今回の希望としては、新たに若い人達がデモに参加してきたこと、ファシズムの問題提起する人々が現れたこと、最後に、国際報道が味方していることですね。私は諦めていません。

今回の希望としては、新たに若い人達がデモに参加してきたこと、ファシズムの問題提起する人々が現れたこと、最後に、国際報道が味方していることですね。私は諦めていません。憲法は依然として大切。だけれどね、イギリス人の反体制的な知識人なんか'憲法まもれ!'とは言わないのはなぜか?書かれた憲法すらないですから、いやまじめな話、近代憲法の500年の歴史をもつ彼らはそこに依ると、型にはまってしまうことをよく知っているからでしょう。決して有利にならないと。同じたたかい方をして同じ敗北は繰り返す必要はありません。残念ですが今回のことは、大江的9条の会的な抵抗では死守できなかったということではないでしょうか。解改憲で敗北し続けていくのに、憲法の言葉が守られているかと裁き続ける。事実上自衛隊がアメリカ軍の一部になっても、憲法の言葉のおかげで戦争にならないと安心する。絶対平和主義をいう安倍にたいして、平和をまもれといっても'たたかい'にならないこともわからず、日本語を破壊していると非難を浴びせる。しかし、運動の側は、安倍との差異をつくるためにも、安倍がどんな国家像をもっているのかさっぱり見えてこないというところを徹底的に批判できなかったのでしょうか?例えば、アベノミクスの破綻は明らかなのに、成長の夢が彼を支持していく。この成長の夢をもって、何がしたいのか、この人の軍事国家は?と問い、問い続けていくしかないではありませんか。それはしないで、モラル的に、'九条が自衛隊員の命をまもる'とかいう伝説に拘泥していては (自衛隊に殺される人には空しい言葉) 、一定の啓蒙効果はあるにせよ、全然足りなかったということです