漢字は不可避の他者

‪歴史(『日本書記』)、神話(『古事記』)、歌(《万葉集』)、物語(『源氏物語』)、随筆(『徒然草』)、注釈学(「論語古義』)、歌論・物語論(『石上私淑言:』『紫文要領』)、近代文学、文献学、解釈学、日本思想。「思想史教室」のおかげで色々と読むことができた。これらを概観した、20世紀の国民思想は<漢字は不可避の他者ではない>とする総括を行なった。漢字の終わりを考えさせようとするものか?全体からするこの否定し尽くす否定に対しては、そうだとしても、漢字の終わりは漢字の始まりと似ていると言わざるをえない。ベラスケスの絵に示されていたが、筆をもった画家が描き始めたときなにか描き終えたときなのかわからないように。2010年代において倫理学は漢字が不可避の他者だと語る事件性を構成できるのはなぜだろうか?文革からはいった末法の時代に、新しく倫理学を書くのは他者(漢字)であるとしか説明できないようにわたしはおもう