MEMO


万引き家族もあれば、カッパライ三種の神器東京オリンピック、アベノミックス、日本会議ーもある


どんなことがあっても彼方はまったくゆるがない様子なので、此方は、思想の媒介性よりも力に依存する直接性のもとに惹きつけられてきた感じなんですかね、しかしそうなってしまっては彼方の権力の集中をたすけるだけでヤバイかも。彼方と此方の間に、先ず思想ー思考の形式ぐらいのーがあるべきだと思います


日経新聞の一面にある「東アジアに学ぶ」という大見出だけど、なんか足りない。それはちゃんと、東アジアの地域に生活する人びと共に学ぶことの大切な意義を言っているかしら。国家も学ぶことが大切。天祖概念の言説が齎らした祭政一致の考え方の成り立ちがそれほど過去に遡る必要のない理由を学ぶとかね‬


Soufflée ; entendons du même coup inspiré depuis une autre voix, lisant elle-même un texte plus vieux que le poème de mon corps, que le théâtre de mon geste.  L'inspiration, c'est , à plusieurs personnages, le drame du vol, la structure du théâtre classique où l'invisibilité du souffler assure la différance...

Jacques Derrida " L'ecriture et la différence "


息を吹き入れられるとは、あるもうひとつの声が、私の身体の詩や私の身振りの劇よりも古い、ひとつのテクストをみずから読んでいくにしたがって啓示されることだ...インスピレーション、それは、いく人かの登場人物たちにとっては盗みのドラマであり、古典的な演劇の構造であり...

デリダエクリチュールと差異』


文字というものは、けっしてその作者や受取人に固有のものではなく、ある固有の主体からある固有の主体へと導く道程をけっして辿ることがない 

デリダエクリチュールと差異』


どうもなんかかれらに都合よく、安倍政権と自民党とは別物と信じさせようとしている政治家や識者の発言を読んではおもうことは、安倍政権バンザイと言わないからといってその言説をほんとに信用できるのかしらということ。これと同様に、なんとかしようとしているのはわかるが、反体制の側から世界共和国について啓蒙しながら、だけどね、アジアについては専らその経済の発展しか考えずその政治的自由の問題を考えないような言説「自民党的アジアの理想」をどうして信用できるというのだろうか?


Pour Aristote, la philosophie n'est pas utilitaire; ce n'est pas une technique pour produire tel ou tel objet, mais une manière de penser qui permet de se libérer de la vie matérielle.


わたしは宇宙の中心にはいないけれど、あなたがなにを考えているのか、わたしは知っているのよ...

(思考に優先するものとして、思考の形式があるということか)


文化を理解できないとばかにされても仕方ない。本当に理解できないのだから。「幽玄」といわれる物の見方が解説してくるが、隠蔽されている、近代が近代を物語る二重化された視線のほかは、観客のなかでわたしは何か見たのだろうか?パフォーマンスの近代に芸術的意味があるとおもうけれど。想像されているー心地よく歴史感覚が消費される。過去を読んできた公なき共同体の視線に、投射される連続性などあるものなのだろうか?むしろ公の僧侶たちが主宰する政治の現在を皮肉っていると読んではいけないのかしら?


‪Noh theatre 

まもなく『伊勢物語』を解釈した舞台がはじまろうとしている。まだだれの姿もみえない。待っているあいだ、舞台の作りを観察する。能の舞台は、部屋にしては屋根があり、家にしては壁がなく、変なんだね。いや、「変だ」と感じるのは此方が勝手に建築物の同一性を前提にしているからであって、その意味で、観客の想像力が舞台に溶けこんでいるのかしら。と、舞台は机、廊下は抜き差しができるようになっている箱、ひきだしにみえてきたのである。自身に問う。ひきだしの箱に宇宙飛行士(タルコフスキーの映画のなかに登場するような)がいるだろうか?いやいや、箱のなかに宇宙飛行士は存在しない。だがひきだしをしまったときに、机の下で宇宙飛行士がそーっと入ってきたかもしれないじゃないか。存在しないものが存在している。‬舞台がはじまれば、この廊下を渡ってくる旅する僧侶の姿がみえるはずだ、気になるのはほんとうに世阿弥朱子的な視点があるのだろうかということ、もちろんわたしみたいなものにわかるはずもないが...舞台を待つ


‪‪‪今夜はファウスト、(間違い)、狂言『貰聟』の野村萬斎をみた。能『大原御幸』(梅若実)は『平家物語』の窮屈な神々しい再構成か?舞台から太鼓と鼓の楽士達が繰り返し放ってきた「ホーホー」のフクロウ猫語を浴びて「そうか!」と機嫌が直った‬


Living is a horizontal fall.

Jean Cocteau


Artist who make "fragments "

ホホー、未来を思い出す部屋に、求めあう表の世界と裏の世界があったニャ


「共生」の英語訳として私が考え出したのは「co-habitance of different values」ですが、ちがった価値、居住環境をもつ一方、人間が「共生」する。その一方人間のいろいろな価値を対等・平等に保障する。それが民主主義です。

小田実『ラディカルに平和を問う』2005


思想史という自分の関心に引き寄せて書かせていただきますと、思想は常に「家」の独占物だったとおもうのです。長い歴史において学問が読むことができた貴族・僧侶・寺社の独占物だったように。だからこそ解体しなければなりません。そうして思想がすむ「家」は、屋根と床がなく壁も柱もないような外部から非常に侵入されやすい場所(非場所)としてなんとかあるんだろうとおもいます。この点がクニの「家」とちがうところではないでしょうか。思想が再び屋根と床、壁と柱をもつかもしれません。中世の貴族と僧侶が読み解いた朱子学の解体から、近世町人が学ぶことによって(読むことによって)新しく作り出した道徳学の成立のように。読むという行為は、あたかも思想が話したり書いたりする行為に穴をあけること。この穴を通って私は私自身から逃れるのですから、どんな思想も「家」に囚われていたら、これを解体しなければならないでしょうと私は考えています


やたらと古いものをブチ壊すのはよくない。古いものはね、初めから古いわけではないんです。初めはみんな新しくて、それが少しずつ、いっしょうけんめいに古くなるんです。ー高嶺秀子


ひとつベッドで抱き合って、「あなたは私のモノだわね」と念を押しても、「あなたは私のモノだけれど、私のモノは私のモノ」で、半分言わないだけである。ー 高嶺秀子


Soufflée ; entendons du même coup inspiré depuis une autre voix, lisant elle-même un texte plus vieux que le poème de mon corps, que le théâtre de mon geste.  L'inspiration, c'est , à plusieurs personnages, le drame du vol, la structure du théâtre classique où l'invisibilité du souffler assure la différance...

Jacques Derrida " L'ecriture et la différence "


デリダは若いときから演劇に大きな関心があったということをフランスの新聞の追悼記事を読んで知った。一応英訳で調べたが、続く日本語訳(1983)にどうも問題ありのようにおもうのだけれど、大切な一文なので大丈夫なところをメモとして書いておこう


息を吹き入れられるとは、あるもうひとつの声が、私の身体の詩や私の身振りの劇よりも古い、ひとつのテクストをみずから読んでいくにしたがって啓示されることだ...インスピレーション、それは、いく人かの登場人物たちにとっては盗みのドラマであり、古典的な演劇の構造であり... ー デリダエクリチュールと差異』


議長は、強行採決を呼びかける議員たちを、審議の妨害として、直ちに退場させなければならないのではないでしょうか


ジャック・ドゥミ『天使の入江』 La Baie des Anges (1963)はBFIでみることができて感動しました。‪ジャンヌ・モローの富と貧困の間を往来する賭博的実存を物語っています。映画はカジノを描いているとはいえ、実際のカジノを正当化しているわけではありません。さて問題は強行採決されるカジノ合法化だけにあらずです。市場への絶対的とみえる依存を為す国家のカジノ化が進める安倍政治から何が起きてくるのか、台頭してきたどんな連中に希望を託すようになったのかです‬。ほんとうによく考える必要があるとおもうのです


If you endeavour to trace in your mind the image of a tree in general, you never attain to your end. In spite of all you can do , you will have to see it as great or little, bare or leafy, light or dark, and were you capable of seeing nothing in it but what is common to all trees, it would no longer be like a tree at all. Purely abstract being are perceivable in the same manner, or are only conceivable by the help of language. The definition of a triangle alone give you a true idea of it; the moment you imagine a triangle in your mind, it is some particular triangle and no no other, and you cannot avoid giving it sensible lines and a colored area. We must then make use of propositions and language in order to form general ideas. For no sooner does the imagination cease to operate than the understanding proceeds only by the help of words. If then the first inventor s of speech could give names only to ideas they have already had, it follows that the first substantives could be nothing more than proper names. ー Rousseau


Jean-Jacques Rousseau "Discourses on the Arts and Sciences" 


He was born in Geneva, where he was brought up by various relations and received little formal education. He was apprenticed to an engraver , but In 1728 he ran away to Italy and Savoy where he lived with Baronne Louise de Warens. In 1741 he moved to Paris, where he was drawn into the circle of Diderot and his collaborators on the project of the Encyclopedia. In contrast to beliefs normally associated with the Enlightenment, however, Rousseau argued that the regulated manners of sophisticated societies lead to the concealment of emotion and inhibiting of passion, and to an increasing divorce between private and public forms of virtues. ... The more corrupt and inequitable the society, the more likely it would be that the arts would be conscripted in defence of its vices.


トランプが正しいとおもう39%と、内閣支持率の4割越。その全員が馬鹿だとは思わぬが、沈黙している人々がこんなにいるのか。否、もっと増えるかも。私は及び腰だけれど、存在の沈黙している惨めからは「無駄話」と「虚栄」とおもわれている、存在の沈黙しない惨めさを選択する人々と共にいたいと考えている