ゴダール

1950年代迄に映画はそのあるゆる可能性を尽くしたといわれる。映画は失敗したまま完成してしまったというか、とにかく、映画に未来はなかった。映画は、トーキーの時代に忘却されてしまった過去の映画を読み解いていく映画の痕跡を拾い集めるだけである。例えば『野生の少年』(トリフォー、1970)のように。ここからはじめて、分節化された映像のなかに、それをつくる人間の姿ー物語のなかに分節化されないーが投射されたのである。それまで映画は視野としての映像しかもっていなかった。21世紀に映画が消滅し切ったとしても、1950年代から、トリフォーとゴダールのおかげで、スクリーンは自らを見ている投射をもっていたから、他者からの問いが成り立つことができた。その問いとは、存在しないものが存在しているのではないかという倫理的なものである。この問いは、映画が存在していた時代には不可能であったことは説明の必要もないだろう。