演劇感想文 ー 東京演劇アンサンブルの宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

演劇感想文 ー 東京演劇アンサンブルの宮沢賢治銀河鉄道の夜

宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」を十回以上書き直しましたーシュールレアリズムからリアリズムへと。賢治の死後、最終的にその弟から信頼を受けた東京演劇アンサンブルが、当作品の著作権を得て日本での初公演が実現していく契機は五十年代からはじまります。入江氏のお話によると、そもそも「銀河鉄道の夜」は文学に適した特別の作品として遺族に理解されていたようでした。これにたいして、当時広渡氏は、デュシャンの抽象性を利用するなどして、「銀河鉄道の夜」を大胆に演劇化することに成功しました。今日23日は、その入江氏の演出した「銀河鉄道の夜」をブレヒト小屋で観劇いたしました。さて、'銀河鉄道'というと、なにか、天にある最終目的地に至る天道の直線的イメージがあります。しかし東京演劇アンサンブルの「銀河」は単純に、そんな<天地>の二項対立に陥ることはありません。ジョバンニとカムパネルラが共に関わっていくのは、神仏の超越的な<天の道>ではなく、ただ、人がそこを往来通行する<人の道>であったようにおもわれます。つまり演劇というものが信頼してきたような<人の道>です。これは、ブレヒト小屋の舞台で目撃すると、宇宙のどこを切っても現れるぴちぴちと充満した運動状態(「泡」とか「影」)。つまりジョバンニとカムパネルラの間にあるのは、思考の運動をそれに含む、絶えざる運動状態でした。前述したように、「銀河鉄道の夜」の演劇化は、言い換えると、文学から演劇に飛躍するためには、かくのごとき演出の抽象性に依ることがなければ決して実現することがなかったのではないでしょうか。(ブレヒト小屋 12月26日まで公演)