ふくろうねこはいつも、映画が思考手段であると考えてきた J'ai toujours pensé que le cinema était un instrument de pensée

・ふくろうねこはいつも、映画が思考手段であると考えてきた
J'ai toujours pensé que le cinema était un instrument de pensée
・ラディカルであるとは、事柄を根本において把握することである。だが、人間にとっての根本は、人間自身である
Radikal sein ist die Sache an der Wurzel fassen.Die Wurzel für den Menschen ist aber der Mensch selbst.ーK.Marx

観客は映画に思想(物語)を読み取るけれども、映画を構成するフィルムが思想そのものではありえない。一方表現するフィルムをただの物質だといいきれないところがある。ゴダール的にいうと、思想性と物質性の<間>がフィルム。思想も<間>に存在する。そうして神秘主義的にみえても、青年マルクス唯物論的に、広がりを獲得した思想が物質性をもつ可能性を言っていた。そして人間が決定的に自己自身を超えるのは思想においてだ。C'est dans la pensée que l'homme se dépasse définitivement lui-même.ここでマルクスが人間に力点を置いたのは,人間の思想=物質=運動との関係を、'民衆'という全体の名('日本人'とか'XX人')に包摂したくなかったから。('帝国'も全体の名。) と同時に、未定義の余白の如く、マイノリティーの名が消されてはならぬのは、人間の思想性・物質性の理論的領域に先行して、倫理性のプラクティカルな領域が存在していたからではないか