大杉栄とはだれなのか? ー アナキズムの具体的他者の思想

 

大杉栄とはだれなのか?

1、 書店の棚に本が少ないことでわかるのですが、関東大震災の話題を除けば、大正という時代は、明治と昭和とくらべて人気がありません。自由を謳歌する種々雑多のものが湧いて出てくるがかえってつかみどころがない漠然とした大正。大正天皇の在位期間が短かく日本人が好きな天皇の存在感がないような物足りないと感じられる大正。しかしほんとうに大正天皇に力がなかったのでしょうか?明治の元勲が支配する藩閥政治が終わる時代だからこそ、彼らが創作した天皇をコントロールするものがなくなったともかんがえられます。つまり大正において国家権力を一点に体現していく方向で天皇の剥き出しの力が全面的にあらわれることになった、したがって人々に対する比類なき抑圧の鎖が覆うことになっっていく時代だったのではないか?戦後民主主義が自らの先駆者として称えた大正デモクラシーの伝説とはまったく異なる、人間の自由が抑圧された人間の屈辱の時代だったかどうかは検証していく必要です。天皇というと、'偉大な' 明治天王と昭和天皇ばかりに関心が行きますが、実は(病弱な)大正天皇のもとでこそ独裁的な強権的な体制が敷かれることになったのではないか、その必然として、例えば、幸徳秋水大杉栄の虐殺が起きたのではないかと。
2、 久野収鶴見俊輔著「現代日本の思想」(1956年)に、「大逆事件」が現代日本の思想に与えたインパクトを書いています。80年代に読んだ記憶がありますが、現在再び読み始めてみると、やはり久野と鶴見が「大逆事件」をどう理解しているのか、そもそも幸徳秋水の思想をいかに読んでいるのかがみえてきませんね。「現代日本の思想」は大杉栄の思想を書いていません。大杉栄の名は一回出てきますが、思想についての分析は一度も行われません。これは私の変な印象なのですが、久野と鶴見の説得力のある語りは、大杉を無いものとしてしか成り立たないような・・・
3、1961年に高裁裁判長(長谷川成行)は大逆事件の再審請求を棄却したときに、請求人(森近運平の妹栄子)にこう訊いていました。「社会主義というのはその当時(・・・)人にいやがられるような運動だと思ったことはありませんでしたか。」なんという質問でしょうか!?これでは思想裁判の無効性を問う請求人の思想を裁くことに等しいではありませんか。つまり大逆事件は二度裁かれたというわけです。「現代日本の思想」のほうでは大逆事件の幸徳をこのように語っていました。「社会が何を必要としているかを考え、そこからわりだして自己の倫理的義務をわりだすという仕方は、幸徳秋水等の悲惨な最後を同時代人として目撃したせいもあって、白樺運動の出発点において意識的に排除された。」これは、先に引用した長谷川裁判官の言葉ではなく、「現代日本の思想」の著者達の言葉だということに私は憤りをもちます。「社会が何を必要としているかを考え、そこからわりだして自己の倫理的義務をわりだすという仕方」という思想家たちの書き方が、「大逆事件」を物語的にねつ造した国家権力(検察官)の書き方となんらかわらないからです。思想家たちの「白樺運動の出発点において意識的に排除された」の言葉が、長谷川裁判官が「人にいやがられるような運動」と言い放った言葉とおなじだからです。ここに、大逆事件の物語を書いた当時の検察官、戦後再審請求を棄却した裁判官、そして「現代日本の思想」の著者たちが共有している、アナーキズムのステレオタイプ化をみることができるとしたら、なんという絶望でしょうか?

4、大杉栄のような「監獄のプロ」と揶揄された思想家にとって、監獄から考えた大正の社会とはいったい何を意味したのでしょうか?ここに大杉の言葉を引きます。
「けれども俺ひとり俺の鎖を解こうとしても、どうしても解けない鎖がたくさんある。俺の鎖とみんなの鎖とは、巧みにもつれ合いつなぎ合っている。どうにも仕方がない。それに少しでも怠けていると、せっかく苦心して解いた鎖が、自然とまた俺のからだに巻きついている>、<俺はもう俺の鎖を鋳ることをやめねばならぬ。俺みずから俺を縛ることをやめねばならぬ。俺を縛っている鎖を解き破らなければならぬ。そして俺は、新しい自己を築き上げて、新しい現実、新しい道理、新しい因果を創造しなければならぬ。」
「獄中で一番いやなのは冬だ。綿入一枚と襦袢一枚。シャツもなければ足袋もない。火の気は更にない。日さえ碌には当らない。これで油っ気なしの食物でいるのだから、とても堪るものではない」
「これは出獄の時の唯一のお土産と思って、紙に包んで大切にしまってある。そしてその包紙に、下のごとくいたずら書きをした。---- 社会において吾人平民の膏血を吸取するものは、すなわちかの紳士閥なり。監獄において吾人平民の膏血を吸取するものは、すなわちこの南京虫なり」

大杉栄からすれば、「現代日本の思想」の著者たちがいうようには、「社会が何を必要としているかを考える」ような「社会」が大正の日本に存在しなかったのではないでしょうか。つまり、西欧近代文学が描き出すような統一感が感じられるような社会が存在しないのだから、大杉においては、(社会からわりだされてくる) 個人も存在していなかったのではないでしょうか。「現代日本の思想」の著者たちがいうようには、「そこ(社会)からわりだして自己の倫理的義務をわりだすという仕方」のような「自己」が近代日本のような監獄国家には存在しないと大杉は考えたのではないでしょうか。だからこそ大杉はこう言うのです。「俺はもう俺の鎖を鋳ることをやめねばならぬ。俺みずから俺を縛ることをやめねばならぬ。俺を縛っている鎖を解き破らなければならぬ。そして俺は、新しい自己を築き上げて、新しい現実、新しい道理、新しい因果を創造しなければならぬ。」 ここで大杉において言われていることを読めば、かれが社会に対する個人の対決などを語っていないことがわかります。
5、大正の「鎖工場」の国家には、対象として反逆されるような社会も存在しないし、従って、主体として反逆する個人も存在しないのです。大杉の「自我」とは、社会と個人が成立しているような西欧の近代リアリズム文学の<抽象的人格自我>ではなく、あるいは戦後民主主義が自らの語りを正当化すために想定するような<抽象的人格>ではなく、<具体的人格>だったとかんがえられないでしょうか。大杉がいうように「鎖」を解き破った具体的人格は、小田実的にいえば、毎日「アゴラ」へ来てワイワイガヤガヤやっていた、あるいはウロウロウヨウヨ」する、自由に思索し自由に行動する「新しい自己」をいうのではないかと私はかんがえます。そうして大杉の具体的な人格、具体的な他者こそが、「一歩でもいい、ただ生きて行くという生活から超越したい。一刻一刻に現在の自己を超越したい」と訴えるのです。このような収奪によって社会も個人も成立しなくなるような「監獄工場」は、日本帝国主義が創りだす植民地の現場を想起するものだったのではないかと私はかんがえます。でしょう。「現代日本の思想」の著者たちのように、日本の内部から内部に即して大杉栄幸徳秋水の直接行動の観念性をみることができるかということです。久野と鶴見の説得力のある語りは、大杉を無いものとしてしか成り立たないような印象は、このような内部の語りから生じてくるものだったのではないかと考えているところです.

6、なぜ、いま大正を読み直すのか?日本がつくった戦争をかんがえるためです。
今日の日本人のなかに、自分自身をふくめて、日本帝国主義天皇ファシズムがもたらした戦争と植民地主義にたいして、自分がほんとうにそれほど一方的な被害者の立場と一体だったことをきっぱりと主張できるものが一人でもいるのかと問わざるをえません。この点にかんしては、無批判に、大正デモクラシーユートピア的に称えられてきたように、「本来的に日本は正常な民主主義の道を歩んでいたが、それが成熟する前に、残念ながら、戦争によって中断されてしまった」というような、自分たちの過去にたいする思い上がった過大評価があるのではないかと私は疑います。この大正デモクラシーは、「日比谷焼き討ち事件」から始まり「満州事変」に終わるとみるならば、それは治安維持法を中心とした統治体制を推進し、日本帝国主義を完成、(戦争に中断されたどころか)、戦争の方向を必然化した体制といえます。このような戦後民主主義大正デモクラシーの連続性を楽観的に主張してきた勘違いと、(今日自分が一方的な被害者の相続者であると言うものが)日本帝国主義天皇ファシズムがもたらした戦争と植民地主義を忘却する態度は、パラレルにおもえてしかたありません。なぜ、いま大正を読み直すのか?それは、日本がつくった戦争をかんがえるため、しっかりと歴史を相対化することによって戦争をふたたび繰り返さないためだとやっと気がついてきました。