アイルランドとはなにか?

アイルランドとはなにか?

アイルランドの8年間で徹底的に教え込まれたのは、どんな内側にもさらに外側と内側があるということ。 独立後もアイルランドの政府は、イギリス政府のような政府としてあらわれました。英国憲法とそっくり同じ憲法を据えるというそんな痛い歴史があります。ただしこのような問い方(仕切り方)を常に行うことは、イギリスからの支配を徹底的に無効化していく、敵味方の境界線を相対化していく実践的方法でもあります。ポストコロニアル世界の、抵抗としてのポピュリズムといえます。ところでダブル・クロスという言葉があります。二重スパイの意。これは非常にアイルランド的なんですが、現実に起きた事件で、IRAダブルクロスが寝返って、英国の諜報局のダブルクロスとなり、再びIRAダブルクロスになるというこの裏切りを三十年間やり続けた人物がいたのです。最終的に果たして自分がどちら側のために働くスパイだったか忘れてしまいました。忠実な日本人からは信じられない話ではありますが、考え方によっては、これはまさしく、二項対立から自由になることができた男の感動的な話ではないでしょうか!?
さて現在はアメリカの時代。その地理的表象から、イギリスとアイルランドが単に島国同士の争いにしかみえません。しかし19世紀の大英帝国の時代は、英国は太陽が沈むことがなかった、地球の半分を持った帝国でした。その帝国を相手に戦ってきたのは大変なことです。歴史をみると、エリザベス女王の前までは、アイルランドは国際カトリック連合の一部でしたから、英国がアイルランドと戦うことは、スペイン・フランス・イタリアからなる全ヨーロッパと戦うことを意味していました。英国にとって、アイルランドは'大きかった'、そういう時代もありました。再び20世紀へ。ベルリンか、ボストンか? これは、第二次世界大戦アイルランドは脱英国化の戦略として、EUとアメリカに関わっていく選択を言い表した言葉です。社会民主義的なヨーロッパと、資本主義的なアメリカとの間にあって、バランスをとるのはそう簡単ではありません。リーマンショックの金融不安で最も大きな影響を受けました。ウオール・ストリート占拠運動にはいくつかの先駆がありますが、(南米の農民による土地回復運動とか、) アイルランドで起きた、(EUからの借入金によって)銀行を救済する政府の決定に反対する抗議運動もその一つをなしたとされています。

司馬遼太郎がいうほどには、百選百敗されど一度も負けたことがない、というほど熱狂的というわけではありません。(イギリス人ですね、その無敗神話は)。ただ、アイリッシュは負けた姿がカッコいいのです。勝負を超越してしまうのです。サッカーの試合のとき勝ち始めると凄く調子が狂う(笑)。さてフィレンツエは別ですが、ローマ等のイタリアの諸都市の建築の前に立ったり美術館にいると、不安を覚えてしまうのはケネスクラークだけではないはず。やはり勝利のオブセッションにとらわれた近代の資本主義が教会との共謀関係をとおして展開してきた歴史的場所に立つからでしょうか?アイルランドでHere Comes Everybody!と両手を広げたのは、ジョイスの後に続いてローマ法王でした。'負けた'人を積極的に受け入れますしわが身のように助けたいという建前をとるカトリックの影響が色濃い国。こんな貧しい国に誰も来るかという辛辣な反論も。ところが1970年以降、90年代に、ケルトの虎と呼ばれる空前の契機によって、1800年代から外出する一方だった人の流れが反転します。ダブリンに来たのは、米国アイリッシュ系ばかりではありません。東欧の貧しい人々も。このときはじめてアイルランドは宗教的建前と世俗的現実とのギャップに揺れ動いたのです。(教会に無関心な)労働者階級でありながら、信仰を通してアル中を克服する人物を聖人としてみとめよという政治臭い話もアイルランドならではの話。EUに占める経済は1%なのに、かくも政治的反抗児。嘗てマルクスも注目したほどでしたが、その反抗のアナーキぶりにひどく警戒もしました
プラトン的徳性に偏り、的な経験的知識のアリストテレスの名前は滅多にききません。この点で、産業革命がなかったアイルランドは、産業社会的規律や計画を偶像崇拝とみなす世界の圧倒的多数派。It might have(こうなるはずだったが)という仮定法過去で語られる間違いも、カトリック的<許し>から無限回に与えられるsecond chanceの恩寵のまえで、それほど間違いとはなりません。アイリッシュから、Not the end of the world ! と、よく慰められました。アイルランドカトリックはフランスのとは雰囲気が随分と違います。フランスのカトリックは、真理は力なりとする所謂プロテスタンティズム愛国主義に近いのか、それは私には分かりません。一見ゴダール映画も知識を重んじるフランスカトリックの伝統が垣間見られますが、あれはいかにもプロテスタントが思い描いた似非カトリック神秘主義だというアイリッシュ系イギリス人の声もありますがね、コリン・マッケーブとかね