フィリップ・ガレル監督の『ギターはもう聞こえない』(1991年)

昨日は、恵比寿の東京都写真美術館フィリップ・ガレル監督の『ギターはもう聞こえない』(1991年)をみた。

昨日恵比寿でみたガレル監督の映画は、ヌーヴェルヴァーグの影響を受けた八十年代的な作品である。前半はヒッピーたちが集まったイビサ島で撮影された。映画にこんなセリフがあった。「人生に約立つ言葉を本の中から引用してみても無駄だ。人生は本の中にあるのだから。」両腕を広げていれば、何でも自分のものにすることができたと考えていたのは間違いだった。卑近な生活に奪われないように、本の中にある至上なものをしっかりと抱きしめていなければならないものなのだという。成る程そうかもしれない。ヌーヴェルヴァーグを確立したゴダールの映画は本というものを抱きしめている。『イメージの本』という名の映画も作ってしまったほどである。ところでもし近代主義はこの理屈と同じように考えているとしたら?と考えてしまった。この場合それほど賛成できない理念化の方向だ。近代はヨーロッパの中にあるのだから、アジアにおいて、まさかヨーロッパ原理を拡充発展させるために、近代をヨーロッパから取り出してみようとしてもそれは無駄なことに違いないとどっかで考えているのではないだろうか。アジアはヨーロッパ原理を生かして卑近なところから至上なものに向かってトータルに考えることができるものなのではないか