オスカーワイルドから始まった

‪ダブリンで脱植民地主義の作家オスカーワイルドの仮面とユートピアの現前に、ロンドンでポリティカルコレクトネスの文化多元主義の偶像を拒む不在に出会う。東京で両者を見渡す‬

‪いかに、諸々の諸部分の傍らで生み出される一つの全体に関わりながら、全体性の"われわれ自身の固有なもの"という包摂に抵抗するか?2009年に東京に再び来たとき、私は二つの方向を考えることになった。自己自身の肖像画を仮面のユートピアで脱植民地化(ダブリン)。イギリス・マルチカルチユアリズムという名の<多としての普遍主義>へ行く脱帝国主義化(ロンドン)‬ ‬

恥ずかしい話、エンデについてよく知らないのだけれど、モモMomoはなーんかとってもアイルランド的な感じがする。このあらすじを読んだとき、オスカー・ワイルドの逸話を直ぐに思い出した。ダブリンの眼科の医者だったかれの父親は、治療費の払えなかった貧しい患者たちに、治療費の代わりとして息子(ワイルド)にひとつストーリーを話してくれと頼んだという。イギリス的「時間貯蓄銀行」に対抗するような、どんな人の話に耳を傾けてそれらを再構成していくストーリー・テラー story tellerの伝統があるんだよね。ワイルドがそうよね。(モモのあらすじ; イタリア・ローマを思わせるとある街に現れた「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たちによって人々から時間が盗まれてしまい、皆の心から余裕が消えてしまう。しかし貧しくとも友人の話に耳を傾け、その人自身をとりもどさせてくれる不思議な力を持つ少女モモが、冒険のなかで奪われた時間を取り戻すというストーリー。(wiki))