみたいな感じだった。やはり近代の滅びの美学を考えた

305

ポストモダンのわれわれは作る近代に絶望している。戦争を作る国とか。廃墟でいいんじゃない、そこで誰も集団自決することなく保たれている色々な世代が知識を交換し合う

306 自然状態への隷従が問題になった所で天命の自由を譲渡して人義の自由を得るのが社会契約論は国家に託したが、自然状態とは危険な核体制と反撃能力の戦争国家だったのではないか

307 反中と嫌韓に、反「文化共産主義」(反ジェンダー平等も反保育行政も反LGBTパートナーシップ)。安倍と日本会議の皇室に依存しない天皇教のナショナリズムを構成するのか

308 『サロメ』は耽美主義でも、ワイルドはそれほど耽美主義に整理できない。彼はアイルランド独立のためにはイギリスから自立した一日を描いた文学を求めたアナキズム理念である

309 ジョイス近代文学は、没落する中流に絡みつくナショナリズムと宗教の問題を書いた。『細雪』はイデーに全く関心がない姉妹達の存在を書いた。谷崎が耽美派と言われる理由だろう

310 近代批判のポストモダンの時代、ロシアも中国も各々、ロシアの語られ方、中国の語られ方に存在する。中国は主権国家の範囲を超えて17世紀の海の帝国に存り、問題を起こしている

311 

原発60年超運転へ「束ね法案」を閣議決定…老朽原発への不安は消えないまま(東京新聞)

安倍もできなかったことをする岸田政権

原発安全神話の解決を推進した政財官司マに再び委ねることは倫理的に不可能でした。だからこそ市民が介入したはずなのですが、「利用の観点」からでやっていけるとおもっているのでしょうか

312 中学校時代は大人気者だったが、全然規則を守らないので、罰で全校生徒の前で体育館の壇上で正座をさせられることもあった。初恋の女の子がソッポを向いている。がーん!宇宙の崩壊

313 関東大震災のときに東京で看護婦だったおばあちゃんは当時、井戸に毒を入れられているというデマを聞いた。ずっと信じ込んでいた。日本人が朝鮮人を殺したのは根拠のない恐怖

314 明治維新の西欧化に反発した儒教ナショナリズムはあったが、右翼が登場したのは、1923 年の関東大震災からである。日本の外の国土とかそういうことを発言し始める

315 寺山映画の撮影監督に、「キミは絶対に俳優になれ。その言葉遣いじゃだめだ。寺山のように青森弁で喋ろ。寺山は日本女子大へ行って青森弁を習ったと言っていた」といわれた。遅いか

316 

英国人のアイロニーのセンスはアイリッシュ移民から影響を受けたらしいね。アイリッシュポストコロニアル系知識人が書く一行にアイロニがぎゅうぎゅう。1頁読んだら滅茶苦茶性格が悪くなりそう。

共同体マインドのスラブ系移民からは嫌われていたユダヤ系。私は大好きだった。ギャングもアイロニーを喋る。「イギリスは良いことはない」、「いやある」、「何だ?」、「天気だ」(ドーン)

フーコ『言葉と物』を訳した渡辺一民先生はポストモダンの精神はアイロニーに宿ると考えていた。物事には必ず裏がある。ベラスケスのラス・メニーナスは此方からみえる彼方ー画布の裏ーを見ている。左回りに見えるものが右回りだったりする(リーマン球の無限遠点から見ると左回りだが、中心から見ると右回りということ)

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318 近代とは何か?明治に作られた靖國神社は近代建築だ。大正に再建された能舞台も近代的である。古代とか中世を必要とする近代とは何か?近代が自らの根拠とする遠い起源を声の力に託すこと、これが近代なのである。

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320 人間というのは寝ぼけている時間が大切だと思う。朝寝坊のデカルトはベッドの中で寝ぼけていたからこそ、どんな明晰な真理も曖昧な狂気がつきまとうことを知った。

321 朝起きると、幼稚園の女に子のように気分屋さん

322 能といえば、織田信長の舞である。テレビでも映画でも、「人間五十年」を本能寺で歌っていたのをみた。野上弥生子の小説『利休と秀吉』を読むと、戦の陣地で一日に何度も舞った秀吉は創作させた『明智撃』のシテである。家康と一緒に舞うこともあったらしい。在京した守護大名は貴族に馬鹿されながら歌を作ったりした。守護大名が自国に戻った応仁の乱によって、日本中小さな京都ができたと考えられる。津田左右吉によると、応仁の乱で中世の名だたる貴族は互いに殺しあって滅んでしまった。守護大名らは戦国大名になったが、僧侶が書いた貴族文化が継承されたようである

321

言説「日本を取り戻す」

戦前の京都学派アジア主義(竹内好)によれば、ヨーロッパに民主主義に関する最高のものがあるが、帝国主義の問題があると語りました。そこで日本はヨーロッパを包み返さなければいけない、それは何かと。それは、国家祭祀ー戦う国家は祀る国家であるーを止める象徴天皇制の平和主義であると私はおもいます。復古主義とは発明です。水戸学の政治神学(復古主義)は天皇制近代国家を発明したのですが、その国家中心主義を止めることも発明できます。そうしてこそアジアと共存する歴史は始まるのですが、しかし伊勢サミットの安倍から、日本は、戦前との連続性を取り戻せとばかり、戦前天皇の島ラピュタという感じで似非理念として高く傲慢に宙に浮かび始めましたね。周辺諸国の歴史を見ずに、靖國神社としての日本人のアイデンティティを言う危険な言説もあります。

322 仮名の日本文学のメインストーリーム?しかし真名の漢詩がある。漢字は強くないが私は漢詩の歴史を考えながらヨーロッパ語を読みたいし、漢詩とヨーロッパ語の傍に絵を描きたいのよ

323 野党もまた、野党の語られ方に存在しています。マスコミがはじめて、「反発」と語ったのです。マスコミのまえに、「反発」を語ったものはいませんでした。現在になってやっと明らかになりました。政府が与えた、マスコミの自己規制を求めるあまりに日本人的な情緒的表現ではなかったでしょうか

324 18世紀日本美術は言説的文から絵が現れる面白さがある。文の傍に絵を描きたいのはどうして?絵は言葉で語られるようには出来ていないからである。しかし物は物で書かれている

325 そうなんです。そう言っていただきましたのは中沢さんがはじめてです(涙)
バブルに責任のある官僚たちは父の世代です。戦前の国民総動員法の時代の優等生で、赤紙がきたのは終戦の日でした。晩年は、理系の大学に行かず、あえて学徒出陣の危険のあった憧れの一高に行くことを決めたときに書いた遺書を読んで感動していた姿は、わたしのような普通の都立高校生だったものには気持ち悪いものでした。出世するため、というか影響力を保って生き残るために、どの政治家につくかということで毎日忙しく世の中を分析していましたが、津田左右吉とか清澤満之とか和辻哲郎の話も時々したので、現在日本思想史の勉強に役立っていますかね。父は福田派の官僚でしたが、機を見て、田中角栄に接近したのが失敗でした。ロッキード事件までは読めていなかったのでしょうね。父たちは、戦後賠償のために働きました。若い父はインドネシアと韓国の賠償のテーブルに着きました。慰安娼婦問題がマスコミで取り上げられたとき、父に聞いてみました。政治家から、「日本に不利になることは一切言うな」と言われていたそうです。慰安娼婦について話されなかったの?と聞くと、「国家公務員は国家の機密を守る義務がある」とつっかえしてきました。そんな大事な真実を息子に話せないのかと、何と言うか、父は軍国主義ではなかったし天皇に対して憤慨を持っていましたが、卑近の存在でありながらしかし接近できない、禁じられたむこうにある国家なんですよね、ずっと。大島渚『絞首刑』の検事を見たとき、彼が抱える無誤謬な全体性の神話のことをおもいました。中国の貴族は宋の時代に朱子のように官僚たちは知識人的官僚になっていくのですが、日本の官僚は知識人的では無い感じですね。平目のふりをする蛸は、わたしの理解では、普遍性を、国家の壺を住処とする全体性としか理解できない視野なんですよね、きっと。ファショでは無いが、市民と市民的理念も見えないのではないですか

326

327 

328 靖國公式参拝とか伊勢サミットは国家祭祀である。ヤスパースの言う「枢軸時代」は国家祭祀との切断によって可能となったと思う。つまり真理の所有ではなく真理の探究が始まった

329 

飛鳥から平安の漢詩を書くのは文章博士菅原道真などの貴族である。鎌倉時代の禅を探究する漢詩とは別のものだ。貴族の仏に求める救いは立身出世である。親鸞の前と後は全く違う

飛鳥から平安の漢詩で短歌からの影響を受けるものがある。王の地位をもつ僧侶階級が葬儀(国家祭祀?) を行う様子をゲール語で書いた詩の翻訳を思い出した。インド起源の説がある

330 ロマン主義が讃える古代アイルランドの詩は海とか山をうたうが、もっと広い知識を持っていたのではなかったか。仮名の文学も目の前の自然を讃える。真名の漢詩は広い知識を持っていた

331 『教行信証』の親鸞は念仏を唱えても救われないのにと書き記していた。親鸞は考えることができないことを信じたのではなかった。考えることができないことを考える知識人だった

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漢詩で読む歴史

文章博士である菅原道真は中華文明の貴族であり、法律用語を使って書いた漢詩を読むと大宝律令の行政官でもあった。天皇を支える知識人であった。天皇は戦争の死者を弔い、知識人は『万葉集』にあるように歌を書いた。古代は昭和の近代が未来を思い出すような天皇と民との直接的結びつきがあったわけではない。貴族が障壁を為した。天皇の権威は文明中国から書物を取り寄せたことにあったが、貴族は知の権力を以て天皇を脅かす力をもちはじめる。

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「物で書かれた物」l’ecriture des choses とフーコが呼んだもの、貨幣は瓦で書かれるものでもよかった。江戸幕府は紙幣の観念があったが結局発行しなかった

334 華厳経はインドの中国化と言われる。これは何を意味するか?中国語の翻訳がインドと日本を媒介した。物で書かれる物、中国語で書かれるインド。中国に交換されたインド

335 異性「愛」についてであれ同性「愛」についてであれ、この国の問題は愛を語る情熱と精神的自由がないのだ。国家「愛」しかないのだ

336 ポストコロニアル的テーマに、演劇に使われることがあるが、嘘をつく公のナレーションがある。映画「マイケル・コリンズ」のラストに「銃の政治は終わった」と語るのはそれだ

337 私の師匠であるドンキホーテは物で書かれている物を読むことができた。風車で書かれていたオランダに突撃できた。意味の網目に生きる人々は書物の世界に生きる師を笑いものにした。師匠は近代という時代になってゲームの規則が変わったことに気がつかなかった

338 アヴェロンの野生児 は森に捨てられた赤ん坊でしたが、傷口を偶然に葉が塞ぎ狼が育ててくれました。「牛乳」では駄目で、「牛乳をください」と動詞を使って言えと求められました

339 トリフォー『野生の少年』の撮影はネストール・アルメンドロスによる。彼は光源は論理的に正当化されなければいけないという。蝋燭の影が写っていることはあり得ない。光は真理だとは言わない。ここが大事

340 演劇の舞台において物を照らし出す照明は欠かせない。観客は気がつかず中心となる光源を探している。光源を作るとは暗闇も作ること。言葉の高慢過ぎる理念を暗闇が包む

342 アイルランドの霊感治療(faith healer)を描いたブライアン・フリールの舞台がある。脱普遍の時代に普遍なき宗教のあり方を問うた。普遍の近代は国家を要求する。戦争する国家悪を知りながら、国家がなければ救われないのか。

343

グローバルデモクラシー知の平和主義

344

帝国知の柄谷行人は植民地化されたアイルランドの歴史だけは検討しないのです。アイルランドの歴史に、帝国主義の軍事支配と帝国の文化的経済的支配の区別がないからです

345 宣長の普遍主義に対する対抗的言説は<神道は救いなし>の原理的言説を語らせるが、これは普遍主義と言えるかもしれない。結局は国家を必要とする普遍主義。脱普遍主義は平田篤胤

346 「喜ぶのジョイス」とか、「燃え上がる緑の木」という言葉を打ち出したように、大江はアイルランドに関心をもっていた。イエーツとかベケットを語った。脱普遍の時代にあってもはや国家中心主義でなくてよいような、一人ひとりがマイノリティーになる共同体のあり方を、「戦後民主主義」と呼んだと思う

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訂正: 七行目は「判事側」ではなく「検事側」です

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カタカナの起源は新羅か?面白いね。東大寺華厳経新羅写経である。全体として、新羅で作られ、加点された写本が日本に渡り、東大寺に所蔵されてきたらしい

349

戦後民主主義の時代は戦前と比べて思想が出てこない。日本思想に集まる人は少なくてみんな憲法に行ってしまうからだ。百年後は文学は大江、思想は柄谷だったと語ることになるのか

350 

片仮名は新羅がルーツか?

「片仮名は新羅がルーツ」「片仮名は日本で発明された」。奈良の人々の殆どが渡来人だったそうですから、結局は同じこと。
中国知識人と朝鮮知識人と彼らが育てた日本知識人が『日本書紀』ー国家日本のアイデンティティーを書くあげ、古典である中国の漢文を読むためにカタカナが用いられ、平仮名が発明されるというのは素晴らしい歴史ですね。結局移民国家的なんですと、日本は歴史的に言って。
最後に、漢字の受容から1000年かかって、江戸時代に古学からは成熟した思考が可能となりましたが、この時代に中国文明からの自立をいう国学宣長が<古代日本スゴイ>といったり<漢字は借り物だ>と主張してみるのも 漢字と漢字の与えてくれた思考力のおかげなんですよ。漢字と漢字の与えてくれた思考力がなければ、<古代日本スゴイ>といったり<漢字は借り物だ>と考えることもできなかったのです

351

久しぶりに来た東京の本屋で買ったヘーゲル『法の哲学』(岩波文庫)を帰りの電車で読んだ。日本思想史で精神について理解を深めたから、読めなかった世界史が理解できる、茅ヶ崎も駅ビルの丸亀でうどんを食べていたら本を置き忘れたことに気がついた。また買うのも癪だし、そこで家にある本たちで面白かった文は何だったか調べる。国家祭祀を否定した象徴天皇制憲法の意義はヘーゲル「法の哲学』によって理解できた

352

第三次世界大戦前夜の平和主義

中国はアメリカとの戦争を考えていて、日本など全く相手にしていないと中国の友人が言ってましたから、安全保障の観点から日米軍事同盟を辞めるときです。自衛隊は日本の外に出ないようにと憲法においてしっかり決めて、台湾との間で東アジア情勢の情報を検討するだけでも抑止力になるのではないでしょうか。中国に属する中国の取り返しではなく、東アジアの部分である台湾の侵略の意味を中国に認識させるべきです

353 われわれ鳥(バード)たちは大江健三郎が考えなかったことを考える時代である

354 私はダブリンから来たと話すとそれだけでヨーロッパの人々に尊敬された。ジョイス文学の英語はこんな風に喋るんだと。日本女子大で青森弁を習った寺山修司みたいなカッコ良さである

355 英米系の憲法の思想は思想の自由のプライオリティについて裁判の歴史に沿って経験的に語るだけで積極的に思想的に語ることはない。絶対的平和主義の思想が大江にあった。問題は、果たして日本人はその憲法の思想を自分のものにした思想だろうか。柄谷に至っては、憲法が存在するだけで、自動的に、改憲を目論む者は敗北させられると言う有様である。果たしてそうだろうか?野党は全て解釈改憲である。私にとっては、戦後憲法は敗戦後の「普通の国にならない」という市民の誓いを証言しているようにおもう。もし日本が普通の国になったら、国家祭祀を行う天皇ファシズムの戦争する国になってしまうのである。

356

357 ゴダール『映画史』を見てナレーションからの印象でヒューマニズムと語る人は文字の人だ。大江は映像を読める。『映画史』は「絵」本と絵「本」のモンタージュだと見抜いていた

358 問われているのは、人間は人間が思考できないことを思考できるかである。ここから、わたしは見る、ゆえにわたしは存在する。ロッセリーニとかゴダールの問題意識がでてくる

359 戦前日本の人類に対する戦争犯罪をどうして韓国企業が責任をとるのかさっぱりわからないし、搾取した朝鮮半島の人々に対してどうして日本企業は賠償も謝罪もしないのか?

360 毎日通学する中学生を観る。夢の中に中学時代両思いだった女の子が現れた。私は勉強できないし勉強の邪魔にならないか心配。オデコをくっつけてくれた。寒いさむい北欧にいるらしい

361 活躍した人や活躍している人の話をきいたり読んだりするとき湘南から見える富士山の姿のように立派だ。此方の自身に溜息。せめて私の絵が混在郷でもなってくれればと願うだけである

362 時の政権の放送法の介入的解釈の意味とは何か。戦前の情報操作(大本営放送)に生じた悲惨を考えるだけでは足りない。現在それがいかに人間性の形成を破壊したかを議論しなければ

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364 ダブリンのトリニテイ大学の12世紀のケルト美術の展示を観に来てください。何が意味されているのかって?いやいや、物で物が書かれる時代に彼らは言語の存在をたたえていたのです

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366 20世紀は映画の世紀だった。21世紀に、消滅した映画のスクリーンはどこに現れるのか?一人ひとりの背後に投射されるスクリーンがある。19世紀はそれを精神と呼んだ

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竹内好は、西欧に最高のものがある。しかしその西欧は植民地主義に絡み取られてしまった。アジアは、西欧を包み返す。そのためにはアジアは自分に最高を超えるものをもっていなければいけない。それは何だ?それは、国家祭祀のナショナリズムを禁止した憲法的要請の場所であるとわたしは思う。そこで、国家神道ナショナリズムをやめて、一人ひとりがマイノリティーに成る。西田幾多郎は<一>と<多>について<一>的<多>を思索した。だが<多>が差異であるためには<多>は<一>を禁じなければいけない。日本ポストモダンはこの点がわかっていない

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日本帝国主義の完成である日露戦争マルクス主義が批判できた。だが今日皇帝的一国社会主義ロシアのウクライナ侵攻は「世界史」的正当化がある。これはそもそもマルクスに問題は無かったのだろうか、責任がないのかを考えさせることになったほど危機的である

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クオーク三唱、王マークに!」

(ーThree quarks for Muster Mark !)

 

クオーク三唱、王マークに。号令届かぬ王の声。届いたところで的外れ。」で始まる第二部第4章。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという4人の福音書記者を喚起する語り手がトリスタンとイズーの「うねる(roll)」愛を物語ります。

and there were, like a foremasters in the rolls, listening, to Rolando’s deepen darblun Ossian roll (ジェイムス・ジョイス『フィネガンズウェイク 』FW)「四人はと言えば彼らはうねる波間四本マスト船、公文書四管理官のように、ローランドの濃褐色の大洋オアシンのうねりに聞き入っていた」(宮田恭子氏訳)。これはどう解すか?

世界資本主義とその分割である4つの帝国ーアメリカ、中国、ロシア、拡大EUーのことをわたしは考えます。

ロシアと中国と日本をみると、経済が発展すればするほど、総体の従属が深まると言わざるを得ません。やはり「アジア的」なのか..?マネー、テクノロジー、経済はどんどん進むのに、人権が出てこないです。
日本は世界第三位の国と言われるが、総体の従属が深まるばかりではないでしょうか。
「グローバルデモクラシー」の掛け声も無視されて、ロシアと中国のように、帝国と帝国主義の区別をやめてしまった国もあります。

さてマルクス1850年頃を契機に、単一直線で進行して行くような普遍主義的見方を見直していきます。これについて、『ロシア秘密外交史ーロシア専制の起源、マルクス、ウィットフォーゲル』(白水社)は、ロシアの在り方がマルクスの思考をいかに揺さぶっていったかを正確に説明しています。

これは21世紀の現在を考えるとき役に立ちます。フランス革命から皇帝を倒すまで100年間要したが、ロシアと中国の皇帝はグローバル資本主義の民主主義と共存しています。そして前者は後者に対して総体としての従属を強いるのです。例えば中国の民主化がなければ日本の民主化は不可能となっています(日本からわれわれは民主化するから中国も民主化を行ってくださいとは言おいとはしない。常に中国の民主化を求める日本は中国から信用されていない。)

マルクスが克服した単一直線的歴史観を、日本に即して考えると、こういうことがいえます。単一直線的歴史観では古代天皇制の後に17世紀の江戸幕府の近世が来るはずだが、歴史は決して単純ではありません。古代天皇制は江戸幕府成立直前まで鎌倉時代において共存していたのです。その後、津田左右吉によると武士政権は天皇を京都に隔離しました(政権分離)が、王政復古によって天皇に全権力を集中させてしまいました

「今日の世界情勢が告げていることは、専制主義は既に過去のものと考えることはできない、という事実である。」「専制国家の閉じたサイクル「非専制化ー>その挫折ー>再専制家」は今後も続くであろう。専制国家が世界史の動向を左右する、あるいは専制国家の振る舞いが周辺諸国を脅かす、という可能性は今後も消えることはない。自由主義陣営、欧米列強が、19世紀帝国主義列強のように、専制国家をコントロールするなどという状況が戻ってくることはない。それ以上に、自由主義陣営、欧米列強が、専制国家に対し今日のような力関係を、今後も長期にわたって維持し得る保証もない。それらを踏まえ、今後、いかに専制国家と対峙していくか、その非専制化への歩みをどのように促すのか、保守革新、左右両翼など従来の枠組みに関わりなく、問われている」(解説; 福本勝清氏)

マルクスは、1850年代に著した「イギリスのインド支配」、「イギリスのインド支配の将来も結果(インドにおけるイギリスの二重の使命)などの評論家において、アジアの「遅れた」諸民族・諸国家にとって、資本主義化、植民地化は不可避であると論じていた。つまり、その資本主義化=植民地化を媒介にしてはじめて、「前近代的」政治経済システムがより現実的に「破砕」できるのであり、ここではそうしたポジティブで、かつ限定的な意味でのみ、いわば「例外的」植民地化が肯定されていたということである。だが晩年のマルクスは、そうした考え方を一部変更しつつ、アジアの遅れた諸民族・諸国家による資本主義を「跳び越えて」の社会主義への発展を認めていった。すなわち、いわゆる「ザスーリチの手紙への回答」においてマルクスは、ロシアが資本主義(= カウディナ山道)を超えて社会主義に至る事は可能であると承認したが、このことこそが、西欧を中心とする社会主義革命とは異なった、アジア社会に「独自な」社会主義への道を可能にし、20世紀のロシア革命と中国革命がまさにそのマルクス晩年の構想の正しさを実証するものとして理解されたのである。
この議論するは中国においても、ポスト鄧小平時代であるこの二十年余りの間に、カウディナ山道の超克」論としてさまざまなに繰り広げられてきた。しかも、ここできわめて興味深いのは、これらの「論争」がポスト天安門事件期における党=国家にとる独裁的支配の強化と、国家資本主義の高度成長の中で行われていた、という事実である。とはいえ、マルクス自身は「もしロシア革命が西欧プロレタリアート革命にたいする合図となって、両者が互いに補いあうなら、現在のロシアの土地共有制は共産主義的発展の出発点となることができる」(「共産党宣言』ロシア語版序文、1881)と述べていたのであり、この両者の互いに補うことがーその是非はさしおいてもー高度に緊密をもった世界革命の「同時性」について述べたももである以上、ここで主導的な働きを為すのは周辺の「遅れた」諸国家ではなく、中心の「先進的」資本主義の成果を形象した西欧プロレタリアートであり、「遅れた」国家・民族はそれにいくしなければ、「跳び超え」自体があり得ないことになるであろう。それゆえに、マルクスにおいては、やはり第一義的には「前近代的なもの」に対して「近代的なもの」がポジティブなものとして対置されていたということになる」(石井知章氏)

マルクスは、プーチン習近平のような権力が集中するアジア的皇帝的存在の、近代を実現させてくれる世界史的舞台を予測していました。しかしマルクス市民社会の視点を以って、世界史的舞台を批判しませんでした。そうして、マルクスから、今日の中国は自らをまだアジア的生産様式だと自己規定して民主化の否定の根拠とするのです。ロシアのプーチンアメリカやヨーロッパの体制を批判するとき中国とおなじ見方から行っています。市民社会論なきアジア的生産様式論が西欧近代と異なるろと中国の独自の近代を語らせているこの問題をどう考えるか、市民社会の近代を批判してきたわれわれポストモダンの知が問われています

374

物語が文字化されると何が失われるのか

アイルランドでは、ゲール語の辞書がありません。なぜないのですかと聞くと、ゲール語は人から教わるもので、文字から伝わるものでないと説明されました。そこでゲール語を学ぶためには西部の共同体の学校へ行って修学旅行みたいな感じで彼等の喋るゲール語を文字の媒介なく学ぶのです。そんな感じでアイルランド英語の辞書もないのです。アイルランド英語は事実上消滅の危機にあるゲール語と17世紀のイギリス植民者が持ち込んだ英語とイギリス地方の方言が混ざったものらしいのです。実は植民地時代にその口語のアイルランド英語は恥ずかしく思わされてきたことがあります。家の中で喋る英語と学校で喋る英語が違うのです。
喋るようになりたいならば語るアイルランド人から学べと言われるのです。
逆に、辞書があると、語るアイルランド人から学ぶことが無くなってしまうと考えられています。物語が文字化されることで何が失われるかと考えたのですが、言葉は詩を通して共同体が喋るという見方が亡くなるのではないでしょうか。例えば語られる身体の損傷は外敵の存在を伝えるもので、語る人と共に外敵の存在をおもい浮かべなければいけないのですが、それを文字で伝えるとなると中々外敵をおもい浮かべることは難しいです。文字が伝える身体の傷は身体の傷です。オスカーワイルドの父は眼医者で、治療費を払えない貧しい多くの患者たちから、代わりに、伝説とか小話を喋ってもらったそうです。アイルランド人は普通の人でもストーリーテーラーです。ワイルドは彼等から沢山のストーリーを知っていました。
まあしかしロマン主義の近代が構成した詩人の役割には疑問を感じる所があります。あまりに語られる凡庸なナショナリズムの詩ですね。文字はイギリスで、物語はアイルランドであるという女性原理的な分節化です。

375 

青山霊園から消えた旧華族の「無縁墓」 守る人のいない遺骨の漂流先

そうだったんですか。鍋島家のもですか。そういえば、子孫の者だという人から不満を聞いたことが。たしかあそこは勝海舟の墓もあるのでしょう。外人墓地というイメージがありましたが、新権門体制の、天皇を除く、明治のエリートー貴族、下級武士、軍人、官僚、宗教者(神道系)ーが祀られていたんですね。
おもいだしたのですが、カトリックアイルランドも独立後、10パーセントの支配者だったプロテスタントの教会が信者が来ないので廃墟となっていて、あっちこっちで売りに出されていますね。カフェとかになるみたいです。永遠の家ではあり得ないのです。作家ベケットや画家ベーコンもプロテスタント出身ですが、カトリックアイルランドの独立が成立した彼等の幼少期に経験した彼等の階級の没落が、彼らの芸術的インスピレーションになっているという説もありますが、どうでしょうか

376 バベルの災厄は、原初的テクストがいかに語られるのか考えさせる。わたしはいつも本を観ると、建築と人間の関係を考える。ゴシック建築的本である『フィネガンズ・ウェイク』的高さとは、此方からみえる無限に、それを超える無限を付加していく加算システムの抽象なのか。「自分で決めた亡命」先でトリエステの市民権なきアイリッシュが書くと一体何が起きるか。

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378 ワイワイガヤガヤ、ウロウロウヨウヨと、物で物が書かれていて、宇宙に繋ぎあっていた言語の存在をたたえていた『ケルズの書』は、ジョイスの『フィネガンズウエイク』で完成した

379 飛鳥ー平安の漢詩は、天皇と貴族が書くが、遠い世界を見渡す知識を見上げる。花や木や鳥や山の自然は漢字に定位する自然であって、ロマン主義近代が狭く称えるようには透明ではない

380 飛鳥ー平安の漢詩は、天皇と貴族が書くが、遠い世界を見渡す知識を見上げる。花や木や鳥や山の自然は漢字に定位する自然であって、唐土を創る場合もある。ロマン主義近代が自己の身体との境界において捉えるようには透明ではない。ナショナリズムというような狭い起源なんか関心がないようだ

381 普遍的な中国文明からの自立を考えた宣長に沿って考えると、<他> ー中国 ーは<自>の否定としてある。文化多元主義において他者の他者は存在しない。つまり<他>の否定において<自>は存在しない。普遍的にそれを認めては、<他>が亡くなってしまう。<他>を普遍から遠ざけなければいけない

381

382 バロック絵画は用意周到な人物と物の配置がイメージされるが、人間がどこに立つかは偶然による。芸術が見いだしたこの根源的偶然性は17世紀ヨーロッパを自らの外に出したのか

383 1850年代にマルクスは普遍主義的コミュニスムとは別の方向を考えはじめた。マルクスアイルランド問題について書く。英国プロレタリアートと周辺国アイルランドの民衆との団結を考えた可能性があるが、しかしアメリカが貧しいアイルランド農民を移民として吸収していった。その点でアイルランド問題は存在したが団結の条件がなかった。結局マルクスの関心は貧農の問題が解決しない危機のロシアに向かったのではないか

384 

儒教は多様である

わたしは専門家では無いですが、儒教は多様であることを具体的に語る前に、西欧啓蒙主義はひとつではありません。スコットランド啓蒙主義はイギリス啓蒙主義と違いますし、ほかにフランス啓蒙主義、ドイツ啓蒙主義がありますでしょう。アジアで唯一成立した普遍思想の朱子学も普遍主義です。朱子学を批判していく、徳川日本の伊藤仁斎も、アジアの知識革命と言える啓蒙主義です。
台湾儒学は、蒋介石が持ち込んだ故宮的中国儒教、朝鮮と同じ陽明学、植民地時代の京都大学内藤湖南の中国観、それと、前述した、文部省官僚が迎える孔子魂の儀式(舞踏も含む)で形成されています。彼方は、コリアと同じで、自分達こそは、本物儒教とおもっているので、日本の『論語』の脱構築的読み方など馬鹿にして耳をかさないですね。
朝鮮儒学についてですが、『論語』はたくさんバージョンがあったのですね。氏族ごとにどういう場でどんな服を着るかとか礼の作法がそれぞれ違うらしいのですが、荻生徂徠とかの儒者は礼儀のしきたりに全く関心がありませんでした。日本が関心を持つのは学者的議論だけです。中国の朱子学を純粋化して継承したのが朝鮮儒学です。陽明学は彼らのものです。「性即理」が朱子学だとすれば、「性即心』が陽明学です。朱子学は本来的には理気二元論ですが、理を純粋な気のあり方として捉える結局、朝鮮儒学のエッセンスは一元論的純粋さですね。戦前は東京大学が朝鮮でオリエンタル儒学を形成していました。議論がありますが、コリアのキリスト教は朝鮮朱子学ではないかと指摘するひともいます。江戸時代に儒教を確立した藤原惺窩と林羅山は朝鮮儒学からの大きな影響があります。
中国儒学についてですが、孔林の孔子銅像を真っ二つにした文革によって、全否定されました。内乱によって古い文献も消失してしまいました。しかし、ルモンド紙は現代中国は毛沢東とマリリンモンローとの結婚だと揶揄されますが、ほんとうは新しい儒教を考えています。伝統と近代化を折衷させた新儒教というのがあります。現在の習近平陽明学が好きらしいです。共産党左派(毛沢東派)は儒教を西欧近代とは別の新しい普遍主義として再構成しようとしています。これは問題を起こしています。漢民族の起源を強調した皇帝的一国社会主義の官僚資本主義ですね。
最後に、日本儒学ですが、これは伊藤仁斎荻生徂徠の古学につきますね。仁斎は朱子学を解体しながら道徳についてカントと同じことを考えています。それと、『論語』はフランスのオリエンタル学をもとにした研究なのです。フランスが理解したアジア観に基づく『論語』をそのまま受け入れわけにはいきません。例えば、孔子が弟子に語った言葉を、真理と訳すのですが、ちょっと問題があります。孔子は弟子の要求に応じて彼らがわかるように語っていました。だから仁とか孝の定義があるわけではありません。われわれはポストモダン孔子という立場を問題提起しています。

389 わたしはアイルランドに8年間住んでいたのですが、アイルランドでは脱普遍のカトリックのようなものの意義が発見されていました。カトリックは普遍という意味らしいので、これは脱普遍の普遍ですね。このテーマがブライアン・フリールなどで芝居化されることもありました(『フェイスヒーラー・ガール』)。わたしの理解ですが、プルーストが書いていたように、本質とは個体的なものであり個体的になって行くのではないでしょうか。中国の儒教もそうして、台湾儒学、朝鮮儒学、日本儒学のように、漢字文化圏の中で差異化されて行くことになったのだろうかと考えています

385

ご指摘ありがとうございます。もちろん原始儒教は常に国家とともにありました。朱子学においても帝国中国とそれを支える知識人的官僚を成立させました。西欧明治の行き過ぎに危機感を持った儒教への反動的回帰(個人主義批判)が起きたこともわれわれは知っています。問題である教育勅語も、明代の皇帝の臣下に対する平等主義の理念から影響を受けた、儒家神道的な語りです。しかし儒教というものが実体として存在するわけではありません。儒教儒教についての語られ方に存在するのです。伊藤仁斎の仕事は天を仰ぎみる「私」に根差すものです。これは公=国家とは対極にあった見方です。といっても、時代の制約があるとはいえ、古代儒教の解釈に、家族に定位する女性の本質を語る文を読むと、『論語』はやっぱりくだらないかとおもうことがあります。古代儒教は女性なんか存在しないのでしょう。
プルーストは別に儒教を考えていたわけではありません。儒教プルーストはどう考えただろうかを私は問題提起しているのです。しかしこれは難しい(笑)。わたしも無理ですが、問題は宗教ではありません。問題は宗教の近代です。本質的同一性に絡みとられる宗教の近代についてプルーストはどう考えたか、これなら考えることができそうです。ユダヤ人という近代における本質の措定はそのままではやっていけなくなることを、本質を個体的であり個体的になって行くことを考えることができたからだと私は考えます。これはポストモダン孔子の方法と同じです。孔子は引退して、何を言っても通じない乱世の世の中を批判できる国内亡命の場所をずっと探していました。国家が乱世をもたらすならば、その解決を再び国家に依拠することは倫理的に不可能です

386 ゴダール『映画史』のスケッチはプルーストの書き方ー本質は個体的であり個体的になって行くーである。光と闇で包む全体を投射させた細部の増殖が包むものを包み返していく

387 二宮尊徳を研究した小田原の親戚は満洲国の農本主義による正当化に失望していた。だけど二宮は平田派の佐藤信淵と同じように当時国家がなかった。江戸思想はファシスズムに非らず

388

吉本の「日本語の難しさ」

・漢字借り物論の近代
・音声中心主義が実体化する古代に近代が投射されている
・思想の問題として、大いなる他者「中国」を消去している
・18世紀の文献学によって読まれた「古い日本語」に定位するとされる民の存在ーさまざまな部族ーが語られる。言語の存在と人間の存在は切り離せないという近代のわれわれの物の見方を正当化しているかのようであるうが、しかし人間の誕生は17世紀からである。つまり吉本がやっているのは、近代によってしか現れない人間の思考を、遥か遡って書紀言語以前(古代)に、見いだしている。これは連続性の語りにある近代にとって都合のいい、起源の思考である

389

オスカー・ワイルドといえば文法性の高さ。オックスフォード大学を首席で卒業した、古典語の知識をどこで得たのかが謎。近代でも遅れたアイルランドは古典語を保た教会が存続した

390 私は絵描きであると語るが、芸術家であると言うのは躊躇する。芸術とは何かについての定義は不可能だ。芸術家は実体がない。芸術家は芸術についての語りの中に存在するだけである

391 私は絵描きであると語るが、芸術家であると言うのは躊躇する。芸術とは何かについての定義は不可能だ。芸術家は実体がない。芸術家は芸術についての語りの中に存在するだけである

392 D=Gが言ったように、芸術は定義可能だと思う。それは、しかし17文字以内に定義できなくて、何百頁の『ユリシーズ』とか『失われたときを求めて』において定義されている

393 

<嘘のナレーション>

アイルランドは公が語る<嘘のナレーション>がある。映画『マイケルコリンズ』のラストの字幕「銃の政治が終わった」がそれである。これはポストコロニアル的問題であるが、『日本書紀』も大化の改新についての語りも<嘘のナレーション>かもしれない。政治は見かけは単純に統一されたが、権利を奪われた個人・部族の権利は偶然で曖昧の領域におかれた。『古事記』は統一がそれほど簡単ではなかったことがスサノオについての語りから読みとれる。最近は、「若者が見つめた安倍氏の「国葬」」というのがあった。日本はこの嘘のナレーションのなかに存在したままだ

394 戦前が悲惨を極めたのは、天皇ファシズム軍国主義とがおなじ方向をとったからである。戦後民主主義の絶対的平和主義が意味をもつのは、この両者の一致に対して抗議する場合である

395 

儒教は抽象的他者がいない。「忖度」は眼前の他者の立場に立って全力で尽くす。ジョイスユリシーズ』も抽象的他者がいない。何時何分にどこに行けば誰に会えるか互いにわかる

中国は共産党のままでいいから、ポストモダン孔子の眼前の他者の立場に立って全力で尽くす忖度の精神を以て、周辺の国々と国内マイノリティーとの関係を改めて。日本も助けよ

396

397

安倍以来自民党は国境ある友情に訴えるから反撃能力と自己の権力を持つために「敵」が必要だが、われわれは国境なき友情を持ちたいから反撃能力も要らないし「敵」とは言わない

398 

ユリシーズ』とはだれか?

ユリシーズ』は、大英帝国の植民都市ダブリンを鏡で映したような小説です。ペラスケスの『侍女たち』の鏡を思い浮かべるかもしれませんが、ジョイスは手鏡のなかに植民都市ダブリンをうつさせました。1922年は、『ユリシーズ』出発の年は、前衛的近代の決定的勝利の年ですが、同時に、植民地を持たない国はゼロに等しいことを暴露した本です。1980年代はポストモダンの『ユリシーズ』の読みが席巻しましたが、現在は第三世界の作家達の関心を集めています
私は『ユリシーズ』をデリダがどう読んだかに関心をもちました。distant voice という小章で、ブルームが「hello, hello..?」と言うと、その返事が500頁後に、独白の章である別の文脈で彼の妻モリーが「Yes、yes、yes」と答えたと読むのですね。何という偶然。わたしははじめてデリダ差延の思想を理解できました。面白い事に、「hello, hello,Takashi-sann 」と挨拶してくるジョイス研究者が多いのです。ところが、デリダから影響を受けたと言っている東さんは、外国人に対して、「出て行け」とは言わないのですよ。これは国境のある友情。
ポストコロニアルジョイス論は、あまり知られていません。『ユリシーズ』の舞台は、郵便局とか図書館とか病院とかなんですが、どうしてそういう建築物を舞台として選んだかというと、植民地時代のイギリスはこんな公共施設を作ってくれたことを覚えておこう、もし独立した政府はこれらを下回ったら独立はインチキだと伝えたかったのです。政治は独立したが経済が従属しているままに特権を貪っている独立エスタブリシュメントに対する批判をなすものですね

399

 


Discours on other capes is events. Disagree with "our own selves". Nothingness folds itself in the body. Nothingness is the signature of blank book writing difference.

400

ちなみに、映画の歴史も複数形です。ゴダールが強調していました

401

漢帝国が崩壊して、明代『三国志』に書かれた三国時代 Three Kingdomsがきた。江南文化の中で、北の教養文化と南の開拓された平野とが出会った山水画が現れたらしい

402 経済的に米国は世界中に米軍基地を保つことが困難で、東アジアからの撤廃も起きるでしょうから、核武装して独立するチャンスだと話す人がいます。また核を持って世界のリーダーになれと喋る知識人がいます。何か、植民地を持たなければその国はゼロだとばかり、核をもたなければ日本はゼロなんですか?

403 世界史は、「地球の住民」が、「民族」という違いを強調するのではなく、「多様性」を重んじことを学ぶ

405 「言葉と物」も

406 世界史は西欧はカトリックプロテスタントの間の宗教戦争が終わったかのように語る。しかしわたしがアイルランドにいたときは、毎日カトリック派とプロテスタント派とが殺しあっていた。毎朝ニュースを聞くのがつらかった。そして家々のドアに銃弾の跡がある紛争地域に行くとどちらもどちらの理由があった。しかし、演劇集団のフィールドデイの介入があったり、アイルランドエスタブリッシュメントを白紙にしてしまったイラク戦争に抗議したデモがあったりして、辛抱強い努力によって和平交渉が成立したのだ。だからこの和平交渉をゼロにしてしまう英国のBrexitに対して怒りを感じるし、Brexitをたたえる日本知識人にはわたしは全く信頼がない。結局あなたたち愛国者はイギリスとかフランスしか考えられないヨーロッパ中心主義なのだ

407

カトリック神秘主義とは自然と共にある神の力や教会の力を訴える力の神秘主義。人々を救いだす映画の力を過剰に語るゴダールカトリックゴダールと揶揄される。映画よ、復活せよ

ブルックナーは英国人からはカトリック神秘主義に響く。ゴダール『映画史』はいかにもプロテスタントが思い描くカトリック神秘主義と見られる。力の神秘主義でもある

408 アイルランドカトリックは、極カトリックのテロと教会スキャンダルに疑問を持った人々が長崎のカトリックのことに関心を持つ。新しく共同体を求めて脱普遍の普遍へ行く

409

410 イギリスではマルクスの妻イエニーについて彼女の自立的役割を表現したフェミニズムの芝居があったりするのですが、晩年のイエニーは大変苦しかったのですね。わたしはマルクス一家の家の近くにいたということもあって、この辺りを散歩したり買い物をしたあろうそのイエニーの小説を書けるのではないかと思って執筆していたとき、夜中でしたが、最上階の天井からコツコツと靴の足音が聴こえるのです。これはすごく怖かったです。もっと、もっと真実を書けと言ってきているように思いました。

411 <繋がりあう国境>というのは、移民や難民のリアリティ。文化は国境を超えて、混ざり合う。食べ物も混ざり合う。前衛芸術家の亡命とエリート的創作とは異なる。

<繋がりあう国境>は、移民や難民のリアリティ。これを民衆の概念として構成してしまうと、失敗した近代に対抗するユートピアとなるが、その限りにおいて対抗近代ではないだろうか

ウルトラバロックとはなに

412

413思想の流れに、美術や芸術が乗っかっているあり方にわたしは関心をもっています。わたしは4年間、文化多元主義のイギリスのロンドンにいたのですが、人物画を描くのは危険な感じがしました。それは特定の民族を描くことになるからです。何か偶像崇拝禁止みたいな話ですが(笑)、ほんとうです。お陰で、イギリス人と一緒にヴィットゲンシュタインの哲学テクストを読みながら、表象なき抽象を描く方向に向かいました。8年間いたアイルランドはこの反対で、共同体のアイデンティティというか、神話とか表象を以て描かないと孤立してしまいましたね。子どもも近代の遠近法で絵を描いちゃダメなんです。目をつぶって描いたものがみんなと同じでないといけません(笑)

414

Qu’est-il donc impossible de penser, et de quelle impossibilité s’agit-il ? (Foucault)
だがいったい何を思考するのが不可能だというのか?そもそもどのような不可能性のことなのか?(フーコ)

包摂できない無限なものー不条理こそは、列挙された物の分けられる場所である<なかで>を不可能にすることによって、列挙を支える<と>を崩壊させてしまう(フーコ『言葉と物』)

フェースブックの外国の友人の中には、ベラスケス「侍女の部屋」に屈辱を感じてこれに反発する者がいることを知って驚いた。共和主義のスイスとかアメリカの友人が、従属するイメージを嫌がっている。つまり王に対する従属である。しかし絵をよく見ると王は存在しない。王が表象されているだけである。部屋には実在しない鏡の裏側に立っている王をこの絵を描いているのは誰か?人間である。それは描く🟰書くのはヴェラスケス自身である。われわれは全部を見ているのか?否、われわれ自身を見ることができない。画布の裏側にこそ画家が見渡している全部があるのではないか。裏側しか見ないのであるから、自分が誰か、自分が何をしているのかわれわれは知らないからだ。いったい見られれているのだろうか?それとも見ているのだろうか?( フーコ 渡辺訳 Parce que nous ne voyons que cet embers, nous ne savons qui nous sommes, ni ce que nous faisons. Vus ou voyant ? )しかし隠されているものは何も無い。裏側には現在われわれが見ている通りのものが存在するからだ。こもわれわれの視線を宙吊りにするものこそがわたしは精神(Geist、spirit、鬼神論)であるとおもう。精神に無限なものがある。問題は、近代は精神を奪ってしまった。その結果、「人間は、おたがい、死者と語らう死者なのだということを忘れる」(ボルヘス)。王と(王を表象している)わたしという関係しか無くなった。それは、鬼神論についての儒家的言説を消去していった絶対的保守主義の近代ー国家が安定していれば神と皇位との連続性に依るべしという言説ーにほかならない。つまり死者を支配した天皇全体主義国家神道である。

415 私はアイルランドにいたから国家を否定しない。ポストモダンは明らかにアナーキズムだが、国家が成り立つためには国家中心主義でなくてもよいというような柔らかい理解でいいと思う

416 

柄谷行人

無限の宇宙はひとつである。この宇宙より大きな宇宙があるとすれば、矛盾だからである。と、スピノザは包摂できない全体を考えたのにたいして、そのスピノザの考えに感化を受けたライブニッツは、それ以上分割できない小さなものを考えて、それが精神が依拠できるモナドと考えた、と柄谷は書いていたと記憶しています。柄谷は可能世界論を探究しましたが、わたしはさっぱりわかりませんでした。カトリックプロテスタントとの和解を考えるために、窓が無いことが問題であるが、モナド(単独者の交通する場所)の意義を考えたというのですが、非常に面白いことは面白いが、あまりに思弁的すぎて、アイルランドみたいな国でそれを考えることが非常に難しいのですね。ただ、別のあり方を考えることがリアルなことだという点はわかるのですが、やめたとはいえ、このことを哲学化したライプニッツは凄いと思います。スピノザライプニッツとの出会いは必然ですね。カントはライプニッツ的に考えていたときに、ヒュームの仕事を知って、大きな展開を行うのですが、スピノザに戻って考えた可能性もあります。柄谷ならばこれを検証して欲しかったですが、「トランスクリテイーク』では、カントから、マルクスに行ってしまうんですね。消えた可能世界論はマルクスにおいてどこに現れるのか?

柄谷は、ライプニッツについて論じて、カトリックプロテスタントとの和解を考えるために、窓が無いことが問題であるが、モナド(単独者の交通する場所)の意義を考えたと指摘しました。カトリックプロテスタントとの間に、原理主義的でないような、共通のものー人文知ーを考えることは大切におもいます。しかしアイルランドみたいな国でそれを考えることが非常に難しいのですね。帝国主義の問題を消去してしまえば、柄谷が考えた通りかもしれません。わたしは柄谷は帝国主義の問題に関心がないのではないかと考えました。彼は帝国と帝国の構造だけが問題なのですね。『トランスクリテイーク』のときは柄谷は知識人をやめたと言いました。柄谷は帝国主義の問題を止めていたように思えたので、わたしはショックを受けませんでした。柄谷は彼の思考にカントを導入したことは意義深いです。問題は、マルクス主義から離れるためにカントを読み直したのではなくて、カントからマルクスに命懸けの飛躍を行うのでした。さて消えた可能世界論はマルクスにおいてどこに現れるのでしょうか。柄谷のマルクスはは交通概念(『ドイツイデオロギー』)が支えます。柄谷の交通概念は交換様式ですが、わたしには、交通概念から交通が消されていったと思いました。中国論についての交通に、ヘーゲルの精神の客観としての、高度な互酬Xが想定されることになりました。しかし帝国と帝国主義の区別に意味があったかと問われるなかで、天安門広場民主化要求の経験を考えなければならなくなった時代に、柄谷の世界史的な<帝国の構造>の擁護に疑問を投げかけないわけにはいかなくなりました。

417

418 たしかに、教養というものは、意識の高さとか知能とは別のものなのでしょうね。教養については「深さ」が言われます。教養は垂直軸を思います。他方でイメージはどこから見るかの視点です。わたしにとって、イメージとは水平軸ですね。教養とは何か?イメージとは何か?この二つが一緒に働くものは何か?

419 

鑑賞とはなにか?

境界とフレームワークは表象にいかに依拠しているかを考えてみよう。ベラスケスを再構成したピカソ(左)に、西欧の、具体が中心にあり抽象は外側にある描き方を鑑賞できる。境界はあるし、枠組みはある。比べると、若冲(右)は、具体と抽象が同じ空間にある。境界はなく、枠組みはない。日本美術の中で、大雅の絵もそうであるように、無境界と無枠とが衝突している作品はわたしを捉える。書くために映像を必要としているのは文人画家の方法である。18世紀は中国論についての言説と中国をいかに思い浮かべるかの表象が働いていた

 

420 Das Wesen der Mathematik liegt in ihrer Freiheit.ーGeorg Cantor
数学の本質はその自由にある(カントール)

421 解説にある「巨匠へのオマージュ」についてですが、そうだったとしたら、それは<失ったものを取り戻せ>というような近代主義的「オマージュ」ではないでしょうか。だからそうして惹かれながら、「ねじ伏せ」的になるでしょう。<失ったならうしなうことができる>というようなベケットの方向では無いですね。ゴダールピカソの継承であるという評価があるのですが、むしろベケットの継承だとわたしはおもいます。『映画史』による過去の映画の編集は、過去を称えていながら、<失ったならうしなうことができる>という感じです。「もっともはかない瞬間こそが、華々しき過去を所持するように」(エミリー・ディキンソン)

422

ドウルーズはプルーストについて言っているのですが、本質は個体的なものだし個体的になっていくと。この豊饒な多様性を腐敗と考えるものがいます。腐敗しないために、愛が必要なのではないでしょうか。異性愛であれ同性愛であれ

423 アイリッシュは国家と教会とは別の沈黙するordinary timeを語る。日本人は別々に国あるいは神社を語るだけで沈黙を語らない。だから戦争体験が伝わらない

424

435

存在とは何か
ー他者が語るわれわれについての言説のなかに「われわれ自身」が存在するというポストコロニアルの視点

わたしはアイルランドに8年間いたのですが、アイルランドが成立するのは1922年です。しかし調べてみると、国家アイルランドについて語るアイルランド文学というのは、アイルランドという国が登場するまえに、イギリス人読者の間に存在していました。本当ならば、イギリス文学と呼ばなければいけません。アイルランドは存在していませんでした。しかし英国が語るアイルランド文学についての批評空間に「アイルランド」は存在していました。
わたし達の感覚でも、アイルランド文学が国家アイルランドの成立に先行するのは違和感ありますね。また、アイルランド人は自分達がヨーロッパ人であることをアイルランドの1970年のEU加盟まで知りませんでした(ちなみにケルト人として存在しているという認識は現在もありません。)しかしアイルランド人はずっとヨーロッパ人として存在していたのですね。つまり、アイルランド人は自分達がヨーロッパ人であることを知らなかったが、ずっとヨーロッパ人の語りの中でヨーロッパ人として存在していたことになるのです。存在というのは、結局それについて語る言葉の中にしか存在しないことを考えます。
存在が語りのなかに実体化されるほかの例ですが、アイルランド映画というのは結構人気が出てきたのですが、これはほとんどすべてがハリウッドが制作した映画なんです。アメリカが制作した映画のなかに「アイルランド」が存在するのですね。アイルランド人自身がそういう映画を見て自分達のアイデンティティを形成してしまうことが起きルのです。例えば、ハリウッド映画で描かれたテトリストが「祖国のためにおばあちゃんを助けるのが本物のアイルランド人だ!」と叫ぶと、本国のテロ組織IiRAがこの言葉を選挙キャンペーンで使うのです。「祖国と祖母を救え」と。アイルランドでは祖母を重んじることはありませんが。まあこれが地域紛争を激化してしまうことになるのです。これはポストコロニアル的問題です。他者が語るわれわれについての言説のなかに「われわれ自身」が存在するのです

歴史を語ることmaking history

436

金持ち社交クラブのようなサミットだが、中には「名誉白人」のような国が紛れこんでいる。みんな握手しているが、よく見ると誰もこの国に挨拶していない

437

「芸術は存在しない」と考えてみたらどういうことが言えるか、芸術は言語の中に存在すると言えないかと考えることができるのだけれど、こも命題に猛烈に反発する人たちを見ると、芸術は本物だから存在しなければいけないと考えているみたいだ。そういう人は言語を何処かでインチキだとおもっているのではないか。言語は代理するだけだと。そんなところに本物は存在しないのだと。本物の起源を探す、非常にナショナリステイックな感じがする

438 

芸術理論は、普通の人達が批評を読んだ17世紀から起きる。17世紀に何が起きたか。西欧もアジアも外へ出ていった。外部が芸術に介入したのではないか。ルネサンスのときは貴族とか僧侶が批評を書いたり読んだりしましたが、世界システムが成立する17世紀世紀以降は、脱階級的に、批評が書かれたり読まれたりしました。江戸時代も18世紀から、医者だった本居宣長が芸術批評(源氏物語論)を書きました。面白いですね

439 

芸術は役に立つか?

宣長は芸術は役に立つかについて当時行われた論争に加わっていました。大まかに言うと、芸術は役に立たたなくていいというのが彼の考えでした。とくに宣長が考えていた文化は神話『古事記』のような公のものでしたが、それを心のなかを覆いつくすものとして根拠づけてしまうと、ファショ的ですね。実際に、明治維新の問題は、文化権力であった天皇が心の中を覆いつくしたことです。アドルノが言うように芸術はロゴスの支配の破壊であると言っていたのは宣長の芸術観に近いのかもしれません。宣長の王朝文化の再構成は、一瞬だけ蘇る儚く過ぎ行くイメージではなかったでしょうか。「物哀」ですね

440

441

現代は落ちこぼれるためには音楽家になるわけですが、江戸時代に学問をしたい武士達は、武士を辞めるような脱藩行為は死罪に値しましたから大変でした。落ちこぼれるために、町医者になって、あるいはお坊さんになるのですね。江戸時代の学問は、町人出身が築き上げました。町人出身の仁斎の古義堂とかに3000人集まりました。古義堂にあったこの堀川を隔てて相対する位置に、山崎闇斎が闇斎塾を開きました。明治維新の下級武士のエートスを形成しました。大阪の「心学」の石田梅岩は農民出身でした。天下を支える町人のエートスを教えた塾を開きました。大阪の懐徳堂は町人達が全国から集めた本を利用して作りました。また咸宜園は、江戸時代後期に生まれた儒学者・廣瀬淡窓が豊後・日田に開いた日本最大規模の私塾(学校)です。3000人集まったのです。武士たちも自分達の畑を売ってやってきました。大名達は彼ら自身は知識人でしたが、学問をリードしたのがこうした町人の塾です。中国は科挙試験のために士大夫が学問をしましたが、徳川日本は科挙制がなかったので、市井の学者さん達が現れました。学者的議論はこうした脱階級的な市民が行いました。多分これは世界の他に例がない知の形成のあり方でしょう。田中さんとかが、「江戸万歳」というかんじでもっぱら文化の話をしてわたしなんか退屈に思っていた江戸ブームを作りましたが、もう今は「江戸万歳」という人はいません。17世紀は東アジアの知識革命を為した儒者の古学の知、18世紀文献学の知と中国文明から自立する国学の形成、19世紀は異端の知ー平田篤胤の思想へと、言説の歴史が展開していきます。ちなみに徳川日本の時代は、儒教中心ですから、吉田松陰の民族の思想を異常だと考えていたのです。荻生徂徠など儒者が担った雅の知は、漢詩日本画と能だとしたら、俗の知は俳句と浮世絵と歌舞伎。両者は同時に成立しました。「江戸万歳」ブームは俗の知についてよく語っていましたが。そも田中さんが江戸時代は三つリアリズムがあったと指摘なさったのは面白いです。解体新書的なリアリズム、オランダ絵画の影響によるリアリズム、中国清朝とそれを脱構築した仁斎のリアリズム

442

443

日本が国家中心主義に向かうにつれて嫌韓になる。これは『日本書紀』に遡る構造で、国家日本の成立は朝鮮の排除と共にあった歴史を示しているのか?他の排除が無意識に反復している

444

大衆とはなにか?

吉本隆明の「最後の親鸞」(良い本と思います)が、「最後の吉本隆明」だったように、「大衆の原像」も「吉本隆明の原像」だとおもっていました(笑)。安全神話を疑わない彼の科学合理主義は受け入れることができませんが、思想家としては立派だとおもっています。党派的でないものは無いという言説は闘ってきた思想家の言葉ですよね。ところでかくも吉本は上野千鶴子に反発するのは、彼も同類の構造主義者だからではないでしょうか。吉本は王=天皇を絶対に批判しませんしね。
彼の大衆は方法論として語っている集合概念であると考えてみたらどでしょうか。わたしは日本知識人がマルチチュードをどう考えてるのか知りたいのですが、日本の若いドウルーズ研究者が言っていることはよくわからないのですが、吉本がスピノザを考える方向性を持っているというのは大事なことですね。分断されることなく量的に単純に増えていく多数であることについて、それは存在論的にどういうことなのか、集合の視点と共に、ちょっと自分で考えてみようと思います。Badiouは考えているのでしょうが。存在としての共通なもの。大衆は、存在しない惨めさに耐えなければいけないならば存在する惨めさを示したい表象にとって、共通の場所として役立っている、分断されることがない明るさを解き放つと思います
ウオールストーリートの時代は、中央銀行の前で、でしょう。サッチャーリズムのブレアーのロンドン時代に、2009年G20ロンドン開催に抗議して中央銀行まえの広場に自発的に集まった4000人の中にいたのですが、警察8万人に数時間包囲されました。あっという間にこのニュースが世界じゅうに発信されて、この時は、デモ嫌いの保守的なイギリス人もデモを支持して、ネオリベ労働党政権は倒れたのです。しかしわかっていたことですが、後に保守党が出てきて最悪のBrexitを実現させてしまいました。しかしこういうのは例外的で、現在はどこも立ち入り禁止で、存在は占拠できる場所がなくなってしまいました。でも歴史には占拠できる場所があります。つまり過去には解釈の自由があるのですね。日本思想史の外部性を倫理学(国民道徳)に介入することができます

445

和辻はハイデガーと対等に議論できて超えることができるかもしれないと考えたことを思うと、自分の英語は零であるが、We Irish と語ったときはヨーロッパ人に衝撃を与えた

446

 

447 

法は[……]本質的に脱構築可能である。[……]法のこのような脱構築可能な構造こそ、(中略)同時に脱構築の可能性を保証しているのだ。もしも正義それ自体というようなものが、法の外あるいは法のかなたに存在するとしたら、それを脱構築することはできない。
同様にまた、もしも脱構築それ自体というようなものが存在するとしたら、それを脱構築することはできない。脱構築は正義なのである。

 

448

『アンチオイデプス』は二項対立からの逃走が言われました。作る近代に絶望しきっているのも大切なポイントです。人間が推進した二項対立の問題を解決するために、再び人間に委ねることは倫理的に不可能です。二項対立からの逃走は、人間(理性中主義、国家中心主義)からの逃走を意味しています。ただ、逃げるものが、勝つことに気を取られ、闘うこと(思想闘争)を忘れちゃうなんてというような本末転倒が世の中にあります。天皇ファシズムが「おまえは非国民だ」と指さしたらもう逃げられなくなったとはどういうことだったのか?戦前と同じことは起きないとはいえ、帝国の時代におけるファシズムにたいする抵抗はどうして必要なのか?構造主義が終わってしまい、ポストモダンも亡くなってきて、絶対的保守主義の近代が日本では主流となってきています。日本思想は『アンチオイデプス』をどう読むかが問われています。われわれはポストモダン孔子という見方をうち出しています

449

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芸術は定義可能であると私は思っている。しかし芸術を定義しなければいけないとは考えない。定義しなければいけないと言う人は洗礼か戴冠のように芸術を定義したいかのようだ

451

 

452

フーコの<外の思考>とはなにか

フーコは『監獄の誕生』以来、分割されているどんなものにも心をとらえられきました。しかし思想を自己を得ることができなかったようにみえます。しかし本当にそうでしょうか。権力に巻かれたら巻き返せ。そうして、『監獄の誕生』において、一望監視監獄に互いに独立し合う可視的なものと言説的なものを見いだしたとき(権力は意味をもっていない)、『言葉と物』で既にこの戦略が取られましたが、言説と光と闇を以って巻き返せないかと考えたのではないでしょうか。

453

精神(鬼神)の宇宙論的独白

私は分割されているどんなものにも心をとらわれます。ポジティブに言えば、本質は固体的であり個体的になっていくのです。管理社会こそは最高のものをもっている世界だと信じこまされています(戦前は天皇が主宰する国家祭祀が最高なものでした)。世界を包み返すためには、自己にそれを超えるものがなくてはいけません。観念的批判的多元主義が要請されます。

454

近世日本思想は、朱子の性理論を捨てて、伊藤仁斎において大地に立つ宇宙すなわち人が学問によって無限を自分のものにすると考えた。朱子学が消滅したわけではない。天と地との間の往還を語る言説から、死と精神とが自ら襞のように折り曲がって無限へ向かう鬼神論についての言説へと移行する。これと平行して、制作学の徂徠と国学宣長と篤胤の影響を受けた後期水戸学の政治神学が成立する。

455

456

Brexit(英国のEU脱退)は保守党が労働党に対する議論のための議論だった。明らかに失敗だ。ユダヤジョイス読みが語った。規則は一つだけー議論に最終解決をもちこむな

457

ヨーロッパとはだれか

確立した我のなかにあって別の我のあり方が在る、ということがフーコにおいて問われていました。これは、一度ある言説が確立してしまうと、それを止めることはほんとうに難しい。確立した言説の中でそれとは異なる言説を作るやり方(戦略)に対応していると思います。映画界のゴダールは自画像を映画を制作したときに、思考不可能なものを撮ると言っていましたのは、このようなフーコの問題提起を受けたとおもわれます。
やや簡単に説明してしまったかもしれません。ここはフーコは、影響を受けたハイデガーとの思想闘争があります。ハイデガーの「世界-内-存在」は、本質的には、開示の思想についての言説なのですね。それに対して、フーコは、窓の存在を指定できないほどの暗闇の底に生じた「精神の襞」(ドウルーズ)を考えてみたというのがわたしの理解です。
ですから、ハイデガーの開示も思想によっては思考不可能なことを思考するのがフーコの構成であるということではないでしょうか

458

No.1 反時代的なポストモダン精神(鬼神) 

ポストモダン孔子があるならば、反時代的なポストモダン精神(鬼神)もある。それは、ハイデガー「存在ー内ー時間」における開示の思想ではなく、暗闇の魂の折りたたみの思想である

459

No.2 反時代的なポストモダン精神(鬼神)

「精神」の語を構成する概念の配置は12世紀の『朱子語類』に見出せる。「精神」は、ドイツ語のGeist、英語のSpirit である。朱子においては「精神」と「鬼神」は「相似たり」であった。だけれど近代のわれわれわれは「鬼神」を喪失して、「精神」だけを心身的記憶に留めてきたのかと子安宣邦氏は問う。そうしてわれわれは何を失うことになったのか?アジアのコスモロジー(宇宙論)ではないか

460 精神を考えるときになぜアジアのコスモロジーを切り離してはいけないのか。お天道様とか先祖様が私を見ていなければいけないのに、ヨーロッパのコスモロジーでは先祖様はいないから

461 茅ヶ崎にいるが、毎日サーフィンしているのと聞かれるけれどそれは勘違いであって...中海岸にいるから海はそれほど外では無くまたそれほど陸の内側にはいない。境界がない場所

462 「1940年代日本体制」の隷従の道を批判した日本左翼は、ネオリベの台頭を助けてしまったという指摘については考えるべきところがある。いやはや難しいね

463

中国の学者が「日本の繁栄は、海外の文化に対する謙虚な姿勢と学ぶ気持ちにあった」と言うのです。だから今後もその気持ちを忘れないなら日本は伸びるだろうと。たしかに、その気持ちがあれば、日本も捨てたものではないでしょう。ぶっ飛んだ仮説かもしれませんが、わたしはこんことを考えます。古代日本は奈良の中国知識人と朝鮮知識人と彼らに育てられた日本知識人が作った国家です。これは必然として移民国家の構想があるはずです。だから日本の外からくる文化を迎いれる制度となっているについて、例えば、『古事記』は、当時の日本列島にあった神話を集めてきたのですが、それらは中国文明の高度な語りを媒介しなければ、他者に伝えるものではありませんでした。『古事記』序文において、天皇が語り伝えたもものを分かるように書いたのは中国知識人たちあるいは学んだ日本知識人です。1000の太安万侶たちです。こうして、日本人は自分のアイデンティティの確立が中国文明を必要としていたことを考えなければいけないないようになっているのです。ただ問題は、大陸の戦争に巻き込まれないようき韓を排除した国家建設でしたから、今日のヘイトスピーチがあります。『日本書紀』『万葉集』の時代に、韓国に知識人はいなかったと何の根拠もなく言う人もいます。朝鮮知識人から漢字を学ばなかったというのならば、古代人が『古事記』を書いたとでも言いたいのでしょうかね。酷いナショナリズムを残念におもいます。

464 わたしは高校時代から、「西欧中心主義万歳」になったかもしれないのですが、子供時代は四年間、オーストラリアにいました。そのオーストラリアを西欧ではないと、やはり大正教養主義の西欧かぶれの父が語った言葉がずっと引っかかっていました。西欧は、ヨーロッパの西欧、日本人が考える西欧とのあいだに分裂があることを考えなくてはいけませんでした。前者はいいが、後者は信頼ができません。半分だけの西欧万歳

465

 バルザックにおけるように書きたいと考えたマルクスのテクストを横断する、古代-近代-脱近代(象形文字としての商品-信用貨幣-絶える技術革新の創造的破壊)

466

467

468

西欧の首脳たちが広島に来るのは遅すぎましたが、広島の平和主義を活かす時代がきました

469

ヘーゲル

わたしはヘーゲル読みではないのですが、『法哲学』の財産法についてヘーゲルが<私>を自由意思として捉えた上で、それは無限だと解釈していたのを思いだしました。面白いですね。その「物」はわたしは思想を自分の物にしているかと問われるときの「物」だと思います。問題は、われわれは思想を自分の物にしているかと問うことはどういうことかを考えることです。ブルジョワ財産法の枠組みの「わたし」に留まっていては、そこにいけません。精神の客観ー家族、市民社会、国家ーをヘーゲルは語ります。そしてヘーゲル精神現象学』を『鬼神現象学』と呼んではいけないでしょうか?

470

わたしは映すことに無関心な鏡がすきだ。鏡は部屋の中に置かれているのに、部屋の中を映さず、部屋の外にいる人々を映している鏡。待てよ、これは窓のことか。窓ならばいらない

471

「宇宙の鏡」というのは、ウンベルトエーコが分析してみせたジョイス『フィネガンズウエイク』のテーマでした。人間が描く
く=書く、部屋の中にあるものを映すことに無関心な鏡をベラスケスは描いていたと指摘したのはフーコです。われわれには見えない、部屋の外にあるモデル(国王夫妻)だけを映しているのですね。王が立つこの場所から、「人間」と人間知(同一者の知)が現れてくるというフーコの筋書きは面白いとわたしはおもうのですが。そしてその人間も砂浜の落書きのように消えていくのです。

わたしは映すことに関心がない鏡のあり方に興味があります。そうしたら壁にかかっている鏡に代わりに何を置くか?わたしは棺桶だとおもっています。鏡と窓はフーコにおいて区別されていませんから、結局窓の代わりに棺桶をおくのです。これはわたしのダブリンに行ったときの街の印象でした。昔は溝口『雨月物語』のような死が支配している感じで廃墟の街だったらしいのですが、2000年に行ったわたしには街の建物の窓のひとつひとつが棺桶に見えたのです。
興味があるかわかりませんが、『資本論』のマルクスにおいては、貨幣はみんなを映すべき鏡でした。しかし皆んなを映すことに無関心な鏡です。世界を構成する商品に無関心な鏡ですね。その貨幣がどうして王としての役割をもつのかはマルクスの探究です。わたしは、代わりに、宇宙の鏡こそが世界を映すのだと思います。それはどこにあるのか?ジョイス文学では、それは二人の洗濯女達の語りの中に定位するのです。神話の語り口を想起する、ダブリンの洗濯音楽達の言葉にジョイスは造語的に世界中の河の名を書き記しました。

古事記』は、いきなりイザナミイザナギが登場するのではないのですね。天之御中主神(アメノミナカヌシ)、高御産巣日神タカミムスビ・高木神)、神産巣日神(カムムスビ)、宇摩志阿斯訶備比古遅神ウマシアシカビヒコヂ)、天之常立神(アメノトコタチ)という宇宙神が先行します。それから、国の神々、国之常立神(クニノトコタチ)とか、イザナミイザナギですね。これはどうしてかと考えると、国の神々が支配した神話(鏡)では世界を映すことができなくなったという事ではないでしょうか。宇宙の鏡である宇宙神が必要となったときに、『日本書紀』と『古事記』が作られる必然があったのですね。例の天照大神は自分を映して鏡を見せられて、「自分以上に偉い神はいるはずがない」という考えを捨てるのですね。そうして天岩戸から出てきたというのは面白いですね。
イタリア人の友人が『古事記』を凄く誉めて、日本の神様は皆んなを照らす光を復活させたと。皆のことを考えている、比べると、ギリシャ神話の神々はセックスばかり追いかけているのは自分の欲望しか考えないイタリア人のようだと(笑)

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70年代、80年代の日本の新聞は面白かった。このときは一緒懸命新聞を読んだ記憶がある。現在新聞は解釈が無い事実が並ぶだけだ。記者達が書いた現場からの報告など中には大事な記事もある。しかし社説が全くダメだ。ガーデアン紙は、解釈の解釈の仕方に自己の意見がある書き方をする名物コメンテイターが沢山いる。ピアニストのバレンボイムが訪英したとき毎日ガーデアン紙のコメント欄を読んでいたと語った。サッチャー主義のブレア政権とたたかった英国のメディアは2000年から20年間非常に充実していた。

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反知性主義の起源

「日本人は自分の意見を言って個を表出できない己を乗り越えるべきだ」という言説ほど怖いものはない。自分の意見といっても結局誰かの意見なのだから、自分が語っているその誰かの意見をどう解釈するかに自分のあり方があるのに、それをニセモノときめつけてしまって、「自分の意見」をオリジナルなホンモノと考えてしまうのである。そうして「自分の意見」としては存在しない一切の学者的議論を罵倒するまで反知性主義に陥っていく。これは漢字借り物論が陥るオリジナル幻想と似ている。これらは全体主義的「個」にほかならない。

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軍人勅諭』の漢文的表象から、『古事記』的表象へ

明治15(1882)年1月に発布された『軍人勅諭』の一節、「己が本分の忠節を守り義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽し」は、知りませんでした。『軍人勅諭』についてはよく語られます。しかし所詮エリートである軍人のものである『軍人勅諭』はどれくらい国民全体に影響していたかはわかりません。これについて考えてみますと、漢文的表象で、「国破れて、山河あるか」みたいですね。台湾と朝鮮を植民地化した大正に確立する日本帝国主義軍国主義という感じだと思いました。死んで国を取ってこいという乗りですが、それほど狂気ではないです。しかし50カ国と戦う根拠となった国体となると、すなわち祀る国家が戦う国家のファシズムでは、生きている意味もないし死んでも救われないのだから国に生命を託せと、死後の救済がないからこそ意味があると、死から生を生み出せみたいな、漢字的表象から切り離された、狂気の『古事記』的表象が中心だったのではなかろうかとわたしは考えています

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ヘーゲルはいつから思弁的になったのか?カントは中世の物の概念を再構成した。物をヘーゲルマルクスは精神と労働と呼んだ。精神は西欧中世のコスモロジーからは切り離されていたから思弁化していった。精神が自立的に運動していあり方を書いた

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鑑賞者のわれわれは画布の前で、その裏側と鏡を見て部屋全体を描く画家を見ている。自己と類似しているもの全てが空白に消滅している。この自由で純粋な表象を嘲笑う者はだれか?

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マルクスが言う通りに労働が価値を決めるのだったら、労働生産性が低いアイルランドのΣ労働価値こそは最大の富を享受すべきだが、現実は最も貧しい国であった。どうする、マルクス

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マルクスが言う通りに労働が価値を決めるのだったら、労働生産性が低いアイルランドのΣ労働価値こそは最大の富を享受すべきだが、現実は最も貧しい国であった。どうする、マルクス

アイルランドが独立したとき(1922)、最初に承認した国はソビエトでした。緑のアイルランドではなくて、赤いアイルランドだったのですね。
第二インターナショナリズムの影響のもとで起きたダブリンのイースター蜂起(1916)に注目したのは、レーニントロツキーでした。しかし混乱のうちに終息してキリスト教会の力が強まったのを観察して、革命はアナキズムの自発的な大衆運動では限界があると、前衛党が導く必要があるということになりました。ロシア革命は1917年でした。
マルクスは、『資本論』の中で、アイルランド問題を書いていました。アイルランドで革命が起きるべきなのに、どうして起きないかを考えた彼は、立ち退きされたゲールの子孫たちをアメリカが受け入れていた事実を指摘しました。大英帝国を打ち倒す敵がどんどんアメリカで成長していると。こんな感じで熱くなって、アイルランド問題とロシア問題を考えた1850年代から、マルクスコミュニズムが手動する普遍主義に疑問を持ちはじめました。インドの近代化には英国の支配が必要だったというようなことも言い出して、ヨーロッパ周辺の社会主義革命はヨーロッパ諸国のプロレタリアートの協力によって実現すると考えたりしました。今日のフランスのメランショは次の大統領になる可能性がありますが、彼はヨーロッパのプロレタリアートによるソ連への介入を口にしていますよね。
柄谷行人は、帝国主義の時代が終わった世界史の必然から帝国の時代が来ると言ってきました。帝国主義の軍事支配と違って、帝国は経済と文化を支配するのですね。世界資本主義の分割は、帝国アメリカと帝国中国、帝国ロシアと帝国拡大EUです。しかしわたしは戦後も続くイギリスのアイルランド支配のあり方と期待アイルランド紛争の現実を知っていたので、帝国主義と帝国を区別することはできないと主張したジジェクの意見に賛成です。わたしはアジアの知識人のようには帝国を擁護する柄谷を評価できません。柄谷は決してアイルランドのことを言わないのは、彼の帝国の理論が破綻しているからです

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マルクスの労働観は近代のもので、表象理論の語る所のものではない。だが労働ついての語り方は分裂の事実より寧ろ古典的な二重化された表象に存する。具体的労働と抽象的人間の労働

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ソビエトが崩壊して、絶対的真理とされたマルクス資本論』の解釈が自由になったとき、そもそも解釈の自由とは何かが問題提起されました。注釈について考えられたとき、表象が成立する為には自己を表象してくれる他の表象が必要ですが、それはマルクスが「等価形式」と呼んだももではなくないかと喚起したのは柄谷でした。江戸思想史は注釈と批評の歴史です。注釈は言語の存在と共にあり、他方で批評は言語から自立する空間ですね。フーコが書いてあるようなヨーロッパの注釈と批評の歴史を勉強しなくとも、江戸思想史にあります