憲法の近代を読む (続き)

「1945年8月15日は、明治憲法下の日本が、大正デモクラシーのような一定の成果を上げながら、どうしてひたすら戦争に突き進んでいったか」を真摯に問うならば、「太平洋戦争」という日本が齎したアジアの戦争を無視した言い方の使用はやはり考えるべきはないでしょうか?

 

 ツイッターで時々、昔々悪い王様がいましたが憲法がその王様を縛りましたと説明しているおとぎ話風の絵が流れてきますし、最近AKBのどなたかが「憲法が縛る相手は国民ではなく政府であることを知って衝撃を受けました」とおっしゃっているようです。現在の若者たちが憲法が政府の所有物と考えさせるに至った自分自身の責任のことを反省。「拷問するな!」とこれだけはやめてくれと最低限のことを抗議している憲法の名宛人は、現実に拷問を行ってきた政府です。ところがこれとは正反対の方向に、勝手に憲法を解釈した政府が国民をいきなり縛るのが、解釈改憲なのですね。それは事実上解釈壊権のこと。思い返せば、八十年代のアカデミズムの中心は、政府の<解釈>が憲法それ自身を壊す解釈壊憲を政治的に批判すべきところを、中立的に、自己規制的に、<解釈の解釈>によっていかに憲法それ自身を保つかに腐心した結果、憲法の言論を壊滅させたしまいました。たたかいにならない。バカすぎたのは、憲法の言論をゼロにしてしまった当時のローカルな自称リベラルのアカデミズム主流と学生の私でした。しかしこれから始まるのだと思います。