グローバル資本主義の時代と、'民族的独立'という語では説明できない世界同時的な市民的抵抗のありかた

グローバル資本主義の時代と、'民族的独立'という語では説明できない世界同時的な市民的抵抗のありかた

国際政治をみる眼。1970年代には、米ソの二極から多極化へという国際政治の認識が打ち出されていた。1980年代からのグローバル資本主義の時代においては、多極化の多中心構造を包摂する形で諸帝国が並存して現れてくることになった。将来的には地球的広がりをもつ一つの帝国形成に至る過程を読む知識人もいるぐらいだ。恐らくEUからは、ヨーロッパ帝国が誕生していく。(ギリシャアイルランドポルトガル・スペイン、将来トルコは帝国内周辺に)。アメリカ帝国は、ライバルの中国帝国から自らを差異化するために、'人民'という語を避けて、アメリカの、アメリカによる、アメリカのための、と自らを言うかな?結局、集団的自衛権もTPPもアメリカ帝国の一部をなす。このことを前提にすると、どの帝国に抵抗するど市民運動も、これらを'民族的独立'と呼ぶのはアナクロ二ズムだね。21世紀グローバル資本主義の時代に起きてくる事柄については、'国家'とか'民族'という19世紀的語彙はそれほど役に立たないということだ