われわれは本当にだれが'焼身自殺'したのか知っているのだろうか?

われわれは本当にだれが'焼身自殺'したのか
知っているのだろうか?

焼身自殺というものについて、週刊誌的人生相談の語りで対象の内部の中から内部に即して語っていては、あまりに思考が欠如してはいないだろうか?そもそも誰が焼身自殺したのかを根本的に問うことも必要となってくるとおもう。そしてそもそも、現在この文脈で'焼身自殺'という言い方に欺瞞がないのか、と?たとえば、憲法が自ら行った自殺爆弾の類だったかもしれないし、その憲法は、自らの死を前に、街頭の無関心の人々ー将来徴兵にとられて他の国の人々を殺す宿命をもつ人々に怒りを覚えかれらを殺そうとしたかもしれない。けれども、'人を殺すかなれ'という自らの崇高な平和主義の理想を貫いた、と人間的に考えることも決して不可能ではないのだから。究極的に人間について考える人間においては外部の思考がもっと必要とされてくるにちがいない。