天気がわるいと気持ちもひっこむ...おぞましくあまりにも文学的な...

天気がわるいと気持ちもひっこむ...おぞましくあまりにも文学的な...

アイルランドの天気がこんな感じでずっと続くとき、もう二度と晴れる日がやってこないのではないかと文句を言うアメリカ人が大勢いました。(ゴルフができないからね) イタリア人にとっては、太陽がかれらの友達。だから、それでも、私に向ってこんな国にいる理由はなにかと問うシシリー島の人がいました。なにか、こだわりにみえてしまうらしいのですが。でもこだわりは、晴れるかもしれないとする合理とは関係がないのかもしれません。むしろこだわりとは、晴れることからほど遠い、それでも天命の如くある無意味な対象に向かって嘆く信の構造。それはおぞましくあまりにも文学的な...。ただし、これにたいしては、あなたの友達にユダヤ人がいれば、危険な偶像崇拝とみなすかもしれませんね。かれらは偶像に触れて手が汚れるぐらいならば、「イギリスは最高さ。第一天気が最高さ」と目の前の徴を絶望的に嘲笑ったほうがいいのですから。ジジェクが言うように聖書にきちんと記してあるように、かれらの以前には徴にこだわることで神を撃退することを思いついた人々はいませんでした) ちなみに、日本人は晴れた青空を仰ぐと安心してしまうから、大島渚は僕の映画の中に青色を絶対に使わないのだといっていました (「愛のコリーダー」のこだわり)