神社の改憲運動はなにを目的としているのでしょうか?

神社の改憲運動はなにを目的としているのでしょうか?

 

神道を非宗教として位置づけて規定し、天皇と総理の靖国参拝憲法上問題ないという方向にしたいといわれています。

国家神道の時代には神道宗教的地位が曖昧にされ(政府は「神道は宗教ではない」(神社非宗教論)として天皇と一体化し国民に敬神の義務を強いた)絶対のものとして扱われたのです。

▼安倍内閣に大きな影響力をもつ、日本会議神社本庁改憲運動をこれを推進していると指摘されます。集団的自衛権の時代に、だんだんと祀る国民になっていけば、なにが起きるのか?再び靖国神社が安心して戦争の死者を祀る国家の顕彰施設になってしまうという危険性があります。

思想的な問題としては、山口昌男などの天皇制構造論が批判されることなく無傷のままにありますが、これらの言説が国家神道復活の動きに影響を与えていくのか?この関係で、といえるかわかりませんが、靖国神社がなにか周縁的に文化的な事象としてイノセントに自然に語られることになるのかどうか?しかし靖国神社はそもそも祭祀国家として近代化することになった日本における政治的権威主義を国体イデオロギーとともに構成してきた歴史を忘れてはならないと思います。

 

MEMO

神道指令とはなにか?(Wikiより); 1945年(昭和20年)12月15日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が政府に対して発した覚書「国家神道神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(SCAPIN-448)の通称である。覚書は信教の自由の確立と軍国主義の排除、国家神道を廃止、神祇院を解体し政教分離を果たすために出されたものである。 当初は政教完全分離を目指し、神道行事を一切排除する内容となっていたが、日本社会の実情にそぐわず混乱を招いたため、1949年(昭和24年)を境に適用条件が大幅に緩和された。

 

国家神道の時代には神道宗教的地位が曖昧にされ(政府は「神道は宗教ではない」(神社非宗教論)として天皇と一体化し国民に敬神の義務を強いた)絶対のものとして扱われた。
In the era of State Shinto, the religious position of the Shinto religion was made indistinct (the Government united the Shinto religion with the Emperor and obligated the people to respect the god under the theory that 'the Shinto religion was not a religion' (Jinjahishukyoron (theory that the Shinto religion was not a religion), and the Shinto religion was treated as an absolute thing.

▼政府...による「神社崇拝」の国民への強制の度合いは時代によって異なったが、1930年代初頭から太平洋戦争にかけての時期には、国家神道は戦争遂行の精神的支柱として重視された。
The extent to which people were forced by the government to participate in the 'worship of shrines' varied with the times but, from the beginning of the 1930's to the Pacific War, State Shinto was emphasized as an emotional prop for the prosecution of war.

▼また1889年の勅令第12号によって官立・私立の全ての学校での宗教教育が禁止され、「宗教ではない」とされた国家神道は宗教を超越した教育の基礎とされた。
Religious education in all public and private schools was prohibited by Imperial Edict 12 in 1889, and State Shinto, which was said to be 'not a religion,' was used as the basis for education that transcended religion.