「国語」の思想とはなにか?

「国語」の思想とはなにか?

そもそも「国語」という命名に違和感をもっていましたし、現在もその違和感がなくなりません。戦後民主主義(一国民主主義)にとっての日本列島の「国語」なのでしょうが、それでは戦前の台湾で日本語で文学を書いた作家たちが無視されてしまいませんか。「日本文学史」は前衛作家たちの転向のことが分析されるのは内部の視点においてからですが、台湾の日本語で書く作家たちに転向はおきなかったことが、最近の台湾映画で明らかになってきました。外部から思考しなければ、転向の問題だけでなく文学のあり方も考えることが不可能でしょう。「国語」は精神に深く関わるのは、ここで文学を読むからですが、だからこそ、現在は「国語」の思想を批判的に考えなければならないときです。敢えてこの時代は、「国語」という中立化された自明の言い方をやめて、「国語の思想」と呼んでみたらどうでしょうか。