「九条のおかけで敗戦後日本はだれもしなず、だれも殺さなかった」とは、それほどほんとうに九条のことを語っているのでしょうか?たとえば、沖縄の基地をてこに、朝鮮とべトナムの人々がどれだけ殺されたかという事実に照らすと、「だれも殺さなかった」という主張は、9条が許してくれるものなのでしょうか?

「九条のおかけで敗戦後日本はだれもしなず、だれも殺さなかった」とは、それほどほんとうに九条のことを語っているのでしょうか?たとえば、沖縄の基地をてこに、朝鮮とべトナムの人々がどれだけ殺されたかという事実に照らすと、「だれも殺さなかった」という主張は、9条が許してくれるものなのでしょうか?大いに疑問です。ところで貧しい他国を壊しては (都合よく)再建したのがアメリカでした。が、湾岸戦争以降は、壊すオンリーになったと批判されるようになりましたね。これについて、海外滞在中に、アフガン・イラク戦争のときは、アメリカが(戦争で)ぶっこわして、日本が (土木工事で) 再建する'と、随分と繰り返し皮肉られたものでした。この言葉をきくたびに、ドキッとしました。(爆撃しやすいようにアメリカに都合よく)再建してくれる日本がそういう形で戦争に加担していたとヨーロッパの人々は考えていることを知ったからです。さて昔から商売というものは戦争を追いかけてきましたが、現代はもはやそんな商売は戦争と区別がつきません。結局、安倍のファシズムを批判することなくしては、原発再稼働に反対しても意味がないように、安倍のファシズムを批判せずに、九条を称えても意味がないとおもうようになりました。つまり原発集団的自衛権、この両者は、安倍においてたがいに切り離せない関係にあります。そこからたたかう国家による、教育の介入が生じてきました。政教分離の原則が踏みにじられ、歴史が消されていきます。平和憲法の意義は疑えないですが、問題は、これを利用した市民運動のあり方。世界同時的に起きている他国の反戦運動市民運動を参考にして立て直すとき