冤罪は何故起きるのか?

冤罪は何故起きるのか?

弁護士は検察側の証明を反駁すれば十分なのです。ところがこれについては多くの人々に理解がなく、弁護士が真犯人をさがし出せなければ反駁した事にはならないと思い込んでしまっています。だから冤罪事件を取り扱うのは大変困難なことなのだ、と、免田事件を解決した弁護士が言っていました。免田氏に対する大変な説得があったときいていますが、信頼を得たこの弁護士は、裁判では、(あえて無罪の主張を取り下げて)、検察が勝手に作文した台本通りに、(あえて法廷戦術的に)殺人をみとめた被告が、自らの民事上の所有権を主張してみるという作戦をとりました。そうして殺人に使ったとされる'ナイフ'の返還を求めたのです。結局これで免田さんの無罪があっと間に確定することになりました。そもそも最初から存在しなかった'ナイフ'などを警察と検察は返しようがありませんからね。ところでその弁護士は一般的に被害者遺族の影響力について分析していました。公に犯人が特定するまでは生活の保証がなく、だからどうして犯人をあげてもらわなければ困ることが生じると。世論の遺族に対する同情と<警察は何をしているのか>という憤りのなかで、無理な捜査が強引に展開していくと、冤罪が起こ得るというのですね。こういうこともあるから、犯人が分からず中々分からない場合にも、国が遺族の生活をサポートする補償金を与える制度が非常に大事と指摘していたのを覚えています。この弁護士は陪審員制の復活を求めた市民運動を通して、検察の言葉に頼り切る裁判官に、人々の多様な経験と知恵を介入させようと期待したのです。現行の裁判員制度はその役割を果たしていますか?