Je suis Zaha Hadid 私はザハ・ハディドです  - 磯崎新さんは、ザハ・ハディドさんに充てて、「〈建築〉が暗殺された」という内容の手紙を書いています。

Je suis Zaha Hadid
私はザハ・ハディドです

 

磯崎新さんは、ザハ・ハディドさんに充てて、「〈建築〉が暗殺された」という内容の手紙を書いています。ここでいわれる<建築>の意味は何かと考えながらこれを読んでいます。磯崎さんによると、ザハ・ハディドさんは「建築家にとってはハンディキャップになる2つの宿命―異文化と女性―を背負っていたのに、それを逆に跳躍台として、張力の漲るイメージを創りだした」。「戦争を準備しているこの国の政府は、ザハ・ハディドのイメージを五輪誘致の切り札に利用しながら、プロジェクトの制御に失敗し、巧妙に操作された世論の排外主義を頼んで廃案にしてしまった」。なるほど、もしかしたら、2020年の東京オリンピックはあたかも戦争を推進する国体論的な新・靖国神社の等価物として、どうしても日本人によって排他的に建築されなければならなかったというわけですか。このとき、「〈建築〉が暗殺された」という<建築>は、ほかならない、多様性を意味する<他者>のことだろうとわかりました。

 

ザハ・ハディド

〈建築〉が暗殺された。
ザハ・ハディドの悲報を聞いて、私は憤っている。
30年昔、世界の建築界に彼女が登場したとき、瀕死状態にある建築を蘇生させる救い主があらわれたように思った。...
彼女は建築家にとってはハンディキャップになる2つの宿命―異文化と女性―を背負っていたのに、それを逆に跳躍台として、張力の漲るイメージを創りだした。ドラクロワの描いた3色旗にかわり、〈建築〉の旗をもかかげて先導するミューズのような姿であった。その姿が消えた、とは信じられない。彼女のキャリアは始まったばかりだったではないか。デザインのイメージの創出が天賦の才能であったとするならば、その建築的実現が次の仕事であり、それがいま始まったばかりなのに、不意の中断が訪れた。
彼女の内部にひそむ可能性として体現されていた〈建築〉の姿が消えたのだ。はかり知れない損失である。
そのイメージの片鱗が、あと数年で極東の島国に実現する予定であった。ところがあらたに戦争を準備しているこの国の政府は、ザハ・ハディドのイメージを五輪誘致の切り札に利用しながら、プロジェクトの制御に失敗し、巧妙に操作された世論の排外主義を頼んで廃案にしてしまった。その迷走劇に巻き込まれたザハ本人はプロフェッショナルな建築家として、一貫した姿勢を崩さなかった。だがその心労の程ははかりはかり知れない。
〈建築〉が暗殺されたのだ。
あらためて、私は憤っている。