MEMO

昼の本と夜の本 (the book of the Night)があるが、普遍的歴史の河たち(Rivers of Univeral History)は後者が取り組む問題意識である。

国家は法の名によって人殺しをするといわれるその意味を私は理解してはいない。死刑と法とは無関係と疑っているから。国家は、罪と罰を均衡させる法と無関係に、恐怖を生産する。国家の間違いを正すどんな抗議の声も抑え込んでいけるかどうかが処刑の生産性である。しかしこういう野蛮はいつ終わるのか!?

 

LGBTの『ミル・プラトー』の理念的にラジカルな生産性を読めていないのは、自身が未成熟だからじゃないかとおもっていたけれどね

 

原理主義でなければ、他である女性も身体をもっているとみとめざるをえない。LGBTについても、そしてついにN個の性にも。『身体』は存在としての共通をもつから、多様性の言説が成り立つ。しかし『身体』は、国の(身)体に固有なものがあるようにあるといわれる限り、多様なものを拒む最悪の言説が出てきてしまう‬

 

なにも変えるな!‬すべてがちがたものとなるように。卑近なそのそばに至上なものが宿る

Change nothing so that all can be different. The sovereign dwells close beside the secular...

 

 

Selfーportrait
— that were or might have been
— that there have been
Holzwege
zero

  自画像

あるだろう, ありうるかもしれない
かつてあった

どこにも通じない道
ゼロ

 

人として立ちあがったとき、なにかを踏んでしまったかなとおもって足元を見ると、ひびがはいって割れている。暗証番号も入力できないほどセンサーが壊れている。人間界との交信ができなくなったのは小さな事件性であった。嗚呼ふくろう猫のままで存在していればよかったのだ、形而上学的にかつ世俗的にと


自ら理性を捨てて恥じない恫喝、極右翼に議会に足場をもたせた結果、現在その対価を支払っている。私は言論の自由だ、正しい意見かどうかは思想の市場が決めるし、選挙民もよく考えよと反論するだけでは、どうなのか?この反知性主義というよりはロゴスなき反道徳主義の言説ペストが無条件に広まると思う

完成しないままに終わった思想達のすべてを語る思想は完成するか?完成しないとしたら、この思想はどの思想に位置するの?ボーとしてきた。まだロゴスは根拠たりうるか?無理ムリ