ペンローズを考える

予測不可能・計算不可能な決定論について思索する、このラディカル数学者は、神秘主義との境にいるようにみえます。しかし素人の考えですが、かれがいう、計算が複雑過ぎて予測不可能という考え方はそれほど非科学的とは思えません。ただし日本での彼の紹介者、テレビで人気のある脳科学者は自覚ないままに自分の反知性主義的なオカルトを勝手にペンローズに投射しているのは非常に不幸な受容の仕方とは思っています。ところでかれは反証可能性がない言葉を口にしているではないかという指摘は一考に値するでしょう。この点にかんして、カール・ポッパーというのは、最終的にイギリスに亡命してきました。イギリスの知識人たちはその最大の果実を享受できたわけですが、可能な限りそこに依拠しながらも、さらに、<みえるものしか存在しない>という程度のリアリズムの直接主義に振り回される<哲学>の窒息から自立したいと試行錯誤したのが、ペンローズではなかったでしょうか。とはいえ、イギリス的アマチュア精神の知性主義の良き伝統でも、堅実な実証主義者がペンローズは行き過ぎたと懸念していますし、これとは反対に、存在論者からみると、認識論を越えていないのですからなにも始まっていません。唯一、満足している哲学は、決定論に、<予測不可能な>事件性の猶予を与えたことを評価した、唯物論哲学でしょう。物質は思考することができるか?と問うたスコットランド人のDuns Scotus。その唯物論的決定論はスピノザからエンゲルスに、そしてこのペンローズにおいて結実していていくようにみえます