MEMO

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砂浜に見えた何かの形が波によって消えてしまう。もうそこにないのに存在するかのようにそこにもう一度形を思い浮かべてみるが、反復はない。映画のスクリーンへの投射と類似している。時間は波。そして言語の集中のなかで、人間が存在しないのにあえて人間の存在を表象する、諸人文科学の平面への思考の投射もある(フーコの「人文科学」)。


ハイデガー存在と時間』における「わたしは時間か?」という問いの構造は溝口映画の近くにいたときわかった。映画における表象の傍らでなければ時間の傍らに無が佇んでいなかった


 ‪政治家夫婦は安倍晋三に警戒心がない。男は後に小泉がやる中曽根の靖国公式参拝に学生のときに抗議しなかった異常な同世代で、現在社会の中心にいる。世の中を腐らせていないか?


 ‪恥ずかしいが、危機感を感じていながら当時私も中曽根の靖国公式参拝に大した抗議をしていない。‬30年後に実現してみせると言っていたことー国家神道復活と再軍国主義ーを現在、経済徴兵も含めて全部実現してしまったようだ。


アリストテレスの芸術における模倣のモデルは演劇から取られている。この概念をすべての芸術に適用可能にするために行った一般化はややぶざまに思われる。(ハンナ・アーレント『人間の条件』第5章注11)


模倣は本質的構成であると言われる。演劇は言語を模倣するのである。つまり演劇では言語が身体と空間を以って再構成される。比べると、映画の場合は言語を貼り付ける、まさにポストモダン的というか。演劇については十分よく知られているが、映画はそれがなにであるかわからないまま百年間で終わってしまった。大衆の原像である映画の終焉によって、絵画についてこういうことがわかってきた。絵画は言語をゼロから創ると。映画が現れる前の絵画はそんなことを考えなかっただろう。否、これは何か、自らを枠づける、ポストモダンにおけるモダニズム化の如き変な幻想形態か?


‪東京デパートの展示でみたキスリングの絵画は「洋画」との最初の出会いだった。子供時代はオーストラリアにいたのに?当時はヨーロッパはこの国にとってデガダンスを意味していた。絵画も、ナショナルアイデンティティである「自然」に反するとされて避けられた。これはオーストラリアの近代である。これが批判されるようになったのは、私と同世代の隠蔽を問題としたポストモダンの批評家たちによってである。‬


「世界史」は日本にしかない。ヨーロッパに「世界史」は存在しない。東京に戻ってくると再び「世界史」に絡みとられて喋れない自分に気がつく。「世界史」からは国家神道がみえない


根無し草の大衆を世話したのはコミュニズムファシズムと映画。映画は観客としての大衆と映画(大衆を描いた)から成る。大衆は映画である自分自身から学ばない。映画の名は軽蔑


多元主義は差別を生み出してしまう。なにであれ一神教的一元主義が平等を重んじるといわれる。ここから、多神教インドは常に多元主義だったわけではなく、イスラムの支配のもとで一神教的なものが支持されていた時代もあるというイスラムからの見方もある。これに関して昨夜はインドを媒介とした中国におけるイスラムからの影響について喋ったら(居酒屋トーク)、実証的年代順を無視していると指摘されてしまった。まあもっともである。しかし実体的同一性にこだわる世界史でみる限りにおいて繋がり方がわからないものも、ネットワークの接続形態でみる宗教の人類学からば理念的に説明できるのではないか。この場合は、図形の場合におけるような繋がり方を問題とする世界宗教の構造を考える。ただしアフリカの視点をもつヨーロッパのナイジェリア人は、帝国か民族かの差異はあるが、ともに奴隷を売っていたイスラムユダヤも信用していないから、そもそも平等を重んじるという一元主義にたいする見方も疑問をもつだろう。死者と生者との関係をどう説明するのかの比較宗教学ならばアフリカもはいってくるとおもうのだけれど、そう簡単ではない。ヨーロッパ植民地主義的形態の幻想もあるからである。


推敲中

STRUCTURE

中心からは考えることができない。周辺(端)においてでなければ考えられない。あえて中心はそれを考えるならば、中心は周辺がいかに考えたかを必要とする。他者を不可避とするその中心は中心でなくなり、周辺は周辺でなくなるだろう。構造がかわるということだ ・子安氏の『漢字論ー不可避の他者』の中国語版の刊行についての申し出でが来ているという


島崎藤村『夜明け前』より


 その時、半蔵は翌朝の天気を気づかい顔に戸の方へ立って行った。隅田川すみだがわに近い水辺の夜の空がその戸に見えた。

「半蔵さん。」と寿平次はまたそばへ来てすわり直した相手の顔をながめながら、「君の誓詞には古学ということがしきりに出て来ますね。いったい、国学をやる人はそんなに古代の方に目標を置いてかかるんですか。」

「そりゃ、そうさ。君。」

「過去はそんなに意味がありますかね。」

「君のいう過去は死んだ過去でしょう。ところが、篤胤あつたね先生なぞの考えた過去は生きてる過去です。あすは、あすはッて、みんなあすを待ってるけれど、そんなあすはいつまで待っても来やしません。きょうは、君、またたく間まに通り過ぎて行く。過去こそ真まことじゃありませんか。」

「君のいうことはわかります。」

「しかし、国学者だって、そう一概に過去を目標に置こうとはしていません。中世以来は濁って来ていると考えるんです。」

「待ってくれたまえ。わたしはそうくわしいことも知りませんがね、平田派の学問は偏かたより過ぎるような気がしてしかたがない。こんな時世になって来て、そういう古学はどんなものでしょうかね。」

「そこですよ。外国の刺激を受ければ受けるほど、わたしたちは古代の方を振り返って見るようになりました。そりゃ、わたしばかりじゃありません、中津川の景蔵さんや香蔵さんだっても、そうです。」

 どうやら定めない空模様だった。さびしくはあるが、そう寒くない時雨しぐれの来る音も戸の外にした。


ユリシーズ』の最後でモリー・ブルームが言う’yes,yes,yes’は‘no,no,no’の意味。言説「私はブルジョワ中産階級に同化しない」の命題文が9文字に集約


言説「天命之謂性。率性之謂道。修道之謂教」の命題文は、「毛沢東とマリリンモンローとの結婚という公の体制にわれわれは同化しない」という拒絶として読めないのかしら?


言語としての漢字は表現だけではなくて言説を書く(命題文「漢字は不可避の他者」等々)。漢字は他者を表象できずとも(津田)、言語の総体が否定されず言語の他者性を思考できる


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「‪命題は言語(ランガージュ)にたいして、表現が思考にたいするのと同様の関係にある。すなわちそれは、言語(ランガージュ)の最も一般的な形式であり、同時にそのもっとも基本的な形式にほかならない。なぜなら、命題を分解するやいなや、もはやそこに言説(デイスクール)はなく、ただばらばらの素材としての要素があるだけだからだ。(...) アヴェロンの野生児がことばを話すようにならなかったのは、彼にとってさまざまな語が、物や物から彼の精神が受け取る印象の、音の世界における標識にようなものにとどまっていて、命題としての価値うぃ帯びていなかったからである。彼は差し出された鉢をまえにして「乳」という語を発音することができたが、それは、「この飲料と、それのはいった容器と、それを対象とする欲望との入り混じった表現」にすぎず、語はついに物の表現的記号(シーニュ)とはならなかった。なぜなら、彼は、乳が熱いとか、乳の用意ができたとか、乳を待っているなどとは、決して言おうとはしなかったからだ。事実、命題こそ、音声記号(シーニュ)を表現としての直接的価値から切り離し、それをその言語としての可能性のうちにみごとに位置づけるものにほかならない。古典主義時代の思考にとって、言語(ランガージュ)は、表現のあるところにではなく、言説(デイスクール)のあるところにはじめてあらわれる。「いいえ」(non)と言う場合、人は拒絶を叫びによって翻訳しているのではない。この一語のうちに、「...わたしはそう感じない、あるいは、わたしはそう信じない、という命題全体」を凝縮させているのである。」‬

‪ー フーコ『言葉と物』第四章 語ること、3 動詞の理論


‬ ‪La proposition est au langage ce que la représentation est à la pensée; sa forme à la fois la plus générale et plus élémentaire, puisque, dès qu'on la décompose, on ne rencontre plus le discours, mais ses éléments comme autant de matériaux dispersés (...)‬

‪Le sauvage de l'Aveyron, s'il n'est pas parvenu à parler, c'est que les mots sont restés pour lui comme les marques sonores des choses et des impressions qu'elles faisaient en son esprit ; ils n'avaient point reçu valeur de proposition. Il pouvait bien prononcer le mot < lait> devant le bol qu'on lui offrait; ce n'était là que < l'expression confuse de ce liquide alimentaire, du vase qui le contenait et du désir qui en était l'objet>; jamais le mot n'est devenu signe représentatif de la chose car jamais il n'a voulu dire que le lait était chaud, ou prêt, ou attendu. C'est la proposition en effet qui détache le signe sonore de ses immédiates valeurs d'expression, et l'instaurer souverainement dans sa possibilité linguistique. Pour la pensée classique, le langage commence là où il y a , non pas expression, mais discours. Quand on dit < non> , on ne traduit pas son refus par un cri; on resserre en un mot < une proposition tout entière; Je ne sens pas cela, ou Je ne crois pas cela>‬

‪ー Michel Foucault " Les mots et les choses"‬


‪ー フーコ『言葉と物』第四章 語ること、3 動詞の理論‬


昭和十年代の15年間の戦争を4年間の「太平洋戦争」に縮約して十年間の日中戦争のことを隠蔽しるが、さすがジョージ・オーウエルだ、ヨーロッパの作家ははっきりと認識できているようだ。隠蔽しなければ国家神道の戦争を認識できるはずだ。

ナショナリストはすべて、過去は改変できるものだと信じている。⋯⋯重要な事実が隠蔽され、日時が改変され、前後に関係なく一部分だけ引用して意味を変えてしまう。起こるべきでなかったと思われる事件については口をぬぐって語らず、最後には否定する」(ジョージ・オーウエル)


僕は旅をする放浪者だからね。放浪者の視点というのはあると思うな。放浪者の視点というのは、ひとつは逃げるということがある。つまり、ひとつの視点をとって、ニッチもサッチもいかなくなったら、べつのところへ行って始めるということがあってもいいと思う(安岡章太郎との対談)『大逃走論』'69


肖像画の貴族の視線は冷たい。絵画の前に立つ鑑賞者に全く以て関心がない。人間的眼差しは粛正してくるスターリンからはじまった。現在独裁者はスマホから暖かい眼差しを送ってくる


『言葉と物』は第1章で分析したベラスケスの絵を第七章で再び見る。映画『ヴェニスに死す』のラストー砂浜に最早人間は不在だが敢えて人間を表象したーのように。無分節の再分節化



「東アジア思想史」で検索したら、East Asian philosophical thoughtで出てきた。(East Asian philosophical thought began in Ancient China, and Chinese philosophy begins during the Western Zhou Dynasty and the following periods after its fall when the "Hundred Schools of Thought" flourished (6th century to 221 BCE).) しこれは中国思想史のことだ。東アジア思想史は江戸思想史もあるのだから(朝鮮思想史も台湾思想史もあるだろう。江戸儒学、朝鮮儒学、台湾儒学がある。) History of philosophical thought in Kanjiではだめなのだろうか、わたしは専門家ではないのでわからない。日本語は漢字と仮名だけれど。ちなみに、イギリスでは、大学のなかにおいては英文学はEnglish (British) literatureだけれど、違和感がないわけではない。History of literature in Englishという言い方が70年代から定着したとナイジェリアからきた友人からききました。ニュアンスが全然違うのですね。わかりますか?イギリス文学だけではないよ、アイルランド文学もあるしスコットランド文学もウエールズ文学もあるよということですね


朱子学の「理」は根拠や筋道のこと。「理」という字は、井筒氏が書いていたが、石肌の細かい模様のことらしい。初めての台湾は大嵐だったが霧の隙間から現れる筋たちが迎えてくれたよ



竹中平蔵「東京都は巨額資産を市場に売れ」。議論が足りんとさ。サッチャーはEnglandが<for sale >だった。Tokyoも<for sale >(東京も販売中)


日本ドウルーズ研究家は思索の純粋な<一>への拘りを示すが、グローバル資本主義の分割をなす<一>帝国の中のn個の「一国ニ制度」のアジアに起きている全体化に目を逸らさないで



朝鮮儒学を称えよう


1916年、ハンガリーアイルランドイースター蜂起に注目した。オーストリア=ハンガリー帝国解体後に、何が起きてくるのか?新しい普遍主義を模索した脱コード性はウイーンの文化に再領土化したとかんがえられる。この視点をもって、アジアを見渡すと、どういうことがいえるか?中華帝国を継承した朝鮮儒学において朱子学純化が起きたとき、朝鮮儒学のおかげで、ここから江戸時代の隣国の学者さん達(士大夫でない町人や農民出身)による脱コード化と再領土化が展開したのではなかったか。17世紀のアジアの知識革命である。アジアにおける新しい普遍主義の模索は、明治維新によって非常に悪い形で行うことになったが、ポストモダンの時代において漢字文化の他者性を発見しつつある。


(不可避の他者である漢字は、「孝」(朝鮮儒学のキーワード)反日だとさけんでいる連中にとっては、「日本語」あるいは「国語」とはまったく関係ないとおもっているのだろうけれど。そんな自分たちを正常だと思い込んでいる連中の口から「漢意は下らない」という言葉を聞くほど呆れるときはない。漢意批判を語った宣長のときは国家がなかった時代で、彼は幕府批判のために中国文明からの自立を主張したところがある。「普通の人々」はナショナリズムを異常とかんじたのだ。そういう意味で近代国家に生きていない宣長ナショナリストではない。とくに文献学的近代とイデオロギーの分裂にとらわれた宣長を語る誤解は近代的諸形態の幻想の類いだ)



鎖国はほんとうにそれほど鎖国だったのか?

嗚呼、この国で嫌われている言葉が、鎖国という言葉ではあるまいか。それは、「前近代」という言葉とともに、永久革命エートスに対する絶望的停滞を意味するからかもしれない。だけれど増殖中にコロナウイルスと一体となったグローバル資本主義の時代に、国家(公)に戻らずに開かれた天下的サコクの方向にむかって発想の大転換が必要ではないかとおもう。問題は、鎖国はほんとうにそれほど鎖国だったのか?西欧列強のアジア植民地化を止める制度だったのでは?横井小楠は西欧に普遍があるならば国防を整えたうえでむしろ普遍に向かって開国すべきであると言っていた。もちろんサコクは、大学封鎖を暴力がなくなったら直ぐにやめるべきように、利潤最大化のために資本と人の流れがもたらす問題の終息と共に直ちに終わるべきである。サコクを原理にしてはいけない。地球環境の問題は常に考えなければならない


『漢字論』の序文を読んだ方がデリダ論をやってほしいとおっしゃる。たしかにデリダならば漢字をどう考たか知りたいものである(彼はちょっとだけ言及しているが、はっきりわかるものではない。)だからそう簡単なことではない。これについて適当に書くことをゆるしていただきたい。「声はなにかについての意識である。」という言及からはじめると、この意識について語る言説は純化をどうしても指示することになる。声は声としてあるのは自らから他から独立している限りにおいてである。声=意識、である。これは声が何かを伝える媒介であるという意味ではない。漢字が媒介である。媒介があるといっても、声の自立のもとに媒介があるだけである。漢字は媒介としてだけ働く借り物である。しかしこのように語られる声の優位性における配置のもとでは媒介を保てなくなるし、声そのものと純粋な意識の融合で思考に必要な分割もなくなって思考も成り立たなくなってくるのでは?そして媒介がなければそこに隣同士はもちろん誰もいなくなってしまう‬


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Le répète immèdiatement, c'est-à-dire reproduise l'autoaffection pure sans le secours d'aucune extériorité, 

(Jacques Derrida La voix et le phénomène, Introduction au probème du signe dans la phénomènologie de Husserl.)


「誰かに語りかけること、おそらくそれは自分が語るのを聞くこと、自己によって聞かれることであるが、同様にしてまた同時に、他者によって聞かれる場合には、その<自分が語るのをー聞くこと>を、他者が、私がそれを産み出したとおりの形式で、他者の内で直接的に〔即座に〕反復させるようにさせることなのである。直接的に〔無媒介的に〕反復するように、つまりどんな外在性の助けも借りずに純粋な自己ー触発を再生させることなのである。」(デリダ 声と現象、林訳)


I need silence, to be alone, to go out and to save one hour to consider what has happened to my world. 

- Virginia Woolf


推敲中


フィネガンズ・ウェイク』Finnegans Wakeは『ケルトの書』を利用して書いたといわれる。ジョイスは娘のルチアに『ケルトの書』の装飾文字を練習させたりしている。装飾文字は、書くことと描くことの区別がない時代の精神の痕跡かもしれない。文字の外から文字を構成する内部を覗くとき、絵で隠蔽されている迷路と感じるような謎々で溢れている。しかし本当にそれほど迷路なのか?その領域は表の世界に属しているが表の世界の部分とならないーわれわれが頁をめくっても近づけないー表をトータルに描いている裏側なのではないだろうか。不可避の他者としてあるこの裏側を論理的にみるのか、道徳的に倫理的にみるのか...‬


推敲中

‪たしかに資本主義は止まらない。今日グローバル資本主義がもたらす不均衡の問題は経済の内部で解決しようとしている。しかしこの資本主義の近代を続けていたのでは地球環境の限界を超えてしまう。経済問題を根にもつ宗教と民族の地域的紛争も生じている。資本主義の近代について、これをどう考えるによって、互いに対立する見方がある。革命からはじまるマルクス主義の経済学は終わりから始まる見方である。終わりから意味のある差異がはじまる。またそれは最初の対立関係の状態が最後には対立なき関係へ行くゲームを考える(階級闘争止揚)。他方で、近代経済学は収穫逓減の法則。この法則はつぎのことを上手く説明できる。ビール一杯目が一番美味しい。二杯目は美味しいことは美味しいが、一杯目ほどの美味しさがない(人によってはどんどん美味しくなるが、これは例外とする)。近代経済学は始まりから終わる見方だといっていい。はじまりにこそ意味のある差異がある。再びはじまりがなければ差異を食いつぶしていくだけだから常に開発する。また最初の対立なき関係が最後に対立関係へ行くゲームを考えているわけだ(植民地主義)。マルクス経済学と近代経済学、この両者はお互いに反対同士にみえるが、しかし知の考古学からみると近代という同じ地層にある(つまり補い合う。実際に自国民ファーストという名のもとに階級闘争植民地主義によって止揚された。) 問題は、この近代をいつ終わらせるのかである。資本主義の市場がもたらす不均衡の問題を解決するために、再び資本主義を推進した一国民主主義に委ねることは倫理的に不可能であるとおもう


If Donald Trump is not removed from office, Abraham Lincoln’s republic cannot endure ーFintan O'Toole


「微力でも無力ではない」は敵が絡みとられている思弁性を排除するという意味で実定的であるが、梟猫の構成ではない。ホー、経験が成り立つ\成り立たないの分割を問題にする方法こそは「無力でも微分(差異)がある」。排除されている無力だからこそ文学からの言葉をききたいニャリ


幻想が幻想をうむ。資本主義は消費者の自分が権力をもつとか所有する知識は権力だと錯視させる体制だから、デモへ行くの、投票へ行くの。いかに自分が無力であり愚かであることを知るために


「乱君ありて乱国なく、治人ありて治法なし」(『荀子』)。乱れた君主がいるのであって、乱れた国があるのではない。よく治める人がいるのであって、よく治める法律があるのではないという。「乱都知事小池ありて乱東京なし」という真実。何を言っても無駄な乱世である


「乱都知事小池ありて乱東京なし」


MEMO 中国に言論の自由があった時代が二つありますー辛亥革命後の議論が可能だった十数年間(帝国の言語を解体しようとする文学者の運動もあった)と諸子百家の時代

Wikiより 諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子老子荘子墨子孟子荀子などの人物を指す。「百家」は儒家道家墨家、名家、法家などの学派を指す。



これはシネマトグラフィーについての大切な論考。美術史が先行する。ところで17世紀にはいって市民が芸術論を読みはじめた。なぜ危機の時代の17世紀だったのか?西ではヨーロッパは外部に出はじめた。東も、秀吉の朝鮮出兵が明を滅ぼしてしまったといわれる。17世紀は芸術もまた外に出はじめた


Joseph Mascelli著の「The five Cs of Cinematography

シネマトグラフィー(映像の演出)について、5つのCという基本があると書かれている本です。5つのCとは、Camera Angles(カメラアングル), Continuity(一貫性), Cutting(編集), Close-Ups(接写), Composition(画面構成)


Pour la présidentielle de 2022, Mélenchon veut privilégier la « clarté et l’intransigeance » plutôt que l’union à gauche


アウトサイダーアート】精神病患者や美術教育を受けていない作家の美術活動。仏語ではアールブリュット。イギリスの美術史家ロジャー・カーディナルが提唱。ヘンリー・ダーガー、マッジ・ギルなどが有名。


フーコの知の考古学的地層は思想史の平面の束である。『言葉と物』はこれらの互いに異なる機能が一緒に働く平面を書く。多様なものの配置である。つまり、形而上学ルネッサンス、コギト懐疑主義、カント的理念性、ヘーゲル的思弁性、人文諸科学、文献学者ニーチェの言語への反時代的問いかけ、精神分析構造主義。江戸思想史を勉強しはじめたときは、子安先生の仁斎を表象するためには、カントを書くフーコの地層をいつも思い浮かべなければならなかった。外国語を読むときはいちいち母国語の翻訳を必要とするが、何というか、所謂西欧思想史を母国語のようなものにしていたのだから変だよね。日本近世思想が外国語としてある。でも大袈裟だがこれが日本近代の知の宿命といわれるものなのかもしれない。現在は、不勉強ながらも、なんとか、仁斎を考えるときは、江戸思想の平面ー朱子学と古学(仁斎と徂徠)、国学(宣長)、神学(篤胤)、政治神学(後期水戸学)ーにおいて考えることができるようになった。これからの課題はもっとポジティブに朱子からストレートに江戸思想の平面を考えてみることである。多分このことによって、アジアで展開した思想を自分のものにできるのかもしれない、翻訳(西欧思想史)を必要としなくなるという意味において(無理かな?) そしてほんとうに大切なのはアジアにおける注釈の体制である。それから天道の絵じゃないかな。1970年代からこうした近代の見直しが可能となったのだけれど、何とか自分の思考もそこに属しているが、編集者の説明によると、現在は「近代」という言葉は売れないらしい(『明治維新の近代』(子安先生)に代わるタイトルを探しているが、中々うまくいかないようだ)




推敲中

このことをふまえて、わたしの理解では、われわれの世界は、天に方向づけられている縦軸と、人の道に方向づけられている横軸で構成されていますが、縦軸は絶えず横揺れするのです(天地自然の時に示す異常・変異)。朱子学における宇宙論的・存在論的な秩序が成り立たないが、だからこそ縦軸が再構成されていかなくては人はやっていけなくなるということです(「天は偽りを容れず」という仁斎の主宰的な天道観)。人間の現在は最も狭く、最も限定され、最も瞬間的で、最も点の性質があり、たえず線を分割しそれ自体も過去と未来に分かれて行く、つまりたえず未来を思い出していくというか、直線状の点です。すべてが日常卑近の表層で進行する、ものを平面化する台こそが人の道といえます。人間に即して考えていけば、過去においてXとYは互いに関係があったかもしれません。だが未来においては、既存のものに依存することは無理があります。未来における横軸のdxは、未来における縦軸のdyとの間の予定調和的な関係は断ち切れているのです。そういう意味で縦軸のdyと横軸のdxは互いに関係がないのですが、だからこそ、この<無ー関係>から、新しく関係をつくる天地の間の運動が生まれてくるといえるのではないでしょうか。われわれの世界は、相互の関係と反作用とによってのみ存在するということです。


最後に、このカント的仁斎または仁斎的カントのテーマと、「論語」」のなかに示された、国内的亡命者という世の中と対等であるという生き方の問題をめぐる新しい解釈との言説的関係にわたしは関心をもつ。問題提起したいところである。今回は「論語」から引用した言葉だけを示しておこう。


「子の曰く、賢者は世を避く。其の次ぎは地を避く。其の次ぎは色を避く。子の曰わく、作(な)す者七人。」(憲問)


当然に次の文も深い関連性がみとめられるかもしれない。


「子の曰く、道行われず。筏(いかだ)に乗りて海に浮かばん。我に従わん者は、其れ由(ゆう)なるか。子路(しろ)これを聞きて喜ぶ。子の曰く、由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所なからん。」(公治長)


17世紀にはいって市民が芸術論を読みはじめた。15世紀とか16世紀ではなかった。なぜ危機の時代の17世紀だったのか?西ではヨーロッパは外部に出はじめた。東もみると、秀吉が朝鮮出兵へ行く。明を滅ぼしてしまったともいわれる。17世紀は芸術もまた外に出はじめた。さて差異が価値を生み出すとマルクスがはじめてこのことを言った。空間が価値をうむのではなくて、差異が価値を生み出すのである。しかし差異としての空間が世界から消滅したとき、差異としての時間がとってかわった。ゲームの規則が変わった。これからは時間が差異を生産する。ここでマルクスが言っていた事情は同じで、差異が重要である。時間が価値をうむのではなく、時間と時間との差異が価値(剰余価値)を生み出すのである。萩原朔太郎が憧れたパリは舟で二か月もかかったが、飛行機で9時間で行けることができてパリは消滅してしまう。パリは時間のなかに定位していたということがわかるのである。20世紀の大衆は失われたものを映画において読みはじめた。しかしあらゆる映画の表現は50年代までに消滅してしまう。もともと映画には未来がないといわれていた。1950年代後半から人々は過去の映画ー過去の映画を利用して制作された映画ーを発見した。フィルムを溶かして再利用していたブルジョワは古い映画の保管にビックリしたかもしれない。商品でなければなんの役に立つのかと?だがブルジョワの中から映画を保管する映画博物館の意義を積極的に理解するものもあらわれた。アナーキスト系アーチストの「ヌーヴェルバーグ」と名づけられた感化の大きな運動は、だけれどブルジョワが創造した世界の外部であったと言わざるを得ない


何度でも書くよ。ナチスを裁いたヨーロッパに出てきた極右翼と戦争責任をはたさない日本の(そのままの形で現れた)極右翼の差異を無視すべきではない。この差異を前提に、ヨーロッパにおいて2.5%の支持を得た極右翼は今日20%以上の支持。日本の街頭で直接行動する極右翼に17万票。2020年東京、毒キノコ増殖中!