書くこと

英訳されたマルクスの博士論文(「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」(英訳)を読んだ、頼りない記憶を手繰ると、デモクリトリスの原子論と共に成立した古代ギリシャの彫刻は都市を見る視線がもったと指摘した上で、彫刻は全体を代表していて個人を表していないといいます。だけれど、後に、エピクロス主義のルクレティウスが考えたランダムなずれの運動(swerve)と共に、ルネッサンスは個的多様性を表現することができたと、そういうような趣旨だったと思います。彫刻も見つめるのです

No.19フーコカフェー ポストモダン的表象

ソビエトが崩壊して、絶対的真理とされたマルクス資本論』の解釈が自由になったとき、そもそも解釈の自由とは何かが問題提起されました。注釈について考えられたとき、表象が成立する為には自己を表象してくれる他の表象が必要ですが、それはマルクスが「等価形式」と呼んだものではなくないかと喚起したのは柄谷でした。江戸思想史は注釈と批評の歴史です。注釈は言語の存在と共にあり、他方で批評は言語から自立する空間ですね。フーコが書いてあるようなヨーロッパの注釈と批評の歴史を勉強しなくとも、江戸思想史にあります

 

間違いを恐れずに、わたしの理解で申しあげますと、これは事実上亡命してきた中国の友人から聞いた話に基づくのですが、中国はアメリカとの戦争を考えていて、日本は全く相手にしてないのだそうです。北朝鮮は中国が背後にいるからああいう感じで中国に国を奪われないように生き残りをかけてやはりアメリカに向けてミサイルを発射しているのでしょう。台湾有事となれば第三次世界大戦ですから、在日米軍基地にミサイルが飛んでくることは確実です。
世界的に考えて観ることが大切だと思います。一国民主主義と母国語中心主義ですから、中国と日本は別々の主権国家であると考えられるのですが、そうだとしても、日本だけ民主主義であるということはあり得ないと思うのです。中国の民主化があって、日本の民主主義が成り立つと考えたのは戦前のアジア主義でした。結局中国侵略でアジア主義は矛盾に陥って破綻しましたが、その考え方の全部を否定できないように思います。中国に民主化を求めること、その前提として先に日本がどんどん民主化すること、これしかないとわたしは思っています。
現状に関していうと、自衛隊を日本の外に出ないことを憲法レベルにおいて確認をしたうえで、自衛隊は台湾と東アジア海について情報を交換するというのが良いのではないでしょうか。
日本人は沖縄の独立を考えられないように、中国はリベラルでも、台湾の独立を認めることができません。アジアのEUとして、東アジア共同体を形成して、台湾は中国からは独立せずにここに属すると主張できたら、絶対とは言い切れませんが、中国は考えるかもしれません。東アジア共同体における台湾のコモン化ですね。漢字文化圏東アジア共同体は、実体のあるもので、台湾儒教、朝鮮儒教、日本儒教、そして中国儒教の歴史が支えたものとしてリアルに存在して来たと考えるのがわたしたちの構成です。われわれ東アジアは、天にいる祖先がわれわれを見守るという意味で子孫のわれわれを見ていなければいけないと想像することは難しいことではありません(淫祠邪教はダメですよ)。ポストモダンの精神(鬼神)とはウエストファリアー体制の主権国家システムに根差すのではなく、隣同士を大事にするグローバルデモクラシーを見ているかものです。ただこれはヨーロッパのEUがうまくいかないと難しいです。ヨーロッパはイスラムとの関係を見直す新しい普遍主義を再構成しようとしていますが、極右翼とかBrexitによって、悪い形に引っ張られそうですね。それが心配です。
アメリカは中国共産党の独裁を一切認めませんから、中国はアメリカとの戦争のほかに選択がないのです。隣同士を大事にと主張するわれわれポストモダン孔子の立場は、中国は共産主義のままでいいから、国内マイノリテイーとの関係を変えること、周辺諸国との関係を大事にすること、この二つのことを求めています。

シュレディンガーをたたえよう

この著名な物理学者はナチスオーストリアからアイルランドに亡命してきた。おそらくアイルランドが彼の前にユダヤ人の亡命を受け入れたことはなかった。何故か?まさかアイルランドは核開発を考えたわけではないだろう。当時の首相が数学者だったので彼の仕事の意義を理解できたか?ハミルトンがいたから?兎に角彼は政府から研究所を与えられた。しかし彼は生命とは何かを問うことになった。その思想的影響といえば、現代と古典とは調和的に共存できるという復古主義の思想を思い描かせた

 

鬼神は嵐風雷鳴に存するというならば、どうしてそれが渦巻きでないことがあるだろうか?本質は個別的であるし個別的になっていくのは渦巻きの分割による

 

日本でソシュール研究は朝鮮の大学を支配した戦前に遡ります。ソシュールは記号について差異のことを言ったのに、言語について語っていたと考えられたのです。時枝誠記において言語について差異を考えた結果、漢字で書かれた日本語文を分析することになりました。通説では、これは時枝の間違いとされますが、わたしはそう思いません。日本語において主語は漢字で書かれることを時枝は発見しました。そうして、言語の自立的あり方(音声中心の母国語つまり国語)とは自立した言語の他者的なありかたを差異として考えていきます。漢字は借り物であると考えて、今日の国語学者のように音声的な起源を考えていく必要がありません。しかし文を包摂する助詞について語り出したとき、時枝の言語学は他者性を失いました。
現代中国も根源的誤謬は、彼らが帝国主義がにる文化的支配をいまも漢字の優位によると考えていることです。たしかに漢字は仏教を翻訳して周辺の他の国(日本)に伝えることができました(華厳教はインドの中国化です)。何故翻訳が出来たかというと、まあ、漢字は表象の帝国だったからでしょう。漢字は今日のようにシニフアンとシニフィエの非常に限定された関係しかもっていなかったのではありません。しかしその漢字は、現代中国のもとにどんどん簡素化されて音声化されています。現代中国語はマイノリティーにとって中国人の国家言語でしかないのです。だから彼らの同化主義が反発されるのです。

たとえば、「鬼神」の字ですが、これは目に見えずこれも聴こえないものと語られたのですが、『中庸』において、宇宙論的に構成されました。その後、朱子は鬼神を精神であるという言説を展開しますが、これは仏教の「空」の中国化ではないかと思えます。朱子が鬼神について語るためには、「空」と「無」の違いをめぐる1000年要した儒教と仏教の間の思想闘争がありありました。徳川日本の古学は、朱子学脱構築ですから、荻生徂徠から、古代がどのように鬼神を考えたかうぃ語り出します。徂徠は学的鬼神論を語り始めましたが、それに対して平田篤胤のような民情論的鬼神論が言われます。これらの言説が後期水戸学の政治神学の言説を形成します。「鬼神とは何か?」。それは実体があるのではなくて、鬼神論についての学者的議論に中に存在するというわけです。これがポストモダンが見いだす言説的差異の意味です

 

 

純粋なイメージとは、まさに近代主義の純粋さは無からの創造を為す自身の独立に向かう夢でしょうが、17世紀の画家たちは、類似が語る表象の時代にあって、画布の裏側は空白である、その意味で自らとの類似に依存しない『侍女たち』のイメージこそが純粋なイメージとなることを見抜いたのですね。近代主義の人は『侍女たち』を見て不快になるのは、そこに従属しか読みとれないからです。しかし画家が描いたものこそは、表象のシステムの中にあって表象とは別のもの、世界の自身から自立したイメージのあり方です。つまり近代が理想としていたものです。近代の前に、近代を超えるポストモダンがあったということです。モダンの次にポストモダンがあると考える必要はないです。ポストモダン的表象が先行していたのです。

 

アルバイト

3年間コンビニでアルバイトしました。変なお客さんが多いですよね。肉体労働で、初日は我ながら頑張ったと思ったのですが、同じシフトのおばさんがレジから一万円をとりました。わたしも疑われてほんとうに嫌でした。というかわたしが疑われたのですよ。働くって難しい!しかし色々といい経験だったとおもうようにしています。相棒は大変美しい不良女子高性で、学校へ行くときは私服で行き、終わってから夜の街に制服でいくというさかさま。冷凍庫の中に入ってはカントのフランス語訳を読みあげたので、自身に呆れて、自分は本しか読めない人間だと気がつきました。足が痛くて嫌でしたが、わたしが居る間は有線放送はジャズかクラシックを流していましたね。アジア系研究者のアルバイターとも働きました

 

啓蒙とはなにか

ポストモダンは、啓蒙主義に批判的であることは間違いないですが、フーコはカントの仕事を徹底的に論じたと思います。啓蒙主義は、ご存じのように、ヒュームのイギリス啓蒙主義と教会の自由を認めるスコットランド啓蒙主義は違います。百科全書派のフランス啓蒙主義とかカントのドイツ啓蒙主義もあります。アジアでは、アジアで成立した唯一の普遍思想である朱子学啓蒙主義です。伊藤京都の仁斎の知識革命も啓蒙主義です。そうしてみると、これは私の理論ですが、啓蒙主義の言説は多様性があるのですね。それなのに、啓蒙主義は一つしかないようにみるヨーロッパ中心主義の見方をポストモダンならば批判するでしょう。

 

教養とは何か?

大正教養主義の頂点から、和辻哲郎とか出てきて、ヨーロッパに行ってハイデガーと対等に議論できると考えたようですが、和辻の世代は漢詩を読めなくなるのですね。前に触れましたが、夏目漱石のもっていたアジアのコスモロジーの教養がないのです。アジアのコスモロジー知は朱子学のことですね。では、日本の教養は、アジアの教養を失った代償は何かと私は考えます。和辻は九鬼修造と大川周明と共に、岡倉天心からの影響で、「アジア」を発見しました。しかしそれは朱子学コスモロジーなきアジアだったと言わざるをえません。「近代の超克」の京都学派は、アジア思想を求めましたが、ヨーロッパで言われたような議論と同じようなことを語っていただけでした。まあ、近代の超克は、アジア主義を看板にしても中国を侵略して、矛盾に陥って破綻してしまうのですね、それヨーロッパの近代の超克論を借りてきただけだったからじゃないでしょうか

アイルランド西部に来たとき海に浮かぶ広大な荒地があった。ヨーロッパの端に来てどれくらいの民族が争ったのだろうか。新しい民族が来たときは先住民が滅んでいたこともあった

朱子が言説的展開として語った鬼神論の鬼神とは、透明な言語である理気論が語る地上を映す天の位置にあって鏡の裏側に立つことなのだ

 

浅田彰をたたえましょう

『構造と力』の浅田は一人ひとりがマイノリティーであるというテーマがあったのですが、ーそれこそ差異ですー、日本の現状はゲイの権力どころか女性の権利もないままですからね。この40年間、文化多元主義のヨーロッパは日本が追いつくことができないくらい相当なことをやりました。「国の時代に合わなくなった」のも当然で、だからこそ『構造と力』が反時代的精神になってほしいですが、ポストモダンの消滅は時間の問題です。絶対的保守主義の近代が主流になっていきます。

浅田は、映画史が思想史であると問題提起したのはよかっです。彼は思想史のイメージを持っているからそういうことがいえるのでしょう。その映画史はわたしもテーマにしているゴダールの映画史ですが、しかしこれを語るのは簡単ではありません。浅田も十分に語っているわけではありません。そもそも、映像は言葉で語られるようにはできていないからです。思想の歴史を形作る言説は、言語に依拠しますが、自らを抜け出すためには、依拠してきたことばでないものー映像ーを必要とするのかもしれません

しかし浅田さんはわたしとおなじようにゴダール崇拝者なんで、ゴダールについて語るときちょっと説得力にかけるときがあって、例えば、ポストモダンのモダンニズム化というような変なことを喋るのです。マルクス・ガブリエルのような、素朴リアリズムの復活という感じでポストモダンからは馬鹿にされる人のほうが、ゴダール映画の本質を見ぬいている場合があります。彼が観ているのはゴダール中期の作品ですが、<万事順調<ーうまくいかなければいかないほどうまく行くーというポストモダンにわれわれは依拠できるのかとするストレートな問いがあります。中国はポストモダンですから、対談を読むと必ずしもガブリエルを評価しないようです。しかし中国のポストモダンに東アジアは依拠できないことはほんとうです。地球環境とかコロナ対策において見られたグローバルデモクラシーのあり方を語っているのは良いですね。ただ彼は文学を語りません。ポストモダンにおける思考の柔軟性は、文学から語る戦略的なあり方なのです。ストレートに思想や政治を語らないのですね。浅田さんは政治を語る時に映画から語り始めるかといえばそういうことはありません。彼は哲学物は日本政治をどう語るかにこだわっているようにみえます。やはり芸術よりも哲学を愛しているかもしれないですよ。芸術は自ら、感覚に依存しない永遠のことについて語りたがりますが、政治は永遠のものを語ることがあり得ないです。その意味で政治はポストモダン的ですね。

ポストモダンモダニズム化という言説は、いかにも日本知識人が陥いる誤謬です。例えば、西田幾多郎は、一と多とが両立するから、モダニズムなのかポストモダンなのか分からないです。多は自ら、一を禁止することによって成り立つはずなのです。同様に、ポストモダンは、モダニズムを禁止することによって成り立つのでしょう。浅田さんは、モダニズムの破壊のラディカリズムに対して、それを乗り越えるポストモダンが出てきたと言っている通りです。モダニズムの破壊の究極に、左翼が互いに殺し合って消滅することが起きたのです。ポストモダンは差異の思想であること、モダニズムを禁止することが必然です。ポストモダンモダニズム化はあり得ないです。そう見えることは、われわれのポストモダンの彼らのモダニズムにたいする思想闘争の敗北が起きただけです。後期ゴダールは映画の中で、ユートピアを語りはじめたのですね。ユートピアは近代の失敗から民の側からする反近代の近代ですから、浅田さんはゴダールユートピアの語りはポストモダンモダニズム化と考えたのでしょうが、それは間違いです。言いたくないですが、ゴダールも、芸術では百年後に残る最高のものを作りましたが、近代主義との思想闘争に負けたのです

 

天皇制(象徴天皇制)は文化であるのに、明治へ帰れと訴える安倍と彼の応援団の日本会議は政治にしようとした。伊勢サミットの問題は文化によって隠蔽した天皇制の政治化にあった

日本書紀』と『古事記』を考えて政治と文化について考える。漢字の存在を表象できる。『万葉集』は仮名が可能にする私の領域の政治化。私の領域を公が隙間なく覆う危険がある

 

文化と政治

文化と政治というテーマはわたしの関心です。結局は、南原さんが語った国家と文化のテーマとして考えることになるテーマだとおもいます。
国家は国家中心主義であると、文化を利用します。それが国家神道です。『古事記』や『日本書紀』や『万葉集』の読み方を決めていくのです。『日本書紀』と『古事記』を考えて、政治と文化について考えます。テクストから漢字の存在を表象できます。
万葉集』は仮名が可能にする私の領域の政治化といえるでしょうか。私の領域を公が隙間なく覆う危険があります。実際に昭和の皇国史観は『万葉集』における天皇と国民とが一体となった風景を利用したのです。
しかしポストモダンの時代においてもう国家中心主義でなくてもいい時代です。


どうしてわたしは文化と政治に関心があるかというと、わたしはどんなものでも重なり合いに関心があるからです。私の領域と公の領域との間に、別別のものでありながら、互いを必要とするような、重なり合いがあります。わたしの文ですが、
本居宣長は『古事記』は公におけるものと考えた。『源氏物語』は私におけるものである。宣長は、私におけるものを公におけるものとして考えることはなかった。私におけるものは私におけるものであり、公におけるものは公におけるものである。このように考えて、芸術は役に立つ必要がないと考えた。私におけるものは、公におけるものではないからである。公は私に立ち入り禁止である。そうでなければ、公におけるものが私におけるものを覆い尽くしてしまう危険が生じる。この危険は、ファシズムにおいて公のものが芸術を覆うことの危険とおなじである。公におけるものと私におけるものとの間の透明性と共に、国家神道が成立する。」

私の領域と公の領域との間に、別別のものでありながら、互いを必要とするような、重なり合いがあることは述べましたが、この場合は、二つのものが隙間なく重なると、二つのもののシステムが持続できなくなります。

何度でも書きます

伊勢サミットは伊勢神宮は日本文化だからいいことだったでしょうか。いいえ、悪いことです。たしかに、伊勢神宮は日本の古代と中世、また近世の文化を培いました。しかし明治の近代からは根本的に性質を変えます。伊勢神社の神道は宗教ですが、近代の伊勢神宮は戦争神社である靖國神社と一体である、国家神道の神社です。よく知っていただきたい事実ですが、戦う国家は祀る国家だったのです。伊勢サミットは戦前にアジア2000万人を殺した国家神道の復活を禁じた憲法に違反しています。伊勢神宮の奥まで首脳たちを招き入れました結果、アメリカ大統領とイギリス首相の信教の自由の侵害の抗議を無視しました。

伊勢神宮神道という宗教を普通にやるならば問題ないのですね。しかし彼等はそういう考えを持っていません。三種の神器を古代天皇から与った伊勢神宮は国家よりも上にあるし、憲法よりも上にあると考えています。だから政教分離の原則を守る必要がないと思っているのです。何故なら伊勢神宮政教分離の原則を規定している憲法より上にありますから。伊勢神宮はこの戦前の主張をそうはっきり言わずにいますが、隠しているだけです。代わりに、安倍応援団の日本会議伊勢神宮こそが国家と憲法より上にある戦前と全く同じ主張を行っています。具体的なことを言うと、日本会議安倍自民党は、公式参拝を前提に、解釈改憲軍国主義国家神道の復活を推し進めて来ました。皇室に依存しない天皇教を確立したいようです。それが嫌韓と反中のナショナリズムです。
しかし、日本の宗教学者は、<日本人のアイデンティティとしての靖國神社>をいうものがいます。戦前は、靖國神社は戦争に関わっていなかったと主張していて、学会では通説になってきたらしいのですね。明治政府の始めの頃に、神道の宗教家が政府のなかに入ったという政教分離違反の事実だけしかなかったと。しかし戦争体験者の話を聞くと、これは恐しい歴史の捏造ではないかとわたしはおもっています。

 

 

日本ではラカンについて考える人は多いがラカンが何を正そうとしたかを考える人は少ない。国家の目的の崇高性に囚われてしまって外の人達を排除するバイアスをやめなければいけない

 

古学と国学は解体朱子学から出て来たから、平田篤胤は脱普遍主義であるが、中国のキリスト教によって再領土化した。この脱普遍普遍は外部的なものである

 

 

どうもありがとうございます。私とは違って、彼は確立したアイルランドを代表する権威のある画家でした。40代まで聖書を独学で読み続けて画家になることを決めました。元々プロテスタントでしたが、絵を売る為に(?)カトリックに改宗しました。キリスト教古代ギリシャ文明とが出会うメロヴィング朝の美術に造詣がありました。晩年は自分の工房でステンドグラスを制作していて、北アイルランドで爆破されるたびに教会のために作って運んでいました。非常に割れやすいもので苦労していましたね。日本に戻ると、舞台の照明に関心を持ったのですが、ステンドグラスの代わりだったかもしれません。舞台では、物が照らされないと、観客が考える意味が成り立ちません。その意味で光は脚本と共に、ロゴスを構成するものです。彼と一緒にいる所を目撃された私は左翼の友達から随分疑われました。おまえはRC(ローマカトリック)と友達か?と(笑)しかし映画友だったのです。パトリックからは、私は、純粋異教徒pure pagant (paganism)と呼ばれていましたが。アイルランドで始めて来た溝口映画(雨月物語)を見せてあげて大変喜んでいました

 

大正時代に再建された能の神々しい舞台と声の力は言語の存在の表象を消す近代におけるものである。『古事記』は昭和10年代に教えられたがその口語訳に類似する偽連続性を醸し出す

フーコ『言葉と物』は表象が鍵だ。言語と人間の存在を表象の中に閉じ込めた形で表象を表象する言説を書き始めた。最後は人間が消滅して言語の存在を表象する言説について書く

フーコ『言葉と物』は人間が消滅して言語の存在を表象する言説について考えた。鬼神論は誰かの死後の語りではなく、人間の消滅と共にアジアにおける言語の存在を考える言説なのだ

人間は500年前に誕生したのです。あるいは150年前に、生活し語り労働する人間は存在しませんでした。人間とは近代の言説の産物です。しかしそのような人間とその思考は、150年前に成立したのに、太古に遡る起源と結びつくのです。そこで、神との連続性が表象に与えられるのです。例えば絶対的保守主義の近代ー国が安定していれば神と皇位との連続性によるべしーです。互いに補いあう人間と神を止めるためには、人間としての人間を学ぶのではなくて、人間を終わらせる必要があるのです。どうしても人間としての人間を学ぶことを主張するならば、江戸時代は、カントと同時代的に伊藤仁斎が要請される人間を考えました。その時代は天皇は武士政権によって京都に幽閉された象徴天皇でした

 

 

人間中心主義はsounds goodだけれど...

オーストラリアのアボロジ二は野生動物とされたので白人植民者から銃で殺されました。人間だったら少なくとも動物としては殺されなかったでしょう。その限りにおいて人間中心主義の啓蒙は意味があると言えるでしょうか。
ただし白豪主義の時代にアボロジ二は人間とされて同化主義の対象となって10万人の子供missing childrenが国家によって収容所に隔離されました。

 

さてアフリカ諸国についてファノンが語っていたことは、アイルランドの問題でもあったのですが、帝国が憲法で経済的自由など人間の権利を保障してしまった結果、イギリス人のアイルランド資源を利用する権利をアイルランド人は止めることができなくなったのです。そうして帝国は人間をたたえる普遍主義を掲げて自国に有利に民族資本を徹底的に潰していったのですね。人間の権利に保証されて、地球はイギリスとフランスに分割されたのがまさに帝国主義の時代です。
ここではわたしは別のことを考えていて、フーコの議論を援用するのですが、人間中心主義は、労働し語り生活する人間が知の対象となるわけですが(実証主義)、同時に、人間の起源を祖国も日付もない太古に遡らせる結果、民族主義の知(明治のときは民種主義と訳されていました。こも民主主義の語が定着するのは大正からです。)、か、ナショナリズムが人間中心主義の知と共に生まれるのですね。普通は、人間中心主義と民族主義は対立すると考えられますが、フーコのような人は同時代の相補的な知を構成するとみなします。ナショナリズムフランス革命のときは平等を推進する意義を持ちましたが、21世紀の現在は何の役割を持ちません

 

『目に見えず耳に聞こえない』ものは、儒者の頭で構成されない<存在>であろう。プラトンの数学的実在みたいなものだ。聖人はそれを『鬼神』と呼んだ。『中庸』は宇宙論的に考えた

 

書く=描く詩人とは何か?

 

思考のイメージが表現する、外部すなわち思考不可能なものによって思考が可能となるのは、朱子形而上学の鬼神論と成立論の関係においてみることができる

 

ナショナリズムの衝突を避けて和解のためには日本が朝鮮半島戦争犯罪をおかした事実を再構成する必要がある。コリア側は日本は人類に責任を負うとし日本はコリアに責任を負う

 

ギリシア語のテクネーには、絵画、彫刻などの諸芸術をはじめ、医学、建築など人間の制作活動全般が広く包含されていました。

このテクネーは、ラテン語の「アルス」(ars)、英語の「アート」(art)に対応します。

 

ヘーゲルは、『精神現象学』の中で、教養というのは、生まれながらの素朴な生から離れて、より高いレベルでの一般的知識を手にすることだとして、次のように語っています。

「教養のはじまりとはつまり、実体的な生の直接的なありかたを離脱しはじめようとつとめることである。それがはじまるのはつねに、さまざまな一般的な原則と立場にかかわる知識を手にすることによってであるほかはなく、なによりもまずことがら一般にかんして思考されたものへと向上しようとつとめることによってである。」


 ヘーゲルは、こうした精神の自己運動を「ビルドゥング」と呼んでいます。ドイツ語の「ビルドゥング」というのは、個人が自己を理解し、内面的に成長し、豊かな人間性を獲得するためのプロセスを指し、そこには自分で身につけるというイメージがあります。

人間は、「ビルドゥング=自己の形成」を通して自己実現が可能となり、さらなる人間的成長を遂げるということです。

さらにヘーゲルは、個人と社会の発展は密接に関連しているとして、個人が「ビルドゥング」を通じて自己を形成し、社会との関係を築くことで、より高度な精神(絶対精神)へと進化すると考えたのです。

世界精神Weltgeistはいかに教養Ausbildungを失って資本主義の精神になるのか?その前に、精神は、アジアの鬼神的コスモロジーを失って、思弁的になってしまった

中世の「物」概念を理念化したカントの「物自体」は、<神自体>と考えるかは別として、ヘーゲルにおいては<精神>と構成された。マルクスでは<労働>である。両者は近代を超える

いかにも音声中心主義の呟きであった、トランプのツイッターは、表象を避ける変な物である。物は、表象の外部にある声を捉える。自らを代表できない声が<実在>してくる

日本の近代は古学からしか生まれなかった。復古主義の政治であり表象の政治である。安倍政治はここに帰ろうとした。ポスト安倍は表象なき政治の思想を制作できるかにかかっている

 

高校生の時は進路を聞かれて、副読本で熱心に読んでいたのだけれど、ラッセルのような哲学者になりたいと言ったら、英語の女教師は「頭のいい人は上には上がいるからね」と。「それよりあなたの落書き見たんだけれど、ピカソみたいな絵を描いてるから芸術で頑張りなさいよ」と言う。たしかに頭の良さに関して上には上がいる。芸術は上はいないが、横には横がいる

 

表象と存在のモンタージュ。物において精神の眼(鬼神の眼)が媒介して存在たらしめる。表象と存在とが自己差異化すると、「我思う」「我存在する」

Montage of representation and existence. Object exists through the medium of the spirit's eye (demon's eye). When representation and existence become self-differentiated, “I think” and “I exist”

 

 

 

北アイルランドの紛争については、これを互いに殺し合うプロテスタントカトリックとの抗争として理解できるほど単純ではありません。しかしこれを、人間は人間を殺しすのは何故かという言説で問うこともできないと思います。やはりプロテスタント共同体とカトリック共同体の争いですから。植民地主義の問題として考えてみたらどういうことが言えるかが大切です。紛争地に行ったフィールドデイという演劇集団は『トランスレーションズ』という芝居を見せました。イギリスとアイルランの出身の両者がアイルランドの植民地化を推し進めた事情を描いた芝居です。そして議論を行うときに、プロテスタント側とカトリック側から半分づつ人間を出しました。サイードバレンボイムとの対談のなかでこのフィールドデイの活動に注目しました。歴史を問う運動では、だれが語られるということよりも、だれが語るのかが大切です。歴史について何が語られるかよりも、歴史に介入することが重要です。わたしは、これは、宗教改革に先行した、原理主義を廃した知識人たちの人文科学に向けた思想形成を思います。構成をプロテスタント側とカトリック側から半分づつにしたことが、思考の柔軟性を機能させようとしたと考えられます。しかし残念ながら、『トランスレーションズ』は、失われたアイルランドの記号というナショナリズムアイルランド人の表象に与えてしまったようです。難しいものです。

脱普遍の普遍化

プロテスタントは、全世界のカトリックがローマのバチカンを中心にするというあり方ではなくて、それぞれの国家に基く。英国国教会の歴史的役割は大きい。しかしカトリックも、フランスカトリックのようにフランスという国が大切であるようにみえる。実際のところ20世紀におけるアイルランドの国家の独立はカトリックの協力と共に成立した。カトリックは国の教育を握ったのである。ジョイスはこれに反発した。ゲール語で書かずまた教会の権威に従わない作家たちはアイルランドの中で国内亡命を余儀なくされたのである。しかし1970年代以降、エスタブリッシュメントと共に以前のような力を失っていった。現在のアイルランドの人々は解体普遍の再構成をおこなわければいけない。脱普遍の普遍化というか。これは地域紛争の解決と共に起きている。

 

 

 

ドゥルーズの翻訳本ばかり読んでいる人達は日本がヨーロッパと同じだと勘違いしちゃう。自らを乗り越えていくのはヨーロッパなのに、日本がヨーロッパを乗り越えると勝ち誇る錯視

外国語の本は4割ぐらいしか読めていない。この無力感はだけれど大事だとおもう。わたしは自分がいかに無力であるかを知るために投票所へ行く場合と同じだ

イギリスで普通に大学を出て、テートモダンのウィットゲンシュタイの市民大学講座にきた人達が、彼らが読んでいるウィットゲンシュタイの本がドイツ語から翻訳されていることも知らないし、そもそも注釈の影響を受ける翻訳の意味も、わからないのですね、これにはびっくりしました。英語で読んでいたマルクスが元々ドイツ語で書いていた文を翻訳されたことも想像できないのです。アナキズム的フランス語訳と社会民主主義的英語訳の違いは日本においては大変重要ですが、イギリス人に説明してもチンプンカンプンです。しかし英語で読む限りにおいての自由な批評性を旺盛にもっています。ただ、演劇が盛んな国ですから、小学生のときから脚本の解釈については熱心に取り組みようです。ドラマスタディーズのエッセーも書かなければいけません。言語の存在を先行させる注釈というのは古い時代のものなのでしょうね。そういう意味で、元々古代ギリシャの文献学者だったニーチェが切り開いた注釈的批評の意義は大きかったであろうと思います

 

ポストモダン孔子

孔子は語りかける相手に必要なことだけを喋る。その言葉は短く彗星の如く流れる。何故かくも短いのか?検閲にかからないようにしたという説。またその言葉の意味は皆理解できたからクドクド説明する必要もなかったからか。又は反復を避けて、誰も言わなかったことを初めて喋ったから。一語で十分だった

西欧の芸術批評はヨーロッパが外部へ出ると共に17世紀から始まる。アジアも外部へ出た。日本の明進出。アジアの芸術批評は18世紀宣長から。反理性の普遍主義の再構成

 

‪Une notion commune, c'est précisément l'idée d'une composition de rapports entre plusieurs choses. Soit l'attribut < étendre > ; il a lui-même une essence, et ce n'est pas en se sens qu'il est l'objet d'une notion commune. Le corps dans l'étendue ont eux-même des essences, et ce n'est pas en ce sens qu'ils sont l'objet de notions communes. Mais l'attribut étendue est aussi une forme commune à la substance dont il constitue l'essence, et à tous les corps  possibles dont il enveloppe les essences. L'attribut étendue comme notion commune ne se confondra avec aucune essence , mais désignera l'unité de composition de les corps ; tous les corps sont dans l'étendue...‬

 

「権利」も、「権理」としたらどうか

「理のある見解の範囲を超える政策を政権の座にある党派が多数の名を借りて推し進めようとするとき、それを阻止することは、憲法の番人たる裁判所の第一の責務である。」(長谷部恭男)

 

共通なものとは文化多元主義のロンドン時代のテーマだった。それは思惟の中に身体があること。共通でないものとは東京での探究である。それは非思考が思考に介入する鬼神論的あり方

 

私は分割されたどんなものも関心をもっている。共通のものと共通でないものはどのように関係しあうか?その交わりは空集合であろう。思想はこれをどう考えるか?一は多を禁じる。逆は逆。西田幾多郎が語るようには一と多は両立しない。われわれは依拠できるのはこの空においてである。

解体される大地、解体される王の身体、解体される資本主義

 

絵が学問となるフランス・アカデミーができて革命が起きた時代に、イギリスの風景が発見された。光は大地と雲と共に表象の中にある。ロスコから、表象なき光の存在が描かれる

 

ブレイクとターナーと後期ラファイエロのテートギャラリーとテートモダンはイギリスでは繋がっていなくてバラバラの印象があったのだけれど、森美術館の光をテーマにした今回の展示はこの両者を繋げるものである。是非行かれたし

 

江戸時代の科学の翻訳がなければ、明治の翻訳はスムーズには行かなかったとおもいます。「物理学」とか。三浦梅岩の条理学は朱子学の近代化です。明治以降、伝統をゼロにしてしまう近代化は世界に例がなく、日本だけだとおもいます。それだけ西欧の近代化のパワーがすごかったのでしょうが、私は答えがありません。九州に行く機会があるので、福沢諭吉の博物館に行って下級武士のエートスを調べに行こうと思ってます。
江戸の武士政権は、天皇を京都に幽閉しましました。これは津田左右吉が指摘していた、「政教分離」だったわけです。昭和10年代の全体主義に帰結させたような、明治に天皇に全権力を集中させた間違いを考えると、江戸時代の政教分離の伝統は意義深かったとおもいます

 

色々議論すべき点がありますが、兎に角ピカソほどオリジナリテイーの芸術家として称えられた画家はいません。しかし彼がほんとうにオリジナリテイの代表選手であるその評価に満足していたら、ベラスケスやマネそのほかの画家の作品をスケッチしたりはしなかったでしょうね。(ポストモダンのわれわれは、マネの絵も、ヴィーナスの描き方がそうですが、先行するだれかの絵ー例えばヴェネツィアバロックとかーを真似たと思います。しかしピカソにとってはそれはどうでもいいことでしょう。)
ゲルニカは、もしピカソが絵を描かなかったら、爆撃されたその村の名はかくも今日まで記憶されることはなかったでしょう。当時の人々は絵を見てはじめて戦争の意味がわかったのではないでしょうか。そう言う意味で、ゲルニカは絵画というよりは歴史を語る思想であるとわたしは思います。たしかにジャーナリズムの報道写真はありましたが、しかしゲルニカは絵で描かれなければならなかったのですー記憶されるために。

われわれはポストモダンですから、失ったものは失うことができると考えます。ピカソはモダ二ストなので、巨匠の作品は時代遅れになって失われても、失ったからこそ獲得できると考えるでしょうね。

海外は英語を毎日百頁読んでいたが現在は一頁も読めない。レヴィストロースは感嘆した。日本人は中学生の時から英語を勉強しているのに一人も英語を話せない。日本語に執着している

 

日本は、キリスト教から見たケルトの伝説ばかりしています。ケルト無文字社会だったのですが、消滅したのではなくて、聖パトリックのキリスト教のなかに温存されたと喋っている日本人がいて、不愉快ですね。おまえは見たのか!?それは、聖書の書かれた言葉に精神の語る言葉(パロール)が宿っているという類いの解釈です。
『ケルズの書』は、文字の装飾ばかりで、アイルランドは思想の発展が無かったと言われるのですが、そうではなくて、言語の存在を称えたのです。『ケルズの書』は、どんどん西側の境界に向かって移動して行ったケルト人の記憶が残されいるであろうと言われます。ギリシャのように動物と一緒にいる人間が描かれていますが、木の枝の上に聖人が鳥のようにいるのですね。おそらくこれはケルト人が森のなかに入って見た原風景なのでしょう。言葉(パロール)の表象のなかに人間が森と関連づけられていたようですが、大地と木の表象の外へ出て、人間は書かれた言語の存在と結びつくのです。書かれる言語(ランガージュ)の存在のおかげで、より遠く広い世界のことを考えることができるようになりました。近代ロマン主義の影響で、古代人は、周囲の自然とかにしか関心を持っていなかったように思われていますが、反対だと思います。『古事記』も、宇宙神の記述から始まります。国神はあと。

 

なぜ英語は難しいのか?

英語は初心者には取り組みやすい言語ですが、難しい言語ではないかとおもうのです。聖書の翻訳を可能した、近代英語の成立は、宗教改革に先行する知識人たちの登場と共にありますから、理念的なものを表現するあり方を持っているのではないでしょうか

 

抽象的なもの(例.思惟)と表象可能なもの(例.身体)。二つのものの間の共通なものとは何か?思惟は本質である。また思惟の中にある身体も本質である。その場合、身体は思惟を包む。このことも考えれば、二つのものの間の共通なものとは、思惟に依拠した、身体が包む本質を考えることができようか

 

どの絵も身体が描かれる。物体はその傍らに描かれる。これらの延長という属性は実体の本質であるが、延長ー身体と物の多様な構成ーは本質を包む。私は神ではなくスピノザと共にいる

 

GHQの占領があと一年続けば、ドイツにおけるように、日本の極右翼は撲滅されたのではないでしょうか。しかし朝鮮戦争で不可能となってしまいました。ドイツの極右翼は、ナチス戦争犯罪が裁かれた後に登場しました。比べると、安倍と彼の応援団である日本会議の極右翼は現在、戦前と同じ形で、おなじことをしゃべっています。
現在の自民党は、戦後の保守主義が何を以て自ら保守を名乗るのかわかっているのでしょうか?大いに疑問ですね。明治維新復古主義の近代化でした。国体を選択したのです。戦う国家は祀る国家でした。戦後は、保守の政治は復古主義を発展させるべきです。この場合、今度は国体をやめることを選択することが課題です。ここ選択に、みんなが依拠できる道があるでしょう

復古主義とは何か?ジョイスの言語と共にホメロスの過去は未来を思い出す。日本近代は古学からしか生まれなかった。なぜ未来の表象に過去が必要なのか?言語ー光の存在が過去において集中して、人間ー闇の存在が拡散する。目覚めは死。夢を発明すること

 

野上弥生子『秀吉と利休』において描かれたような芸術を宗教の高みにおいた利休にたいして、秀吉は芸術(宗教)を憎悪した。武士のこの憎悪は天皇を京都に幽閉させたかもしれない

 

下級武士が推進した日本の近代は伝統をゼロにして、同化してきた中国や徳や文を拒否したが、朝鮮とベトナムが漢字を棄てたようには日本は漢字を棄てなかった

 

アジアは天が精神(鬼神)に影響する(朱子)。西欧は天から精神は自立した。ゴダールは精神に投射されるスクリーンを与えた。「精神(鬼神)としての映画の帰還」を私は描く

イタリアで宗教の腐敗を経験したキリスト教は江戸時代に政教分離の観念をもっていた。宗教は政治に介入して宗教の高みに来る芸術を持つことは危険であろう。政教分離とは宗芸分離

たしか、宗教は絶対の表象。芸術は直観で、比類なきイメージのなかのイメージをもつ。絶対の表象は、どんな比類なきイメージのなかのイメージと混同されてはならない。これが宗芸禁止

最後の日本語話者

私はアイルランドに8年いたのですが、この国は800万人の人口があったのですが、植民地時代の飢餓と移民で人口が激減して、現在は500万人です。ゲール語話者は2万人を切りました。最後のゲール語話者を考えることはリアルなのです。
日本は植民地化はされていないので、アイルランドとおなじことは起きません。日本語が英語にとってかわられることも起きないでしょう。しかし一緒に考えてください、明治らのヨーロッパ語の影響は大きいものです。考えてみると、中国から漢字受容から1000年かけて、徳川日本人は漢字仮名混淆文で思考できるようになったのです。ヨーロッパ語化した日本語では、例えば小林秀雄西田幾多郎の文は日本語なのか問いましたが、精神的なものを十分に思考できないのです。やはり漢字の場合と同じように、ヨーロッパ語を、ヨーロッパ語化した日本語を、自分達のものにするのは1000年要するかもしれません。問題は、1000年後に日本人は存在するのかです。もちろん消滅するとは断言しません。ただ、消滅の方向にあるとしたらどういうことが考えられるかを問うています。そうして私が考えてみる最後の日本語話者は、500年後に生きます。おそらく現在のわれわれを投射して、彼は自身が考えることができない日本人最後の人です。

人口の問題を言語の問題との関係において考えたらどんなことがいえるか

コロンビア大学の壁に書かれていたように、アメリカはギリシャとローマの継承者なのだろう。これはヨーロッパにおいてそうであるが、ヨーロッパ人は滅んでいた先住民を先祖と考えるのに対して、アメリカ人は先住民のインディアンを先祖とは決して考えない。これがヨーロッパ人がアメリカ人にたいしてもつ違和感である。ウィットゲンシュタインを紹介した東大の哲学の先生に聞いたら、そんなことよりギリシャ語でアリストテレスを読めという。

アイルランドといえばケルト。ローマに追われて、ケルト人がアイルランドに来たときは先住民は滅んでいた。多分その先住民もこの島に上陸したときは先住民が滅亡していたであろう

戦前は国家神道靖國神社は宗教ではなく国家を超えるものとして主張していたから道徳と理解された。戦後も自ら宗教であると認めないと道徳ですらなく安倍の為の戦争神社である

柄谷行人のあまりに思弁的な帝国論に、聖と俗の区別がない世界が語られる。ネオリベアングロサクソン的交換の俗が先行して、高度な互酬X、アジア的礼である聖を考えている?

孔子は非聖化の時代にあって反時代的に聖人とその制作を讃えた思想家だったように、ゴダールは映画の非聖化に抵抗した。映画は聖人として時間を守ったことを忘れるなと語った

ゴダール「映画史』は映画の起源はヒチコックかマネか、ゲルニカピカソかを考える。最初に言わなくてはいけないことは時間を制作したのは映画、20世紀の精神はそこに宿った

蓮實さんの『ゴダール』を見つけたが、面白そうなので買うのをやめた。面白いと感じたらやっつけられてしまうからだ。次は買ってもいいがナイフで一頁づつ切り裂いていくであろう

 

さあやっと読むかと思ったら、あちこち線が引いてある。一度読んでいたのであった。アイルランド復古主義は、エリアーデで考えてみた後期水戸学でよく理解できるかもしれないな。
訳者が儒教論語』に大変詳しく、後書きで、儒教と仏教が共有する神秘思想を掘り起こして書いていました。聖というのは、神秘人にとって、過去の反復を意味するのではなくて、過去の全部が一切消滅しきった上で原初的始まりが初めて始まるとエリアーデは述べています。イエーツは、イースター蜂起の詩を書いていて、その中で大変有名な言葉、<恐るべき美の奇跡>と言っています。これはエリアーデの聖と呼ぶものではないかと考えてみました。シングは未来を思い出すと語っています

 

20世紀の精神

20世紀近代に最高なものがある。これを包む為にはスクリーンが自らそれを超えるものを持つ必要がある。近代は植民地主義に陥った。世界に向かって投射して、スクリーンは思考の植民地化(それに伴う全体主義化)に抵抗する精神ー物で書かれるものーをもつ。物で書かれるものであるから本質は個体的であるし個体的になっていく

映画の歴史とは何か?

 

文学とは何か?とりあえず、二重の意味をもつ言葉から成り立っているものと言っておこう。われわれ自身が世界の二重化だから、自ら本に向かって投射できる

 

顔の描写とか風景を書くのは面倒だから戯曲の形にしたいのだけれどね

 

 

 

陰謀論を信じる人は困った馬鹿者だ呆れられるが、私は陰謀はあるとおもっている。党派的でないものは存在しないと考えたうえで吉本隆明はやっつけられないために戦いを主張した

 

中学生のときは、まさに自分がそうだったが、希望をもつが故に、騙されやすい。「われわれ」という言葉に希望をもつ。日本植民地主義が完成した大正の作家に希望をもったりする

 

漢字の存在を考えることは、ロゴスにおいて言語的存在である人間が自己の意味を考えることと同様に、最高なものがある不可避な他者を包み返す根拠を考えることである

 

戸坂潤は、政治の自由主義がないところで、観念論は宗教的になると論じた。戦前の日本イデオロギーは宗教である

「この書物で私は、現代日本の日本主義と自由主義とを、様々の視角から、併し終局に於て唯物論の観点から、検討しようと企てた。この論述に『日本イデオロギー論』という名をつけたのは、マルクスが、みずからを真理と主張し又は社会の困難を解決すると自称するドイツに於ける諸思想を批判するに際して、之を『ドイツ・イデオロギー』と呼んだのに傚ったのだが、それだけ云えば私がこの書物に就いて云いたいと思うことは一遍に判ると思う。無論私は自分の力の足りない点を充分に知っていると考えるので、敢えてマルクスの書名を僭する心算ではないのである」

「この宗教的自由は云うまでもなく政治的自由からの自由を意味する。現実からの逃避を意味している。処がここに実は、宗教の第一義的な真理が、即ち又その第一の用途が、横たわることは人の知る処だ。社会に於ける現実的な矛盾がもはや自由主義思想のメカニズムでは解決出来なくなった現在のような場合、その血路の一つが(但し唯一の血路ではないが)ここにあるのであって、矛盾の 現実的な 解決の代りに、矛盾の 観念的な 解決が、或いは矛盾の観念的な無視・解消が、その血路である。現代は、従来国家的又社会的に認定された「既成宗教」や、比較的無教育な大衆の上に寄生する所謂邪宗の他に、インテリゲンチャを目あてとする多少とも哲理的な新興宗教の企業時代だが、一般に自由主義に基くインテリゲンチャの動揺がなければ、こうした企業の目算は決して成り立たない筈であった。」

「処で、この云わば宗教的な自由主義は、一変して、云わば 宗教的な 〔 絶対主義 〕に転化するのである。自由主義は宗教意識を仲立ちとすることによって、容易に一種の〔絶対主義〕に、而も一種の政治的〔絶対主義〕に、移行することが出来るのである。宗教は今や政治的〔絶対主義に協力〕し始める。例えば仏教は日本精神の一つの現われだと解釈され始める。カトリック主義さえが法皇の宗教的権威と日本の〔絶対君主とを調和〕させよと主張し始める。日本の〔絶対君主〕が一種の宗教的〔対象〕を意味することなど、もはや少しも問題ではないかのように。――で自由主義埒外へ一歩でも踏み出した宗教意識は、やがて 日本主義 の埒内に収容されるのだ、ということを注目すべきである。」

全体主義近代主義の必然か?近代の作家はファシズムを多かれ少なかれ支持した。ジョイスは例外だったのは植民地主義に反対したからだろう。植民地主義である限り全体主義は不可避である

反時代的精神とはなにか

反時代的精神と呼ばれるものがあるとおもうのですが、前の時代から現在のあり方を批判して現在を相対化することは大切だとおもっています。例えば、明治は自分たちのお陰で江戸にはなかった平等を達成したといいます。そうでしょうか?天皇と貴族と寺社僧侶が支配者であった室町幕府の権門体制を再構成した、新権門体制と言われる明治は、新しい支配者が登場しました。天皇、上流貴族、下級武士、軍人、宗教者、官僚です。明治における差別の量的規模は江戸のそれとは比較になりません。津田左右吉によると、江戸の武士政権は、天皇を京都に隔離して政教分離を実現しましたが、明治は東京に連れてきた天皇に全権力を集中させました。この体制に対する批判は、江戸時代の国家がなかったあり方からしかできません。だから明治は自己を正当化するために、江戸は無価値のゼロだと教えるのです。現代は、江戸時代は民主主義はなかったと見下します。しかし江戸も政治を批判的に語ったのです。たしかに、武士政権の批判は危険なことでしたから、西欧のようには民主主義を実現する方法を具体的に語ることはありませんでした。しかし道徳批判によって厳しく幕府批判を行いました。それは町人も農民も行いました。それによって、明治大正昭和前期にたくさんの思想家が現れました。比べると、戦後は思想家が出てこないと指摘されるところです。いることはいるが、残念ながら、大したことはありません。多分日本における思想のピークは、和辻たちの大正教養主義かもしれません。彼らはドイツに行ってハイデガーと議論できる自分たちこそは西欧の知と対等だと考えます。しかし和辻たちの世代はヨーロッパ語はすごいが漢詩を全く読めなくなったのです。これはアジアにとって何を意味するかですね。中国のコスモロジーの知を持った最後の人は夏目漱石でしょう。しかしアジアを読めなくなった大正と昭和知識人から、近代の超克と言い出して、ヨーロッパ近代を越える思想がアジアにあると語られます。
最後に、反時代的精神とは、前の時代に寄せるノスタルジーではないでしょう。私が考えますに、反時代的精神とは、前の時代の物に見方に権利を与えよとするものです。場合によっては、三木清のように、死に切った過去が最高の文化だと考える反時代精神の思想家もいます。死に切った過去は差異(多様性)だからです。生きているか死んでいるかわからない文化は彼にとって差異ではありません。私は、死に切った文化の一つとして、儒教があると思います。アジア諸国に残っている儒教は日本で消滅しました。だから私はポストモダン孔子みたいなことを喋っています。それはどういう構成でも構わないが家族を否定しないことぐらいしかないのですけれどね。あと、安倍と日本会議が行った解釈改憲公式参拝のような国家祭祀を認めないことですね。

高校時代に入院したとき司馬遼太郎の本を一冊読んだとき、『花神』でしたか、頭が良くなった感じがしたのでした。本当は司馬が一生懸命勉強していたのに自分が勉強したつもりになちゃったのですね。中学生の時代に遡りますが、三島の本は、これを読んだとき、頭が悪くなるだろうと思ったものでした。しかしなにも考えていなかったのは自分ではなくて、ほんとうは三島でした。指摘されるような西欧的ロジックと器用な文章で隠してはいますが、三島は何も考えてはいません。解決をもとめてやまないが、成熟を拒んでいる感じがします。
海外では、今は村上春樹についてですが、大江と三島について聞かれますから、彼等の差異を語らなければいけません。三島というのは、大江の場合のように、作者は自分の考えがあって書いているわけではないことを意識していたのとは違う空白のあり方ですね。私は中学時代に通っていた塾に大江がアルバイトで教えにきたのですが、廊下は見物人で溢れましたが、塾側は気を使って大江の文を用意したのですが、「筆者の考えはどれですか」の設問に彼は不正解でした(笑)。「きみたちね、書き手は考えがあって書いているわけではないんだよ」という弁解をその通りに聞いた私の成績は大江の授業以降、めちゃくちゃに下がり始めたのです。どうも大江は不採用になった感じです。大江は三島のようには成熟を拒んではいませんが、解決というものをを拒んでいます。これが私の考えです

母の短期記憶が怪しくなってきて、自分が枕元に置いたテレビのリモコンなのに、誰かが部屋に領域侵犯してきたと疑う。頭の中に物が無いのだから此方がカッカしても仕方ない。ポストモダンの世の中、何処から来たかのアイデンティティに関する長期記憶よりも短期記憶が大事。それはよくわかる。毎日見ている昔の絵よりも、さっき描いた絵の線の運動を覚えている。性もそうか

私は昨年から神奈川県民になりました。神奈川新聞は中々のものです。蘭学福沢諭吉が横浜では英語が国際語と考えて、英語を勉強したのは面白いですね。岡倉天心も横浜で生まれ育ちましたが。変な話をしますと、もし、英語が神奈川の中心である横浜を作ったと考えることができるならば、神奈川は東京に属さいでしょう。

高橋是清(元首相)も、福澤諭吉啓蒙思想家)も、岡倉天心(日本美術界の開祖)も、横浜開港場で英語を学びました。

横浜は幕末に開港地となって以来,多 数の英米人が居住し貿易・通商などに従事してき た土地であるので,日 本人が英語 を学ぶ必要度は,か な り高かった と思 われます。横 浜は幕末か ら明治初期 にか けて,欧 米の文化輸入の地 とし て歴史 に登場 したが, 同 時 にキ リス ト教導入 の地 として宣教 の足場で もあ りました。宣 教師 ら は伝道事業の一手段 として英語教育に力を注 ぎ,貿 易都市であ る横浜 の地理的条件 と相俟 って多大の効果をあげた と考え られます

文明論とは人の精神発達の議論なり。その趣意は一人の精神発達を論ずるに非ず,天下衆人の精神発達を一体に集めて,その一体の発達を論ずるものなり。故に文明論,或は之を衆心発達論と云うも可なり。蓋し人の世に処するには局処の利害得失に掩われてその所見を誤るもの甚だ多し。習慣の久しきに至ては殆ど天然と人為とを区別すべからず。その天然と思いしもの,果して習慣なることあり。或はその習慣と認めしもの,却て天然なることなきに非ず。この紛擾雑駁の際に就て条理の紊れざるものを求めんとすることなれば,文明の議論亦難しと云うべし。(福沢諭吉)

 

ネット空間は、すぐに「ズレ」ていると言いたいのですね。ズレててもいいじゃないですか。やれやれ、もし全く聞いたことがない話だと思ったら、簡単に相手の根拠を疑わず、どうしてこの人はこんなことを言うのか?先ず、自分の視点の狭さを疑いますけどね、わたしは。もっと広い世界があるかもしれないと。別の見方があるかもしれないと。しかし、辛抱強くわたしに教えてくれた人のように、できるだけ、わたしも広い世界と別の見方を伝える義務があります。


前に書いたのでおなじことを説明することは繰り返しませんが、ワイルドほどジョイスに影響を与えた作家はいないのですよ。この私はワイルドの専門家ではありませんが、アイルランド文学を30年近く勉強していますから、もちろんワイルドの戯曲も読むし芝居も見ています。同じワイルドの芝居を3つ4つの異なる劇団による上演をみました。外国では人気もあるワイルドの芝居を観る機会が多いです。英文学をやっている日本人のワイルド研究者を芝居に連れて行くことも幾度かありました。あたりまえですが、複数の解釈も目を通しています。戯曲はいくらでも自由に解釈できることも説明しておく必要はないと思いますが。我々は少なくとも7通りのジョイス像を持っているように、専門家ではないですが、アカデミズムの3通りぐらいのワイルド像を持っています。ただ、わたしがあなたよりワイルドを知っているかというと、そういう話をしていません。海外にいたので、ワイルドがいかに語られてきたかについてはあなたより知っているかもしれませんが、ワイルドを知っているからと言って彼の文学を理解していると言うつもりもありません。絶対にヒューマニズムではあり得ないとどうしても言わなければいけないあなた独自で培ったワイルド像もあるのでしょう。しかし海外で一番注目されていて発展して行きそうな議論は、ゲール文芸復興運動とアナキズムの切り口で、ジョイスがいかにワイルドの構想から影響を受けて、『ユリシーズ』の一日を書いたかという話ですね。これだけは確かです。植民地主義に都合のいいヒューマニズムは受け入れることはできませんが、師匠の宮田恭子さんーウルフの研究者で『フィネガンズウエイク』の翻訳を行ったーは、ブルームの平和な一日に書くことによって戦争よりも幸せなものを表象させたのが『ユリシーズ』と言ってましたが、なるほど、この指摘のように、植民地獲得の戦争を乗り超えた拡張されたヒューマニズムもあるだろうと思いますがね。これは文学の話題と言うか、わたし含めて日本人が苦手とする文学者の思想形成の問題かもしれません。思想の問題をかんがえれば、ジョイスの中にワイルドを発見できることは可能です。注意深く読めば、ワイルドの中にジョイスが新しく描いた人間を発見することも。

 

一生懸命の近代とは、日本語の起源を探してインドとか遠くに行って調べるのである。ポストモダンは一生懸命やらない。不可避の他者の卑近を考える。日本語の成り立ちは漢字である

 

どなたか興味もってくださいますか?

どうも中国蔑視は福沢諭吉が犯人ですね。中津藩にいたときは朱子学を勉強していますが。この問題を考える時に、歴史小説だと頭が硬くなっちゃうんで、諭吉は髪の毛がどんどん伸びてしまって少女みたいに人形遊びしていたら、人形の世界(西欧)にまぎれこんじゃったというようなファンタジーみたいに読んでいただければと思うのですけどね。裕福だったわたしのお爺さんが慶応幼稚舎にいたらしいのですが、福沢諭吉が教えていたとはとても想像できないんですけどね。授業の様子も勝手に書いてしまえですね。安倍がはじめたことですが、今日アジア諸国の間に起きている負の互酬のような憎しみの連鎖が起きないようにどうすればいいかを教える福沢先生ですね。北アイルランドの学校みたいですけど。1980年代から福沢諭吉は中国で大変受けているらしいですよ

 

古事記』とは何か?

古事記』とは何かというと、先ず問題となってくるのは、8世紀に書かれたというのが、誰から承認されたものではなくて、『古事記』の自己自身がそう書いているような自己証明しかないわけです。『日本書紀』は中国知識人と朝鮮知識人と彼らが育てた日本知識人の共同作業で出来上がっていて(どの文は誰に書かれたかは実証的に解明されています)、まあ中国語と言えるでしょうが、比べると、『古事記』は変な中国語なのですね。宣長は『古事記』は古代日本語でなければいけないのですが、『古事記』は漢字しか書いていません。漢字の裏側には、やはり漢字しか存在しないでしょう(ベラスケスの侍女の部屋と同じです。鏡の裏側にはそれを見ている絵の人物たちしかいません。)。『古事記』は文学でし、色々解釈されて歪んだ神話を正すという目的もあって、書かれたようですが、その場合、天皇が口承によって語り聞かされたことが大切なのか、それとも天皇と、詔により阿礼(女官?)の誦するところを太安万侶(1000の太安万侶、日本化した中国知識人たち)が筆録したことが大切なのかは、思想の違いによります。現在の口語訳を行う学者は、『古事記』が連綿と語り伝えられたと言います(声の力によって神話が神から天皇に語り伝えられたように)。まあ、はっきり言ってファショ的生命観ですね。近代というのは、自己を遠い過去において見るのですね。生命を、死を超える連続性ととらえるわけです。媒介するのは声の力です。しかしこう理解しては、不可避の他者としての漢字の意義が亡くなってしまうわけです。漢字は声の音を代理するだけにものです(漢字借り物論)。われわれは複数形の太安万侶が書いたと理解します。『古事記』は語り伝えられることなく、本居宣長によって発見されたと考えます。デリダ的です。漢字は代理だからこそ、本源的なものでないからこそ、意義深いのです。

 

 

アムステルダムの歩道には殺されたユダヤ人の名前を刻んだ「躓きの石」が埋められている。私も見た。東京の歩道に都知事が否定している虐殺された朝鮮人の名を刻んだ石を置こう

 

 

日本文化の本質は何か?室町文化安土桃山文化享保文化、元禄文化化政文化。共通するものは何か?言語ゲーム的類似性のネットワークにおいて考えてみよう思うが、知識不足で無理だ。
例えば、利休の草庵露地の理念から池大雅や契沖へに至る歴史を見ると、無限に豊かになっていくものと無限に貧しくなっていくものとが媒介なく結びついていた美が、ゲームの規則が変わって、抽象的なものと具象的なものとが無媒介に結びつくあり方をもつ。

 

 

Everything and more

果てがないことに、それ自身を加えると、果てがなくなります。ノートルダム寺院などのゴシック建築の高さはそんな感じですね。果てのない高さは精神における加法によるものではないでしょうか。
さてヴェラスケスの絵についてですが、無限についていま述べたことを前提にしていたとおもわれます。新しいことは何だったかというと、当時は世界は類似するもの同士で成り立っていると考えられていました。絵の人物達の眼は皆似ています。画布と窓枠は似ています。われわれと画家が見ているこの絵と類似しているものが画布にあるはずですが、われわれは画布の裏側しか見えません。つまりこれは、類似なきイメージの純粋イメージだといえるものとして構成されています。類似するものー類似されるもののイメージの体系から自立したという意味で純粋なイメージなのですね。

 

近代は意味の体系が問題となってきます。意味するものと意味されるものとの関係ですね。この関係は錯綜しています。意味されたものが意味するものとなります。記号論として構成されるものを支えるのが空白です。意味されることがない意味です。記号論を超えると言われる人類学的構造論もこの空白を考えます。例えば天皇のような文化権力に政治権力を与えると(明治維新)、空虚としての中心である天皇が成立することになりました。それは現人神の存在ですね。意味を問わせない存在です。われわれは包摂してくるこの中心から逃れることができません。例えば安倍政権は仮名の元号を『万葉集』からとりたかったのです。漢字の元号だと意味がわかるが、仮名だと意味がわからないのです。そうしてわれわれは意味のないものに思考できなくなってくるわけですね。しかし結局「令和」になりました。これは曖昧ですが、漢字の表意性を保っています。安倍のおもいとおりにはいきません。

 

ここらへんはフーコ『言葉と物』を読んでください

 

福沢諭吉とはだれか

「今の世の中に宗教は不徳を防ぐ為めの犬猫の 如し。一日も人間世界に缺く可らざるものなり」(福沢諭吉)
必要があれば宗教は「犬猫」(あるいはマルクスが言ったアヘン)の同じように役に立つし、なければ役に立たないということか?啓蒙主義者・福沢の無神論はヨーロッパ啓蒙主義者の無神論あるいはヘーゲル左派のフォイエルバッハ無神論にちかいのか?ちなみに、福沢は「徳」よりも「智」(慧)を重んじたのは、まだ靖國神社は無かったが、「徳」の靖國化(民衆の安心)を恐れてのことであったとする説がある。「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」(福沢諭吉)。つまり、「智」のほうが、後期水戸学の政治神学の道徳化ー国民道徳論ーとか、戦争神社である靖國神社の「徳」より大切だと彼は考えたであろう。
福沢諭吉について最初に言っておかなければいけないことは、彼の思想形成の最初にきたのは白石昭山である。中津時代の福沢は陽明学と徂徠派の学者から学んだ。儒学が先行したのである。平等を語る思想はどこにあったか。平等を語る思想は華厳教などアジアの思想にあった。しかしヨーロッパのように平等を実現する方法が語られることはなかった。福沢は横浜に来てオランダ語が通じないことを知って英語を学ぶ。植民地の国々の人々が生活のために母国語を捨てるあり方と同じである。
ミルと共に、福沢が尊敬したグラッドストーンは、アイルランド自治と選挙権を訴え、また西欧列強の中国の植民地化に抗議した人物である。
福沢は大阪へ行って適塾蘭学を学ぶ。彼はそれについては書いていないが、福沢の無信仰は、懐徳堂の無鬼神論の言説の影響も考えられることである。福沢にとってオランダは何であったか。福沢はオランダ語の存在で何を表象したか?
今日オランダの運河を見ると、リベラルのエンジニアリングのことを思う。運河にはどんなものが入ってくるかはわからないが、先ずは他者を信頼すること、そうでなければ運河は成り立たないのである。アムステルダムは天理人道の運河化である。福沢はこう言う。「天理人道に従って互いの交わりを結び、理のためにはアフリカの黒奴にも恐入り、道のためにはイギリス、アメリカの軍艦をも恐れ ず」[『学問のすすめ』)

儒教の天・地・人の表象が、ヨーロッパ語の存在と共にある運河の表象に置き換えられて、他者と交通する人間が登場するとき、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と語られることになった

 

 

相手から殴られたとき、カーッとなって殴り返して良いのか?

これは、映画で観た北アイルランドの哲学学校における共同討議の議題です。この討論がいかに大切かは、アイルランドに住んでいなければわからないかもしれないです。思い出すのですが、わたしがいたときは毎朝、プロテスタント派とカトリック派の間の抗争で被害者のことがニュースで流れてました。この憎しみの連鎖に、どーんと遣る瀬無くなるのです。毎日無力感にとらわれます。日本人にはわからないことでしょうか。そうとは思いません。日本近代の幕開けの舞台に、憎しみの連鎖が存在したのです。佐幕派横井小楠武装した攘夷の薩長を私闘と呼んだのです。長州はイギリス艦隊に砲撃したのです。そうやって長州がイギリスを攻撃したら、イギリスも長州に攻撃するでしょう。長州の子孫である、安倍晋三がはじめて、アジアを席巻しているヘイトスピーチも同じであると言えます。各国の首脳は言われたら言い返せとばかり、ヘイトスピーチの政治で国内の支持率を獲得する始末です。これはマイナスのご互酬と呼べる憎しみの連鎖です。こういう憎しみの連鎖については子供は考えることができます。わたしのネット小説福沢諭吉では、彼は子供に対して哲学的に考える考え方を教えるべきだったと物語る構想です。

柄谷行人の探究ー「語るー聞く」と「教えるー学ぶ」の非対称性ーとは何か?

私は説明できるか分かりませんが、こう思っています。『古事記』の序文を読むと、天皇が「語るー聞く」関係の中で語り伝えたのがこの神話だということになっています。ここでは天皇の「語るー聞く」のおかげで『古事記』が成り立ったというふうに序文は語っています。しかし他方で、太安万侶(多分1000人居た)が稗田阿礼の口承を参考にして書いたことも記されています。中国知識人と朝鮮知識人と彼等が育てた日本知識人が『日本書紀』を書いたのですが、やはり太安万侶は彼等に育てられた知識人だったとおもわれます。漢字は不可避の他者でした。漢字を「教えるー学ぶ」の太安万侶のおかげで『古事記』は成立したのです。
「語るー聞く」は、文革のスローガンのように、共通のルールを持った人々の中にあって自分に向かって自分に対する関係においてあるものだと思います。他方で、「教えるー学ぶ」は、ルールがないから教えなければいけない他者のことを前提にしているのではないでしょうか。私は、『古事記』は、「教えるー学ぶ」だったのではないかと考えます。古代日本は天皇が統治する前は分裂していたのです。漢字を不可避の他者とした漢字知識人の「教えるー学ぶ」だった関係を隠蔽して、天皇の「語るー聞く」を示したのが『古事記』の序文だったのではないでしょうか?

 

 

日本人の間にしか通じない言葉が存在するか?

哲学は翻訳の奥の深さをどう考えるのかは、一考の価値があります。翻訳不可能なものもあきらにあります。ただし、日本人の間にしか通じない(理解できない)文化的言語が存在することをはっきりと認めてしまうのは、ナショナルな固有性と本質に基づく主張であって、自国文化優位主義を導く危険なファショ的言説なので、私はみとめませんよ。ポストモダン的には、翻訳が先行するのです。その言語観は特別の境界を認めないものです。あえて理念的に考える必要がありますが、翻訳が母国語に先行するのは、柄谷において交換が生産に先行すると主張されるのと全くおなじです