「第三批判」の問題とはなにか?

「第三批判」の問題とはなにか?

 

カントの「判断力批判」は第三批判といわれる。「悟性」はその先天的原理によって自然概念を基礎づけ、一方「理性」はその先天的原理によって自由概念を基礎づけたのである。「悟性」と「理性」、この両者の認識能力の中間にあるのが、「判断力」の先天的原理である。しかしここで中間とはどういう意味か?「悟性」と「理性」は、<何かを失ったからこそ何かを得ることができる>世界だろう。第一批判の「悟性」は、「理性」との馴れ合いを失ったが、構想力の媒介によって「直観」との関係に入った。また第二批判の「理性」は、感性的欲望との馴れ合いを失ったが、「悟性」と「信」との関係を得たわけである。さて「悟性」が「直観」との関係に入るかは統覚の働きにかかっているが、ただしこの統覚をしてもこれほど異なる両者に共通の枠組みを与えられるかどうか?また「理性」の方でも「概念」との間に新しい関係を打ち立てるかは「信」に依拠するが、この「信」は「理」そのものの限界を言いだす危険もあるだろう。しかし理性そのものの限界はカントにおいて語られはしなかった。というか、語ることが不可能であった。理性そのもの限界は、語ることそのものの限界であるから。「第一批判」のカントが語っていたのはあくまで、理性の限界であることに注意しよう。カントがなしたことは、「理性」が自身の内部から内部に沿ってしか何かを語れないという態度を批判したことであった。例えば、これにかんして想起するのは、日本知識人に「固有」ともいうべき「資本論」の読みの特徴である。つまり現代資本主義を分析できない「資本論」の問題を解決するためには、再び「資本論」に依る読みによって解決するほかないという幻想のことだ。これは、「理性」が自身の内部から内部に沿ってしか何かを語れないという態度と驚くほど似ているではないか。「世界史の構造」が、テクストの空白に、<不在>を実体化していくー 帝国に収斂していく国家と民族と資本の<世界史>。こうしてこの不在に日本知識人の探求が自らのアイデンティティを譲渡していくのは、限界がないようにみえる。「現代思想三月号」以降、柄谷行人は帝国的東アジアの位置と機能をはっきりと語りはじめたが、かくも反民主主義的言説をいかに語りえるものなのか。
「悟性」と「理性」の認識能力の中間にあるのが、「判断力」の先天的原理であることはのべた。喩えると、「判断力」は、「悟性」と「理性」の土地のなかにあるけれどもその土地の一部になることは決して起きない。なぜか?「判断力」は、「悟性」と「理性」からなにも獲得することができないからである。「判断力」は、<なにかを失ったからこそ何かを得る>世界には属してはいない。寧ろ絶対他力的に、この「判断力」は (「悟性」「理性」から) なにも獲得することがないときでも、まだ失うことができるほどだ。こうして、対象の立法的構成性と客観的合目的性なき不定の主観的合目的性が「第三批判」において成り立ってくる。つまりこれが他者としての中間だ。他者として中間にある判断力とは、「不定」として生成する思考の過程にほかならない。ところで芸術の非本来制は純粋な観念を非観念('物')に依って表現する矛盾にあるが、同様に、思考の非本来制が終わりなく混沌とした観念を非観念('言葉')によって表現する矛盾においてあらわれる、と判断力は語る。だが「第三批判」が陥るのは、混沌とした無規定性によって包摂されてくる全体性の風景かもしれない。この非合理な受動性に流れゆく生命の存在論的言説が、民衆史の言説の青写真を構成する。近代国家の中に取り込まれた人々に共通のものを読む、反近代を投射した言説のあり方と無関係といえないだろう。そして「第四批判」を書きはじめたのは、ヘーゲルではなく、マルクスであった。現在進行中である