なぜ暴力が起きるのか?ー「シャルリー・エブド」誌をめぐる事件からなにを学ぶか?

なぜ暴力が起きるのか?


 「シャルリー・エブド」誌は、イスラム教宗教的権威を揶揄しているのではなく、他のどの宗教的権威も揶揄しているという点を力説する意見に、「だからそれがどうしたの?」と聞きたくなりますね。ヨーロッパが自らの独善的揶揄を、ヨーロッパの排他的他者イスラムに投射したら、それこそドミノ倒しみたいに、戦争が拡大していくばかりだということを心配しているのに。
さて、揶揄された側が暴力で抗議することなく対等に対抗する策としては、言葉の交換があると思います。しかし交換が禁止されるほどの絶対的権威としたら、怒りをもって、そういう権威に暴力を行使することが起きてくることは避けられないでしょう。このような怒りは、人間の自然ではないでしょうか。フランスで起きたこの事件の教訓は何でしょうか?たとえば、揶揄される側が抗議するために対抗するメディアを持たなかったり、抗議する場所を持たなかったりする場合、揶揄する表現に法規制の可能性も検討されることも現実的な解決策と思います。が、表現の自由に抵触するかもしれないこのような法規制を、日本のように極右翼が大きな影響力をもつ立法者に委ねることに大変不安を感じます。また法規制が先行しても、人々が、揶揄された側の怒りを「知る」こと、つまり法を「知る」努力と意志を伴わないと、やはりこの問題は解決されていかないのではないかとかんがえます。