古本屋とはなにか?

古本屋とはなにか?

愚かな勘違いで今年も早稲田で用を足せなかった帰り道に、中学時代に彷徨いこんだ色々な小さな道をふらふらと再び歩いてみようとおもいました。冒険心のある子供のときは、大地の神々の闊歩のごとく、道沿いにあるどんな隙間も想像力で支配していたものですが、しかし小学校高学年になると、なにか立ち入り禁止の見えない柵を自分からつくっていくようになります。記憶の中では、有名中学受験とやらで一人二人と友達も遊んでくれなくなると、いつのまにか少年ジャンプの話題もなくなり、なにげなくかれらと闊歩した自由にした領土 (?) がどんどんなくなっていきます。しかし消失した領土はどこへ行ったのか?きょうは、ちょっと気まずい思いで、何十年ぶりに、中学生のときは中々はいりづらかったと感じた古本屋達の内部を再び覗いてみました。昔は変な話、巨大な洞窟の中で、蛍光灯のフラットな光で照らされた古い汚い本達に見つめられていると感じたものでしたが、それは、ほかならない、自分のなかで、誰からも見られずに読むという自身の欲望を見ていたのかもしれませんね。大人のナンセンスでエロチックな漫画、芸術の画集、映画、演劇、文学、詩集、記号論、外国語の本達が、題名だけでも、欲望の系列(セリー)を構成していました。当時は気が付きませんでしたが。それにたいして法、経済、政治の本達が、やはり題名だけでも、あえて言えば、検閲機構のようなものでした。結局この検閲に抑圧されて愚かにも法学部に行ったのが人生の失敗でしたか。 また別の古本屋へ行く。鍵穴を覗くように中を見る。と、現在気になっている新たな欲望を見るのです。近世思想史の本たちです。どこの本屋も多くは揃えていませんでしたけど。ああ、わかった、なるほど、消失してしまった領土は、この古本屋たちの内部のなかにあったということなのか・・・