いかなる理由で、ジョイスの脱領土化 (脱構築)の文学は、トリエステにおいて成立してくる必然性があったのか

 

北イタリアはオーストリアからの独立運動が起きた。赤い伯爵はミラノの独立を描いた。ヴィスコンティーの映画は、スカラ座オーストリア軍が入る様子を描いたのである。運動が起きたのは、ミラノやベニスだけではない。アドリア海をのぞむトリエステも。'世界史'の語りは、これらの独立運動をイタリアへの帰属の要求という風に整理していくだろうが、そんな単純な話は決して起きない。トリエステには、外国軍の占拠という現状を利用して、別の国家の再領土化(再構造化)を牽制し、トリエステそれ自身の独立を知的世界に交渉していくエネルギーも存在した。(究極的には、外国軍の基地の撤退を求めている。) ジョイスの脱領土化 (脱構築)の文学は、トリエステにおいて成り立つ必然性があったんだね。