徂徠と徂徠的マルクスがいかに凄いか - 方法としての「復古」

 

 

方法としての復古

荻生徂徠によると、物と名の分離とは名だけが一人歩きすることをいう。たとえば、時間を経て、「仁」がどういうものと対応していたのかわからなくなってくる。名にたいして儒家は恣意的な解釈をあたえてきた。が、先王の時代においては物と名は一致していた。古文辞学がいう復古ー方法としての復古ーとは、物と名の一致をいう。これが方法としての復古であることを理解するならば、徂徠と徂徠的マルクスがいかに凄いかがわかる。ヘーゲルは市民社会が何かを問うたときブルジョア民法の抽象的人格性を指さしたが、マルクスは階級とは何に対応していたものか分からなくなったという身振りで、その内部的普遍性を批判し人間の社会的総体への視点をもったのである。つまり市民社会がプロレタリアートの名だった。歴史的社会的に存在するもの、プロレタリアートというものはまず、マルクスが見るまえに弁証法としての物質的思考としてあらわれた。思考のあとに、1870年パリコミューンを見た。そしてここから21世紀のグローバルデモクラシーの未来を思い出してくるのだろう!

21世紀のグローバリズムが19世紀に非常に類似していることが指摘されていますが、ほんとうにそうならば、21世紀に、19世紀にマルクスがかんがえたグローバル・デモクラシーをなんとか上手い具合に参照していくことが一つの目標。

 

(本多)

 

 

・以下は子安氏の「徂徠学講義」からの引用

徂徠が常にいう「先王の道は礼楽のみ」は、伝統儒家における「孔子の道は仁義のみ」に対置される。...後者のテーマが心性論的な道徳的言語を導くとすれば、前者のテーゼは身体論的、社会論的な制作的言語を導くだろう。「先王の道は礼楽のみ」というテーゼの成立とともに、文化的、社会的存在としての人間への視点と、その社会的形成のあり方を記述する言語を人は獲得することになるのである。先王と礼楽の概念とともに徂徠学を構成する外部的な視座をなすのは六経である。六経とは何かについてすでに述べたが、徂徠学において六経は、伝統儒学孔子の教えという道徳論的体系をそこから導き出す経書、すなわち四書に対置される。「論語孟子・大学・中庸」の四書が孔子による「仁義礼智」という言語的理念性をもった教えの原典であるのに対して、「詩・書・礼・楽・易・春秋」の六経とは、先王の「礼楽刑政」という事物的具体性をもった教えの原典である。こうして先王と礼楽と六経とは、孔子と仁義と四書に対置されて、徂徠学を外部的な制作の学として構成する方法的な視座をなすのである。
先王と礼楽と、そして六経という外部的視座をもって徂徠は、社会形成的存在としての人間への視座を獲得し、日本思想上に稀有な外部的な社会哲学的世界を構成していった。この徂徠学の外部的な視座は、すでに見たように、人間の内部的な心性論的言語からなる道徳論的体系としての既成儒教との批判的抗争を通じて徂徠に構成されたものである。この徂徠の外部的な視座とともに、はじめて人間は「群」すなわち共同体的を構成する集団的存在として見出されたのである。もちろん徂徠においてこの人間の社会的総体への視点は、為政者に己の知識の立場を同一化させることによって獲得されたものである。したがってこの社会的総体への視点は、政治的である。だがこの政治性を、徂徠学のイデオロギー性としてだけ解すべきではない。むしろ社会的総体への全体的視点がもつ本質的な政治性として解すべきだろう。それはヘーゲル哲学における全体性への視点がもつ政治性と同様である。