「現国」はなんといっても思春期のときに読みますからね。高校教科書のなかで「現代国語」だけは別格な存在。「現国」の中の文章から、精神的に影響を受けたという話はよくききます

「現国」はなんといっても思春期のときに読みますからね。高校教科書のなかで「現代国語」だけは別格な存在。「現国」の中の文章から、精神的に影響を受けたという話はよくききます。そういう意味で、だれが書いたか、どういう内容であったかは忘れましたが、このベラスケスの絵画にたいする関心は、それについて触れて書かれていたその批評文からはじまったことはたしかです。ただ非線形の入れ子構造のような精緻なテーマを執拗に考えていたのではなく、当時は16歳とか17歳18歳でしたので、画家は筆を手にとってこれから書き始めるのだろうと楽観的に思ったものでした。ところが最近は、画家は書き終わった筆をもっているとは考えずに、書いたものを消し始めたとか、真白にしていくのだろうと悲観的に楽観しはじめています😆 アイルランドに行ったときは、対英独立闘争のあとに起きた内戦の問題、北アイルランド紛争の問題を置き去りにした南アイルランドの問題が常に議論されるのですが、この作品が、現代アートにとって、共同体の肖像画、共同体の困難なナショナル・アイデンティティの形成(現在進行形の)を想像を喚起する重要な素材であることを知りました。共同体の肖像画は、日本に即して考えてみると、戦前のそのままの復活ではないけれど、戦前との連続性の回復が起きています。祭祀国家のなかで消滅した「王」の姿がふたたび鏡の中から...

 
 
Philippe Jamart Bernadette Lambotteさんの写真