'解釈壊権'について

専門家ではないので偉そうなことは言えないのですけれど、ただどうしても言っておきたいことは、'解釈改憲'という言い方で完全にごまかされてしまいますね、このことです。政府が行っていることは'解釈壊権'である、とマスコミは正しく伝えるべきなんです。実際に安倍も憲法それ自身を壊すつもりで取り組んでいますから。さて'解釈改憲'で繰り返し敗北させられてきました。同じ敗北を避けるためには、なんとか色々と智恵をだしあって、いままで言われなかったあたらしいことを、一人ひとりが市民の立場から発言するときがきたのではないかとおもっています。たとえば、安倍自民党は9条だけでなく25条も無き物としようとしています。われわれは、9条を失えばそれと一緒に25条も自ずから失うことになるのだというふうに訴えていくやり方がもっとあってもいいのではないでしょうか。(事実上社会党があったときは、世界トップクラスの行き過ぎた防衛費のために生活への公的助成が儀性になっていると緊張感をもって訴えていたとおもいますが。) グローバル資本主義の時代、貧困が普遍的に拡散しているなかで、憲法第25条は他国とも共有すべき25条として、25条の地域的普遍性を広げていく目標を積極的にもつことがあってもいいのではないかとかんがえています。これにかんして考えておく必要のあることがあります。たとえば、アフリカの人々はアフリカで生産された食料を自分たちのために消費できません。なぜ?食料はアメリカとヨーロッパに運び出されるからです。(19世紀のアイルランドの危機のときも国内には食料はありました。)そのかわりに、西側からは何が来るでしょうか?武器が来るのです。食料と武器とが交換されていますが、そういうことがないかのように、恥じることなく平然と、日本は武器輸出国になろうとしています。この方向は倫理的にゆるされないという根拠を、新たに第9条と第25条との互いに切り離せない繋がりから市民が新たにつくっていくことが大切であろうとおもいます。