ゴダール「プラウダ」(Pravda 1969)‬

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ゴダールプラウダ」(Pravda 1969)‬

‪三十年代のスターリンヒトラーの接近は、東欧の活動家達の粛清をもたらし、左翼から右翼までの知識人が連帯した人民戦線を崩壊させてしまったが、戦後も、ソビエトは左翼のオブセッションとしてあり続けたので、サルトルですら、五十年代ハンガリー動乱まで批判できなかったほどである。‬

‪畏怖すべき意味の凝縮をもって、政治学-精神分析-批評を書いたゴダールたちの「ジガ・ヴェルト」集団の「プラウダ」は、<解体>プラウダチェコとしてのソビエトである。

議論されていたことは、思想的自立性の問題、映像がもつ言説との関係である。思想は国家が棲家とする映像のコントロールからいかに自立するかが問われていたとわたしは理解している。

ゴダールは書くためには映像を必要としているという。これとは反対に、ハリウッドのシナリオと同じ感じで、国家における映像との関係は、国家は映像を集めるために言葉を必要としている。コインに刻まれる皇帝の顔、紙幣の国王あるいは独裁者の顔、これらのリアルな映像はそれ自身で完結しているのではなく、常に言葉との結びつきから成り立つ。国家は映像を集めるために、言説である国家主義のフィクションが映像のリアルに先行したのである。映画「プラウダ」の課題は、いかに言説を脱構築するか、いかに国家が作り出した映像-言説の中でそれとは異なる映像-言説をみせるかにある。 20世紀にロシアが発明した現代国家の問題は、ボルシェヴィキフランス革命をどう解釈したかから問われるべき映像-言説の問題である。‬