銀河鉄道

銀河鉄道は、ヒルベルト空間のなかでベクトルが色々な方向を以て動くように、あちらこちらと動く河だった。父なるもの不在。この点において、ジョバンニの旅の始まりと旅の終わりは似ている。沸騰し圧縮されている始まりに、海の帰るべき起源を読みとることなんてできやしない。


銀河鉄道の旅は、色々な見方ができるけれど、ジョバンニが経験する死後の世界の旅という側面がある。彼は多分父がいる遠い死後の世界へいけば、永遠に確かな何かを知ることができるだろうと。だが、「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」という世間の考えからすると、いきなりジョバンニは死というものを知ることができるのか?宮澤賢治は敢えて、いきなり彼を死後の世界に旅させるのである。なぜだろうか?そもそも死は知る対象として存在するのかを考えてもらうためにか。死後の世界があるのかないのかを議論することはそれほど重要ではなく、対他的な生の世界の意味を考えることが大切なのかもしれない。と、このことを考えてもらうとしているのか?宮澤賢治は存在への問いに向かってとてつもない大きな思考の旅を準備している。