デーア・ローアーDea Loher の「無実」UNSCHULD を読む

私のからだのなかの無数のひとりの人間が
いっせいにしゃべり始めるのを感じる ー

なぜ、「無実」UNSCHULD は海から始める必然性があったのか?おそらくこの作品において、作家デーア・ローアーDea Loher は、誰にも見られず聞かれなかった海の底に沈んでいた元々一つであった分割不可能な詩を、あえて、人間の声たちに配置して書いてみせたのではないだろうか。そんなことを考えた。(私のからだのなかの無数のひとりの人間がいっせいにしゃべり始めるのを感じる、と、小田実は自らの体験について語っていた。) 「無実」のテーマは人間である。ところで孤立した<われ>が中心となる資本主義のなかの闇であれ、<われわれ>を言い続けるコミュニズム(スターリニズム)の光のなかであれ、恒久的であると信じられる国家、家族、財産、地位、健康に、たえずまもられ眠らされ目をそらされている。しかしそれにもかかわらず、この意識の底にある不安とは、人間を窺い、人間を離そうとはしない。世界の不確実性にまき込まれて無力となった無数のひとりの人間が、巻き込まれることに歯止めをかけつつ、巻き込まれながらまき返す手立てを模索している。と、このデーア・ローアー の「無実」 を演出することになったのは、公家義徳氏。かれの「忘却のキス」から持続する一貫した問題意識があらたにどのような表現として構成されてくるのだろうか。東京演劇アンサンブルの待ち遠しい秋の公演。大いに期待している!(本多敬)