ゴダールの‪『軽蔑』( Le Mépris 1963)

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‪『軽蔑』( Le Mépris 1963)は、登場人物達はラングが語るヘルダーリンの詩の意味を知らないけれど、ギリシャ神話「ユリシーズ」の海が枠付ける映像の系列が、「『軽蔑』はゴダールの映画である」という言説と自由な関係を保っている。それとは正反対に、「『軽蔑』はゴダールの映画ではない」ことが事件となった。(プロデューサーは映画にブリジット・バルドーの裸体の映像を求めたとき、ゴダールは映画から自分の名前を消すことを条件に了解したという。)

他方で『軽蔑』はラングが語ることによって事件(スキャンダル)となる言説をもっている。「 まもなく彼は、毎朝、嘘を売る市場に行く必要がなくなるだろう。まもなく彼は嬉々として、列をなす売り手たちに加わることもなくなるだろう」

アメリカに行ったブレヒトが物語ったこの言説はゴダールアメリカに行ったラングその人が語らせるからこそ事件となるである。

『軽蔑』はブリジット・バルドーモラヴィアである。この映画は悲劇なのか?この答えを考えるために、バルドーの身体は何を意味していたのか、これは一考の価値があるかもしれない。身体は属性としての空間に属しているだけで、神が支配する全領域の部分ではなかった。卑近なものは神のほかになにも存在しなくとも。しかしなんの理由もない不条理な死はギリシャ悲劇のものである。映画はこれを模倣している。