ブレヒト「屠畜場の聖ヨハンナ」(東京演劇アンサンブル)の感想文 ー その3

ブレヒト「屠畜場の聖ヨハンナ」(東京演劇アンサンブル)の感想文 ー その3

 

モーラーは痛さを感じていました。最後に、'右側'から街頭に現れたとき、吹雪く寒々とした痛いほどの寂しさから逃げ出したくて、友と出会う為に降りてきてしまったひとりの人間の姿ではなかったではないでしょうか。ヨハンナは孤独に直面します。しかしその孤独(solitude)は、孤立(lonely)とは本質的に別のものであったことは、ブレヒトにおいてはあまりに自明でした。たしかにヨハンナは資本主義よりも存続することができませんでしたけれども、しかしヨハンナは死んでしまったわけではありません。ヨハンナは、欺瞞的に神聖に祀られることによってその痕跡を消されようとも、しかしこれとは全く無関係に、現在、猛威をふるうネオリベのグローバリズム資本主義の無秩序に抵抗する人々の間に確実に存在しているからです。こうして演劇の本質とは、資本主義からの脱出を物語る哲学として存在するのではないでしょうか