マイノリティ

‪ ‪「テクノロジーの(過剰な)夢」「現実感覚」「生産性」に、<何かを獲得する為に何かを失う>というような近代の原理主義が宿っているのでないか。これにたいしては、<失うために失うことができる>のでなければ、みんなが一人ひとりがマイナーに成る多様性が多分起きてくることはないだろう。共同体は、絶えずみんながマイナーと成るほどの思考の柔軟性をもたなければ、‪「テクノロジーの夢」「現実感覚」「生産性」に巻かれるだけでなく巻きかえしていくという巻き返しも中々成り立つことができないとおもうのだけど。オリジナルの「生産性」を声高に言う言葉から攻撃されるばかりである